2002  onokoro〜deep awaji-island〜
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まだ人間が存在しなかった遠い昔、神々が高天の原(タカマノハラ)という天上の世界に住んでいたころの物語。沼のように荒れていた下界を危惧した神々は、男神・伊弉諾尊(イザナギノミコト)と女神・伊弉冉尊(イザナミノミコト)に「地上はまだ漂うばかりだから、これを固め、国を造り上げよ」と命じた。イザナギとイザナミは天の浮き橋の上に立ち、そこから天の沼矛をさし下して下界を「こおろ、こおろ」という音を立てかき回した。天の沼矛を引き上げると矛先から塩が次々としたたり落ち、この塩の積もったものがおのころ島だと伝えられている。おのころ島は淡路島全体とも、淡路町・絵島、南淡町・沼島ともいわれている。

イザナギとイザナミは日本列島最初の島・おのころ島に降り立ち、天まで届くほどの「天の御柱」を建て御殿を造った。そこでイザナギは「あなたの身体はどうなっているのか」と訪ねた。イザナミは答えた。「わたしの身体には足りないところが一ヶ所あります。」続けて「わたしの身体には余っているところが一ヶ所あっる。あなたの足りないところとわたしの余っているところを合わせて国を造ろう」と言い、契りを交わした。こうして国生が始まった。淡路島に続いて四国、隠岐の島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島、と大小の島を、最後に本州を生んだという。

国生に続き、イザナギとイザナミは35柱の神々を生んだ。しかしイザナミは、最後に火の神様:カグツチを生んだときに負ったやけどにより亡くなり、黄泉の国の住人となってしまった。悲しみに耐え切れないイザナギは黄泉の国まで訪ねて、扉の向こうにいるイザナミに「入り口の戸を開けてもう一度顔を見せて下さい」と語りかけた。イザナミは「黄泉の国の食べ物を口にしてしまったので、もう会えません。でもあなたがそうまでおっしゃるならば、黄泉の国の神様に相談してみます」と返事したが、なかなか出てこない。しびれを切らしたイザナギはついに扉を開けてしまう。そこでイザナギが目にした物は、妻の変わり果 てた姿だった。驚いたイザナギは逃げるように地上へ帰り、これが二人の永遠の別 れとなった。

黄泉の国から帰ったイザナギは、汚れを落とすためにみそぎを行った。そのとき、天照大神、月読命、須佐男命の3神を生み、そのうちの一人である天照大神に国の統治を任せた。イザナギ自身は幽宮を建て余生を過ごした。幽宮は現在の一宮町にある伊弉諾神宮にあったとされ、そのため伊弉諾神宮は日本最古の神社として信仰を集めている。


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時は流れて現代・・・


大 鳴 門 橋
大鳴門橋が開通してから淡路島は徳島にとって「車でほんの数分」という非常に身近な土地になった。明石海峡大橋が開通 以降は関西圏からのアクセスもしやすくなり一時は島を挙げての一大リゾート計画も発足したがついにはバブルの徒花と散り現在は交通 の通過地点っぱくなってしまっている。僕もいままで数え切れないほど淡路島を渡って関西方面 へ行き来したが淡路島をじっくり旅をしてみようと思いついたのはつい一年程前くらいから。実は淡路島ってとてもdeepだって知ってました?
9月14日。快晴の秋空。いつになくのんびりとした出発だった。朝起きてからしばらくはhpの更新をして、お弁当のおにぎりとサンドイッチを作ってから旅の荷支度をした。いつもなら前日の夜の間に支度くらいは出来ているのに今回は少し落ち着いている。それは目的地が非常に近いせいかもしれない。
午前10時頃。ダヤンダヤン号(ワゴンR)発進。

 


おのころ島神社

大鳴門橋を〈鳴門北〉から〈南淡〉までの1区間を使って淡路島に渡る。時期&時間的に恵まれたか橋の下には小さい渦が回っていた。一部の県外の人の認識では渦潮というのは一年中一日中洗濯機のようにグルグル回り続けているらしい(僕が出会ったその人が特殊だったのかもしれない)。軽自動車での通 行料¥1,000也。県道と国道を地図で繋ぎながらまず最初に向かったのは三原町にある『おのころ島神社』。ここは伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)が祭られている国生み神話ゆかりの神社。社の前には朱塗りの特大鳥居がその風格を誇っている。参拝客は僕らのほかには誰も居らず境内はひっそりと静まり返っていた。そんな静かにたたずむ空気こそがこの場には相応しく思う。イザナギ・イザナミの前に手を合わせ柏手を打つ。まずはこの旅の無事を祈願する。案内看板に「日本一大きい鳥居」なんてキャッチコピーを書いているもんだから後日人に話すと鳥居は大きかったか?と質問が帰ってくる。そっちのファクターが強いせいか国生み神話に纏わるという情報はあまり知られていないようだった。なんか的はずれな気がする。

 

 

国道28号を洲本市まで北上。次に向かったのはワイフのリクエストで『淡路ワールドパークonokoro』。「え〜、テーマパークなんてやめとこうよ〜」と云うのがいつものタケダの意見。しかしいつも最後に折れるのも私。ここはお金と時間をいかに無駄 に消費できるかをテーマにしているようです。皆さんまたどうぞいらして下さい。タケダ的に救いだったのは兼高かおる氏の旅をテーマにしたパビリオン(パビリオンと呼べるほどの施設ではない)があったこと。悲しいかな担当者の愛情の欠如なのかテーマはすばらしいのだけれど館内はただの資料の羅列場でしかなかった。


かなり以前から気になっている看板だった。「アーチェリーみかん狩」アワジファーム・・・タケダの予想では洋弓でみかんを射抜いて落とすという一風変わった味覚狩りが出来るのではないかと思う。こ、、これは面 白そうだ、、、。

 

 


←淡路島内を走っていると道端にお土産屋さんを何軒も見かけることが出来る。決まって軒先に山のように積まれているのが淡路名産の『玉 ねぎ』。10kgとか20kgとかいう単位で売っている。なんだ玉ねぎか、っと思ったユーはイッツァ、ノーグットだぜ。淡路産の玉 ねぎはチョットチガ〜ウ。あえて表現するなら「食卓という舞台の上で華麗に舞うプリマドンナ的存在」・・・とでも云っておこうか。

 

→淡路夢舞台という催しがあった。もう何年経つんだろう。タケダも一度来たことがある。その旧会場のパーキングで見かけた鯉幟、ならぬ 明石の鯛幟&蛸幟。思わずシャッターを切ってしまう。

 

 

 

千鳥なく江島の浦に すむ月を 波にうつして 見るこよいかな

 

どんどん北上して行き淡路島の突端あたり津名郡淡路町岩屋。かつて明石海峡大橋がまだなかった頃この岩屋からフェリーに乗って明石へと渡っていた。タケダの学生時代の帰省の足でもあった。幾度となく通 ってきているはずの道なのに今まで知らなかったのがこの『絵島』。砂岩質の小さな島を長い時間をかけて風と潮が刻んだ彫刻。その浸食が作ったストライプ模様の美しさが際だち神秘的でもある。
太古、イザナギとイザナミの二神が国生みの際、最初に作った島が“おのころ島”であるとされ、それが淡路島であると伝わっているがこの絵島こそがその最初の地であるという説もある。同じような説が残る場所が淡路南部に浮かぶ沼島にある上立神岩に伝わっている。こちらもかなり神秘的でgoo!なのだが船で渡らないとイケないのでアクセス難のため今回はパス。

 

 

さてさて、これからタケダは岩屋発-明石行きのたこフェリーに乗って明石へ向かう。写 真(↑)はフェリー乗り場で時間待ちしている時に撮ったもの。だんじりに乗った昔の娘さんが民謡のような歌をうたい、それに合わせて着物にたすき掛けの今の娘さん達が「引け引け」とばかりに扇子を扇ぐ。それに合わせてハンテンにフンドシ姿の男衆が綱を引く。土着色の濃いお祭りのようでした。

 


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