[scudelia:cinema] Magical Mystery Tour
八百萬神々之國
date:2005/05/03 to 06
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□□□八百萬神々の集いし國□□□
□旧歴の10月になると全国から八百萬の神々が出雲大社へ集まるといわれる。ゆえに土地から神がいなくなるので10月のことを神無月という。しかし、ここ出雲の国においてのみ、その月を神在月と呼ぶというのはすでに周知のこと。古来からの言い伝え。 □昨夜は出雲大社の前にある道の駅に車を停めて眠った。駐車場には僕らと同じようなお泊まり組がいるのだが、今夜は意外と少ない。おかげで静かな夜が過ごせるというもの(一晩中エンジンをかけてエアコンを回しているヤツのところへは怒鳴り込んでやりたい)。 深夜になって一台のオートバイが入ってきた。ツーリングのようだがどうやらここで野営をするらしい。この時期はツーリングには絶好の季節ではあるが野営となると夜更けはまだ冷え込む。しかしこんな無茶が出来るうちが花なのだろう。タケダもいつまでもそんな無茶が出来る若造でありたい。 |
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□出雲大社は今回の旅の最重要課題だった。祀神は先の白兎海岸でふれた大国主。七福神の大黒であり、建速須佐之男の娘、須勢理毘売を正妻に持ち、この国を初めて治めた神。 |
□後に大国主は国(葦原の中つ国=日本)の統治を天照大御神の子、天邇岐志国邇岐志天津日高子番邇邇芸へゆずる際に、この建速須佐之男の言葉通 りに出雲の国に建てたのが出雲大社だといわれている。しかし実際の出雲大社の建築様式はそうではない。あくまでもこれは伝説の中での話である、、、、、っと、つい最近まで思われてきた。しかし近年の発掘調査によりとんでもない物が発見される。マスコミでも報道されたので知っているかとも思うが、この伝説でしかないと思われていた天にそびえる巨大柱跡が発見された。 |
![]() かつての出雲大社の予想模型 |
![]() 巨大柱跡 |
右の写真は発掘後復旧された境内にかつての柱跡が分かるように模様をつけてある。今まで一本ものの太い柱だと考えられていたが、この発掘によって3本の木を束ねて1柱としていたことが明らかになった。この発掘結果 と伝承として伝わる出雲大社像を踏まえて作られた予想模型が左の写真。なによりも神話の中の建造物が実在したということが衝撃的だった。 |
*基本的にこのサイトは基礎知識があることが前提なので基本的に注釈は加えないのだが、さすがに神話の登場人物となると読み方も分からないだろう。例外として簡単に説明しておく。 伊弉冉尊(イザナギノミコト) |
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□出雲大社ではこのしめ縄の巨大さが有名らしい。ひときわ大きいからどうだからといって珍しがるという価値観はどうかとも思うが、ひとつこのしめ縄には因縁話がある。大国主は邇邇芸へ自分の国の統治権を譲ったことになっているが、古事記に記された国譲りの様子はまさしく武力による侵略だ。古事記に登場する神々はほとんどの場合、実際には架空の神々ではなく現実に存在していた人間(ただのホモサピエンス)である場合がほとんど。つまり大国主もまた大国主として伝えられる人物がいた可能性がある。さて、自分の国を侵略&強奪されたのだから大国主の怒りや怨みはかなりのものだっただろう。強い怨みを持ったまま亡くなった者は、死後、怨霊になると信じられていた。現代では考えられないことだが、彼らの時代ではそれが最先端の科学だった。 |
話をもとにもどすが、この出雲大社のしめ縄は通常のしめ縄とは逆の方向によられているという。普通 、社の鳥居や参道は外から邪気が入り込まないための結界になっている。しめ縄もその結界のひとつ。このしめ縄が逆によられているということは社の内側に向けて結界が張られていることを意味している。つまり怨霊と化した大国主が外へ出ぬ ように、ということである。あまり知られてはいない話。 □出雲といえばもうひとつ。麺食いのタケダにかかせないのが「出雲蕎麦」。出雲大社を参拝後、ガイドブックでチェックを入れていた静も蕎麦の老舗を狙っていたのだが残念ながらお店がみつからない、、、、。苦肉の策で出雲大社の真裏にある観光客相手のような蕎麦屋に入るのだが、これがもう、まずいのなんのって、、。 |
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□□□ハーンの庭でぼてぼて□□□
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□松江とは、なんと美しい街なのだろうか |
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□この城下町の武家屋敷跡の一角に、かのラフカディオ・ハーンの旧邸宅が遺っている。 ラフカディオ・ハーン、日本名、小泉八雲。1850年にンギリシャにうまれ39歳で来日。時に明治37年のこと。ここ松江に1年3ヶ月とどまるが、その後、居を点々としながら日本の伝統的精神や文化を多くの作品に著し、日本を広く世界に紹介した。タケダの中学校の時の英語の教科書にはハーンの書いた「KWAIDAN(怪談)」が載っていた。 花鳥風月雪月花といったような日本独特の美意識を愛し、日本人よりも日本人らしいとさえ言われた。 |
この家屋は本来、根岸家という武家の所有する家だった。たまたま空き家だったこともあり、是非ともこの家に住みたいと知人を通
して八雲が申し入れた。旧居は代々根岸家によって八雲が住んでいたままの姿を変えることなく保存され現在に至っている。旧居の庭は明治元年に根岸小石の手によって造られたもの。規模こそ小さいものの、この庭は枯山水の観賞式庭園としては水準を抜いている。八雲は日本を転々と移り住むがこうして彼が住んだ家が保存されているのはここだけらしい。 |
街並みを散策しているとちょっとしたお茶屋さんに『ぼてぼて茶』の幟を見つける。おぉ!おぉ〜〜〜!!あの『ぼてぼて茶』か!!!そうか、松江の名物だったのか。まさか生きているうちに出会えるとは思えなかった。とんだ収穫だ。読者諸君にはこの時のタケダの興奮は分からないだろう。いやいや、分からなくてもいい。所詮、変わり者のすること。それよりも、ぼてぼて茶がなんたるかすらご存知無いことと思う。 『ぼてぼて茶』は茶の花を煮立てた番茶を茶筅で泡立て、冷や飯や数種類の漬物を少しずつ入れて頂く。茶漬けっぽく思えるがちょっとちがう。この番茶を泡立てる際に“ぼてぼて”と音がすることから『ぼてぼて茶』と呼ばれている。松江藩主松平不昧公が鷹狩りの際に空腹しのぎに食したのがことの起こり。 惜しいことにテーブルに運ばれて来るときにはすでに“ぼてぼて”されている。せっかくなのだから自分で“ぼてぼて”してみたかった。 |