夕陽のシナリオ

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四国88ヶ所歩き遍路


6   2巡目 2回目区切り打ち 【18〜23番】
 
05年10月9日(日) 18〜19番
高知駅7時発の列車に乗る。
いつも遍路に出かけるときはこの時刻だ。
駅構内で、お歳を召した方から話しかけられる。こちらはまだジャージにTシャツで、法被もリュックの中。それでも金剛杖、菅笠とリュックを持った格好は、いかにも遍路でござい、か。
いつも妻の見送りありがとう、手弁当もうれしい。
発車するとすぐにビールを開ける。
徳島市内が近づくにつれて曇り空。徳島駅に9時44分きっかりに着く。駅の構内には、風が吹きこんでさわやかな気分。トイレと歯も磨き、法被も着て、心も新たにしてただ今より出発します。
9時55分、徳島駅から出発。
少し歩くと公園で高校生ブラスバンドの演奏があった。10分ぐらい聴いていた。近くのポスターを見ると、ジャズボーカルのステージもあるらしい。うーーん、悩むところだが、歩くことにしよう。
道案内を知っているつもりで、駅からすぐショートカットしたが、結局道を間違ってしまったようだ。そのおかげでブラスバンドも聴くことができたが,急がば回れ、で時間のロスだが、とにかく元の道に戻ることにする。ブラスバンドの演奏を聴いた以来、頭の中はずうっとtempo120の自作のマーチが鳴っている。それに合わせて足が進む。五線紙があれば速攻で音符にしたいところ。
歩き始めて1時間ほどしかならないのに、どうしたか、足が痙攣気味。遍路では初めての経験。足取りを停めず、足をダマシダマシ歩く。結局、終日この攣りに悩まされることに。考えてみれば、昨日も仕事が忙しく、昼の休憩も食事も取らずに8時から19時まで働き通し。おまけに昨夜は睡眠も30分ほどしか眠ってなく、無理も無いかも。その疲れだろうな。今からでも水分を多めに取ることにしよう。
遍路マークがまだ見つけられず不安になるが、二軒屋町でやっとマークを見つけホッとする。
博愛記念病院を右に見た当たりで、10kmで2時間ほど。まずまずのペース。ここで休憩とする。靴下も脱ぎ、木陰で休むと幾分肌寒く感じる。足の攣りのキツイのが座ると同時に襲う。
延々と続くバイパスを南下の道は、海が見える室戸の風景と違って面白くない。それに通り過ぎる車がすべてこちらを見ているような錯覚に。
ペットボトルを入れている簡易クーラーの口が破けてしまった。道すがら、釣具屋やアチコチに寄って探すが、無い。
13時40分うどん店で昼食。座るのにも痙攣が襲ってくる。2時丁度にうどん店を出る。味はイマイチだった。
もうすぐ18番恩山寺に着くと思う。今日中に「金子や」に着けばよいので、あわてることもない。
源義経が屋島合戦の前に四国上陸の地、の碑の前を通り過ぎる。大昔はここも海だったのか。前回での記憶がないが、NHKの放送が、今後この場所を私に記憶させると思う。
14時20分 18番札所恩山寺着。
前回の03年5月、ここを打ち終えて境内でゆっくりしていると、自転車で逆打ちをしている若者と長時間話し込んだ記憶がある。「どのあたりを走っているやら、わからない」という若者に、徳島県の地図に、札所を記した地図を差し上げたという記憶も。
14時45分 恩山寺を発つ。
参堂の坂を下りてすぐ右手の山道に入り、義経が峠の向こうに敵が居るかもしれないと弓を張らせた弦張坂、そして居ないと解り弦を巻かせた弦巻坂を通る竹やぶの道。これぞ遍路道。竹の多い山道を抜けると、左に田んぼ、右に住宅を見るのどかな遍路道に。
小高い山道を通り過ぎ、突き当りのT字路を左にとると、もうすぐ立江寺の屋根が見える。
15時40分 橋を渡るとすぐ立江寺に着く。
前回、この寺に着く手前の土産店で、おばあさんの方からお金を接待していただき、お店の方には饅頭をいただいた。その店は今日は改装中らしく、前回のお礼を申し上げたかったし、土産も自宅送る予定をしていたのだが、閉まっていて残念だ。
15時45分 19番札所立江寺着。
16時20分 立江寺発つ。
自動販売機で飲み物を買うにも小銭が無くて、寺を出てすぐのスーパーでジュースを買うと、ミカンのお接待をしていただいた。ありがとうございます。
今日の宿泊の「金子や」には、着くのが18時を過ぎそうなので、電話を入れる。
大きな楠の木と楓が生茂る櫛渕八幡神社前を通って写真を撮る。前回ここに差し掛かると、近くの櫛渕小学校の先生と生徒10人ほどから88ヶ所の取材を受けた。校内の88ヶ所のクラブらしく、校内新聞に掲載するのだという。今日は地元のおじいさんからいろんな話が聞けた。「櫛渕」の地名は、神社裏に伸びる山が、櫛の歯のように尾根から何本も伸びているのでつけられた名前らしい。天然記念物は「楓」と書き、「ふう」と呼び、大木の楠の木とは別の木ということも教えていただいた。どんより曇った天候の中、大きな楠の木の葉にアゲハチョウが止まっていたのが、なんか不思議な光景のように思え写真を撮る。
その後、しばらく歩くと自転車遍路を続けている人から「頑張って」と声を掛けられる。
彼には坂道で追いつき、登りきるまでの間、しばしの遍路談義をする。彼は「宿泊がどう、食事がどう、などと言う遍路はなんのための遍路か解らない」という、遍路を修行としてとらえる考え方。自分はそうは思わない。皆んなそれぞれいろんな悩みや苦労があるだろうけど、遍路をしたからといってそれらの全てを解決しようなどとは思ってないが、小さい運びの一歩一歩ずつでも、必ずどこかに行き着くだろうと思っている。けど他人の考えに自分の意見を差し込む気はサラサラ無い。彼は「金子や」に宿泊を申し込んだが満室で、2kmほど先の「民宿かえで」で泊まるらしい。コンビニを聞かれたので、この道を行くとT字路にある、と答える。こちらも「金子や」さんには迷惑をかけないように、急いで歩くことに。
職場の同僚にこんな話を聞いた。35番清滝寺の近くで釣りをしていると、遍路が近寄ってきて会話をしたそうだ。その遍路が言うには、「知り合った遍路に、杖の上げ下ろしの作法とか、こと細かに遍路のきまりを注意された」と。こんなこと、クソくらえ、だ。人それぞれ、「遍路」についての思い入れの強い人もいるだろうし、「遍路」をしながら何かを得ようとしている人も。しかし自分の「流儀」や「思い」を相手に無理やり押し付けるのだけは止めて欲しいもの。
17時40分 ローソンを左に行くと、ここから「金子や」までは4キロ足らず。
17時50分 あたりは薄暗い。大きな橋に着く。
前回は、この生比奈地区に入るとマメが痛く、その痛さに耐えかねて休むと、今度は歩き始めがジンジンして余計に痛む,休めず歩けずの最悪の状態だった。今回は一日中足の痙攣に悩まされ、足をなだめなだめ歩いてきた。
あたりは日も暮れて、真っ暗に。街灯も無い。前回の宿泊にここを訪れていなければ「金子や」を探すことが出来たかどうかだが、迷わず歩ける自分。
遍路姿の4〜5人の若者の集団が私の50メートルあとをついてきている。ただ、一人杖を引きずって、夜道に杖とアスファルトをこするジャージャーという音が響く。なんて非常識な、と。遍路でなくても一般常識的に。私の替わりに犬も吠えている。
18時15分 「金子や」着。今日一日足の痙攣に悩まされ続け、疲れたという感じ。
宿泊についていろいろあったが、ここには書かない。
食事時、隣に座った大阪のA65歳、淡路島、奈良、山口の若者3人のグループと談笑する。同じ卓を囲むこの男4人の集団、実はまったく関係なく、道中知り合ったのだという。その話の輪の中に大阪B67歳も加わって、ついついビールも勧む楽しい会話。
今日の足の痙攣、明日の山道はどうしたものか、などと心配してもしょうがない。予防に徹し、水分を多く飲み、足を揉むことだけ。
洗濯も明日まとめてしよう。
宿泊の部屋の中にはポットがなくて、せっかくたくさん持ってきた紙パック式のコーヒーが飲めない。
例によって、小さいマメが右の小指に出来ているが、今日はそのままにして、もう少し大きく育て(笑)てから、処置をしよう。
 
05年10月10日(月) 20〜21番
4時半に目覚めたので、そのまま出発の準備に掛かる。
窓を開けると、外はどんよりの曇り空で冷気が入り、部屋の中が清められるようだ。
6時半に食事、14人ほどが食事に集まっている。
7時15分 「金子や」を発ち、すぐ急峻な山道に入り、鶴林寺に向かう。
今にも降りそうな雨が心配。
7時40分 事前の情報ではこの一週間は曇っていても雨は大丈夫と聞いていたが、とうとうポツリポツリ降り出した。水呑大師で休憩を兼ねてポンチョを着る。昨夜意気投合した若者3人の集団は追い越して行った。
8時半 雨が本格的に降り出した。鶴林寺まではもう少しだとは思うが、小さい一歩ずつ前へ進めている。
8時40分 20番札所鶴林寺着。
3人の若者は、もうすでにお参りを済ませた後だった。山道で足の痙攣は無かったが、門前の最後の一段できつい一発の痙攣が襲う。山道で痙攣が襲わなかっただけでも幸いかも。
9時35分 鶴林寺を発つ。
雨が小降りになっているため、ポンチョは着ずに歩き始める。足元の悪い急な坂道を転げるように下る、まさに遍路転がし。
意識的に、爪先立ててアキレスと、膝にクッションを与えながら下る。
下に舗装道路が見えた頃、30歳ぐらいの女性に遭う。彼女、2度目の逆打ちをしていると言う。前回雨の最御崎寺の室戸で、国道から登りの遍路道の案内板を見つけられず、行き過ぎたことに気が付き、逆に戻ると再び行き過ぎた経験があった。だから「逆打ちは道を間違え大変でしょう」と聞くと、「そんなときはジッとして順打ちをしている人が来るのを待つ」のだそうです。
10時30分 山の中に遍路の休憩所があり、一服する。脇に置いてあるチリ箱はゴミでいっぱい。中には登山用のガスボンベも捨てられてあった。思いたくはないが野宿の遍路だろうか。腹が立つ。あとから追いついてきた遍路2人も休憩に寄ってきた。その一人もビニールを投げ入れる。ちょっとムカッとしたが、「オイオイ、持って帰れよ」とは言わなかった。
近くには私の好きな坂村真民の「念ずれば 花ひらく」の碑があった。
風が吹いて気持ちが良いが、木の下を通ると葉にたまった露が降りそそぐ。風が吹くということは、天気は回復に向かっているのかな。
10時55分 川沿いの舗装道路に下りた。
少し歩くと。橋を渡り山道経路で太龍寺へ行く道と、ロープウェイで昇る舗装道路、との分かれ道に着いた。ここでちょっと思案する。今朝は鶴林寺に登る前にパンを買うのを忘れたため、今夜の宿泊先の「坂口屋」までは食事は取れない。ひょっとして太龍寺側のロープウェイ発着場にはお菓子類があるだけ。それに何故か朝からひどい空腹感があり、飴を口にしても癒せない。どうしようか。「ロープウェイで昇るがかや?」って自問自答を繰り返すが、「えーい!」って、距離では倍以上あるが、楽なロープウェイへの道をとる。仕事なら、昼食抜きは日常茶飯事だが、遍路では我慢することは無い、と自分を責めない安易な論法を取り入れた。ただ、この道を辿ったことは、心には残るだろうな、と思いながら。
雨は再び激しく降り出した。
12時35分 ロープウェイ上り口に着く。食事をとることにする。
13時45分 ロープウェイに乗る。
高所恐怖症で10分間は目をつむったままの私。その姿は物思いにふける遍路、だったかも。実は恐怖に震えて・・。
13時55分 21番太龍寺到着。自分の力でなく、ロープウェイで運んでいただきました。
14時25分 太龍寺の門前で登ってきた福岡57歳の人と話し込む。野宿も出来るようなズシッと重い大きなリュックを背負った彼は、2回と途中から始めたので、半分をすでに廻っているらしい。
14時50分 太龍寺を出る。
まったく何故か解らないが、気分的に歩く気力が無くなっている。今回は4月に休暇申請をして、たまたま休暇の日が来たから、淡々とその準備をこなしたが、さして進んだ気乗りもしない状態で歩き始めたんだった。ロープウエイを使ったことで気持ちが切れたか、それに木曜日は仕事のこともあるし、考えてみれば自分一人で使うお金ももったいなさ、このお金があれば家族で楽しむことができる、休暇も残り4日あればいろいろできる、などとまたしても安易な身びいきで、「そうなるのは自分の責任ではない」と、わが身を責めない論法を取り入れようとしている。うん、明日は薬王寺まで行き泊まり、明後日は帰ろう、と決めた。
歩きながらリュックの調子がイマイチだな、って感じた。そういえば昨日も後ろに引っ張られる重さを感じた。肩紐が緩んでいた。だから肩とリュックの間に隙間ができているような感覚。ホントにダメだな、何もかも今回は歩くための基本的なことがなされてないよ。あらためてしっかりと締め直す。これでしっくりと背中に添いなじんだようだ。ついでに雨もポツリポツリ程度なので、ポンチョも脱いだ。
今日一日、足の痙攣も少なくてよかった。今夜も水分を多めに取ろう。
15時50分 「坂口屋」到着。
ここは二重丸の良い旅館だと思う。洗濯機、乾燥機は備えてあるし、すべてタダ。玄関にはうれしい靴の乾燥機まで在った。部屋にはポットを置いてあり、持ってきた紙パック式の熱いコーヒーが飲める。部屋も小奇麗で快適。何よりも細かい心配りのできている仲居さんがうれしい。もうすぐ団体客が来るらしいので、早めに風呂に入り、洗濯もして、ゆっくりとする。
案の定、マメは二つに増えた。今日はハサミでチョン切り、丸い穴を開けた。それに13番大日寺横の民宿「名西旅館 花」でいただいた、ビワの実を酒に漬けたクスリを流し込むと、イターー!。あとはティッシュを当て、テープで固定した。
明後日以降の二日分の宿のキャンセルをする。キャンセル料は取られなかった。
携帯はまったく通じない。(あとで知るが、民宿前のすぐ前の自動販売機では通じた)
夕食は2つの団体と私を含め3人の歩き遍路で、35人ほどが大部屋で食べる。
雨は夜に再び降り出し、激しく屋根に叩きつける音が。明日は大雨模様らしい。
 
05年10月11日(火) 22〜23番
5時40分 起床。
荷物をまとめて6時半に朝食。
朝食を食べていて、フッと気付いた。醤油は置いてあるが、昨夜置いてあったソースが無い。宿泊客が醤油と間違えて、ソースを掛けないようにとの心遣いと思う。そんな小さな心遣いがとてもうれしくなってくる。こんな素敵な「坂口屋」さんを妻にしたいような気持ち。
7時半 雨の中、「坂口屋」出発。
旅館を出たところ、昨日に太龍寺の門前で遭った福岡の彼と出会う。彼は「龍山荘」で泊まったという。
そのまま山道中腹まで一緒に歩く。IT関係にも詳しく、自分の確かな主張を持った彼とは話が弾む。トイレのために、彼と別れた。
9時5分 小山(大根峠)を下りたあたりの田園風景の中、「大根いやしの道守る会」のテントが張られてあった。せっかくの心遣いにリュックを下ろし、タバコを吸い、雨の田園風景を眺めて、9時半に再び出発。
?時?分 22番札所平等寺着。
門前で写真を撮っていた夫婦と、お互いが撮り合う。先ほど別れた福岡の彼はお参りを済ませたあとだったし、「坂口屋」で一緒だった愛知の人は発つところだった。
?時?分 平等寺を発つ。朝から止むことが無い雨が降り続く。
月夜御水庵で小休止。
車もめったに通らない山道に差し掛かる。「いやしの道 ちりを捨てないで」のたて看板が多い。
11時半 舗装されている山道を歩いているが、気分は何故か最高。ちょっと肌寒いくらいの温度、靴もジュクジュク、ズボンも濡れているが、こんな雨もまた良し、って。そのうち、鼻歌や口笛まで吹き出した。足もスキップしているような恍惚の気分。自己流4beatにアレンジした「雨に歌えば」や、「ワインライト」など、ジャズの曲が次々と口をついて出てくる。テュッチ(音楽用語)では、身体が自然に反応する。
道端の小さな花を眺めつつ、車もほとんど通らない道を、こうして一人の遍路が唄いながら歩いている、・・・今回一番の快感を味わった。
山道を降りると近くに目の上に国道55号線が見え、ダンプがすごい音を立てて走っている。この状況になってはさすがに鼻歌は出てこない。
釘打トンネルに差し掛かるあたり、交通整理をしているガードマンに、赤い雨具を着た福岡の遍路のことを聞くと、15分ぐらい前に通ったという。5km./毎時として、1250m先を行っているのか、などと暇つぶしに無駄な計算を。
この国道やトンネル内は、歩くスペースがほとんど無く、歩き遍路には危険極まりない。特にトンネル内での後ろからのダンプの轟音には、さすがにビビってしまう。
12時00分 釘打のお遍路休憩所で休む。
「蜂の巣に注意」と書いてあったが、すでに蜂の巣は半壊状態で、蜂も見えない。
遍路道の旧道コースを歩きたかったのだが、いつの間にか過ぎたらしい。「保存協力会」の地図に載っている「星越茶屋」も多分名前が変わっていて、通り過ぎたらしい。ということは、しばらく食事もガマンをしなければならないだろう。
13時半 薬王寺まで10kmの標識。ということは昼の食事の時間も入れて16時過ぎには着けるだろうか。
ログハウス風の喫茶店を見つけて、コーヒーを飲もうとしたが、濡れている靴を脱がなければならないので、すぐ先にあった遍路小屋に持ってきていただいた。やっと飲める熱いコーヒーは美味しかった。カフェインで空腹感が少しは癒されるかな。そこで薬王寺まで6kmと聞いたので、食事も入れて1時間半か。
そこを発つ前にポンチョを着ようとしたら、前後を逆に着てしまった。我の事ながら「このバカが、何をしよら」って口をついて出た。
雨はほとんど止んでいるが、通る車の飛沫のため、着て歩く。
依然、歩道が無くて危ない状態が続く。
やっと見つけた「ドライブイン海賊船」でビールと刺身、うどんを食べる。ついでに携帯の充電もしてもらった。
テレビのニュースを見ていて、30代夫婦の妻が、1歳4ヶ月の子供を5階の窓から投げ落としケガをしたという事件があったらしい。こういう事件はイヤだな。夫婦でありながら、何故か奥さんだけが追い詰められた状況の気持ちがわからないでもない。そして事件の責任が全て妻ひとりに負い被される不条理さも感じる。スポーツ新聞では、衆議院無所属の野田聖子議員が郵政民営化の賛成に廻るらしいというニュース。今のままでは解決の糸口が見つからず、板ばさみ状態で野田議員もどうにもならんだろう。民営化の総得票率は49%、反対は51%らしい。結局、為政者には有利な選挙制度のため、議員数には逆の審判で大差が出たという結果。などとそんなことを考えながら歩く。
16時20分 23番札所薬王寺に着く。
門前で福岡の人、井根さんに遭って、携帯電話の番号を交し合う。彼もここで打ち止めと言っていた。
別にあわてることは無いのだが、先に納経を済ませる。石段にお金を落としながら登ると、本堂の前に立つともうロウソクはきれいに取り払われ、灰も均されていた。その中に刺す線香の気持ちが良いこと。売店まで閉められている。
17時に薬師会館に入る。
部屋は広く、快適。誰かのホームページに書いていたけど、「ホテル並み」というのはあたっている。うれしいな、湯沸しのポットが置いてあり、今夜も紙パックの熱いコーヒーが飲める。
携帯(au)は、部屋の中でも場所により通じたり通じなかったり。ただ、部屋の中には外部に通じる電話があるのは便利。
洗濯機と乾燥機は風呂場に一台しかないが、バスとかの団体客が多いのでこれで充分かも。濡れた靴は紐を解き、オープンにする。
快適に最後の夜を過ごすことができた。
 
05年10月19日(木)
団体客に合わせて6時半からの食事にしたのだが、そのために6時からの勤行を最後まで勤めることができず、団体客と一緒に退いた。自分一人でも勤めたかったな。
薬王寺前に前回には無かった「道の駅」が出来ていて、そこから駅に近回りが出来たのに、知らずに前回の道を辿り、遠回りをしてしまった。ただし、思い出を紡ぐには良かったかな。
8時10分の日和佐駅発の特急に乗り、ひとまず徳島駅に。
徳島駅から始まった今回の遍路も、21番太龍寺へロープウェイに乗ったことは心残りだったけど、3日掛け、3万円近く使った費用も、帰りは1時間と2210円の旅の距離でしかなかった。
窓の外の天候は幾分回復し、時おり日差しも時折差し込む曇り空。明日にはすっかり晴れるだろう。
 
南無大師返上金剛


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