念願の街頭易者、易者身の上知らず
さて、十六歳で、街頭易者先生の啖呵(たんか)を聴いて、「街頭易者になる」と決めてから、グズグズしている間に十二年が経ってしまった。「光陰矢のごとし」と言うが、後から思うとホンマ、アッという間じゃのう。昭和五十年に高知へ帰った時には、二十八歳のエエ歳になっていたのじゃ。それから街頭へ出たのだが、これからが本当の修行であった。早速街頭へ出ようと思って、二十歳から知っていた、街頭の元締めの杉本岳堂先生に頼んで、場所を決めてもらって街頭へ出たのじゃ。
その頃は、まだまだ景気も良く、夜の街も賑わっていたから、「これは行ける」と踏んで、前祝いに屋台で熱燗をググ〜ッとやった迄は良かった。杉本先生が、「島田君、あのスーパーの前へ出たらエエ。前に出ていた女の易者はよう流行っていたぞ!」と言うので、「有難うございます」という次第で、手作りの鑑定台を引っさげて、島田鉄眼(てつげん)という名前で、勇んで街頭へ出たのじゃ。
先代の元締めが、前に話した高島呑周先生で、その後を杉本岳堂先生が継いだのじゃ。後でわしがその跡を継ぐのだが、まあ街頭易者のややこしいこと。呑周先生の代では、「県外から来た同業者が挨拶に来ない!」ということで、近くの山へ呼び出して、ダンビラを振り回したそうじゃ。先生は「あの頃はよかったのう」と、目を細めて懐かしそうに話すのじゃよ。その頃は、「お控えなすって!」と仁義を切る時代だったそうな。まあ、街頭易者はテキヤの部類だから仕方があるまい。それにしても、先生はテキヤ言葉をペラペラ喋ったが、傍で聞いておっても全く何を言うておるやら、サッパリ分からんかったのう。
後で、杉本先生から、「島田君、街頭の連中は、『股くら膏薬』ばかりだから、そのつもりで頼むぞ」と言われたが、全くその通りじゃ。股くら膏薬(こうやく)とは、内股に膏薬を張って歩けば、あっちへ引っ付き、こっちへ引っ付きすることを言うのじゃよ。あっちの人間に引っ付き、こっちの人間に引っ付き、あっちでこう言い、こっちでこう言う、二枚舌のことじゃ。
わしも、その頃は若かったから、言った言わないで揉めた時には、二人を呼んで、お互いの言った言わないのカタをつけたものじゃ。男が一度言うたら、後で「すみません」では済まされんからのう。昔なら腹切りものじゃよ。揉め事によっては、ややこしい人間も出てくるからのう。
さて、街頭だが、珍しいものか、若造のわしにも、街頭へ出て四、五日は人が並ぶ盛況振りであった。「これは景気がエエわい」てな調子で、また熱燗ググ〜ッとやる。しかし、実力不足では仕方がない。一週間足らずで客足も途絶えて、やがて閑古鳥が鳴く日が続く現実の厳しさ。女房と子供二人の四人暮らしで、生活が掛かっておるからのう。
先輩が通りかかって、「鎬(しの)げとるか、アア?」と聞くので、「どうも暇ですわ」と応えると、「ただ見るだけでは食って行けんぞ! 街頭で鑑定した客を、名付けでも印鑑でも何でもやって、家へ引っ張り込め、エエか! そうせんと食って行けんぞ! 祈祷も教えてやるから来い。サラバ〜」と、叱咤激励して何処かへと去って行ったのじゃよ。後はただ、ほのかに酒の香りだけが漂っていた。先輩の愛の鞭じゃ、愛の鞭。あり難いようであり、あり難くないような、妙な気持ちであった。
先輩の殆どが祈祷(きとう)をやっていたから、「お前も祈祷をやれ!」、「祈祷に繋げよ!」、「見るだけでは食って行けんぞ」と、諸先輩から何回も言われたが、わしは手相と人相と易占しかできないので、この歳までそれを通して来た。信仰はしているが、霊的なことは専門家に頼むことにしておる。
それと、人相でも、家相でも、姓名判断でも、霊的なことでもそうだが、先ずは運命の診断ができないと話にならんのじゃなかろうか。現在の状態、運命をちゃんと診断できずに、ああせよ、こうしなさいと言うのは本末転倒であるし、オコガマシイではないか。きちっと運命を診断して、それを一つ一つ確認しながら、鑑定と指導を進めて行くのが本当じゃなかろうかと、わしゃ思うが、皆の衆はどう思うかの。
さて、街頭と家とを足しても、来客は月に十人そこそこだったかのう。その頃を思い出すと、懐かしさと苦しさが一緒にやって来るから訳が分からんわい。当時は、一見五百円、総合二千円だったので、客が少ないから、とても生活できない。酒代にもならんからのう。しかし、客が来ないから生活できませんと言ったところで、情けないだけで、何ともならんから、街頭で鑑定しながら、昼は貨物の運転手をしたり、取立てをしたり、一時休業してクラブのマネージャーをしたり、出稼ぎをしたりの状態で、なかなか生活も安定せんかった。こつこつ集めた千冊はあった本も、殆ど売り払った。荒んだ生活をしながらも、「何とかなる」という気持ちだけはあったのじゃよ。不思議に。
「易者身の上知らず」とは、よく言ったもので、自分の運命をちゃんと判断できないうちは、何ともならんのじゃよ。この間、本屋で見かけた小学生用の、ことわざ辞典に、「易者身の上知らず」というのが載っておったが、いらんことを載せんでもらいたいのう。ただ、当たっているのが、癪に障るではないか。大抵の易者に当てはまるような気がするのは、わしだけではあるまい。
三十歳を超えた頃に、八木先生の訃報に触れた。追悼会があるという知らせを受けて、大阪の天満橋駅の近くの会場へ出席したことがある。奥様と茅岡先生や、多くの八木観相塾の先輩が出席しておられた。何か、わしには人相術界の一つの区切りのように思えたのう。プロでやっている人は、あまり居ないようであったが、八木先生はどのように思われているのか、少し寂しい気がしたのを思い出す。
人の運命を鑑定して、開運に導くのがわしの仕事だが、困窮と自暴自棄の生活を、あまりにも不憫に思ったのか、女房の親戚の者が、「よく当たるハンコ屋さんが、知り合いの所へ来るから、観てもらいなさい」と言うのじゃよ。「いくらわしが身の上知らずでも、そこまで言われたくない」とは思ったものの、勉強にもなるという理由をつけて、一緒に観てもらったことがある。
印相を見るその先生は、なかなかのベテランで、印鑑を見て、次に朱肉を付けて押して、その印面を観ながら、「あなたは二箇所から収入がある」とか、「ご主人は日焼けしたガッシリした体格で、血圧が高い」とか、「一週間前に左足を怪我しただろう」とか、詳しいことをズバズバ当てるのじゃよ。印相判断というのもなかなかのもので、後で聞くと、印面に画相が現われると言っていたが、そうでなければ詳しい判断はできまい。
わしの番が回ってきたので、印鑑を差し出すと、見ると開口一番、「変わった仕事をしているなあ、貧乏印だから、新しい印鑑を作りなさい」と言うのじゃ。大当たりと言えば大当たりじゃないか。わしは、「何でも研究すれば、色々と判るものだなあ」と関心した次第じゃ。どの道でも、ベテランはちゃんと診断をして、当ててから次へ進むという、手順というか、流れが見えるのじゃよ。
地元の浜の方に、よく観る有名な霊能師がいるというから、知り合いの女霊能師を連れて観てもらいに行ったこともある。その先生は漁師をしながら、人の相談に応じ、神官もしているらしい人物で、相談料もお任せで、指導料とかいうヤヤコシイのも無いらしかった。
部屋には四国八十八ヶ所霊場のご本尊と、朱印の並んだ掛け軸があり、シキビと榊があり、神仏両方をやっているようで、祝詞も上げれば般若心経もやるという塩梅であった。素朴なそこらの気のエエおじさんで、気張ったところなど微塵も無い、自然体の人物であった。
面白いのは、祝詞や般若心経を上げている途中で、言葉が詰まった時に、何やら神仏の声が聞こえるらしいのじゃ。わしの前に見てもらった人は、時々詰まった程度で、案外とスラスラと祝詞が上がって、それほどの深刻な霊的な問題はなかったようであった・・が。
わしの番が来て、霊能先生が神様の前で手を合わせるが早いか、わしの方を振り返って、「三日坊主じゃ、と神様が言っておるぞ」と言うではないか。わしは思わず「アハハ〜」と笑ってしまった。確かに人一倍短気で、根気がなく、何をやっても続かんからのう。ズバリ当たっておるではないか。そうすると先生は又、神棚に向かって何やら、「ハイ、ハイ」と言うのじゃよ。次は何か重大なことを神様が言ったのかと思って、待ち構えていたら、振り返りざま、「二日坊主もあったと言っておるゾ」じゃからのう。念には念が入っておるわい。
次に、祝詞(のりと)を上げだした。普通は、「タカマノハラニ・・・」と続くはずだが、わしの場合は、「タカ、タカ、タカ、タカ」と、最初から詰まったのじゃ。霊能先生は、「これは珍しい! 祝詞が上がらん。一体何をやっておるのじゃ。神様が睨んでおるぞ」ときた。こうなると、「占い師です」と言ったわしも、笑ってばかりはおられなくなった。どのような神様かは知らないが、神様に睨まれては、エエ気持ちはせんからのう。
それから、次々とあれこれいうのじゃよ。「神様のお札を纏めて、何処へ突っ込んでおるのじゃ!」と言うではないか。確かに、神様を祭っていたが、気が変わって、神棚も退けて、「エエイ! 神も仏もおるものか」てな調子で、大きな封筒に御札を纏めて入れて、本棚の端へ突っ込んだのが一ヶ月前じゃ。
「水神が怒っておるぞ」と言うので、「ハア?」と言うと、「井戸じゃ、井戸。井戸を埋めただろうが」と言う。「便所も動かしておるし、塀の中の木も勝手に切ったな。勝手に門も作った」と、わしが何も言わんのに、全部当てるのじゃよ。こうなると、わしも笑いどころではないわい。「どうすればエエのですか?」と聞くと、「おお、その心よ」と言う。その一言で、何か救われたような気持ちになった。真心の言葉は、ちょっとした言葉でも、心を動かすものじゃのう。
言葉は生かす殺すの両刃の剣じゃなかろうか。鑑定の際にも余程注意してモノを言わんと、却って傷つけることもあるから恐いのじゃよ。わしも言いたい放題言うから、時々客から怒られるのじゃ。「飲食を慎み、言語を節す」とは易の言葉だが、口さえ慎めば、大抵のことは治まるのは本当のことじゃ。
霊能先生が、「水道が通るまでは、美味い水だと言って喜んで飲んでいたのに、水道が通ったからといって、断りもせずに勝手に埋めたのだから、井戸のあった所で、線香を立ててお詫びをしたらええ」と言う。「塀の中の木も、部屋から眺めて夏は涼しく、冬は防風になると言っておったではないか」と、わしの心の中までお見通しではないか。「恐れ入り屋の鬼子母神」とはこのことであろうか。
この霊能先生に出会ったことが、「神仏はこうあるべきだ」とか、「こうに違いない」という、思い込みの信心ではなく、「実在の霊」に対する信仰に入る切っ掛けになった。但し、幼い頃からズ〜と、心の奥にある神と仏に対する信心は、今もそのまま続いておる。
霊の世界は複雑らしく、わしのような凡人には測り知れんが、心に感じることと、人相に現われること、信用できる霊能師の言うこと、良い神霊についての本を読むこと、これらによって霊のことを垣間見ることはできるのじゃよ。
さて、十分に恥をかいたし、勉強もさせてもらったから、「どうも有難うございました」と言って、前の客と同じように五千円を差し出すと、その霊能先生は神棚の方を見ながら又、「ハイハイ」と言うのじゃよ。どうしたのかと思っていると、「神様が、無理をするなと言っておる、いくらでもエエ、無理をするな」と言うのじゃよ。恐れ入るわい。そこまで言うか〜、他の客がおる前で。しかし、街頭で鍛えた面の皮の厚さだけが取り柄のわしは、素直に神の愛に応えて、二千円を差し引いて三千円を置いて帰ることにした。何やら霧が晴れたような心持で、霊能先生の宅を後にしたのじゃよ。
そんなこんなで、四十歳前から、ご先祖と色々な神様にご縁ができたのじゃ。先ずは、次男だということもあって、仏壇で先祖代々の位牌だけを祀っていたが、長男が家を出ているし、霊的なことには一向に関心がないところから、実質は長男の役割をしているわしが、五十回忌が済んでいないご先祖は別に位牌を作ってお祀りした。霊能師に先祖のことを色々言われて、それが現実と符合していたからのう。そこは素直に従ったのじゃよ。
古い家だから備え付けの神棚がある。中央に伊勢神宮の天照大神様、向かって右には、生まれた時からお世話になっている、地元の古城八幡宮の神様、その右には奈良の石上神宮(いそのかみじんぐう)の神様、左には高知市の潮江天満宮の神様、その左には徳島の轟神社の神様をお祭りした。
轟神社のお札をお祭りしてから、神棚に向かって「轟神社の神様、宜しくお願いします」と言って、墨色(すみいろ)の一の字を引いたら、兌宮に大きな画相が現われた。神か行者か、何れにしても逞しい豪快な画相であった。それからグングンと客足が延びて、天童春樹という名が、高知ではボツボツ知られてきたのじゃよ。
街頭へ行く途中に高知大神宮があって、いつもお参りさせて頂くのだが、その日は正面の拝殿へ行く途中の横に、お稲荷さんがあることに気が付いた。「お稲荷さんがあったのか」と思っただけだが、街頭へ出てから墨色の一の字を引くと、中央に眷族であるキツネの顔がハッキリ現れたことがある。何気なく見たお稲荷さんが現われるのだから、心の何処でどう繋がるやら、霊の世界は不思議じゃのう。それ以後はお稲荷さんにもお参りしておる。
話を戻して、神棚の右の床の間にも、別に神仏を祭った。中央には轟神社の掛け軸、その前には聖観音様、左隣に浅草の浅草寺の観音様、右には奈良県信貴山の毘沙門天王様、左には七福神様をと、まあ大勢の神様をお祭りした。現在は武蔵野八幡宮の神様もお祭りさせて頂いておる。
霊能師には、「あまり神様が多いので、どの神様が何を担当するのか迷う」と言われたりもするが、そのままお祭りしておる次第じゃ。
吉祥寺の鑑定室には、轟神社の神様、前に聖観音、左に浅草寺の観音様、右に地元の武蔵野八幡宮の神様をお祭りして、毎日お祈りしておる。ただ、今年の六月で吉祥寺の鑑定室は閉鎖することにした。高知が留守になるし、歳が行くと長い出張はこたえるのじゃよ。ただ、四日間くらいは出張して、易占と人相術の教室と鑑定を暫く続けるつもりだから宜しく頼みたい。
奈良の石上神宮に始めて参拝した時には、鳥居の前で、「かたじけない」という気持ちと、少し畏怖を感じたことを思い出す。轟神社には霊能師と一緒に行ったが、神域へ入った時に霊能師が、「護るから、三回来いと言っている」と言うたが、その後に他の霊能師の何人かに観てもらう度に、瀧か龍神が出てくるのじゃよ。それも、「護るから来い」と言うのじゃ。有難いではないか。しかし、考えようによっては、「護ってやらないと役に立たん男だ」とも取れるが、まあ、有難く護って頂いておる。
街頭は、三十歳半ばで杉本先生から、「島田君、後を頼むぞ!」と言われて、高知の街頭易者の場所割りや、県外からの客人の場所の手配などをするようになった。同業と話し合って、「高知県街頭占業連合会」、「高知県易道組合連合会」を立ち上げて、その会長に就き、「同じ釜の飯を食う、家族」という思いであったが、「俺が一番」という易者の集まりは、そう上手く行くものではなかった。エエ経験じゃ。
高知市の、料亭「得月」で、後援者や同業、先輩、裏社会の人などに集まってもらって、目出度く発足したまではエエが、それ以後は纏まりもなく、訳の分からん集まりとなったのじゃ。お互いに足を引っ張り合うことが多いから、何時の間にか、「適当にやれ!」という気持ちで、わしはあまり取り合わないようにしておる。
そういう経緯で、事があって声が掛かれば顔を出すが、一度顔を出したら、相手がいることだし、途中で「止めました」は通用せんから、ややこしいのじゃよ。引っ込みがつかんなるからのう。どういうものか、わしが県外へ出たりして、留守の時に限って、色々と問題が起こるのじゃ。「わしがいたら、こんな事にはならんかったのに」と思ったものじゃて。
「天道さんは、刑務所に入った事がない」といって、馬鹿にされるのじゃよ。それが街頭易者の世界じゃからのう。仲間内で、言うた言わんで死人も出たが、その時もわしが留守の時じゃ。「わしがいたら、何とでもしたものを」と思っても後の祭りじゃ。今では、新人が何処へ出そうが、わしは何も言わん。適当にやってもらっておる。「その代わり、自分でケリは自分でつけてチョ〜ダイね」という訳じゃ。
ようけあった本を売ってしまったが、売り食いを免れた本には、神相全編正義、南北相法、林流画相気色全伝、観相発秘録、神異賦その他があったが、ふと神異賦を読む気になって、読み返してみた。運命とは妙なもので、それで何かが吹っ切れたのじゃよ。運命鑑定の仕方というか、順序というか、兎に角、今まで心の奥で迷っていたのが吹っ切れて、それから自分流の鑑定ができだしたのじゃ。四十歳になった頃に初めて気が付いた。
気づくのが遅いといえば遅いが、「今までの苦労は無駄ではなかった」と、ハッキリ知ったのもその時じゃ。「人生に無駄なことなど無い。経験しなければならないから、経験するのだ。全てが肥やしだ」とね。「ああ、そうか!」と、何かに気づくことほど嬉しいことはないのう。有難いことじゃ。今までの苦労も吹っ飛ぶからのう。
そして、運がボツボツ上向いてきた四十代で、今までの人相術教室の内容を纏めて、ワープロで仕上げて、表紙を付けて、「人相術講座・全十八冊」を仕上げた。それを大阪の中尾書店から発売してもらったのじゃ。「必ず発売を引き受けてくれる」と思っていたし、易占でも「オッケー」と出たからのう。平成二十四年の現在までに、直売を含めて、三百セット以上が世に出たのじゃ。
それから七、八年して、一気に書き上げた、「街頭易者の独り言・開運虎の巻」の原稿を、新聞で「出版します」みたいなのを見て、長野の鳥影社に送って、共同出版として出してもらうことになった。出資した分は、四百冊の献本を、街頭に並べて三ヶ月で売り捌いて元を取ったのじゃよ。殆ど押し売りではあったが。
本を書くということは、素人のわしには、書きたい時に一気に書く以外にないのじゃ。ウンウン唸りながら書くという代物ではないからのう。又、ノー天気だから、唸っても何も出て来ないのじゃよ。今までの経験を書くしかない。経験を書くのだから、別に難しいことではないし、嘘もない訳じゃ。
わしの人相術教室では特に教科書はないのじゃ。経験だけが頼りだから、下準備も無ければ、繕うこともないし、質問にも平気で答える。但し、経験していないことは、「経験がないが、○○にはこのように載っており、○○先生はこのように言っている」というふうに、正直に答えることにしておる。当然、でっち上げも嘘もない。
わしの言うこと、書いていること、内容を疑う連中もいるかも知れんが、信じてチョ〜ダイね。まあ、素人衆は仕方ないとしてもじゃ、同業者で疑う者がいたら、「しっかりしてチョ〜ダイね」と、わしゃ言いたい。何故なら、占い師が疑うこと自体が可笑しいではないか。「わしの言うことが本当かどうか、その真偽を、ちゃんと占ったのか!」と、わしゃ言いたい。占えば、イエスかノーかの答えがハッキリ出るから、疑うなどということは絶対にあり得んのじゃ。
ただハッキリしていることは、「天道が言っていることが、真か嘘か」を占って、「嘘だ」と判断したら、それは誤占じゃよ。大外れ、判断間違いということじゃ。それは間違いない。疑心暗鬼などという言葉は、運命鑑定家には無縁じゃ。ただ、直ぐに迷ったり、勘ぐったりする占い師が多いから、「易者身の上知らず」と言われても文句が言えんのじゃよ。
わしもエエ歳になったから、いちいち取り合わんが、言い出して引っ込みがつかんなってからでは、どうしようもないからのう。昔から陰口、噂話、井戸端会議は女子のすることと決まっておる。それと女面(じょめん)の男もじゃ。自分の始末の仕方くらい心得てもらいたいものじゃて。女子は心がコロコロ変わるところに可愛さもある。ルパン三世の、藤子のようなのもエエのう。
わしは何でも占うから、迷うこともなければ、疑うこともないのじゃよ。易占教室の受講生にも、人相教室の受講生にも、「兎に角、いつでも、何でも占いなさい」、「兎に角、占うこと」と、いつも言っておるのは周知の事実じゃ。日頃のそうした実践の積み重ねが、占と一体の体質を作り、臨機応変な判断ができる基となるからのう。易占に、射覆(せきふ)というのがあるが、それを下らないというのであれば、易占は止めたほうがよかろう。
話は変わるが、信仰の話の序に、わしが毎日ご先祖と神様の前で祈っていることを、簡単に言うから参考にしてもらいたい。
「思いは諸法(すべて)に先だつ」というのは、法句経の言葉だが、「思いは全霊に繋がる」ということも覚えておいてもらいたい。例えば、明るい思いは明るい霊と繋がり、暗い思いは暗い霊と繋がり、暖かい思いは暖かい霊に繋がり、寂しい思いは寂しい霊を呼び寄せるということなのじゃ。
思いやりがあれば思いやりのある霊と同調し、自分本位であれば自分勝手な霊の仲間になる。一事が万事、この調子だから、普段のちょっとした思いも、その都度その思いに波動が合う霊と繋がっていると知ってもらいたい。ちょっとした思いも、積み重なると、案外と強力になるからのう。易経に、「霜を履みて堅氷に至る」というのがそれじゃ。
毎日のちょっとした明るい、積極的な祈りも、積み重なれば大きく作用するから、皆の衆も次の祝詞を実行してはどうじゃな。
「願わくば、この現身(うつしみ)を御手代(みてしろ)として、直(なお)く正しき御教(みおしえ)を、天(あめ)の下(もと)、四方(よも)の国に伝えしめ給(たま)え」、これじゃよ。現代の言葉に置き換えてあるが、「ねがわくば、このうつしみを、みてしろとして、なおくただしき、みおしえを、あめのもと、よものくにに、つたえしめたまえ」と毎日唱えると、必ず運気が向上することは、この天道が保障する。
その意味は、「お願いです。この私を神の手代(使用人)として使って下さい。そして直く正しい神様の教えを、天下に、国中に伝えることができますように」、「私は神の教えの、素直で正しい教えを実行します。そして神様の僕として、その教えを天下に伝えられますように」と、まあこういう意味と思って良かろう。
この祝詞を毎日唱えると、いつしか、「神様のお役に立とう。世のお役に立とう」という気持ちが沸いて、天命に任せて、ただ良かれと思う生き方をするようになるのじゃよ。それと、神の道に違うことを思ったり行ったりすると、忽ちその反応があるから、それも有難いではないか。悪いものがヨウケ溜まってから、いきなりドンと吹き出たら、たまったものではないからのう。
神様と繋がれば、自分の内にある神の御霊別けの心が開くから、我が心を頼りに一切を判断して生きるようになる訳じゃ。そうなると、吉凶を越えた世界に安住するのじゃよ。それを、観自在境(かんじざいきょう)とか、空(くう)とか言っておる。
ただし、ご先祖のご供養をちゃんとやらないと、いつの間にか自分だけの世界へ入り込んで、自己満足の世界で生きるようになるから、十分に注意してもらいたい。《家庭が世間の大本で国の基礎》だということを、しっかり悟ってもらいたい。いくら信心しても、出世しても、家庭が治まっていないようでは、ご先祖も神様も喜ぶまいて。
《一身を修めるは、家を斉(ととの)えるにある》のじゃよ。《家を斉えることが一身を修めること》なのじゃ。それで国が治まり天下が定まるという訳じゃ。易経に、「家正しくして天下定まる」とあるも、「積善の家には必ず余慶あり。不積善の家には必ず余殃あり」と言うも同じことじゃ。《家を正すには、祖父母父母を敬い孝養するにある》 《父母祖父母を敬うことは、その父母祖父母の先祖を敬うにある》ことは自明の理ではなかろうか。
わしの経験から言えば、いくら信心をしても、親を敬わず、祖父母を敬わず、ご先祖を蔑ろにしている者は、家庭が治まっていないのじゃよ。或いは難病、不慮の事故、浮気、肉親の争い、離婚など、決して幸せとは言えない有様じゃ。宗教に嵌って、「私は幸せです」とか、「俺はこれでエエ」と言ったところで、家庭が治まっていなければ、ヤセガマンだとしか言いようがあるまい。
先祖と、祖父母父母を敬わない連中が、いくら神に祈り、自我を滅却したところで、神仏に通じる訳が無かろう。自分だけの幸せなどは無いのじゃよ。もし、通じるとしたら、同じ境涯の霊に通じるだけじゃ。それに、霊能師や霊能師モドキも多いが、信じている神がもし、神典に載っている神の名をかたるようであれは、わしゃあ信用せんほうがエエと思うが、皆の衆はどう思うかの。
強い者勝ちの、下克上の現代には、上を敬い、過去の人々や物に感謝するという、精神教育が必要ではあるまいか。
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