2000 summer kyushu touring

天岩戸神社の駐車場で広島ナンバーのゼファー1100と出会い少し話をした。彼の次の目的地は通 潤橋だという。説明を聞くと古い石作りの水路橋で毎週日曜日の正午に放水するという。たしか前にNHKで見たこと有るぞと思い無性に行ってみたくなった。「日曜日って・・・・今日じゃん 」「いや、もう間に合いませんよ」「いや、なんとかなる!」 その後の2台の飛ばすこと飛ばすこと、曲がりくねる山道を容赦なく走っていく。今考えるとよくあのゼファーも付いて来れたもんだ。偶然にこの山道でフェリーで出会ったCRMの達人様に再会する。彼は昨夜は何処で野営をしたのだろう、ふと考えてしまうが急ぐ身なので挨拶を交わし抜いていく。そして目的地に到着したのは丁度正午。ヘルメットを脱ぎながら「間に合ったな」と胸をなでおろし橋の方へ歩いていく。っとその瞬間凄まじい音をたてて放水が始まった。しばらく下から眺め、次に橋の上の放水口まで登っていくがとてもダイナミックだ、遠い江戸時代にこの石橋を造った人達に感心。
丁度お昼時だったもんでゼファー君が昼食を一緒にと誘ってきたんだけど、こっちは貧乏旅行のためにお昼を抜くつもりでいたので断った。その時「あ、こんな所に!」、ゼファー君が駐車場の地面 に夏目漱石くんを発見。もちろん即保護。近くの食堂まで連行しゼファー君と2人で1杯500円のかき揚げ蕎麦を共に食した。丁度1000円。これぞ神の恵み。

 


ゼファー君との別れを惜しみつつ、次は長崎を目指すべくR445を東へ走り熊本市へ入る。さすがに市内の渋滞を走ると油温が急激に上昇し始めたので急遽、熊本城に立ち寄り小休止を取る。お城の正面 の木陰で涼んでいると1台のオートバイが同じ木陰に入ってきた。静岡から来たというバンディット1200のおじさま。そしてしばらくするうちにまたまた1台、岡山から来たというGSX−R1100の学生くん。今日はスズキディか?
油温と体温が下がってきたので2人に別れを告げ熊本新港に向かう。ベイビームラインなるフェリーで一路、島原半島へ上陸。僕的に島原と言えば「天草四郎の島原の乱」と云うイメージ。何年か前の噴火で有名になった普賢岳に登ろうと思ったが今日はもう日が暮れそうだ、早めに寝床を確保しよう。しかしそう都合良く寝床が見つかるわけもなく山の展望台の駐車場でテントを張ろうと荷を下ろし暗くなるのを待つがそのうち行儀の悪そうな車が目立ち始めた。オヤジ狩りに遭っては大変と真っ暗な山道を再度寝床を求めてさまようことになる。学校のグランドとか人気の無い田舎の空き地とか廻っている内にいよいよ僕も達人の仲間入りかと思い始める。夜も程良く暮れた頃、山道にキャンプ場という小さな看板を発見!「これだ!」とばかりに山の脇道を進んでいくとそこには大勢の人たちがバーベキューをしたりしていた。一応、管理棟に顔を出すと料金として800円を取られたが安全を買うと思えば安いものだ。そうしてやっと落ち着いてテントを張る事が出来た。今思えば800円なんて安いキャンプ場はなかなか無い。
翌朝、さすがに疲れていたのかよく眠れた。到着したときは暗くて気付かなかったけれど綺麗な池の畔のキャンプ場だった(白雲池キャンプ場)。
雲仙の普賢岳に向かうには有料道路を使うしかないがこのゲートが開くのが午前8時。一番乗りでゲートの開くのをまっていよいよ普賢岳に向かう。数年前の噴火の痕を生々しくその山肌に残しつつもすでにそこは観光ナイズされていて多くの観光客やハイカーが訪れていた。大自然の恐ろしさと人間の順応性に驚く。
雲仙温泉にある「公共浴場」料金100円と云うのに引かれて行ってみるが開店まで1時間もある。悩まずパス。

 

長崎市って遠いね。というか途中なにも観光地が無くって退屈だったせいだろうか、たどり着いたときの達成感はひときわだったね。長崎も中学の修学旅行で来たことあるけど、同じ所を今度は自分の意志で訪れてどう感じるか楽しみだった。どう感じたかって?、、、、そうねぇ、暑かった。
まずは平和公園(写真左)この有名な平和の像よりも、少し歩いた所にある被爆中心地(写 真右)の方が感慨だった。石碑を中心に放射状にデザインされた公園がより中心地のイメージを想像させる。しかしながらこちらを訪れる人は少数だった。アルバート・アインシュタインの言葉にこうある「この世に無限のものは2つあります、宇宙の広さと、人間の愚かさです。しかし前者は定かではありません。」
写真は無いけれど次に江戸時代に作られた『出島』を訪れた。小学生のころ授業で習った覚えがあるが、今では埋め立ても進み街のずいぶん内陸になってしまっていてイメージと大きく離れていた。外堀に僅かオリジナルの扇型の名残を発見できる。出島自体は当時の建物がレプリカで復元され記念館的に公開されていた。お土産やさんに売っていた東インド会社製の伊万里焼きのレプリカが欲しかった。
続いても修学旅行で来たことのある、『大浦天主堂』『グラバー邸』。僕の中ではこのグラバー邸は国内でもトップクラスに気に入っている建築物だ。上方からのスタイルは抜群。大浦天主堂の前で三脚で写 真を撮っているとアジア系外国人のギャル2人がシャッターを押してくれと片言の日本語で頼んできた。得意の(どこが?)英会話で少し話をすることが出来た。韓国のソウルから来た女子大生らしい。最後にグラバー邸への道を聞かれたのでこれまた英語で説明するが通 じなかったのか彼女たちは苦笑いをしながら去っていった。

 

夕方までに佐賀県に入るかどうかと思案しながらR34を北上、昼飯抜きの上、真夏の暑さに参ってきた。途中、佐世保への標識を見つけたので米軍基地を見に行こうかと思ったが、地図で確認するとかなり遠回りをしそうなのでやめておく。案外あっけなく佐賀県に入ってしまたので温泉にでも浸かろうかと思い地図を検索、「嬉野温泉郷」を発見。しかしながら何処の宿も入浴だけに1000円だと云うのでビックリ。お風呂に1000円も出すくらいなら昼飯を食べるべし、とコンビニでパンとジュースを買い遅めの昼食にする。
当初予定していたキャンプ場に以外と早く着いてしまったため、無理をしてもう少し先のキャンプ場を目指すことにする。県を越えて福岡の山の中のキャンプ場を目指す。
上の写真は邪馬台国伝説で有名な佐賀県、吉野ヶ里遺跡。縄文だとか弥生だとかの時代で邪馬台国がどうで卑弥呼がいたとかいなかったとか。しかしながら、九州の持つ歴史の厚みに驚く。天地創造の阿蘇の外輪山、神話の世界の物語、村から国への変貌時期、鎖国時代唯一海外へ開かれた港、そして幕末の劇的な動乱、そして近代、人が犯した最も愚かな罪。今回の僕の旅なんてその一端に触れているに過ぎない。

昨夜の経験をもとにあらかじめ地図でキャンプ場を探しておいたので、早々に夕食とビールを買い込み山を越えることにした。これが国道?と云いたくなるR385で山道を抜けて福岡県に侵入。今夜の寝床は那珂川町の日吉神社キャンプ場って所だ(ツーリングマップルに200円で紹介されていた)。このキャンプ場は名前の通 り神社の広い境内を夏の期間だけキャンプ場として解放している場所らしくて沢山の人がバーベキューをしていた。お金を払おうと先客の人に聞いてみると「イイの、イイの、みんな払ってないし、第一払いに行く所がないよ」・・・唖然と云うか、ラッキーというか。しかし、人が大勢いて安全そうだし、料金は安いし、結構いいキャンプ場だと思ったよ。僕も旅のコツが分かって来たなぁ〜なんて満身していると惨劇はおこった。
今夜は早めに寝てしまおうとコンビニで買い込んだ唐揚げをつまみに自分には少し多すぎる量 のビールを飲んでテントの中で寝てしまった。お酒が覚めてしまったのか夜中に目が覚めたので小用をたしにテントの外に出たんだけどその瞬間、戦慄が走った。広すぎる境内の暗闇の中、、、、 『誰もいない〜〜〜!!!』
どうして?夕方、百人以上もいた人たちは何処へ行ったの?すぐに彼らはバーベキューをしに来た人たちでそれが終わって帰ってしまったことを悟ったよ。じゃぁ、今まで僕1人でこんな薄気味悪い神社で寝てたわけ?(もともと小心者である、お化けとかの類は人一倍苦手な方だ)時計を見ると午前2時。日の出まであと4時間くらいだ、何とかガマンしてやり過ごそうと再びテントに潜りこんだもののもう寝付けるわけもなく神経はテントの外に集中していた。っっとその時テントのすぐ側を『ガサガサガサ〜〜〜』小動物か何か(何かって何だ〜〜〜?)が走りすぎていった。もう正気ではいられなくなりテントを飛び出して表の国道まで走って逃げた。国道沿いの公園でしばらく気持ちを落ち着かせて、再度神社に舞い戻り大急ぎでテントをしまい荷物をカタナに載せ逃げ出した。なかなかカタナのエンジンがかからなくて泣きそうになた。いや、泣いていたかもしれない、いや、泣いていただろう、、、それほど怖かった。命からがら(大げさな・・・)たどり着いた国道沿いの公園で再びテントを設営しているときに、今度は運悪く僕を見つけてパトカーがやって来た。「君、ここで寝るのか?」と聞く警官に今までそこのキャンプ場で寝ていたこと、気が付いたら誰もいなかったこと、今やっと逃げ出して来たこと、めちゃめちゃ怖いことを説明してなんとか理解してもらった。良い子のみんなは宿泊費をケチっちゃダメだゾ。

 


今日は徳島に帰るフェリーに乗る日だ。夕方までには新門司港に着いていなければいけないが、まぁ、もう福岡県内だし大丈夫だろう。午前6時半、荷物を片づけて出発。走り出して30分ほどで博多に到着出来た。博多では博多ラーメンの美味しい店として有名な「一蘭」を訪れようと思っていたが、まさか朝ご飯になるとは思わなかった(まさかおかわりまでしようとは)。
福岡県では船の時間に余裕を持って間に合わせるため観光を予定はしていなかったのであまり寄り道もせず門司へ到着。この門司の港街はレトロな建物が多く函館を思い出させる。しかしながら僕が訪れたことのある函館は冷たい空気の中にたたずむレトロ街で、ここは真夏の南国、灼熱のレトロ街とでも云おうか、なんか変なイメージを作ってしまったなぁ。左の写 真は壇ノ浦。源平合戦の舞台の地、ここでも歴史に触れるか。橋の向こうは下関。

この後、新門司港からフェリーに乗って翌日の午前10:00には徳島の津田に到着し無事帰宅し、この旅が終わってしまうわけだ。初めてのロングツーリングはやはり経験もノウハウも設備もなにもかも未熟な旅だった。しかしながらそれでも多くの感動を与えてくれた九州の大地に最大の感謝をしたい。バイクでのキャンプツーリング、マスでも楽しいかもしれないけれどやっぱりソロがイイ。こんな楽しい事があったなんて、当分やめられそうになさそうだ。次は何処に行こう、今度は自炊出来るようにしたいな・・・。なんて事だ、1つの旅が終わった瞬間だというのにもう次の旅が始まっているではないか。世の中知れば知るほどすごいものやすごい人が沢山いるもんだ、海外も良いけど日本にもまだまだ僕の知らない大感動が待ってるんじゃないだろうか。そう、これはまさに“discover japan”・・・・いや,

此処ではない何処かで見つけた
“discover myself”

 

 


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