夕陽のシナリオ

ホーム プロフィール フォトギャラリー 四国88ヶ所歩き遍路
徒然なるままに リンク集




四国88ヶ所歩き遍路


1   はじめに(基礎用語 その他)
 
四国88ヶ所
真言宗の開祖、空海(のちに弘法大師)が厄年のとき、
816年に開いたと伝えられている。
88という数字については、諸説いろいろあって、
番外札所が20ヶ寺あり、合わせて人間の煩悩といわれる108の数字と符合する。
また、「米」という字を分解したもの、厄年(男42、女33、子供13)の合計の数字にも。
また、阿波(徳島)を「発心(ほっしん)の道場」、土佐(高知)を「修業の道場」、
伊予(愛媛)を「菩提(ぼだい)の道場」、讃岐(香川)を「涅槃(ねはん)の道場」と、
4つの道場に見立てている。
 
十善戒
弘法大師が残した、10の遍路はもちろん、してはいけない規則、教え、心得。
@不殺生・・生き物を殺さない
A不偸盗(ふちゅうとう)・・盗みをしない
B不邪淫・・ふしだらな行為をしない
C不妄語・・嘘をつかない
D不綺語・・奇麗事やお世辞を言わない
E不悪口(ふあくく)・・悪口を言わない
F不両舌・・二枚舌を使わない
G不慳貪(ふけんどん)・・欲張らない
H不瞋恚(ふしんい)・・怒らない
I不邪見・・不正な考えを持たない
 
順打ち 逆打ち
お寺に参ることを「打つ」といいます。
昔は、本堂などに納め札(木製)を打ち付けていたので、こう呼んでいます。
1番から順に打つのを「順打ち」と言い、
88番から逆に打つのを「逆打ち」とよんでいます。
弘法大師は順で打っているので、逆に廻らなければ遭えない、ということでしょうか。
 
通し打ち 区切り打ち その他
一度に全ての寺を廻ってしまうのを「通し打ち」、
私のように何度かに分けて打つのを「区切り打ち」と呼びます。
また、四国4県ずつ4つに分けて打つのを「一国打ち」、好きなときに好きな札所を打つのを「乱れ打ち」とも言う。
 
遍路の始まりと逆打ち伝説
大師が四国を巡礼していたおり、松山市(愛媛県)郊外の大きな屋敷に托鉢に訪れた。そこの主人の衛門三郎は強欲で、大師に施しもせずに追い返した。そうしたことが何度か続き、腹を立てた三郎は、大師の持っていた鉄鉢を叩き割った。その鉢は8つに割れて散ったという。
その翌日から三郎の8人の子供が次々と亡くなった。
三郎は托鉢の修業僧が大師であったことに気づき、自分を悔い、全てを投げ打って、旅に出た。これが民間人の遍路の始まりと伝えられている。
三郎は20数回順打ちで廻るが大師には遭えない。そこで逆に廻り始めるが、結局は大師に遭えないまま、12番札所焼山寺近くで倒れてしまう。朦朧とした意識の中に、大師が現れ、三郎は許しを乞う。最後の望みとして、「生まれ変わるときには領主になって慈悲の政治を司りたい。」と願った。
大師は「衛門三郎再来」と書いた小石を授け、三郎はそれを握ったまま逝く。
のちに伊予(愛媛県)の領主に男の子が産まれ、その子供は3歳になっても手を握ったまま開こうとしない。困り果て安養寺に連れて、祈念すると、手が開き「衛門三郎再来」と書かれた石が手の中から落ちた。
その後、安養寺の名前は51番札所石手寺となり、境内にはその石が置かれている。
三郎が倒れた場所は12番焼山寺を下ったところに番外札所「杖杉庵」としてあるし、大師が持っていた杖を衛門三郎の墓標として立てたのが育ち、大きな杉の木になっている。
逆打ちを始めた最初の人が衛門三郎と言われ、またそれによって大師にめぐり合えた年が、うるう年であるため、うるう年の逆打ちは、強い念がはたらくという。
47番八坂寺の近くには、三郎の生家があり、8人の子供の塚もある。
また、領主の産まれた子供は、民のための政治を行ったという。
 
同行二人
遍路は一人歩きでも、常に弘法大師と共に、です。
 
お接待
遍路の途中、食べ物やお金、一夜の宿を提供していただくこと。
お接待をする側は、間接的に巡礼に参加しているという功徳を。
お接待は断ってはいけない、とされています。
 
結願(けちがん)
88ヶ所を廻り終えたこと。
88番札所大窪寺は結願寺。
 
遍路姿一式
極論になるが、本来は何も持たなくてもいいし、気持ちひとつだと思っている。
ただし、それなりの遍路姿だと、四国の人々は、遍路道を外れても教えてくれたり、何よりもそれなりの目で観てくれます。
【金剛杖】山道の上り下りには重宝します。
また昔はこれで獣などから身を守っていたのかも。
大師の分身として、宿に着くと杖を洗い、部屋の中では上座に置きます。
また橋の上では杖を突きません。(十夜ヶ橋を参照)
大師が橋の下で眠っている、と信じられているからです。
【菅笠】晴れの日も雨の日(ビニールをかぶせる)も、重要です。
風で飛ばされないよう、ゴムではなく、太目の紐が良い。
【輪袈裟】礼拝の正装具で、不浄な場所(トイレなど)にははずして入る。
【納経帳】礼拝を終えてから、納経所で朱印を押してもらう帳面。
【数珠】これで「じゅず」と読むのがいまだに不思議。
【教本】お経を書いた本。
【納札】本堂と大師堂に納める、住所、氏名などを書いた紙片。
年齢を書く場合には、数え年が一般的。
納札の色は、巡拝の回数によって違い、4回までが白、5〜6回までが緑、
7〜24回が赤、25〜49回が銀、50〜99回が金、
100回以上が錦と色分けされているが・・。
【線香 ローソク】本堂と大師堂で燈すが、線香は3本ずつ。
【持鈴】これも昔は四国に居た熊よけには必要だったかも。
 
遍路
弘法大師の足跡をたどること、88ヶ所の寺を巡ることを言い、また「お遍路さん」「お四国さん」と、敬いと親しみを込めてそういう呼び方をする。
辺地の国々を巡るので、「辺地の修行」が変じたものだと思う。
お寺参りのことは「巡礼」と呼ぶのが普通で、「遍路」と呼ぶのは四国だけ。
宗教は関係なく、白衣を着ていなくても、菅笠、金剛杖を持っていなくても、いつでも遍路になれる。バス、車、歩き、自転車、バイク、・・どの方法であろうと、要は自分の気持ちひとつではないかと思う。
 
南無大師遍照金剛
「なむだいしへんじょうこんごう」と読み、「南無」とは帰依(ポアじゃないよ)すること、「遍照金剛」は弘法大師が唐で与えられた灌頂(かんじょう)名。
自分を弘法大師にお任せします、という意味で、参拝のときに唱えたり、お遍路同士の挨拶、お接待のお礼にも唱えたりする。
 
遍路ころがし
急な坂道のある場所をそう呼び、11番藤井寺から12番焼山寺、21番太龍寺への道、81番白峯寺などの山道を総じて言う。
特に焼山寺への山道は2つの峰を越え降りる頃、まっさかさまに落ちるような感覚の下り坂があり、もうひとつ山を登りつめたところに寺がある。
 
十夜ヶ橋
大師が、愛媛県に差し掛かったとき、一夜の宿も無く、寒い中橋の下で野宿をした。あまりの寒さに一夜が十夜の長さにも感じる思いだったという。いつしか、杖を突く音で大師のお休みを妨げない、ということで、橋の上では杖を突かない、という心遣いの気持ちを表すようになった。
十夜ヶ橋(とよがばし)は、大洲市にある番外霊場8番札所 永徳寺前。 
現在の橋は、大通りで車の通りが激しいが、橋の下では一応野宿できるようになっている。(川は汚なかったイメージがある)
 
 


● BackIndexNext