05年5月3日(火) 1番〜6番
06時25分 自宅を出る。
07時00分 高知駅発の列車に乗る。
早速ビールと弁当を出すと、妻のうれしい添え書きが。「気をつけて行って下さい。暑くなりそうだから無理しないで歩いてください。土産はいらないから」なんて、オイオイ、土産を催促しているのか、って。
10時35分 板東駅着。懐かしい気持ちでいっぱいだ。駅舎内で、着ていたウィンドブレーカーをリュックに入れ、代りに法被、輪袈裟を取り出して遍路姿に変身。
10時45分 1番札所霊山寺着。境内の中は沢山の人でごった返し。お経もゆっくり読めなくて長く居たくないような雰囲気。菅笠を買う。
11時10分 1番を出る。2番札所に向かって歩いているが、ところどころしか道の記憶が無い。
11時20分 2番札所極楽寺着。納経をしていると、係りの人が盛んに散らし寿司の弁当を勧める。あまり気乗りがないまま、買って食べる。
12時00分 2番札所を発つ。前回は国道を歩いたが、違う遍路道を見つけられて良かった。
3番のお堂が見える。前回、素直に遍路道の案内板に誘われて近道をすると、境内横にいきなり入った記憶が。今回は回り道をして礼儀正しく正門から入る。
12時40分 3番札所金泉寺着。
靴下も脱いでゆっくりした。
13時05分 3番を出て4番に向かう。通りすがりの車遍路をしている人から、お茶の缶をお接待していただいた。ありがたい。ただ、飲み干した缶を手に持って歩くハメに。
前回は国道をそのまま歩き、5番を先に打ち、寺でリュックを預かってもらい、4番に向かったけど、今回は途中で右に折れ、山道の遍路道を4番向かって歩く。
少し歩くと蓮華寺に。そこにアンケートがあり、氏名などを書いて、動機という問いには「不明」と記入。前の畑で農作業をしているおばさんとしばし遍路談義。沢山の遍路姿を見てきたのだろうな、って思う。別れ際にやさしい声を掛けていただいた。
愛染院にも立ち寄る。その寺から誘われるままに山道を登ると88ヶ所札所の石像が頂上に向かい並べられている。大きなワラジを門に掲げたお寺だった。ただし、ここで納経をし忘れた。めずらしい刷毛書きらしいのに残念。
途中の地区の松谷集会所で、裸足になり、用水路に足を浸ける。冷たくて気持ちが良い。ウーーン、これぞ至福のひと時。見知らぬ地で、自分の状況を考えて、なんともいえぬ快感を感じる。
14時50分 4番札所大日寺着。
郵便局の臨時出張所があり、「ふるさと切手 四国88ヶ所の文化遺産」の販売もしていた。祝日出勤なのか、ごくろうさん。
15時15分 4番を発つ。山は新緑が濃い。ツツジの花や藤の花がいろ鮮やかにアチコチに。この分だと藤井寺の藤もきれいだろうか。風も吹いて気持ちが良い。こいのぼりも気持ち良さそうに泳いでいる。
歩き遍路を20人ぐらい見かけた。4番あたりに来ると団体遍路が少なくて、こちらにとってはうれしい。それにしても1番では銀座並み(行ったことも無く、例えが古いが・・)だったな、と。
アスファルト道を歩く。5番が近くなると寺の大きなイチョウの木が見える。また今回もイチョウの前で写真を撮りたいものだ。五百羅漢には今回は寄らない。
15時40分 5番札所地蔵寺着。
しっかりとイチョウの前で写真を撮った。
15時55分 5番を発つ。6番まで5.3km。5時に着けるかどうか、のんびりペースなので不安。まぁ、今回は6番の宿坊なので、それでもいいか、って気分で歩き始める。
17時00分 6番札所安楽寺着。やっと間に合った。到着前は駆け足だった。納経だけ先に済ませてお参りは明日の朝にしよう。
安楽寺宿坊の部屋はきれいで、ポット形式の湯沸かし器があるので、持ってきたドリップ式のコーヒーが飲めるぞ、うれしいな。
夕食には団体客や車遍路が多いらしく、50人ぐらいの人が集まっていた。名札のある席に座る。あれあれ、浴衣(賃貸)で入室したのもビールを頼んだのも自分だけ「こじゃんとワル遍路を演じているな」って思ってしまう。そう思っていたら隣の滋賀の女性(55歳)も飲んでいる。そのうち彼女の右隣の愛知の女性(68歳)とも仲良くなり、3人でワイワイ。他の人たちは早々に部屋に引き上げた。結局、彼女たちとはこの後も自分の部屋で遅くまで飲んでしまう。資料を集め予定を組んで廻る人、何も知らずに風任せで廻る人、人それぞれ。彼女たち、宿泊地さえ決めてないので、結局明日も同じビジネスということに。
05年5月4日(水) 7番〜10番
07時30分 お参りを済ませ6番札所を発つ。こんなにゆっくり発つんだったら、納経も今朝にすればよかったなどと思いつつ。
07時50分 7番札所十楽寺着。
08時20分 7番を発つ。
前回宿泊した「たみや旅館」の前を通り過ぎる。看板も消していた。感謝の念があり、ここに宿泊したかったのに、残念。
09時05分 8番札所熊谷寺着。
09時45分 8番を発つ。
のどかな田園風景の中、またしても用水路に足を浸ける。うーーん、気持ちが良い。せっかく追い抜いた(笑)歩き遍路がたくさん通り過ぎていく。昨夜気の合った滋賀、愛知の人も。
10時20分 9番札所法輪寺着。
10時40分 9番を発つ。10番に登る手前の店で、自宅に土産物を送る。(以後すっかり送ったことを忘れていた)10番への最後の登りがきつかった。
11時35分 10番札所切幡寺着。
滋賀と愛知の人も着いていた。二人ともタクシーで来たという。
境内で休んでいるとき、隣に座った夫婦と娘の3人家族の会話を聞く。父親の威厳台無しの会話。妻にも娘にもコテンパンに言われている。まぁ、他人のことだから。
12時10分 10番を発つ。10番を降りた所でうどんを食べる。素朴な味のうどんが美味しかった。たくさんの遍路が寄ったんだろうな、楽しい会話が弾む。
12時35分 うどん店を出る。前回歩いた道をこうして再び歩いていると、常に前回はこうしたなぁ、などとあれこれ思い出す。
もう少し歩けば確かうどんを食べたんだった、などと思って、それを見つけたときの喜びも何故かうれしい。
簡易電話ボックスを改造して遍路用の地図を置いてあった。こういう親切はうれしいな。
遠くから拡声器の音が。市町村合併で、新あわ市となっての市長選挙が行われているようだ。今日は水曜日、投票は早くて今度の日曜日なのに、もうすでにスピーカーは絶叫調だ。土曜日にはどんなに叫んでいることやら、などと思ったりして。
歩きで遠回りをしている人が居て(あとで知るが 大阪の男性)、車と歩きの道は違うことを教えてあげる。
13時10分 吉野川の中洲にやっと入る。前回は暑い日にここを渡ったんだった。今日は風が吹いて涼しい。一人抜いた、前を4人が歩いている。遠くを見渡せるこの田園風景の中州に、6人の遍路が歩いている。うーーん、遍路の季節だな、壮観。
13時30分 潜水橋(高知では沈下橋と呼ぶ)着。ここでリュックと腰を下ろし、休む。この橋に6人の遍路が並んで休んでいる。その姿を遠くから写真に撮りたかったな。
13時50分 川を渡り、住宅地に入る。
14時45分 11番札所藤井寺着。
藤の花が満開。お参りを済ませ、タクシーで鴨島セントラルホテルに行こうと待っていると、先ほどの大阪の人が居て、今夜の宿泊地も何も決めてないという。それなら、とタクシーへの同乗を進め、ホテルに向かう。彼は次の日は5時半出発の予定で、焼山寺に向かうという。自分は用があり鴨島駅で降りて、彼にはセントラルホテルを指差して教えるが、彼とは次の日も焼山寺の山の中で逢うことになる。
早く到着してシャワーを浴びたりゆっくりして、夕方から近くの居酒屋で楽しい時間をすごす。ルンルン気分で部屋に入ると、滋賀、愛知の女性から電話。短い時間ビールを飲んで早々に退散する。
05年5月5日(木) 12番
06時?分 ホテルから出る。
フロントに聞けば、大阪の人は5時15分にホテルを出たという。お茶とスポーツドリンクを凍らせてもらっていたのと、おにぎりをいただき、タクシーで藤井寺に。途中コンビニで水を購入。ペットボトルは合計で500mlを3本。
06時25分 藤井寺に到着。
一礼をし、さぁ、いよいよだ、と気分を引き締め歩き始める。「疲れる前に休め 乾く前に飲め」の精神で歩こう、と心に決める。
イタゾリが道端に。手で根元をちぎっては皮を剥いで食べる。高知ではこれを煮物で食卓に上るが、徳島では食べないと聞く。
昨日タクシーに乗せてあげた大阪の人、途中の山中で寝転がっている。おなかの調子が悪くて、何度も下げると言うし、もう歩けないと言う。自分では薬の持ち合わせも無く、なすすべが無いので、勇気を持って引き返すこと、と助言。
長戸庵手前で遍路道を補修しているのを見つけ、クワもスコップもそのままにしていた。自分もそのクワを持ち一度二度と打ち振る。
07時55分 長戸庵着。
ちょっと休憩する。山中で立ち止まると汗が冷たく感じる。通り過ぎる何人かに聞くと、大阪の人はまだ寝転がっているらしい。徳島の人がセイロガンを渡したらしい。
柳水庵をすぐ下に見る場所までたどり着くと、そこに柳水庵の奥の院があり、帳面を置いてあった。残念ながら一昨年の自分の字を見つけることは出来なかった。今日は「2005.5.5 2度目の遍路。いつかこの帳面の自分の字に出会うことを願って」と記入する。
柳水庵は一部にブルーシートを被せてあり、改修中かも。ここで食事とし、ホテルでいただいたおにぎりを食べる。あぁ、そういえば朝食をまだ食べてなかったんだ、と気づく。
後から来た千葉の人の足のツメがはがれそうで痛いと言う。登山用の靴を履いていたので、靴底の柔らかいジョギング用が良いのじゃないか、焼山寺からは下りが急なのでいくらか緩やかな車道を、などと話したりする。自分も前回は1度目は登山靴で歩いたが、2度目からはジョギング用に変更したものだった。
10時20分 柳水庵を発つ直前に、大阪の人が着く。アレアレ自分はゆっくり歩きすぎかな、って思ってしまった。けど、これから一番苦しい下りと登りになる前に、楽をし過ぎたような。
11時05分 一本杉庵着。前回は周りを木立に囲まれた中、ただただうつむき加減に歩いてきて、ここでフッと見上げれば大きな杉の木をバックに大師の像が。無宗教の私でさえ、ぞくぞくするような感動を覚えたものだ。
13時30分 12番札所焼山寺着。
なんと7時間も掛けているせいか、体は辛くない。
山道でよく見かけた白くきれいな花だったが、参道を歩いていくと、老夫婦がその花を取り車に持ち帰っていく姿を見かける。普段の自分なら注意をしたかもしれない。
境内で鐘を突く。
2年前にここで泊まった自分の姿を探して、宿坊の中を覗く。あぁ、あの場所で寝たんだ、といろんな思いが沸いてくる。
水分は1.5gも飲んだのに、オシッコはあまり出ない。
うどんを食べ、アイスクリームは2個も食べる。妻に携帯電話を入れるも、電波が入ったり切れたりで公衆電話を使用。昨日10番切幡寺前から送った土産が届いたと言う。あぁすっかり忘れていた。
14時15分 12番を発つ。
気分は楽で身体も軽く爽快感さえ。朝から少々胃が痛かったのだが、いつの間にか治まっていた。毎朝飲んでいる血圧の薬は食後の服用だけど、そういえば今朝は何も食べずに服用したんだ。だから胃が痛んだのかな。
杖杉庵を通り過ぎ民家が増えてきたところで、石で作った素朴なお地蔵さんの土産を買う。
16時50分 桜屋旅館に着く。
8畳の部屋で、今夜の宿泊は男2名だけだった。夕食時に話しかけるが、あまり話には乗ってこない。この2日間の夕食とはえらい違ったなどと思いつつ、テレビを観ながら黙々とビールを胃袋に流し込む。
食後、3日分の洗濯をまとめてした。全自動なので、スイッチを入れたらあとは待つだけ。次の日までにはすっかり乾いていた。案の定、足のマメも両小指に出来ている。ハサミの先で切り裂く。マメは出来ないように努力するんじゃなくて、出来たらこう処理する、って考えを変えた。
05年5月6日(金) 13番
洗濯物は我流のたたみ方は仕方がない。大雨の予報だが、降ったり止んだりの一日。ただし、風は強かった。
07時40分 桜屋旅館を発つ。
遠回りをするのは解っていたが、前回の道を再び、と神山町役場あたりから道を左に取り、橋を渡り神山中学校前を通るコースを歩く。
今日は13番までだから、ゆっくり歩こう。うんうん、前回は、この橋を渡る手前で地元の人に呼び止められて、その道は行き止まりと教えてくれたな、JA名西郡小野出張所ではトイレを借りたり、アイスクリームを買った記憶も。そのJA、「平成17年3月31日を持ちまして廃止といたしました」という張り紙が、残念。それにあのバス停で暑い日だったのに、熱いお茶とコーヒーをいただいたり、などと。
小雨の中、歩いては立ち止まり、そんなことを思い出しながら時折水しぶきを上げて通り過ぎるダンプや車が行き交う道を、歩き続けた。
それにしても途中に自動販売機が阿野地区に着くまで無い。
阿野郵便局近くまで来てやっとジュースを口にする。そのお店のおばさん、ビールケースをひっくり返し、私の腰掛け代わりにしていただいた。私のことを「お四国さん」って呼び、「お遍路さん」もそうだけど、柔らかい響きを感じる。
13番札所まで12kmの案内板を見つけ、10時前だから遅くても1時半ごろには着くかな、んならよりいっそうゆっくりゆったり歩いてみよう、と。
小さな滝のあるところでは、リュックと腰を下ろし、タバコを一服。
広野地区に着き、橋を渡る。前回はこのバス停で、随分と休んだ記憶。今回もリュックを下ろして休むことに。このイスはあの時のイスだろうか。ただし、バス停前の店は止めていた。なにか食べたかったのに、残念。
ちかくのフード店で冷えたテンプラを買い、かじりながら再び雨の中へ。うどんを食べたり、道端のアジサイが咲きかけているのを見ては、あぁもうこんな季節か、などと思ったりして雨の中でも幸せ感を味わう。。
14時00分 13番札所大日寺着。
雨はぽろぽろ程度に。
前回はここの宿坊で泊まったけど懲りたので、今回は寺の横にある「名西旅館 花」に。無理を言って早く風呂に入らせてもらい、夕食までのひと時を楽しんだりコーヒーを飲んだりで、のんびり過ごす。
夕食は昨夜と同じく二人のみ。ただ、この旅館のおばあさんが楽しい人で、ついついビールが進んだ。名物さんだろうな、と思う。大日寺のこともいろいろ聞いた。それにマメに効くという、ビワの実を酒に漬けた薬をいただき、これを綿に染み込ませ、テープで固定して寝たが、次の日のマメは全然痛くなかった。
05年5月07日(土) 14番〜17番
声を録音している「MP3」、朝になりたまたま試しに録音すると、出来ない。容量はたくさんあるのに100件しか録音できないことを知らなかった。ちょうど100件目(偶然?)。急いで文字に起こしてフォーマットする。
09時00分 名西旅館を発つ。
旅館に礼を言って外に出ると、昨日とは一転してすがすがしい朝を迎えた。さぁ、今日は最終日だ、と足取りも軽い。
しばらくは車の往来の激しい表の道を歩く。次々と見覚えのある風景が。大きな橋を渡る。
09時35分 14番札所常楽寺に着く。
うんうん、やっぱり岩盤が露出した寺で、前回は雨の日にここに着き、雨を避けながら軒の下を通り納経所へ行ったな、などと思い出す。今日は上天気でよかったな。風も吹いて、軽い汗が気持ちがよい。
鐘楼堂の立替工事をしていた。
10時15分 14番を発つ。
自販機で水分の補給をする。
10時25分 15番札所国分寺に着く。
何もかも2年前と同じ。なんか荒廃したような寺で、屋根の上にもペンペン草が。間の抜けた境内の空間が余計にそう思わせるのかも。
10時55分 15番を発つ。途中から広いバイパスに出て、そこで岐阜から来ている青年に追いつき、しばらく話しながら歩く。すごい荷物を背負っていて、いかにも重たそう。ほとんど野宿だという。
11時20分 16番札所観音寺着。
2組の団体で、狭い境内はお遍路でいっぱい。納経所に入ると両手にいっぱいの納経帳を下げた団体の係りの人が並んでいた。後ろで待っていると「お先にどうぞ」と言ってくれたので、自分の後ろで待っている人にも「すみません」と声掛けをして、言葉に甘えさせていただいた。
11時45分 16番を発つ。
小さな商店街を通る。前回はこのあたりでマメの痛みが激しく薬屋を探すと、明治時代風の造りの店を見つけた記憶が。そこで靴下を抜き治療をさせていただいた。そうそうこの洋品店で買ったな、何を買ったのかな、靴下だろうか、などと思い出していたが、薬屋は見つけることが出来ず。
大きな神社を横に見て、車の通りが激しい道路を抜けると、住宅販売の旗がたくさん電柱などに張り付けられていて、遍路の案内マークが隠れている。
12時25分 17番札所井戸寺に着く。
今回の打ち止めの寺だ。念入りにお参りをする。
一応井戸の中を覗いて、顔の映ることを確認。
ここでも二組の団体が参っていた。本堂では前の団体が拍子木、後ろが木魚で両方が唱えるとにぎやかだった。後ろの団体がテンポも速く、楽しかった。
ここでも言葉に甘えて、納経を先にさせていただいた。
名西旅館で一緒だった愛知の人と出会う。その彼も今日で打ち止めだといっていた。言葉を交わして、彼は正門から出る。自分は北の墓の中を抜け国道に出る。
12時50分 17番を発つ。
国道沿いをひとまずたこ焼き屋の「たこ姫」を探して歩く。ここは「貧乏脱出大作戦」で知り、何度か訪れた店。ネギがたくさん乗って美味しい。
13時20分 「たこ姫」を発ち、眉山を目指す。
15時05分 眉山下のラーメン店の「いのたに」を出る。
ひとまず徳島駅前まで歩く。こうしなければ全部を歩いたという自分自身への言い訳が出来ない。
ロープウェイで「かんぽの宿徳島」(眉山保養センター)に。前回はここで泊まりたかったのだが、団体が居て宿泊できなかった。03年5月8日の平日だからと予約してなかった自分を悔いたものだった。風呂に入り、ゆっくりする間もなく下山する。
17時54分 JR徳島駅から高知に向けて、帰途に着く。
鴨島駅まで列車ではアッとい間だった。
南無大師遍照金剛
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