私の人生の書、五味川純平著の「人間の條件」にこんな一節が有るのを思い出した。
(細かな部分での違いはあるかも)
劣悪な環境の中、強制労働を強いられる中国人「捕虜」は「物」と扱われて、その彼等の労務管理担当の主人公の梶。
明日の朝は、いわれの無い罪に、憲兵の日本刀の試し切りをされる数人の中国人「捕虜」。
その梶を前に、「捕虜」が言う。
「梶さん、人間は誰しも間違いを犯す。それは訂正すればすむが、人間の尊厳に関わる決定的な間違いは取り返しが付かない」と。
次の日の朝、「捕虜」の処刑を憲兵が決行するが、一人、二人と日本刀での試し切りに、梶は足が震えて止めることが出来ない。
梶は、「取り返しのつかない決定的な間違い犯している」と自分を責める。
何人かの処刑の後、やっと梶は重い足取りで一歩を踏み出して言う。「待て!」と。
梶は、もともと左翼的だと睨まれていたし、特に今回のことをきっかけに運命が大きく変わっていく。
時々思うことがある。
飲酒事故をしても、仮に一瞬の腹立ちに罪を犯したとしても、フッと我に返った時点で全てを認めること。
それを隠そうとしたり、逃げようとすれば罪に罪を重ね、取り返しが付かない決定的な間違いとなる。
九州の山間、小さな村での軽トラと自転車に乗った子供が出会い頭の交通事故を。その時点で病院に運ぶなりすれば単なる人身事故ですむものを。
重症の子供をわざわざ山中にまで運び、自転車も隠す行為は殺人行為ですらある。その犯人が捕まってよかったし、子供も病院を退院し、元気になってよかったと思う。
話が飛びすぎかも・・(@_@)
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