海 に い ち ば ん 近 い 駅  
date:2005.08.12-14

 


姫鶴荘

朝食は卵ご飯

四国カルスト姫鶴平

ひと夜あけて8月13日(土曜日)。薄曇りの肌寒さの残る朝。寝床を抜け出して朝食を戴く。普段の朝食は簡単に済ませるのだが、旅先での朝食は何故か美味しく感じて沢山食べられる。朝はやっぱりご飯がいい。生卵が付いてきているが、、、はて、卵ご飯にしろということか?小さな時にはよく卵ご飯で食べたものだが、大人になるとなんとなく気持ち悪くなってしまうんだよなぁ〜〜〜、と思いながら箸を口に運ぶ。う、うま〜〜〜い!

 

雨水や地下水で浸食された地質をカルスト地形という。溶食に堪えて残った石灰岩をカッレン(カーレン)といい、それらが白い羊のように高原に点在している。カルストといえば山口県の秋吉台が有名。中学の時の修学旅行で行ったことがある。四国にも同様のカルスト台地があることをほんの数年前まで知らなかった。まるで日本とは思えないような、そうモンゴルにでも来たかのような景色。ゆっくりと景色を見ながら数キロ先の天狗高原まで快走。旅に出て良かったと思える瞬間。

 

 

 


実のところこれから先の予定を決めていなかった。そう、ぜんぜん決めていない。さて、どこに行こうかと地図を見ていると近くに檮原(ゆすはら)の名前を見つける。檮原、、おぉ、あの檮原か。別 段観光地というわけではないのだが、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」を読んでからは僕の中では檮原は特別 なキーワードになっていた。あの坂本龍馬を筆頭に維新の士たちが土佐を脱藩の際に駆け抜けていったのがこの檮原。確かな場所は分からないが龍馬ら脱藩の志士たちの銅像群が置かれている場所があるはず。とりあえずいってみよう。ネイティブにでも訊けばなんとかなるさ。

 

 

四国カルストからつづら折りの山道を降りてくる。朝の空気の中、気持ちがいい。
檮原に入ると木造の立派な鳥居と桟橋のある神社を見つける。ついつい習性で立ち寄ってしまう。三嶋神社は三嶋祀命を祀神とする神社。氏神と思われる。鳥居のたもとに司馬遼太郎の「街道をゆく〜檮原街道編〜」からの文章をうつした説明書きがある。氏もここを訪れたのかと感激。偶然、境内に「坂本龍馬脱藩の道」の看板を発見する。文久二年三月二四日夕刻、坂本龍馬は現在の高知市内にある坂本邸を出た。先に脱藩していた澤村惣乃丞の引率で土佐を脱藩する。当時、脱藩というとただ藩を抜けるというだけのものではなかった。今で言う亡命、もしくは反逆行為になる。もちろん捕まれば死罪。だから彼らは山深いこの檮原を抜けていった。後に維新に身を投じるために多くの志士がこの道を通 って脱藩していった。
この道を龍馬も歩いたのかと思うと感慨深い。彼はこの道の先に、日本の明日があると信じて歩いたのだろう。

 


檮原の界隈に辿り着く。とても小さな町(集落)だ。維新の門という看板に導かれてやってくると、そこには檮原ゆかりの維新の志士たちの銅像が建てられている。
国の未来を真剣に憂う若者たちは、熱き衝動に駆られ自らを犠牲にしてまで、時代の変革へとその身を投じていった。彼らはみな幕府軍との戦いで若くして戦死。悲しいかな、斬ることでしか、時代を変えられぬ と信じていた。
しばしの間、龍馬の前に腰をおろし、彼に語りかける。龍馬、そこから何が見える、その先に、どんな未来が見えていた。日本は、またおかしなほうへ向かってるぜよ(何故か土佐弁)。

龍馬のように歴史に名を残す人は、めったにいない。けれども、龍馬のように『よく青春を生きる』チャンスは、誰にでもめぐってくる。僕にも、、あなたにも、、、。

 

□次のページへ続く□

 

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