天童春樹(天道春樹)の人相術
 
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運命の具体的な見方、判断法を出し合って研修する為の会です。


○☆易経六十四卦
について詳しく知りたい方は理系女子占い師 千歩(ちほ)先生Youtube動画「易経六十四卦の解説』をお勧めしております。これから勉強される方は是非ご覧ください。

 
 人相術用語辞典

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     前書き

 この書は人相術の古典を主に、諸先輩が解説したものを、私が現代の若い人にも分り易いように書いたものです。天童観相塾の必修科目である神異賦(しんいふ)も原文は載せずに『』で分かり易く書いています。神相全編(しんそうぜんぺん)の内容も分り易く『』で示しました。神異賦は谷村春樹(はるひと)先生の評訳を主に平易に書きました。『』のないところは天童春樹の経験による解説です。見出しはあいうえお順です。尚、各相についての善悪吉凶のあるものには、吉は○、凶は●、吉凶半ばするものには△か▲を付けて初心者の便を図りました。


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人相術事典


【あ】

【●青遮口角(青い色が口角を遮る)】 『青い気色が口角(こうかく)を遮るように現われたなら、死相の一つである。昔の中国の名医である扁鵲(へんじゃく)でも治すことが難しいだろう』 口角は海角(かいかく)とも言う。気色は皮膚の上を伝うように現われるのを特徴とする。血色は皮膚自体の色。
【上がり目】 「尻上がりの目は権勢欲求的傾向がある。欲ばかりで威ばりたがり、主我的であって、他との調和力は極めて少ない。そのクセ心もちは幼稚で無邪気、正直純真の方である」眼光に注意のこと。和気があれば角がない人物であり、眼光が強ければ我が強い。
【悪(あく)】 自己中心。
【●悪眼(あくがん)】 『女子の眼相が悪いのは、嫁いでは夫を駄目にする』 目にクセのある女子は結婚運が悪い。『心に毒が有るか無いかは目を見よ』 『目は心の窓』『目は口ほどにものを言う』 『関わるには先ず目を見よ』刺すような眼光、眼光の暴出、斜視、三白眼、四白眼、クセ目、見苦しい目などを悪眼という。
【●悪死(あくし】 「事故死、自殺、変死など、畳の上では死ねないこと」
【頤(あご、い・したあご】 あごについては他に、?(かい、がい)、頷(かん、がん)、顎(がく)、腮(さい、あご、あぎと、えら)。?(かん、がん、したあご)などがある。
【頤為地閣(頤を地閣と為す】 『頤(あご)は地閣(ちかく)であり、晩年の運命の規模を見る所である』 「顎を地閣とし、土地建物のことと、晩年の運命の吉凶の規模を現す」 「下あごを地閣と言う。地閣とは土地と門構えのある立派な建物のこと」 下顎を地閣と名づけて、土地建物の吉凶、住居の動き、増築普請などの吉凶を鑑定する急所に当たる。広くは法令線に囲まれた範囲を住居内とする。法令線は垣根に相当する。
【○足生黒子(足に黒子を生ずる)】 『足に黒子がある者は、万人を圧するほどの英雄である』 「足とは足首より下の方を云う、脚部は含まず、この場合は特に足の底部、足の平のこと」凡人にもこの相があるので、出世の相があることが条件。
【●頭先過歩(頭が先んじて歩に過ぐる)】 『歩くときに頭が足より前にある者は、初年(若いとき)には運命が好況であっても、晩年は貧乏するだろう』 「頭と首をつき出して歩く、項垂(うなだ)れて歩く者は、少年時には恵まれていても晩年には貧窮するだろう」
【●頭大額大(頭大、額も大)】 )『頭が大きく額も大きければ、夫を駄目にする、結婚に失敗するだろう』 「頭が大型であるか、また頭部はそれほどでもないが、額が広く抜け上がる者は、夫を刑する相。両方揃えばそれは間違いないだろう。刑(けい)するとは思いのまゝに男を従わせ、自らの型に当てはめ、或いは中年に死別する等のことがある。妻に刑される夫こそ実に妻難(さいなん・災難)と言える。然しその刑される男にも妻を刑する相があれば、お互い様であり災難とはならないだろう」 目立って頭と額が大きいこと。額が大とは広いこともあり、極端なオデコの場合もある。
【●頭小腹大(頭は小にして腹は大】 『頭は小であるのに腹が大きい女は、一生大食いでこれということも無く人生をおわるだろう』 「頭部は小さいのに腹のみやたらに大きい女は、一生食ひしんぼうであるに過ぎない。下賤で無教育の女にこの相が多い。男の場合も女に順じて判断してよい」
【●頭尖長無脳骨(頭尖りて長く、脳骨無し】 『一歳前で、頭が尖って長く、頭の骨が無いかのように柔らかい子共は、やっとものを言い出す頃には死ぬだろう』 「頭の形がタテに長めで、七福神の福禄寿の頭のように、俗に言うフクロ頭であり、頭をなでた時に骨無しかと思うほど柔軟なこと。酒飲みの先祖親の酒毒の遺伝のものに多い」 頭は円く堅いのが良い。弱く柔らかいのは神気(しんき)が弱いことを表す。
【●頭尖額窄(頭尖りて額は窄し)】 『頭が尖って額が狭い者は、官を求めてはならない』「頭形が長く尖っていたり、額が狭かったりするのは、それは出世の見込みもないから、役人となることを求めてもムダだ」このような人相でも、大工左官などのように、技術を身に付ければ一家を養い保つことができる。額を天庭(てんてい)といい、額の中ほどを官禄(かんろく)宮といって、役人(現代の公務員)は額が立派でないと出世ができないと言われている。現在は額が狭い公務員が多い。
【○頭円必貴(頭円なれば必ず貴し) 『僧侶は、頭が円(まどか・まる)であれば必らず貴とい僧である』「仏教の行者は頭が円(まる)ければ必ず貴くなるだろう」頭が円いだけでなく顔が豊かであるか、顔や目に力があることが条件。因みに、孔子や弘法大師は頭が円い上に頂き(中央)が盛り上がっていた。『頂きが凸し頭が円ければ、必ず大師の号を授かる』
【○頭円骨聳(頭円く骨が聳える)】 『頭が円く骨が聳える(子供)は、スクスクと育って両親に利益をもたらすだろう』「頭が円いのは良い相。ただ円いばかりで余りツルリとしているのは却って良くない。円くて骨気があり若干凸凹がある方が良い。その子は順調に育って成長して両親のためになるだろう」この場合の骨気とは頭が堅いこと。

【い】

【威儀(いぎ)】 『虎が山を下る時や、鷹が空中を飛ぶ時には、百獣や鳥たちがその威厳に恐れおののく。それが威である。怒っているのではないのに威厳がある。人相を見る時には、但に眼に威厳があるかどうかだけでなく、顴骨(けんこつ・頬骨)の神気というものを観なければならない』神気には体神、面神、眼神の三神がある。身体から溢れる力、顔付きに力があること、眼光に力があること。神気とは生命力、運命力などの力を言う。顴骨の神気とは顴骨に力があること。
【異相(いそう)】 一般と異なる相。異常な相。珍しい相。特別に良い相。
【○頂突頭円(頂き突し、頭は円)】 『僧侶で頭の頂きが盛り上っており、頭全体に円味(まるみ)があれば、大師(だいし)の号を授かるであろう』「頭の頂天が高く突し、その他頭部全体に円(まる)い者は、必らず師号を頂戴する様になるだらう」頭の頂点とは頭の中程のこと。弘法大師がよい例で、孔子も高かったと言われている。
【一指頭大(いっしとうだい)】 指の先の腹で押した位の範囲。顔面の部位を知るとき、測るときに使う言葉。部位の広さにより、親指の一指頭大と、他指の一指頭大との区別がある。
【○色緊肉実(色緊しく肉実する)】 『色が緊(きびしく・引き締まって)肉が実する子供は、養うに虞(おそ)れなし』「色とは色のみではなく形質をいう、形質が引き締まって肉が実する、乃ち堅肥りの子供は生死についての、心遣いなどなくまことに育て良い。虞れなしとは心配なく育つこと。実とは虚の反対」陰陽で言えば実は陽、虚は陰。締まるは陽、弛むは陰。
【●色黒縦於耳前(色黒く耳前に縦ゆく)】 『黒い色(気色)が耳の前に縦に流れると、もうすぐ死ぬだろう』「耳前(じぜん)は耳の前で、命門(めいもん)の部位。ソコに黒い気色が縦形に流れたように現われたら、もう死んだも同然だ」死相の一つ。
【●色惨神枯(色は惨にして神は枯れる)】 『顔色は惨(いたましい)として、眼神は枯れている。どうして出世できようか』「気色が惨憺(さんたん)たる有様であり、眼神(がんしん)も面神も枯れ枯れの様ならば、開運の見込みはない」顔色がくすんで眼光に力がなければ出世は覚束ない。その日暮らしの者に多い。顔の肉が浮腫(むく)んでいるのも力なく痩せているのも同じく虚の状態である。運命も虚(きょ・むなしい)である。
【○色若祥雲(色祥雲のごとき)】 『顔色が祥雲のようであれば、これからの運命は順調で安泰である』「紅黄の気が湧くように現れるのを祥雲と形容したもの。そのような顔色ならば前途は洋々として安泰に出世上達するだろう」紅黄は明るく冴えた色で、皮膚の下から湧き上がるように見える。皮膚の色は現在の運命を表し、皮下の色はこれから皮膚の上に現われ出る、これから先の運命を表している。
【陰隰(いんしつ)】 「涙堂(るいどう)は眼頭の下部の一点、陰隲はその涙堂より顴(けん・ほおぼね)の正面を斜行に見る一寸ばかりの区域」陰隲堂の略名。陰隲とは陰徳を積むこと。『陰隲紋』参照。
【○陰隲肉満(陰隲の肉が満つる)】 『陰隲の肉が豊かに満ちるのは、心が霊(あきらか)なり』「涙堂は眼頭の下部の一点、陰隲はその涙堂より顴(けん・頬骨)の正面を斜行に見る一寸ばかりの区域、正しくは一寸三分だが、顔が小さい人はそれなりに考えること。そこを陰隲堂という。陰隲は「陰隲堂」の略名。その部位に顴骨の下に向って斜紋があるのを『陰隲紋』という。その所に凹陥があるのは貧賎の家の出であり、運は宜しからず。陰隲とは易経にある文であって、陰徳をつむことを言う。心霊(こころあきらか)とは、賢くて心が良いこと」眼下の骨の無い所、涙堂も陰徳の有無を見るところであり、色よければ徳が子孫に現われ、色悪ければ不徳が子孫に伝わる。涙堂は子供運を見る急所に当たる。徳不徳は子孫に伝わるという証拠ともなる。陰隲堂は広くいえば涙堂のこと。
【陰隲紋(いんしつもん)】 「目頭の下部から顴骨の方へ斜めに走る紋」「陰隲とは易の文にあって、陰徳を積むことを言う」養子紋とも云う。男子は婿養子に行くか、婿養子のそのような立場になり、女子は跡取りに嫁ぐか義父母の世話をするような運命の者が多い。
【陰相(いんそう)】 @陰気な相。A『身が肥えて肉が多く重々しい女は、陰相を得たもので、反って栄華がある』「女で肥え太って身が重いようにヨチヨチと歩く姿、そのものを陰相と名付ける。陰相の女は、中年以降に後家になってから却って栄華な運命になるだろう」この例も多い。『後家』とは亭主と生別か死別すること。
【印堂(いんどう)】 眉間のこと。命宮とも希望宮とも言う。現在の運命、心の明暗、心持ち、希望の有無と成否、運命の出入りなどを判定する、上停と中停にまたがる、部位中の重要部位。
【○印堂喜気(印堂に喜気ある)】 『印堂に喜気あるは、謀(はか)りごと通ぜざる無し』「喜気は紅紫黄気の綺麗な明るい色、それが印堂にあれば謀(計画)を立てれば必ず通達する」印堂は眉間で希望宮であり、希望が叶うかどうかを判定する所。そこが光明であれば思うことが必ず叶う相。紅紫黄気とは紅色でも紫色でも、明るく冴えた色のことをいう。少しでも濁っておれば割引となり、凶色であり望みは叶わない。
【●印堂太窄(印堂のはなはだ窄き)】 『印堂の太(はなはだ)窄(せま)きは、子は晩く妻も遅し』印堂は眉間のこと。印堂が太だ窄いというのは、眉と眉が迫って眉間がむさ苦しく見えること。「両眉頭が相迫って印堂の部位がせまくなるとか同所の肉隆く盛り上がるのをいう。太は眉形の太い意味もあり。其の人は狭量で頑固であり大抵は小者である」結婚するのが晩(おそ)く子供も遅い相。眼光がキツイと短気、寂しいと孤独、クセがあれば偏狭で何れも独身で通す者が多い。目に和気があればその限りではない。
【○印接中正(印の中正に接する)】 『印堂と中正が盛り上がって接するのは、官に利あり』「印とは印堂のこと、印堂が平で広い意味合い、印堂は中正の部位の下位に接してある部位。印堂の部位と中正の部位が肉付きよく連なって一つになっておれば、役人(公務員)になると良い」官吏が適職だという意味。印堂は希望宮でもあり、肉付きが良ければ目上の引き立て目出度く運が強く、色が明るければ希望が通達する相。
【陰陽(いんよう)】 『易に太極あり、太局両儀(りょうぎ・陰陽)を生じ、両儀四象(ししょう)を生じ、四象八卦(はっか)を生ず』と易経にある。森羅万象は陰と陽の相対的関係にあるとする。少し例を挙げれば、
(陽)天日明大暖清動出進善栄盛吉富貴主●奇数  神、天津神、この世、男父夫・・
(陰)地月暗小寒濁静入退悪枯衰凶貧賎従○偶数  仏、国津神、あの世、女母妻・・
 人相にも運命にも全てに陰と陽があり、人相においては「眼を日月の陰陽に配する」男は本人の左が陽、右が陰。女は右が陽、左が陰。更に左右を三陰と三陽に分かつ。顔の正面を陽面、側面を陰面。身体の正面を陽、背中を陰。職業にも表方と裏方の陰陽があり、人相にも陽相(陽気、明るい、活動的など)と、陰相(陰気、暗い、寂しいなど)があり、陽相は陽職が適し陰相は陰職が適するなど、陰陽の原理原則は全てに応用される。
【▲陰陽眼(いんようがん)】 「眼形は一定せず種主々の形状がある、眼球の左右大小あるを陰陽眼という」「左右の目に目立って大小があるのを陰陽雌雄眼とい」『目に雌雄があるのは、富むけれども偽りが多い人物である』目を日月父母に象(かたど)るので、目に雌雄がある人は親に縁が薄いことが多い。眼光に和気があれば心に毒はないと判断してよい。『雌雄眼』の項を参照。
【○陰陽明潤(陰陽の明潤)】 『陰陽の明潤(めいじゅん)なる(子供)は、男女(子供)は養い易くして聡明なるを得む』「陰陽は左右の眼そのもの也。眼が明潤であれば男女の子供がよく聡明に出来上がると也」眼は眼の回り、眼光、目付きなどの全てをいう。子供が順調にすくすく育つし、そして聡明な子供である。

【う】

【運限(うんげん)】 @運の変わり目を区切ること。変化の時期を知ること。『流年』、年割り。
【運限長短(うんげんのちょうたん)】 『更に運限の長短を審(つまびら)かにす』 「(三停と各部位の)部位の長短広狭により、運限の長短盛衰を勘(かぞ)えるのである」運限とは運を区切ること、詰まりは流年のこと。
【え】

【栄養質】(えいようしつ)。三質の一つ。内臓の発達した形質。そこから、柔らかい、弛む、円満、優しさ、情愛などの意味が導き出される。腹部が発達し、顔の下停が豊満であることと、優しい目が特徴。肉に締りがあれば情け深く円満であり、ブクブクと贅肉で肥えておれば、怠惰でだらしない相となる。他の二質(筋骨質、心性質)との調和があれば上相(じょうそう)、栄養質に偏れば締まりなき下相(げそう)となる。
【○鴛鴦眼】(えんおうがん・えんのうがん)。
 『目は秀でて睛は紅潤にして紗あり。眼は円くしてほぼ露なり、桃花(とうか)を帯びる。夫妻の情は順にして美しい。もし富貴ならば恐らくは淫些(いんさ)』
 (訳)「目の形は秀でて美しく、睛(せい・虹彩)には少し紅色があり潤いがある。紗とは薄い絹のことで、それを掛けたように赤味があること。眼形は円く露出気味。桃花(とうか)とは桃色サクラで色っぽいこと。目の周りや目が色っぽい。鴛鴦眼の人は夫婦の関係も順調であり、その上にも夫婦仲も美しく見える」「隠意としては性器の美をいう、具合のよろしい形容。もしも富貴の身であるなら、夫妻とも淫行が多い」「目裂(目の開き具合・目の長さ)は大きい方で、眼尻は下る傾向があり、下瞼の眼尾の下がタルム。眼球は正視なれども、やや曲るようにも見える。黒目には少し紅気(こうき)がある」「鴛(えん)も鴦(おう)もオシドリのことで、中睦まじい夫婦に譬える」
【●猿眼】(えんがん)。猿目(えんもく、さるめ)。猴眼(こうがん)とは別物。
『猿目は微黄あり、上開を欠く。仰ぎ看る心に巧あり。また疑猜(ぎさい)。名は虚しけれども多子倶(とも)に霊性。終には伶人(れいじん)となるも、また才ならず』
 (訳)「猿目は、睛(光彩)に少し黄色ある。そして目を上手に開くことができないようでパチパチさせる。仰ぎ見るようなクセがあり、上を見る時の心には心に企てがあり、猜疑心もある。虚名(実力が伴わない名声)ばかりではあるが子供は多い。子供は霊性があって利口だ。遂には伶人(楽士、楽人、役者)と作(な)るであろうが才能はないだろう」
「女にこの目あれば多淫多情で移り気が多く、陰は上開ならず損満なりとす。男子の場合も茎(性器)不良ということ、女子もまた之に準ずる」
『猿目は朦朧(もうろう・スッキリしない)』『仰面(ぎょうめん・仰向く)し、笑えども猜(そね)む心あり。多くは軽挙妄動。学べども才ならず』『猿目なるは小膽(しょうたん・気が小さい)』『面を仰いで物を視る。性格は好んで??戯謔(ひょうきん、ざれ事を好む)す。多くは倹倫(けんりん・ケチで自己中心)の俗人である。信じて大事に臨むべきではない』「目は短かく眼形は円く、ツブラな目」「目に小皺があり」「眼胞にやヽタルミがあり」「一見サルに似たところがある。俗にいうサルマナコ」「上流の人にこの目は少ない」この目は猴眼(こうがん)とは別物。
【○燕眼】(えんがん)。燕目(えんもく)。燕(つばめ)の目。
 『口は小さく、唇は紅、更に擺頭(はいとう)。眼深く黒白(こくびゃく)明らかにして明収(めいしゅう・締まる)。語多くは準促(じゅんさく・なめらか)にしてまた信(真実味)あり。機巧(きこう・俊敏)あり、徒労あれども衣食は週(あまね・不足なし)し』『燕目は睛(せい・目)は円にして黒く又紅(赤味)なり。昂頭(こうとう・頭を上げて)に人を視るは気は勇(勇気勇敢)なるが如し。亦(ま)た能(よ)く言語し(喋る)、多くは聡慧(そうけい・利口)。更に兼ねるに名誉と清風(清廉潔白な風格)あり』『燕目は語言は弁健(雄弁)なり』『人となり多くは豁達(かったつ・度量あり)なるを主どる。早(早年)に名声ありて衆人に聞ゆ』「眼形小型なる方、形よき正視、但し黒目の周囲又は瞼辺に少しの紅気(こうき)がある」
【○燕頷】(えんがん)。『燕頷虎頭』『虎頭燕頷』参照。
【○燕頷虎頭】(えんがん、ことう)。『燕頷にして虎頭、男子定めて將相に登らむ』燕頷で虎頭であれば、男は必ず大将か大臣になる。外へ出ては大将であり国内では大臣という人物。『燕頷』は頤の端から喉にかけて柔らかくタップリと肉付きがあること。頷はアゴ。燕の頷を参考。『虎頭』は「額が大きく後方にのけ反り気味」「虎頭の字は素問にある字、後漢書にも十八史略にも事班超(はんちょう・人名)に関しては虎頭とある」
【鳶肩】(えんけん)。「肩端が首の根よりも高く張り上った形、鳶の肩に似ているところから鳶肩という」怒り肩のこと。
【円融小巧】(えんゆうしょうこう)。『円融にして小巧なるは、豊かに亨る』「性格円満、融通無礙にして小器用なることを円融小巧という、小巧は少巧にはあらず細心にして小技用なること。さすれば畢竟(ひっきょう)はツマリ、結局は也、豊に天運を受ける」

【お】

【●鴨眼】(おうがん)。アヒルガチョウの目。「鴨目(おうもく)。「鵝鴨眼(がおうがん)ともいふ、鵝眼に似た所もあるがその少し小づくりなもので、何となく賤しさがあり濁気がぬけない。アヒルガチョウの目であり鵝目(がもく)鴨目(おうもく)などといふ。男は小人で一代碌々斗肖の輩、女は子供ばかり生んで教育も出来ず、一生夫の厄介物になり夫の出世を妨げ、地上から立ち上ることが出来ないやうに成らせる。目の性はよいが眼形はツブラなばかり、光彩に乏しくカラ引き立たない」

【か】

【●蟹眼】(かいがん)。蟹目(かいもく・かにめ)。
『蟹目の睛は露にして又た頑遇(がんぐう)。生平の賦性は江湖(こうこ)を喜ぶ。児ありとも親養を供するを得ず。問ふを止めよ、班衣(はんい)の有りや無しやを』
(評訳)「蟹目(かにめ)の睛は露出して眼肉の動きがギコチなく、瞬目充分佳(か)ならず。このような人は男女とも性器過大なるのみにて不味(ふみ)であらう。又た頑遇は両様にかけていふ。生平は平生に同じ、普段あり来たりの天賦の性として糊口(ここう・世渡り)を好む、糊口はミヅウミは勿論、蟹だから水を好むのだが、糊口はその形容から広い世間のことにいふ、カニメの人は広い世間にフラフラと世渡りするのが好きな性(しょう)で、コスモポリタン的傾向が充分にある。児は有るだらうが、その児は自らの力で養ふやうなことはなく、人まかせにする貌(かたち)があり、また児は兎に角、自らの親を面倒みることなどはないだらうとなり。班衣とは修養反省向上心などは少しもない、また自己を飾る心、オシャレ気、人によく見せようとする心がけなどない、ソレはきくだけヤボだとのこと」
「眼形は一定せざれども概して上瞼の外方に向ふ所に重点を置く、カニの目に喩へて其の趣あるにいふ。眼球が必らず外方に片よる傾向あるのは、蝦眼(かがん・えびめ)類似ではあるがソレよりも突出形は甚だしく見ゆる、最も転動するときは殊に多い」転動は目玉を動かすこと」
【△▲海口】(かいこう)。大きな口を海に譬える。口を『大海(たいかい)』ともい言う。形よく大きな口は男には吉、女は凶。男面の一つの特徴で職業婦にはあながち凶とは言えない。
【華葢】(かがい)。眉肩(びけん)のこと。眉尻の角。毛の下がる所。
【△蝦眼】(かがん)。蝦目(かもく)とも言う。蝦目(えびめ)と覚えると覚え易い。
『蝦目なるは操心(そうしん)すれども貌は卓然(たくぜん)たり。英風(えいふう)あり挺々(ていてい)として自ら前に当る。屯?(ちゅんてん)するは火の歳、水には志を得べし。晩末には栄ありと雖(いえど)も寿は延(えんならず』
(評訳)「蝦目の人は操心するやうなことがあっても、外観上の貌付(かおつき)などは何事もないようだ、とのこと。操心は操縦の心で、心中にカレコレとヤリクリをおもうふこと、従って心は燥(あせ)る操心は即ち燥心。卓然は高く標致(ひょうち)し、すぐれたる様子、余裕ある意。英風(えいふう)は男前よく立派やかなる姿勢であり、挺々は挺身、身を投げ出して自から事に当る、前はスゝム気風、まぬけ気前である。屯?はまごまごするのは火の歳、丙丁午未の歳で、その年は不運だが、水乃ち壬癸子丑の年には得意のことはあらう。晩年末主の頃には栄達することはあらう、だが程なく死ぬるやうなことがあらう。寿は延ならずとは、(命が)長いことはないとなり」
「眼裂の形は尻下り尻上り水平いろいろあるが、眼球いづれも外方に片よる、所謂(いわゆる)外斜視も此の内に属する。エビの目なり。眼球やゝ食み出す様に見え、下眼瞼は上眼瞼に比して押し出たる観がある、睛は黒目なるが多く、やゝ正視に近きものもあるが、どうしても少し凸出の気味あるは免れない。物を見るときまた目づかひするとき、上眼瞼の眼尾に近き方円形に緊張味出づるが特徴」
【○鵝眼】(ががん)。鵝目(がもく)とも言う。
『数波紋秀でゝは天倉を射る、物を視ること分明に、神は更に長し。白少なく黒(こく・黒目)多きは心また善し。綿々たる福禄は老いて安祥』
(評訳)「数本の波紋が長く秀でて天倉(てんそう)の辺までも及ぶ、波紋といふのは上瞼の沿線にある二皮目(ふたかわめ)の皺襞(すうへき)を波(は)といい、それに準ずる文様をなすもの、それを波紋という、ソレが数本長くあって上方に向ふ傾きがある。従来の百三十部位では天倉は眼尾の外、而かも下目の方に書いてある、天倉は眉肩(ぺけん・びけん)外といふのが定説、従来の部位図は明(みん)以後の俗書に誤られたものであろう。秀づるとは日出(ひい)づるで下から上へ向ふ趨勢(すうせい)をいったものである。物を見分ける力が明瞭で、外見上の黒白(白目と黒目)は分明、分明の文字は両様かけていふ。神(しん)は眼の光線、それが長く感ずるようにある。白黒は眼睛と目睛の比較で、大抵黒目がちのものである。そしてそれは心(しん)の善いものである。心とは乃ち存心、心の動き方、在り方なると同時に、心臓そのものゝ丈夫さをもいうのである。鵝眼は黒目がちの眼が常体なものなんだが、その時は心が丈夫ではあるが、もしも白(はく)が著しく外見に目につくやうな時は、心に故障があり、また何か悪心が萌(きざ)したと考えてよからう。且(また)は男陽なり、又なり、陰意として考ふ。綿々は長きことの形容、長くつヾく福禄があり、老いてからも安祥たる生活をするであろう」
「天鵝(てんが)の眼に喩へていう。白鳥は天鵝の内なれども、家畜としての鵝鳥(がちょう)は似て非なるものにして、この内に入らず。天鵝は水鳥なれども飛翔力は極めて強し、鵝眼の人は活動力も持長力も中々強く、成功多き方。目裂短かく小型に見ゆる目、眼波(がんぱ・目の上下の波)長く、特に上瞼には小皺長く、眼波に沿うてあり、この眼波は天倉(てんそう・眉尻の上外側)にも及ぶほどの長さなり。睛は黒く鋭き光あるもキラキラする様なことはない。球は正規で常に一方を注ぎ見る如き観がある、定睛(目が定まる)で平素あまりキョトキョトする様なことはない」
【角】(かく)。部位の名。「角にも前後の二がある、内角外角ともいふ、内角は目頭の一部、怒気殺気はこゝに立つ、目にカド立てるなどの時は此の所の肉気がムクリ立つのである。外角は目の半ばを過ぎたる辺より眼尾(がんび)まで、主として上瞼に属するが、下眼瞼にも影響を持たぬではない、憤怒の気を生ずると上眼瞼の三角が嶮しくなり、下瞼部の白がハミ出す様に膨らみ、ある凄サを含んだ団円(だんえん・丸い)の気色(けしき)を具へて来、時には多少の潤ひをも生ずる」
【○鶴眼】(かくがん)。鶴目(かくもく・つるめ)。
『眼は秀でゝ精神あり黒白清し。蔵神不露なれば功名顕はる。昂々たる志風は斗に冲せん。富貴にして須(ま)た当に上卿に達す』
(評訳)「眼が凹(へこ)んではいけない、出目といふほどで無い程度に盛れ上った様で、生き生きと精神があり黒白(黒目と白目)の境がハッキリと清(すず)しい。神(眼光)が落ちついて外へとびだし流れるやうなことはない、蔵神不露(神を蔵して露われず。眼光が内に収まっていてギラギラしない)なれば、キット功名が顕著である。昂々(こうこう)は形容詞で勢い高きこと、その人の志気は牛斗(ぎゅうと)の間に達する位、牛斗は天の星宿の名、中天にあり、乃ち天といふの意、「冲す」はいたる也。富貴になる運があり、須はまた必らずの意、当(まさ)に上卿の位にまで達するであらう、上卿は今なら国務大臣どころ」
『鶴目は小円にして黒く又た明なり。昂頭高視、気は還(かえ)りて清。寛和にして豪放、人となり及び難し。自在に清閑に百令を過ぎむ』
(評訳)「鶴目は小円、円字は眼子(がんし)のこと、球が小形な方といふわけ、黒は黒睛が明朗であるとのこと。又明は目のよいものは股間もよいの隠意を寓(ぐう)す。物を視るとき頭を高くあげて見、気品も高くてスガスガしい。還(かん)はかへりてとよむ、かへりてまたの意。心もち寛(ゆる)やかに和(やわ)らかく、豪放は剛雄なところもあるが、またやり放しな所もあるといふ。人はその人となり風格なり、普通人のとても及び難い気風がある。融通性があり行動交通は自在にまた清閑な生活を送り、百令は百齢、長生するであらうと也」
『鶴目は阨ネの静なるを好む』(評訳)「阨ネとは閑静なる僻地のことである」『鶴目は尖円。黒白は分明。頭を昂(あ)げて物を視(み)。人となり寛にして慢なり、主として弧癖なるが多く。ついには清閧フ処に終る』
(評訳)「尖円(せんえん)の尖は眼尖(がんせん)、眼の前後の角又は眥(せい)の尖れること、円は目玉をしゅにし眼の中辺の円(まる)みあること、黒白は黒目と白目のあざやかにハッキリせること、寛(かん)はその人となりの性質の寛大なること、慢は慢心おごり高ぶり、また大まかに怠けダラシなき傾向あり。弧癖は孤独生活のさびしき趣で晩年は静閑の地に終るであろう」
「ツルの眼に喩へて曰(い)う、鵠眼(こくがん)よりは少しく上下に巾ひろく、首尾左右に急に狭くなる傾向あり、多くは二タ皮目で眼中すヾしく睛は蔵(かく)れる部分が多い、但し側面より見たる眼睛は少し下向き也」「鶴目は尖円。黒白は分明。頭を昂(あ)げて物を視。人となり寛(寛大)にして慢(慢心、緩慢)なり。主として孤癖なるが多く。ついには清間の処に終る」「弧癖(こへき)は孤独生活のさびしき趣で晩年は清閑の地に終るであろう」
目を鶴に譬えるだけでなく、鶴からうける印象をも人に照らして判断する。人相術を学ぶ者は人を万物に照らし、万物を人に照らして判断することが大切ではなかろうか。
【火形】(かけい)。五行の一つの人相で、「顔色全面的に赤目ざしたる也。且つ筋肉だちて燃ゆる如く見ゆ」
【火形之士】(かけいのひと)。『火形の士は焦烈にして多筋』「火形の人は色赤紅、足大にして上に尖りて高く、筋浮き骨立ち燃ゆるやうな趣に見える、焦烈(しょうれつ)多筋で其の性焦心烈しく筋立つ言語少しの怒気を含む、烈はまた裂、其の形象は△」火形は火に象(かたど)る。燃える火は上に尖るように、顔型は△か菱形。色は赤く筋(すじ)が浮いた筋肉質。気性は烈しく声は乾いて荒く烈しい。火に関わる仕事や烈しい仕事が適職。相性は木形と土形が吉、水形は凶。
【格】(かく)。同類。
【廓】(かく)。耳廓。耳の縁が輪、その内側の少し高い軟骨が廓。
【角】(かく)。目の部位。目頭と目尻の上側。「角にも前後の二がある、内角外角ともいふ、内角は目頭のいちぶで、怒気殺気はこゝに立つ、目にカド立てるなどの時は此の所の肉気がムクリ立つのである。外角は目の半ばを過ぎたる辺より眼尾(がんび)まで、主として上瞼に属するが、下眼瞼にも影響をもたぬではない、憤怒の気を生ずると上眼瞼の三角が嶮(けわ)しくなり、下瞼部の (はく)がハミ出す様に膨らみ、ある凄サを含んだ 円の気色(けしき)を具えて来、時には多少の潤ひをも生ずる」「平生に三角眼の人は自分勝手の強い、また自分のためには可なり忍耐して労作にも従ふが、他のためには少しも仮借せず寛大のところはない。三角眼は馬なら上等だが人にはよくない、よく働き労作して得る所の少ない生涯を了る人である」
【額角】(がくかく)。額の両角、両隅。
【○鶴形亀息】(かくけいきそく)。『鶴形にして亀息、洞賓は僊に遇ふて遷を得たり』
(評訳)「(鶴形とは)痩せ形にして脚の長き恰好(かっこう)、鶴の形に似たる趣あり」スラリとした上品な体系で飄々とした相で仙人に相応しい相。「亀息は口を結びて息をし気息の音せぬこと、その息のあるや無しやの分からぬほど静かなることの形容」洞賓(どうひん)は人名。「呂ー(りょがん)字は洞賓、純陽子と号す」鶴形で亀息であった洞賓は鐘離真人という仙人に出逢ってから道を修めて仙人となった。遷人、僊人、仙人。鶴形と亀息ともに仙人の相。
【○火人帯木】(かじんにしてきをおびる)。『火人にして木を帯ぶるは、必定栄超あらむ』「火形の人の顔色に青味が出るか、若しくは背が極めて高いやうなら(木形の特徴)、火人が木を帯びたもので、それは木生火(木が火を生じる)であるから、必定栄超になるであらうと也」火と木は相性が良いので、火形の人に顔色に青みがあるとか、スラリとした体型であるとか、木形の特徴が加味されているのは、大いに吉であり必ず抜群の運命だということ。
【●火得微金】(かのびきんをえる)。『火の微金を得たるは、卒(つい)に進益なり難し』火形の人に少しだけ金形の特徴が加わると、金は忽ち溶かされて何の役にも立たない。
【●峩肩鼠?】(がけんそそん)。『峩肩と鼠?とは、惟(ただ)に吝なるのみに非ずして且(ま)た貪なり』
(評訳)「峩は聳えること、肩肉ヤセガタにして肩端の首根より高く上がるものにて、肩の形四角に見える也、鳶肩(とびかた)などもその内に入る」「鼠?とは物を食するに前歯をのみ多く用い、口中を微細に動かし、その貌(人相)は或は懼(おそ)れるものあるが如きの食相(食事の相)」「それら(峩肩と鼠?)は惟(た)だに始末やの物おしみするばかりでなく底知らずの欲ばりむさぼりやである。也(また)且について性的陰意あり」?は食することで食事の相。貪(とん)はムサボルこと。
【臥蚕】(がさん)。「眼頭下瞼の膨軟なる形が臥蚕に似たるに云う」下瞼の柔らかく膨れた形を蚕(かいこ)の寝た形に譬えて云う。肉付きよく色の良いのは、性質明るく子供運が良い。「臥蚕は下眼瞼の目元近き方に、人によりて差はあるも臥蚕形に成り、膨軟にマブチの腫れぼったく見えるのをいう」下瞼(まぶた)の膨らんでいる部位。膨らんでいないのは、本来は臥蚕とは云わない。「臥蚕がある」「臥蚕がない」ともいう。子供運と陰徳の現われる所。
【△臥蚕豊下】(がさんほうげ)。『臥蚕の豊下(肉豊かに垂れ下がる)なるは、定めて子息の晩成あらん』
(評訳)「豊下はその豊かに下る貌(かたち)にあるをいう。この相の人は相続人である男子は必らず晩くなって出来るものだと、即ち前に出来る子は大抵女子のみか、早く死ぬか或は不孝の児かで、あてになるような宜い児は後の方で出来る。またその子が大器であり晩成するといふ」
【○臥蚕明潤紫色】(がさんにめいじゅんなるししょく)。『臥蚕に明潤なる紫色あるは、必らず貴兒を産まむ』
(評訳)「臥蚕が明潤であり紫色がゝって居る女は、必ずよい子を産むのだという」臥蚕は下瞼のプックリと盛り上がった所。妊婦の臥蚕が美しいうす紫色であれば貴い子産む相。
【火宿】(かしゅく)。額のこと。『額は火宿たり、前三十載の栄枯を管す』
(評訳)「額は南岳で火星、運限としては三十前の栄枯を管する、前三十は三十前、載(さい)は歳に同じ」ここでは額は三十歳までの栄枯盛衰を判定するとしているが、中国の流年法にも数種ある。日本の先輩が実験苦労して幾つかの流年法を伝えているが、私(天道春樹)は南北先生の流年法で鑑定している。
【●肩寒】(かたさむ)。(評訳)「肩端に肉気少なく寒々と見えること」孤独の相の一つ。
【●肩峩声泣】(かたはそびえてこえはなく)。
(評訳)「峩(が)は聳えるなり、鳶の肩の如く肩端(かたさき)尖り、首の付け根よりも高く怒って上がるなり。今流行の女の角肩などもこれに準ずる、故に今の若い女はこの運に近きこととなる」肩が聳えるのを峩肩(がけん)という。声は泣くとは「声カン高く、或いは嘶(いなな)くごとく、また泣き声にも似たようなのは、出世しないか、本性が賤しいか、また孤独生活に終るものである。男女ともに同じだが、この類は女子の方が多い」賎しいか孤独か、どちらかの運命だろう。
【火色】(かしょく)。@赤い色。A赤ら顔。
【○火色鳶肩】(かしょくえんけん)。『火色にして鳶肩、馬周は三十にして唐帝に遭ふ』
(評訳)「(火色とは)顔色の全面的に赤目ざしたること。且つ筋肉だちて燃える如くに見える、即ち火形に属す」「(鳶肩とは)肩端が首根よりも高く張り上がりたる形、鳶の肩に似たのをいう」『峩肩(がけん)』参照のこと。馬周(ばしゅう)は人名。三十歳の若さで唐帝に遭遇して出世したという故事に例えたもの。火色鳶肩の者は、出世も早いが引くのも早いという。火色も鳶肩も火形(かけい・五行の形の一つ)の特徴。
【●形清神濁】(かたちきよくしんにごる)。『形は清くとも神の濁れるは、久しからずして貧窮す』
(評訳)「一見する所美男なれども何となく暗い影がある様に、見かけは清げなれども眼神面神その外の神気に濁気あるものは、今はとに角、久しからずして貧窮するに至るだらう」眼神(がんしん)は目つき眼光、面神(めんしん)は顔付きのこと。
【○貌清可栄】(かたちきよければさかえあるべし)。『修道を作(な)す者、貌清ければ栄あるべし』
(評訳)「修道者は道教の行者、日本にはないけれども修験道の行者は同類なる如し、貌(人相)スッキリと清きようなれば必らず出世する」貌は形だけでなく雰囲気など人相全体をいう。
【●形如土偶】(かたちどぐうのごとき)。『形もし土偶の如くば、天命は逃れ難し』
(評訳)「土偶は土で作った人形なり、顔面その他に生気のないことの形容、天命逃れ難しとは、来るべき災難はピタピタと来て必ずしも病亡とは限らず」人相に生気が無くなれば災難もあれば病気もあり死ぬこともあるだろうとの意味。
【△貌若判官】(かたちはんかんのごとき)。『貌判官の若きは、兒(こ)を得ること尤も晩きなり』
(評訳)「冥土のエンマ大王を判官という、立派なれども厳(いか)めしい骨(こつ)張った冷々たる趣ある顔、その様なものは兒を得ること尤(もっと)も晩いという」閻魔大王の顔は、角長で顔色は青味がかり、眼はギョロリとしたようで唇は青黒くへの字気味で、苦虫を噛み潰したような顔付き。子無しの相の代表。但し、神気が強ければ多いに出世をする相。
【●形之不足】(かたちのふそく)。『形不足の者は、頭頂尖って薄く、肩膊(けんぱく・肩から腕)狭窄(きょうさく・狭く縮む)、腰肋(ようろく・腰と腹)疎細(そさい・貧弱)、肘節(ちゅうせつ・ひじの間接)短促、掌薄く指は疎(あら)く、唇蹇(まが)り、額?(おちい)り、鼻仰ぎ耳反り、腰低(た)れ、胸陥り、一方の眉は曲り一方の眉は直く、一眼は仰ぎ一眼は低く、一睛は大きく一睛は小さく、一顴(顴骨)は高く一顴は低く、一方の手には紋有り一方の手には紋無し、睡中に眼を開け、言うに女声を作(な)し、歯は黄にして露はれ、口臭くして尖り、頂禿げ髪無し、目深くして睛を見ず、行歩 側(きそく・かたむく)、顔色痿怯(いきょう・力なく)し、頭小さくして身は大、上短くして下長く、此れを皆な形之不足と謂う也』『形不足の者は疾(やまい)多く短命、福薄くして貧賎なり』
 「形の不足」を簡単に言うと、形が落ち込み歪み整っていないことや弱弱しく、陰の相のことで、多くは短命で福分が薄く貧賎の運命であると。他に「形の有余」「神の不足」「神の有余」がありますが、何れも不足は陰相、有余は陽相のことで、運命鑑定では最も大切なことです。
【○形之有余】(かたちのゆうよ)。『形の有余ある者は、頭頂円厚、腹(腰?)背豊隆、額闊く、口方(四字口)、唇紅に、歯白く、耳円く輪を成し、鼻直にして膽(騰?・たか)く、眼は黒白を分かち、眉秀でて疎(そ・密生せず)長。座行端正』『形の有余なるは、人をして長寿にして病無く富貴』
「形の有余」とは陽相のことで、形が正しく強く余裕あることを言う。長寿で立身富貴の相とする。
【△形如羅漢】(かたちらかんのごとき)。羅漢顔。『形羅漢の如きは、子を見ること必らず遅し』
(評訳)「シャカの十六羅漢の如き普通にない異形(いぎょう)なる顔貌のものは、子どもの出来ることは必らず遅い」修行者の相は家庭に縁が薄い。羅漢僧侶の相は独身か子無しと判断して多くは的中する。相が清ければ必ず出世するから、子供に縁が薄いからといって凶相とは言えない。
【下停】(かてい)。@顔面の下停は人中の元から顎の先端迄。A身体の下停は股から足の先迄。
【●髪濃鬢重】(かみこくびんおもき)。『髪濃く?重きは、兼ねて斜視ならば、以て多淫とす』
(評訳)「髪濃く?重くとは俗にいう厚カシラのことで、おまけにソレが視瞻(しせん・眼使い)が斜であるようなら、その人は多淫なんだといえる」髪と鬢が濃くて重々しく見えること。
【○髪斉額広】(かみととのひ、ひたいひろき)。『髪斉ひ額の広きは、英俊にして聡明なり』
(評訳)「髪際の毛並み好く、整った上に、額の広い子どもは、英俊聡明である」額の生え際が奇麗に整い、額の肉も厚く、傷や黒子や乱紋などの障害物がなく、額が奇麗な子どもは聡明で早くから出世する相。
【●上闊下尖】(かみひろくしもとがる)。『上闊く下の尖れるは、終に結果なし』
(評訳)「上半身巾広く、下半身の痩せ細る形、また顔面の上停(額)は偏平巾広であるのに、下停の頤の尖小又は痩せこけたるごときをいう。この如ごとき人は終(つい)にロクな結果はないと」ものは上から下に流れ、人相の流年も上から下に流れる。下停は晩年の運命である人生の結果を見る所。そこが弱ければ結局は良い結果は出せない。
【○髪細光潤】(かみほそくこうじゅんある)。『髪細く光潤あるは、稟性(ひんせい)温良なり』
(評訳)「髪の毛の細く光り潤いあるものは、稟性(生れつきの性分)が必らず温良なものだという。そうでないものはそれだけ欠点がある、その分を修養しなければ運はよく成らない」髪の手入れ、髪型次第で運命は大きく変わることを、特に女性には知って戴きたい。
【○河目海口】(かもく、かいこう)。『河目にして海口なるは、食禄あること千鐘(せんしょう)』
(評訳)「河目は長い目。河のように長い譬え。『海口』は大きな口。大きさを海に譬える。「口の別名を大海(たいかい)ということによる熟字」「河目海口は孔子の四十九異表の内に数へられる夫子(ふうし・立派な人の尊称)の人相也」「一鐘は四十斛(こく)。千鐘とは大多量の意味、必ず千の字に拘るべからず」河目であれば海口であることが多い。大金持ちの人相。
【●火輪眼】(かりんがん)。「眼形一定せず目裂にも大小あり。遠く望むに火輪の如く、また明星の輝く如く、火の燃ゆるに似たる観ある也。これは黒睛中の虹彩が著しく目に立つもの、但し大抵は黒睛は黄褐色のもの也。気が強く、移り気でもあり性欲も強い」赤く燃えるような眼、その目つきも含む。自分勝手で悪死の恐れがある眼相。
【眼窩】(がんか)。目の穴。目の出具合。奥目、出目。
【●眼下皺紋】『眼下に皺紋(しゅうもん)あるは、末主には六親に氷炭あり』
(評訳)「目の直下(ました)の一指横径位(眼下一帯)の所にある皺紋なり。いかなる形のものでも、ソレは行く行くは、末主(まっしゅ)晩年には六親と仲わるに成る。六親(ろくしん)とは通俗には父母兄弟妻(夫)子の六近親のこと」一指横径(いっしおうけい)とは、指先を横に当てた位の範囲。眼下に皺が多いのは、晩年には身内と反目する相。孤独の相の一つ。眼下は子孫の宮。
【○雁眼】(がんがん・がんもく、がんめ、かりめ)。『睛は黒漆の如きも金黄(きんき)を帯ぶ。上下の波紋は一様に長く。相に入るもの官と為れば恭(きょう)且つ蘊。連枝同気の姓名香ばし』
(評訳)「眼球の黒きことは漆(うるし)を点じたようだが、僅(わず)かに金色の如く黄味が加わる。上下の波紋、上眼瞼、下眼瞼のフチの線が同じやうに、長く波形をなして眼尾紋(がんびもん)につづく。入相は相格に入るの略、ピッタリとこの通りの眼形であるなら、官人となるが宜い、さすれば恭且つ蘊、恭は人に尊敬せられ、職分は安らかに、蘊はアツマリ、ムツむである、薀蓄があり、徳をつむ、財産もたまれば子孫も繁昌する。連枝(れんし)は兄弟近親、同気(どうき)は気の合った縁者、それらの姓名が香ばしい、共にそれぞれに出世上達するであろう」「長型の眼なり、目元のゆるめが特徴、実際雁の目がこのごとしといふのではないが、雁目(がんもく)、ガンメなどともいう」
【眼角】(がんかく)。「眼角に眼尾にも眼頭にもあり」目頭、目尻のこと。
【○乾姜之手】(かんきょうのて)。『乾姜の手、女子は必ず善く家を持つ』
(評訳)「乾姜(かんきょう)は薑(しょうが)の薬品名、姜は美女に縁ある字、太古の歴史にもこの事あり、故にあえてこの字を用いるも、只の薑の意、浙江広東辺の薑は日本産の十倍もあり、その丸さ女の拳位なり、即ち女の拳背(手の背)が丸々と肥えて、その指の細きことは薑の茎の如く直にして節の見えないのが良い。女子の手がその如くであれば、必らずよく家を持つという、俗にいふ所帯持ちが良い相」
【●眼光如水】(がんこうみずのごとし)。『眼光水の如きは、男女共に多淫なり』
(評訳)「眼中の光りに水の浮いてる様に見える、水光(すいこう)などともいう、これは男女共に淫心の芽生えあり、自然の結果なり。修養多年にして淫心が止む時は、眼光も平静(普通)に帰る」「眼光如水とは、眼光と眼球に水気を含み、水光するをいう。眼光が流れる様、淫らな流し目も含む。多淫とは好色という意味と、淫は陰で人知れぬ隠れ事などの意味もある」
【●眼光如酔】(がんこうよへるがごとし)。『眼光酔へるが如きは、桑中の約は窮まり無し』
(評訳)「眼中の光が酔ったかのように見える女は、桑中の約(詩経庸風の詩にある語、男女私かに相約して相会ふことをいう、大昔し養蚕のための桑摘み女が桑畑中にて淫風多かりし故にいう)。無窮(きわまりなし)とは、甲乙丙丁の男と約束することも、破約することも平気だという意味。無類の多淫浮気なり」この相には桃花眼(とうかがん)と桃花顔(とうかがん)を兼ねることが多い。桃花とは桜色のこと。
【顴骨】(けんこつ・かんこつ)。
【監察官】(かんさつかん)。眼のこと。
『眼を監察官と為す。黒白分明(黒目白目がハッキリ)を喜ぶ。神を蔵して露ならず。黒きこと漆の如く、白きこと玉の如く、波長く耳を射る、自然に清秀にして威有るは此れ《監察官の成る》なり』
『蛇、蜂、羊、鼠、鶏、猪(ちょ・豚)魚、馬、火輪、四白眼等の眼、赤白紗侵し睛濁り黒白混雑し、兼ねて神気太(はなは)だ露れ、昏昧にして清からざるは、此れ《監察官の成らざる》なり。又且つ愚頑にして兇敗す』
 『神清く爽やかにして秀で、長きこと鳳目(ほうもく)の如きは、身顕(あら)はれ王侯と作(な)らむ』
(解説)「神清く秀づる者とは瞳子(どうし・眼)瑩潔(えいけつ・明らか)、黒白分明、暁星(ぎょうせい)の如く、光り四遠を射るをいう。長きこと鳳(鳳目)のごとき者とは、鳳目細長(鳳目は細く長い、切れ長)、目尻は鬢に入る(長いことの喩え)、眼の長さ一寸五分(約四九、センチ)、大富の相。蜀の關雲長(かんうんちょう・三国時代の三傑の一人關羽)、唐の房玄齢(ぼうげんれいてん・唐の名相)共に鳳眼に応ず」「運限は両目で六年、《左目三十、三十一、三十二才》、《右目三十三、三十四、三十五才》、(女子は左右が逆になる)、目には四神あり、黒子生じて眼胞の上に在る者は貪婪にして窃(ぬすみ)む」
「気色は、三陰三陽に忽然ととして《黒気》を生ずるあれば家宅寧(やす)からず(死相の一つでもある)、《紅》なる者は火災あり、眼下に《青》を舗(し)ける者は口舌に連累す。《赤》きは官災、《黒》きは破耗。《黄明》(こうめい)なるは最も吉。女子の目下《青》き者は夫を喪ふ、《赤》き者は産厄あり、眼尾の色《瑩白光潤》なる者は、夫位増遷し(夫の身位上達する)、財禄の喜びあり」
 『両眼に光浮び、双輪に火を噴(は)くものは、殺人の賊にして姦謀(かんぼう)を好むものたり』
(解説)「両眼に光浮ぶとは、噴突(眼光が噴火突進する)収まらず、光り人を射るをいう。双輪に火を噴くとは、上下の眼堂(目の上下、目全体)紅赤なること、炎火の外に噴(ほとばし)るがごとし。これに似た者は則ち人となり凶悪で奸(よこしま)狡(ずるい)貪(むさぼる)なり、衷(うち)に奸盗の心を懐き、しかも平生の悪あり。(目の運限、流年は)三十歳にして入運し、三十五に至る(三十歳〜三十五歳、左右で六年)。睛(虹彩の所)は漆(うるし)を點(てん・着ける)ずるが如し(漆色、黒い)。目中に赤沙(せきしゃ・充血状態)起れば法に死す(法律に触れて死ぬ)、須らく己を防(まも)るべし、又之れを蛇眼(だがん)赤沙ともいう、これを火を噴くという」
 『睛(せい)の漆を點(てん)ずるがごときは、応(まさ)に是れ常流(じょうりゅう・普通)にあらず』
(解説)「両睛の黒光點漆(てんしつ)の如く、昭暉(しょうき・かがやく)明朗、光彩人を射る者は、極貴の人臣(じんしん)、神仙高士、奇異の相にして、しかも平生の福たり。三十歳より三十五歳に至る、この六歳(六年)に功名を顕耀(けんよう・かがやく)す」
 『眼の大なる者は多く芸業を攻(きわ)める』
(解説)「眼睛(がんせい・眼)大にして端定に、浮はず露はならず、黒白分明なる者は、よろしく芸業を学ぶ可(べ)きを主る、衆人に異るの家を成し業を立つ」
 『上視者(じょうししゃ)とは與(与・とも)に交游(こうゆう)すること勿(なか)れ』
(解説)「上視者は、或は物を看るに観望し、或は人を観るに、面を昂(あ)げて睛(せい)昴り、上に向って視る者は、人と為り賊性あり。自強自足、物を容(い)れず(雅量なし)、太(はなは)だ察し多く疑う、友と為す可(べ)からず、同行(事を一緒に為す)は須らく富貴の中に在るべし(双方又は何れか一方の富貴なる内に限る)。深交はなすべからず、上視者は人となり多くは狠(動物的で心がネジケている)」
 『斜観(しゃかん)狼目(ろうもく)なるは、強いて独り勝たんとし、慳吝(けんりん)にして更に貪り求む』
(解説)「斜観者は人と為り稟請(りんせい、ひんせい・生れ付き)剛強。独り能(よ)く慳吝をなす者は、自ら慳(かた)ましくして施さず、鄙(いや)しく貪(むさぼ)り聚(あつ)めるを愛(め)で、人を損じて己を安んず。縦(たと)へ富貴に居り文を能くすとも、亦た慳吝の心を改めず、口腹相応の人たる能(あたは)ざる也(腹と口の相違するウソツキ偽善者なり)。眼は心の外戸(窓)と為す、その物外を見て其の内を知る也。胸中正しければ則ち眸子(ぼうし・眼、瞳)瞭(あきら)かなり、胸中正からざれば則ち眸子?(くら)し。眸子の不正なるはその悪を掩(おお)う。善悪は目中の偏正に在り、善者は正視し、神(しん・眼)清く睛(せい・眼)定まる、悪しき人は斜視し、睛は定まらず神(眼、眼神)濁る。目に些(いささ)かの小病(欠点)あれば、心に些かの小毒あり、眼に十分の病あれば、心に十分の毒あり。眼の善きものは心も亦(ま)た善く、眼、悪ければ心も亦た悪し。斜盻(しゃけい・にらむ)する者は人その毒に遭ふ、然かも富貴に居り、書を知るとも心中正しからず、小人に於いては尚更である」
 『円大(目が丸く大きい)にして神光露(あらわ)れるは、心に兇狠(きょうこん)を懐く、訟獄(しょうごく)憂う』
(解説)「若し円大にして眼睛(がんせい・光彩の部分)突露し光るがごとき者は、兇暴にして、多くは禍患(かかん・災い)を招き、常に囹圄(れいご・牢獄)の囚繋(しゅうけい・繋がれる)の難に遭う。平生の凶たり、二十八の限三十五歳に至りて利しからず三十七八九亦(また)然り、富貴に居ると雖も亦兇徒たり。若し肯(あ)えて書を読み君子に近づき小人を遠ざくれば、其の凶半ばは減ぜんか。眼突(がんとつ)と交る莫(なか)れ、往々災?(さいちゅん)を見る。眼露なれば心も亦た露なり)
 『鶏(けい)、蛇(だ)、鼠目(そもく)に似たのは濫(らん・貧乏)せざるも須らく偸(ぬす)む』
(解説)「鶏目(けいもく)は痕(こん・恨み)なくても好んで闘い、淫を貪る。蛇目(だもく)は上胞厚くして心に毒あり。鼠目の左小にしては窃盗をなす。似たる者男女ともに盗窃し、貪婪(どんらん・卑しく貪る)恥じる心は無し。富貴に居るも改ることなく。姦?(かんと・邪心)の象なり」
 『三角にして深く蔵(かく)れるのは毒害あり』
(解説)「眼に三角を生ずるは凶狠(きょうこん)の人、常に物を損じ人を害す。これが女子ならば夫を妨げる不良。三角は嗔(いか)ること多し。婦人の眼に三角を生ずるは殺夫(夫を傷める)の剣のごとし」
 『頻(しき)りに偸視(とうし・盗み見)するものは定めて良籌(りょうちゅう・良い考え)無し』
(解説)「頻りに偸視する者とは、談話の間、広会の座において低目(ていもく・下目使い)し沈吟(ちんぎん・つぶやく)する、常々(しばしば)眼を用ひて人を偸観(盗み見)する者をいう、心性定まらず疑ひ多く智浅きの象」
【眼神】(がんしん)。
『神は眼を主とす』体神、面神、眼神の三神の内でも、眼神が一番大切だ。面神は身体から発する神気(しんき)、面神は顔付きにある神気、眼神は眼光にある神気のこと。神気とは力と雰囲気。
 『眼神に七つの相あり。秀でて正しく。細くして長く。定まって出る。出でて入る。上下白からず。見ること久しくして脱せず。変に遇うて?(くら)まず』以上は眼相の上相(じょうそう)。
【眼中五臓】(がんちゅうごぞう)。
(解説)「眼には五臓六腑の性能が総て影響します、故に達人は眼さえ見れば、身内心内の事象は明瞭だという」
「〔眼白(白目)の肉質〕は、木(五行)、仁(五情)、肝(五臓)、胆を表し、〔黒白(瞳と光彩)の堺、白睛の色合い〕は、金、義、肺、大腸を表し、〔眸子(ぼうし・瞳)の大小形状清濁〕は、火、礼、心、小腸を表し、〔黒睛(睛・虹彩)の質、虹彩の鮮明度〕は、水、智、腎、肪胱を表し、〔目尻目元の紅肉。全面の色沢潤気〕は、土、信、脾、胃を表し、〔目裂(目の開き具合)と状勢傾向等〕は、土用、忠、膵、三焦を表す」「肝に衰へのある時、その人の生活が精神的に不調和な時、栄衛失調の時などは白目にユルミ出で贅肉などもできる、白目に濁気があり、或は色が青黒いのは肝症なり、性癖に特異あり。白目黒目の色の冴えて美しいのに、黒白の境目に濁乱があるのは肺患あり、黒睛が正円でないものもまた同じ。眸子(ぼうし・瞳)引き締りて正円なのは心安くして健全、外光の度(ど)に応じて速かに大小変貌するのは、心正しく弾力があり、感受性が強い人。もしこれに反すればダメ。眸子の正円でないのは心の疲労なり、(眸子が)左方右方に偏頗(へんぱ)大小あり、又イビツであるのは、その人の肉体の左右に疲労衰弱故障等の反応がある。黒睛が黒いばかりで光沢がなく、消し炭色に見える者などは、睛が白中に落ちつき平らに見えても、ソレは変質者的傾向があり、変態性欲者なることが往々にある。年少にして色難がある」
【眼頭】(がんとう)。メガシラ、目頭(もくとう)のこと。
【眼堂】(がんどう)。目と上瞼下瞼、目全体。
【▲眼堂豊厚】(がんどうのほうこう)。『眼堂の豊厚なるは、也(ま)た貪淫(たんいん)なるを主どる』
(評訳)「眼堂の豊厚も結構だが、主として目の皮が厚すぎては淫欲に没頭する傾向がある、《目は性器の形趣を代表》す、豊厚なる男子は相当以上の逸物を有し、女子はまた肉付豊かなる偉大サある赤貝のごときなり。也の字は女陰の形を示す」目と上瞼下瞼、眼全体を眼堂と云い、肉厚であれば貪淫(淫を貪る)相。
【眼凹】(がんとつ)。眼突。(解説)「眼突とは白と睛ともに眼瞼(がんけん)から前面に食(は)見出したように見えるもの、また眼部全体が盛り上った貌(かたち)で、外方に凹出して見えるもの、大抵は両方(凹眼と眼凹)を兼ねるものです」凹眼は黒目が盛り上がった貌。眼凹は目全体が出た相。
【眼波】(がんぱ)。波紋。目頭から目の上下の瞼に沿って流れるシワ、紋。
【眼尾】(がんび)。(解説)「眼尾は目尻とも後尾ともいう、めじりのこと。百三十部位では魚尾(ぎょび)という、多くの人の目が概形が魚尾に似ているのに因る」
【奸門】(かんもん)。(解説)「目尻の部位、魚尾(ぎょび)と接し、或は同一といわれている」「奸門とは魚尾の外方に並べられているが、実は魚尾すなわち奸門であって、その外に並べたのではその性能が実際にはピッタリ来ない、魚尾奸門部位が陥没しているか平満か、その気色、斑痣等のあるなしが大いに影響する、奸門の一名を盗門(とうもん)といふ」奸門は目尻のことで、夫婦関係恋愛関係の現れる所。
【●奸門青?】(かんもんせいさん)。『奸門に青?あるは、必ず妻災あるを主どる』
(評訳)「奸門は(男は)本人の右を盗門(恋愛宮)という、女子は反対(左が盗門)、魚尾(ぎょび・目尻)に並ぶというも実は殆ど同一場所。但し魚尾は左右共に魚尾という、何れも百三十部位の名称で、十二宮にでは妻妾宮(さいしょうきゅう)に当る」「?(さん)は青白い色、青気(せいき・青い気色)のやゝ地に付いた程度のもの」目尻に青い色が現われたら、必ず妻に疾厄があるという意味。盗門には妻や夫以外とその関係の有無とその吉凶が現われる。反対の目尻、男子は左、女子は右の目尻には夫婦関係の吉凶が現われる。恋愛宮に対して夫婦宮という。
【●奸門白青】(かんもんにはくせい)。『奸門に白青あるは、禍ありて妻妾を侵す』魚尾奸門に白青色があれば、妻や妾に禍がある。配偶者か恋人と不仲の場合と、相手が病気や災難に遭う場合がある。
【眼裂】(がんれつ)。目裂とも言う。眼の裂け目、開き具合、眼の長さをいう場合もある。(解説)「自然形としては上下平均に裂けて円大になったものから、その生活環境の状態に従って種々に変化し、徐々に細長く又たは短小などの雑多の形勢を造作したものである」
【官禄宮】(かんろくきゅう)。『官禄は位を中正に居す。上は離宮に合す』中正は額の中央。官禄宮は額の中心から一寸円内(直径二寸・六センチ)。離宮は額全体。官禄宮は《天運を表す額の上部》と《自分を表す命宮》との中間にあって、努力が報われるか、天運があるかを見る急所。現在の全体運、仕事運、目上との関係、官庁関係、裁判などのことが現われる重要な部位。

【き】

【気】(き)。@雰囲気。《身体を取り巻く気》には、大小、強弱、明暗、清濁などあり。先祖と神仏の加護など、霊的なものと、本人の志しの大小などに比例する。禍々しく見えるのは邪気の影響。A《体全体から立ち昇る気》。気が素直に昇るのを律気(りっき)、前後左右に流れるのを呂気(ろき)という。気が身体の一部から部分的に昇っている時は、その場所に病気などの異常ありとする。雰囲気も立ち昇る気も、目に力を入れずに『あるだろう』と思って見ると誰にでも見える。身体の回り、頭の上に焦点を当てて眺めるように見るのがコツ。
【●気青横於正面】(きあおくしょうめんによこたわる)。『気青く正面に横たはるを、喚(よ)んで行屍(こうし)と作(な)す』
(評訳)「正面には額の正面と顴(けん・頬骨)の正面とがある。そこに青い気色が横たわり満つれば、近々死ぬだろう、死んだも同様だ、たとえ歩いていても、それは死人が屍骸(しがい)が歩行しているようなものと喚んでもよい」この場合の正面は、主として眼下に青い気色が横に流れるのをいうが、額も注意して見る必要がある。死相の一つ。
【○気宇軒昂】(きうけんこう)。『気宇の軒昂なるは、一生快順なり』(評訳)「その人の気分の様子、暢(のび)やかに高く揚れるものは、一生快順の幸運なりと」気宇は心持ち。心持ちが伸びやかな人は人相も伸びやかで、人相が伸びやかであれば運命も一生順調である。
【●気若烟塵】(きえんじんのごとし)。『気若(も)し烟塵(えんじん)のごとければ、凶災ありて日に至る』(評訳)「気色が顔面に現われて、それが土埃を被った様に見えるのは凶災があって、日に至るというのは毎日のように来る、度々という意。烟塵は必らずしも火に関せず、烟(けむ)りに似た塵ほこりの形容」一面に汚い気色が覆うのは、病気や災難が続くという。煙色は火難の相でもあるから要注意。因みに、一面に赤色があれば火難か離別、青色が掛かれば憂い事がある離別の相。
【●鬼牙尖露】(きがありせんろ)。『鬼牙あり尖露なるは、詭譎(きけつ)にして奸貪なり』(評訳)「(鬼牙とは)俗にいふ病歯(やひば・八重歯)のこと。多くは犬歯虎牙のみなれども、時には門牙又は他の歯が狂うて八重歯となり外に飛び出して生えることあり、これらを總(すべ)て鬼牙という。普通に生じたる虎牙犬歯を鬼牙とはいはず、飛び出したのをいう」八重歯の先が尖って飛び出しているのは、根性が悪いという意味。詭譎は欺き偽ること。奸貪はヨコシマでムサボルこと。
【○亀眼】(きがん)。亀目(きもく)、亀睛(きせい)、亀の目。
 『亀眼の睛は円蔵して秀気あり。数條上にあり、細波の紋。康寧福寿あり豊衣足る。攸遠(ゆうえん)たり綿々として子孫に及ぶ』
 (評訳)「亀眼の黒睛(こくせい・虹彩)は、円く蔵(かく)れて納まり、だが何となく秀気が見える。数條(数本)の小皺のやうなスヂが上眼瞼に副(そ)うてあり、ソレは細い波紋である。その人には康寧(こうねい)福寿があり、着たり食ったりには充分、豊衣足の足字は、口に止まり止まらずで食の衣、音はショク・ソク。ノンビリユッタリとして、綿々は永くつヾくことの形容、その幸福が長く子孫に及ぶであろう」
 『亀目は睛(せい・光彩)黄にして垤(てつ)又た円。人となり小膽(しょうたん)なれば大週全。頸を縮め昂(たか)く視、形容正し。富は足り清閧ノ百年を過ぎむ』
 (評訳)「亀目は黒睛が黄色で、垤(てつ)は球(眼球)のウヅ高き形容で、また円い。その性質小胆(しょうたん)の方なので、大いに何事にも大事をとって用心をする、大週全(だいしゅうぜん)は用意周到の意味。頸(くび)を縮め、眼を昂(あ)げて視る形、その形容は正しい、消極的に品行方正に充分大事をとり事に臨む。その人の富は足り清閧フ生活で一生を過ごすであろう」
 『亀目は小にして垤(てつ)、円にして緑(みどり)なり。観視するに項(くび)を縮め面を仰ぐ、人となり小膽にして事あるを怕(おそ)れ、先には難(なや)んで後には易しとす』
 (評訳)「垤の字について鴿眼(こうがん)の項参照、小凸起(しょうとっき)の形容、円くして緑色の目の光がある。他を見るときはノドを縮め天上を向く、人物人柄は小膽(しょうたん)にして変異の事があるのを怕れ(おそ)、とりかヽりには万事億劫(おっくう)がり、やってしまえば案外平易とする」
 「眼裂は割合に短かく見える、眼形は概して小型にして黒目がち、睛は黒き方なれども稍(やヽ)上瞼は前方に覆って小皺が集り、両眼の間隔は比較的広き方。球は正視なるも側方を見るかの趣あり。眼中の清きものは清富あれども、濁気あるは昏淫なるもの也」目の秀気とは眼光目つきに濁りがなく、キレイなこと。
【○貴者定是形殊】(きしゃはさだめてこれかたちことなる)。「形相(人相)異常(立派)にして骨格の清奇なる者は必ず貴し」貴い人物は決まって立派な相をしている。『殊』は特殊と立派の意味あり。
【気色】(きしょく)。@気と色。A雰囲気、気配。B顔面上に現われる気と色。骨格に比べて変化の早い相を指す。当面の出来事の吉凶を現す。『骨格は一世の栄枯たり。気色は行年の休咎を定む』骨格は一生の栄枯盛衰を現し、気色は当面の吉凶を表している。『若し前程を問はゝ次で則ち其の気色を弁ぜよ』「若(も)し前程(ぜんてい)、先行将来のことを問うならば、形容の次にはその気色如何(いかん)を弁じ分けることに努める」
 《顔面上の気色》は皮膚の上を伝うように現われる。その形状は大きく分けて@円形、楕円形。A線状。B画相(人物、物、動植物、風景などが絵となって現れること)の三種ある。何れも皮膚の上に現われる。線状の気色を神動線(しんどうせん)、神導線、気線(きせん)などと呼ぶ。線の幅は一ミリから二ミリ程のものが多いが、時には指先で引いた位の太さも見かける。
 気線を見つけるには、@直射日光を避ける。A色白の人を見ることから始める。B新しいニキビや傷、目に付いた血色などを通ることが多い。C恋愛中の人は目尻から口角にかけて気線が走っているから、そう思って注意して見ることから始めるのが近道。D見る距離、角度を変えながら、見えたところで気線を覚える。E一度見えたらよく記憶して、他の部位を見るようにする。
以上で誰にでも見えるようになるはず。目を見開いて力を入れると見え難いことも覚えてもらいたい。
 《画相》は、顔面に現われているシワ、シミ、ホクロ、ウブゲ、皮膚の色(血色)、気線など、全てが模様、絵になっていないかを注意して見ること。必ず何らかの形になっていると思って見ること。人の顔の場合はゴマ粒大、小豆大から大豆大、大きければ五センチ位にも現われる。先ず両目が並んで見え、顔型、口、鼻耳髪型などが現れる。顔が見えたらその顔の形、表情、顔の向き、目の向きなどで、本人と画相の人物との関わりと良し悪しを判断する。
【●気色有滞】(きしょくにとどこおりある)。『気色に滞あれば、終歳凶屯なり』(評訳)「終歳とはその年のことにはあらず、気色に滞りがある間は一生涯でものこと、終世と同じ意味」全体の雰囲気や顔の気色に滞りがあるとは、滞気(たいき)のことで、濁った気色のこと。凶屯は運が滞ること、開かないこと。
【○気色明潤】(きしょくめいじゅん)。『気色の明潤なるは、固(もと)より快循(かいじゅん)と為す』(評訳)「気色が明潤であれば、固よりその人の運は快(よ)く循(めぐ)るであろう」雰囲気と顔の気色が明るく生気があれば、運命は順調である。
【●鬼色見形】(きしょくかたちにあらわる)。『鬼色あり形に見はる、貧愁日に渡る』(評訳)「(鬼色とは)色黒く色に沢(ツヤ潤い)がなく、全体に凄味(すごみ)があり、陰影が顔に現れること。この鬼色あるものは貧の愁いが日に渡る、毎日々々つヾくこと」形とは姿形顔色雰囲気であり人相全体のこと。幽霊のような人相のこと。鬼とは幽霊。
【観貴人相・察朝士形】(きじんのそうをみる・ちょうしのかたちをさっする)。『貴人の相を観るは、止(た)だ一途に非ず。朝士の形を察するは、要(かな)らず四大を倶(とも)にす』
(評訳)「止はタヾと読む。貴人の相は只だ一と通りに見ただけでは可否を決するわけに行かない。一途と四大は対字。朝士は朝廷の官仕人、平民ではない貴人の意味。(人相を見るには)顔面ばかりでなく身体全部の動向についても看取せねばならない。四大(しだい)とは四体のこと、首胴手足の四ヶ所のこと」立派な人物を観相する時には、顔だけではなく全身を監察しなければならないという意味。形ばかりではなく、特に神気の有余を見ることが肝要。
【貴賎】(きせん)。貴いことと賤しいこと。身分の上下。運の良し悪し。『又た曰く、貴賎も失(あやま)ち易しと』(評訳)「貴賎とは人の身位のみならず、凡てのことの良い悪い一切のこと、これも中々断定は難しい、失は失敗あやまち過失、間違い易いものだと」身分の高い低い、暮らしぶり、運の良し悪しの判断も間違い易いから注意せよとの意味。
【亀息】(きそく)。『鶴形(かくけい)にして亀息、洞賓は僊に逢うて遷を得たり』(評訳)「口を結びて呼吸し、気息の音せぬこと、そのあるや無しやの分からぬほど静かなる呼吸の形容。(洞賓は)鐘離真人(僊人・仙人)に逢い、道を修めてから仙人となった」亀息とは深く静かな呼吸のこと。洞賓(どうひん)は人名。鶴形は鶴のようなスラリとした、飄々とした人相。鶴形も仙人の相。
【吉凶】(きっきょう)。武士の口と書いて吉。間違いのないこと。良いこと。凶という字は窪みに人が落ち込んでいる形。苦しみ。『吉に遇ふては則ち推し、凶に逢ふては可(よろ)しく断ずべし』吉の運はよく推し進めて、凶運は断ち切るべし。
【●橘皮面】(きっぴめん)。『面の橘皮に似たるは、終生貧窮なり』(評訳)「橘皮面とは麻面(ばめん)にあらずして、皮面に柑橘類の果実の皮面に似た小凹無数の穴あり、皮面荒びたる観を呈するをいう。全面にあることあれども一部に一、二寸(三、四センチ)四方の区域なることもあり、ニキビの痕の変生するものもあり、時にウス黒きスゝを塗沫したように見えることもある」要は夏みかんの皮のようなブツブツの皮膚のこと。脂ぎったり毛穴が汚いこともある。橘皮面の者は一生貧乏という意味。現代では分相応に頑張れば、相応の暮らしはできる。
【救人危難】(ひとのきなんをすくう)。『大なるときは則ち人の性命を活かし、小なれば則ち人の危難を救う』(評訳)「相法の効果というものは、大にしては性命を活かし、小なるときは則ち人の危難を救う」性命とは人そのもの、危難とは危険難儀のこと。性命を活かすとは、この世でもあの世でも、本当の仕合せになるように命を活かすこと。
【●気濁神枯】(きにごりしんかれる)。『気濁り神枯れるは、必ず是(こ)れ貧窮の漢(おとこ)』雰囲気が濁って、目付き悪く眼光に力が無い者は、必ず貧窮である。その日暮しの者、希望を持たない者の人相。
【●気短声低】(きみじかく、こえひくき)。『気短く声の低きは、糊塗(こと)して夭折す』(評訳)「気短くとは呼吸の気の短かいこと、そして声も低いようなのは、糊塗とはアノ手コノ手とあれこれ良き知恵も思案もないまゝ、一時凌ぎの手あてすること、どのようにか心配し所置する間もなく死んで仕まうであろう」呼吸が浅く声が小さな赤子は育たないという意味。
【●脚跟着地】(きゃっこんちにつく)。『脚跟の地に着くは、田園を売り盡(つく)して他郷に走る』(評訳)「流布本には脚根とあり脚跟が正しい、人のカゝトのこと。カゝトを地に引ズリ歩くを着地という。コレは下駄の後歯がヘル歩き方のこと、お引きずりの女に多し、乾隆本(中国の乾隆年号の本。西暦一七一一〜一七九九)に不着とあるのは非なり」チンタラと下駄や雪駄など、履物のカカトを引きずって歩く者は、いくら財産があっても田地田畑を売り尽くして他国に逃げるようになる運命だ。太鼓持ちを連れて歩く若旦那や遊び人の歩き方。
【●脚背無肉】(きゃくはいににくなし)。『脚背に肉無きは、必ず弧貧なるを主どる』(評訳)「脚背とは足の甲にはあらず、脛背(すね)のこと、膝下の肉が痩せて骨気の尖るように見える脚は、大抵足の甲もヤセて見える」向こう脛(すね)とその周りに肉がなく骨張っているのは、必ず孤独で貧乏だという意味。
【○牛眼】(ぎゅうがん)。牛目(ぎゅうもく)、牛の目。
 『眼は大に睛は円く視見に風あり。之(こヽ)に遠視を見るに矇(もう)を分(わか)たず。財を興すこと巨万、差跌(さてつ)なし。寿算あり綿長に福禄終(ふくろくじゅ)』
 (評訳)「眼形は大きく睛は円々とあり、目づかひには一種の風格がある。視見は見る目の動きなり。四辺を見まはす眼形は鋭どからず矇(もう)なるかとも分らず、不分矇(ふぶんもう)の矇は、アケ放しの目で、或はアキメクラの様にも見える。この人、財産が出来巨万といふほどなるも、毫(すこ)しも差跌(さてつ)がない。差跌は蹉跌に同じくフミハヅシがない、差一字にてもアヤマチ、シクジリの意あり。生命は綿々と長くつヽき福禄は晩年までに及ぶだろう。福禄終の終は終年の略、一生死ぬまでのこと、福禄終(おは)るとよみては不可、福禄終(ふくろくじゅ)と読んで始めの寿字にかへり、福禄寿の意を寓(ぐう・寓意)す」
 『牛目は神昏すれども重きに任(た)えること多し。人を視ること遅緩(ちかん)、性は寛にして和す。人となり世に処しては衣食に遭ふ。奢弛と綺羅とは好ましとせず』
 (評訳)「牛目なるは眼神は昏いやうなれど、忍耐力強く重任に堪へることが多い。人を見る目使いはノロリとしているようだが、性は寛大にして和協的である。成人して一人前となり世間に処しては、不足なき衣食に遭ふ方である。奢弛(しゃし)はゼイタク、綺羅(きら)はキラビヤカな派手、ぜいたくな奢り、華美なことはその本性として決して好まない」
 『牛目ななるは重きに任(た)へ遠きを致す』(評訳)「その忍耐力強く辛抱性永遠なるを云う」
 『牛目は大にして微黄を帯び、精神あれども微(わず)かに慢(おこ)たる、豊足を享(う)けること悠遠なりと雖も、平生に心を労することあり、其の性は必らず好くして敦厚(とんこう)なり』
(評訳)「牛目は大型にし微(かす)かに黄色味を帯び、その目に精神あれども少しく怠ける風あり、生活は充分に永久悠遠にあるけれども平生には心配苦労が絶えない、其の性は必らず好人物で情に敦(あつ)く義に厚い」
 「牛目ともいう。瞼は鮮明にして沿線の円み清く、曲癖(きょくへき・変な癖)少なし。上下の瞼ともに円みあり、睫毛長く且つ斉(ととの)いて生ず。目裂は割合に長からず波長(目の上下の波紋)に乏しく、眼光柔和にして余りキラキラせず潤ひあり、鈍重の気分に充つ。眼球はやゝ下をみる傾向あり」
【宮室】(きゅうしつ)。(解説)「宮質は百三十部位の名称。鼻翼(びよく・小鼻)より約二指横径の所にあり、宮室は?上(そうじょう)の隣りなり」宮室は住居以外の建物別宅のこと、あるいは近所にも当たる。
【●宮室燥炎】(きゅうしつにそうえん)。『宮室に燥炎あれば、火湯の咎めあるを恐る』(評訳)「この所に火(あか)きシミの如き色あるは、火または湯にて焼傷(やけど)することを注意すべし」宮室に指で押した程の、乾燥した真っ赤な色、焦げたような色が現われたら火事か火傷に遭う相。別宅倉庫貸家工場などの場合が多い。近所や隣室で火事がある時にも現われる。焦げたような、燃えるような色は火難の相の代表。
【●急皮】(きゅうひ)。『粗骨にして急皮なるは、寿年短促す』(解説)「皮膚が引っぱれた様に見え、肉に余裕がないのを急皮という」若死にの相の一つ。大抵は面皮虚薄(めんひきょはく・顔の皮膚が薄い)を兼ねる。「粗骨」とは体つきが弱弱しいこと。
【●魚眼】(ぎょがん)。魚目(ぎょもく)、魚睛(ぎょせい)、魚の目。
 『睛露神昏、もしくは水光のごとし。定睛遠近視ることは汪洋(おうよう)。もしこの眼に逢えば皆な亡早。百目須(すべか)らく驚き夭殤(ようしょう)を嘆ず』
 (評訳)「眼睛は露(ろ・出目気味)にして神(目)は昏(くら)く、その光りは充分に生々とした光りがなく、もしくは水っぽい光りで人を迷はす風の色気がある。睛(目)を定めて遠近を視るに、目使いすること汪洋、遠近とはアタリ四方、汪洋は大洋大マカにて漠然とみる、目の玉の動かぬサマ。如(も)しこの眼形のものに逢えば皆な亡早(ぼうそう)と知るべし。亡早は亡(に)げること早きこと、早は早年三十内外のこと、三十ソコソコに死亡する。本来早亡とする方が良いけれども、亡は陽の韻、第三句は同韻を用ひぬが詩の左方(作法)にて、ワザと亡早と替へたもの。百目は一つの白い目(百の字を分解)、魚眼の変名、目をみはって四白のような驚眼になるようならば、陽殤(わかじに)に嘆くことがあらうと」
 「目裂は短かい方で刮目(かつもく)は弘(ひろ)い、眼睛がスワリ、余り転動せず、眼光トロリとして余り光らず、黒白(黒目白目)の差はハッキリしている。球(眼球)は上向きの方なれども、正視のものもなきにあらず。特色としては、一見眼球平ベッタキ観あり」「魚眼とは目裂(もくれつ)張りきり(見開いたようで)、眼球中央に据わりたる趣きあり、知性に欠け、思慮は浅い方である」
【●曲鼻】(きょくび)。『鼻に三曲あるは、屋(いえ)を売らずんは則ち田を売らむ』(評訳)「正面より見て鼻が左右に屈曲すること三ある也、必らずしも三の数に拘はる必要なし、二曲でも一曲でもこの相に当たる、それは破産の相で田地田甫(たんぼ)家屋家財を売り、祖先伝来の家を逃げ出す」正面から見て曲っている鼻のこと。多くは中年に破財する相。鼻は中年の運命を表す。五体では脊椎にあたるところから、背骨が曲っている証拠ともなる。
【●魚口】(ぎょこう)。下唇が縮んで魚が息をするときのような口形。
【○巨鰲入海】(きょごううみにいる)。『虚鰲の海に入るは、必らず尚書と作らむ』
(評訳)「鰲(ごう)は亀(ごう・かめ)、海中に住む大なる海亀、入海の海の字は(口を大海という)即ち口、海の縁語により鰲字を用いていう。顎骨の全形的に偉大なるを形容誇張していう。尚書(しょうしょ)は今の大臣、下頤の立派なものは大臣位には成れると」海がめが口に入るとは大きな口の喩えで、当然頑丈な立派な顎が伴う。口を大海(たいかい)という。
【●挙止多軽】(きょしにけいおおし)。『挙止に軽多きは、須らく貧賤なりと知るべし』(評訳)「挙止は立ち居振る舞いのこと、とったり置いたり挙動が軽々しいのは、ソレは貧賎であると知るべしと」当然、大した事はできない人物である。
【魚尾】(ぎょび)。(解説)「目尻は目尻なり」「多くの人の目が魚尾に似ていることによる」
【●魚尾多紋】(ぎょびにもんおおし)。『魚尾に紋多きは、老(おい)に至りて安逸なる能わず』(評訳)「魚尾は目尻なり、目尻に文様(もんよう・シワ)の多いものは老年になっても働かねば成らぬと。五本位まではよし十本もあるは良くない」目尻の皺を眼尾紋(がんびもん)と云う。三本が普通。多いのは歳が行っても安逸な暮らしができない、ユックリ出来ないこと。
【●凶】(きょう)。人が穴に落ち込んだ象(かたち)。思いがけない苦労悩み。落ち込み落とし込まれること。『吉に遇うては則ち推し、凶に逢うては可しく断ずべし』吉は進めて凶は断ち切れということ。
【△胸上生毛】(きょうじょうにけをしょうず)。『胸上に毛を生ずるは、性寛大に非ず』(評訳)「胸の心窩部(しんかぶ)にある生毛なり、数で十本位までは論(問題)なし、それより多きは該当す。その他乳部又は左右にある生毛は本項(この問題)の外とす」心窩部は左右の乳の内側の窪む所、窩は窪みのこと。鳩尾(きゅうび・ミゾオチ)の上部。ここに毛が多い者は見かけほどには寛大な人物ではい。但し、ここに剛毛がパラパラと生えている者は剛の者である。乳部に毛が多いのはこの相とは別だが、『女面(じょめん)』の相であるから、寛大とは言えない。
【金匱甲匱】(きんきこうき)。両小鼻。略して金甲と云う。匱(き)は高価な物品を入れる箱の意味。金匱は金品を入れる箱、金庫。甲匱は甲冑(よろいかぶと)を入れる箱。いずれも金品を入れるもので、金甲は金銭の出入り損得の現われる重要な部位。
【金形之人】(きんけいのひと)。『金形のひとは方白にして堅重なり』(評訳)「金形の人は方形(ほうけい・四角い形)でガッチリしていて、肩も胴も尻も手足も角ばって見え、堅く重々しく、色は白いのであり、その形象は□形」五行一つで金の形。金形は顔も体つきも角張っていて、色は白く、声はキンキンとしている。何れも金(きん・かね)の象を考えること。
【金甲】(きんこう)。両小鼻。『金匱甲匱』の略名。
【○金甲沢光】(きんこうたっこう)。『金甲に沢光あるは、諸吉鼎(あつ)まりて至る』
(評訳)「(金甲は)鼻翼の両方、正しくは金匱(きんき)甲匱(こうき)といい合称して金甲という、金作りのヨロイカブトの意味にて金財的な運を含む、また蘭台(らんだい)廷尉(ていい)の官人が金甲を着る意にもなる。俗には金甲と蘭台廷尉を同所というが、詳しくいえば上下なり」金甲に明るい色があれば、あれこれの吉事が度々来る相。金甲は金銭に関係する部位なので、諸々の吉というのは必ず金銭の豊かなことを伴う。
【○金甲豊腴】(きんこうほうゆ)。『金甲豊腴にして色黄なるは、終には家道を興(おこ)さん』
(評訳)「金甲が豊かに肥え、たっぷりとして黄味がゝっておれば、その女は遂に家道を興すであろう」金甲は左右の小鼻、金匱甲匱(きんきこうき)の略。小鼻の肉付きがよく、締まり、その色が明るい女は家運を盛り上げる。いわゆるアゲマンの相。
【●筋骨莫蔵】(きんこつかくるなし)。『筋も骨も蔵るゝ莫(な)きは、懦(だ)と愚と双つながら得らる』(評訳)「全身に浮筋が行き亘(わた)り、ミミズののたくるかに見えるか、又は骨気の露出甚だしきものは平生は強気のことは言うも、内心は至極懦愚卑怯にてイザといへば尻ごみし役に立たぬひとなりとす」懦(だ)は臆病、おろかで卑怯。双は二つ。
【筋骨質】(きんこつしつ)。『筋骨質』、『栄養質』、『心性質』の三質の一つ。骨と筋肉の発達した形質。骨張り筋肉質を特徴とし、そこから堅い、強い、締まる、頑強などという特徴がある。それらが体格、顔型、手相、挙動、声など全てに現われている。自信、信念、行動、目的完遂が筋骨質の特徴。胸部の発達、顔の中停の発達と眼光の強さが特徴。他の二質との調和があれば上相とし、一質に偏れば頑迷、自信過剰、押し付けなどの特徴が現われて
【遭窘処顔貌温和】(きんしょにあえるにがんぼうおんわ)。『士あり窘処に遭へるに顔貌温和あるは、早には窮すれども晩には発す』士はヒト。顔貌(がんぼう)は顔付き、顔の相。窘は苦しむ、詰まること。「窘窮の所にありて苦しむとも若(も)しその顔貌平然温容であるならば、その人早い頃には貧窮することはあらうが、晩年には必らず運が開くだらうと也。早晩を合一にして
晩かれ早かれその人は、多少の早晩はあれ必らず発達開運するであらう」苦しい時でも人相が温和であれば、必ず開運し発達する。
【△金城骨分】(きじょうこつわかれる)。『金城骨の分れるは、限(げん)に将相に登らん』
(評訳)「金城骨のあるものは印堂(いんどう・眉間)は汚く見える。明治の寺内元帥のごとし、覇気ある人物なれども淫慾には異常あることがあり、中年以降危難にかゝることもある。金城骨の文字は麻衣相法(まいそうほう)には、印堂に骨あり、その他少しの異文。印堂金城に陰意あり口伝とす」印堂は眉間のこと。金城骨は印堂から生え際に向かって幾本かに分かれて走る骨気のこと。骨気とは硬く盛り上がった状態を云う。自然と眉間と額が凸凹で汚くに見える。覇者の相であり残忍性ありと云われる。限は限って、決まっての意味。将相(しょうしょう)は将軍と宰相。大将と大臣。その地位に登ることをいう。
【●金人火旺】(きんじんにしてひさかん)。『金人にして火旺んなれば、財の発(ひら)くこと塵の若(ごと)し』(評訳)「金形の人に色が赤くなるか筋骨が露出するか、この頃急に痩せ形になるような、火気の旺ずる(火形の特徴が現われる)ものがあれば、ソレは火尅金であるから財産が発散して塵の如くになるだろう」金は火に溶かされるから相性が悪い。そこで金形の人に火形の特徴が多く加われば大凶であり、財産が消散する相となる。
【○錦嚢之拳】(きんのうのけん)。『錦嚢の拳、男子は定めて財産を興さん』(評訳)「錦嚢とは子供の腰に下げる袋の如く、丸々と肥りたる手甲の形容、その如(ごと)き男兒は定めて財産を興すだろうと」手の甲に丸々と肉が付いていること。

【く】

【○孔雀眼】(くじゃくがん)。
 『眼には波の明らかなるあり、睛は黒く光る。青多く白少なければ兇強なるを悪(にく)む。素廉(それん)清潔、乍(たちま)ち煖なるを嫌ふ。始末に興隆あり姓字揚(あが)らん』
 (評訳)「眼瞼(まぶた)に波線が清く明亮(めいりょう)にあり、黒睛(こくせい・虹彩)は黒く光ることが目につく。青多く白少の青は睛のことで黒目、白は白目、乃ち黒目がちの眼で性質としては、押の太い心臓式なことは一切嫌い憎む。素廉清潔とは性がは質素で廉潔、時には潔癖すぎることなどもある。乍ちなる煖かさを嫌ふとは、孔雀の南国的な本性を引用したもので、場所そのまヽが暖かなのは好い、急に人為的な煖かさを感ずるを嫌う、用字暖煖の差を考えるを要す。すなわち理由なき突然の贈りもの、又は頓(にわ)かに来る財福などを好まず、女は男の卒然たる要求を拒むこともある。始末は初年にも晩年にもの意味で、一生涯の内に出世上達興隆して、姓字が揚がり名誉をかヾやかすに至るだろうとのこと。また始末の意は、始めあり終りあり物事取り締りありて有終の美を全うする人であろうとの付加兼併あり」
【口】(くち)。(解説)「口は水星、脾胃の竅(きょう)、大体は食欲色情のことを主どる、その他嗜好に関する財物の得喪(とくそう)、子孫の強弱、性行の変化等は人中(にんちゅう・鼻の下の縦溝)を併(あわ)せ考えること、また薬部(やくぶ)の名があるのは当然平凡である」
【●口?平似鮎魚】(くちへんぺいなることてんぎょににる)。『口?平なること鮎魚(てんぎょ)に似たるは、終には須らく困乏せん』
(評訳)「鮎魚は字は同じなれども、日本のアユのことにはあらず、口偏平にして下唇の全面的に食み出し、上唇を咬むもの鯰魚のこと也。それは上長に反抗すれども性遅鈍にして緩慢、欲ばりなれども終には困乏の内に生を送る也」鯰(なまず)。
【●掀唇】(くちびるあがる)。唇が上に釣られたように上がること。自然に露歯(ろし)となる。貧乏、剣難の相。
【●唇薄口尖】(くちびるうすくくちとがる)。『唇薄く口の尖るは、好んで是非を説きて了るなし』(評訳)「他の陰口をきヽ風評することを好む」唇が薄くて唇を突き出たように尖らせている者は、好んで人の是非や陰口を言って嫌われる。
【○唇似紅蓮】(くちびるのぐれんににたる)。『唇の紅蓮に似たるは、衣食豊足なり』
(評訳)「紅蓮(ぐれん)に似たとは、唇の色の紅(あか)いことの形容、ただ紅きのみにはあらず、紅蓮の花弁は紅くて縦に細き線條が並列している、その如くに唇に細き皺紋がある、これは衣食豊かに足るということ。近時の娘の口紅の如く紅きばかりで、紅椿の花弁の如くに唇ピンと張りきり光るのは、多淫のゴケ相で貧乏相なり」
【●唇縮神癡】(くちびるちぢみしんおろか)。『唇縮み神の癡(おろか)なるは、焉(いずく)んぞ三旬の厄を保せん』
(評訳)「唇が縮むとは口が小さく見えるほど、唇が収縮していること、おチョボ口も魚口(ぎょこう)もその内に入る。それでおまけに顔付き癡(ばか)の様であれば、焉(いずく)んぞ、どうして三十までの厄難を保つことが出来よう、多分三十までに死ぬだろう、或は死なずとも死に相当する災厄にはかゝるのである。充分の修徳反省に心掛ければ減半することもあるだらう」おチョボくちで眼がボーッとしている者は、若死にの相で発達はない。本能のままに生きるものが多く、求道とは無縁のものが多い。
【●唇不葢歯】(くちびるのはをおゝはざる)。『唇の歯を葢はざるは、事無くして嫌ひを招く』(評訳)「その形は種々あり、例へば出歯で、或は唇短かく、又は?唇(きんしん・唇が巻き上がる)にて常に歯齦(はぐき)を露わし勝ちのものなどをいう。事なくしてとは、さほどの事もないのに人の是非を語り口禍を招くこと」
【○頸白過面】(くびのしろきことめんにすぐる)。『頸の白きこと面に過ぐるは、衣食豊盈なり』
(評訳)「頸の色が面色に比較して白いのをいう、この者は衣食必らず豊盈なり、男女に係らず頸の黒いものは貧?(ひんろう)なり、明治時代の女の化粧法に、えり白粉(おしろい)というのがある、衣食豊盈の運にあやかるもので、今の若き女は顔のみ念入りにして、首すじの黒いものがあるが貧乏の卵子なり」
【苦楽観乎手足】(くらくはてあしにみる)。苦労したか、苦労するかは手足に現われている。手足の上品な者は身を楽に暮らし、そうでない者は身体を使う暮らしをする。
【●黒掩太陽】(くろありたいようをおおう)。『黒あり太陽を掩(おお)えば、盧医(ろい)も救ふ莫(な)し』
(評訳)「黒気が太陽を掩うようならば、太陽は本来は左目のことなのだが、(この場合は)左目ばかりとは限らず、左右両方でも或は右目だけでも、その上下の眼胞に黒い色が掩ふようなら、掩うとは黒雲が太陽の面を掩いかぶさる様にと、太陽の文字に対していう。盧医といふ単独の名なし、或は扁鵲(へんじゃく)の一時的仮名であるか。扁鵲は居る所によりて名をかえたという」黒い気色が両眼を覆うのは死相の一つ。昔の中国の盧医という名医でも救えない。
【●黒若湿灰】(くろきいろしっかいのごとき)。『黒きいろ湿灰の若(ごと)きは、終に寿短なるべし』(評訳)「湿灰はシメリ灰のこと、ツヤなきドス黒さの形容、これも亦(ま)た天寿の短かく迫ることを示すものである」黒く湿った色が顔全体に現われたらもうすぐ死ぬだろう、死が迫っている相。

【け】

【●刑】(けい)。傷つけ破ること。
【○形異神殊】(けいいにしてしんはことなる)。『形異にして形は殊(こと)なれば、此(こ)の輩遠く雲路に超ゆ』
(評訳)「形貌異常にして神気に殊趣あるものは、この輩は遠く雲路を超えるとは、出世上進し高き地位に昇る」形貌(けいぼう)とは骨格を主とし人相全部のこと。特別に立派な人相の人は、群を抜いて出世する。
【形局】
【形神】(けいしん)。@形貌と精神。A形と神気。『吉凶の兆を定めんには、先づ形神を看よ』(評訳)「吉凶の前兆というものは、形貌と精神等の変化に見えるものである、ソレが即ち運命性行の現象である、形と神とを見れば判定出来るという」
【●形神不蘊】(けいしんととのわず)。『形と神と薀(ととの)わざるは、貧と夭と両つながら中る』
(評訳)「形と神とが応ぜざること、蘊(うん)はツムツモル蓄ふ集纏のこと、その人形ばかり発達立派であっても神が不足であるなら、貧でもあり夭でもあり両方とも命中するとなり」蘊(うん)は薀。両はフタツ。中はアタル。神は眼神を主とする。形も神も二つとも整っていなければ尚更である。
【●形体?促】(けいたいきょくそく)。『形体の?促なるは、作(な)すこと猥 (わいさい)』(評訳)「背むしやクル病その他脊柱の屈曲等にて外見上身体コゴミ、歩行なども偏頗(へんぱ)になる様なものは、その作すことも卑しい自己満足な人迷惑のことばかり多い」縮(ちぢ)こまったような身体つきのこと。伸びやかの反対。運も伸びず、根性も良くない。
【形態比例】(けいたいひれい)。一般に顔と身体、身体と身体の関係は比例するという観相学上の法則。例えば、手首の周りの長さの二倍が首回りの長さに、成人は顔の長さの十倍が身長、足の長さは手首から肘(ひじ)を曲げた線までの長さと同じく、ヘソは身長の二分の一の位置にあり、へその位置は子宮の位置と比例するというふうに、各部は比例するということ。職業などによって特殊に発達している場合を「特殊発達」という。
【●鶏眼】(けいがん)。鶏目(けいもく)、鶏の目。
 『鶏目は高く擡頭(台頭)し気は豪なり。両眉は雙(ふたつ)ながら尾勢に偏高あり。尋常の言語も如(も)しくは争闘。一たび公門に次(いた)り去(ゆ)けば幾(ほと)んど遭うふ』
 (評訳)「鶏目といふのは、高く擡頭(たいとう)する風があり気象が中々強く豪勢である。左右両眉二つとも、それぞれに尾の方の勢いが偏して高く昂(あが)って居る。尋常茶飯事(普段)の言葉も若(も)しかすると喧嘩口論し何か争っているらしい口ぶりである。公門とは裁判所、一たび裁判所へ行ったら、二度三度入り浸りであるから、いつでも裁判所へ行きさえしたら幾(ほと)んど遭へる位だという」
 『鶏も鼠も猴も蛇も奚(いずく)んぞ憑(よ)る可けん』(評訳)「鶏眼、鼠眼(そがん)、猴眼(こうがん)、蛇眼(だがん)ともに、安心してあてにすることは成らぬ」
 『目の鶏目の如きは、性急にして容れ難し』(評訳)「鶏目又はそれに近いものは、性質急燥(きゅうそう)で小量で、人を容(い)れるの量(器)ではない。容れ難しとは本人が他を容れないということヽ、相手方の身に成っても容れ難きもので、附合いは出来ないということを言ったものである」
 『鶏目なるは相争闘することを好む』『鶏目は黄にして赤色あり、円は小にして眉は高きにあり、物を視るに頭を擡(もた)げ、人となり終には公吏(こうり)と作(な)る、必らず闘ひを好み事を忍ばず』(評訳)「(虹彩は)黄色にして赤色、眼睛黄なるに白目の所赤色多く、また全体に赤目ざすことが多い。円小は眼球が比較的に小型の方で、眉は割合高く目を離れ、その未だなるものも必らず眉尻が高くあること。物を視るに目づかいする時に、頭部全体をひねり持ち上げるクセあり。公吏は今いふ公吏のことにあらず、公事師(くじし)乃ち今のベンゴ士、人柄はベンゴ士向きであると。碁打ちなどにも適する、性質が勝負ごとを好むからである」
 「ニわトリの目に似たもの、黒睛(こくせい・虹彩)は黄金色に満ち、目裂(もくれつ・目の長さ)は短かき方、眼形には円味(まるみ)があり。眼堂(がんどう)乃ち眼窩部(がんかぶ・目の穴)は平なれども、大抵は満足ならず、殊(こと)に下眼堂(下瞼)は凹み、又は肉落のちたるものが多い。睛は正円(せいせん・真ん丸)とは限らず多少の偏頗(へんぱ)なるものあり、眼球は眼頭に少し片よる傾向があり、また眼頭には鋭き形勢があるも、眼尾の方は少しく弛むなり、これ多淫貪色の象とす。球は大体正視なれども、時には凸眼(とつがん)を兼ねるものもあり、又た却って凹目なるものもあり、転眼(てんがん・眼球の動き)は上下に多く左右に動は少なし。多淫にして闘争を好み、理由なき少しの事にも軽卒に怒り、手荒きことをなし毒舌を吐き、他に害悪又は悪感を与えながら、少時にして自分勝手にケロリと忘れ去る。この目、男にも女にも多くあれども、男の方がいく分多し、男は陽に虚勢を張り陰には恐妻病なり。女は味方の害となることを敵に語り歓を通じ、自分ひとりいヽ子に成らんとする風あり」鶏の目に例えていう。鶏目(けいもく)。眼形は見開いたように丸く、晴は黄色で白目は赤を帯び、見開き見つめるような目付きをする。眼光は鋭い。短気凶暴凶亡の相。
【兄弟宮】(けいていきゅう)。『兄弟は位を両眉に居す。羅計(らけい)に属す』両眉を兄弟宮という。兄弟親族との縁を主として見る所。羅計(らけい)とは両眉のこと。眉は五官では保寿官(ほじゅかん)。
【●形貌偏促】(けいぼうへんそく)。『形貌の偏促なるは、庸俗の徒なり』(評訳)「形貌の?促であるもの、例へば五体は満足であるが、手が短かいとか、足が小さいとか、後頭が小さいとか、諸所に缺欠不相応の所のあるものは、庸俗の徒で一生出世はできない」
【形容】(けいよう)。姿形、様子。『形容は忽ちに変ずれども、骨肉は旋(ようやく)に生ず』雰囲気や様子は忽ち変化するが、骨や肉は追々に変化するという意味。『骨肉』は骨格や肉付き。『先兆を求めんと欲せば、先づ要(かな)らず形容を観ぜよ』(評訳)「先兆(せんちょう)とは事の以前に顕われる印、その印の事実を求めるならば、先づは必らずその人の形容を観きわめるを要する」
【○形容古怪】(けいようこかい)。『形容の古怪なるは、石中に美玉の蔵あるが如(ごと)し』(評訳)「(形容古怪とは)形貌の一見醜なる如きクスブリたる趣(おもむき)あるをいう。その如きものは石中に美玉を含蔵する如く、外はみにくゝとも奥床しい人物だ」必ず眼相が良いことが条件。
【○形容俊雅】(けいようしゅんが)。『形容の俊雅なるは、終には高賢とならん』(評訳)「打ち見たる外貌のキラビヤカに奇麗なこと、月中の桂樹の一枝か崑山の片玉かのようであれば必ず将来出世上進するという、片玉とは玉片玉屑類にあらず、片玉と称する玉の名、何れも形容俊雅の比喩」
【●下相】(げそう)。人相を大別して上相(じょうそう)と下相とする。上相は陽相であり良い相のこと。下相は陰相であり良くない相。
【●結喉】(けっこう)。(解説)「喉の正面中央部に突出形のあもの、人によりてはニヶも三ヶもあるものあり。上部に寄っていたり下方あるものもあり」喉仏が飛び出していること。喉結(こうけつ)ともいう。ノド仏が高いほど身内に縁が薄くなる運命。
【●結喉露歯】(けっこうろし)。『結喉ありて露歯なるは、骨肉に分離あり』(評訳)「露歯は掀唇(唇が上がる)の結果、歯の大部を露出するもの、歯齦(しぎん・ハグキ)まで出せば尚ほさら。これは骨肉兄弟姉妹又は親子の間に離反分散がある相」結喉は喉仏が飛び出していること。その上に出っ歯であれば親兄弟など骨肉に分離がある。歯齦は歯茎のこと。
【●血不華色】(けっしょくはなやかならざる)。『血色華やかならざるは、遂ぐること少なく憂ひ多し』「顔面血色の可ならざるをいふ。この人成し遂げ成就することは少なく諸事思ふようにならず、憂患のみ却りて多き也」顔色が暗くて冴えない人のこと。
【月孛】(げっぱい)。(解説)「月孛は星名、月のごとき彗星(すいせい)の意味で、即ち大彗星のこと。顔面部位としては山根を根にして準頭(せっとう)方面に広がる趣に喩(たと)えていう」鼻筋のこと。
【○月孛光隆】(げっぱいこうりゅう)。『平生に疾むこと少なきは、皆な月孛の光隆なるに因(よ)る』
(評訳)「月孛(げっぱい)は星名、月の如き彗星の意にして即ち大彗星のこと。顔面部位としては山根(さんこん)を根にして準頭(せっとう)方面に広がりたる趣に喩えいう、鼻全体が疾厄宮(しつやくきゅう)で、その光沢ありて隆きことは、概して無病息災の意味合いである、然しそれは概念論であって、特個の事由があれば別問題」鼻筋が彗星の如くに奇麗に流れておれば、病むことが少ないという意味。小人形法では眉間から鼻全体は胸から胴体に当るので、ここが高く色も良ければ内臓が健全である証拠となる。評訳にいう特個の事由とは、その他の部位に持病などの相があれば、それはそれで判断するという意味。
【瞼】(けん)。まぶた。(解説)「瞼は目葢(まぶた・目のふた)なり眼葢ともいう、これをマブチというはゼヒなき誤りで、また一応の理がないでもない、眼目開閉の辨ともいうべくしてその区域は、殆どマブチの辺より目の上下に及び、瞬目(まばたき)の場合に目の皮の動く範囲全体で、マブチもマブタの内に含まれてあると考えても可でありそう。これを上下に分ち上瞼下瞼又は、上眼瞼下眼瞼などともいいます。瞼(まぶた)睫(まつげ)の靡爛(びらん・ただれる)したかのように、或は目の前後の殊(とく)にキタない人は、下等卑賤にしてその性も劣弱なものである。まぶたの脂肪性に富みて厚目なる人は、その精神も何れかといへば混濁の方、瞼に濁気なくキレイにして痩せてない程度のものが宜い。下瞼の広めにあり膨軟に見ゆる(下瞼が豊か)のは、思想表現の力多く自然に雄弁にもなる。袋目(ふくろめ)、別名梟目(ふくろうめ)は、皺が出来色がつく様ならば腎臓病、その程度によりて急性と慢性とを判じ分ける」
【臉】(けん)。(解説)「臉は顴(けん・頬骨)の正面、眼下一寸三分の所」「臉は顴の正面、目下約一寸三分の間、目ヘンと肉月ヘンとの差だけで字形が(瞼と)大体相似て居るところから、瞼臉は往々混同され誤られるのであるが、注意すればその前後の文意等で別ものなることはスグに判る」顴は顴骨(けんこつ)で頬骨のこと。
【●臉上清光級級】(けんじょうせいこうきゅうきゅう)。『臉上の清光の級々なるは、貪婪(たんらん)すれども弧にして貧』
(評訳)「臉は顴(けん・頬骨)の正面、眼下一寸三分の所、清光は青光、青色の気ありて光る、或は多少黄味を交える、青味ある気色のこと、寧ろ青白き現われあること多し。級々とは横に棚引き重なるかのように観える。それがあるものは、可なり欲張り克明に吝(やぶ)さかに金溜め主義ではあるが、却って弧貧は免れない」清光は青い色。貪婪は欲張り。弧貧は孤独で貧乏。
【○臉有権】(けんにけんあり)。『権あり柄あるは、皆な両臉の権あるに因る』「権柄(けんぺい)ありに同じ、それは両臉(けん)の肉付きがタップリと左右均斉に、平衡(へいこう)であるからだ。顴(けん)の左右不平衡なるものは権力に偏頗(へんぱ)あり。顴は権なり」権柄は権力、臉は顴(顴骨・頬骨)の正面。権力があるのは左右の顴骨が盛り上がって力があるからだ。
【顴】(けん・かん)。顴は顴骨(けんこつ、かんこつ)で頬骨のこと。
【限運】(げんうん)。運限と同じ。運を限る、区切る。又、流年のことをも言う。『若し限運を論ぜば、俗と一同なりとす』(評訳)「若(も)し限運を論ずるならば、道僧でも俗と同一である。限運は運限というも同じ、面と体に於ける初中晩の運の限度の年頃を考えること」神官僧侶修験者などの修道者も、流年は同じだということ。
【●犬眼】(けんがん)。犬目(けんもく)、犬睛(けんせい)、犬の目。
 『犬目は睛黄にして三角あり(目尻は)低く垂れる。側頭斜視して性は機なるが如(ごと)し。人の小過を見ては方便なし。ただ説くこと端(はし)なく是非を論ず』
(評訳)「犬目は睛が黄色で三角があり、また目尻が多くは低く垂れている。側頭斜視は犬のクセ也、犬目の人は坐(座)って対話中首を斜めにし、目を伏せて語る、その性は如(も)しくは機なるがごとくで、機敏までではないがヅルサが加はり、対話中寸分の隙なく打算的で用心深い。人の小過(少しの過ち)を見つけ出し、方便とは具合よくすること、その様なことはなくて、ドシドシ素破(すっぱ)抜く。ただ説くこと端なくは、愚にもつかぬムダ口でも止めどなくだらしなく、犬が吠えるやうに無意味に語りまくる。端緒(たんちょ)なく何のキッカケも理由もなく、思ったまかせに他人の是非を講説する」
 『犬羊鵝鴨は何をか数ふるに足らん』(評訳)「犬眼、羊眼、鵝眼、鴨眼は問題にするには及ばぬ低級サである」『犬目なるは是なること少なく非なること多し』(評訳)「ハイ左様ですと同意し賛成することは少なく、非として反対すること多し、又た是非は善悪の意で、善いことは少ない悪い所の方が多いの意でもある」「眼睛帯黄色にして形勢は鋭し、時に淡き紺青色のものもあり。眼睫(瞼のフチ)清廉ならず。上瞼眼頭に寄った方に三角があること多し、時には却(かえ)って眼尾に近き方に三角あることもあり。眼波(がんぱ・眼の上下の波紋)は短いもの多く、球は正視なれどもランランと光るが多し、地を向き首を伏せて行く人物は悪性なり、陰険にして他に噛みつく傾向あり」犬の目と犬から受ける印象と同じ。「犬は頭は前を向き尾は反対に向くから、戌年生れの者は人がああ言えばこう言い、こう言えばああ言い、必ず逆らう」と街頭の先輩の啖呵にもあったことを思い出す。
【顴骨】(けんこつ・かんこつ)。顴、頬骨。
【○顴聳印平】(けんそびえいんのたいら)。『顴聳え印の平なるは、天師の爵あり』(評訳)「顴骨の肉が聳えて印堂の平明なものは、天師の爵位に上るだらう、天師とは道教で最高の位」権聳えるとは、顴骨が肉付きよく高いこと。
【弦根】(げんこん)。耳弦(じげん)の根元。耳弦は耳の穴の前の突起。
【●懸針紋】(けんしんもん)。眉間の中央から額にかけて登る勢いのある針のような紋。眉間は印堂とも命宮ともいう。眼光がきつければ烈しい気性で、トラブルが多く、夫婦別居離別の相。眼相が良ければ精神力が強く相当の出世は見込める。昔は剣難があり相手を痛め傷つけ、身内に縁が薄い相といわれた。夫婦が別に仕事を持って順調な人にも懸針紋があるが、夫婦が一緒であると不和になることが多い。何れも左右に分けるような紋は陰と陽を分けると判断する。
【限数】(げんすう)。(評訳)「限数とは流年その他、顔面に於ける分限の数」『当に知るべし、限数の参じ難きを』
(評訳)「(限数は)凡て頗る参考し難く断定の資料としては難為(むつかしい)ものだということを知るべきだとなり」人相術において流年の判断は難しいものだという意味。
【●剣鼻】(けんび)。『蜂睛と剣鼻とは、特(ただ)に慳なるのみならず、而かも也(ま)た婪(いや)し』
(評訳)「剣鼻とは凖頭が尖り、鼻梁は剣の背のごとく痩せて角立ちている」凖頭(せっとう)は鼻の頭、鼻凖(びせつ)のこと。鼻筋が刀の峰のように痩せている鼻。ケチで欲張りの相。蜂睛は蜂眼(ほうがん)とも蜂目(ほうもく)ともいい、同じくケチで賎しい。
【●限歩崎嶇】(げんぶにきくある)。『限歩に崎嶇あるは、亦(ま)た蹇利多し』
(評訳)「体や顔の部位の限歩に崎嶇(廻りくどい道すじ)がある、顔面にデコボコ醜悪がある様なら、一代の運命にも色々宜(よ)かったり悪かったりが多くあるだらう」限歩は区切り部位部位、流年のことも含む。
【●顴露声雄】(けんろにしてこえゆう)。『顴露にして声の雄なるは、縦え七夫に之くとも了らず』
(評訳)「(顴露とは)顴骨が外方にとび出したる如くに尖ること。(声雄とは)女の声が堂々と太く濁気があって男声に類するもの。この女は夫を七度持ち替えてもまだそれで落ち着かぬ、また同時に前後して多数の男に関係する、その方の多淫なるをいう」
【●言語多泛】(げんごたはん)。『言語の多泛なるは、人と為り心事明らめ難し』
(評訳)「多泛とはデタラメの言語が多いこと、その人柄は正心誠意がドコにあるのか極めて疑わしい」多泛とは、話す時にツバキを飛ばしたり、口角にツバキを溜めることを言う意味もあると思われる。心事明らめ難しとは、腹の底が分からない曲者であるとの意味。
【懸璧】(けんぺき)。(解説)「懸璧とは面の側面の垂直を期する意味より来る語、懸壁と誤り伝えしこともあり、これは立壁の語よりの訛変なるべし。部位として耳下また命門(めいもん)より下方一帯の部位、但し百三十部位の名称としては其の中の極少一指頭大の地域」耳朶の下、アギトの辺り。耳朶に玉(耳飾のギョク)を懸(か)けてそれが触れる部位。
【○懸璧色明】(けんぺきのいろあきらか)。『懸璧の色明らかならば、家宅に憂いなくして喜慶多し』懸璧の色が明るいのは、家庭に憂いがなく喜びごとが多い相。
【●懸璧暗昏】(けんぺきあんこん)。『懸璧の暗昏なるは、人亡び家敗れる』
(評訳)「懸璧は耳朶に玉(璧、ぎょく)を懸(か)け飾るにて、其の璧の触れる部位の範囲をいう、すなわち耳下側の頬の辺一寸三分位、大抵垂下の貌(かたち)あるも顔面の形によりては必らずしも然らず、百三十部位にては一指頭大の区域に偏局す、やゝ場所違いの観もあり。此の部位が昏暗なれば失職し破財あるなり」多くの本には懸壁とあるが璧の字が正しい。暗昏は暗い色のこと。人亡び家敗るとは病気なども含む。

【こ】

【厚】(こう)。『濁(だく・相に濁りがある)なる者で神有り。之を厚という。厚なる者多くは富む』顔色目声雰囲気などが濁っていても、体神面神眼神に力があればそれを厚(こう)といって、財産がある人物とする。
【鈎】(こう)。(解説)「内眥(ないし)の尖り具合が鳶(とび)の嘴(くちばし)のやうに勾(まが)ってるのを、鈎といいます。文化の進んでる階級に多い傾向がある、インテリの目です、笹目(ささめ)などとは正に反対」鈎は目頭が尖り下がっているのをいう。笹目は笹の葉のように目頭が丸い目のことで、正に鈎とは反対の形。
【溝洫】(こういき)。人中の別名。鼻の下の縦溝。漢語林には溝洫(こうきょく)=田畑の用水の通る道とある。人相では鼻を山、溝洫を川、口を海とする。
【●溝洫露髭】(こういきろし)。『溝洫露髭は、人の為めに力(つと)むること少なし』
(評訳)「溝洫とは人中の別名、中国伝説時代禹王(うおう)以後人工の掘割川のこと。人中の形に当てはめていう。露髭とは人中の中間に髭毛なく肉地の白く見えるものをいう。人中に髭なきものは、人のために力めること少なしとは、一面には人となり力少なしといふ意味もあり、即ち微力不才にして生活力少なく一生微禄なるもの。人のために努むること少なき無誠意不性もの故、天命自然に其の人の生活力を奪ひ微禄の結果を来すなり。少年にして発憤し反省修養すれば、其の劫を出得し其の禍を半減するなり」
【●項下結喉】(こうかにけっこうある)。『項下に結喉あるは、恐らくは児なくして客死せん』
(評訳)「(結喉は)喉の正面中央部にある突出形、人によりては二ケも三ケもあるものあり、或は上部により又は下方にあるもあり。結喉が項の直下乃ち喉の上辺にある人は恐らくは児なく他郷に流浪してミジメな客死を遂げるであろう。項(こう・首)の中辺にあるものは貧乏はするが、子は相当にある」結喉は喉仏が目立って高いこと。項は頸(くび)。
【郊外】(こうがい)。部位名。額の両脇の下部。中正の横通り。
【○猴眼】(こうがん)。猴目(こうもく)、猴睛(こうせい)。
 『黒睛(こくせい・光彩)は昂く(たか)く上り波紋直たり。転動する機関は亦(また)有(ま)た宜し。この相若(も)し全真のごとくば富貴。好く菓品を食し座しては頭低く垂れる』
 (解説)「黒目は下三白(しもさんぱく)にならぬ程度で上付きに昂(あが)る。直はシゲル齊(ひと)しくして多いこと、眼波(がんぱ・目の上下の紋)及び眼波に準ずる小ジワが多い。身体の各部機関ともよく転動し、性器などもまた宜しいものがある。この相でもし全くピタリと猴眼相応ならば、富貴であろうと、然し大統賦(だいとうふ・相書の名)五十二には〔鶏鼠猴蛇は奚(いずく)んぞ憑(よ)るべけん〕とあって、問題にならぬように曰(い)っている、或はそれが金もち富貴であっても決して頼りには成らないという意味か。その人はサルがよく木の実を喰うように、好んで菓子類を食するし、座るときは頭を低く垂れる様子がある、乃ち座った形は背が円く首が下向く風なことが多い」
「猴(こう)は大ザル、猿(えん)は小ザル、コレは大体の分類なり。本動物としてもその行動性状に相違点が多い、人間の目にも猿猴それぞれ異なり。目の上下に小ジワが著しくあり、上下瞼胞ともに帯紅色(紅色を帯びる)なり。黒目は稍々上に転じてアガルものもあるが時には正視なるものもあり。球の位置は側面的には正直(せいちょく)なり、コレは猿目とは異なる所。眼の概形はアザヤカならず、瞼(まぶた)睫(まつげ)が不潔の観あるも、眼裂(がんれつ・眼長さ)は長からざれども広き方。
【●鴿眼】(こうがん)。鴿目(こうもく、はとの目)。
『鴿眼は睛黄にして小垤円なり。揺頭擺膝座しては還偏す。男女に拘らず多くは淫乱。少実多虚なるに心は湛然』
(評訳)「鴿眼は黒目が黄色で、小さいアリクイ虫の巣の如(ごと)く凸(とつ)出形で円く、その中の瞳も小型の方。垤(てつ)字は日本の字引には、蟻の作った巣、俗にいふアリのトウのことに曰うものあれども非なり。コレは蟻食い虫の巣なり、地上に円く凸出し小丘形をなし中央に小孔あること眼球の概形に似たり、遊歩中の一蟻が誤って穴中に落ちれば、その穴中の陰所に待つアリクイ蟲が忽然と現われて食餌(しょくじ)とす。その如き鴿眼で、揺頭(ようとう)は首をふるはすクセ、擺膝(はいしつ)はヒザを開くガニマタ形、坐(座)っては還(ま)た偏る。還たは却ってに同じ、其の様相があれば・・・というわけ、鴿眼のものは大抵この形がつきものだが。男と女を問はず、多くは淫乱性である。少実多虚とは真実性少なくウソツキなことが多く、また虚栄心が極めて多く、女は男を働かせて湯水の如く金を使い時には有夫姦をもなし一家を乱し、男は浪費性が絶えず破産散財をする。心湛然は行動にはウソ多きも自ら耻(はぢ)とせず、心中には平チャラ平素アッサリしたものである」
『鴿目は狂淫心乱なり』(評訳)「狂淫心乱は狂心淫乱と書くも同じ、淫に狂い乱心する」
『鴿目は小垤円なり、睛は黄にして金色あり、乱視にして頭足(とうそう)定まらず、男女に拘らず多くは好淫にして乱心、人となり不良なり』(評訳)「乱視にしては目に乱視があるわけではない、チラチラと瞻視(せんし)即ちめづかひが定まらないこと。頭足不定とは頭脳もグラついき足元もフラつくこと」
「鴿はイヘバト、鳩に比しては全形小型な鳥、その目も小にしてツブラかに、少しく光り清(すずし)げに鋭く可愛(かわいら)し、眼球は少しく凸出せる貌(かたち)あり」
【○広額秀眉】(こうがくしゅうび)。『広額にして秀眉なるは、文章ある道士なり』
(評訳)「額の広くて眉が秀でているものは、文章に発達しそのため出世する道士であろう」文章とは文才学問とともに人徳あることもいう。道士でなくても、文章力と知恵があって早く出世する相。
【紅気】(ほうき)。ほんのりした薄い桜色の潤いがある気色。
【黄気】(こうき)。明るく冴えた美しい気色。
【●黄気軽滞気重】(こうきかるくたいきおもし)。『黄気は軽く滞気の重きは、功名来れども、又た来らず』
(評訳)「黄気には光を伴うことはいわずもがなとす、黄色にして光りなきは鈍色にして滞気の内に入る」「滞気は紅黄の光りのないもの、皮膚のザラツキ渋滞なるもの、青き色の沈滞なるもの、その他鈍重の気分や凹陥等色いろあり概して滞気という」「滞気の多いものは、功名のある場合に臨んでも功名にありつけない、一回ぐらいは吉運が来るだろうが、長つゝきせず二度とは来らない、また功名が来そうで来ないという意味にもなる」
【○黄気発從高広】(こうきはっすることこうこうよりす)。『高気発すること高広よりす、旬日のうち必ず転官あるべし』
(評訳)「高広は百三十部位としては髪際(ばっさい・額の生え際)の中央と額の隅との中間にある指頭大(指の腹を当てた位の範囲)の区域、隣りに天陽(てんよう・部位の名)あり。八学堂(はちがくどう)の区分としては額上部に帯状をなす稍や広き区域、主文の意味は何れもその辺のこと。額部に黄気色の発するものは近日中に必ず栄進出世する、転官は役目変わりと同時に上進する意味」生え際から眉間や眉頭や眉に向かって、指先で引いたような黄気(明るい潤いのある気色。血色でも同じ)が下がると、必ず立場が良くなると判断して間違いない。生え際は霊道(れいどう)ともいい、神仏祖霊の応援や咎めの現われる所。明るい色は応援、暗い色は咎め。生え際から福堂(ふくどう)に明るい色が盛り上がって入れば、思わざる大金が入る前兆。宝くじも、競輪競馬などによる大金収入もここに現われる。眉頭の上側を内福堂、眉尻の上側を外福堂という。
【●喉結脚長】(こうけつありあしながき)。『喉結ありて脚長きは、終に外処に臨む』
(評訳)「(喉結は)結喉の反読にして事実は同じ、それに脚の長いものは故郷を離れて他方に死ぬという、臨は死に臨(のぞ)むなり。(結喉は)喉の正面中央部に突出形ある也、人によりては二ヶも三ヶもあるものあり、或は上部により又は下方にあるもあり」喉仏の突出したものを結喉と云う。
【○黄光】(こうこう)。明るく冴えた色。紅光に通じる。
【○紅光】(こうこう)。明るく冴えて艶がある色。美色。「紅光の光は黄に通じ考うるを要す」紅光は黄光に通じる。
【○紅光満面】(こうこうまんめん)。『紅光満面なるは、家自ずから安康』(評訳)「発財安康の福相なり」顔全体が明るく冴えた色であると家が栄える福相。一見顔全体が明るくて行き詰まりの人が多いので、皮膚の下の色を良く確かめること。見ていて段々と寂しく見えれば凶相。
【○光潤】(こうじゅん)。黄潤。潤いがあって明るく光る色。美しい色。
【△紅色】(こうしょく)。桜色。濃ければ赤色の部類に入るから注意を要す。
【●猴食鼠?】(こうしょくそそん)。『猴食と鼠?とは、鄙吝にして奸謀底に到らむ』
(評訳)「《猴食》は美食悪食に好悪の感が遅鈍にして、時には少々変敗しかゝったものでも食う、一口食っては他を顧視する風(辺りをチラリラ見る)あり、《鼠?》は少しづゝ度々に食して妄りに食いひ零(こぼ)し、また食しても足らずとする食いしん坊の傾向あり。到底(ていにいたる)は徹底的の意、底抜けのワルでシミッタレだということ」猴はサルで猿のような食べ方を猴食と云い、ネズミのような食べ方を鼠?という。
【●口唇皮皺】(こうしんひしゅう)。『口唇に皮皺あるは、人と為り一世の弧単なり』
(評訳)「口唇というのは唇のことにあらず、皮皺は口唇外に縦に数本の襞目(ひだめ・シワ)を生ずるのをいう。これは時に明滅の不定(変化する)なることあり、定着のものもあり、その定着するものは一世の孤独は確定的」唇の上下から唇の向かって幾本も皺があるのは、親兄弟、夫婦子供に縁が薄い孤独の相。目が寂しそうであれば確定的。
【●声乾無韻】(こえかわきていんなし)。『声の乾きて韻のなきは、何ぞ栄華を得ん』(評訳)「声に潤いがなく上ずって聞え、ガサガサガラガラとして余韻がない声。これは栄華満足の生活を得ぬ人なり」苦労の人、女は後家相。
【●声刹面横】(こえせつめんおう)。『声刹にして面の横なるは、閨房に独り宿す』
(評訳)「刹は殺と同じ、声を低小にし響きに濁りがある。又たシワガレたる如き声」押し殺したような声のこと。「(面横は)面肉が横に引っぱられたようで。面が何となく平べったく、また寸づまりに見ゆえるものなり。寡婦又はそれに近き一生を送る」『面肉横生』の項を参照。閨房は寝室。独宿は独りで寝ること。一生独身で過ごす者が多い。
【●声粗骨粗】(こえそこつそ)。『声は粗にして骨の粗なるは、竟(つい)に孀婦(そうふ)となるなり』
(評訳)「声も骨ガラ(体つき)も粗雑なものは、性(性分)は冷酷にして他と和せず、寂しき暮しをする寡女(寡婦・後家、独り者)なりとす。孀婦は霜ふる女、同じゴケの内にも冷情惨酷(ざんこく)なる故に人を毒する。五八霜はまむしの毒、砒霜(ひそう)は砒素の毒、霜の字は毒の意味にして孀は毒ある女なり」
【○声大有神】(こえだいにしてしんあり)。『若(も)し夫(そ)れ孩童の養ひ易きは、声大にして神あり』
(評訳)「孩童(がいどう)とは漸(ようや)く笑うばかりに成った子どものこと、その育てよいものは声が大きくて其の声の内にも顔貌の内にも神気がある」大した心配もなくスクスク育つ赤子は、泣き声笑い声が大きくて眼光がしっかりして、おり顔付きにも力がある。それは養いやすい子である。
【○声自丹田縦出】(こえのたんでんよりしょうしゅつする)。『声の丹田より縦出するは、福ありて也(ま)た遐齢を享く』
(評訳)「(丹田は)臍下一寸至二寸の所にあり、皮面にあらず、さりとて腹内のドコにもあらず、強いて言はば下焦の一部なり」声が腹からユッタリと出るのは、福運があるだけではなく長生きの相でもある。臍下丹田(せいかたんでん)に意識を集中するとか重心を置くとか、修道者も武道家も丹田を重視する。一般にいう「腹から声を出せ」とか「下腹に力を入れろ」などもその一つ。
【○声響気清】(こえひびきききよき)。『声響き気清きは、端(まさ)に頴異(えいい)たり』
(評訳)「発声に響きありて気色の清らかなる子は、秀でサトキこと異状なりとの意味」頴異は才知が非常、異状に優れていること。子供を見るときには、骨格がシッカリしているか、固太りであるか、肥えや顔付きや眼光に力があるかなど、先ずは神気の強弱を確かめてから顔の形や目鼻立ちなどを判断することが大切である。神気は精神力、生命力、運命力のこと。
【○声響神清】(こえひびきしんきよき)。『声響き神の清きは、必らず夫を益して食を得る』
(評訳)「声音に響きがあり、神は眼神の清いこともそうだが、面神も生き生と見えるほどのものは、必らず夫を益して食禄を得せしめる良婦である」女子は声が明るく響くこと、顔付き目つき雰囲が明るく清いことが良い条件。必ず夫を助け夫を出世さす良妻である。反対に声が乾いて顔つき目つき雰囲気が寂しく、或は濁り、或は嶮しいなどであれば夫に逆らい夫の運を妨げる悪妻である。
【●声雄気濁】(こえはゆうにきのにごれる)。『声は雄に気の濁れるは、終に厚福なし』
(評訳)「声柄が野太く男のようで、顔の気色(色と雰囲気)に濁気が多いものは、終にはタップリした完全な福徳といふうのはない」女で大きい声、勇ましい声の者は男面(だんめん)であるから、気性も生き方も男並みだ。それに顔色や顔付きが濁っておれば到底幸福は訪れないだろう。但し、男並みの人生で汚れるのも平気で働けばそれなりの収入はあり暮らしも立つ。但し男運は良くない、後家相の一つ。
【五岳】(ごがく)。『五岳は以って根基たり』(評訳)「五岳は人相の根基である、根本である。
『左顴(さけん・左の頬骨)を東岳と為す。ともに中正を要す。粗露傾?すべからず。額を南岳となす。方正を喜ぶ。?竹(べつちく・凹凸)低?(ていとう・額が狭苦しい)に宜しからず。右顴を西岳(せいがく)となす。左顴と相同じ。地閣(ちかく・下顎)を北岳(ほくがく)となす。方円隆満あるを喜ぶ。尖削歪傾(せんさくわいしゃ)すべからず。土星(どせい・鼻)を中岳と為す。方正にして上は印堂に聳ゆるに宜し。捲竅兜上(けんきょうとうじょう・鼻孔が見える)に宜しからず。これ「五岳の成る」なり。五岳倶に朝すれば貴くして朝班を圧す。亦(ま)た且つ銭財自ら旺ず』鼻を中岳、嵩山(すうざん)。額を南岳、衡山(こうざん)。頤を北岳、恒山(こうざん)。左の顴骨(けんこつ・頬骨)を東岳。右の顴骨を西岳という。女子は左右が逆で、右顴が東岳、左顴が西岳となる。鼻額頤左顴右顴を中国の五山に譬えて五岳という。
【○五岳朝帰】(ごがくちょうき)。『五岳の朝帰せるは、今世の銭財自ずから旺ず』『銭財の旺ずる相はここに知られる』『五岳は以って根基たり』
(評訳)「五岳を根本の基点とはなし、骨法を考える人々の禍福を定める」五岳が頑丈で肉付きも良く立派(朝帰)であれば財運が旺盛だとの意味。『旺』は積極的で個性が強い意味合いがある。積極的に財を築く意味。先ずは五岳の状態が大切、重要との意味。鼻額左右の顴骨顎が頑丈で肉付きも良ければ、正面と側面の境がハッキリして、立体的な顔、男面になる。個性が強く積極的人生であり当然財運も旺盛。顔の陰陽(側面と正面)のハッキリしないツルリとした顔は女面(じょめん)であり、大した出世はできない。但し、顔付き、眼光に力があるうちは相応の運がある。
【○五岳倶正】(ごがくともにただしき)。『五岳の倶に正しきは、人可(よろ)しく延年なるべし』
(評訳)五岳は鼻額両頬骨顎をいう。それが頑丈で整っているのを五岳倶に正しきという。延年は長命長生延寿に同じ。人柄も宜しく長生きをするだろう」但し、眼光に険があると「人柄よろしく」とはいかないだろう。人柄はを見るときには必ず目を見ること。「有毒か無毒か目を見よ」「交わりを選ぶは眼にあり」「目は心の窓」という。
【五官】(ごかん)。『一に曰く、耳を採聴官(さいちょうかん)と為す。二に曰く、眉を保寿官(ほじゅかん)となす。三に曰く、眼を監察官(かんさつかん)となす。四に曰く、鼻を審弁官(しんべんかん)となす。五に曰く、口を出納官(すいとうかん)となす』『一官成れば十年の貴顕。成らざる者は必ず十年の困苦貧窮を主どる』『一官成る者は、十年の貴を享く可(べ)き。五官倶に成るを得ば、其の貴は老いてより終らむ(貴きことが死ぬまで存続する)』
序ながら、顔を見る順序としては、顔付き(面神)の強弱、顔形(五行、三質)、三停の長短、五岳の成る成らざる、次に五官の成る成らざるを見る。顔面(顔付き、顔形、三停、五岳)を舞台に譬えると、五官は重要な役者に相当する。重要な役者の中でも目が主役であるから、目によって人柄も運命も決まるといって差し支えない。
【●蛄眼】(こがん)。(解説)「オケラの眼に喩へていう、小型にして目裂(もくれつ・目の長さ)短い方、凸眼(とつがん・出目)にしてツブラかに一見小利口にずるそうなり。睫毛(まつげ)は上反りにしてやや長い方、上瞼の辺長くて下瞼が短かいのが目につく、この目は中流ドコロにて小器用に世渡りする階級の人に時々あり、性分は淫昏にして悪巧みが多い」
【△虎眼】(こがん)。虎睛(こせい)、虎目(こもく、とらめ)。
 『眼は大にして睛は淡き黄金の色。瞳は或は短かく時ありてはまた長し。性は剛にして沈毅、而かも患いなし。富貴は終年なれども子には傷あり』
 (評訳)「眼は大型であり睛(せい・虹彩)は黄色で宛(さなが)ら黄金の色のやう。瞳はある時は太く短く、また時には細長いこともある、あたかも猫の(目の)ようでもある。虎は正午にはヒトミが針の如く細長、朝夕は太く短かくなる。その人の目も此(かく)の如しというもいかがはしい、人のヒトミは円形にして極く最小の多角あり、その大小は光線の強弱によりて写真機のシボリの如く縮小し、また開展す、決して虎の眼の如く竪には開閉せぬもの也。性は剛であり頗(すこぶ)る落ち着いて沈毅(ちんき)で、何事に当たっても心配したり患うようなことはない。その人の富貴は終年一代つづくであろう、なれども子については、弱い子が出来たり、不良が出来たり、子については兎かく傷心の事が多いだろうと」
 『虎目は多く威勢あり、また神あり。分明にして光彩あり気は超群。尋常の作(な)すことにも能(よ)く決断す。韜略(とうりゃく)あり英華なること四海の聞』
 (評訳)「虎目なるものの多くは威勢あり、また神(しん)の強きものあり。黒白(こくびゃく・黒目白目)分明にして光彩の美にして強きものあり。気(体神、面神、眼神)は万人の内にもないほど群を超える。尋常普通の特に大事でもないことにもハッキリと決断をする風がある。韜略は兵法七書の巻の名、計画謀略の代名詞、計画性がありハナバナしい評判が四海(天下)に鳴り響く、四海(しかい)は東西東北の海で世界中の意味」
 『虎目は威勇あり測(はか)る莫(な)し』『虎目なるは大にして黒白分明、光彩(眼光)あり人を射る。人をして畏る可(べか)らしむ。動作は豪傑、終には将帥(しょうすい)頭目(とうもく)となる、貴人也』『眼の虎睛に似たるは、性厳たり犯す莫(なか)れ』
 (評訳)「眼形は円に近く、猫眼(びょうがん・ねこめ)に近く、その少し厳(きび)しく恐ろしげな趣ある眼。刮目(かつもく・カッと目を開く)するに眼睫(瞼の縁)沿線キレイにしてクセなく四辺に張りあり。球は正視(正しく見る)で眼裂(がんれつ・目の中)一パイにある、光り猛(たけ・つよ)く、睫毛は短くして太し、魚尾の紋少なく又た短かし」
 戦国時代は別として、現代において虎眼のように虹彩が黄金色で見開いたような目で、眼光が特別に強く人を射る目であれば、気性が烈しく暴虐の相ではなかろうか。その人の体格度量と、当時の地位を確認して判断することを忘れではならないだろう。虎眼については神異賦(しんいふ)にある『性厳たり犯すなかれ』気性が厳格で厳しいから、立ち入るべきではない」という一言に尽きよう。
【五行】(ごぎょう)。中国の五行思想。。木(もく)、火(か)、土(ど)、金(きん)、水(すい)の五つの巡り、働きのこと。
【五行交加】(ごぎょうこうか)『五行の交加するは、各品あり小畜す』
(評訳)「人身は大抵この五行を主にするものであるが、単純なものは少ない、その主成分の最も多いものを以て五行形を定める。然し中にはその主品を定め難いものもある、その五行の交加して入り雑るものは、その各品(五行の特徴)が少しづつ畜へられるものである。この小畜の文字には易の小畜の意義が若干含まれてある」人相には五行というものがあるが、純粋な五行の形の者は少ない。その人に五行の相の特徴が混ざれば、それだけ運命もそれぞれの五行の特徴が混ざる。五行の相生相尅の吉凶もそこに現われてくる。五行の型にピタッと当てはまるのを「格に入る」といい、福と地位を得る大吉相となる。
【●尅・剋】(こく)。木(もく)、火(か)、土(ど)、金(きん)、水(すい)。その巡りと働きを五行と言う。人相では木形、火形、土形、金形、水形を言う。木尅土、火尅金、土尅水、水尅火、金尅木をいう。尅とは言っても、尅される側が強大である場合、又は尅す方が弱小であれば逆に尅される「逆尅」となる場合もあれば、木は金に少し尅されて材となるように良い働きとなる場合もある。
【○鵠眼】(こくがん)。
 『上層波は長くして奸門に到る。黒白分明にして瞳は秀清。正視して偏するなきは人愛すべし。高明広大は貴にして栄あり』
 (評訳)「上層波(じょうそうは)は眼の上の眼波(がんぱ)が長大で奸門(かんもん・目尻の奥)にまで至るという。鵝眼(ががん)の場合は眼波が天倉(てんそう・目尻奥の上方)にまで達しようというので、これが主たる特色であり相異点でもある。黒白(こくびゃく)は分明であり、瞳子(どうし)は秀でて清々しい。眼(眼球)は正しく中央にあり視ることも偏るようなことはない、人となりその風格はまことに愛すべきものがある。高明(高明学堂)も広大(広大学堂)も共に額の学堂名、学堂(がくどう)は額堂、額の広く明るきことをいう、この眼であり且つ額部が高明広大であるなら、大貴であり栄誉があるだらう」
 「鵠眼(こくがん)はまたコウガン鵠目(こくもく)などともいう、眼形は細長にしてやさしく美しき方にて長大なる趣見ゆ。下瞼にはタルミありて、上波は長く奸門を過ぐ、同じく白鳥属なるも鵝眼(ががん)は上波天倉に及ぶ、これが鵠眼(こくがん)と鵝眼(ががん)の相違する特徴の第一にして、その他比較すれば大体同じなれども小異の所が若干ある。球は比較的に小さくまた小さくも見える、中央にありてチラチラと正しく前方を見る如し」
【黒色】こくしょく。黒い色、黒い気色。
【●黒痣涙堂】(こくしのるいどうにある)。『黒痣の涙堂にあるは、子息恐らくは尅あらんと云ふ』
(評訳)「黒痣は黒いアザのこと、黒いシミの如く色づくのもいう、痣は?に志なり、志はシルス也、印也、一点也、黒子もこれに準ずる、黒子のみには限らず、涙堂の黒くなるかアザかホクロかが出来ておる、又は新たに出来たようなのは恐らくは大事な世継ぎの子が死ぬこともあろう、これは父母何れにあってもこの事実あり」俗に泣きボクロと言われるもの。涙堂には子供のことが現われるから、ここにホクロ傷シミなどの障りがあれば子供のことで苦労する相。子供についての判断は、顔つきと目の下(蚕臥涙堂)と人中(鼻の下の縦溝)を主として見る。
【●黒色華葢】(こくしょくあるかがい)。『黒色ある華葢は、必ず卒災(そっさい)あるを主どる』
(評訳)「華葢(かがい)は眉肩(びけん)、百三十部位にては眉肩の外にあり少しく相違す。福堂はその隣りの部位で何れも一指頭大の範囲。卒災は卒然と俄かに来る災」眉肩は眉尻の毛の下がる所、マユカタ。卒災は急病も含む。眉肩に黒い色が現われたら、近い内に思いもよらない災がある。
【●黒色横自三陽】(こくしょくさんようによこたわる)。『黒色横たはること三陽よりす、半年須らく損寿を防ぐべし』黒い色が両目を遮るように横に棚引いたなら、半年くらいの命だからそれを防ぐべしとの意味。死相の一
つ。病死もあれば事故死もある。男は左目とその周りが三陽、右が三陰。女は反対で右が三陽、左が三陰。ここで
は三陽とだけ言っているが、三陰も含んで言う
【●黒豆班】(こくづはん)。黒豆のような大きな黒子。盛り上がったものも平らなものも含む。顔に一つあっても結婚が一度では治まらない相。
【●穀道乱毛】(こくどうにらんもう)。『穀道に乱毛あるは、号して淫秒と作す』
(評訳)「穀は谷、落ち込み凹みたる意、肛門より会陰(えいん)を中心に其の前後の一道を穀道又は谷道という。淫は水のヒタリ行くさま、秒は稲麦等の禾本(のぎもと)類の穂の乃木、毛が太いことの形容、また水の滴り行く形、以てその人の性欲の深淫さの程度をいう」淫乱であると。
【○黒白分明】(こくびゃくぶんめい)。黒目(虹彩)はあくまで黒く、白目は白く、黒と白の境がボヤケずにハッキリしていること。眼の上相。
【●後家相】(ごけそう)。夫と死別する相。広くは結婚に破れる相も、嫁に行かずに一生独身で通す女も後家相の一つ。男面(だんめん)の女、寂しい孤独の相の女が多い。
【○腰円背厚】(こしまるくせあつき)。『腰円く背厚きは、方(まさ)に玉帯朝衣を保つ』
(評訳)「玉帯(ぎょくたい)の玉字は美称にて玉製の帯といふ故にはあらず、唐宋時代の富貴帯の美称としての一名、また玉帯の文字だけにて大礼服といふ義となる。朝衣(ちょうえ)とは入朝出仕者の通常礼服又は職階による制服等、玉帯朝衣を保つとは立身出世ということ」幾分ずん胴となるが、腰と背の肉付きの良い人は高い地位に登るという意味。
【五星】(ごせい)。(解説)「耳は金星であり木星でもある。これは普通には左右にふり分けていうのであるが、その左右各々が太白星(たいはくせい)であり、歳星(さいせい)である特徴を持つものと見てよい」
【○五短】(ごたん)。(解説)「五短とは五短形の端正なるものをいう。五短の形は、一頭が短い、
二に面が短い、三に身が短い、四に手が短い、五に足が短いこと。五者ともに短くて骨肉細滑、印堂明闊、五嶽の朝揖する者は、乃ち公卿の相なり。この五短であっても骨肉粗悪にして五嶽の傾陥せるは則ち下賎の人たり。以上は麻衣流の全身の五短をいふ、即ち小男に往々大金持ちある所以を述べたるもの」以上の五ヶ所が形よく短く、ズングリした相の人は富貴の相。形が整っていなければ下賎の人。『四方五短』を参照。
【●骨粗形俗】(こつそにしてかたちはぞく)。『骨粗にして形は俗なれば、其の人老いて山林に困す』「骨格粗にして形貌に俗気あるものは、人の中へも出られず空しく山林の間に下らなく老い朽ちなんとなり」
【●骨軟手硬】(こつなんにしててのかたき)。『骨軟にして手の硬きは、必ず是れ庸常』「骨法に軟か味ありて一見弱々しくやさしくあるに、手や掌や却りてガサガサして堅硬に見ゆるは、凡庸の人にして出世し難き也」
【○骨従脳後横生】(こつありのうごにしたがっておうせいする)。『骨あり脳後に従って横生するは、発財あり且つ長寿を増す』「枕骨(ちんこつ)の横生するもの、枕骨は後頭突起のことなるも、往々突起骨のなきもあり、其の他竪にも斜にも或は二重巻又は分立二つ並び三つ玉等種々あり、この場合はその横生するものをいふ、横生とは棚雲の如き形にあり、枕骨として偉大なもの也、内福の金持ちにあり」後頭部の高い骨を枕骨(ちんこつ)と云う。枕骨が横に長いのは、財運があり長生きもする相。
【○骨挿辺庭】(こつありへんていをさしはさむ)。『骨あり辺庭を挿むは、威武あり名は四海に揚らむ』「辺庭とは辺城辺地と天庭との合称名、骨気が額部にあるのは威武の名が四海に揚らうと也。東條大将の額つきの如きはやゝ近きものか」額の両脇の骨が高く、額の中央を挿(はさ)むように見えるのは、威武があり名が天下に知れ渡る相。四海は天下。
【骨格】(こっかく)。『骨聳えるは夭す(痩せて肉がない)。骨露(ろ・骨張る)なるは立つ(立身)無し。骨軟弱なるは寿は楽しめず(長生きできない)。骨横(横に走る)なれば凶(凶亡・凶暴)。骨軽ければ貧賤。骨俗なれば愚濁。骨寒きは窮薄。骨弧なれば親しみ無し(孤独)。 骨円(骨格に丸みあり)きは福有り。』『貴人の骨節は細く円長。骨上に筋無く肉また香ばし』こっかく。骨そのものではなく、身体全体を見たときの体格、身体つきを主としていう。延べて変化しにくい処を指す。『骨格は一世の栄枯たり』性分と一代の栄枯盛衰を現している。
【○骨格恢弘】(こっかくかいこう)。『骨格の恢弘なるは、前程靠(よ)るべし』
(評訳)「骨格がガッチリとして大々と伸やかに見える貌(人相、形)。前程は前途の意味、先行きの程がアテになると。靠(こう)はよりかかる、力になること」恢弘はひろく大きいこと。靠はあてになること。これからの運命も安心だと。
【○骨格清奇】(こっかくせいき)。『骨格の清奇なるは、必らず顕貴たるべし』
(評訳)「骨格の平均権衡を保ち、概観清々しく奇麗なこと、奇は貴に通じて考える、気品高く上等なること、ソレは必らず他日顕貴となるであろうと」身体つきが均整が取れて恰好よく清らかであれば、必ず出世する。
【○骨格精神】(こっかくにせいしんある)。『骨格に精神あれば、痩せたりとも亦(ま)た取るべし』
(評訳)「骨格とは骨気の風格の略、その骨格に精神力が加はれば、たとへ痩せていても亦(ま)たこれを可(よ)しとして採用するも宜い」痩せていても引き締まって力があれば、良い相として取り上げよ。反対に、一見大柄で肥っていても、肉に締りがなければ大した人物ではない。
【骨格一世栄枯】(こっかくはいっせのえいこたり)。体格や目鼻立ちなどの、変化の少ないところは一代の栄枯盛衰を現している。『気色は行年の休咎を定む』参照。
【●骨格粗】(こっかくそ)。『貧窮にして老いに到って閑ならざるは、骨格の粗なるが故なり』
 (評訳)「骨格が肉を破って露出し、粗大、粗雑であること。骨粗(こつそ)、粗骨(そこつ)ともいう。(骨格が)暴露、粗大にして気肉の不稱なる(整わない)者は、必ず貧窮にして奔波(ほんぱ)せん」晩年になってもゆっくりできないのは、骨格が粗雑なるによるとの意味。
【骨気】(こっき)。@(解説)「皮下に伏在する骨気あり」骨の気配。A骨格の有様、骨付きなど。
【黒気】(こっき)。黒い気色。
【●骨粗形俗】(こつそにしてかたちはぞく)。『骨粗にして形は俗ならば、山林に独り困す』骨格粗雑で凡俗の様子であれば、貧乏と孤独で山林で独り暮らしする運命だ。
【●骨粗髪重】(こつそにしてかみおもき)。『骨粗にして髪の重きは、何ぞ曾(かっ)て一銭を剰(じょう)し得ん』
(評訳)「骨格骨柄(こつがら)粗慥にして髪の毛のみ沢山重々しいほどにあるのは貧乏性、何ぞ一銭を剰し得んということで、貯金なんかは少しもあるまいと也」骨柄は体つき。
【骨相学】(こっそうがく)。(解説)「脳の発達と頭蓋骨の発達には関係ありとして研究された相学。部位の数は現在では四十二部位を主とする」@愛情機関(後頭部)―男女、配偶、慈愛、友愛、居宅の五部位。A自衛機関(耳上とその左右)―生命、飲食、抵抗、破壊、秘密、理財、造構の七部位、B知力機関(額の下部)―固体、大小、軽重、色彩、秩序、形状、係数、位置、事実、時間、音調、言語の十二部位、C自利機関(後頂部)―持続、警戒、名誉、自尊、強硬の五部位、D美感的機関(頂側ぶ)―美麗、宏大,模擬、諧謔(かいぎゃく)の四部位、E反省直覚機関(額の上部)―推因、比較、鑑識、調和の四部位、F道徳宗教機関(前頂部)―正義、希望、霊妙、仁恵、尊崇の五部位。その部位が発達しているか偏っているか、弱いかなどを指で測って鑑定する。
【○骨聳神清】(こつそびえしんきよし)。『骨聳え神の清きは、定めて威権あり忠節なるを主どる』
(評訳)「骨は骨格骨法、神は眼神面神肉神骨神の凡てをいう」骨聳えるとは骨格、身体つきが立派で威厳があること。神が清いとは、体つき顔付き目付きなどが清く力があること。このような人は必ず、威と権勢があり忠節の心がある立派な人物だと。
【骨肉】(こつにく)。『骨を主と為す。肉は以って佐(さ・補佐)と為す。骨は君たり、肉は臣たり』『(骨は)円きを欲し粗(あら)きを欲せず。痩せても骨の露(ろしゅつ)なるを欲せず。肥えて肉の露(肉に締りがない)なるを欲せず。骨と肉と相称(かなう・釣り合いが取れる)い、気と血と相応ず。骨寒くして縮む者は貧にあらざれば則ち夭す』『形容は忽ちに変ずれども、骨肉は旋(ようや)くに生ず』骨は陽、肉は陰。 骨強く肉の包むを吉とし、骨弱く肉が多いのは夭相。形容(様子)は忽ち変化し、骨格や肉付きはゆっくりと変化する。但し、骨肉といえども、事によっては短期間で変化することもある。骨格頑丈を第一とし、肉はそれに応じるを吉とする。
【○骨肉細膩】(こつにくさいじ)。『骨肉の細膩なるは、富貴にして自主静閑なり』
(評訳)「流布本には骨格とあり、骨格細膩は合わず、また(次の文の)字句の髪鬢の対字としては可笑しい、今訂正して骨肉とす」骨付きがホッソリしていて肉が滑らかな女性は、富貴で楽な暮らしができる。骨細く肉なめらか。膩(じ)はなめらかなこと。ホッソリして肉付きも上品な女性のこと。骨張って痩せてヤツレタ風なのは、貧相であり孤独の相でもある。
【●骨少肉多】(こつほそくにくおおき)。『骨少(ほそ)く肉多きは、三十焉(いずく)んぞ能く過ぐ可(べ)けん』
(評訳)「骨細で肉気が多いブクブク肥りの女は、それが若いのであれば三十前で死ぬだろう。どうして三十才を過ぎることができようぞという意味」若いときには骨が頑丈で肉が締まっているのが発達の相で良い。
【骨法】(こっぽう)。『五岳は以て根基たり。骨法は以って禍福を定む』骨格は人生の栄枯盛衰を定める。
【○虎頭】(ことう)。(解説)「額が大きく後方にのけ反りぎみ」『燕頷虎頭、男子は定めて將相に登らん』虎頭で燕頷であれば、男は決まって大将、首相になる。
【○虎頭燕頷】(ことうえんがん)。『虎頭にして燕頷、班超は万里侯に封ぜらる』
(評訳)「虎頭と燕頷の相を持っていた班超(はんちょう・人名)は、万里侯に封ぜられた。万里侯とは都を遠く離れた土地で手柄を立て、そこに奉ぜられた大名のこと。虎頭も燕頷もそれほどの大器だということ」
【小人形法】(こにんぎょうほう)。顔面に人体を当てはめる法。額を頭、眉間を胸部、眉を腕と手、鼻を胴体、法令紋を両足に配当して病気の場所などを判断する方法。別に逆(ぎゃく、さかさ)小人形法がある。顔面に人体を逆さに配当し、両眉を両足、眉間を股陰部、鼻を胴体、法令紋を両手、口は口、下顎を頭部とし、主に女子を判断する時に用いる方法。その他に大樹小人形などの俗説もある。
【●虎吻】(こふん)。『狼行と虎吻とは、機深くして心事明らめ難し』
(評訳)「狼行(狼の歩行に似た歩相)と、虎吻は下唇厚くまた上唇より前方にまくれて出て、口角鮮明ならぬもの。狼行は痩せ肩を怒らせて歩き、時々首だけを回して後ろを振り向区歩き方。」狼行は痩せ肩をゆすってグイグイと腰を入れて歩き、時々回りをニラム風に振り向く、打ち寂れたような歩き方。狼行と虎吻とも陰険で悪賢く心の内を見せない不良の人物。
【○虎歩】(こほ)。(解説)「虎歩は歩くにユッタリと悠揚(ゆうよう)迫らず、足音たてぬ歩き方をいう」
【○虎歩龍行】(こほりゅうこう)。『虎歩龍行、劉裕は九重の位に至る』
(評訳)「虎歩は行くにユッタリと悠揚(ゆうよう)迫らず足音たてぬをいい、龍行は歩行するに中身を動揺させぬをいう、何れも行動の気品ある形容。劉裕(りゅうよう)は南北朝宋の第一世。九重(きゅうちょう)とは天子の宮殿のことで、高い地位に登ること。虎歩と龍行は共に大出世の相。「龍行とは堂々と真っ直ぐにズンズン歩くのをいう」という説もある。何れにしても立派な歩き方には違いがない。
南北先生は「一陣の崩れざる(堂々とした歩き方)」を立派な歩き方、立派な人物の歩き方と表現し、神気が弱い弱運の者の歩行相を「一陣の崩れるごとし」と言っている。 
【五法】(ごほう)。『@交わりを択(えら)ぶは眼に在り。A貴を問へば眼に在り。B富を問へば鼻に在り。C寿を問へば神(しん)にあり。D全(まった)きを求むるは声に在り』以上の五をいう。
【●弧峯独聳】(こほうひとりそびゆる)。『弧峯独り聳ゆるは、骨肉に参商(しんしょう)あり』
(評訳)「弧峯独聳とは顔面の内で鼻ばかり偉大なるか、又は甚だ高く聳えることの形容、それは必らず兄弟同胞の関係が面白くない、骨肉は兄弟姉妹のこと、参商とは天の二星の名、参は廿八宿中の一、商は明らかならず、圏外の星のことか。一星出づれば一星没すと古来言い伝える、骨肉近親の相合はず相見ざる(不仲)に喩える」鼻を我とし周りを兄弟輔佐他人とし、我のみ高いのは孤独の相。我が強く独りよがりする者が多い。偏屈頑固だが職人には腕利きの者も多い。
【根基】(こんき)。『細さに根基を弁じ各々其の妙を求む』
(評訳)「細(つぶ)さにその根本の基因を弁じ分けて、道者と僧侶と俗人と各々其の(異同その他の)妙訣を求めねばならぬ」運命の上辺だけでなく、その原因を顕幽両界から詳しく調べて判断し、開運法を知らしめなければならない。
【●根上昏沈】(こんじょうのこんちん)。『常に疾厄に遭ふは、只だ昏上の昏沈なるに因れり』
(評訳)「根は山根。山根は目と目の間。昏沈とは皮下に沈んだ暗い色。病気や災難が多いのは、山根に暗い色が有るからだ。根上とは山根の上(ほと)りの意味」山根は胃と心臓に関係がある。別名を疾厄宮(しつやくきゅう)いい、病気災難の現われる所とする。
【●根有三紋】(こんにさんもんある)。『根に三紋あるは、中主に必ず耗散多し』
(評訳)「根は山根のこと、山根に横断する線條のシワが三本あること、二本のものも一本のものもあり、常に定着してあるものと、時々に現われるものとがある。常に三本以上定着するものは、中年頃必らず耗散があることが多く、身上暮らしのやりくりが苦しい。又た妻妾について苦労があり、女は男について盛衰浮沈出入刑尅あり」山根(さんこん)は眼と眼の間のこと。そこに三本以上の横ジワがあれば、中年に苦労する相。横断紋が一本とか二本の場合も消耗のそうには違いがないので、他の相と考え合わせて判断のこと。
【今世】(こんせ)。『士(ひと)の貧窮に処るは、是れ今世の作悪(さあく)に盡(つ)く』
(評訳)「士たるものが今や貧窮の地位に処(お)るのは、現世に於ての少くとも十年内外この方の、やり方に何か非徳な方法のわるい処があったのだらう、善因善果、悪因悪果であると」『三世(さんぜ)』参照。

【さ】

【腮】(さい)。アギト。耳の下のエラ、腮骨(さいこつ)。
【●腮見耳後】(さいをじごにみる)。『腮を耳後に見るは、心地狡貪なり』
(評訳)「腮は耳下の一角、頤の突端であり即ちアギト、魚ならば鰓(えら)なり、この角は耳より垂直形なるを可とする、耳下より後方に突出するか外方に発展するは良からず、エゴにて欲ばりなり。鰻の鰓の如き多肉なるは垂腮という、風字面ともいわれる」耳後(じご)は耳より後方。心地(しんち)は心根。狡貪(こうとん)はズル賢く欲張りのこと。
【腮骨】(さいこつ)。腮
【妻妾宮】(さいしょうきゅう)。『妻妾は位を魚尾に居す。号して奸門という。光潤にして紋無きは身保(やす)く妻全(まった)し』 『婦女の魚尾奸門明潤なるは貴人を得て夫と為す』魚尾(ぎょび)、奸門(かんもん)は目尻のこと。男は本人の左目尻が妻宮で夫婦宮、右が妾宮で恋愛宮。女はその逆。夫婦の縁の良し悪し、縁談恋愛のことなどが現れる部位。十二宮の一つ。夫婦宮、恋愛宮ともいう。
【財星】(ざいせい)。『鼻は乃ち財星、中年の造化を管す』『鼻は乃ち財星、中五六年の休咎(きゅうく)に遇う』
(評訳)「鼻は中岳で疾厄宮ではあるが、その肉付の工合は財運を見るので財星という、本来は土星であり土は生産を主どる、または肺の竅(きょう・穴)でもあり肺は金なる故に鼻は金財である。中五六年とは五六の三十年に当たるというわけで、乃ち三十才台一ぱい四十までの間という次第」ここでは鼻の流年を三十歳台としているが、流年法には昔より種々あり。鼻は財のことと中年の運命の状態を表している。『流年』を参照。
【採聴官】(さいちょうかん)。耳。
『耳を採聴官と為す。大小を論ぜず、正に輪郭分明を要す。白きこと面を過ぎることを喜ぶ。面に対して耳が見えず。眉より高きこと一寸、輪厚く郭堅く、姿色紅潤、内(耳の穴の中)に長毫(ちょうごう・堅く長い毛)あり、孔に大小無し。此れ《採聴官の成る》なり』『輪飛び郭反るは好(よ)かざるの耳なり。或は低小軟弱なるは、此れ《採聴官の成らざる》なり。少年(若い時)に利あらず(不運)して六親を損ず』
『耳を採聴官となす。耳は須らく色鮮やかなるを要す。高く聳えること眉より過ぎ、輪郭完成(輪と郭が整っている)し、貼肉(ちょうにく・頭に貼りついている)し、敦厚(とんこう・肉厚)にして、風門(ふうもん・耳の穴)寛大なる者は、之(これが揃うと)を《採聴官成れり》と謂う』
『輪無く兼ねて反(耳が反り返る)薄ならば、家を破り嚢(のう・財布)空し。厚くして大、肩に垂れるは極貴。大貴にして寿長きを主どる。竅内(きょうない・穴の中)に豪(ごう・豪毛)を生ずるは頭白老龍鐘(長寿)。耳内に大痣(大きな黒子)あれば寿長く、垂珠(すいしゅ・耳朶)上る(前に向く)は財有るを主どる。暴焦色、惨青色、それ寿は永からず(耳の色が枯れ濁るは命は短いだろう)。(流年は)左耳七年、右耳八年。男は左から、女は右から始まる』
 『成敗(せいはい)は傾欹(けいい)による』「傾は欠くるなり、欹は低き也。破散と成敗を主どる」『聡明なるは高く聳ゆ』(解説)「高く聳ゆとは眉より高き也」
『皮・?(そ)にして青黒なるは飄蓬(ひょうほう)なり』(解説)「若し皮粗なると及(とも)に青黒色にして乾けるは、一生南北に奔馳(ほんち)し、他郷に散走し終に定基なきを主る」
『色・瑩玉(えいぎょく)の如ければ、年少(としわか)うして三公と作(な)る』(解説)「耳に若し貴賎を問はば、大小を取らず。先づ色の鮮瑩にして白きを上と為すを要す」
『貼肉(ちょうにく)垂珠(すいしゅ)紅潤なるは、自然に財禄の亨通(きょうつう)あるを主どる』(解説)「頭の側面に三十度の角度以内にて附くを良しとす。これを貼肉といふ。面に対して耳を見ず。紅潤(こうじゅん)とは垂珠の鮮沢なる也。垂珠はミミタボ」
『若(も)しくは尖小にして直、如(も)しくは箭羽(せんう)、安(いずく)んぞ弧窮ならざるを得ん』(解説)「尖小(尖り小さい)は弧貧を主どる。箭羽(矢の羽)の如しとは、其の耳形直豎(ちょくじゅ)にして矢?(やれい)に似たる、最も貧窮の相と為す。十五歳にして男女並(とも)に妨財破敗を主どり、長大(成長)してのち貧賎孤独たるの相たり」
『命門(めいもん・風門の誤記ならんか)に指を入れ難きは、寿元(じゅげん)慳短(けんたん)にして妄浅愚蒙(ぐもう)』(解説)「命門は耳孔(じこう)也。若し窄小にして小指尖を入れ難き者は愚頑にして短寿、無知の人たるを主どる。耳孔の針を容る(耳の孔の小さき事の形容)は、家に一金無し。耳門の墨の如きは二十の容たり、夭寿也」
『無輪にして兼ぬるに反薄なるは、家破れ嚢空し』(解説)「耳に輪無(輪郭が無い)く反り返って薄い。薄は貧を主どる。破産散亡」
『厚大にして方に垂るヽは極貴、天年(天寿)八十を過ぎて方(まさ)に終らむ』(解説)「耳の大きさ四寸、高く聳え肩に垂るヽ者は大貴、寿の長きを主どる。
 『只(ただ)是れ毫の竅(きょう・穴)に生ずるは、頭白(とうはく)の老龍鐘(ろうりゅうしょう)』(解説)「毫(ごう)は孔内に生ずる毫毛(ごうもう・堅い毛)也。龍鐘は竹名、其の曲頭垂れて地に向ふ。若(も)し人、耳毫(じごう)を生ずれば長寿を主る」
【財帛宮】(ざいはくきゅう)。『鼻は乃ち財星、位は土宿に居す』『鼻は乃ち財星、中年の造化を管す』『聳直豊隆な
るは、一生財旺んにして富貴』鼻を財星と言い、財運と中年の運命を支配する。十二宮の一つ。
【▲下がり目】(評訳)「尻下りは老獪で融通の利くところもあるが、中々利我を忘れることはない。社交性に乏しくはないが心中常に濁気が絶えず、不純な性でないとは言えない」下がり目で一見柔らかく見えても、眼光が強ければ我見が強く常に問題を起こす。
【▲笹目】(ささめ)。(評訳)「円大形であるのは笹目という程でなくとも、幼稚で無邪気で、また無思慮な所もあり、世路に堪える才能は少ないものである」目頭が丸いのが笹目の特徴。未進化型の目。
【三陰三陽】(さんいんさんよう)。「三陰は右眼下にあり」女子は左眼下。「三陽は左眼下にあり」女子は右眼下。
【三陰木多】(さんいんのもくおおければ)。『三陰の木多ければ、定めて須らく女を生むべし』
(評訳)「三陰は男は右下瞼、女は右下瞼のこと。この場合は三陰で三陽を兼ねていう。乃ち左右の眼の下瞼を中心とした気色の意味。木多しとは青い色。それは女性を産む。男女ともに同じ」左右の下瞼の色が青ければ、女の子が生まれる相。この判断は男女共に同じ。『火多ければ男の生れるを主どる』人は赤い色。眼下に赤い色多ければ男児出産の相で、相手の男にも現われる。
【●三角眼】(さんかくがん)。『目三角の如きは、狼毒ありて弧刑なり』
(評訳)「三角眼の者は富むだろうが偽りが多い」「平生に三角眼の人は自分勝手のつよい、また自分のためには可なり忍耐して労作にも従うが、他のためには少しも仮借せず寛大のところはない。三角眼は馬なら上等だが人にはよくない、よく働き労作して得る所の少ない生涯を了る人である」
【○三甲】(さんこう)。肩から背にかけて肉付きが良いこと。
【三光】(さんこう)。両眼と印堂を合わせて三光という。
【○三光明旺】(さんこうめいおう)。『三光の明旺なるは、財自ずから天より来る』
(評訳)「三光とは日月星にて両眼と印堂のこと。その三光の明旺なるものは幸運にて財自ずから天来の福ありという」印堂と両眼が明るく力があるのは、財が自然に天より来る運命だ。
【○三山光潤】(さんざんこうじゅん)。『三山の光潤なるは、万頃(ばんけい)の規模あり』
(評訳)「南岳である衡山(こうざん)の額部と、東岳泰山(たいざん)の右顴と、西岳崋山(かざん)の左顴と合せて三山という。その光潤なるものは万頃は大仕掛け、規模は仕事事業成績のソレがあるよとのこと。三山光潤が三光(さんこう)の語源か。但し三光は額と両眼のことに成る」
【山根】(さんこん)。十三部位の一つ。命宮(めいきゅう・眉間)の下の部位。両眼の間。十二宮では疾厄宮。
【●山根青黒】(さんこんせいこく)。『山根の青黒なるは、四九(しく)前後に定めて災多からん』
(評訳)「山根に青黒い気色がある人は三十六歳前後には必ず災難がある、但し流年法にては山根は未だ三十六には成らず。又三十六以後の人にこの相があれば如何との疑問も起こるなり、別に考えざるべからず」この場合の青黒は皮下に固定したようにある色とする。急に現われた色は近日中の吉凶を現す。流年には諸説あり。四九は四×九で三十六才。
【●山根青色】(さんこんせいしょく)。『山根の青色なるは、胎(たい)を出でてより頻りに災厄あるを見る』
(評訳)「印堂の下の山根に青色の色が見える子供は、出胎(しゅったい)は生れるとスグの意味、頻(しき)りに災いがあり、命も危ない様な病気ばかりする」目と目の間が青い子供は、生れてからしょっちゅう病気や災難があるという意味。山根は胃と心臓の急所でもあるから、虚弱な子供といえるが、持病がないかも確認すること。
【●山根薄削】(さんこんはくさく)。『夭し更に多災なるは、蓋(けだ)し謂(おも)うに山根薄削なればなり』
(評訳)「若死にするか又は災が多いのは、山根の肉が痩せ削(そ)げたようにあるからだという」山根は眼と眼の間。鼻を山に例えて山の根、山根と云う。山今が摘んだように薄いのは、若死にで、災いも多い相。夭(よう)とは若死にのこと。身体が弱い上に運命の浮沈が多く難儀が多い相ではある。
【○山根不断】(さんこんふだん)。『山根の不断なるは、必らず賢夫を得ん』
(評訳)「山根不断は鼻すじのスッキリと通っていること、山根には夫座妻座(ふざさいざ・部位名)がある、乃ち女のためには夫座である、その形の宜しいのは必らず夫運よろしきものとする」夫座妻座は山根の両脇にあたり目頭も含む。鼻筋が高く通っているのは、家柄、家筋が良い相。鼻筋は家筋、背筋も家筋、筋は筋を表している。
【●山根黒子】(さんこんにほくろある)。『山根に黒子あるは、宿疾なくんば必ず夫を刑す』
(評訳)「山根の部位にあるホクロのこと、真中ならず左右に寄よれるものが多し、女は多く右による、右は即ち夫座(ふざ)なり、夫を刑するなり、コレはその本人に宿疾(しゅくしつ)がなければ、必らず夫を刑すとあり」宿疾は持病。山根は『小人形法』で肺か心臓か胃に相当するから、この場合の持病は肺か胃か心臓の病気が多い。女の場合は持病があるか夫運が悪いかのどちらかが中るという意味。両方が的中することも多い。
【三才】(さんさい)。三停、三主、三表(さんぴょう)、天地人。才は働き。天道人道地道、天徳人徳地徳など。
【三質論】(さんしつろん)。人相を生理的解剖的に分類したもので、筋骨質、栄養質、心性質の三質を云う。筋骨質は骨と筋肉の発達した相、栄養質は肉と内臓器官の発達した相、心性質は脳髄と神経の発達した相のこと。筋骨には堅い強い角い締まる意思行動などの意味があり、栄養質には丸い緩む円満休息などの意味があり、心性質には思索、細い弱い神経質などの意味が導き出される。それを性格と運命に当てはめて判断する。
【三主】(さんしゅ)。三停(上停、中停、下停)、三才(天、人、地)、三表。
(解説)「初主、中主、晩主という人生年比の区分の一。初主は初年即ち七才より約二十年間のこと」初年、中年、晩年。三停によってそれを区切る。流年法には種々あるが、水野南北先生は、初年を二十歳まで、中年を二十一歳から四十二歳まで、晩年を四十三歳以後と定めている。
『人世の玄機は、須らく先づ夫(か)の三主を観るべし』
(評訳)「人の世の玄機とは不可思議な見透し難い幽玄な機運というものは、先づ夫(そ)の以上に言ったような、初中晩の三主の運限から考えよと」
【三壬】(さんしん)。腹の肉が豊かで横に三紋あること。
【三世】(さんぜ)。過去世、現世、来世のこと。
【●三尖六削】(さんせんりくさく)。『三尖六削なるは、縦(たと)え奸巧なりとも賎貧なり』
(評訳)「三尖とは頭凖閣の尖小なるを謂(い)う」三尖とは頭が尖り、鼻凖(びせつ、鼻の先)が尖り、地閣(下顎)が尖っていること。この三ヶ所が尖ること。
(評訳)「眉に毛なく、額に角がなく、目に神(しん・力)がなく、鼻に梁(りょう)がなく、口に陵(りょう・唇の境)がなく、耳に輪がない、以上六削也」三尖と六削の者は例え狡賢く生きようとも、貧乏で賤しく孤独で苦労の多い人生である。
【三台の宮】(さんだいのきゅう)。(解説)「両輔骨(額の左右)と天庭との合称、つまり額中一面のこと」天庭には@百三十部位の天庭(額生え際中央の天中の下)と、A額の正面、の両方があるがこの場合は額の正面をいう。
【○三台宮有黄光】(さんだいのきゅうにこうこうあり)。『名成り利遂ぐるは、三台の宮に黄光あり』
(評訳)「(三台は)両輔骨と天庭の合称、つまり額中一面に黄光があるものは、名利共に大成功すると也」。輔骨は額の正面の左右、額の側面。
【三停】(さんてい)。『三停とは、額門(額)、準頭(せっとう・この場合は鼻全体)、地閣(ちかく・頤)、此れ面部の三停なり。又、三才と為す。又、三主と為す。倶に平等を要す。上停長きは少年壮んなり。中停長きは福禄昌(さか)んなり。下停長きは老いて吉祥。三停の平等なるは一生の衣禄(えろく)欠くること無し。若し三停の尖削歪斜粗露(せんさくわいしゃそろ)なるは倶(とも)に利あらざるなり。流年部位の気色を照らして推すべし。一体(いったい・一ケ所)にて断ずべからず』『三停は以って三才に象る也。上停を天に象り、中停を人に象り、下停を地に象る』三停は天人地の三才(さんさい)でもある。
三つの区域、三つに区切ること。@『面の三停は髪際から下、眉間に至るを上停と為す。眉間より下、鼻(鼻凖)に至るを中停と為す。鼻凖(びせつ)の下の人中より?(おとがい・顎の尖端)に至るを下停と為す』顔面の三停は、生え際から眉間までを上停、眉間から鼻準(びせつ・鼻の先端)までを中停、人中(にんちゅう)の上部から顎の端までを下停とする。A全身の三停は、首根から上を上停、胴体を中停、脚を下停とする。「頭腰足を身上の三停とする」三停は何れも、初年、中年、晩年の栄枯盛衰と、智力、意志力、情愛と、天運、自力運、部下運などを現している。
【○三停平等】(さんていびょうどう)。『三停の平等一生衣禄に欠くること無し』上停、中停、下停が釣り合いよく整って豊かなこと。三停が平等であれば、一生衣食住に不自由がない。
【▲三白眼】(さんぱくがん)。(解説)「眼形の如何(いかん)に係らず黒睛(こくせい・虹彩)が常に上下の一方に偏(片寄る)し、眼中の三方に白を露呈するものを総じて三白(さんぱく)と言います。四白(しはく)は別物。その上下により上白(かみはく)、下白(しもはく)に別つ。何れも眼筋の上下の強弱あるに因るもので、脳内に若干の異状あるを示す。ソレが一時的にしても久しからず平常に復する者もある。上三白(かみさんぱく)なるは魯鈍(ろどん)愚痴なる者多く、下三白(しもさんぱく)は機敏、英遇、果断なれども、駻馬(かんば)なるが多く時にはキチガヒに成ることあり。三白眼は概して酒呑みにて肝を傷め、仁心を失いたるものの子孫に出る、また耳の形に大抵欠陥あり。夫妻を尅す、また自らも短命なるが多い。時に目の転動する場合にのみ、三白の出るものがある、これは三白とはいわず、時に三白を露わす云々と称して、其の眼形によりて種々の結果を見るも、刑尅は同じ程度にあります」黒目の上部に白部が多く現われるのを「上三白眼」、黒目の下部に白部が多く現われるのを「下三白眼」という。下に白部が多少表れるのは目が清ければ純情な相となる。
【三陽火旺】(さんようにひのおうずる)。『三陽に日の旺ずるは、必ず男の誕るヽを主どる』
(評訳)「(この場合は)三陽は一つにて三陰を兼ねる。乃ち左右の眼の下瞼を中心にその気色をいう。火旺(かおう)とは赤き色なる意」三陽は男は左の下瞼、女は右の下瞼を云うが、この場合には三陽というだけで両下瞼のことを云っている。三陰は男は右下瞼、女は左下瞼。妊婦の両下瞼に赤色が盛んであれば必ず男が誕(うま)れるという意味。
【山林】(さんりん)。@「山林、郊外ともに百三十部位の名。額角付近に近き所なり、額形によりて多少はその位置を異にする」この部位には山林に関することだけでなく、不思議のことの現われる部位。A「山林は眉の別称」眉を山林ともいう。
【山林骨】(さんりんこつ)。『山林骨の起れるは、終に神仙となる』
(評訳)「山林、郊外ともに百三十部位の名、額の角付近に近い所、額の形により多少はその位置を異にする。ここに言う額角(がくかく)とは俗書の百三十部位にいう額の正面の額角とは別物で額の角(かど)のこと」
山林が立つ、仙骨が立つ、辺地が立つなどとも云い、山林の骨が盛り上がっている、起きていること。眉尻辺りから額の角にかけて骨気があり盛り上がったように見える。この人は終に仙人になると。昔から仙骨が高い占い師はよく見ると言われている。山林骨、仙骨辺りには実際に不思議なことが現われる。
【●三角眼】(さんかくがん)。『眼もし三角の若(ごと)くあらば、狼毒ありて弧刑なり』
(評訳)「平生に三角眼の人は自分勝手の強い、また自分のためには可なり忍耐して労作にも従うが、他のためには少しも仮借せず寛大のところはない。三角眼は馬なら上等だが人にはよくない、よく働き労作して得る所の少ない生涯を了る人である」

【し】

【四学堂】(しがくどう)。『一に曰く、眼を官学堂と為す。眼は長くして清きを要す。官職の位を主どる。二に曰く、額を禄学堂と為す。額は闊くして長きは官寿を主どる。三に曰く、当門両歯を内学堂と為す。周正にして密なるを要す。忠信孝敬を主どる。疎欠(そけつ)にして小ならば狂妄多きを主どる。四に曰く、耳門の前を外学堂と為す。耳前豊満にして光潤なるを要す。聡明なるを主どる。若し昏沈ならば愚鹵(ぐろ)の人也』疎?(そけつ)は、前歯に隙間が多かったり抜けたり曲ったり。愚鹵(ぐろ)は愚かなこと。
【耳郭】(じかく)。単に郭ともいう。耳の輪の内の軟骨。ここは顴骨に相当し、郭が高いと我が強く後家相の一つ。
【耳角】(じかく)。耳の外輪の上方の角。
【○獅眼】(しがん)。
 『眼大なれば威厳あり、性は略(ほ)ぼ狂。粗眉これを趁(お)う、又た端荘。貪らず酷ならず、仁政を施さば。富貴栄華あり福禄康し』
 (評訳)「眼は平素は小型なれども一反奮怒気味のときは、忽ち大となる、その時は威厳があるが、性は略ぼ狂である、狂とは古来ある狂い獅子という語をこの詩に活用したものであろう。この刮目(かつもく・カッと見開くこと)大なる時は気短く、ヒス的になることあり。眉もまたこれに相応する大柄なものがあって、中々端荘立派に見える。趁(おお)うの字は、眼の威あるに準じて相当なものがあるの意で、獅子の走るに縁語也。眉第一(眉の本の名)第九章二五二頁獅子眉もその一ではあるが、この獅子眉でなくとも立派なものは数多い。又た端荘とはこの眉目のものは、男女とも局部の出来が立派なものであるとの隠語である。この人貪らず酷(こく)ならず仁政を施さば、政治の主権者ならば本来相応の性格であらう、常人でも人に対して篤行的であるならば。後々は富貴栄華を得て福禄安康の生計を成すに至らうと也」
 「目裂(もくれつ・目の長さ)は余り長からざれども平素は細目に見え、刮目すれば大にして眼尾が頓(にわ)かに細く、椎の美型なり、但だ目尻は少しつり上り気味のもの多く、目に威容あり黒睛は奥にチラチラと清冷に光る。目頭に眼角(がんかく)あり、外眥(がいせい)清く球は正視にして前方を見る、上下の瞼すべて腫れぼったく、マツ毛は内辺にありて目につかず。眉は大抵太く粗にして目相当に偉大なるが多し、若(も)しこれに獅子眉(ししび)を兼ねるやうならば、また獅子額ならば、妻財子の三運ともに遅しとす。目瞼の肉あまりに豊かにハレボッたく、眼睫(まつげ)まくれこみ、眼波(がんぱ・眼の上下の波紋)なく一皮目(ひとかわめ)となり、為に目細小の如くに見ゆるものの内には、癩(らい・癩病)の遺伝あるもの時になきにあらずと、コレは大三浦博士の研究説なり、詳具は筆紙に述べ難し」
【四強】(しきょう)。『平生の造化は当(まさ)に首(はじめ)に四強を取るべし』
(評訳)「人間の平生の幸不幸運不運の仕合せは、造化の字は概して仕合せと訓ず、その仕合せは当に首めに面の四強に取って考える方がよい。四強は四彊(しきょう)東西南北の四方の境で、人面にとりては顔の四隅がタップリしてるかどうかを想定するのである」四強は顔の四隅が強い、骨格と肉付きが良いこと。彊は硬く強い意味。疆(きょう)、?(きょう)は境界の意味。
【歯齦】(しぎん)。歯茎のこと。
【●歯齧頭揺】(しげつとうよう)。『歯齧し頭揺するは、その性奸貪なること比(たぐ)い無し』
(評訳)「歯齧とは理由もなくハガミしてガチガチ音をさせるのをいい、例えそうでなくても其(そ)の如くに見えるのをいう、頭揺とはこれも故なく妄りに平生数々頭を打ちふるクセある也、その如(ごと)き人は其の性奸貪無比なりと」いつも細かく何かを噛んでいるように、顎を動かして歯を噛み合わせているのを歯齧と言う。住所が定まらない者も多い。顎は地閣で住居を表すから、それを細かく動かすのは住所に落ち着かない相。
【耳弦】(じげん)。耳の穴の前の突起。弦根(げんこん)ともいう。ここに明るく綺麗な色が現われたら良いことを耳にする相。それが悪色であれば凶事を耳にする。
【耳豪】(じごう)。『只だ是れ毫の竅内(きょうない)に生ずるは、頭白(とうはく)の老龍鐘』(解釈)「毫は孔内に生ずる毫毛(ごうもう)也。龍鐘は竹名。其の曲頭垂れて地に向ふ。若(も)し人、耳毫を生ずれば、長寿を主どる、龍鐘の竹に似たり、頭を曲くること緩く低く、極老の相也」
『耳に豪毛あるは、定めてこれ長生の客』この人は定めて長生きだと。目出度い相ではあるが、ただ長ければ良いという訳ではないので、手入れも必要となる。
【○耳根高骨】(じこんのこうこつ)。『耳根の高骨は、名づけて寿堂と曰う』耳の後ろの骨が高いのを寿堂という。長生きの相。この骨を寿骨ともいう。
【●耳根黒子】(じこんにほくろ)。『耳根に黒子あらば、路傍に倒死せん』
(評訳)「耳根は耳後骨の上もさうなれども、耳の弦根(げんこん)の上、耳角の根、垂珠(すいしゅ・みみたぶ)の上も含む、そこに黒子あるものは他郷に客死するとは限らず、只だ路傍にて死する也」弦根は耳の穴の前の突起、耳角(じかく)は外輪の上の角、耳の付け根の所を耳根と云う。耳の周りの耳の根の所に黒子があれば、道路に倒れて死ぬ相。病気で急に路傍に倒れるのも、行き倒れも含む。
【訣死生期】(ししょうのきをけっする)。『死生の期を訣するは、気色に逃るゝ莫(な)し』
(評訳)「訣は決、死生の時期すなわち生命の変転時機などを判決するには、気色で見るのが一番。逃るゝ莫しとは気色に限る、気色の範囲を出ないということ」人の生死は気色によって判断せよとの意味。
【○指節細脚背肥】(しせつほそくきゃくはいこえる)。『指節細く脚背の肥ゆるは、須らく俊雅と知るべし』指が細く上品で、膝から下が骨立たず肉付きが良いこと。俊雅(しゅんが)は俊秀閑雅。美しくあでやかな暮らしができること。上品で美しい人はそれなりに身体を楽に暮らす相です。
【視瞻】(しせん)。(解釈)「瞻視ともいう。眼使いのこと、眼勢の在り方にも考える」人相術では眼の相で最終的な決定をするが、眼使いも眼相では重要なポイントになる。
【●視瞻不正】(しせんのふせい)。『視瞻の正しからざるは、必定淫を好む』
(評訳)「視瞻は眼づかい、目の玉の動きが正しくないものは、必定淫行を好む人である」淫行は陰行にも通じ、人に隠れて不正をすることがある。
【△視瞻平正】(しせんのへいせい)。『視瞻の平正なるは、人となり剛介なれども平心なり』視瞻の平正とは落ち着いて相手をしっかり見ること。その眼使い。気が強く正義感が強い。平心とは公平なこと。但し、眼光が少しでも強すぎるとか、刺すようであれば凶暴な相となる。
【死相】(しそう)。もう直ぐ死ぬという相。
【四大】(しだい)。四体とも云う。首胴手足の四箇所。首から上、胴体、腕手、脚足。
【●七竅皆歪】(しちきょうみなゆがめる)。『七竅の皆な歪めるは、寿は再(ま)た久しうし難し』
(評訳)「人体には九竅(きょう)あり、九は陽数で乃ち男也。女子には十竅あり。其の内の七つは顔面にある。目鼻耳にて六孔、口を合せて七竅也。「竅」はアナ奥底の知られぬアナ、「孔」は正直に奥深きアナ、「穴」は底の見える一点をいう。(再びの)再の字は意味深也、マタの意なるは勿論なれども、七竅の輪郭ハッキリせず或は歪みて端正を破るものは、夭折短命の方にて一反(いったん)病み付き、臥床でもすれば危ない(寿難し)となり、或は一反は痊(い・癒)えることもろうが、其の治った後に再(ま)た病みつきでもすれば必ず死に、病まぬとも再た長いことはないといふこと也」
【十観】(じっかん)。人相を見る順序をいう。
 『一に威儀を取る。二に敦重(とんちょう)及び精神を看る。三に清濁を取る。四に頭の方円、額の高低を看る。五に五岳及び三停を看る。六に五官六府を取る。七に背厚く、胸は坦(たいらか)に、腹は墜(つい)し、三甲(さんこう)三壬(さんしん)、体膚は細嫩(さいどん・肌理細く柔らか)なる可し。八に手足を取る。九に声音と心田(しんでん・心持ち)とを取る。十に形局(けいきょく)と五行とを観る』
【疾厄宮】(しつやくきゅう)。『疾厄は印堂の下、位を山根に居す』『年寿の明潤なるは、康泰なり。昏暗なるは疾病至る』@十二宮の一つ。山根(さんこん)。目と眼の間、眉間の下の宮。年寿(ねんじゅ)は山根と鼻凖の間、年上寿上のこと。この部位も疾厄宮に入る。A(解釈)「疾厄宮は鼻全部にかかるにて、あえて山根のみのことにはあらざる也」疾厄宮は鼻全体のことで、山根と限定するべきではないという意味。疾病と災厄。健康不健康、内臓の病気、災難、家庭の安否などが現われる部位。
【四?】(しとう)。耳、目、鼻、口を四つの大河に例えていう。?は大河。何れも水気のある部位。
【○四?清明】(しとうせいめい)。『四?の清明なるは、終生の福気あり』
(評訳)「四?は江河(こうが)淮水(わいすい)のこと、面相に於ては耳目鼻口をいう、その清明なる人は終生の福気あるという」江は長江(ちょうこう)、河は黄河(こうが)、淮は淮水)、済は済水(せいすい)の中国の四つの大河のこと。顔では耳、目、鼻、口のことで、何れも水気のある部位。そこが奇麗な人は一生涯福分がある)汚い人はその運命も逆となる。
【●四白眼】(しはくがん)。
 (解釈)「四白又は四方白(しほうはく)などという、眼形の如何に係らず黒睛(こくせい・虹彩)の上下左右に、凡て白を露(あら)わすものをいう。黒睛の平常人に比し小型なるため四方白になるものをいう。平常は殆んど正常普通にして、時々刮目(かつもく・目を見開く)しては四白となるものあり、之は四白とはいはねども、破産し妻女を取り替える也。何れも破敗(ははい・破産失敗)の相にして、性格異常者に多し、男女ともにあり」「四方白ともいう、刮目したるとき黒目の四方上下左右に白目の見えること也。少しぐらいあるのはソレほどではないが、多く白が出るのは四方白」
【●四反】(しはん)。(解釈)「四反とは口に稜なく、眼に神なく、鼻は穴を露はし、耳に輪なき也」唇の輪郭がハッキリせず、眼が暗く、鼻の穴が露出し、耳の輪郭がハッキリしない、それを四反という。『五六(三十歳)には必ず凶亡あるを主どる』
【莫教四反】(しはんあらしむるなかれ)。『四反あらしむる莫(なか)れ、五六に必ず凶亡あるを主どる』四反があってはならない。四反の者は三十歳には必ず凶亡がある。病気で滅ぶか、倒産するか、悪死するだろう。五×六で三十才。
【●四尾低垂】(しびていすい)。『四尾の低垂するは、妻兒隔角』
(評訳)「四尾低垂とは、眉尻目尻、鼻翼尻端、口角端の四尾が何れも共に下垂するのをいう、両眉両目の尻のみを合せて四とするは不足也、此の説他を誤るもの多し」「角は肉角、性器のこと也、夫婦の間にて感情の行き違いにて互に角を合わせ、相阻隔するをいう、即ち中違いすること。角は又た角力(かくりき)、すもう(相撲)也、角突き合い等の意もあり、争ひ衝突し隔絶する也。隔たり角すと読みても可なり、妻とも兒とも中違いするという也、実例多し性格遺伝等の影響大なり、修養反省を充分にするを要す」目尻と眉尻の四ヶ所が下がっているだけでも、大いに妻兒隔角(さいじへだたりかくす)の例が多い。
【○歯鼻斉豊】(しびせいほう)。『歯鼻の斉(ととの)いて豊かなるは、定めて庄田を享(う)くるの客』
(評訳)「歯斉いて鼻豊かなればと読み直せば、サッパリと分明する也」歯が奇麗に揃っていて、鼻の肉付きが豊かな人は親の財産を受ける相。
【○四方五短】(しほうごたん)。『四方五短なるは、ただ謀(はか)らずして富貴なり』
(評訳)「四方とは四方面のことなり。四方面とは頭顔の立体的に四角形に見える異形なり、此の人必ず一代に富む也」頭と顔が四角いが角張らず、四方に肉付きが良い人は富貴の相。
【●下軽上重】(しもかるくかみおもき)。『下軽く上重きは、末主に伶?(れいてい)せん』
(評訳)「下半身が軽々しく上半身の肉付き豊かにして重々しきをいう、また顔面に於いても下停の痩せて弱小なるをいう。また行動としては顔色のみ勿体らしく尊厳であり真面目であっても、男はボロッカイ、女は浮気でオーライ主義なのは、下部を軽忽にするもので、末主(まっしゅ)は晩年の運限には必らず貧乏し伶?するといふ、伶?は零丁、おちぶれる也」顔の三停身体の三停を上から初年中年晩年とし、脚が弱弱しいのは晩年の運が弱いと見る。吉相としては、上体が重厚で足どりが軽いのを云うがこの場合は別物。
【○鵲眼】(しゃくがん)。喜鵲眼(きしゃくがん)。
 『上にあるは紋の如く秀でヽは且(か)つ長し。平生真実にしてまた忠良。少年に発達すること平淡の如し。終末の時は更に吉昌』
 (評訳)「上に有るとは眼上に余皮ありて紋の様にも見える、瞼上(けんじょう)の細小のタルミなり、これを上にあるという、それが秀でヽ且つ長いのである。且つ長しの文はこの目付きの人は男陽(男根のこと)は長目なり、女陰は核長大なりとの隠語。この人は平素に真実を守り忠良の性ありとのこと。年少(としわこ)くして発達出世もすること平淡のやうだとある。終生末主には更に吉昌づくめである」「喜鵲眼というも同じ、喜鵲とはサカリのついたカササギという意なり、果して鵲鳥(かささぎ)の目がこの形を仕ているか否(いな)かは不明。眼裂細小なる方、(目の)上下に余皮あり又た肉付き裕かにして、美しき目付なり。眼球は小型の方にて黒光温良、球は正視なるも、時には上下左右に傾く動きあり。性的には永続性あり、男女ともに吉し」
【●雀眼】(じゃくがん)。雀目(じゃくもく)。
 『雀目は睛黄赤にして視に偏あり。側頭斜視すること憂煎(ゆうぜん)に似たり。顛狂にも座行にも頭膝を揺がす。定めて是れ孤生百年に到なむ』
 (評訳)「雀目は眼睛の色は黄赤であって、その目使いは偏する傾向がある。その動作は頭を側だて頸を曲げ或は横に向け、物を見るに斜視すること恰(あた)かも何か心配ごとか心のいらつくこと(憂煎)でもあるらしい。立っても座っても歩行するにも顛狂(てんきょう・動作が落ち着かない)する様な態度で、頭や膝をゆるがし。定めてこの人、一生涯孤独で居ることの方が多いだらう」
 『雀目なるは顛狂にして疑忌あり』(評訳)「顛狂とは酒の遺伝症のため頭脳を害し、風顛燥狂の傾向あるもソレは重きもの。軽きものにても時々目をデングリ返すクセあり、其の四方白(しほうはく)に成りかヽりは三代位前の酒癖の故にて、性は気ガルなるも軽燥粗忽又は素頓狂(すっとんきょう)の傾向あり、マタ小胆(しょうたん)にして臆病敏感にして疑い深く嫌い強し」『雀目は円小にして睛は赤黒色なり、頭を側だてて斜視し、多く人よりの軽易を受くるも好んで口腹のことを嗜(この)み、終に小人たり』
 (評訳)「眼裂小型に円々とチョボチョボ、敏捷(びんしょう)らしくズルそうな趣あり。球は黒くまた四白に近し、燕眼(えんがん)に似たる所あれど下品にて鄙(いや)しい」
【●雀班】(じゃくはん)。雀卵班(じゃくらんばん)ともいう。黒子シミソバカスなどのこと。雀やウズラの卵にある斑点に例えて云う。部分的にシミやソバカスが集まっているのもいう。
【●鷓鴣眼】(しゃこがん)。
 『眼は赤く黄みあり、面は紅を帯びる。揺頭征歩すれども貌(かたち)は隆に非ず。小身にして小耳、常に地を看る。一生終に珍寶(宝)に足らず』
 (評訳)「眼は赤黄であるが鷓鴣眼の人は面は紅を帯びアカラ顔である。首をフリフリ真直に肩や腰をすえて正しく行くが、サッパリその風采は上らないで隆とした所がない。この人多くは背たけは小柄の方、また耳の全形も小さいか、或はその(小柄か耳が小さいかの)一方かであらう。そして普段に下方を向いてるクセがある。小身でも耳が大型ならば好い、耳の身実(みみ)なる所以(ゆえん)である。一生終に運開かず、その生活も豊かならず、また男女とも終に一生不遇に送るか、男女互ひによき夫妻に相逢はない、珍宝(ちんぽう)は陰意あり」「鷓鴣といふ鳥は日本に該当者なし、燕眼(えんがん)に類すれども単眼(たんがん・一皮目)なり、眼球は少し下向きのもの也。川千鳥の如きはやヽ似たり」
【○重頤碧眼】(じゅういへきがん)。『重頤にして碧眼なるは、当(まさ)に貴高の僧たるべし』
(評訳)「重頤とはダブルチンで小肥りの表徴、碧眼は黒目の浅碧(みどり)を含み、白目に青味ある眼、ソレは当に貴高の僧となるであらう」
【○重頤豊頷】(じゅういほうがん)。『重頤豊頷、北方に人、貴にして且つ強し』
(評訳)「重頤はアゴが重なっているような、ハッキリした二重頤。豊頷は頷の左右の肉が豊に垂れ下がる相。重頤も豊頷も北方の人は運が強い」顎は北岳であり北方を表すから、顎が立派な人は北方の人であり、その気を受けて運も強い。南方の人は額が発達して顎が弱いことが多い。額も顎も立派であれば南方北方何れにも強い。
【●雌雄眼】(しゆうがん)。陰陽眼(いんようがん)と雌雄眼を合わせて陰陽雌雄眼(いんようしゆうがん)と言う。
 『両目に雌雄あり、睛に大小あり。精神あり光彩あり、人を見ること斜。心(こころ)非にして口に是をいい誠実なし。富を積むとも奸謀あり詭(いつわ)りて奢(おご)らず』
(評訳)「左右両眼の形に大小長短あり、又た眼睛に大小あるものもあり。目には精神も光彩もあれど、人を視る場合には流し目に見ること色目的也。心中には非也と思へども口だけには是といいて、誠実の気分少しもなし。相当に内福といわれる程度にはあれども、奸謀深く余り金のある容子などは見せず、詭りて人前ではぜいたくな事はせぬ也」
 「眼形は一定せず種々の形状がある、眼球の左右大小あるを陰陽眼、両目の眼裂に大小長短不同形あるを雌雄眼という、合せて陰陽雌雄眼なれども、委しくいえば別もの也。但しその作用は大体に於て似たるものとす。中には眼球も目裂も共に、或は互ひに大小長短相異するものもある、これは中々複雑だが、よく分解考慮を要する。コレは概して其の性秘密を好み偽和寛険の気風に富む。蓄財と鄙吝(ひりん・いやしい)の思想はあれども大富限(だいふげん)とはならず、到底小富(しょうふ)の域を脱せず、或は終生ヤリクリの濁貧(だくひん)なるものもあり。男は所謂る恐妻病にて妻妾(さいしょう)を恐れ、女は淫姦を行い、また他の淫事に干与することを好み、又たその間に処して利する所あらんと欲する傾向あり。ゼスチュアで片目を小さくする人あり、コレも稍々(やや)相似たる程度のものとす」淫事はミダラなことと隠し事の両方をいう。
【十三部位】(じゅうさんぶい)。額の生え際中央から頤の端までの十三の部位。上から、天中(てんちゅう)、天庭(てんてい)、司空(しくう)、中正(ちゅうせい)、印堂(いんどう)、山根(さんこん)、年上(ねんじょう)、寿上(じゅじょう)、凖頭(せっとう)、人中(にんちゅう)、水星(すいせい)、承奬(しょうしょう)、地閣(ちかく)の十三の部位。
【重瞳】(じゅうどう)。(解説)「瞳孔の黒睛(こくせい)の中に二重巻きのごとき形せるもの、双瞳(そうどう)とは別なるも俗書には混同す。双瞳は黒睛中に二個の瞳子(どうし・ひとみ)が相並びてある也。大抵はその一つは擬似にして盲なるが多し。時には上下にあるもあり、蓋し稀なり」瞳が二重巻きになっている相で、覇者の相。双瞳は左右上下に円形の黒子などがあるものらしい。覇者か大悪人の相と言われている。
【十二宮】(じゅうにきゅう)。@命(めい)宮、A財帛(ざいはく)宮、B兄弟(けいてい)宮、C田宅(でんたく)宮、D男女(だんじょ)宮、E奴僕(ぬぼく)宮、F妻妾(さいしょう)宮、G疾厄(しつやく)宮、H遷移(せんい)宮、I官録(かんろく)宮、J福徳(きゅう)、K相貌(そうぼう)宮。以上の十二の宮。
【○秀眉】(しゅうび)。(解説)「(眉が)秀づるとは日出づる也、(毛並みが)始めに下より上に昇り、終りに下る勢あり、皮面より立ち上り離るゝもの也」眉毛に少し青味があり、毛並みよく少しも濁気がない。良い眉相の筆頭にあげられる。『秀でて湾長天庫を過ぎ、目より長く鬢に入る。聡明にして早歳に科第(かだい)に登る。兄弟友姓名香』秀眉の人は聡明で若くして出世をし、兄弟ともに名を顕す。
【●手脚粗大】(しゅきゃくそだい)。『手脚の粗大なるは、富貴たり難きの徒』
(評訳)「概念的には顔面と体躯(たいく)に比して、割合に手足の大形なるもの。これは到底労働者として立ち働くのみにて、富貴とは成られず若(も)し少しく蓄財すれば破敗ありと也」
『手は粗く脚の大なるは、必らず是れ姨婆なり』
(評訳)「姨婆(いば)とは一生不遇にして嫁にも行けず、同胞のかかり人(厄介者)となり、又は他の雇人となりても我まゝが多く自分勝手を働き、威張り姨ばりて頑ばり、本人自身にとりては寧ろ気易く世を送る女、ソレに成るだろう」
【寿骨】(じゅこつ)。耳の後ろの高い骨。寿堂とも云う。
【寿上】(じゅじょう)。鼻の中央部の部位名。百三十部位の一つ。年上の下、凖頭の上。
【寿堂】(じゅどう)。『耳根の高骨は、名づけて寿堂と曰う』『耳後骨の起れるを名づけて寿堂という』耳の後ろの骨の高いのを寿堂といい、寿骨ともいう。長生きの相。
【寿夭】(じゅよう)。寿は長生き、夭は若死に。長生きか若死にか、生きるか死ぬか。寿命。
【承漿・地閣】(しょうしょう・ちかく)。『承漿地閣は盡(ことごとく)末年を管す』
(評訳)「盡末年は六十以上、晩景のことを管するのは承漿地閣の辺である」承漿は下唇の中央下にある。地閣は下顎。承漿から下は晩年の運命を現す。普通には晩年の運命は人中から下、アゴの端までの下停で判断する。承漿は下停の内に含まれる。
【上停】(じょうてい)。@顔面では生え際から眉間までを云う。A身体では首の付け根から上が上停。
【●?頭・鼠目】(しょうとう・そもく)。『?頭にして鼠目なるは、何ぞ求官を必せむ』
(評訳)「?は鹿の一種でノロという、顔面大きく頭部小にして髪毛少なし、人の頭形それに似たのをいう。鼠目とは眼裂(がんれつ・目の長さ)短かく眼睛(黒目が)一ぱいにあり、目は光れども眼中暗黒に見える也。右の二つ(?頭と鼠目)のものは官(官人、役人)になろうと求めてもムダだとなり」?は鹿の小型で角がない。鼠目は鼠眼とも言い、眼裂は眼の裂け目のことで、この場合は眼の長さのこと。官は役人の職で今でいう公務員か。
【正面】(しょうめん)。(解説)「正面には臉(顴骨)の正面と、額の正面とがあり」@眼下一寸三分を眼下の正面、一名は顴(けん・頬骨)の正面。A額上の正面。天庭、司空、中正を合わせて一寸三分の円内。
【●正面無権】(しょうめんにけんなし)。『正面に権なきは、宅舎に居り難し』
(評訳)「正面は顴(けん・顴骨)の正面、其処に肉付きなきか、有ったとしても左右偏頗(へんぱ・同じでない)なるは、権はハカリ左右均斉なるを要す、また権は力なり、顴は本来は権。日本の医家がこれをカン骨とよみ、遂には坎骨(かんこつ)などとアテ字を使用するは、明治以来の誤りにて粗忽なる読み方也。その顴に力なき人は終生ワビ住居をするより外はなかろう。宅舎とは立派な家邸(いえやしき)のこと」顴骨(けんこつ)に力がないか左右が不均衡であれば、権勢を得難く大した出世はできないだろう。偏頗は傾き偏ること。
【小人形法】(しょうにんぎょうほう)。こにんぎょうほう。顔面に人体を当てはめる方法。天庭司空を頭、印堂を胸、眉を腕、鼻を胴体、法令紋を脚に配当する。多くは病気や怪我の判断に応用する。
【○正面骨開】(しょうめんのこつひらける)。『正面の骨開けるは、粟陳(ふる)く貫朽あるなり』
(評訳)「正面には額の正面と臉の正面とあり、思うにこれは額の正面のことをいう。骨開くとは骨気があり額部の開闊に見えるものなるべし、粟陳(あわふる)く貫朽(かんきゅう)は粟は米あり余りて陳(ふる)く古米になりて廃物になるほどあり、貫は貫禄もクサルほどにある、ツマリ有福すぎる位の旧家にならうと也」
【○正面黄光】(しょうめんにこうこうある)。『正面に黄光あるは、思うこと遂げざる無し』
(評訳)「正面には言ふ所に二あり、眼下の一寸三分を眼下の正面、一名顴(けん)の正面という。今の百三十部位にては眼下の一小局部に指定あり。他は額上の正面は天庭司空中正を合わせて一寸三分(の園内)。此の正面とは眼下の方なるべし」眼下、頬骨の正面に明るく冴えた色があれば、思うことが全て通達する相。実地鑑定の時には顴の正面と額の正面とを合わせ見て判断することが肝要。
【○上相】(じょうそう)。上格の相、良い相のこと。
【承漿】(しょうしょう)。(解説)「漿漿は唇の下とあれども、実際は下唇の一部を含め考えること」@下唇の中央の下一指頭大の部位。A下唇に添った、下唇の下側一帯。水難、食あたり、薬違いなどの現われる部位。
【●承漿深紋】(しょうしょうのしんもん)。『承漿の深紋は、恐らくは浪裏に投ぜむ』
(評訳)「承漿は唇下とあれども、実際は下唇の一部を含め考えるべし。ソコに深い紋があるのは水厄なり。浪裏(ろうり)に投ぜんとは身投げでもするだろうということ、他から来る水難ではない。其の人の運命が悪く、自然にソコに落ちこむに至る」下唇の下に深い横紋(多くは浪のようなうねった紋)が現われたなら、波間に身を投じる水難の相。船が沈没するなどの全ての水難を含むと思って判断したほうが無難。
【●女子肩寒】(じょしのかたさむ)。『女子の肩寒きは、弧刑あり再嫁せむ』
(評訳)「女子の肩端に肉気少なく寒々と見えるは、弧刑にしてゴケとなり、また再嫁もする也。日本語にては寡婦(かふ)をゴケといい、その宛字(あてじ)を後家とするも、実はそのゴケというはこの弧刑(こけい)の訛語ではないかという」
【●女子眼悪】(じょしのめあしき)。『女子の眼悪しきは、嫁しては即ち夫を刑す』
(評訳)「女子の眼形(目付きなど一切)見ぐるしき也。蛇眼(だがん)、馬眼(ばがん)、三角眼(さんかくがん)等は最も悪し」眼形はいうに及ばず、目使いや斜視、眼光強力など、癖のある目一切を悪眼と云う。女子で悪眼の者は夫運が悪い、夫を駄目にするという意味。
【尻上がり眼】(解説)「尻上りは権勢欲求的傾向がある、欲ばりで威ばりたがり、主我的であって他との調和力は極めて少ない、そのクセ心もちは素直でアッサリしている」反対に下がり目の者には曲者が多い。眼光の強弱で駕の強さを判定して間違いがない。
【耳輪】(じりん)。耳の外枠。
【●歯露】歯が露出していること。露歯。
【●歯露・唇掀】(しろ・くちびるあがる)。『歯露にして唇の掀るは、須(すべか)らく野死を防ぐべし』
(評訳)「野死は野垂れ死にのこと、掀唇露歯なるものは、その性格運命上正に斯(か)くあるべしと也」唇が巻き上がって歯が露出しているのは、野垂れ死にの運命だから反省修養しなさいとの意味。
【●白如枯骨】(しそろきことここつのごとき)。『白きこと枯骨の如きは、亦(ま)た身の亡ぶるを主どる』
(評訳)「白は気色でありまた皮膚面の色(血色)でもある、枯骨は白骨、皮面の色沢なき形容なり。その本身の死を語るものである」面色が白骨のような白い色であれば、もうすぐ死ぬだろうと。枯れた白色は死の色。
【神】(しん)。(解説)「神とは面神眼神体神等の凡てを含めいう、その身より発散する神気也。ソレは精神の一部には相違なきも、精神は心意力に従う場合あるに、これらの神気は不随意のものなり」神は生命力、精神力、運命力のこと。魂の意味もあり。全身から発する力を体神(たいしん)、顔付きに現われた力を面神(めんしん)、眼光に現われた力を眼神(がんしん)という。『神は眼を主とす』神の露出、隠れる、枯れるなどの表現あり。『気濁り神枯るゝは、必ず是れ貧窮の漢』雰囲気が濁って眼神が枯れて力がない者は、必ず貧窮である。
【○有神無色者生】(しんあればいろなきものもいく)。『病淹(ひさ)しく目は閉づれども、神あれば色無き者も生く』(評訳)「淹(ひさしい)は滞ること、長びくこと、留まること、久しいこと。病むこと久しうして疲れること多く自然に眼は閉じれども、面神があれば顔色はなくてもそれは死ぬとは限らない。生きるものである」神には体神面神眼神がある。長患いで顔色が引いていても、神があれば生きる。古典に「神は目を主とす」とあり、眼神が肝心ということ。神とは生命力のこと。
【神異賦】(しんいふ)。『神異は秘授を以ってするに非ずんば、豈(あ)に塵凡の能く解推せんや。言語を以ってせず、隠にして之れを授く。石室の丹書を発(ひら)けば、吾が道忘らるゝ莫(な)し。神仙の古秘を剖(ひら)いては希夷(きい)に度与(とよ)せり。一覧遺る無くんば方(まさ)に知らむ、神異賦の誣妄(ぶもう・偽り)にあらざるを。千万伝ふるなかれ後学凡庸俗悪の子。慎めよや之を謹め』麻衣仙人のことは「出生死所詳らかならず。麻衣道人というのみにて姓氏道号字等一も伝わらず」希夷とは陳摶希夷(ちんたんきい)という仙人。「陳摶字(あざな)は図南(となん)、自らは扶揺子(ふようし)と号せり。相人の法に精(くわ)しく・・、白雲仙人といふ」
中国の晩唐のころか五代の時代に、崋山の石室に隠れた麻衣(まい)仙人から、陳図南(ちんとなん)という仙人が授かった人相術の秘伝を賦の形で残したものと言われる。陳希夷先生は中国人相術中興の祖といわれている。大修館書店の漢和辞典の中国学芸年表には「九八九年、陳希夷没。(儒・仏・道三教の一致を説く)神異とは神変異常のこと。
【神気】(しんき)。神と気を合わせて言う。神を神気と云うこともある。
【○神気澄清】(しんきちょうせい)。『神と気と澄清なるは、利名両(ふた)つながら得む』
(評訳)「神気の生きいきした澄清なものは、利益も名誉も両方とも獲得出来るだろうと也」澄清は澄んで清いこと。清い相と寂しい相とを見誤らないように要注意。雰囲気や顔色や歩き方などが寂しいのは孤独の相。
【●神緊眼円】(しんきびしくめのまどか)。『神緊しく眼の円(まどか)なるは、人となり急にして燥(さわ)がし』
(評訳)「神は眼神、眼神がビリビリと響くように緊しい、それには面神も伴って烈しく眉の毛が立ち、顔筋がつれるようであり、目玉のマルマルとした様なのは、その人柄がセッカチで騒がしくお調子もので気嫌買いである」気嫌は機嫌。嫌われる。目が丸く眼光が暴れ出るような者は、短気凶暴で手に負えない相。眼光が暴出すること、刺すような目とは別だが、凶暴な悪眼(あくがん)には変わりがない。
【○神清・骨秀】(しんきよく・こつひいでる)。『神清く骨の秀でたるは、必らず名観に住す』
(評訳)「眼神面神ともに清く、骨気の秀でたものは必らず出世して名観(めいかん)とは大なる寺院、その住職になるだろうと也」体神、面神、眼神ともに清らかで力があり、骨格が整い風格がある人は出世をする。
【●人形似鬼】(じんけいのきににたる)。『人形の鬼に似たるは、衣食は豊かならず』
(評訳)「鬼(き)は日本のオニの形にはあらず、幽霊幽鬼のこと也(なり)、その人痩せて凄じく物惨(いたま)しき様子合のもの也、ソレは衣食豊かならず」幽霊のような雰囲気相貌では、衣食にも事欠くだけではなく、病弱で孤独の運命となる。
【心形一致】(しんけいいっち)。人間の心と身体は一致する。心と人相は一致するという観相学上の法則。
「思いは絵に成る(天道春樹)」顔面に現われる画相に限らず、人相全部が心の絵であり、人工的なものは勿論、何もかもが思いによって作られたと言える。宇宙も親神の思いによって作られたのか。宇宙に意識はあるのか、物理的な法則も意識なのか。「思いは全てに先立つ(法句経)」
【心形変化】(しんけいはへんかす)。心も人相も変化するという観相学上の法則。麻衣老祖は「相は心を追うて生じ、心を追うて滅す」「相は心の後にあり、心は相の先にあり」と云っている。心は環境で変化し、心は環境を作る。
【○神光満面】(しんこうありめんにみつる)。『神光あり面に満つるは、富貴心に称(かな)う』
(評訳)「神光は面神なり、面上に見(あら)われる生き生きとした色沢なり、それがあるのは富貴向上思いのまゝ也」顔色が明るいとか暗いとかの問題ではなく、顔に力があるかどうかのこと。明るい色であっても顔と色に力がなければ破敗の相と判断する。面神(めんしん)とは、顔に現れた神気(力)のこと。他に体神と眼神がある。「神は眼を主とす」
【○神稱於形】(しんのかたちにかなう)。『神の形に稱ふは、情懐舒暢なり』
(評訳)「神とは面神眼神体神等の凡てを含めていう、その身体より発散する神気也」「若(も)し形と神と倶に完く、足りて偏せざる者は心身安泰の相也」神の形に稱うとは、神も形も力と余裕があること。情懐舒暢(じょうかいじょちょう)とは、心持ちがノビヤカなこと。
【○神賽於形】(しんのかたちにまさる)。『神の形に賽るは、庄田に栄足あり』
(評訳)「神は体神なり、全体より発する神気ありて、その形格(全体)を掩(おお)うかに見える也、これは定めし家倉田地財産がタップリと栄え足るべしとなり、賽(さい)は横形に動き覆ひかぶさる貌(かたち)、賽銭は横行して覆合する形にバラ蒔くなり、浅草へ行きて十円玉一つ位タテに放りなげて、子孫長久福徳万全等を祈りてもダメ、賽銭は数個の小銭を横形にバラ撒かざれば、御利益(ごりやく)はOKとならざる也、然らざれば賽銭は却りて災銭と成る也」
【●更忌神昏】(さらにいむはしんのこんするなり)。『更に忌むは神の昏するなり、八九にも也(ま)た意(こころ)に稱(かな)うことなし』
(評訳)「『四反の相』の上にその部の神気乏しき也。八九は七十二才也、また思う通りにはならないと也。貧乏もするし身体も弱ろうということ」四反の相より更に忌むのは眼神が暗いことだという解釈もある。一生心に叶うことが無い、思い通りにはならないという意味。「神(しん)は眼を主とす」四反とは、@眼に神がなく、A鼻は穴を露出し、B耳に輪なく、C口に稜なし(唇の境界線がない)、の四つの相。
【心性質】(しんせいしつ)。三質の一つ。脳髄と神経が発達した形質。そこから弱い、寂しい、考えるという意味が導き出される。神経質、思索型と言われる。頭脳の発達、顔の上停が広いのと、思索するような目に特徴がある。他の二質との調和がよければ上相、偏れば下相となる。
【神若崢 】(しんもしそうこうならば)。『神若(も)し崢 ならば、凶豪にして悪死せむ』
(評訳)「神は面神眼神等を含める、崢 (そうこう)とは山に大木あり険阻高峻(しゅん・高い)なるが如く、その人物の険しいことの形容、その如き人は必ず凶豪であり、遂には死にざま悪しく死ぬるといふ也」顔つき眼光が険し過ぎる(強暴)な人は、凶暴で死に際も悪い。
【神相全編】(しんそうぜんぺん)。中国は清の時代(一六四四〜一九一一)の初めの頃に編集された人相術の書。それまでの伝書を纏めたもので、宋希夷陳摶秘伝 明柳荘(りゅうそう)袁忠徹(えんちゅうてつ)訂正とある。目録は人相篇、相児経、巻首、巻一〜十二まである。神異賦あれば、全てが収まっているといえる人相術の教科書。
【神相全編正義】(しんそうぜんぺんせいぎ)。日本の文化年に中国の神相全篇の主要な所を、石龍子法眼(せきりゅうしほうげん)先生が訓読で読みやすくして出版したもの。神相全編、正義ともに図解は全く当てにならない。
【●神脱口開天柱傾欹者死】(しんだっしくちひらき、てんちゅうけいいするものはしす)。『神脱し口開き、天柱の傾欹する者は死せん』
(評訳)「神は面神眼神体神等全部の神気をいう、その神気が虚脱の状となり、口はあけ放しになり、天柱は鼻筋と考える方が宜しい、鼻梁が曲ればその人は死ぬる也」天中には首と鼻の二つがあるので、鼻筋の力が抜けるのと首が力なく傾くのも考え合わせるほうがよい。 
【●神帯桃花】(しんにとうかをおびる)。『神に桃花を帯ぶるは、也(ま)た須らく児は晩(おそ)かるべし』
(評訳)「ここでいう神は眼神にあらず面神のこと。眼瞼外眼の周囲に紅色を帯び婀娜(あだ・色っぽい)なる眼形また面色なり。目を主にしては桃花眼(とうかがん)という。桃花(とうか)とは桃の花のような桜色のこと。神(しん)には体神、面神、眼神がある。」眼光が色っぽいこと。顔全面が桃色の場合は桃花顔(とうかがん)と言う。孤独か若死にの相。「神に桃花を帯びる」とは、雰囲気、顔付き、顔色、眼の回り、目付き眼光の全部を指すと解するのが無難。一事が万事、「桃花」も人相の全てに滲み出ていると知るべきだろう。子供でも特に跡取りが生まれるのが晩いという意味。
【●神之不足】(しんのふそく)。『神の不足は、酔わずして酔うに似たり。常に病酒の如く、愁えずして愁うるに似たり、常に憂戚(ゆうせき・憂い顔)の如し。睡(ねむ)らずして睡るに似たり、纔(わずか)に睡って覚め難し。哭(こく・泣く)せずして哭するに似たり。常に驚怖(きょうふ)するが如し。嗔(いか)らずして嗔るに似たり。喜ばずして喜ぶに似たり。驚かずして驚くに似たり。癡(おろか)ならずして癡なるに似たり、畏(おそ)れずして恐るゝに似たり。容止昏乱、色濁り、神色悽愴(せいそう・いたましい)、常に失(しつ・呆然とした様)あるが如く、恍惚(こうこつ・ぼんやり)張惶(ちょうこう・あわてる)、常に恐怖するが如く、言語は瑟縮(しつしゅく・ちぢまる)。羞じて隠蔵するに似たり。貌(かたち)低摧(ていさい・冴えず)。凌辱(りょうじょく・辱める)に遭うが如く、色初め鮮やかにして後に暗く(見かけは鮮やかでも次第に暗くなる)。語、初め快くして後には訥(ども)る。これ皆な神の不足也。神の不足は多く牢獄の厄を招く。官亦(ま)た位を失ふことを主どる』神の不足する者は、役人なら位を失い、俗人なら牢獄に入ることもあるだろう。「神の有余」参照。
【●腎浮不緊】(じんふにしてきんならず)。『或は如(も)し夭折して成り難きは、腎浮にして緊ならず』
(評訳)「腎とは外腎、陰嚢(いんのう)のことソレがブヨブヨとして緊(しま)らないものは、夭折はわか死に成長の途中で死亡するし、成り難しは成人しがたいと也」子供で陰嚢がブヨブヨしているのは若死にの相。但し現代医学の発達は目覚しく、若死にの相であってもよく救う例が多い。
【○人物巉巌】(じんぶつざんがん)。『人物の巉巌なるは、海底に明珠の聚(しゅう)するに似たり』
(評訳)「巉はギザギザ、巌は重々しくイカメシイ貌(かたち)、合わせて際だちて立派なる様子、この如きものは海底にある明珠の如く容易に手にはとれぬが実質的には美しいものであると」
【審弁官】(しんべんかん)。
『鼻を審弁官と為す。豊隆聳直にして肉有るに宜し。端正にして歪まず、偏らず、粗ならず、小ならざるは、此れ「審弁官の成る」なり。三曲、三彎、孔露れ、竈仰ぎ、扁弱(小さく弱弱しい)、背(骨)を露(あらわ)し(痩せて骨が露れる)、太(はなは)だ大にして弧峰(こほう・鼻ばかり目立って高い)の如きは、此の人兇悪貧苦にして成ること無し。刑悪、邪欲にして奸貪(かんとん)なり。此れ「審弁の官成らざる」なり』
 『竅(あな・穴・鼻孔)小なれば慳貪(けんどん・ケチでムサボル)なり』「左右の胞(ほう・鼻を左右に分けて言う)、之を仙庫と謂ふ。左胞を左庫(さこ)と名づけ、右胞を右庫と名づく。夫れ庫は高く豊厚ならんを欲す。竅は庫の戸也。戸は小にして斉(ひと)しからんを欲す。庫の厚くして、隆(たか)く戸の小にして斉しき者は、庫内に積めるもの有る也。庫、狭くして薄く戸・大にして薄き者は、庫に積める無き也。竅小さく庫の斉しき相(ひと)は、好く聚(あつ)めて捨てず、戸・寛(ひろ)く反(そ)りて仰げる相は、積める無くして施(せ・ほどこし)を好むもの也」
 『高隆なるは顕官』「鼻を土宿(どしゅく)と為す。万物は土に生じて土に帰す。これを山岳に象(かたど)る。山は高きを厭(いと)わず、土は厚きを厭わず。又、一面の表(ひょう)と為す也。夫(そ)れ天地人三才(さんさい)の中、鼻は人(じん)たる也。高隆を得て貴からむと欲す。惟(ただ)鼻は嵩岳(すうがく・五岳の一)と号す、中(顔面の中央)にありて天柱(てんちゅう)として高く聳ゆ、梁(鼻梁)は豊隆を貴しとす。漢の高祖は隆凖(りゅうせつ・凖は鼻についての特別な読み方なり)」
【●神短無光】(しんみじかくひかりなし)。『神短く光無きは、早に幽冥に赴くの客』
(評訳)「眼神短く光り乏しき也」(解説)「目の神短促にして光なく、視瞻(しせん)力なくして昏暗なる者は夭折あるを主どる」神は眼神のこと。神短くとは、眼光が弱く光が乏しいこと。眼光が弱く乏しいものは、早年にあの世へ行くという意味。急に眼光が弱ると、近いうちに病気か災難に遭うことがある。
【○神之有余】(しんのゆうよ)。『神の有余は、眼光清瑩(せいえい・清く美しい玉)、顧?(こはん・見ること)斜ならず、眉秀でて長く、精神聳え動き、容色澄徹(人相が澄んで明るい)、挙止汪洋(動作が堂々)、恢然遠視(ゆったりと遠くを見るような)、秋日の霜天を照らすが若(ごと)く、巍然(ぎぜん・立派)として近く矚(み)れば、和風の春花を動かすに似たり、事に臨みて剛毅なり、猛獣の深山を歩むが如し、衆に出でて逍遥(しょうよう・気儘に楽しむ)す。丹鳳の雲路に翔(か)けるに似たり。其の座すや堺石の動かざる如く、其の臥すや棲鴉(せいあ・巣の鳥)の揺(うご)かざるが如く、其の行くや洋々然として平水の流れるが如く、其の立つや昴々然として孤峰の聳えるが如し。言妄りに発せず、性妄りに躁(さわ)がず、「喜怒其の心を動かさず」、栄辱(えいじょく・名誉と恥辱)其の操(みさお)を易へず、万態紛錯(ふんさく・入り乱れる)を前にして「心常に一なり」。是れ則ち神の有余と謂うべき也。神有余の者は皆な上貴の人たり。「凶災其の身に入り難く」、天禄永く其れ終えん』神の有余する者は、上貴の人で、災いに遭うことなく、天授の強運をよく保つ。

【す】

【●酔眼】(すいがん)。『紅黄と混雑して却って流光。酔うが如く痴に似て心昧昂(まいこう)。女犯貪淫、男は必らず夭す。僧人道士にあるも亦(ま)た淫荒』
 (評訳)「紅いすじ黄色い筋など眼中に混雑してあり乍(なが)ら、却って黒目からはその光りが流れ出る様に走り、白目もビラビラと上光(うわびか)りが絶えない。その眼は酔うたようでもあり痴なるにも似て居る、そのクセ心は暗昧にクラク(暗く)昂(たか)ぶっているばかり。新本及び乾隆本(けんりゅうぼん)には昧昂を眛良と訂正あり、理由なし、古原本には昧昂也。心中昏昧にして昂(たか)ぶる見あるなり、昂は気位に貴きことをいう。妄りに女を引っぱり挑みかヽり淫を貪求(たんきゅう)し、ソレが男の場合には必らず若死にする、女は往来(オ〜ライ)主義淫乱で身を果たす。僧人や道士などにあるも亦た淫に荒ぶとあるが、この眼は僧人道士には却って多いものである、彼等は内々で荒淫続行をやらかして居るからである」
 「酒に酔いたるにあらずして酒に酔いたる如き眼をいう。本来酒毒者の眼形はこれなるも、已(すで)に酒毒者なる限り問ふ所にあらず、酒家にあらざるものが此の如きは殊更ら、勿論酒毒者もこの性命の範囲よりは免れず。眼形は一定せざれども、大体視ること茫然(ぼうぜん)たる如く且つ朦朧(もうろう)たり、そのクセ眼睛は注視せんとするやの形勢あれども確かならず。眼睫は清明を欠き、瞼もまた美ならず、眼尾はユルミて涙沱(るいだ)あるやの感あり。眼睛露にはならざるもビラビラと光り流れる趣あり。酔眼の人は長命ならず或は官罪刑尅あり、この頃急に酔眼になりたる人は、近視眼となる兆(きざし)故注意すべし。これは酒家の遺伝あるもの也。老人の眼には酔眼又は近きもの多し、もし若きものにあらば必らず夭するなり。尤も酔眼は酔顔の一部の要件ともなる也」酔ってもいないのに酔っているような目付きを酔眼という。
【水形之人】(すいけいのひと)。『水形の人は流風ありて円満なり』
(評訳)「水形の人は形柔らかく肥え太り、流風円満ではあるが、水の方円は器に従うので、確然たる堅さはない、色は黒い」水の象。大柄で肥え太り、度量があり実業化向き。海運業、金融業、その他大掛かりな仕事に敵する。
【○水局得金】(すいきょくにしてきんをえる)。『水局にして金を得れば終には須らく快暢(かいちょう)なるべし』
(評訳)「水形の人で色が黒ければ水局と謂われるが、それにドコかに金形の分子が加はれば、ソレは金生水であるから、終には運命が快暢にならうというのである」水形の見本のような相を水局という。それに金形の特徴が加味されたなら運が命は強く順調な運命だという。
【●水逢厚土】(みずのこうどにあう)。『水は厚土に逢えば、忽ち資材を破る』
(評訳)「水形の人が顔色が黄色いか、田字面(でんじめん)か位の少しの土質にあっただけなら、土は忽ち水に溶解され土の本質を失う、溶の字は水が他物を包容する意からの合成字、乃ち水が勝つのであるが、骨格から肉の盈満から土質の方が勝てば、大量の土に逢うて水は吸収されて負けて仕まう、尚ほ堤防のやうな大厚土にあへば、水は向いた方にも流れ得ずその本質実質を発揮出来ぬので、水としての能力を失う。土尅水なので忽ち資材を破る結果になるという」
【垂珠・垂殊】(すいしゅ)。耳朶(みみたぶ)。
【出納官】(すいとうかん)。『口は出納官。唇が紅(くれない)で歯は白く、両唇が斉(ひと)しく豊かに、人中(にんちゅう・鼻の下の縦溝)が深く長く、仰月口、弯弓口、四字口、方口、牛口、龍口、虎口など、両唇が反(そりかえ)らず、吊り上がらず、尖らざるは、これを「出納官の成る」という。唇が短く歯が露れ、唇黒く唇皺み、上唇薄く下唇反り、鬚(ひげ)が黄色で焦枯(か)れて粗濁なるは、これを「出納官成らず」という』『口は四角張り大きいのがよい。唇が紅く、形が端正で厚く、口角がハッキリしており、弓のごとく口角が上がり、開いては大きく、ツムっては小さい、これを「出納官の成る」という』『唇が短く、巻き上がり、色が青く、歯が露われ、偏平なのは骨肉(肉親)が分離する。大きくても形が不正なのは虚詐(いつわる)が多い。偏平で薄いのは人を誹る。鮮やかな朱色は名誉がある。唇の裏が紫色なのは衣食が豊かで、唇に縦紋が多いには善人。食事にむせびノドに詰まらせるのは運が滞る。口の両角が低垂しているのは貧相で人の恨みを受ける。唇の中と上唇のホクロは酒食に縁があり。口角のホクロは晩年に水難がある。法令紋が口に入るのは餓死の相。唇が紅色で潤いあれば貴く黒い者は賤しい。青と白は病気の相』
 『口は言語と飲食の門である。心の扉である。人を誉め罰する所、是非をいう所なり。形が端正で厚く妄りに喋らず。これを口徳という。誹謗や多言を口賊という。口が大きく稜(唇の境線が明瞭)あるのは寿命が長くて貴い。形が弓のようであれば官(地位)禄(財)があり、大きく厚いものは寿と富がある。形正しく偏らず薄からずは衣食が豊かであ。四の字の富あり足る、尖り反り返るは偏して薄きは孤独で賤しい。物言わず口が動く馬の口のごときは飢餓。火を吹くような口は孤独、色が紫黒は運が滞り、口に拳が入る者は出世相、独り言は賤しい、唇を口の城郭となし舌を口の鋒刃(ほうじん・やいば)となす。城郭は厚きを欲し鋒刃は利(鋭い)を欲す。舌大で口小は貧薄夭折。口小で舌短くて貧。色は紅を欲し、言葉は清いのを欲す』
【水難】(すいなん)。水に溺れる、海や川への投身、津波など、水による一切の難儀。
【睡鳳眼】(すいほうがん)。
 『平々たる瞻視は偏斜ならず。笑へば和容を帯び秀気華やかなり。天性人を容(ゆる)してまた量あり。須(すべか)らく知るべし富貴足り誇るに堪ゆ』
 (解説)「目づかいが平かで偏頗(へんぱ)になったり、斜傾したりするやうなことはない。自然の笑ひが顔中に和気をたヾよはせる、目から起る秀気が華やかにある。その人の天性雅量があり、気に入らぬ人の言行をでも我まんして容認する、人の我がまヽをも容すのである。富貴が相当にあって人に誇るに堪ゆるだけにあらうと也」
 「目尻の垂れたる鳳眼睡(ねむ)げなる趣、満足の表現。サカリ過ぎたる女の眼なり、天蓋のウラ東方に一人居る天女の眼は睡鳳眼に書くが作法なり。サカリ過ぎたる女の眼なり。睡は目垂るヽ也、上瞼タルミて覆ひ蓋(かぶ)さる如きの観、眼形は概して細く見ゆ。目尻一反は垂れて末端ハネ換え反る趣あるも、大しては上らず。眼は正視なるも球は少し下向きにて、光りは弱く流るヽ如し」
【瑞鳳眼】(ずいほうがん)。
 『日月は分明にして両角(りょうかく)斉しく。二波長く秀でヽ笑ふこと微々。流るれども動かず神光の色。翰苑(かんえん)にありて声名鳳池に達す』
 (解説)「日月は左右の眼が均斉に黒白が分明である、両角とは目の頭尾(目頭と目尻)の両角が斉しき角度にある也。二波(には)とは眼の上下の眼波の長く秀づること、そしてその笑ひはにっこりと少し笑(え)むだけ也。眼光は流るヽやうなれども眼中は動かず眼神の光りは美しい。まだ学者の域を脱しないで翰苑にある頃から、外部での評判がよく、お終いには為政家となって鳳池は宮庭の異名、廟堂に立って天下の政治を行ふに至るであらうと也」
 「鳳眼の上下膨(ふくれる・は)れぼったからぬ眼なり。細長くすヾしき眼形。水平にして正しけれども、愛嬌には乏しき目也。上眼瞼の目元によりたる方に少しの三角あり、中央部は丸みなく平直なるが特色の一なり」

【せ】

【眥】(せい)。「眥はセイ、シ、サイなどの音がある、眼の頭尾両方の瞼及び中味を含めての称、目の動く趣を保有しての貌(ぼう・かたち)。頭部(目頭のこと)の方を前眥(ぜんし)または内眥(ないし)といひ何れもシと呼ぶ。尾部(目尻のこと)の方を後眥(ごせい)または外眥(がいせい)と称し何れもセイといふのは、便宜の呼称である」
【睛】(せい)。「睛は青い目、青とは青黒のことで、乃ち黒睛クロメをいふ」@眼の虹彩の部分、東洋人は漆色、濃茶褐色が標準。A眼を睛という場合もある。眼睛(がんせい)。
【睛青口闊】(せいあおくくちひろい)。『睛青くして口の闊きは、文章ある高人なり』「睛の青黒きこと也、青目玉のことにはあらず、唇厚く口の闊く見ゆるは文章あり、高人(こうじん)とは人格高き人のこと也」睛は虹彩の部分、東洋人は濃い栗色が標準であり吉相。そこに薄っすらと青味があること。外人の青目とは別物。学問がある人格者であると。
【睛赤】(せいあかい)。睛は眼の虹彩の部分。東洋人は栗色が標準。『鬚黄にして睛赤きは、終に横?(おうさい)あるを主どる』横?(災)は横死などに遭うこと。睛が赤いだけでもこの意味がある。
【睛竄若?】(せいかくれしょうのごとき)。『睛竄れ?の若(ごと)きは、横亡の漢なる如(ごと)し』「(?目・しょうもく)、ソレは横亡(おうぼう)の漢、俄かに災厄か何かで死ぬことがあらう。
【青気】(せいき)。青い気色。
【青気少喜気多】(せいきすくなくききおおし)。『青気少なく喜気の多きは、富貴至りては亦(ま)た至る』青気は青い気。喜気は黄気。悪色が少なく美色が多いのは、富貴の運が続くという意味。@悪色の下から美色がこみ上げてくるように見える。A悪色の中心から美色が広がるように見える。
【青気天庭】(せいきのてんていにある)。『青気の天庭は、須(すべか)らく瘟疫を防ぐべし』天庭は額。瘟疫(おんえき)は伝染病。額一面に青い気色が現われたら、急性の伝染病に罹るからそれを防げと。「(瘟疫は)病因多岐なる病、但し若干の熱気を中心とする疾患とす」
【睛如魚目】(せいぎょもくのごとき)。『睛魚目の如きは、死の期を速める』睛は目。「眼睛が魚目の如く、余り動かないか動くこと鈍きほどのものは生気を失へるもので、遠からず死ぬと也。眼底血圧が低すぎる兆」魚目のようなドンヨリした目の者は、長生きは出来ない。精神も弱い。
【声骨澄清】(せいこつちょうせい)。『声骨の澄清なるは、富貴の輩なり』「声音も骨気も澄清であるものは、富貴になるてあい(手合い)輩である」声は澄んで骨(こつ)は清いという意味あり。
【青色】(せいしょく)。
【青色侵顴】(せいしょくけんをおかす)。『青色あり顴を侵せば、兄弟に唇舌のことあり』「青色は青気といふに同じ、青?といふも同様。唇舌は親絶の隠語。親しかるべきものゝ不和となり絶交する義」青い色が顴骨(けんこつ・かんこつ)に現われたら、兄弟との不和絶好があるという意味。顴骨は頬骨。「時に兄弟に死亡敗残あることもあるべしとなり」因みに、全て顔の正中線(中心線)を我とし、上停中停下停の左右を父母、兄弟世間、部下に配当する。
【星辰】(せいしん)。「星辰の星は五星を指すのである。即ち火星は額、土星は鼻、水星は口、金木星が耳。また辰の字は星と星との中間、即ち肉眼には見えぬ星宿のこと」
【星辰失陥】(せいしんしっかん)。「五星の中間のアマキのことで、眼、眉、顴(顴骨)、頬、人中及びその左右と頤など、それらの失陥あるものは終生貧窮だという意。則ち星辰は顔の造作及び空間全面をさして二字に言ひ現したもの」顔の造作が歪んだりして整っていないことを云う。『星辰に失陥あるは、隔宿の儲糧なし』「隔宿の文字は星辰の字に対応す。辰宿の熟字があるのでも分かろう。本項の意は、一日置いての食料を持たないということ。儲とは設けなり備へ也。宵越しの金なども持たぬいふ有てぬ類をさしていふ」
【性相学】(せいそうがく)。骨相学。
【清濁】(せいだく)。『三に清濁を取る。但、人の体厚き者は自然に富貴なり。清なる者は縦ひ痩せるとも神長ず。必ず貴きを以って之を推(お)す。濁なる者、神有れば之を厚(こう)と謂ふ。厚なる者、多くは富む。濁にして神無き、之を軟(なん)と謂ふ。軟なる者は必ず弧なり。弧ならざれば則ち夭す』
【正中線】(せいちゅうせん)。
【活人性命】『大なるこちは、則
【凖頭】(せっとう)。準頭。鼻の先端、鼻の頭。
【凖頭赤色重々】(せっとうせきしょくじゅうじゅう)。『凖頭の赤色重々なるは、奔波し詭計あり』「凖頭を中心に鼻スジ全体に赤きなり、重々は赤さが重なり濃き色をなすをいふ、その赤さの甚だしきは鼻翼にも及ぶことあり。胃と心肝或は肺にも腎にも相関す、医療にて治すれば運も徳も直るもの也。又徳を治め運が直れば鼻赤も治する也。もし治せずんば奔波し詭計あること免れずとなり」奔波(ほんぱ)は奔走。詭計は計略し騙すこと。赤鼻の者はあれこれ計画して忙しく奔走すれども、騙す心があるから失敗を繰り返す。
【凖頭豊大】(せっとうほうだい)。凖頭が目立って肉付きよく大きいこと。『凖頭の豊大なるは、中心に凶なし』凖頭が豊大な者は、心根が良く、人が良くて悪心がないこと。『凶』は人が穴に落ち込んでいる象。
【賎】(せん)。心持ち、身分が賤しいこと。
【生相若仙】『生相もし仙の若(ごと)きは、平生に閑逸なり』「生相は生れつきの相也、仙人のような人は平生の生活が貧を貧とせず閑雅である」仙人のような相とは飄々とした相。
【遷移宮】(せんいきゅう)。『遷移は位を眉角に居す。号して天倉(てんそう)と曰ふ』『辺地、駅馬、山林、髪際、乃ち出入の所たり。宜しく明潤潔浄ならば遠行に利あり』眉尻の角。コメカミの所を遷移宮と言い、財運と変化と移動の良し悪しが現われる部位。
【前世】(ぜんせ)。『人の富貴に生るゝは、皆な前世よりの修行に由る』「人が富貴の家に生るゝのは、皆な前世の修行如何(いかん)による、これは主として仏教思想である、輪廻によって転生(てんしょう)するとうふ原理、前世はその人未生以前の世をいふ」
【前相好背負虧】(ぜんそうよくしてはいふのかくる)。『前相好くして背負の虧くるは、虚の名ありて寿なし』「前から見て好くとも後ろから見て、後背や肩や脊柱や腰つきや、貧寒薄弱なれば虚名無寿は虚の名とよむ、普通にいふ虚名ありといふ意味合とは少々違ふ、虚は虚花ムダバナの略、コレは虚(ムダバナ)と名づくべきものであって寿(いのち)もないといふこと」
【前定】(ぜんてい)。前程も同意。事前から定まっている行程。運命。『相には前定あるなれども、世に予めこれを知るもの無し』

【そ】

【相】(そう)。姿かたち、有様。森羅万象に相がある。
【竈仰天撩】(そうあおぎてんをつかむ)。『竈仰ぎて天を撩(つか)むは、中限には破敗あり田園は耗散せむ』「竈は鼻孔の一名、?上(そうじょう)などともいふ。撩の手ヘンはツカム即ち天をツカム、鼻孔が天をつかまんとする気勢あるをいへり。鼻孔のダラシなく天上向きのものは、出タラメ話ラッパ吹きにて大事な秘密は保てぬと也。ソレは中年には破産敗財があり家庭を破壊し田園を売りつくし一文なしになって了ふと也」
【相格】(そうかく)。「或る条件の相として具備する場合にいふ」例えば貴相格、富相格、威相格、木形格、火形格などと云うのがこれに当たる。
【相格に入る】(そうかくにいる)。相核に当てはまること。
【象眼】(ぞうがん)。象目(ぞうもく)。
『上下に波紋ありて秀気多し。波長く眼の細きは亦(ま)た仁和す。時に及んでは富貴皆な妙たり。遐算清平楽しみ且つ歌ふ』
(評訳)「眼の上下には波紋があって、眼中の秀気が多い。上下の波紋といふは、上下の目ぶちにある波形なる線、二皮目(ふたかわめ)の副線をふくめて称す。秀気とは其の線形スッキリと美しく見え濁気など無之(これなく)、また眼中の美しきこと」「眼波が長く眼が細いのは仁の心が深く、他との調和性がある。亦の字は肉間の意で性器など宜しと也。目は女(め)也、性器の表徴」「時が来れば富貴となり、万事好都合に行かう。及時とは大体廿五六才より三十位までの運限(うんげん・運の区切り)、その頃になればと也。 は妙に同じ意なれども、少(わか)くして玄(げん)なり、乃ち白人(しろうと)ばなれが仕ており、万事ものなれた様子だと也。妙は少き女の状態のアレのこと也。遐算は長生きの一生涯、清平は清安平和の略、且(かつ)はまた也、普通は男根にいふも、男女とも老年まで性根つよき方なり、ナベヅル(なべづる形の眼)も此の点は似て居る」
 『象目は鈍濁にして専ならず』
(評訳)「専は純一不離をいふ、また専横の略、不専はソウではない、我がまヽではなく柔和だが濁気が多いとなり。『象目なるは頭大にして身肥え、眼小にして神(しん)昏(くら)し、行々下を視、人となり多く混濁あり、自から専ならず人に駆使せらるヽを愛す』
(評訳)「行々はユックリ歩行する場合はいつも下を向く傾がある。人がらは混濁は多いが自然に専横なことはなく柔和で、人に駆使せらるヽを好むと。乃ち愛人に駆使せらるヽ方なり」
 『象目は身肥え主(た)だ痴なるに似たり。神は昏く眼は下視し如(も)しくは迷ふ。一生の作事多くは沈重す。他人に向隨して東し、復た西す』
(評訳)「象目である様な人は大抵身体は肥り気味なもの、生の字は只だとよむのだが、生来(生まれつき)の意、生まれながらの風恰好がバカ見たいだ。眼中が昏くその眼は常に下を見るクセがあり、迷妄の気分がある。一生涯の間なすことすること皆な多く沈重な方だ。他人といっても全然知らぬ赤の他人といふわけではない、自分以外の何人(なんびと)かの意思に従って或は東にも西にも行くとなり」
 「眼裂細長型にして(目形は)前狭後広の形勢あり、切れ長にして美しき眼なり、眼尾(がんび・目尻)は一反は下降すれども末端にて少しく上る風趣(ふうしゅ)。全長は長目なれども魚尾紋は長からぬが多し。一種ナベヅル型は似て非なるものに多く、前後眥(せい)急頓に細く曲り付近にシワ出づ。下賎の性にて意久地(いくぢ)なき卑屈な方、悪は少なし。眼球は正しく中央にあり、上少なく下方に多く蔵(かくれ)る」
【双顴並起峯巒】(そうけんならびおこりてほうらん)。『呼べば聚(あつま)り渇すれば散ずるは、只だ双顴の並び怒りて峯巒たるに因る』「(呼べば聚り渇すれば散ずとは)威勢あることの形容」「顴肉の豊に頬の方まで巒峯の如くにムックリ高なるをいふ、只だ三角に突出したる如きは峰とはいふべし、巒とはいふべからず、呼聚喝散など思ひも及ばざる也」
【?上】(そうじょう)。鼻孔のこと。
【双絛】(そうとう)。皺の一種。「真田紐のごとき観あるもの」
【双絛項下】(そうとうのこうにくだる)。『双絛』は、真田紐のような文様の皺が二本あること。『項下』は首。『双絛の項に下るは、休咎に遇ふも、愈々康強を見る』双絛が首にある者は、吉凶に遇うも愈々(いよいよ)健やかで丈夫である。康強(こうきょう)。「寿相格中に、項下に皺あり絛の如き者は、長寿の相なり。双絛は妻と偕(とも)に老ゆ。一絛なれば則ち孤なり」「項絛といふは項下の絛の略語なり」『双絛』は顎の下から首の下まで縦に現れた二本の襞(ひだ)。首を巻くように、二本の真田紐のような紋があるとも解釈できる。参考までに、首を取り巻くように縄目の皺紋が現われたら縊死の相。
【双瞳】(そうどう)。ひとみの左右か上下に丸い黒子などがあって、瞳が二つあるように見えるもの。俗書には重瞳と混同されることが多い。覇者か大悪人の相と言われている。
【相中訣法】(そうちゅうのけっぽう)。相法で決定すること。『相中の訣法は、寿夭を最も難しとす』相法の中で最も難しいのは『寿夭』である。長生きするか若死にか、死ぬか生
きるかの寿命の決定が最も難しいということ。『独り人中のみのことにあらず。惟(た)だ神(しん)是を定む』寿夭はただ人中の相だけで決めてはならない。神だけがこれを決定する。人中に長いものは長生きするという見方がある。
【相貌宮】(そうぼうきゅう)。『相貌は先づ五岳を観、次いで三停の盈満を弁じ・・行座・鼻・地閣・水星・・』人相全般を相貌宮と言う。
【鼠?】(そそん)。ネズミのような食べ方。「鼠?は少しづゝ度々に食し妄りに食ひ零(こぼ)しまた食しても足らずとする食いしんぼうの傾向あり」「ソコヌケのワルでシミッタレだといふこと」
【粗骨】(そこつ)。『粗骨にして急皮なるは、寿年短促す』「骨格が野卑粗漏で、皮膚が引っぱれたる様に見え肉に余裕なきを粗骨急皮といふ、長生きはむつかしと也」
【鼠眼・鼠目】(そがん・そもく)。
 『鼠目は睛円にして睫毛長し。低頭し偸視(とうし)し意(おも)ふこと慌忙(こうぼう)。更に看る作すこと多くは欺弊(ぎへい)。盗を為すこと分明防ぐべからず』
 (解説)「鼠目なるは黒睛(こくせい・虹彩)円く飛び出し気味であり、睫毛は長めの方。頭首を低くてれてはまたチラチラと人を偸み視(ぬすみみ)し、その意中は却ってあわただしく忙がしい。更(あらた)めて看る所ではその人の仕事は、大抵ごまかしの仕事が多いとなり。この人結局は盗人と為ることは分明、到底ソレは防ぐことは出来まい」
  『眼光鼠の如きは、偸盗(とうとう)の徒なるに似たり』『鶏鼠猴蛇は奚(な)んぞ憑(よ)る可(べ)けん』(解説)「鼠眼のものは狐鼠(こそ)ドロ的傾向があり、若(も)しくは低級で信用するにはあまりに足りない」『?頭(しょうとう)にして鼠目なるは、何ぞ必ずしも官を求めん』(解説)「官公吏員には不向きだ」
『鼠目は円小にして睛黒く、若しくは漆(しっ)せるがごとく、物を視ては必らず點頭(てんとう・頭を時々前後にうちふる)し、人となり小利を見ては蓄財の性あり、交結(こうけつ・交際結盟の略)は明らかならざれども機巧あること多し、終には盗窃(とうせつ・窃盗)を為すに到る』
「目裂(もくれつ・目の長さ)短小なる方にて尻上がりの傾向あり、黒目は眼中一ぱいにあり、黒目の或るものはトビ出しあるやの観もあり。黒目には鋭光はなけれども黒き光沢はあり。眼形は眼頭細く眼尾円くふくらみ、眼尾は上づれ気味なり、球は少し上向きにて突出す。眼堂(がんどう・目全体)は少し上方円く出でヽ下胞は平也」

【た】

【大海】(たいかい)。口のこと。口の一名称。深く水気あるところから海に例えて云う。
【体神】(たいしん)。身体から発する神のこと。神とは力。
【滞中有明】(たいちゅうにめいある)。『滞中に明あるは憂ひも喜びに変ず』「只だこの黒白明暗の何れが多、何れが少、その力の強弱等は相人の判定困難とする所、この主文だけにてはアイマイ也」滞中の明には二通りある。@濁った色の下から明るい色がこみ上げてくる。A濁った色の中心から明るい色が広がるように見える。何れも今は困難でも結果は良いと判断する。『明中有滞』の項を参照。
【体細身軽】(たいほそくみかるし)。『体細く身軽きは、那(な)んぞ片瓦の停留を見ん』「体躯細々として身幹軽々しく見ゆる、スガル型カマキリ型の人は、瓦の半カケラも残らないものだと也。スガルとは忰(せがれ)の語源」貧弱な体と挙動が軽いのは貧相。
【太陽】(たいよう)。「太陽は左眼」女子は右目が太陽。
【蛇眼】(だがん)。蛇睛(だせい)。ジャガンとも云う。蛇のような眼。性悪の相。
『嘆ずるに堪へたり、人心の毒蛇に似たるは。睛は紅、円は露にして紅紗(こうしゃ)を帯ぶ。大奸大詐なること狼虎の如し。此の目の人は子として爺を打つ』
(評訳)「人として外観は善人の様だが心中に毒害の気あること、蛇の様なのはツマリ蛇眼なのは嘆くに餘りがある。眼睛には紅気があり、円は目玉、眼肉は露出形で白目に紅(あか)い更紗(さらさ)のやうな、赤い砂をまいたやうな、色を帯びてる。そのやうなのは大奸(だいかん)大詐(だいさ)であること狼虎(ろうこ)のやうである。此の目のやうな人物は男女に限らず親不孝で、時には子としておやを打擲(ちょうちゃく・ぶっ叩く)することがある。爺(や)の字は父のことであるが、母にもその餘(余)の長上を含めていふ。
 『蛇目は睛円小にして黄なるを視る。頭を掉(ふ)りて行歩し倉皇なる若(ごと)し。出言挙措(きょそ)心には恨を懐く。害物傷人は防ぐべからず』
 (評訳)「蛇目は黒目が小型で黄色味がある。頭首をふりふり急(いそ)がしさうに行く、容姿は何かあはてる事でもあるかのやう。出言とは他との話しぶり、挙措は仕うち態度ソレがわるくて心中には常に恨みをいだくことに成る。他人に損害をかけることは防ぎようもない、女は夫の害になっても関はず、或は他に秘密を告げ、内通し、物を損することを平気でやってのける」
 『蛇目は円小にして多白、睛黄にして下を視る、瞼辺放大、眼光流露(るろ)し或は赤線赤気あり、行歩には頭を掉(ふる)ふ、人と交わりては終りを善くすることなし、必人を害する心あり』
 (評訳)「円小は目玉が小型の方で白目が弘く多く見え、その眼睛は黄色味がありまた下目づかいする傾向がある。瞼辺は放大とは眼裂大なる結果眼光はこぼれるやうに流露する。或は眼中に赤すじや赤い気が見え、道を行く時には頭首をもたげ、カマクビを振り立つるやうにして歩く、そして人と交りて有終の美を全うするやうなことはない、必人に損害させる心を持つのである」その他、『鶏鼠猴蛇は奚(いずく)んぞ憑(よ)るべけむ』『馬面にして蛇睛は、須らく横死に遭ふべし』『有毒無毒は但(た)だ眼を看よ、蛇眼の人は子として爺(おや)を打つ』
「眼裂大にしてカッと開き、上下前後の四辺に角ばりに近き風趣あり、眼中に水分充ちギョロリヌラリとした感。四方白、又は四方白に地閣、或は黒睛割合に小さく中央に坐(す)はり、四方白又は三白に見ゆることあれども、単なる三白四白とは異なる。眼球は必らずしも正円とばかりではない、時には眼裂一ぱいになるもあるが、豁(かっ)とみひらく時は忽ち三白四白となることもある。また眼球中に血紅色を含み、時に赤目がちのこともある。黒目のふち、黒白の境に赤線又は赤気があり、目の四隅にも赤気がある、人により此の赤気なく却りて青気あることあり、誤るべからず。上眼瞼黒く太めに見え前方に出て、白眼は露出の形勢あり、黒目は大体正視ではあるが、少し下向きなるもあり。女の蛇眼であるのは多淫で邪奸、男は破産を伴ふ、男女ともに互いに刑尅がある。蛇睛は眼裂長大、眼形楕円小判型にして拡大、睛に赤味あるか、睛の周囲に赤目ざしあるか赤線あるか也、白中には青味あり水淫性にして一見ギョロリといふ感あり、勿論睛は露たり又た眼眥張目の趣あり、それらの要件の内一二の缺欠はあるも蛇眼といふべし」。
【濁気】(だっき)。濁る様子。清らかの反対。相の濁りは心の濁りに比例する。
【沢光】(たっこう)。潤いのある明るい色。
【駝背田面】(だはいでんめん)。『駝背』はラクダの背のコブに譬えて言う。「背の上部肩にかけて肉付きが良いこと。猫背にはあらず。駝背は男性的、猫背は女性に多し」『田面』は肉付きが良いユッタリトした四角な顔型。田字面(でんじめん)のこと。『駝背田面、南方の人、富みて也(ま)た足る』駝背と田面は南方の人の良い特徴であり、運が強く福分がある。
【男子頭尖】(だんしのあたまとがる)。『男子の頭尖るは、終に器を成す無し』「(頭尖るとは)トンガリ頭のこと也、大抵多少は後方に傾くが多し、成人後も役に立たぬ人になる也。後方に傾くと直立と何れがマシかといへば、まだ後方になびく方いくらか可き也」器を成す無しとは、一人前にはならないという意味。
【男児腰細】(だんじのこしほそき)。『男児の腰細きは、福財を主どり難し』「腰は背の終り臀尻の上、脊椎(せきつい)の最下部腰椎の首(はじめ)約二寸巾にての胴廻り也、(腰の字は)月(にくつき)に要なるは一身上下の中心にして最も緊要なること、扇の要(かなめ)に比するが故なり、
男子と雖も細きは財力なし、さればとて余りに太きはガッチリやにして賎劣なり」
【男女宮】(だんじょきゅう)。『男女は位を両眼の下に居す。名づけて涙堂と曰ふ。三陰三陽の平満なるは、児孫と福禄栄昌たり』『左は男、右は女。女子は之に反す』目の下、臥蚕(がさん)と涙堂(るいどう)を合わせて男女宮と言う。男児女児のことと、男女恋愛のことが現れる。三陰三陽は両眼のこと。肉付き良く色が明るければ良し、枯れて陥るのは子供運が悪い。
【単眼】(たんがん)。「眼波なきヒトカワ目のこと也、モンゴリア族は二皮目のものにて、日本人は二皮目多く欧米にての分類は、モンゴリア族に配属されあり。然れども南方人及びその他の混血少なからず、単眼もまた従って少なからず。筋較剪(きんこうせん・相書)には単眼は卑しと、卑眼と単眼とを同格に扱へる如し。また単眼は刑尅の相又は子を尅すなどあり」

【ち】

地閣】(ちかく)。下顎。土地と門構えがある立派な建物。『頤を地閣と為し、晩歳の規模を見る』頤は晩年の運命の栄枯を現している。骨格頑丈で肉付きよくて立派であれば、晩年は立派な家に住んで豊かな暮らしができる。頤が貧弱であれば晩年は困窮する。「地閣の方円なるは、晩歳の栄華を取って定む」
【地閣赤燥】(ちかくにせきそう)。『地閣に赤燥あれば、定めて牛羊を損ぜん』地閣は下顎。そこに乾いた赤色があれば、決まって家畜に損害がある。「地閣は奴僕宮たり、赤気生じ火の如く燥(かわ)けるは牛羊を損ず」  
【地閣方円】(ちかくほうえん)。『地閣の方円なるは、必ず銭財の堆積あるを主どる』「地閣はアゴ全体、下停のタップリしたものは銭カネが沢山出来やうと也」下停(かてい)は上顎下顎全体。骨格頑丈で肉付きが良く色も良い人は、銭財が積もるほどにある。但し、ブタブタとした肉付きではダメ。
【智慧主於皮毛】(ちけいはひもうをしゅとす)。賢いかどうかは皮膚と毛髪を主に見る。「皮膚の細膩(さいじ)にして、毛髪は疎秀(そしゅう)にして潤沢なるものは、智慧ありて聡明なるを主どる」皮膚がきめ細かく滑らかで、毛髪が暑苦しくなく潤いがあれば聡明な人物だ。
【地庫】(ちこ)。「地庫は天倉(てんそう)と上下相対する同系列なり、百三十部位にては口角より二指横徑の所なり」地庫は口角の横の、息を含んで膨らむ所。
【地庫光潤】(ちここうじゅん)。『地庫に光り潤ひあるは、晩景愈々(いよいよ)好くして安閑を得る』「地庫は天倉と上下相対する同系列なり、百三十部位にては口角より二指の所なり、こゝの肉付豊かにして光(黄)潤なるものは晩年の運よろしく安逸閑雅の生を送る也」
【中正】(ちゅうせい)。十三部位の一.印堂の上の部位。
【猪脂?光】(ちょしがこう)。「猪脂は万蹄華(まんていくわ)といひ、家猪(ぶた)の脂肪ヘットのこと、脂肪塊の色は純白光りなきもの、その如き顔色の形容にいふ」「猪脂は即ち面に膏(こう)を塗れるがごときをいふ也」「?光とは寒水石白色大理石などの類、その如き顔面の色にいふ形容」『猪脂?光は、子を尅す。終に成るの日無し』「そのようなのは終に一生一人前になる日はないと也」
【中停】(ちゅうてい)。@顔面の中停は眉間から眉凖(びせつ)迄。A身体の中低は首の根から股まで。
【猪眼】(ちょがん)。猪目(ちょもく)、猪睛(ちょせい)。
 『白は昏し、睛は露、黒は尤も濛(もう)なり。波は厚く皮の寛なるは性暴凶。富貴なるも也(ま)た刑に遭ひ憲に罹(かヽ)る。縦(たと)へ十悪に帰するも法は容(ゆる)し難し』
 (解説)「白目にはツヤなく曇(くもり)あり、眼睛は流れ出さんばかりの様に露(あら)はれ、その黒目は黒いことは黒いが消し炭いろで光りなく、ドンヨリ濛々と濁って居る。眼波の厚きこと瞼の皮に脂肪味あり、上まぶたダブつく様に寛やかなのは兇暴性がある。この人富貴であっても我欲が深く性欲も強いため、色難が原因で刑罰にあひ法の制裁などにも引きかヽることがある。十悪は上記のやうな道徳犯、たとへば十悪のやうな道徳犯はとに角胡麻化せても、法律に引かヽるのは免れ難いだらう。難容は容認し難いの略」
 『猪目は神昏く視ること又た斜なり。睛に黄絲(おうし)乱紋の交加するあれば、人となり自から是れ多くは愚濁。肥死か力站(りきたん)か定めて差(あや)またず』
 (解説)「猪目といふものは眼神が昏(くら)く、他を見ることは色目の如く斜視なり。又た斜の隠意は猪目の人は男女とも陰に曲癖ある也。睛は白睛の略、白目のこと、白目の中に黄色の絲(いと)の如き乱紋の交加あるものは、欲ばかり深くてトンでもない愚濁なものだと。人柄は自然にこれ愚濁、愚は寓(ぐう)する心、寓の如き心、無視のよい依頼心の強い、また濁気もある、私利私欲にかけては引けをとらない気風。肥えれば死ぬ、肥え肥り乍(なが)ら死ぬ身か、力站は町角に立ちつヽ臨時に車の後押しなどをする立ちん坊のこと、この二つの内は間違ひない、定めて差またずである」
 『猪目なるは利を好みて貪婪す』(解説)「猪目のものは何でも儲かることは少しの利でもすかさず、不合理でも不道徳でも貪りとりこむことに努める」
 「猪は家猪(かちょ)のこと豚といふも同じ。眼形は概して小型なり。人によりて多少大小の差あるも皆なショボショボとしたる趣あり。下瞼にタルミあり三角状を呈す、上瞼は覆ひカブサル形あり、薄ぎたなきやうすの中にも、一種のズルサ、スルドサ見ゆ。睫毛(まつげ)は著しく目につくほどあり、眼球は少し上向きのもの多きが如し。此の目の人、大抵食好(くいごの)みせず、何でも大食ひする也、また男は萬(よろず)やボロッ買ひ、女は有夫姦(ゆうふかん)など事ともせぬ風あり」
【猪相】(ちょそう)。『形猪相の如きは、死せば必ず屍を分かつ』
(評訳)「猪は家猪乃ち豚のこと也。性質自分勝手つよく、女は有夫姦など平気で行う、男は我欲を縦にする故、人に怨恨を買ひ非業の死を遂げることもある。交通事故にて死ぬなどもこの中也、若し此の事なければ幸いなり」死に際悪く死後にも悪く言われる相。
【枕骨】(ちんこつ)。「枕骨は後頭突起のことなるも、往々突起骨なきもあり」立派な枕骨を玉枕(ぎょくちん)と云う。横長、縦長、二段、二つ三つ並ぶのもある。「枕骨横生」の項を参照。
【陳図南】(ちんとなん)。人名。陳摶(ちんたん)、字を図南と言う。希夷(きい)、扶揺子(ふようし)、白雲(はくうん)等の号がある。出生など詳しいことは不明。「四歳、渦水の側に戯れる。一日青衣の嫗あり抱いて懐中に置き、之を乳す。之より聰悟日に益す」「武當山に入り錬気すること二十余年」後に崋山の石室に麻衣(まい)老祖を尋ね、人相術を学修す。人相術中興の祖とされる。

【つ】

【て】

【廷尉】(ていい)。小鼻の名称。男は右の小鼻、女は左。反対の小鼻を蘭台と云う。
【鉄面剣眉】(てつめんけんび)。『鉄面』引き締まって浅黒い顔面。日焼けして艶ある顔。『剣眉』は眉相の一つ。尻上がりで、勢いがある不動明王の持つ剣のような形の眉。『鉄面にして剣眉なるは、兵権万里にあり』鉄面で剣眉の者は、軍事力が遠方にまで及ぶ大将軍の相。
【手軟如綿】(てのなんなることめんのごとし)。『手の軟なること綿の如きは、閑にして且つ銭あり』「綿の字は軟らかきことの形容、手の甲なり平なり全体が柔軟細膩である人は、自然の富も天録もあり、也(ま)た女色に関する福分もあって時々は気まづい事もあらうが、先づ大体に於いて幸福な暮しをする艶福家であるらしい」細膩(さいじ)とはきめ細かく滑らかなこと。閑はゆっくり暮らせること。
【掌紅若血】(てのひらくれないなることちのごとし)。『掌の紅なること血の若(ごと)きは、富あり也(ま)た録多し』掌が真っ赤で潤いがある人は、大金持ちの相。掌が柔らかいことが条件。
【天倉】(てんそう)。「天倉は眉角の外方にあり、支那辞源には天倉は眉肩に在りとあり」額の左右の隅。
【田宅宮】(でんたくきゅう)。『田宅は位を両眼に居す』眼とその周囲を含めて田宅宮と言う。五官では監察官(かんさつかん)。『目は一身の日月』『神(しん)は眼を主とす』命宮は正に命の宮であり、生き死にから運命の重要なことは全て眼に現われる。狭義には目と眉の間を田宅と言う。
【天柱】(てんちゅう)。天柱には二つあり。首と鼻筋。
【天柱傾欹】(ていちゅうけいい)。『天柱の傾欹するは、幻身将に去らんとす』「天柱は鼻すじ乃ち鼻梁のこと、(神異賦の解説に)頸項とあるもこれはお預けの研究也。鼻梁の偏頗に傾きて見ゆるものは、身上傾き家を失ひ他郷に走り去るか、若しくは死ぬこともある也」「幻身とは幻の身の人生の果敢なきことの喩、また俗にいふ影の薄き身のこと」鼻筋の力が抜けて左右に傾くのは、もう長くは生きないだろうと。幻身は魂。魂が抜けるだろう、死ぬだろうという意味。『神脱し口開き、天柱の傾欹する者は死せん』
【天庭】(てんてい)。@額全体。A十三部位の最上位。生え際の中央にある尊貴の部位。神仏、役所、裁判所、不慮の吉凶の現われる所。命日では十五日に当たる。
【天庭高闊】(てんていこうかつ)。『天庭の高闊なるは、須(すべか)らく僕馬の虧(か)くるなきを知るべし』「天庭の高く濶(ひろ)いもの、額部中心の平明なるを要する、それは召し使ひや馬など今なら自動車などに不自由せぬ程立派な生活をすると也」額が広く生え際揃い肉厚で傷や黒子や乱紋などもなく奇麗な額の者は、大金持ちだという意味。
【天庭高聳】(てんていたかくそびゆ)。額が広く立って、聳えるような立派なこと。皮膚が厚く傷や黒子などの障りがないことも条件。『聳』は立派なという意味を含む。『天庭高く聳ゆ、少年に富貴期すべし』若いときから富貴である。富貴とは順調というだけでなく、立身し富むという積極的意味あり。
【田面】(でんめん)。『田字面(でんじめん)』のこと。「テン書の田の字に似たる顔型。活字の田の字を田字面という書あるも、無学なる言ひ方也」角型で四隅に肉付き豊かな顔型。『駝背田面、南方の人、冨みて也(ま)た足る』駝背も田面も運が強く富む。駝背の人に田面が多い。『駝背』は背から肩にかけて肉付きが豊かなことを、ラクダの背コブに譬えて言う。

【と】

【桃花顔】(とうかがん)。「桃花顔は俗にいふ桜色の面にして、一見綺麗なる美男美女とす。これは児を得ること晩(おそ)きのみならず、大抵短命にして早に死ぬるものとさる」晩年孤独の相でもある。
【桃花眼】(とうかがん)。
『男女ともに桃花眼は宜しからず。人に逢ふては微笑し水光に迷はす。眼皮は涙に湿り、兼ねては斜視す。自ら歓娯に足り楽しみ且(ま)た嬉(よろこ)ぶ』
(評訳)「男女に限らず桃花眼なのは宜しくない。不宜は不義に通ず、桃花眼の男は始めに工合よけれども、親友でも恩人でも必らず裏切って平然、女は不義密通を平気でする。人は何人(なんびと)でも問はない、逢ふ人だれでも微笑で迎へ、水光迷とは色っぽく人を誘引して迷はす様にする、或は遠く水平線の方が水やら空やら分らぬ様に態度アイマイに他を誘惑すること。眼の皮は涙にシメッた様であり兼ねては色ッぽく横目に秋波(しゅうは・色目)を送る。斜視は病気の故ではない。自然に歓楽境に足をふみこむ様に、道楽ずきの性分であり、且つは性器を使用することを嬉(うれ)しとする、楽は自らたのしみ、嬉は女にあふことを喜びまた女を喜ばす也」
 『眼もし桃花の若(ごと)く光焔(こうえん)あるは、但(た)だ酒色歓娯を図るのみ』『好色の人は眼に桃花を帯ぶ。眼は緊(きび)しく、人を視るに斜ならしむ莫(なか)れ』『桃花色重くしてな仍(な)ほ目を侵すが如きは、酒を恋ひ花に迷ひて外妾を寵(ちょう)す』
「桃花眼は性欲的盗人、また
盗貨(とうか)でもあり、財的にも悪性、その色に迷ひて決して油断すべからず」「上瞼はやゝ前方に出て或は出ざるもあり、眼尾の方に引っぱれたるやに見え、目頭の方に円味なく全形桃花の一片に似たる眼形。桃花色(とうかしょく)といふはサクラ色淡紅色のこと、眼の上下にこの色あり、桃花眼のものは多く相兼ぬるもの也。顔面桃花色(桃花顔・とうかがん)といふは面が全体的にサウラ色なせるにて別問題なり。この桃花眼は徳川期の浮世画の美人に多し、其の尻上りに成りたるは、何となくキツい感ある中に愛嬌ありてよし。平生なる好き者らし、まして尻下りなるは引きずり者。瞼辺に桃花色ある男は虚業家、相手にすれば必らず損す。桃花の股(もも)の花なるは本来、また桃花にして花に挑むなり、兆字の古篆(こてん)は動物臀尻の形、植物としては生成勃起の勢。挑は尻に手をつけるにて即ちイドムこと、桃は尻の形せる実を持つ木也、乃ち股の木。窕(ちょう)字は穴あく尻にて両股間のキレ上り好くスクこと、美人の形容に小股がキレて物腰恰好よろしなどいふも同じ」
【倒眼】(とうがん)。「俗にいふサカ目、又はサカサ目なり、上瞼より下瞼の方沿線長きなり、一見逆目の如からずして、よく見れば倒眼の気を含むもの多し、注意を要す。性わるく油断なり難し、自己保存のためには見方をうり敵に内通す、女は嫉妬のために面従腹背にて、後害を思はず目前の利のためには夫をも害す、反逆、惨酷(ざんこく)の眼なり、羊刃眼(ようじんがん)はその一なり。(上下の)瞼線の長さ注意の外、大抵眼頭の上瞼偏平に近きものあり」
【?蛇紋】(とうだもん)。『?蛇鎖唇』にあり。
【?蛇鎖唇】(とうだくちびるをさす)。『?蛇唇を鎖す、梁武は飢えて亡ぶ台城の上』「流布本に騰蛇とあるは誤り。?蛇紋は法令紋とは別、それを法令紋と同じとするは非。(?蛇紋は)法令紋の内側に別に口角に接してあり、上騰する形勢にあり、その無の人もあり、また法令紋短かく消えて此の紋のみあるものあり、混同して誤認すべからず。本来仏像などの鼻下口上に髭の如く蛇形の状をなす文様を?蛇といふ、その転用語なり。之が唇に接近せぬは可なり、口唇に接近するを鎖すといふ、法令の口に入ると同様にて餓死貧窮の相とす」「(梁武)は南北朝梁の第一世」「台城は武帝の居城の名」梁武には?蛇紋があり、戦で兵糧攻めにあい居城で飢えて滅んだという。
【頭面寛厚】(とうめんかんこう)。『頭と面の寛厚なるは、福禄雙(ふた)つながら全し』「頭面の皮肉に寛厚なものは福禄ふたつ乍(なが)ら完全であらう、頭皮にも面肉にもゆるみのないものは、福禄はない、やっと働くだけ食へるといふだけだらう」頭が円く面肉が厚くゆったりしている人のこと。面皮が薄いのは若死にの相の一つ。
【盗門】(とうもん)。「奸門の一名を盗門といふ」奸門は目尻、魚尾(ぎょび)のこと。
男は右の魚尾(ぎょび・目尻)、女は左の魚尾を云う。恋愛関係が現れる部位。
【得意中面容悽惨】(とくいちゅうめんようせいさん)。『人あり得意の中に面容悽惨なるは、先には富めども後には貧なり』「その人何も不足なく得意の生を送る最中に、その面容が悽惨なようすにみゆるのは、その頃近くには先づ富んで居るだらうが、後々には必ず貧乏するとぞ」得意の運命であっても顔付きに悲しく落ち着かず、ヤツレ衰える様子があれば、これからは衰運に向かう前兆である。
【土形之人】『土形の人は、敦厚にして濁肥なり』「土形の人は厚ぽったく稍まるみあり、濁気あり肥え色は黄いろい、その象形は□(に丸みあり)」
【蠧肉】(とじく)。「場所は眼下に限らず、頬、上眼瞼、額部、瞼上の何れにても、ブヨブヨしたミミズバレの如きもの。又はスムシにくはれた紙に穴の如くに、外より見ゆるものをいふ」「トぢクは大抵ヨコムキに出来るものである」横に引っ掻いたように現われる。主として『涙堂』に現われる。
【蠧肉横生】(とじくおうせい)。『蠧肉』は、顔の場所を問わず、横に引っ掻いたようになっていること。そこだけ少し肉が盛り上がっている。『涙堂の深く陥ると、蠧肉の横生するは、児孫を尅すること之れ類なし』涙堂が落ち込んでいるのと、蠧肉が横に現われているのとは、子供と縁が薄いこと、子供運が悪いことは類が無い。
【特殊発達】(とくしゅはったつ)。生まれつき又は職業などによって、顔や身体の比例を破って部分的に発達することを云う。形態比例の法則が当てはまらない場合を云う。特殊発達した部位は観相上大切な眼の付け所となる。
【土星】(どせい)。鼻のこと。
【土星薄山林重】(どせいうすくさんりんおもき)。『土星薄くして山林重きは、滞の気なり災多し』「山林は眉の別称、土星は鼻、(鼻は)薄小なるに眉のみ著しく濃濁なるは、それが即ち滞の気の一にして、多災の原因となり或は一生の運不発となる也。滞気が別にあるにはあらず」
【道路昏惨】(どうろのこんさん)。『道路に昏惨あれば、跌蹼の災あるを警しむ』「道路は今の百三十部位図にもある部位名なり、耳下の辺隅腮の少し上部、懸璧(けんぺき)に近き所の一指頭大。昏惨(こんさん)は青みある暗き色なり」「跌蹼(てつぼく)は足を踏み返すこと也。禍(わざわい)は過ち也、自ら成すわざはい也、窩(わ・か)なり地上の穴に落ちこむ程の義なり、豫(あらかじ)め注意すれば避け難きにもあらず。また人生行路にも考ふ、運の前程に手違ひあり不慮の禍害にも遇ふことある也。敢て険を渡らず平地を行くも過失あるを跌蹼とはいふ也」耳の下のエラの所(腮)の少し上に青暗色があれば、道路での事故もあれば人生での思わざる失敗もあるから十分に注意して防ぐべし。
【凸眼】(とつがん)。
 『眼若(も)し凸露なるごときは、人情睦み難きものとす』『眼大にして露睛なるは、寿促夭亡(じゅそくようぼう・若死に)の子たり』
「眼球が著しく突出形なるをいふ、目裂その他眼の概形は種々あり。正しくは眼突(がんとつ)者と凸眼(とつがん)とは別なれども、その程度差に於ては殆んど区別なきものあり、諸書に混同して解説す。凸眼は突眼とも書き、睛(光彩の所)のみ露突なるをいひ、眼突は眼堂(がんどう・目全体)が全体的に突出せるをいふ」「凸眼と眼凸(がんとつ)又は眼突とはよく混同されますが、其の形趣(けいしゅ)の程度差に於ては別物なんです。凸眼とは白眼の中から睛(くろめ)が著しく凸出せるもの、眼突(眼凸)とは白睛ともに眼瞼から前面に、食み出したるやうに見ゆるもの、また眼部全体が盛り上りたる貌(かたち)にて、外方に凸出して見ゆるもの、大抵両様相兼ぬるものです」
【敦重及び精神】(とんちょう)。『身は万斛(ばんこく・巨大な)の舟の巨波(ころう・海)の中に駕(が・乗る)が如く、揺れども動かず、之を引けども来たらず。坐臥起居神気清霊にして、久しく座して眛(くら)まず、愈々精彩を加ふ。春日の東に昇って人の眼目を刺すが如く、秋月の鏡を懸(か)けて光輝(こうき)皎潔(こうけつ・清らかに輝く)なるが如く、面神眼神倶(とも)に日月の明らかなるが如く、輝々(きき)皎々(こうこう・明るく光る)として自然に愛すべし。明々潔々として久しく看て昏まず。此の如きの相は大貴なり。大貴ならざるも亦(また)当に小貴なるべし。富も亦た許すべし。妄りに談じ定むべからず』

【な】

【軟】(なん)。『濁(だく・相に濁りがある)にして神無きを軟と謂うふ。軟なる者は必ず弧なり。弧ならざれば則ち夭(よう・若死に)す』
【南方】(なんぽう)。南の方、南の国。『南方の貴宦の清高なるは、多くは天庭の豊濶なるに生ず』南の国の高官の清く気品があるのは、多くは額が立派であるからだ。豊濶(ほうかつ)は広く豊の意味。額を南岳と言い、額の発達した人は南の気を受けていることと、南方に有利であること。

【に】

【肉色軽浮】(にくしょくけいふ)。肉が軽く色が浮いて、顔の肉が緩く顔色が締まらずに薄く桜色のこと。『面皮虚薄』を兼ねている。『肉色の軽浮なるは、前四九如何んが過ぎむ』『肉色軽浮』の者は、どうして三十六歳を過ぎることができようか。四×九(しく)は三十六歳。前はその前に死ぬだろうという意味。
【肉地浮濁】(にくぢふだく)。『肉地に浮濁あれば、肥えたるも何ぞ誇るに足らむ』「肉付き地肌のこと、濁浮はブヨブヨしたる様うぃいふ」「肥えて軟なること骨なしの如きは、超え太りたりとも幅をきかせるには足りない。それは命夭の素質であるから。近時凡医の説には、肉は柔軟なるを可とすといふものが、一概には信ずべからず。カタブトリなるを賞美す」肥えて貫禄がある用に見えても、ブヨブヨした肉付では大したことはない。
【二顴高凸】(にけんたかくとっする)。『二顴高く凸しては、夫を刑すること未だ期年に了らず』「左右の二顴が左右に高く凸出してるのは、期年は一年にもならぬに夫を刑するといふ。嫁が来て八九月で息子が死ぬなどは此の類也」二顴は左右の顴骨、頬骨のこと。
【日角・月角】(にっかく・げっかく)。額中央部左右の部位。男は左が日角、右が月角。女は逆。主として父母との縁、父母の安否鑑定する部位。日角は父、月角は母。
【日月角聳】(にちげつかくそびえる)。『日月角の聳えたるは、必らず明君を佐けむ』「日月角の骨気が判然と隆起したものは出世栄達して、必らず明君を佐(たす)
くる地位に達するだらう」天庭は額の中央の少し上。その左右の日月角が隆起している人は、明君を補佐する立場になる相。『龍骨の天を挿むは、応(まさ)に宰輔と成るべし』と大体は同じ。
【二眉散乱】(にびさんらん)。『二眉の散乱するは、須らく聚散の不常なるを憂ふ』「二眉は左右両眉をさす、散乱は眉毛がバラバラに生えること也」「聚散は物品貨物金銭の出入りと残と不足と、常に概算的にでも一定の標準にならぬを憂ふるであらうと也」聚散(しゅうさん)は収入と出費。それが安定しない、生活が安定しないという意味。
【女人耳反】(にょにんのみみかえる)。『女人の耳反るは、亦(ま)た夫を刑するを主どる』「女人には耳の廓(かく)反するもの多きも、それは夫を刑するのである、ソンマンの内。亦の字は腋(わき)の下の意で二つのマタ也。耳のソリ反れる女は男に反(そむ)き、或は同時に二夫に接し、また再嫁三婚するも平然たる也」耳の部位は外輪、内廓、垂珠(すいじゅ・みみたぼ)。廓は耳廓(じかく)のことで、それが飛び出しているのを廓反ると云う。
【人中】(にんちゅう)。鼻と上唇の間の縦溝。『河洫』(こういき)とも言う。
【人中平満】(にんちゅうへいまん)。人中に肉が満ちて平らなこと。人中が無いこと。『鼻凖の尖り垂るゝと、人中の平満なるとは、嗣続を刑すること之れ逃れ難し』鼻の先が尖って垂れているのと、人中が無い者は、跡取に縁がないことは逃れ難い。
【人中偏斜】(にんちゅうへんしゃ)。『人中に偏斜あるは、且(ま)た刑尅多し』「人中は鮮明、上の狭くして下方の広きを可とす、勿論垂直形なるを要す。細長偏曲なるは男女性のクセ悪しく、また多く児女を尅し失ひ、不良の子をも生ずることある也。時々に屈曲することあるは、其の頃に於て不正の淫行あるか、または児女に死なるヽことある也」人中は子供のこと、特に跡取りのことが現われる部位。正常でなければ子供について問題がある。女子は子宮と膣に関係ある部位。

【ぬ】

【奴僕宮】『奴僕は位を地閣に居す』奴僕宮は使用人、部下、目下、家畜などの、自分より下のことが現われる部位。下頤の左右を奴僕宮と言う。部下、目下、使用人、家畜などのことが現われる部位。法令紋の内側は住み込みの部下で、法令紋の外側は住み込み以外の部下、外注などのことが現われる。頤が豊かで法令紋が広いほど、家屋敷が広く多くの部下を持つ相となる。

【ね】

【年寿】(ねんじゅ)。「年寿は鼻梁の中央部」
【年寿赤光】(ねんじゅしゃっこう)。『年寿に赤光あるは、多く膿血を生ず』「(年寿)は年上寿上の部位を合稱していふ、もと年寿は一名なりしを宋末頃より二分したるものゝ如し、山根の下準頭の上、十二宮の疾厄宮なり」「赤光は赤気同様、赤き色の光が年寿にあるものは、近々中に腫物が出来る、膿血はヂャウケツとよむ、膿血(のうけつ)は俗よみ也、ウミチの意にて腫物(しゅもつ)のことをいふ」
【年寿潤沢】(ねんじゅじゅんたく)。『老いに到りて災ひなきは、大抵年寿潤沢なればなり』「年寿は鼻の中央部、この項は年寿といふ部位名、後世には年上寿上に二分したるため、管輅(かんろ・人名)が十二部位といひたるもの、明時(明の時代)には十三部位と称するに至れり、ツマリ月孛(げっぱい・部位名)と同位、ソコに潤沢あれば老に到るも災ひなきなり、老人になりて思ふこと思ふようにならぬは大抵この部にカサカサとしたる所ある也」
【年寿明潤】(ねんじゅめいじゅん)。『年寿の明潤なるは、一歳の平安あり』「年寿は鼻梁の中央部、一歳は一年間と限ったことではない、その頃当分の内の意、一歳はある歳也、その頃のこと」年寿の部位が明るく潤いがあれば、当分は平安であるという意味。しかし多くの先輩が「一歳の平安」を「今年一年間は無事」と解していることも忘れないようにしたい。
【年上】(ねんじょう)。百三十部位の内の鼻の中央部の部位名。山根(さんこん)の下、寿上(じゅじょう)の上。
【年上黒光】(ねんじょうのこっこう)。『年上の黒光あるは、幼歳にして多く膿血を生ず』「年上の黒光とは、鼻の中央部の黒くスゝケたる様に光りある也、ソレは幼年から多くデキモノで苦しむ」年上は部位の名。鼻の中央部に当る。膿血は(どうけつ)は血膿、デキモノ。

【の】

【は】

【擺膝】(はいしつ)。『擺膝はヒザを開くガニマタ形、坐(座)っては還(ま)た偏る。男女に拘らず多くは淫乱。小実多虚なるに心は湛然(たんぜん)』男女共に淫乱で、実が少なく虚が多く、それを気にすることもない。
【擺手揺頭】(はいしゅようとう)。『擺手揺頭なるは、詭濫(きらん)刑夫の婦なり』「擺手とは常に手を左右に突張る如く、胴体より左右に離し居る也、ソレは大抵擺指をもかぬるもの多し。揺頭は頭部を妄りに左右に或は?(ひね)りて揺(ゆる)がすクセあるもの、それは濫(みだ)りに詭言(うそ)をつきデタラメを語り、また夫を刑する婦女であると。婦は箒を持つ女、家庭の女であり妻女である、時に持てる箒で夫をゴミの如く掃き去ることもある也」
【背脊成坑】(はいせきあなをなす)。『背脊の坑を成せるは、号して虚花無寿と曰ふ』「背脊成坑とは背すじの中心がペコンと陥没して坑道(こうどう)の如くなれるもの、上より下まで一尺二寸以上もあるものは勿論、或は上部或は中下に45寸位の坑あるものは、男女に係らず虚花無寿なりと、虚花(きょか)とはムダ花の意、事業はムダ仕事ばかりでいつも成功せず、子共(の場合)は虚弱で成人せず或は成人するも役には立たぬものに成る、ツマリ其の人が虚花であるからだといふ」背骨が落ち窪んでいるもの。全体もあれば部分的なものもある。坑とはU字に落ち窪むこと。背骨がズレている証拠であるから、鍼灸や整体で調整する必要がある。
【背負】(はいふ)。後姿。背面の相。
【馬眼】(ばがん)。馬睛(ばせい)、馬目(ばもく)。
『皮は寛かにして三角あり露なる?睛。終日愁なきに涙し堂を濕(湿)ほす。面は痩せ皮の?れるは真に嘆ずべし。妻を刑し子を尅して又た奔忙す』
(評訳)「眼葢(まぶた)の皮は寛(ゆるや)かにあり、上瞼は前方に多少はり出す如き趣あるのに、上瞼に三角形ができる、露?睛(ろせいせい)とは白黒の眼肉全体が露になる傾向があると也。(?は眼をみはる意味)。平素別に愁ひごともないのに涙が出て、堂(どう)は眼堂、乃ち目をぬらす、語をかへていへば涙っぽい目づかひをすること。面はやせてるのにその面の皮は鼓(つづみ)の革を?(は)った様に余地なく引っぱれてるやうなのは、コレは馬なれば名馬の相なれども、人間に於ては真に嘆(たん)ずべきものである。さういふ様なのは、妻を刑し子を尅し又たその生活ぶりは常に忙しく奔(はし)りまはる、それが運でもあり、またそれが適する性分である」
『馬目は神痴(しんち)にして色又昏(くら)し。人となり拗強(ようきょう)ならば必らず沈淪(ちんりん)す。平生自ら是れ心力を労す。多くは天涯にあり苦辛に役(えき)せむ』
(評訳)「馬目は黒目の神(しん・眼光)がバカの様で眼中の色(様子)も昏く見える。人となり(と)は性質風格の全体特徴、拗強はヒネクレで強情、その様な性質がつヾく様なら人には相手にされず、運命微弱にして沈淪おちぶれるであらう。平生の生活は自然に心神や身力を労することが多い。天涯は天のはて、生れ故郷を離れて遠方に行く形容、その思ひもよらぬ遠方で苦労貧乏しつヽ働かねばならぬ」
『馬目なるは辛苦し奔馳(ほんち)す』『馬目は大にして明ならず、多くは角(かど)あり上下の瞼、物を視るに痴拘(ちく)の皃(ぼう・貌)にも似たり。此の人衣食は須らく足るべし、生平に必らず労苦多しと』
(評訳)「明ならずとは黒白(こくびゃく)不明の略、馬目なるものは眼形が大きいばかりで、黒白(光彩と白部)の境目には濁気があって鮮明ではない。多く角ありとは、多数の馬属中には目に三角なきものもあると同様に、人間の馬目なるにも角なきものがあるので、特に多くといふ。上下の瞼といふも下瞼にも角あるものは、人間には稀にあるのみ。馬は三角ある位が名馬なのであるが、人の馬目には三角なきはまだしも宜き方。痴拘の皃とはバカの様な目つきで他を見つゝ身をかヾめること、馬にこのクセあるもの多く、馬目の人間にもその様なのが多い。衣食須(すべか)らく足るべしとは、生活が充分だといふわけではない、食ったり着たりだけは先づ兎に角だが、平生に労苦がたえないとなり、須の字はスベカラクと暫くと両様の意がある」
「眼裂は大なる方、多く上瞼に角形あり所謂三角目に見えゆるものなれども、下瞼にも角形あるものもある、これは馬には上等なれども人間には不可。眼睛中に虹彩なき様に見え却りて粉点の如きもの多くあるを見る、これは人により多少の差あり、球(眼球)は少しく下向きにして茶褐又は黒なるも駻(かん・暴れ馬)高の人は黄なるが多し。眼尾の方に白眼の露(白眼が露出)なることあり、上瞼の尾部に険しき相見ゆるものあり。眼球急々にせはしく左右に動くものは、殊(とく)に自分勝手にて薄情なるもの也。馬眼のものは多く働けども終生蓄財なく又た得を蘊(つ)むこともなし、馬は陽なれども淫獣にして馬眼なるは、男女ともに性器大にして意外の淫欲家、若き内は淫癖に陥ることあり」
【白】(はく・本来は目偏に白)「 は白い目乃ち白眼のこと。白眼のことを睨む意にいふのは、晋の阮籍(げんせき)が気に入らぬ士に会ふときは、眼を見開いて白眼がちの目をして迎へ、好きな人を見るときは目を細めて目尻を下げて会った、乃ち青眼クロメ勝ちの目で向へとといふ、この故事から青眼白眼といふ字が派生した、これが白眼がニラムの義の初めだといふ。霊樞経には白眼は気の精なるものといったある」
【齦?唇披】(はぐきはれくちびるひらく)。『死すること九州に在るは、蓋し謂ふ齦?(ただ)れ唇披けばなりと』「齦(ぎん)?(は)れとは歯齦(はぐき)がタダレムクミたる様に張れたること、唇披(くちびるひらく)は唇掀に同じく動(やゝ)もすれば唇まき上る也。九州支那本部を九つに別けたる総称、いづれの地方といふを限らず、いづれにても放浪中に死するといふこと」齦(はぐき)が腫れ爛れて唇が巻き上がって歯が見えている者は、どこで死ぬか分からないような運命だ。
【筋若蚓蟠】(きんみみずのごとき)。『筋もし蚓蟠(ミミズ)の若(ごと)きは、定めて少には間あれども厄多し』「筋は浮筋をいふ、色は青ばかりとは限らず茶も黒も紅もあり肉色もある也。横?、手甲、頸項、膝下の側面付近等、その他各所に蚓(ミゝヅ)の蟠居する如き趣に出づる也。只だ静脈の浮筋として数本あるは蟠蚓といふほどにはあらず、蚓蟠は縦横に絡み合ふ如き状なるをいふ。定めて少(わか)い内だけ少しは閑雅であらうが、厄難が多いだろうと也」青筋が浮いて縺れたように現われたのを云う。蟠はわだかまる、曲がる、とぐろを巻くなどの意味。
【白気如粉】(はっきふんのごとし)。白い気色が皮膚上に浮いて現われる状態。白粉(おしろい)、テンカフを振り掛けたように現われる様。ガラスに息を吹きかけたようにボーッと白く現われる様。白い気色に限らず、気色は皮膚上に浮いたように現われる。血色は皮膚の色。『白気あり粉の如きは、父母に刑傷あり』額中央の左右にある父母宮に白気が表れたなら、父母に刑傷がある。「父母に不幸なりしかふぼの忌日に冥福を祈らぬか也、各々その年齢によりて考ふべし、少年にも老年にもあり」
【白青】(はくせい)。白と青の混合色。
【膚渋少光】(はだえしぶくひかりすくなし)。『膚渋く光り少なきは、終に安逸なし』「皮膚の触感ザラザラと渋滞(じゅうたい)あり、光沢少なき人は終生安逸なるは能(あた)はずと也」
【八学堂】(はちがくどう)。『第一、高明部学堂。頭円(まる)く或は異骨ありてミ(たか)し。第二、高広部学堂。額角明潤にして骨起こりて方(ほう・四角)なり。第三、光大部学堂。印堂平明にして痕傷無し。第四、明秀部学堂。眼光あり黒多く神を隠蔵す。第五、聡明部学堂。耳に輪郭有りて(その色は)紅白黄。第六、忠信部学堂、歯斉(ととの)ひ周密にして白きこと霜の如し。第七、広徳部学堂。舌長く凖(せつ・鼻の先)に至り紅にして且つ方(ほう・幅広)なり。第八、班笋(はんしゅん・筍)部学堂。天中に起こりて横たはる、細秀にして長し(額の生え際が起こって横に長いこと)』
【髪際】(はっさい)。額の髪の生え際。『髪際印堂は、周(めぐ)りて維(こ)れ百歳』「髪際印堂は一周して維れはたヾ改めて百歳から始めて勘定する」流年は額の生え際を百歳から勘定する。但し、流年法には数々あるから研究が必要。
【髪際低皮膚祖】(はっさいひくくひふそ)。生え際が低くとは額が狭いこと。そして皮膚が粗ければ愚頑である。片意地のこと。職人に多い相。
【髪際圧遮】(はっさいあっしゃ)。『髪際の圧遮あるは、定めて是れ弧刑の子』「髪際は頭の生え際、それの圧遮とはつまり額の狭少なることをいふ、それは定めて弧刑の子であらう、弧刑とは本人が死ぬか親が死ぬか、本人が他人の処へやらるゝか、どうせろくなことはない子であると也。金較剪(きんこうせん)では過房養育の子だといって居る」金較剪は人相術の書名。
【髪鬢粗濃】(はつびんそのう)。『髪鬢の粗濃なるは、労苦あり終には貧賎とならむ』「髪鬢低く乱れ濁りて粗濃なる者は辛苦あり」髪も鬢も太く粗く濃い者は、苦労ばかりで貧乏する。
【髪鬢濃重】(はつびんのうじゅう)。『髪と鬢の濃重なるは、道的に合うの貌(かたち)、声に響あれば初に栄あり』「髪鬢が重いほど濃いものは、ピッタリ道者向に的合した相貌であるから、その上声よく響あれば初は初主初年乃ち早い頃から出世する」
【鼻】(はな)。委しくは審弁官の項にあり。
「鼻は天の五星では土星に當るが、また肺の竅(きょう・穴)でもあり権利の主張得喪を司る、金財を得るの力である、鼻勢の強からぬものが常に貧乏するのはこの故である。形の正歪(せいわい)大小が重要なる決勝点となる、この点に於ては金星の精ともみらるヽが、金星は已(すで)に耳にあり、耳が金徳を代表し、ハナは其の果端を収むる、耳と鼻との因果関係がソコにある。鼻梁の長いユダヤはブェニスの金貸しのやうに、権利の主張のためには人肉をでも要求する。貸金のカタに娘をつれて行く強欲非道の輩は、大抵ハナが高いか梁(りょう・鼻梁はなすじ)が長いか、正哉(まさか)に前にいった象ほどのことでもあるまいが、鼻梁が垂れ下がってる程なのは意外に深刻な執拗さがあり、その傾向は多い方である。故に準頭(せっとう)には怪部(かいぶ)の名がつけられてある、怪部の名については種々怪しい解(解説)がある」
五岳の中岳。三停では中停の主。五官では審弁官。十二宮の財 。土星。肺の霊苗。上から印堂、山根、年上、寿上、凖頭、金甲の部位あり。
【鼻及財星】(はなはすなわちざいせい)。『鼻は及ち財星にして、中年の造化を管す』鼻を財星と言い、財運と中年の運命を支配する。顔面中央に座して自我の強弱を表す。中岳を君とし回りの四岳を臣とする。
【鼻有三凹】(はなにさんおうある)。『鼻に三凹あるは、必ず貧窮にして弧苦なり』「(三凹とは)ハナのスジに段々がある、三という数の内容には餘り拘はる必要はない。三段でも四段でも又は二段でも」鼻筋に指先で押したような窪みがある場合も取る。貧窮で孤独で苦労が多い相。
【鼻帯両凹】(はなのりょうおうをおぶる)。『鼻に両凹を帯ぶるは、破財あり疾苦せむ』「鼻梁を中心にハナに二ヶ所の凹陥を生ずる也、『鼻に三凹ある』とは全くの別物、『鼻に三曲』とも関係なし、鼻は財星にして疾厄(室厄宮)なる故に缺陥(けっかん)あれば破財疾苦は必然的なり」大抵は鼻に指で押したような窪みがあるが、多くは中年に破財疾苦がある相。
【鼻有三曲】(はなにさんきょくある)。『鼻に三曲あるは、屋(いえ)を売らずんば則ち田を売らむ』「正面より見るに鼻の左右に屈曲あること三ある也、必らずしも三の数に拘はる要なし、二曲にても一曲にても可、それは破産の相にて田地田甫(だんぼ)家屋家財を売り、祖先伝来の家を逃げ出す也」鼻が左右に曲りくねっているのは、中年に失敗して破産する相。
【鼻若竈門】(はなそうもんのごとき)。『鼻若(も)し竈門の若(ごと)きは、家財?盡(けいじん)せむ』「鼻孔が全面より全露に見ゆるを竈門に喩へていふ、?(けい)は傾(けい)なりまた空しき也、ソレは家財が空しく傾き盡(つく)すといふ。男女とも貧乏するなり」鼻は財星。竈門とは鼻の穴を竈の口に見立ててのこと。?盡は?尽。
【鼻尖額低】(はなとがりひたいひくき)。『鼻尖り額の低きは、終には侍妾(じしょう)たらむ』「鼻のみツンと尖りて細形な、そして額のせまい髪際の低く迫った女は、終には侍妾は妾か酌婦かパンパンかその他接客婦の類」侍は侍(はべ)る。
【鼻痩面肥】(はなやせめんこえる)。『花痩せ面の肥えたるは、半世の財終には耗散せむ』「鼻の痩せあり面肉の肥ゆるものもまた半世位は貧乏する也、半世は一生対聯(たいれん)、必ずしも数量には係らず」前句に『面大にして鼻の小なるは、一生常に自から艱辛あり』の一生にして半世と云う。
【馬面蛇睛】(ばめんだせい)。『馬面にして蛇睛なるは、須らく横死に遭はむ』「馬面は普通に単に長顔を言ひて済ませども、然し正確に詳細にいへば第一に長顔、第二額部割合に狭小、第三眼は左右に隔離すること多し、第四眼形には三角あり、第五鼻竅(びきょう)大にして露、第六口は割合下方に付く、第七口形は馬口。以上の内三個以上の要件を具有するものは馬面馬相とす。全備のものは勿論真の馬顔とす。終生労して効なき也」
「蛇睛は眼裂長大、眼形楕円小判型にして拡大、睛に赤味あるか、睛の周囲に赤目ざしあるか赤線あるか也、白中には青味あり水淫性にして一見ギョロリといふ感あり、勿論睛は露たり又た眼眥(がんせい)張目の趣もあり、それらの要件の一二の缺欠はあるも蛇睛といふべし」「馬面にはあらずして蛇睛のみなるは小判財宝に縁あり、若干の金持ちとなることあり、其の性粗にして心毒あり兄弟義ならず、馬面を兼ぬるものは卒には横禍に遭ひ死の難あるに至るのも也」
【波紋】(はもん)。眼の上、眼の下の波。眼波(ばんぱ)。「眼の上下の波紋といふは、上下の目ぶちにある波形なる線、二皮目の副線をふくめて称す」
【歯如榴子】(はのりゅうしのごとき)。『歯の榴子の如きは、衣食豊盈なり』「榴子とは柘榴(ざくろ)の実の如く、歯列のギシギシと並列してスキなきこと也。その如きものは男女に係らず、衣食豊盈であると」豊盈(ほうえい)とは豊かに盈(みちる)こと。
【反耳】(はんび)。「耳反るとは耳が内から外へ零れ、耳輪が後方に飜転するか、耳輪なきが如きものをいふ」耳の郭が飛び出ていること。正面から見ると良く分かる。『額尖り耳の反れるは、三嫁すと雖も而かも未だ休まず』額がオデコで反耳の女は、三回嫁いでも納まるまいという意味。後家相の一つ。

【ひ】

【眉角】(びかく)。眉尻の上角。
【鼻竅露仰】(びきょうろこう)。『鼻竅の露仰なるは、卒(つい)に外災を被り而かも終には旅舎に終らむ』「鼻孔の正面より全部見ゆる也、この人秘密にすることを露骨にし、尻始末わるく性なしに貧乏し卒に災難つヾきとなり流寓し終るといふ也」
【髭鬚髯】(ひげ)。髭(くちひげ)、鬚(あごひげ)、髯(ほほひげ)。
【鬚黄睛赤】(ひげきいせいあか)。『鬚黄にして睛赤きは、終に横?(おうさい)あるを主どる』「?は災に同じ」鬚が黄色、金色で、睛が赤い者は、終には横死する。不慮の災難で死ぬだろう。睛は眼の虹彩の部分。東洋人は濃茶褐色、栗色が普通。睛は目全体を指す場合もある。
【眉肩】(びけん)。眉尻の上の角(かど)。
【飛耳】(ひじ)。「耳の引き立ち起き上がれるをいふ」
【美女背円】(びじょのせまるき)。『美女の背円きは、必ず秀士に嫁して貴を得む』「美女であり背中の肉附きよく丸く見えるのは、必ずよい夫を持ち出世もする、但し猫背なのは余りよくない」肩から背中にかけて肉付きが良く温かく見える女。美女という条件付き。
【鼻凖直齊】(びちょくちょくせい)。『鼻凖の直齊なるは、富貴自ら足る』「鼻の形よく鼻すじのよく通ったものは、富貴で自ら満足するだけはあらうと也」
【額】(ひたい)。天庭。上停。智。主として初年の運命の盛衰と、知識の広さ、目上の引き立ての有無などを鑑定する。
【額尖鼻小】(ひたいとがりはなしょう)。『額尖り鼻の小なるは、側室分居す』「額が左右から或は上下から相迫り、前方に又は上方に尖り或はおでこになり、おまけにその鼻が小型なのは、側は妾、室は本妻、共に相合はず別居するをいふ、即ち家庭の治まらぬ所以也」
【額尖耳反】(ひたいとがりみみかえる)。『額尖り耳の反れるは、三嫁すと雖も而かも未だ休まず』「(額尖るとは)額の中央部突出するオデコ也。それに反耳なれば、二度はおろか三度び男をかへてもこれで安心といふことには行くまいと也」耳の外側を輪(りん)と云い、ミミタブ垂殊(すいしゅ)、内の軟骨を郭(かく)と云う。耳反るとは、耳の郭(かく)が飛び出て耳が反り返っていること。
【額偏不平】(ひたいへんしてたいらならざる)。『額の偏して平ならざるは、内は淫にして外貌は無きが如し』「額部が左右に偏頗(へんぱ)であり、或は凸凹あり平等でない女は、内心は多淫でも外見は何ともない様に見えるものだ」
【額方而濶】(ひたいのほうにしてひろき)。角額で濶く綺麗なこと。濶は肉厚で広く傷やホクロなどがないこと。『額の方にして濶きは、初主に栄華あり』二十歳そこそこで早くも出世するということ。家柄正しく両親睦まじく、本人も順調に発達するをいう。『(額の)骨に削偏(さくへん)あれば、早年に偃蹇(えんけん)あり』額の骨が平らでなく見苦しいのは、二十歳頃までは苦労が多い。
【額方面闊】(ひたいほうにしてめんひろき)。『額方にして面の闊きは、険なくして吉祥迭(かた)みに至らむ』「迭は交互の意、かたみがはり也。額が方正で面が闊いもの、面とは顴頬の辺、そこに肉付き多きものは、育てるのにさう危険もなく、吉祥よいことお目出度いことが、交る替る相ついで来るといふ」額が広く奇麗で顴骨から頬にかけて肉付きが良い子供は、吉祥が多い、順調に育って運がよい。
【人小声洪】(ひとしょうなりともこえおゝいなる)。『人となり小なりとも声の洪(おゝ)いなるは、定めて須らく超越すべし』「人柄が小さい割合に声立ちの大がらなものは、定めて須(すべか)らく万人をのり超えて豪(えら)いものに成るだらうと也」
【鼻凖】(びせつ)。鼻の先端。別名は凖頭(せっとう)。『鼻凖の尖り垂るゝと、人中の平満なるとは、嗣続を刑することこれ逃れ難い』鼻凖が尖って垂れ下がるのと、人中が無い者は、跡取りに縁が無い運命は逃れられない。『人中(にんちゅう)』は鼻の下の縦溝。別名を溝洫(こういき)とも言う。子供との縁、特に跡取りとの縁の良否を見る所。『人中平満』とは、人中が平で肉が満ちていること。つまり人中が無いこと。
【眉頭】(びとう・まゆがしら)。
【皮膚香膩】(ひふにこうじある)。『皮膚に香膩あるは、乃ち富室の令娘(れいじょう)たり』「令娘とは夫人奥さまの意、俗にいふムスメにはあらず、皮膚の香ばしく脂ぎってあるものは、やがては福家の夫人になるだらうと也」なめらかで香るような感じの皮膚の女は、金持ちの奥様になる。
【眉目平直】(びもくへいちょく)。『眉目の平直なるは、僧格に入るの相、骨清ければ方に貴たるべし』「眉も目も水平に真直なものは、僧としての格に入ったものであるから、それに骨気が清ければ方(まさ)に貴くなるにきまってる」
【百三十部位】(ひゃくさんじゅうぶい)。
【媚靨漸生】(びようややしょうずる)。『媚靨漸生ずるは、月下の期定(きじょう)なり難し』「媚靨は愛嬌あるエクボ、漸はやや也少しづゝだんだんに也、面肉動くに従ってヤンハリとエクボが現出する也。月下(げっか)は媒酌人のこと、其の手はまたない待つヒマなどは持ち合せないと也。エクボの出るものは尻軽だと也」「靨はホクロとよむ人あるも非。(靨の字は)面に厭ふものでエクボなり」期定は約束、きまり。愛嬌あるエクボの持ち主は、男にモテルし男好きでもある。新しい男ができて婚約も反故(ほご)するとも解される。
【猫眼】(びょうがん)。猫目(びょうもく、ねこめ)。
 『猫目は睛黄にして面閣円なり。温純なる稟性(ひんせい)、好んで鮮に飽く。才ありまた力あり仕使に堪ゆ。常に高人に得たり一世の怜』
 (解説)「猫目であるものは睛(せい・虹彩)は黄であり、面閣とは面が額から下閣(かかく・地閣、下顎)まで円々と見ゆる、即(すなは)ち面構(つらがま)への横ひろがりのこと。閣(の)字は新本、乾隆本ともに濶(かつ)に改めあるもそれは非也、今古本のまヽに従ふ。温和純良無邪気な天稟の性格で、常に生魚を飽きるほど食ふことを好くといふ。また別意として新鮮なる事物、又た人附合(ひとづきあい)を好むといふを兼ぬる也。才識材幹また力量があり使ひものに成らうと也。常に平生高人からの、高人とは豪人、位高き人、品性高き人、生活高き人など、ソレらの人から哀憐(あいれん・可愛がる)を受くると也。怜(れい)は憐と同じ」
 「(眼)裂は短く、睛は多く黄、時に紅又は青を加ふることあり、眼頭は清々(すがすが)しからず、眼球少しく凸(とっ)す、光り強し、睫毛(まつげ)は短かく少しあり。眼波は殆んど?(欠)乏」(備考)「猫は毛ものの苗(びょう)、苗民苗族は人間の始め、進化論では今の人間は猫から発生したものだといふ、動物の苗である猫の字の意味は深遠サがあるやうだ」
【鼻梁】(びりょう)。鼻筋。
【眉稜起骨】(びりょうのきこつ)。『眉稜の起骨あるは、縦ひ寿ありとも孤にして刑あり』「眉のある位置にムックリとある骨気を眉稜といふ、眼窩(がんか)の上沿部なり解剖すればその骨あるわけにあらず、故に骨気と考ふるより外なし、ある人もあり無き人もあり大小形状程度種々なり。そのキワダチて高くあるを起骨といふ。長生すとも弧刑なりとぞ」
【鼻梁低】(びりょうひくい)。鼻筋が低い、ベタ鼻。横顔で判別できる。『鼻若(も)し梁低ければ、貧にあらずんば則ち夭せん』鼻梁が低い者は、貧乏か若死にかのどちらかである。
【鼻梁低榻】(びりょうていとう)。『鼻梁の低搨なるは、当(まさ)に啾喞の災いを生ずべし』「鼻梁の低榻は鼻スジが通らぬビタ鼻の形容、榻は高サの膝にも足らぬ腰掛の寝台などをいふ、啾喞(しゅうしつ)は秋の虫のシクシクと鳴く声の形容、臥榻に靠(よ)りて秋の虫声をきくといふ縁語より、シクシクと泣くような災難がつゝくだらうと也」靠は、もたれる寄りかかる意味。
【鼻梁露骨】(びりょうろこつ)。『鼻梁の露骨なるは、名づけて破祖刑家と為す』「鼻梁露骨は鼻スジの中辺に突兀(とつごつ)として骨気の見ゆるもの、それを名づけて破祖刑家といふと、祖業を破り家財を散する人だと也。家は擬人名としての用字に兼用、刑尅ある人也の意」
【貧窮】(ひんきゅう)。貧乏困窮。『富貴と貧窮とは、景
【鬢似毬織】(びんのきゅうしょくににる)。『鬢の毬織に似たるは、或は先には富ても後には貧なり』「鬢の毛が今時流行のウエーブしたかの如きをいひ、この天然自然の毬織の大波小波に準じ、他日には必ず貧乏する也。男は刈り込むので不明だが少し延びると太い毛と細い毛と縮れて延びたる入り交りありて注意すれば分明す」モミアゲが毬(まり)の糸のようにチヂレているのは、例え裕福な家に生まれても、後には貧乏する相。

【ふ】

【風鑑】(ふうかん)。
【富貴】(ふうき)。
【伏 眼】(ふくせいがん)。
 『頭は円く眼は大に両眉濃し。耳内の毫は長く体厚く豊かなり。此の目あれば信あり聡にして台鼎の位。定めて富貴にして寿は松の如かるべし』
 (解説)「伏 眼の人は頭円く眼は大形にして両眉は濃き筈なり。耳内に生ずる毫(ごう・硬い毛)は長く体は厚くしてタップリと豊かなり。此の目の人は信(まこと)の心あり聡明にして台鼎大臣の位には上れる。定めて富貴であり長生して寿は高砂の松のやうであらう」
 「眼裂は大なる方。瞼睫清麗永平にして球は正視中央にあり、眼波は長く概形龍眼に類するも、眼頭の形に多少の異色あり。 は音セイ、サイは通俗音」
【伏犀貫頂】(ふくせいいただにをつらぬく)。『伏犀あり頂に貫くは、一品の王侯たり』「(伏犀とは)伏犀骨(ふくせいこつ)の略、伏犀骨印堂の上眉頭の辺より、皮下に伏在する骨気あり、伏犀三路といって三本立つもあれど一本にても可、下より上に昇る勢いあり頭角に入りて頂に貫かんとするやの状あるもの」骨気とは、皮下に骨のような硬く盛り上がる勢いがあるのを云う。一品(いっぴん)とは最高の位。一級の王侯の相。
【伏犀骨】(ふくせいこつ)。『伏犀貫頂』の項を参照。
【伏犀三路】(ふくせいさんろ)。伏犀骨が眉間、眉頭から三本昇ること。
【福堂】(ふくどう)。「通常百三十部位図にいふ福堂は眉上の中へん」A眉尻の上辺。B「雲谷流にては耳頭を福堂といふ。これは漢時以来の古き説なり。『頻りに吉祥に遇ふは、蓋(けだ)し謂(おも)ふに福堂の潤沢あればなり』頻繁に目出度いことに会うのは、福堂に潤いがあるからだ。「潤沢」は潤いのある奇麗な色。
【福徳宮】(ふくとくきゅう)。『福徳は位を天倉に居す。地閣に牽連(けんれん)す』『天倉地庫を福徳宮と為す。須らく豊満明潤を要す』福徳とは福と徳で、徳による福利。福徳の有る無しが現われる部位。額の両脇から頤までの側面全体を福徳宮と言う。側面を陰面と言い、陰徳の現われる所。
【部位】(ぶい)。@顔面、身体の名称のある所を指して云う。A百三十部位、十三部位など。
【部位停堰z(ぶいていいん)。『部位の停奄ネるは、応(まさ)に貴子を招くべし』「顔面部位の相応停奄ネるこのは、自然の天運でよい子を生むものです」停奄ニは身体も顔面も釣り合いよく整っていること。
【部位伶俐】(ぶいのれいりなるは)。『部位の伶俐なるは、自然に禍なく災無し』「儷?(れいり)の換字画伶悧、清くうるはしきこと、また麗理なり」顔の部位が端正で麗しい人は、自然に禍がない。
【部位無虧】(ぶいにかくるなし)。『部位に虧くるなきは、一生平穏なり』「顔面の諸部位の凡てタップリと出来上りたる也、今の百三十部位といふほどの義にはあらず」部位に虧くるなしとは、格部位は整っていて豊かなこと。その人は一生涯豊に平穏に暮らせるという意味。  
【部位偏虧】(ぶいへんき)。顔の各部位が整っていないこと。「十三部位、百三十部位などいふ部位の語は、神異賦以後ズーッと後世のこと、ここにいふ部位とは各部位を抽出していふ程のことではなく、単に顔面の三停六府等殆ど全面全部といふほどのこと。則ち部位偏虧とは偏虧とは顔の曲がったりくねったり 缺欠のあるものはといふ義、その様な人は終身労苦ばかり続くであらうといふ」
【袋目】(ふくろめ)。梟目(ふくろうめ)。「梟目などいふは訛(か・なまる)伝。眼形は種々なれども多くはも目裂ひろき方なり、眼突者(がんとつしゃ・出目)にも又たさまでにもなき人にもあり。刮目(かつもく・目を見開く)者の袋目は雄弁能弁を語り、細目の袋は腎臓炎なり、子嗣(しし)は少き方、又は女子のみにして、妻女に威張らるヽか、又は妻妾(さいしょう)に欠点あり、島田三郎や西園寺公望の実例は参考すべし」「下瞼の広めにあり膨軟に見ゆるのは、思想表現の力多く自然に雄弁にもなる。袋目、別名梟目は、皺が出来色がつく様ならば腎臓病、その程度によりて急性と慢性とを判じ分ける」
【夫座妻座】(ふざさいざ)。両目頭、山根の両脇の部位。男は左が夫座、女は右が夫座。逆が妻座。恋愛、夫婦仲、家庭の運などが現れる部位。
【婦人口濶】(ふじんのくりひろき)。『婦人の口濶きは、先づ田宅を食して後に貧なり』「大口の女は先づ家屋敷を食ひつぶして後には貧乏する」好き勝手にやって家を潰す。
【父母宮】(ふぼきゅう)。額の中央の左右、日角と月角のこと。父母の品行、和合不和、安否、父母との関係の良否が現われる部位。『(父母宮は)須らく高明を要すべし。螢浄なるときは則ち父母長寿にして康寧なり。低榻なるときは則ち幼ふして双親を失ふ。暗昧なるときは父母に疾あるを主どる。左角(日角)偏するは父を妨げ、右角(月角)偏して母を妨ぐ。或は父を同じふして母を異にし、或は母に随うて父に嫁し・・』
【文武双全】(ぶんぶそうぜん)。『文武の双全なるは、定めて刺史たらむ』「文武は上下の唇のこと、それが恰好よく上出来なのは定めて刺史(しし)、地方長官位に成るだらうと也」上唇と下唇が恰好(かっこう)よく整っているとは、上下の釣り合いよく厚さよく口角が上がるなど。

【へ】

【駢脅】(へんきょう)。肋骨が一枚の骨でできている一枚肋(あばら)のこと。周春秋時代の君であった重耳(じゅうじ)が駢?であったと伝わる。覇者の相。『重耳は駢?にして果たして覇となり、晋の基を興せり』異相の一つ。
【辺地】(へんち)。「辺地は顔面の左右上下の四隅」水野南北先生は上中下の辺地ありとする。上停の辺地は額の両角、中停の辺地は耳の前の命門の部位、下停の辺地は腮骨(さいこつ)。腮骨は耳の下のエラ骨。
【辺地四起】(へんちよもにおこる)。『辺地の四に起れるは、五十を過ぎてより始めて享通せん』「辺地は顔面左右上下の四隅、(四に起こるとは)即ち顔の四方のこんもり高き相貌なるは、五十過ぎの晩年になりて始めて運が享通すとなり。近時の百三十部位にいふ辺城辺地は額隅の左右対称、本項にいふ邊地とは別なるも、或は百三十部位図はこの辺地を改造したるに依れるものか」

【ほ】

【眸】(ぼう)。「眸は黒目、眸子(ぼうし)はヒトミ、ヒトミは人見、その眸子を見れば人面が小さく見ゆる、それは対者の顔なのであるが気づかない、人面が見ゆる故に人見の名がつけられた。睛子といふこともあるが普通には、瞳の兒を瞳(どうし)といふ、瞳精(どうせい)といふこともある。孟子の離婁篇には、正直な心のキレイなものは眸子が清く亮(あき)らかだとある。
【豊頷】(ほうがん)。頷は下顎。頤の左右の肉が垂れ下がるほどに豊かなこと。『重頤豊頷、北方の人、貴にして且つ強し』重頤は二重頤。頤が豊かな人は貴くて運が強い。
【鳳眼】(ほうがん)。鳳目(ほうもく)、鳳睛(ほうせい)。
 『鳳眼の波長きは、貴自から成る。影光に秀気あり、又た神(しん)も清し。聰明にして智慧あり功名遂ぐ。萃を抜き群に超え衆英を圧す』
 (解説)「鳳眼の眼波(がんぱ・目の上下の波紋)は元来長いもので、その長いものは気品があり、鳳眼なる人は自然に貴人と成る。鳳眼の形勢には秀気があり、その神力(しんりょく・目力)もまた清く美しい。それら鳳眼なるものは聰明で智慧あり、功名が完遂さるヽであらう。鳳眼は精萃をぬき一般の群に超えるので、えらい内にもえらいと曰はるヽほどに群をぬき多くの英物を圧するであらう。
 『鳳目なるは精神あり秀気長し。眉は高く軽細にして天倉(てんそう・額の左右)に入る。黒白は分明に瞻視は蔵る。顕達あり朝華は必らず異常』
 (解説)「鳳目には精神ありて秀気が長い。眉は高くあり軽く(濃過ぎない)細目でキレイで、天倉部に入るほどの長さである。睛の黒白は分明(ぶんめい・ハッキリしている)で、その瞻視(せんし・眼光)は露ではなく相応に蔵(かく)されてある。その人は必らず顕達(けんたつ・高位に登る)することがあり、朝野に華々しい栄誉ある生き方をなすこと異常であらう」
 『鳳目なるは好焉なるその人なり』(解説)「好焉(こうえん)とは焉(こ)れ好いかなといはるヽ、スムーズに人生に進める好運の人だといはるヽ其の人であらうと也」『鳳目の勢(せい・形勢)ある者は長眉相逼(せま)り、黒白分明、瞻視平遠、精神あること異常なり、乃ち真貴人也』
「眼形の細長きこと目裂(もくれつ・目の長さ)長きことを特徴とす。眼尾(がんび・目尻)水平に近く、やヽ上ワつりのこと。魚尾は上波(じょうは・目の上の波紋)が下眼瞼を掩(おお)ふこと。眼の上下に副線(眼波)を生ずること、眼瞼(まぶた)少しはれぼったき形あり、凸眼(とつがん・出目)といふほどにはあらず。球は中央にありて稍々(やや)下を向く、眼波は概して長く殆んど鬢にも入らんとする、眼精(眼睛)は黄黒色を帯ぶ。菊池寛氏の眼は鳳眼の類也」
「鳳睛は鳳眼(ほうがん)に同じ、眼形細長、眼幅に比して長さ五倍以上」「細長き鳳眼は発達教養を含み、天命上運」「龍眼と並び眼相では人徳あり出世する最上の眼相」
【蜂眼】(ほうがん)。蜂目(ほうもく)、蜂睛(ほうせい)。
『眼突し屹(きつ)として蜂目の如きも亦た凶刑あるを主どる』(解説)「蜂目は蜂睛(ほうせい)に同じ、これ亦た凶刑あるものだといふ」
 「実際の蜂の目のことにあらず、喩へていふ也。蜂の古字は?(ほう)。?はトガリ、トッ端んのト、物の端(はし)、頂点也。山の?を峯、鋒(ほう・ほこさき)は刀鎗の切先(きっさき)、烽(ほう手・のろし)は下より上に細長く、高く突き上り燃ゆる火柱。?はまた刺す意、蜂は毒刺(どくし)する虫、烽火(ほうか)は毒刺する煙、一名狼煙(ろうえん)といふ。此の眼の人は他を刺傷する心多きが故にいふ、勿論或る特定の眼をいへども、必らずしも人間の眼が蜂の如しといふにはあらず。
 眼形の如何に係らず、黒睛(こくせい・虹彩の部分)は小型にして黒く或は赤く、大抵中央より少し内寄りに在りて、常に前方を注視するやうの外観。眼頭に釼(剣)ありてケンケンしたる権ある趣、人を刺すやの嶮しき気色あり、黒睛は小型なる方。
【鳳頸】(ほうけい)。美しく長い頸(くび)を鳳の首に譬える。『『龍顔鳳頸、女人は必ず君王に配す』鳳頸と龍顔が揃えば、必ず王妃となる。玉の輿に乗る相。
【蜂睛剣鼻】『蜂睛と剣鼻とは、特(ただ)に慳なるのみならず、而かも也(ま)た婪(いや)し』「(神異賦の)原文には剣鼻蜂睛とあり、平仄(ひょうそく)不合致故に、今は蜂睛剣鼻と改む。その方可なるが如き観もあり」
「蜂睛は蜂目(ほうもく)蜂眼(ほうがん)とも相同じ。蜂睛は眼睛(睛・虹彩)小型の方、黒睛の中に赤目ざすもの多し。転眼すること少なく、常に一方をのみ見据える如き形勢あり、目頭鋭どき趣、剣ある如し、上眼瞼に近く針の立つ様、或は睫毛など上に立つ如く見ゆ、両眼は相近接するが多し」転眼(てんがん)は見るときに眼球の動くこと。目頭が鋭く食い込んでいる。目付きに剣があるとは刺すように視ること。
「剣鼻とは凖頭尖り、鼻梁剣背の如く痩せて角立だちてある也」鼻筋が剣の峰のように痩せている鼻のこと。「それは特(ただ)に慳(けん)はシマリやケチンボウなるのみではなく、また婪(らん)は向こう見ず理屈なしの欲張りであると」
【方正神舒】(ほうせいにしてしんのびやか)。『方正にして神の舒(のび)やかなるは、終には隠耐に須(ま)つ』「性格品行の方正なるをいふ。斯(か)くて神のびやかなれば、自然に落ちつき出て運わるきことなき也」この解説によって、方正にして神ののびやかなる人相も想像できる。「心形一致の法則」
【貌如 鉄】(ぼうそうてつのごとき)。『貌 鉄の如きは、運気屯?せむ』「 鉄とは飾 (かざりや)にて使用する材料としての金属、ヅク鉄薄き板金の類、サビは深からざれども潤ひなくザラリとしたる形容、その如き顔貌の人は運気たちもとほり屯?として開かずと也」そうは刻むこと。潤いがなく青ざめたような顔の人は、運気が開かないという意味。潤いがあれば吉。
【法令】(ほうれい)。@法令紋の略。A法令という部位。「法令とは鼻翼の側方の一指頭大の地点なり、鼻を帝王に譬へ鼻翼は帝王を翼(たす)くる左右大臣として金甲又は蘭台廷尉の名あり、其の傍らより法令を出すによって法令の部位名あり、法令紋は其の法令の順流する形式傾向を示す。即ち上より下にスラリと行く、上方は細くして急に、下方は広く緩やかなるが法令の常態なり」
【法令入口】(ほうれいくちにいる)。『法令口に入る、ケ通は餓死す野人の家』「法令紋の末端が口に没入すること也、多くは口角に入るものなるも、口角付近の口唇を破りて口に入る、或は時に口角を迂回して入るものあり、貧窮餓死の相とす。胃癌などにて食に窮するも餓死の内なり。一たび入りてまた出づるは口やかましく口禍ある性能なれども餓死は免るゝことあり」ケ通は人名、漢初の人。文帝に見出されて出世したが、法令紋が口に入っていたので、終には地位財産を奪われて野人の家で餓死した。「この相の人時々あり、中年以後食道に病あり苦しむこと多く、又た餓死に瀕することあり、富裕の身にても免れ難し、若き内より徳を施さば減半することを得べけん」
【法令紋】(ほうれい)。略して法令。小鼻の元から口の両脇にかけて下る紋。法令の項参照。
【法令繃纏】(ほうれいほうてん)。『法令の繃纏あるは、七七の数焉(いずく)んぞ過ぐ可(べ)けん』「法令は法令紋といふの略語。法令の部位を起点とする線條なればの故にいふ。「(繃纏は)繃急纏曲の略。法令紋の形種々なる内、皮膚の緊張により法令のスジ少しも見えぬ程なるを繃、急は却りて深刻に直線的に下ること急に、多くは長きものなれども短きもあり、纏は口のまつはるが如く、或いは口に入らんとする形勢あり、又口角にも接して下る。曲は口に入り或は口の下に曲がりこむ等」法令紋が弱弱しくてモツレる様子を云う。「七七の数といふは、四十九歳のこと、法令繃纏するものは四十九歳までは生きられないといふ也。早きより陰徳あるものは十年位は延命し得る也」
【黒子】(ほくろ)。
【輔骨】(ほこつ)。「輔骨は上中下の三段あり、上補は額の左右輔角、中輔は顴頬、下輔は左右両頤なれども、普通には狭き意味合にて上輔のみにいふ。輔骨は額の両側、輔角も同じ。
【輔骨 天】(ほこつてんをさしはさむ)。『輔骨の天を むは、千軍の勇将たり』「(輔骨とは)上輔骨の左右にあるをいふ、天は天庭天中をいふ、(天庭天中の)左右に張った気骨あり、天庭天中を みたる形勢」額の左右の骨、上輔骨が高く、額を左右から挟むような形。このような相の人は、千軍を率いる勇将であると。
【輔骨両隆】(ほこつふたつながらたかい)。『輔骨の両ながら隆きは、纔かに三九則ち官従たり』輔骨の項参照。「主文にいふ意は上輔を主とし中下の輔骨の隆高なるをいふにて、つまり面の城郭の確然たる貌なり。此の如きは纔(わず)かに二十七才位又は三十九才、即ち四十前にて高官に成るといふ也。官従は主上に随従する待従職の如きをいふ」
【保寿官】(ほじゅかん)。
『眉を保寿官と為す。清高(清く目より高いこと一寸)、疎秀(密生せず、美しい)、湾長(湾曲して長い)を喜ぶ。亦(ま)た目より高きこと一寸、尾(眉尻)天倉を払ふ(眉が長く立派)に宜し。聡明富貴機巧福寿を主どる。此れ保寿官の成るなり。若し粗黒濃黄淡散乱低圧は乃ち刑傷破敗す。此れ保寿官の成らざるなり』
『眉を保寿官と為す。眉は須らく寛広清長を要す。双つ分れて鬢に入る(眉間が広く、鬢に入るくらいに長い)。新月の様。首尾豊盈(全体が豊か)。高く額中に居る(眉と眼の間が広い)。之れを保寿官の成ると為す』
『濃厚(のうこう・濃すぎ、密生し過ぎ)にして淹留(えんりゅう・久しく留まる・運が開かず)して孤独なり。「眉黒く稠濃(ちゅうのう・多く濃い)にして密(密生)なるは、淹留し蹇滞し(けんたい・停滞)し、久しく困するを主る。(両眉の運限は)二十六歳にして運に入り三十五歳に至る。(眉が濃厚な者は)此の一運中、上五年(二十六歳〜三十歳)は多く淹滞を主る」
『短促(たんそく・眼より短い)せるは、兄弟宜しからず』「眉を君と為し目を臣と為す。宜しく清長にして眼を過ぐべし、宜しく雁行(がんこう・左右均しい)の如かるべし。若し短くして目に及ばざるものは、兄弟を為し難し、縦(たと)ひ二三四あるも、終には須らく靠(よ)らざるべき也(三四人の兄弟姉妹あるも持ちつ持たれつせず、相倚(よ)らざるをいふ)」
 『稜骨高起(りょうこつこうき)は性勇、好んで非を為す』「稜骨高起とか、眉骨の尖峻(せんしゅん・尖り高い)顕露なるを言ふ也。則ち人の?鹵(そろ・不幸者、馬鹿者)を主り、進を知りて退くを知らず、存ずるを知りて亡するを知らず、成るを知って敗るヽを知らず、自強自勝(強がる)、事を作(な)すに応為ならずして強為(コヂつける)、姓は暴にして好んで闘ふ。友とすべからざるの相(ひと)也。平生に宜しく之を遠ざくべし」
 『清秀にして灣月様(わんげつよう・細く円味ある清き眉の形容)の如きは、文章顕は折桂栄奇(せっけいえいき・進士の試験に及第すること)たり』「眉は是れ目の君、膽(たん)の苗(びょう)にして面の表(ひょう)也。若し清秀にして灣月様の如きを得ば、人となり聡明にして智慧(ちけい)あるを主る。文学博雅、蟾桂(せんけい・月桂冠を戴く栄貴あり)に攀(よぢ)らん。高明富貴の相にして、平生の福たるを知る。二十六歳より運中主に至らば、便ち顕煥(けんかん)功名を得む。眉新月様の如きは、名誉四方に聞ゆ。眉月弓の如くなるは衣食窮せず。眉曲りて欒灣(らんわん・欒は細くやせたる形容)」
 『印堂広く双分(そうぶん)して鬢に入るは、卿相(けいしょう)の位何ぞ疑はむ』「眉中(びちゅう・眉間)を印堂(いんどう)と為す。人面の中、此の位(部位)最も禍福に干す、双分して鬢に入るは平生多福にして貴なるを主(つかさど)る。二十六歳にして入る運中主に行(めぐ)らば、大に功名を発せむ。眉を羅計(らけい)の星と為す、宜しく潤くして紫気宮(しききゅう・印堂)を侵犯するを欲せず。翠眉(すいび)の鬢に入るは位公卿に至る。
 『竪毛(じゅもう)多きは殺を主り、神・剛に気暴(そこな)ふ、豈(あ)に思維(しい)あらむ』「竪眉とは眉毛の直立して生ずるを謂ふ也、多くは殺生(さっせい)あるを主る。性急に神猛(しんたけ)く闘を好み殺を貪る、思算(考へ)無きの相也。毛直なるは性狼(ろう)なり」
 『交頭(こうとう・眉頭が迫り交わる)し并(ならび)に印(印堂)の促(せま)れるは、禄に背きて奔馳(ほんち)す』「頭の交るとは、両頭(両眉頭)と印提(いんてい・印堂の端)と交鎖(こうさ)し印堂を侵犯するを言ふ也。若し交促(こうさく)する者は禄なくして、一生奔馳するの愚夫なり。胡人(こじん・北方の人)は此の限(げん・かぎり)に在らず、神強き者も此の限に在らず。此の限に在るものは、即ち平生の滞たり、六六の交よりの運四十一に至る。此の四五年最も緊(きん・緊要)なり」
 『横直(おうちょく)は妻を妨げ子を害す』「夫(そ)れ直とは、眉毛の凡生して直竪(ちょくじゅ)不順なるを言ふ也。左は子を妨げ右は妻を妨げ、左右此の如くば妻子倶に傷む。然(しこう)して平生利あらずと為す。二十八の限三十に至る。此の五年最も是れ不利なり」
 『旋螺(せんら)の聚(あつま)れるは必ず旗鎗(きそう)を執(と)らむ』「旋螺とは其の中毛盤旋し、螺?尾(らしび・貝のタニシ、カニラの類)の尖れるに似たるを言ふ。盤盤旋旋として生ずる者は、人と為り剛健勇猛なるを主る。車前鎗旗の首たる可く、当に先んじて懼るヽところ無く戦ふ也」
 『低圧して眼と相連(あいつら)なり断(た)えざるは、運・必ず災厄に至る』「眉は羅計の星たり、目は日月の象たり、相眉(そうび・双眉)緊々として貼(てん)し、而も眼と相連りて断えざる者は、是れ羅計二星の太陰太陽(両眼)を侵犯するなり。太陰太陽は日月の臺(うてな・台)、一身の主たり。二十六の限二十九に至って利あらず、三十七八九も亦(また)利あらず。、若し孛星(ばいせい・山根)高広日月分明ならば、災禍は半ばに減ぜん」「(眉の)運限は両眉四年を管す、中主に入り、左は二年二十六七、右は二年二十八九.眉に四理(四本の線理、四本の紋、大抵細長のもの多し)を生じ、黒子眉中に生ずる者は、初(初年)に水厄を主り、眉頭に生ずる者は、性の剛なるを主る。眉上に生ずる者は貴官となるを主る。眉上の気色、忽然として白き者は哭泣(こくきゅう)の声、忌に服するを主る。忽然紅色なる者は三日七日に、口舌官訟あるを主る。黄明、華葢(かがい・眉)に入るの日は近遠の喜信入宅す(喜び事がある)。又、動出して吉と為るを主る。眉中に忽然たる毫(ごう・毫毛)の長きを生ず、之を寿毛と謂ふ。然れども早く(若くして)生ずるは宜しからず。二十の生毛三十に死す。四十の生毛は命寿長し、若し四十の上、忽然として一毫の長きを生ずる者は、三年の内に貴に遇ふ」
骨(眉稜骨・びりょうこつ)高く起こるは、性勇にして好んで非(争い)を為す。清く秀でて湾(わん・弓なりに曲る)、月の如きは、文章(学業)顕れ折桂(桂を折る・高等試験に及第する)栄奇。印堂広く双(双眉)分れて鬢に入るは、卿相の位何ぞ疑。堅毛多きは殺を主どり神剛にして気は暴。頭(眉頭)ま
【歩若蛇行】(ほすることだこうのごとき)。『歩すること蛇行の若きは、毒ありて寿なし』「蛇行は品作(しなづく)りて尻を後(うしろ)から別に行かしむるやうに、之の字形に之(ゆ)く也、胴体をくねらして行くこと人により多少の差あり、その人毒ありて寿なしと。それに蛇眼をかぬれば尚さら也。
【歩走不正】(ほそうふせい)。『歩走の正しからざるは、外は好くして中心最も悪なり』「歩き方足どりが真直ぐに行けない女は、外見はよいが内心は意外に奸悪なといふ、之は男子にも適用される」不正というのは癖のある歩き方全てを云う。運命も浮沈多く晩年が寂しい。
【北方】(ほっぽう)。『北方の公侯の大貴なるは、皆な地閣の寛隆なるに由る』北のほうの公爵侯爵の貴いのは、地閣が立派なことに由る。地閣は下顎。地閣を北岳(ほくがく)とし北を指し、額を南岳と言い南を指す。一般に北方の人は北の気を受けて頤が発達し、南方の人は南の気を受けて額が発達している。あごの発達した人は北に有利であり、額の発達した人は南が有利である。

【ま】

【麻衣】(まい)。人名。麻衣老祖、麻衣仙人、麻衣(まえ)道人とも言われる。仙伝の人相術を陳摶(ちんたん)に授ける。「崋山石室は乃ち麻衣老祖が修道の地なり。後には希夷も亦た此処に隠れたり」二百歳近く生きたという。日本の役の行者の渡唐後に麻衣と呼ばれたともいう。
【睫】(まぶち・しょう)。「睫はマブチ、目の縁である、その場所は眼瞼(まぶた)の端の粘膜部のホンの一小部分、横に長い一線でこれも目に従って上下に別つ(上睫、下睫)」
【睫毛】(まつげ・しょうもう)。睫毛はまつ毛(げ)のこと、睫部から外方に向って眼肉を保護するために生えたる毛、昔から目には豪末を見るも而かも其の睫を見ずと、ある様に他の毛は自分に見ゆるが、自分の睫毛は見えないものである。人のより多少の差はあるが二三ケ月で順次に生え替るので、同一人物の目の内にも多いことも少ない時もあるのだが、あまり目にもつかず気にもならない」
【眉】(まゆ)。詳しくは保寿官(ほじゅかん)を見よ。「眉は目と合せては、眉目(みめ)かたちと呼ばれるだけに、顔中で第一最初の造作と言っても宜(よ)からう」
【眉卓似刀】(まゆたかくたちかたなににる)。『眉の卓くたち刀に似たるは、陣に亡び兵に死なむ』眉卓くとは、眉形が立ち上がれること也。女子にもあり多く死に際わるき也。陣亡兵死は必ずしも軍のことにあらず、旅行中に災厄にあひ、または喧嘩などして人に敲(たたか)れて死ぬ也、兵の字は打ちたゝかるの意あり。眉が四十五度以上に立ち上がっている者は、剣難の相の一つ。眼光が凶暴であれば悪死は免れない。
【眉払天倉】(まゆのてんそうをはらう)。『眉の天倉を払へるは、出入貴に近し』「眉の天倉を払ふとは、眉尻を箒に見立てゝ払うといひたるにて、眉の長きことの形容なり。出入(しゅつにゅう)貴に近しとは、出ては将軍、入りては大臣という立場で、貴人に近づく大した人物のこと。
【眉不葢眼】(まゆのめをおおはざる)。『眉の目を葢はざるは、財親離散の人なり』「眉の長さが目の長さよりも短かいこと、それは財産にも親身のものにも、二つ乍(なが)ら離散し去る也」義経の眉がこの眉だった由。
【眉抽二尾】(まゆにびにぬける)。「眉尻の方平面に二本に別れてある眉のこと、この人一生平安にして歓楽的で満足な生活を送るといふだけ、必ずしも花酒に親しむといふわけはあらず。眉尻が二つに分かれていることで、「眉に二角を生ずる」とは別物。
【眉縮】(まゆしゅく)。眉を顰(ひそ)めること。「眉を八字によせる、眉に皺を寄せひそめること」「縮々とは形容詞で顰縮の意。眉に皺をよせひそめることである」苦労、孤独の相の一つ。『心無愁眉縮々』(こころにうれいなくしてまゆはしゅくしゅく)。『心に愁ひ無くして眉は縮々、老いて弧単を見ん』悲しいことも無いのに、悲しそうに眉を顰めるのは、歳が寄ってから孤独になるという意味。何時も潜めているのも、不とした時に顰めるのも大体は同じ意味。「壮年の時は兎に角、五十過ぎには子に先立たれ又は他に別居し、六七十になっては単りぼっちになる」
【眉粗眼悪】(まゆそにしてめあしき)。『眉粗にして眼悪しきは、頻数に夫を刑す』「眉毛太く粗雑にして眼形あしく見にくき女は、頻数(ひんすう)は頻(しき)りにシバシバ也、夫を刑するであらう」刑するは逆らい傷めること。
【眉秀神和】(まゆひいでてしんわす)。『眉秀でゝ神和す、須らく濶ありと知るべし』「眉は秀でゝ眼神の柔和なるは、閑雅(かんが)の生活を送る人なり。「(眉が)秀づるとは日出づる也、(眉形が)始めに下より上に昇り、終りに下る勢あり、皮面より立ち上がり離るゝものなり。皮面にヒッつきたる、或は毛生一方に偏する散毫、逆毛又は濃濁等は皆な不可」
【眉不秀】(まゆひいでざる)。『識なく能なきは、只だ双眉の秀でざるが為なり』「識能(しきのう)なきはといふに同じ、ソレは只だ左右両眉の秀でない許りだ、(眉が)秀づるとは日出づる也、(毛並みが)始めに下より上に昇り、終りに下る勢あり、皮面より立ち上り離るゝもの也。皮面にヒッつきたる、或は毛生一方に偏する散毫(さんごう)、逆毛又は濃濁等は皆な不可、或は能あれば識なく或は識あれば能なきなり」眉が秀でるとは秀眉(しゅうび)のこと。  
【満面悲容】(まんめんひよう)。『貧にして恒の難あるは、只だ満面の悲容あるに因る』「俗にいふ御難つづきのこと、ソレは要もなき泣き面を仕て居るからであると」いつも悲しいことが続くのは、悲しそうな顔をしているから、憂い顔であるだからだと。

【み】

【身肥肉重】(みこえにくおもき)。『身肥え肉重きは、陰相を得たるものにして反りて栄華あり』「女の肥え肥りて身重きヨチヨチと歩く姿、そのものを陰相と名づく、中年以后或は後家になりてより却りて栄華ありとなり」
【耳】(みみ)。「耳は天の五星に仮託しては金星であり木星でもある。これは普通には左右にふり分けていふのであるが、その左右おのおのが太白星(たいはくせい)であり歳星(さいせい)である特徴をもつものと見てよい。マタ耳は腎臓の竅(きょう)でもある、五官(ごかん・眉眼鼻耳口)の内で二つあるのは眉と耳だが、左右に遠く隔たり離れて独座し乍(なが)ら対称、それぞれ各別な機能に働ける耳ばかり、五臓の内でも完全に左右対称があるのは腎ばかり、斯(か)くて耳の左右大小は腎と互ひに照応関聯(関連)があります。コレは知識の庫であり殖産の元でもある、福徳分の本体でもあり、財運の蔵でもある、耳形よろしくその気色の可なるものでなくば、一生の長きに亘りての富は到底確保し難き結果を見るであらう、耳の実実(みみ)なる所以でもあります」
【耳有豪毛】(みみにごうもうある)。『耳に豪毛あるは、定めてこれ長生の客』「耳豪のこと也」「眉豪は耳豪に如かず、耳豪は項絛に如かず」耳に中から硬い長い毛が出ているのは、決まって長生きする人だ。
【耳白過面】(みみのしろきことめんにすぐる)。『耳の白きこと面に過ぐるは、朝野に聞名あり』「耳の色が清白にして面色より清き也、白はキヨキ意を含む、面との比較の問題也」耳が白く冴えているのは、天下に名が聞える相。朝野は朝廷の人と野人。その道で名が知れる、出世するという意味。
 『耳の白きこと面に過ぐるは、善士の封(ほう)あり』「耳の白きこと面色に過ぎたるものは、善士としての封爵(ほうしゃく)があらう、善士とは唐時代僧階の第一級のもの」封爵は領土を与え爵位を授けること。

【む】

【め】

【目】(め)。眼。
「目は眉に対しては君臣の関係ではあるが、眉目(みめ)かたちまた目鼻だちなどとも言はれ、顔面の造作としての代表である。眉が肝に属し胆の苗(びょう)であり、人間道徳の最初のものであるのに次いで、目は心(しん)に属し、日月であり火であり才華(さいか)であり、礼儀であり愛情である、眉目の美しい長いものでなくば、礼儀にか(欠)け情愛に乏しい傾向がある」
「目は芽なり」「芽吹き、めだし、目出度し、め走り、めぐみ等の語源でもある」「目出度し目出度いなどは、生活運の発展進出を希望する心と詞(ことば)の現れであって、眼窩(がんか・目の穴)の落ち凹んでいるもの、眼裂(がんれつ・目の開き具合)のショボショボと小さいやうなものは、貧乏し伶?(れいてい・落ちぶれる)し、生活運は極めて低いのである。さればとて能面大飛出の如く、凸眼(とつがん)、眼突(がんとつ)、出目金などといはるヽ程のものは、季節に先立ってのびすぎた芽のごとく、生活を希望する心が旺盛すぎ思慮分別にか(欠)け、身を思ふばかりで自己の美食には心を尽すが、恩情には乏しく人間道には離るヽ所が多い、何れからいっても過ぎたるは及ばざるの観、自由意志を働かして反省修養せぬと、晩運が必らずわるい」
「目のキレの長くて美しい眼光の美なるものは、その血統や生い立ちのよいことを語るもので、メは芽出し、その人の出生の良否を観、一生の間には天のめぐみを受くることが多いか少ないか、出世栄達めでたい結果を得るかどうかを考へる、乃ち目は見らるヽことを主とする、諸書に目とあるのは、その位置形状を外部からいふ概称であります」「また平仮名のめ(目)は人の目の概形、女字の約でもあり、女陰の義ありとする、目の字の古篆(こてん)には直ちに女陰の義となる」
「眼は看る役目を主にしていふ故に観察官(かんさつかん)の名がある、これは人間に於ては警察官のやうなものであらう、よいこと悪いこと要らないことまでも、良く眼を利かし働かして見分けるのである。眼肉のドロンとして動きの鈍い人は、不健康であるか又は智恵のない気働きの足りぬ、運の悪い人です」
「中年以降に白内障又は霞み目などになるのは、自己の慢心から先輩の厚意を思はず、我情我欲を恣(ほしい)まヽにし、或は品行をつヽしまず、先輩長上からの信用を失墜し、自己運命の進路開展に目をそむけた者への天罰である。黒内障や夜盲症はまた別な道徳犯である」
 次に、古典より抜粋してみると、
『目の清く眉の秀でたるは、定めて聰俊の児たらん(神異賦)』 『目長く輔采(ほさい・美しい眉)あるは、栄あり天府に登るの人』 『両目に神なきは、縦(たと)へ鼻梁高くとも齢(よわい)亦た促る』 『目の秀づること冠玉(かんぎょく)のごときは、敢えて取る中年の遇貴(ぐうき)』 『病淹(とどこ)ほり目は閉づるも、神有れば色なき者も生く』 『目に四白多きは、孤なるを主どり、尅ありて凶亡なり』 『目の動くこと緩やかにして精神少なきは、將に行かんとして死す』 『眉目の平直なるは僧格に入るの僧たり、骨清ければ方に貴』 『桃花色重く仍(な)ほ目を侵すが如きは、酒を恋ひ花に迷ひて外妾を寵することあり』
 『眉は粗に目の細きは、相当ならず寅年に吃(きつ・停滞)し了る卯年の糧』 『目は日月の相(あい)望むが如し』 『目神に清濁あるは、目の照矚に由る』 『眉の短かくして目に及ばざる者は貧賤』 『眼は哭(こく)せざるに涙汪々なるは、早に刑尅あり』 『哭せざるに常に涙するが如く、愁ふるに非ずして却って愁ふるに似たり、憂心常に不足とし、栄楽半途に休す』 『女子の眼悪しきは、嫁せば即ち夫を刑す』 『眼悪しく鼻の勾(まが)れるは、中心に険毒あり』 『眉が眼を葢(おお)はざるは、財親離散の人たり』 『眼光り口の闊(ひろ)きは、貪淫求食の人たり』 『神緊(きび)しく眼の円(まろ)きは、人となり急燥なり』 『眼三角の若(ごと)きは、狼毒あり、弧にして刑あり』 『兇(凶)なること十悪に帰するは、皆な眼の赤くして睛の黄なるに因る』 『眼光りて嘴(くちばし)の?(はし)るは、人と為り執拗にして不良なり』 『眼と眉との相ならざるは、定めて憂悲あり』 『眉長く能(よ)く眼に過ぐる者は、寵栄あり』 『眉粗にして眼の悪しき女子は、頻数(ひんすう)に夫を刑す』 『眼光水の如きは、男女は淫なるが多し(神異賦)』 『眼大にして露睛なるは。寿促(せま)り夭亡の子たり』 『眼光酔へるが如きは、桑中の約(私通)は窮り無し』 『耳聾と眼疾とは、羊刃(ようじん・肉を刻む刃・残酷、自己中心)なるに因る、天年折れずんば也(ま)た災あり』 『眼堂の豊厚なるは、亦た貪淫なるを主どる』 『眼堂の露なる者は、乃ち子は是れ螟蛉(めいれい・役に立たぬ子)なる乎(かな)』 『眼皃(がんぼう)に秀を帯ぶるは、心中純なり、詩書を読まざるも旦(ま)た新を知る、百般の作成人となり愛すべし、縦然(たとえ)仮売するも也た真を為す(銀匙歌)』『豁如(かつじょ・眼皃のこと)として視に威あるは、名あり四海に揚らむ。?然(ゆうぜん)として驚けども瞬せず、神あり三清に耀(かがや)く(大統賦)』『和媚の常ある(女)は貴重、円凸にして秀ならざるは賎軽』
【眼赤睛黄】(めあかくせいきい)。『兇なること十悪に帰するは、皆な眼赤く睛の黄なるに因る』「その人の兇悪さが十悪といふ帰着該当するほどのワルサ、十悪と
いふにも二種ある、その何れにするも宜し、ソレは眼全体に赤くして睛の黄なるものは、この悪に入り易しと。十悪は其の一、支那古来の制、恩典加はらず原赦の及ばざる十大罪。乃ち謀反(むほん)、謀大逆、謀叛(ぼうはん)、悪逆、不道(ぶどう)、大不敬、不孝、不睦、不義、内乱の十種。その二、仏教の説にいふ十種の悪業、乃ち殺生(せっしょう)、偸盗(ちゅうとう)、邪淫(じゃいん)、妄語(もうご)、両舌(りょうぜつ)、悪口(あくく・罵詈(めり))、綺語(きぎょ)、貪欲(とんよく)、瞋恚(いんに)、邪見(じゃけん)」悪を煎じ詰めれば十悪に帰着するのだが、その大罪を犯すものは皆な眼が赤く睛(せい)が黄色い。悪眼の代表格。睛は虹彩、茶目の所。
【眼悪鼻勾】(めあしくはなまがる)。『眼悪しく鼻の勾れるは、中心に険毒あり』「(鼻の勾れる)とはカギ鼻也、準頭の先伸びて下り内に曲がり勾形をなすもの、眼悪しきと兼ねて毒悪の心あるを現はす」準頭(せっとう)は鼻の先端。中心とは心根のこと。  
【命宮】(めいきゅう)。眉間のこと。両眉頭の中心一寸円内。別名印堂。『命宮は両眉の間、山根の上に居す。光明鏡の如きは学問皆な通ず』『印堂は明潤を要す。寿の長久なるを主どる。眉交はるは身命早く傾く。懸針(けんしん)は破れを主どる。妻を剋し子を剋す』命宮が鏡の如く光明であれば、賢い人物であり希望が通達し長生きもするだろう。懸針紋や乱紋などがあれば破敗が多い。
【明珠出海】(めいしゅうみよりいづ)。『明珠あり海より出づ、太公八十にして文王に遇ひ』「真珠の如き美しき色なせる歯が、口の中にチラチラと見ゆること也。海とは大海の略、口の一名や。此のひと自ら強いて求めざるも遅かれ早かれ出世する也、たとへば八十に至りて太公望が文王より師遇を受けたるが如しと、開運の遅き例を示したる也」「太公は太公望といふの略言」
【明中有滞】(めいちゅうのたい)。『明中に滞あれば、吉も返りて凶なり』「明は光明黄明、滞はその反対の気、その明の中にも滞気があるようならば、折角ある幸運にも若干の割引があり、凶になることもある」明中の滞には二通りの解釈がある。@奇麗な色の下から濁った色がこみ上げてくる。A奇麗な色の中心から濁った色が広がってくる。何れも結果が悪いことには変わりがない。
【鳴鳳眼】(めいほうがん)。
 『上層波起りて亦(ま)た分明。耳を視るに?々(せいせい)たるも露ならず神あり。敢取(かんしゅ)す中年にして貴きことに遇ふ。栄宗耀祖、改まるなり門庭』
 (解説)「鳴鳳眼なるは上層に眼波起り、黒白の眼睛亦た分明にあり。亦(また)分明については秘意あり。耳を視るとは横目づかひすること、箏々は目を見はること、眼を見張って側方を見ることはあっても、決してその眼中は露(露出)にならず、眼神はサン然とある。中年には出世上達の機会に目ぐまるヽことがあり、その運をキット掴むであらう。栄宗耀祖(えいそうようそ)は宗祖の徳業栄誉を顕耀させることであらう。そして其の門庭家屋敷を改め開展することにも成らうと也」
 「鳴鳳とはサカリのついた鳳(おおとり)のこと、眼形は瑞鳳眼(ずいほうがん)よりやヽ太くまた眼角なく、鴛鴦眼(えんおうがん)の細くして強きもの。球は大にして少し上を見る如し、眼裂(眼の切れ目)は長き方、その他鳳眼に似たり。女ならば現に男を追及しつヽある眼也」
【目動緩少精神】(めのうごきゆるやかにしてせいしんすくなき)。『目の動き緩にして精神少なきは、將(まさ)に行かんとして死す』「目の動きがドロンとし緩慢(かんまん)に精神力の乏しいやうなものは、ソロソロ足腰立って歩き始むる頃になれば死する也」
【目頭】(めがしら)。「目元と目尻に苑曲形(えんきょくけい)を生ずる、目元が鳥の嘴(くちばし)の如くなる、また鉤(かぎ)を成すもの、それに近きものなどは、智性情操(ちせいじょうそう)の発達あるを示す」
【眼清眉秀】(めきよくまゆひいでる)。目使い正しく、眼光神を蔵して清く、眉形生毛濃は薄からず清らか。『眼清く眉の秀でたるは、定めて聡俊の児たらん』必ず賢い人物である。
【眼如鶏目】(めけいもくのごとき)。『眼の鶏目の如きは、性急にして容(い)れ難し』鶏目は鶏のような目で、鶏眼とも云う。眼形は丸く、晴は黄色。見つめるような目付き。「容れ難しとは性急(せっかち)で気短かく思慮にかけ雅量なく少しの事にも打ち腹立ち怒りて叱罵し我鳴り立つること、鶏の妄りに喧嘩する如しといふ。鶏眼の項参照。
【眼若三角】(めさんかくのごとき)。『眼もし三角の若(ごと)くあらば、狼毒ありて弧刑なり』「上眼瞼にヒズミあり、眼形三角に見ゆる也。その三角なるものは性に狼毒あり、運は弧刑なりと。狼毒とは心の酷(むご)き悪の甚だしき残虐残忍なる毒の心をいふ」
【目多四白】(めにしはくおおき)。『目に四白多きは、孤尅にして凶亡なるを主どる』「四白は四白眼(しはくがん)の略、四方白ともいふ、刮目(かつもく)したるとき黒目の四方上下左右に白目の見ゆること也。少しぐらいあるのはソレほどではないが、多く白がでるのは弧尅があって凶亡であると也、凶亡は多くわか死にである」刮目とは見開いた開いた状態。睛(せい・虹彩)が小さくて四白眼になる場合も同じ。
【目尻】(めじり)。「眼尾(がんび)は目尻又は後尾(ごび)ともいふ、めじり也。百三十部位では魚尾(ぎょび)といふ、多くの人の目が概形魚尾に似たるによるのである」
【目大露睛】(めだいにしてろせい)。『眼大にして露睛なるは、寿促夭亡の子なり』「「眼睛大きくギョロリと露出したやうなのは、短命か若死にかする也。寿促夭亡といっても命が旦夕(たんせき)に促(せま)ってるといふわけではない」旦夕はサシセマルこと。
【眼若桃花光?】(めとうかこうえんのごとし)。『眼桃花光?の若(ごと)きは、但だ酒色歓娯を図るのみ』「眼が桃花眼(とうかがん)であったり、目の周囲に桃花色(とうかしょく)があったり、眼の光りが?(ほのお)の様であったりするのは、但(た)だ酒色の歓娯あることを図るのみである」
【目長輔采】(まながくほさいある)。『眼長く』は、切れ長の眼光正しい立派な眼。『輔采』は「美しいカザリの意にて、目の助けなるをいふ。輔の字は輔角の意にて、左右均斉と額の左右輔角などの語気を含めいふ」。采は「木の上に突出したる房上の花なり。眉毛の美しき趣を含め考ふ」『目長く輔采あるは、栄えありて天府に登るの人。目が長く立派で、その上眉が美しければ、最上の栄達をする意味。「天府は天上界の神府の意。人間最上の栄達を天人となりて長命することに喩へいふ」
【眼不哭涙汪々】(めはこくせずしてなみだおうおう)。『眼は哭せずして涙汪々、早に刑尅あり』「別に鳴哭くような嘆かわしい事実も無いのに、涙っぽい目つきをする、汪々とは形容詞、眼中に涙が一ぱいにみつること。早にとはいつもいうことだが三十歳内外までのこと、刑尅の内容については(ここでは)言っていないが、父母に死別することが多い、女は夫と死別するのである」
【目秀冠玉】(めひいでてかんぎょくのごとき)。『目秀でて冠玉の如きは、敢えて取る中年の遇貴』目が秀でるとは、眼形が長く眼周の色良く、眼光が正しいのを言う。「冠玉とは冠の側面又は瓔珞にチリバメたる玉をいふ、偏平にしてヌンメリと美しき色ありて、余りキラキラとは光らぬ玉のこと也。美しく清らかなることの形容、史記に陳平の肌は冠玉の如しとあり、本項は眼の玉の趣を形容していふ」冠玉のように美しい目をした人は、中年に貴人に引き立てられるか、何れにしても出世栄達するという意味。
【眼光口闊】(めひかりくちひろき)。『眼は光り口の闊きは、貪淫(たんいん)求食の人なり』「眼の光が鋭どく口形の大きなる女は、淫を好みその上喰ひしんぼう也」
【眼光如鼠】(めのひかりそのごとき)。『眼の光り鼠の如きは、偸盗(とうとう)の徒たるに似たり』「鼠目(そもく)。ソレは偸盗の徒であらう、徒なるに似たりとは言を宛曲にしたものである」鼠目こ項参照。
【眼光嘴?】(めひかりくちばしはしる)。『眼光り嘴(くちばし)?(はし)るは、人と為り執拗にして不良なり』「眼光鋭く物言ふとき口頭突き出る如く見ゆるを嘴?るといふ、口頭は人中(にんちゅう)の尖端左右、これを嘴と称するは鳥類に喩へていふ也。多少の差はある大抵の人は皆な動く、その甚だしきものを?(はし)るといふ。人となり性質シツコクネヂケモノで不良性があるとのこと」人中は鼻の下から上唇の中央に至る窪みのこと。
【目頭】(もくとう)。『目頭はメガシラ、目元ともいふ』眼頭(がんとう)とも言う。
【面如灰土塵朦】(めんかいどじんもうのごとし)。『面もし灰土塵朦の如きは、定めて家財の破敗あるを主どる』「面上に灰土塵朦を被ったやうにあるのは、定めて家財の破敗があることを物語るものである」顔が灰や土を被ったように暗いのは、失敗をして財を失う相。
【面色端厳】(めんしょくたんげん)。『面色の端厳なるは、必ず豪門の徳婦とならむ』「面色の端厳微妙なる女は必らず豪門は勢望家の夫人になるであらうと也」面色は顔付き雰囲気、端厳は端正厳格。名家の夫人となる。
【面神】(めんしん)。顔に現れた神のこと。顔付きに力があるかどうかで、面神の強弱を知る。
【面大頤豊】(めんだいにしてあごゆたか)。『面大にして頤の豊かなるは、銭財あり屋に満つ』「面が大きく頤?の豊腴なるものは、銭金(ぜにかね)が屋内一ぱいになると也」大顔で頤が頑丈で肉付きが良い人は、大金持ちの相。
【面大鼻小】(めんだいはなしょう)。『面大にして鼻の小なるは、一生常に自ら艱辛あり』「全面より見て顔形平べったく大形に見え、その割りに鼻の全形小なるをいふ、ソレは一生働けど働けど貧乏する小人の相なりと」
【面肉横生】(めんにくおうせい)。面横(めんおう)とも云う。「顴骨には限らず、額辺にても頬にても頤にても、とかく横に引かれたる様の肉付きをいふ。眉も目も横に引きつれて見ゆ。鼻も尾翼が横にフンバリてあるなり。顔の中心より側面のほうに肉付き力あるもの也」横に引っ張られたような面相。眉、目、鼻、口なども横に走る。顴骨や部分的な肉も横に走る。『面肉の横生するものは、情性必ず毒』凶暴で自分勝手で人を害する相。
【面肉軟類 浮】(面肉のなんなることおうふにるいする)。『面肉の軟なること?浮に類するは、決して是れ虚花の子』「面肉ブヨブヨとして?浮(おうふ)とは水のアワの水面に浮きたる貌(かたち)、軟なることの形容詞で実際はその様なものがあるのではない、形の決まらぬ程のやはらかサなるにいふ」「虚花(きょか)はムダ花、実に成るまでには至らない、前記のやうな子は精神薄弱兒かヒヨワなるか、成長しても役に立たぬ不良かとか成るより外なしと也」顔に肉がブヨブヨに児は、長生きは出来ないだろう。反対に、概して面肉が厚いのは長生きの相。
【面多斑点】(めんにはんてんおおし)。『面に斑点多きは、恐らくは老寿の人に非ず』「流布本には多く斑を班とするものあり、非也。斑点は雀斑も之れに準ずれども雀班以外面に生ずる凡てのシミをいふ、但し雀班者も多くは長命ならず五十台位のもの也」雀班(じゃくはん)は雀の卵にある斑点に例えたもので雀卵班(じゃくらんばん)とも云う。顔に黒子やシミソバカスなどの斑点が多い者は、あまり長生きではないだろうという意味。
【面見両凹】(めんにりょうおうをみる)。『面に両凹を見るは、必ず家を成して業に就かむ』「面のアウトラインに二つの凹所ある也、大抵目部と口部とにあり、若槻礼次郎氏吉田茂氏の如きはよき見本也、ソレは必らず大成功し家を成し業を就す、成功成就の相とす」
【面皮虚薄】(めんぴきょはく)。皮膚が薄いこと。皮膚が薄いとプヤプヤと弛んだ顔になる。若死にの相の一つ。『面皮の虚薄なるは、後三十の寿は期し難い』面皮虚薄の者は、三十歳は越せないだろうという意味。
【面皮太急】(めんぴたいきゅう)。「面の皮膚の表面引っ張れて繃急(ほうきゅう)なること、皺も紋も従って極めて少なく、一見キレイに見ゆれども何となく薄皮の感あり」顔の皮膚が薄く、引っ張られたように張り詰めていること。若死にの相の一つ。『面皮太(はなは)だ急ならば、ただ溝洫長しと雖も、寿は也(ま)た虧(か)けむ』「溝洫とは人中のこと、人中の長さ一寸近くある也、それを溝洫長しといふ長寿の相、人中長しと雖も面皮太急ならば、長寿というわけには行かないと也。大抵五十内外で死ぬ也」三十歳までに死ぬことも多い。虧は欠ける、不足、損じるの意味。
【面皮?急】(めんぴほうきゅう)。『面皮の?急なるは、寿の促(せま)れること疑ひ無し』「面皮?急とは
顔の皮膚うすきやの感あり、皮面ヒッパレて余裕なきこと、寛厚(かんこう)の反対なり。?鼓は鼓(つづみ)の横紐を引締めて巻くこと、斯(か)くて鼓の革を引き張る也、?急とはその鼓の革の引ぱれて急々と皺なきが如く、面皮の急となれるもの、それは短命で夭死すること疑ひなしと也。寿促はいますぐ死ぬといふ意味ではない」反対に面皮が厚く寛(ゆる)やかな人は長生きの相。
【面円腰声類男形】(めんまるくこしこえおとこがたにるいする)。『面円く腰肥え男形に類するものも、亦(ま)た富貴なりとす』「女は尻は大きいが腰はクビレて小さいもの、それが腰太で男の姿のやうなのも亦た富貴となる資格はある、この例は普通には悪相であるが、此の如く時にはよいのがある」男顔負けの度量で大金持ちに見かける。
【面如満月】(めんまんげつのごとき)。『面満月の如きは、家道興隆す』「満月とは面円形にして明るきことの形容、灯火なき所にても白く見ゆる位のものをいふ、それは家道が興隆すると也。円くとも色の黒き又吹出ものなどあるはダメ也。それは銅盤といふ、銅盤とは銅鑼(どら)類似の楽器の名、盤は洗面器金(かな)だらひの名、其の裏の如き顔は満月に入らず」

【も】

【木形之人】(もくけいのひと)。『木形の人は脩長にして色青く』「木形とは人の全身の概評、身長高く足の蹈(ふ)みこたへよく、上に行きて稍ゝ拡大する気味あるをいふ。その象形は▽。脩はおさまる也つつしむ也。身を真直に細長くする貌、修と通用することあるも本来は別字、修の彡は飾りの意、美しくする也、木形の人の身も顔も脩長にして色は青味ある也」
人相を五行(ごぎょう)に分けて木形は木に象る。脩長(しゅうちょう)はスラリと長いこと。顔色は青い。即ち上品なスラリとした体型。貴相人の多くは木形の人と言われている。木に関する仕事、学者、教育者、宗教家など肉体よりも精神的な上品な仕事が適職。相性は水形と火形吉。金形は凶。
【木主金傷】(もくはしゅとしてきんしょうあり)。『木は主として金傷あり、銭の消ゆること土の如し』「木形の人は主として金に傷みがちなものである、木形に金分が加はれば即ち金尅木で、持ち金は消え去って散ずること土の如しであると」木は金で傷つけられるから相性は凶である。金形の人に木形の特徴が加われば加わるほど財は消滅する相となる。
【目頭】(もくとう)。「目頭はメガシラ、目元ともいう」
【目裂】(もくれつ)。眼裂とも言う。目の開き具合と、それによる目の形。「目裂の形勢は水平なのが自然的で平常、心が公平で穏当、和協的精神に富む」
【腿長脚痩】(ももながくあしのやせたる)。『腿ながく脚の痩せたるは、常年奔走して停(とどま)らず』「脚部の全体に細長き或はやせたるものをいふ。常年は一年中、」常日ごろ生平のこと也」年中走り回って落ち着くことがない。忙しいだけで実りがない。貧相の一つ。
【紋痣吉凶】『兼ねて紋痣の吉凶を観る』紋とは皺、紋理(もんり)のこと。痣はホクロ、シミ、ソバカスなど。その吉凶も見なければならない。
【紋痣交加】(もんしこうか)。『紋痣の交加あるは、到底嗟(さ)あり怨(えん)あり』「紋理なども多し、黒子なども多く面上に入り交りてある也」顔に黒子や乱紋などが多い者は、結局は嘆きや恨み言が多い。「終始イザコザの問題がたえぬと也」
【紋理】(もんり)。皺のこと。

【や】

【ゆ】

【熊眼】(ゆうがん)。熊睛(ゆうせい)、熊目(ゆうもく)。
 『熊目は睛円にして又た猪(ちょ)に匪(あら)ず。徒然たる力勇は凶愚を逞しうす。坐(座)伸久しからずして喘息は急なり。敖氏還りて能く滅ぶるや、也(ま)た無し』
 (解説)「熊目なるは眼睛(がんせい・目)円々(まるまる)としてはあるが、また猪眼のやうなものではない。又、匪猪(ひちょ)とは睛は黒円なれども猪眼の趣とは異なると也。匪は非と大様同じなれども、単なるアラズの外、悪の意又た否定・不能・不可等の意あり。即ち男女ともガニ又のもの多く威張りたがる気風あるのみ、その風格は極めて可等なること匪(あ)しき猪(ブタ・エノコ)同様だと也。又た匪猪は性器劣弱不味の陰意。熊が繋留され乍(なが)ら徒然であると、無邪気に側に遊来したシャモなどの首を突然に掴む、熊の方では殺すつもりもないのだが、掴まれたシャモの方ではグウもスウもなく死ぬ、熊の手の握力が意外に強いからである。熊眼の人はそれに似た徒らな力勇を揮って凶意を逞しうすることが時々ある。坐は身を屈折する、伸は躯(体)を伸ばす、起臥(きが)蹲居(そんきょ)といふに同じく、それが何れも久しくは続かないのに息づかひはゼイゼイと嵐吹くやうに急にいぶく。敖氏(ごうし)は若敖氏の略、春秋(孔子の筆削した歴史書)にある故事、若敖氏の子が山野に捨てられ虎の乳をにみて育ちたるに、他日其の傍系(ぼうけい)に、旁系とは春秋の誤記であらう。熊虎の状(すがた)に似たる顔面のヨコヒロがりの子が生れた、後、果してその子の代になって、名家若敖氏の家は滅ぶるに至った、この委しき噺(はなし)は〔相人歌賦〕中に詳記してあるから参照されたい。熊虎の状の語縁でこヽに敖氏を援用したのだが、その敖氏の様な名家でも還って能(よ)く滅ぶるものだ、名家なら名家ほど能く滅ぶるものだといふ。能滅の能は熊字の火をめっしたもので、他は女陰の象、熊目の女子ならば子孫絶え能く滅ぶると也。文章妙用の一」
 「眼形多少の移動あり、概して少しの凸眼(とつがん)に見ゆ、一見愛らしき趣あり。眼球は正視なれども下胞にタルミありて袋目(ふくろめ)に少し似たる所あり、睛は黒瞳なるが多し」
【遊魂守宮】(ゆうこんのきゅうをまもる)。『遊魂の宮を守るは、定めて喪身の苦あり』「魂は云鬼、云(うん)は雲の略字、乃ち雲の黒きが如き一定の濃度、一定の形を具へぬ蒙気が命宮即ち印堂にかヽる也。遊守の二字は動くが如く止まるが如きをいふ連詩なり、印堂はソコに異状あれば命にかヽはる故に命宮といふ」命宮は眉間。別名は印堂。そこに黒い気色がボーッと浮いて現われたら、身を失うほどの、どうしようもない苦労がある。針の筵(むしろ)に座るような運命のとき。
【行不動身】(ゆくにみのどうぜざる)。『行くに身の動ぜざるは、財を積み寿有り』「歩行するとき中身動揺せざるものは、物質的に成功しまた長生もすると也」反対に歩くときに身
体が揺れるのは貧相。

【よ】

【夭】(よう)。若死に。大体三十歳前後までに死ぬこと。
【羊眼】(ようがん)。羊睛、羊目、羊睛眼とも言う。
 (評訳)『黒淡、微黄にして神は清からず。瞳人は紗様却りて昏睛あり。祖財は縦(たと)へ有りとも享(う)くる縁なし。晩歳も中年も又た且つ貧なり』「黒睛は淡く白目は微黄(びこう)を帯びて、その神は却りて清からず、濁気ありて不潔に見ゆ。瞳人(どうにん)ヒトミには紗様(しゃよう)ウスギヌがかヽったやうにありて、却(かえ)りてその黒目全体が昏いかに見える。昏(こん)とはその人の性格の昏昧なるをもいふ、この目の人好人物ではあるが下らぬヘボ人であり、他人を見るの明なく、常に人に誤(あやま)らる(騙される)。先祖より遺された財力が縦へあっても、それを享けつぐ縁はない。縦(じゅう)の字はほしいまヽにムダづかひする意もある、無考へでもあるからである。よいのは少年期だけ、学校卒業後世間に出た中年以後は貧乏し晩年もまた同様よい生活は出来ない。又且貧とはスソ貧乏。欲するも性欲を充分に遂げ得ず、妄りに誰れにでも戯るヽと也。女は人を見るの明なき結果、何人にでも往来すれども愛情の深きことも積るやうなこともなき也」
『羊目は黄なること多く露白の睛。低身傍視(ていしんぼうし)すれば分明ならず。肥えしむる莫(なか)れ後身須らく死ぬべし。狼毒(ろうどく)あり宜しく除くべし殺人の行』
(評訳)「羊目の黒目は黄味が多くそして白目の方は露睛になる。首を下げ横を向いた時は余計にその目の概観がハッキリしない。肥ゆると死ぬから太らない様にする方がよい。後身(ごしん)とは中年以後の身の上のこと。羊はいつも狼に食わるヽ、他から来る狼毒的災難は宜しく用心して、よく除けるやうにせねばならぬ、それは結局身を亡ぼす殺人の行為となる」
 『羊目は白睛に赤きこと多し、睫毛(せんもう・まつげ)は乱交して蒙蒙昏昧なるものに似たり、顧視(こし)するときは却りて神気少なく、低頭(ていとう)すれども或は痴或は慢、人となりは必らず賎、太(はなは)だ肥ゆれば横死することあり』
(評訳)「羊目なるは白睛(白眼と黒目)に赤めのことが多く、マツ毛は沢山乱れは生えてモヤモヤし暗く見ゆる、顧(かえり)みて横や後ろを見る時は正面を視る時よりも却(かえ)りて神気が少ない。オジギといふわけではないが腰ひくヽ低頭する方だが、その風は痴(ばか)のやうまた驕慢なオゴリタカぶった風が見ゆる。人品骨柄(じんぴんこつがら)は必らず賎の方でこの人肥(ふと)り過ぎる様なことがあれば、急に横死するやうなことがあらう」
 「眼球は柔和なれども清令ならず、神は昏きやうに見ゆ、時には帯紫黒色に感ずるものもあり。睫毛長く又密生しムサグロしく繁茂し、外見不潔の観あれども熟視すれば、穏味ある鈍色(にぶいろ)の所あり。眼球は上三白(かみさんぱく)又は上三白に近きやに、下方に又た外方に偏し白目も共に露なる傾向あり、中には落ち零(こぼ)れんとするやの趣あるものあり、また多くはその黒目は茶色にして黒からず、或は黄に近く又は淡碧(たんぺき・淡い青色)に近きもあり、黒目の境界は明快ならぬが多く、眼球何となくオドミあり且つ涙ぐみたるやの観、又た目尻のゆるみたるが特徴。また時には睫毛少なきものあり、眼球類似すれば同じく羊眼とする、印堂の辺より上瞼にかけてハレボッたく睡(ねむ)げに見ゆ、且つ胡羊鼻(こようび)をかねたるものもあらう。似合なれども性行は多少異なる。概して意くぢなしにて蟲のよい考へを持つ性の人に多し。大統賦(人相術の賦)には、『犬羊鵝鴨は何をか算(かぞ)ふるに足らむ』とあり、羊眼のものは問題に成らんといっている。また銀匙歌(ぎんじか・人相術の歌)には『靠(よ)るべきの家なきは眼睛の羊なり、却(かへ)りて問ふ、他人の住場を借るを』とあり、其の貧乏ぶりを称して居る」
【羊刃眼】(ようじんがん)。
「羊刃は羊の肉を細かく截(き)る刀。その羊刃の形に似たる故にいふ。属にいふ逆サ目は之れに類す。目尻にユルミあるが特徴。神相金較剪(しんそうきんこうせん・人相術の書名)には、『羊眼なるものは自ら縊(くびくく)れて死するを主どる』とあり、その他歌賦類等に数々引用あり。また羊刃とは人の性格の残刻苛察克明なるに喩へてもいふ、羊刃が羊肉を細かく刻む故也。銀匙歌(ぎんじか・人相術の歌)には、『耳聾(じろう)と眼疾とは羊刃なるに因る、天年折れずんば也(ま)た災あり』とある、この羊刃は主として其の性格の方をさしていったのであるが、また兼ねて羊刃眼故にと考へるも宜(よろし)からう、逆さ目の人は眼疾にもならうし、耳聾にもなり勝ちなものである。天年折れずんばとは、天年を俣(ま)たず夭折することなくば、また災があらうと也。也(也た)は性器関係の災難なり」
【夭相】(ようそう)。若死にの相。
【揺頭】(ようとう)。「揺頭は首をふるはすクセ」首を上下に振る癖。
【陽嚢緊若茘殻】(ようのうきびしくれいかくのごとし)。『陽嚢緊しきこと茘殻の若きは、定めて堅耐(けんたい)の兒たらむ』「睾丸の外貌が引き緊(しま)り茘枝(れいし)の実の殻の様に見ゆる兒は、定めて丈夫なシッカリした者に成らう。レイシとは日本のクサレイシの事でなく、円形の木の実、支那南方の産、支那料理ではライチーといふ。レイシは漢音也。睾丸を包む袋が引き締まって、クルミの殻のような子供は、丈夫な子だ。
【腰背豊満】(ようはいほうまん)。『腰背の豊満なるは、衣鉢に余り餘(あま)りあり』餘は余。「腰背の肉付骨法タップリと豊満なるものは、衣鉢(えはつ)とは法衣と鐵(鉄)鉢にて跡つぎに与ふるもの、轉(転)じて跡つぎそのものをいふ、その門人たちが餘りある位多いとなり」背中から腰にかけて肉付きがよい僧侶は、弟子門人が余るほどに多い。大した人物とのこと。
【容貌温和】(ようぼうおんわ)。『容貌の温和なるは、事を作すに襟懐(きんかい)あり洒落なり』「容貌の温和なものは作(な)すことに余裕があり風趣うまみがある、襟懐あり洒落なりとはこの謂(いひ)也。洒落(しゃらく)は漢音、北京官話(ペーチンコワンホア)ではシャラ、徳川時代に訛伝してシャレといふ、言語の上に風流うまみのあること、転じて男女の化粧にもおシャレ、シャレた、シャレ者などいふ」顔立ち所作雰囲気などが温和なひとのこと。温和は温かみと和気があること。

【ら】

【来世】(らいせ)。『自ら力めて美を済す、世見(せけん)の為めにせず、陰功は亦(ま)た作す、来世の道果』「自ら力(つと)めて自力で善美を完成するやうにする、決して世見(せけん)、乃ち見栄や外聞や世間体のために、美事善根を仕たのでは功徳には成らないとなり」「陰功は外見に見えぬカゲの功徳も亦(ま)た作すのは、来世の道果のためである、決して徳を行っても報酬を予期しては成らない」陰徳陽徳に拘らず、これ良しと思うことを行い、結果は全て天命に任せる生き方を言う。
【鸞眼】(らんがん)。鸞睛(らんせい)。
 『凖頭は円大にして眼は微に長く。歩は急に言辞には媚(び)ありて且つ良し。身は貴(たっと)く君に近づき終には大用(だいよう)。何んぞ愁へん雪衣娘(せついじょう)に似ざるを』
(評訳)「凖頭にはアウムの嘴(くちばし)の円大なるに似て眼はいく分長めの方。歩行ぶりは急として、急はいそがしい方ではなくキッカリハッキリの意、言葉づかひには愛嬌があり且つまた感じが良い。且つ良しの陰意は例の通り。身ガラは自然に貴品があり、君王に近づき終(つい)には大いに用ひらるヽに到るであらう。雪衣娘(せついじょう)は白アウムの略名、白アウム(オウム)は百五十年以上も生きるとのこと、転じて長命の意、何んぞ愁ふるの要があらう、長命でないことはないよと也」
【乱郊挿額】(らんこう、そうがく)。『乱郊挿額は、山林に処(お)るに利あり』「「郊外部位の辺に紋脈乱れ、又は肉に小隆起あり左右より、額をさしはさむやうなのは、山林に隠退して居る方がよいと也」額の左右が凸凹や乱紋浮きスジなどで乱れている者は、山林に隠居するのが利しい。 
【蘭台・廷尉】(らんだい・ていい)。「鼻を帝王に譬へ鼻翼は帝王を翼(たす)くる左右大臣として金甲又は蘭台廷尉の名あり」
【乱紋額上】(らんもんのがくじょうにある)。『乱紋の額上にあるは、男女並(とも)に弧刑あるを主どる』「額上は額の上部髪際近き辺に乱紋あるをいふ、乱紋とは皺ともつかず細く密生する條理の相接する如きもの也、如此(このごとき)の男女とも弧刑なり」この相の人は孤独で運が悪い。
【乱理】(らんり)。乱紋のこと。

【り】

【六削】(りくさく)。眉に毛無く、額に角無く、目に神無く、鼻に梁無く、口に稜無く、耳に輪なし、以上の六つを六削と云う。『三尖六削なるは、縦(たと)へ奸巧なりとも賎貧なり』ずる賢く生きようとも、賤しく貧乏する。
【龍角】(りゅうかく)。「(龍骨は)龍角に同じ、龍角骨といふの略。龍角は百三十部位にては天庭の左右にあり日月角に隣りす」龍骨、龍角骨と同じ。
【龍角骨】(りゅうかくこつ)。龍骨、龍角と同じ。
【龍眼】(りゅうがん)。龍睛(りゅうせい)、龍目(りゅうもく)。
 『黒白は分明に神は精彩あり。眼は大に波は長く気神蔵(かく)る。此の如くば富貴は小可に非ず。竟に能く禄を受けて明皇を輔(たす)けん』
 (解説)「黒目と白目との境目がハッキリし、眼神には精彩がある美しく威厳に富む。眼形は大型で眼波(がんぱ)が長く、眼の気神が露出するやうな事なく、含蔵(がんぞう)してある。もしこの様なならば富貴は少しばかりのことではない。小可(しょうか)はトルコの可汗尊称、若い盛んな可汗の意、転じて富貴勢力の形容、可は特別よみにて入声十一陌の韻。また小可(すこしばかり)ではないの意にも兼ねいふ。小可の文字はトルコ語を支那(しな)語化して言へるもの也。龍顔(りゅうがん)者は、ついに能く禄を受けて明皇(めいこう)を輔佐する役目となるであらうと也。明皇とは一般的にいふ天子の美称。
 『龍目には精神ありて世とは殊(こと)ななる。光芒ありて動かざること懸珠の若(ごと)し。秋水寒潭凝然(ぎょうぜん)として静かなり。自らこれ人間(じんかん)・天下の誉れ』
 (解説)「龍目は眼中に精神力のあること、世間なみのものに比してはまた格別なものがある。光にチラチラとしたものがあり、目玉の動かないことは二つ並べて下げた水晶の珠の、光が尾を引くやう。秋の水のやうに、また寒中の潭(たん・淵)の水の如く、スミ切って凝然とこり固まったのではないかと、思へるほど静かだ。こういふのは自然にこれ、人間(じんかん)は人間そのものではなく、人間世界のこと、乃ち世間一般に傑出して天下の誉(ほ)めものになるに定(き)まっていると也」
 『龍目は其の神に通ず』(解説)「神通力があるかの様に思へるほどである」『龍目は懸珠の光芒(こうぼう)あるが若(ごと)く、動かざること寒潭(かんたん)秋水(しゅうすい)の如く、若(も)しくは神、若しくは聖、富貴あり、名誉は天下に普(あま)ねし』
 「リュウガンと読めば両眼龍眼と紛らわしいきを以って、リュウガンと特称す。今の支那誤(しなご)にてはロン、ゲンと呼ぶ。眼裂(がんれつ)長く、刮目(かつもく・カッと見開く)し、眼尾は少しつり上り気味也、眼睫の尾部に近き辺に、上下共に豊かに張りあり。球は中央に在り、刮目するときは四白殆ど全露せんばかりなるが、上下瞼の中央部に水平に近き所あるため、含蔵の域を外れず四白とも成らず。側面より見る眼球は正直にあり、眼波は長く睛は漆黒(しっこく)なり」
【龍顔鳳頸】(りゅうがんほうけい)。『龍顔』は「龍顔はリョウガンとは呼ばず両眼と聞え誤る虞あれば也。また天子のお顔をいふときはリョウガンなるも、単に顔形面貌にいふ場合はリュウガンといふ也。顴(けん・頬骨)も頤も共に伸びやかに発達したる、概形小判型に少しの圭角ある顔貌をいふ也」龍顔は中国の高貴な美人画を参照。『鳳頸』は「頸顔のナダラカに細く、又た撫で肩になりたる姿」美しく長い頸(くび)を鳳の頸に譬えたもの。『龍顔鳳頸、女人は必ず君王に配す』龍顔で鳳頸の女性は、必ず妃となる。玉の輿に乗る相の第一。
【龍宮】(りゅうぐう)。「眼下五分ばかりの部位、龍は子孫繁殖の意。宮はところ位置の義」目頭を龍宮とする
【龍宮低黒】(りゅうぐうていこく)。『龍宮の低黒なるは、嗣続得難くして或は愚昧なり』「眼下五分ばかりの部位、龍は子孫繁殖の意。宮はところ位置の義、龍子のある所なり。低はその肉気の凹陥虚脱せるなり、黒は黒色を帯ぶ、其の如きものは子息なく或はあるも愚昧なるべしと也、嗣続は子息なり」
【龍行】(りゅうこう)。「龍行は歩するに中身を動揺させぬをいふ、何れも行動の気品ある形容」『虎歩龍行、劉裕は九重の位に至る』高い身分に登る相。
【龍骨挿天】(りゅうこつてんをはさむ)。『龍骨の天を挿むは、応(まさ)に宰輔と為るべし』「(龍骨は)龍角に同じ、龍角骨といふの略、日月角のことにあらず、龍角は百三十部位にては天庭の左右にあり日月角に隣りす。挿天は龍角骨が発達して天庭を挿(はさ)むこと。これ亦た大臣や次官位には成れるだらうと也」天庭の左右の骨が高く、天庭を挿む相は高官に登る相。天庭を主君としてそれを左右から輔(たす)ける形。宰輔(さいほ)は主君を補佐する立場。
【流年法】(りゅうねんほう)。○歳は吉運、○歳は凶運というように判断するために、人相に年齢を当てはめたもの。研究次第で具体的は判断が可能になる。三主流年法、飛び流年法、五官流年法など、主主の
【龍脳】(りゅうのう)。「龍脳とは龍の頭に見立てゝていふ頭形、額部円大にぬけ上がり、後頭は引き締まりて見ゆ、額部縁大なりとも脳水腫などは不可」
【龍脳鳳睛】(りゅうのうほうせい)。「龍脳は龍の頭に見立てゝいふ頭形、額部円大にぬけ上り、後頭は引き締まりて見ゆ、額部円大になりとも脳水腫などは不可」「鳳睛は鳳眼に同じ、眼形細長、眼幅に比して長さ五倍以上」「玄齢(げんれい)は唐の人、幼にして警敏年十八進士に挙げらる」「大統賦には曰く、房玄齢は龍目鳳睛、位は三台に列すと」「相に入るとは相格に入るといふこと也、或る条件の相として具備する場合にいふ」龍脳と鳳睛であった玄齢は、立派な相の格に入っており、相(しょう)に拝された。相(しょう)とは大臣など天子を補佐する役職。龍脳鳳睛ともに栄達の相。
【流魄放海】(りゅうはくうみにはなたる)。『流魄海に放たる、水厄の災を防ぐべし』「魄は白鬼、鬼は気なり乃ち白気(はっき)。海は大海は口の別名乃ち口のこと也。口角の付近に白気が放流さるヽが如き状を見するなり、これは水難水厄の相にて、勿論海水浴川渡りなど其の他水に近づくことは宜くないが、一杯のコップの水に噎(むせ)び或は窒息して死ぬこともあり、また毒を呑みて死ぬこともある、それも水毒水厄水難の内である」黒い気色であっても同じく水難の相。
【陵骨高起】(りょうこつこうき)。
【両唇不遮牙道】(りょうしんのがどうをさえぎらざる)。『是を引き非を招くは、蓋(けだ)し両唇の牙道を遮らざるに謂ふ』「(是を引き非を招くとは)他の陰口も聞き妄りがはしき風評もするか、また他からも兎角悪口を言はれ評判良しからぬ也」「牙道は門牙の道、乃ち前歯前面のこと、人中短かきか上唇縮むか、掀(ま)き上がりて常に前歯を露出するものは、口からボロを出す傾向があると也」牙道は前歯。唇が前歯を遮(さえぎ)らない、つまり何時も歯が見えていること。内外のいらん事を言い、また言われもする。
【両眉頭生青気】(りょうびとうにせいきしょうず)。『文滞り書難きは、両眉頭に青気を生ず』「文滞書難は出世上達せぬことの形容、百三十部位の輔角は眉頭付近なれども、必ずしも眉頭とは限らず、コゝにいふは両眉頭の肉地の昏暗の色見ゆるをいへるまで也」両方の眉頭に青い色が現われている人は、どうも出世が出来ない。眉頭は印堂の左右にも当るから、ここに青色だけでなく暗い色があれば目的を達成できない相となる。
【両耳薄反】(りょうみみうすくかえる)。『両耳薄くして反(そ)りかえるは、子を尅して終に成るの日なし』「左右両耳ともソリ反りて且つ薄いのは、子を尅するしまた一生成功する日とてもない」耳が薄く、郭が輪より出て反り返っていること。
【両目雌雄】(りょうもくにしゆうある)。『両目に雌雄あるは、必らず富めども詐り多きを主どる』「左右の目裂に大小不同ある也。大小雌雄眼の名あり、その人必要なき秘密性あり、また他人を利用せんとする傾向あり、必らず富み且つ金銭に不自由せぬ身の上にても、詐ること多く多を害する也」目裂は眼の開き具合、間の大きさ。目立って左右の目に大小があるのを雌雄眼と云う。
【両目無神】(りょうもくむしん)。『両目に神なくば、縦(たと)ひ鼻梁高くとも齢亦た促る』「両目は左右の目、左右の目共にその光に生気なき如(ごと)きは、たとひ鼻高しと雖も長寿というわかには行かないと也。鼻高きは健康保強の相。それでも眼神がなければ病弱であり、自然、中年で死ぬることがあろうと也」鼻梁(びりょう)は鼻筋のこと。齢促(よわいせまる)命が短いこと。
【輪】(りん)。耳輪。耳の縁を輪と云う。

【る】

【涙堂】(るいどう)。「涙堂は眼頭の下部の一点」「涙堂は眼下の眼頭によりたる部位、一指頭大の区域」「涙堂とは臥蚕の直下一指頭大の区域」一般には眼下の骨の無い所。十二宮では男女宮。「涙堂は泪堂(るいどう)と書くこともある、其の所に凹みのあるものは長男長女を尅す。黒子のあるものを泣きボクロといふ、涙痕(るいこん)といふのは主としてホクろを曰ふ」
【涙堂深陥】(るいどうふかくおちいる)。『涙堂の深く陥ると、蠧肉の横生するとは、児孫を尅すること之れ類なし』涙堂が深く陥っているのと、蠧肉(とじく)が横に走るのとは、児孫に縁がないのは他に比べようが無い。『蠧肉』「場所は眼下に限らず、頬、上眼瞼、額部、臉上の何れにても、ブヨブヨしたミミズバレの如きもの、又はスムシにくはれた紙の穴の如くに、外より見ゆるものをいふ」「横生はヨコに生ずというわけではない。横に生ずればとのこと、然しトヂクは大抵ヨコムキに出来るものである」場所は問わず、横に掻いたように出来ているものを蠧肉という。
【涙道平満】(るいどうへいまん)。『涙堂の平満なるは、須らく児朗の早見あるべし』「涙堂は眼下の眼頭によりたる部位、一指頭大の区域」「(涙堂は)大抵少し凹陥気味のものなり、その平満に肉付きたるは子福者なり、男女とも然り。夫婦の顔面に偏頗あれば折 して考ふべし」平満とは奇麗で肉付きが良いこと。良い子供が早くから生まれるという意味。

【れ】

【冷笑無情】(れいしょうむじょう)。『無情』は温かみが無いこと。温かみが無い笑い。セセラわらい。眼は笑わずに口を歪めてニヤリと笑う。『冷笑情無きは、事を作すに機深く内に重んず』冷笑無情の者は、自分勝手で謀が多い。「自己尊重の念のみ強く、相手の都合など構わず、外部に対しては自惚れ屋」
【霊道】(れいどう)。額の生え際を霊道とも云い、神仏祖霊の喜悦、応援と咎めなどが現われる。祖霊、縁者の命日と、その命日の故人の応援と咎めも現われる。命日は男女ともに本人の左隅を一日、中央を十五日、右隅を三十日として算用する。大の月小の月によって日割りを考えること。

【ろ】

【狼眼】(ろうがん)。狼目、狼睛、狼睛眼。
 『狼目は睛黄にして視は転ずるが若(ごと)し。人となり貪(むさぼ)り鄙(いや)しく自ら茫然(ぼうぜん)。愴惶(そうこう)として多く錯(あやま)り精神乱る。兇暴なる狂徒として百年を渡る』『怠惰と狂図のみにて百年に到る』
(評訳)「狼目といふは睛が黄色である、視は目使ひ見ること、眼球をギョロリとデングリ返す様に見ゆる。三国志魏の曹操の人相にいふ狼顧(ろうこ)はその一例。人柄の出来具合は貪鄙(むさぼりいやしい)であるのに、自然にウッカリボンヤリする時がある。愴惶はアワテンボーで思いの外の錯(あやまち)をする、精神錯乱になることもある。兇暴な狂徒として百年とは一生涯の意、その百年を渡るであらう、渡るは一生を送り過ごすこと。狂図はムダな空想的な度外れな計画、なまけ者のクセにバカバカしい企てばかり立てヽ、成敗いく度かで一代が過ぎて仕まふ」
『狼目は或は低頭し、眉を蹙(しゅく・せばめる)めて物を視、眼は露にして白多く、黄色あるは精神に不足あり、或は偸視(とうし・盗み見)する者は心性貪婪なればなり』
(評訳)「狼目の或るものは低頭することあり、眉を蹙めては者を視、眼は露出(むきだ)しで白目が多く、その白目に黄色が見ゆるなれば、その人は精神力に不足あり、そのまた或る者が偸視するのは心性がドン底に妄(みだ)りに欲ふかな貪り婪(みだ)る心があればこそです」
 「眼瞼にビリビリあり汚なく見ゆ、眼神は急(きつい)なる方。眼裂カッと見開き平生に荒める如き眼光あり、球は大なる方にて常に左右に動き、上下動は少なく、またランランと見すえる形勢あり、物すごきやの観。性荒淫にして兇暴、復仇心強し、相手にとりては充分警戒を要する也」
【狼顧】(ろうこ)。ギョロリとした目で振り返って見ること。辺りを睨むように見回す癖。
【狼行虎吻】(ろうこうこふん)。『狼行と虎吻とは、機深くして心事明らめ難し』「狼行は痩せ肩を怒らして行き、時々首だけで後ろを向く、虎吻は下唇厚くまた上唇より前方にまくれて出て、口角鮮明ならぬもの也」「(機深くとは)陰険なる危機ある也、勿論思慮の深きことも伴ふ、其の悪質ある也」機深くとは悪賢いこと。心事明ら難しとは心の内を見せないこと。
【露骨】(ろこつ)。骨が目立つこと。
【露歯】(ろし)。出っ歯、唇閉まらず歯を現すこと。歯露。
【露睛】(ろせい)。ギョロリと露出した眼。露出しコボレルような眼。『眼大にして露睛なるは、寿促夭亡の子なり』長生きできない相の一つ。
【六府】(ろっぷ)。「六府は顔面三停を左右に分かちたる数にて、顔全面のこと」
【六府高硬】(ろっぷこうこう)。「顔が硬太りに確然たること」『六府の高硬なるは、冨あり自然に足る』「自然の冨あり食うには満足すると也。足の字、口に止にて食うことの意。相法和解その他流布本には高硬を高強とあり、何れにても大差なけれども、硬の方宜しきが如し、今は古本に従ふ」

【わ】
         
【少肥気短】(わかくしてこえきのみじかき)。『少(わか)くして肥え気の短きは、四九の期を過ごし難し』「少(わか)くして肥ゆるとは、二十歳前後で太り気味に見ゆること、気短とは短慮短気性急でもあり、また呼吸の気の短いことも含め考ふ、その様なのはサ三十六歳を過ぎずして死んで仕まうであらう」四九は四×九で三十六歳。