2003  mount-tsurugi
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頂上が雲に隠れる剣山

 剣山。“つるぎさん”とも“けんざん”とも呼ばれる。徳島県西部に位置する県内最高峰であると同時に西日本でも2番目の高さを誇る山。その標高、実に1955メートル。
 徳島に産まれ育った者のアイデンティティーとしてまず「阿波踊り」「吉野川」「鳴門の渦潮」そしてこの「剣山」が思い浮かぶ。しかしながらこの剣山は県内でも随分と奥まったところにあるので県民であってもめったに目にすることがない。ひょとしたら生涯徳島に暮らしながも一度もその姿を見ずに終わってしまう人のほうが殆どだろう。それにもかかわらず県民が自らの徳島という存在を認識するとき、必ずその存在が思い浮かぶ。この山は、静かに、しかしながら確かに、私たちのの心の中にそびえる山なのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・2003/07/20sun・・・・・・・・・・・・・・

前日の夜のうちに貞光町まで移動しておいた。道の駅貞光ゆうゆう館に寝床を陣取る。長年こんな旅をしていると、このスタイルが非常に愛着が湧いてしまう。睡眠のために車用の暗幕まで自作しているのだからすごい。今年最初の車中泊だ。もう学生さんは夏休みだし一般 の社会人も3連休だ。予想通り駐車場は道の駅ラーが大勢スタンバっていた。朝になって気がついたがオートバイも一組。関西ナンバーのニンジャと水冷のモンスター。
今年は梅雨が長引いているせいなのか就寝時は湿度と気温が高く寝付きにくい夜だった。寝苦しさに何度か目覚めはしたがなんとか眠ることが出来た。
午前6時頃、出発の狼煙を上げる。


道の駅貞光ゆうゆう館
道の駅のトイレで洗顔をすませフラットにしておいた車の座席を起こす。寝袋を片づけて着替えを済ませると、さぁ、出発だ。まずは近くのコンビニエンスストアで腹ごしらえ。こんな旅の朝はコンビニでお湯を分けてもらってカップのみそ汁を食べるのが好きだ。だって日本人なんですもの。
さて目指す剣山は徳島市内から県道192号で貞光町までやってくる。まずここで1時間半から2時間。そこから「剣山登山口」の大きな看板を目印に南に折れて後はひたすら真っ直ぐ山道を登っていく。貞光から一宇村(知っているだろうか“子泣き爺”発祥の地なのだ)を抜けて東祖谷山村に入る。剣山は住所的には東祖谷山村なのだ。やはりこの間1時間半から2時間を要する。
この山道も道中に色々な名勝が散らばっているので寄り道に事欠かない。春なら「吉良のエドヒガンザクラ」も良いだろう、また土釜や鳴滝などの渓流美もよろしい。少し話はわき道に逸れるが(いつもの事じゃない)貞光町のとある神社では毎年元旦の零時に奉納神楽が行われている。演目は何と「天岩戸」。何故この古事記にまつわる演目を演じるのかとタケダは不思議に思っていた。天岩戸伝説なら宮崎県が一般 的であろう。ひょっとして貞光町にも天岩戸伝説が残っているのか〜!?!?!? と思っていた。驚きである、残っているらしい。道すがら「天の磐戸」を発見してしまった。しかしながら車を停めて山道を1時間以上歩くらしいので訪れはしなかった。おそらくだれも訪れはしないのだろう。道らしい道はすでに雑草が占拠して道らしくなくなっていた。いやはやこのような目出度い伝説が残っているとは県民として嬉しくて涙がちょちょ切れてしまう。脇道ついでにもう一つ。今から向かう剣山にも実は歴史にまつわる伝説が残っている。悠久の昔、宝物というと銅鏡とか銅剣とかだったらしい。つまりそんなのがお宝だった時代の話ってわけさ。とある人物の命で人里離れた山奥にお宝を隠したという伝説があるらしい。(らしい、、、ってのが怪しいよな)そんなこんなを埋めちゃった山だから彼の山は「剣山」と呼ばれるようになったそうな。それでそんなお宝を持っていた人物はきっと卑弥呼に違いないってなわけで出てきたのが『徳島県邪馬台国伝説』てなわけだ。その話を初めて聞いた時にゃ、、タケダの頬に一筋の涙が流れたもんさ。


さぁ、出発なのだぁ!


見ノ越駅からのリフト


西島駅からの展望

道路標識に導かれやって来ました登山口。到着したのが午前8時半頃。無料の駐車場に車を止めて登山装備に変身する。リフトは9時かららしくまだ動いていないが辺りには登山の諸先輩方が準備をしていた。彼らの装備を拝見して今後の参考にしようと考えていたのだがそれほど気合いの入った感じではなかった。なぁ〜んだぁ、結構気楽なんじゃん。
とりあえずリフトが動き出すまで案内の地図でルートを検討してみる。もちろん頂上を目指すつもりで来てはいるのだがそこへ向かうルート取りにはバリエーションが豊富なようだ。
 何組かのハイカーはリフトを乗らずして山道へ向かって行く。どうやらリフトを使わないルートも有るようだ。どうしようかと考えたが初めての山登りなので力まずリフトを使うことにする。そうこうするうちにリフト乗り場のシャッターが開く。「登山用リフト片道¥1.000-也。、、、帰りは徒歩にしよう。 この時点での標高1420メートル。

朝の陽射しと肌寒い空気の中、リフトはふんわりふんわりと15分間僕らを揺らしながら西島駅へと運ぶ。 標高1750メートルのここからは泣いても笑っても自分の足で歩かなくてはイケナイ。目前にそびえるのはまさに剣山の山頂。振り返ると延々と連なる四国山脈。「デカイ・・・」眼前に広がる景色に思わず見入ってしまう。



緑が深い夏の山道


メロディアンミニみたい、、

西島駅から頂上までのルートは概ねふたつ。ストレートに遊歩道を歩いていくか、もう一つは大剣神社経由で頂上へ向かうコース。他には頂上から一度谷へ降りて隣の頂きの次郎笈へ向かったり、反対側の尾根には修行のための行場があったりする。どうも一度の登頂で剣山のすべてを知ることは無理のようだ。将来に幾度かまた訪れるのではないかという予感が胸に湧いてくる。
一路、タケダは大剣神社を目指して深い山の中へ歩みを進める。
ここまで来ると気温は随分と低くなる。今の時間、平地での気温が25℃くらいだから1700メートル上昇すると気温は17℃下がることになる。実際には14℃くらいだろう。残念なことに今日は温度計を持って来ていなかった。山裾が広がる景色を見ながら尾根づたいの道を歩いていると遠くで風が熊笹の群生を通 り抜けてくる乾いた音がする。風が来るっ、と感じたその瞬間裾からなだれてくる風の一団に体を包まれる。冷えた、そして乾いた風が通 り抜けていく。
登山を始めるにいたって、靴だけは良いものを揃えようと考えた。mont-bell製の登山靴がなかなか良い仕事をしてくれる。すぐれた足首のホールド感はガレた地面 でも足首を捻ることがなく、極めて厚い靴底は厚手の登山用靴下と相まって地面 からの衝撃を足に伝えないでいてくれる。靴を履いているという感覚よりも何か乗り物に乗っているように思える。付け加えてストックの活躍のおかげで初めての山道も随分と助けてくれた。


大剣神社へ到着。非常に粗末な作りの社ではあるが社務の人がいてお守りとかの神社グッズを販売していた。社の正面 の柱には「天地一切の悪縁を断」「今生最高の良縁を結」と書かれてある。なんとも頼もしい感じがするではないか。社のすぐ側には長年の雨風が削りだしたナチュラルなモニュメントがそびえている。これが本尊なのかもしれない。

大剣神社

この奇岩が本尊か?
大剣神社を出ると後はいよいよ頂上を目指すのみ。人がひとりやっと通 れるような登山道を自分のペースで登っていく。道幅が狭いので上から降りてくる人とすれ違う時は道の脇に寄ってお互いに道を譲りあう。自分よりもペースの早い人が登ってきても同じである。そして誰もがすれ違う度、追い越す度に「こんにちは〜」と声を掛け合う。これが山のルールなのだろうか。
ナル入りながら休憩をしている岩はよく見ると亀の頭の形をしていて“亀岩”と呼ばれているそうだ。そんなことも知らずに亀の頭の部分に腰を掛けて休んでいると後から登ってきた人が次々に記念写 真を撮っていく。これは失敬とやっと亀の頭から退く。



剱山本宮宝藏石神社

この丘を越えるとそこが・・・

またまたメロディアンミニ

なにやら頂上付近に建物が2つ。ひとつは剣山頂上フュッテ、そして別館雲海荘。これらは頂上付近で食事をしたり宿泊をするための施設なのだが、一体どうやって常々の物資を運んでいるのだろう。間違いなくここまで車は上って来れない。そう、道がない。やはり人がその足で運んで来るのだろう。シェルパーさんみたいなのがいるのかな。建築物資を運搬する時はどうしたのだろう?なんて考えるのは仕事がらか。
この辺からはもう足元位の高さしかない草だけになってしまう。中央の緑の絨毯のように見えるのは熊笹。その中を縫って設けられた木製の遊歩道を登って行ったところがお待ちかねの頂上だ。この遊歩道、人間が歩きやすいように設置されたものではなく、絶滅しそうになった頂上付近の熊笹の群生地を保護するためなのだそうだ。訪れやすくしてしまった場所の環境は、残念ながら簡単に破壊されてしまう。希有な自然環境を保護しようと思うなら、人を寄せ付けないのが最もよい方法なのだ。沖縄に残る大自然環境“山原(ヤンバル)”も長く米軍の統治下にあり日本人が観光資源化出来ずにいたために、いままでその姿を残してこれた。




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