2002 onokoro〜deep awaji-island〜
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震災当時、、、、たしか僕はまだ前の会社に居たんじゃなかったかな。シンノスケもまだ居なかったころだと思う。なにぶん早朝のことだったからね、まだ布団の中で寝ていたんだけど、さすがにあの震動じゃ目も覚めたよ。徳島でも昔から稀にではあるけれども地震はあった。それでもいままでに感じた地震って身体に感じるか感じないかくらいのしかなかった。僕的な地震の認識は気がつけば揺れていてすぐに止まってしまうものという感じだった。だからその時もちょっと揺れが酷いなぁ(ちょっとではない)まぁ、いつも通 りしばらくすれば静まるさ・・・けど、、、ちょっと長いな・・・。ってな感じだった。さすがにすぐにテレビをつけ見たけれども地震直後にはそれほど被害はないという報道だった。まさか太陽が昇り街を照らし出した時、あんな光景が浮かび上がるとは・・・。 淡路島牛乳は徳島でも日常で購入可能なありふれた物ではあるけれども現地で飲むと一層美味しく感じたりしませんか?それとここにもありました“ご当地キティ”ここでは『たこキティ』のようです。頭にタコが張り付いています。カッコワリ〜。 |
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熱つっ、、ハフッ、、、、、、ウマ。 知る人ぞ知るというのを名物と云うのかどうか分からないが最近では有名らしいのがアナゴの蒲焼き。北淡町あたりでよく見かける露店で売ってます。なぜウナギじゃなくてアナゴなのでしょう。食べながら考えましょう・・・・美味いからどっちでもイイや。 |
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伊 弉 諾 神 宮 大鳥居から正参道を進むと、二の鳥居の先に神池が広がり、反り石の神橋が架かって檜皮葺の重厚な神門が参拝者を迎える。 古事記・日本書紀には国生みに始まる全ての神功を果たした伊弉諾大神が、御子神なる天照大神に国家統治の大業を委譲し、最初に産んだ淡路島の多賀の地に「幽宮」を構えて余生を過ごしたと記される。その住居あとに御陵が営まれ、至貴の聖地として最古の神社が創始されたのが、伊弉諾神宮の起源である。 |
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手水をした後、幽玄とした空気が漂う境内に歩み入る。伊弉諾尊が余生を過ごしたというこの幽宮をこの旅のクライマックスにして良かったと思う。静寂とした境内で昨日からの旅の経緯を思い出してみる。“情報”というのはメディアの発達で何処にいても入手出来る。現地に赴き見て、触れて、知ることなどもう必要のない時代なのだ。しかしながら、旅の目的なのは、そんな情報を知りに行くのではなく、見て、触れて、、、“感じる”ことにあるのだと、タケダは思う。 |
幽 宮(カクリノミヤ)
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お土産に玉ねぎ買いました
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さぁ、日も暮れかけてきたし、後は温泉にでも入って疲れを取るか。ガイドブックに足湯を発見、洲本市だ。ナント無料。 |
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