2004 jiro-kyu page-2
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![]() 頂上ヒュッテ「雲海荘」 |
![]() 平家の馬場 |
次第に日が昇り、気温が上がって来るに連れて体調も回復してきた(ような気がする)のでサクサクと登っていきます。そうこうするうちに山の上の方に青い建物が見えてきました。ヒュッテ(つまり宿泊のための山小屋)の「雲海荘」です。一度ヒュッテに泊まって頂上から夜明けを見てみたいものです。山裾は雲海に沈み、冷え切った空気の中に登ってくる朝日はきっとステキでしょう。 |
頂上附近には熊笹の生い茂ったなだらかな平地が開けている。これを「平家の馬場」と呼ぶのだが、その昔、祖谷へ逃れてきた平家たちが馬術の練習をした、、かもしれないような景色なのできっとそんな名前が付いたのでしょう。通 り過ぎる風が熊笹をならしていきます。カサカサカサ・・・・他に人工の音が何もしません。文明が少しだけ遠く感じます。 |
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今日の本来の目的地は次郎笈なのですが、いったん剣山の山頂へ登ります。この山頂から尾根づたいに次郎笈の山頂へ渡るルートが一般
的のようです。到着したのが丁度お昼時なのでお腹が減ってきました。次郎笈へ出発する前にお昼ご飯にしましょう。家からおにぎりをたくさん作って持ってきました。頂上から遠く広がる山麓を眺めながらのおにぎりは格別
。何故という理由はないのだが、山登りにおにぎりはマッチしているように思う。 頂上の三角点を囲った石垣の中に小石を投げながら願掛けをしている人たちを見たことがある。古来からの風習なのかどうかは分からないが、霊峰の頂上での願掛けなのだからきっと霊験があるように思えてくる。だとしたらダメもとでやっておかないと損だな。ではタケダもひとつ「トライアルバイクが欲しい!トライアルバイクが欲しい!トライアルバイクが欲しい!」・・・・サンタクロースではないのだから物をねだってもダメでしょう。まして流れ星ではあるまいし3回唱えても効果 はないと思われる。とかく物欲の激しいタケダであった。 |
さてと、お腹も膨れたことだし本命の次郎笈にまいりましょう。写真は剣山山頂から次郎笈を眺めたもの。頂上どおしをつなげる尾根の頂点にそって移動する。熊笹の覆い茂った山肌があたかもゴルフ場のグリーンのように見えて緩やかな山道であるように見えるが、それはあくまでもマクロでの視界のこと。実際にはかなり急な勾配のヶ所がいくつかあって難易度も少々アップする。 |
![]() 登頂記念jump! |
![]() 次郎笈から臨む剣山山頂 |
丁度片道1時間ほどで剱山系第二の標高を誇る次郎笈の頂上へ到着。標高1,929メートル。とりあえず感無量
を表現してジャンプで記念撮影。これは最近気に入っている。本人は欽ちゃん跳びのつもりなのだが、イマイチ。
ここでひとつ疑問が生じる。2番目に高い山が次郎笈、、、では太郎笈(もしくは一郎笈)は無いの?と思うのは当然のこと。人間でも長男にいきなり次郎という名前は付けないでしょう。タケダも前回の登頂時に次郎笈の存在を知り同じ事を考えました。しかしながら地図で見ても太郎笈という山は附近には見あたりません。、、、では何故太郎笈は存在しないのでしょうか。 実は太郎笈という山は存在していたのです。現在私たちが剣山と呼んでいる山こそが、かつては太郎笈と呼ばれていた山なのでした。その昔、、、、え〜っと平安時代の末期。帝に使える平家と源氏の間で争いが起こりました。有名な源平合戦ですね。四国に生まれ育った者なら非常に馴染みのある歴史のドラマです。この源平合戦はクライマックスで壇ノ浦での海戦で源氏が平家を破ります。そして瀬戸内海沿いに平家は香川県の屋島まで逃げ延びてくるのですが、ここで歴史上のヒーローとして名高い源義経が屋島で奇襲をかけて平家に追い打ちをかけます。弓の名手、那須与一が揺れる船から他の船に掲げた扇を見事射抜いたというエピソードはこの辺の話です。この時、義経が仲間の軍勢を上陸させたのが小松島市にある私たちが普段よく見かける旗山(かつては旗島とよばれていた)なのですがこれは余談ですのでまた次の機会にお話ししましょう。 さて、屋島での海戦のクライマックスです。源氏に追いつめられ、幼帝安徳天皇は敵の辱めにあうまじと乳母に抱かれて帝であることを証明する三種の神器(勾玉 &宝剣&鏡)とともに瀬戸の海に身を投じます。これによって長きに渡る戦いは幕を閉じ、権力は平家から源氏へと移り時代は平安から鎌倉へと流れていくのです。 |
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・・・っというところまでが表の歴史の話。実はこのあとに珍説ともいえる尾ひれがついている。しかしながらこれは仮説と想像の物語に過ぎないのであまり本気にしないように。 |
もちろん安徳帝も身分を隠さなくてはなりません。いつの日か復権し自らが帝であることを証明するために身にしていた宝剣(そう、源氏の捜索にも見つからなかった三種の神器のひとつです)も深い山奥へ埋めて隠したのです。その山こそが太郎笈であり、以降安徳帝が宝剣を埋めたと伝わったために今では剣山と呼ばれるようになったのです。 真偽のほどは確かではありませんが、その宝剣は写真の岩の下に埋められたとされています。気が向けばどうぞ掘ってみて下さい。歴史に名を残す大発見のチャンスです。 |
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この岩の足元に伏流水のわき出る泉があります。汚れのない透き通った湧き水は、冷たく凛と冷えて雪解けの味がするのです。遠い歴史の向こう側で起こったことの真偽は今ではもう突きとめることは出来ません。安徳帝はあの時、屋島で本当に命を落としたのかもしれませんし、実はこの地で平家復興を夢みたまま生涯を過ごしたのかもしれません。そんな様々な物語をこの山は見てきたのでしょう。そして様々な思いをその懐へ仕舞い込み、、、冷たく透き通 るほど透明になるまで濾過し続けているのかもしれません。 |
お し ま い