[scudelia:cinema]  magical mystery tour

 

2004  funk fuji-yama

page-2

■pm09:00、登り初めて3時間。ようやく仮眠地点の八合目の東洋館へ到着する。この時点での標高すでに3250m。気温はもう一桁台。デニムシャツだけでは凍えてしまうのでレインコートをウインドブレーカー代わりに着込む。登山用のレインコートはまだ持っていないのでこれはバイク用のレインコート。悲しいかなバイク用なのでフードがない。レインコートは登山には必須アイテムなんだよなぁ、、。しかし高すぎるしなぁ、、、。
実はもう一枚、防寒用にフリースを用意しているのだがこれは頂上までおあずけだ。今着てしまったら頂上で氷点下に下がった時にはもう体温調整をするものがなくなってしまう。もうすこし我慢だ。
さてさてここでまず明日の朝、頂上で食べる朝食のお弁当を受け取る。お弁当といってもご飯にふりかけが乗っかって漬物が添えてあるだけの質素なものだ。しかしこれが山らしくて良い。

■山小屋に泊まるのは初めて。まぁ、こんなところに宿泊することはあまりないだろう。山小屋とは呼ぶが一応21世紀なのでそれなりの宿泊施設があったりするかもしれないと思っていたが、これがもう絵に描いたよな山小屋。角材の柱と梁に適当に外壁と屋根を張り合わせただけの安易な建物だ。
座敷でみんなで雑魚寝かと思いきや、一応別室に仮眠室が設けられている。10帖くらいの部屋の左右に二段ベットのような状態で上下に床が設置されていて、そこに足と頭と交互に人間が並べられて眠る。自分の顔の両側に誰かの足があるわけだ。掛け布団はなんと4人で1枚。寝返りすらうつことが出来ない。幸い僕らは人数割れの隅っこに当たったので2人で1枚 の布団が割り当たった。こんな粗悪な環境ではあるが、これが登山に来ているという雰囲気を演出してくれて何だか楽しい。こんなところにまで文明がいたれりつくせりでは興ざめてしまうというもの。山には山の趣があって実によろしい。
それではしばしの仮眠をとるとしよう。おやすみなさい。


山小屋にて


■タコ部屋のような寝床に横になり目をつむるが、次々と後から寝床へ入ってくる人や、寝床を離れる人の気配が止まない。そうした環境の中、うとうととしたまま眠ってしまったのか、それとも寝付けないままだったのか。そんなことも分からないまどろみの中、起床が告げられる。予定ではpm11:00起床のはずだったが、時計を見ると11:30。すこしサービスをしてくれたのかもしれない。
山小屋の外はまだ暗闇。さてと、また重い荷物を担いで登るとするか。
改めて頂上へ向けて歩き出すのだが、少しばかりの仮眠では眠気を呼び込んだだけだったかもしれない。疲労に加えて睡魔がおそってくる。
まぶたが重い、、思考が定まらない、、足が上がらない、、心臓を打つ鼓動が痛い、、頭が、、痛い、、、。 頭が痛いといってもこれは高山病ではなさそうだ。もともと頭痛癖がある。きっと過労と寝不足からの頭痛なのだろう。手持ちの頭痛薬でカバーしながら進む。

■高山病というのは、ご存知の通り空気中の酸素濃度が薄くなる高山で脳に供給する酸素が欠如して起こる症状のこと。一般 的には頭痛と吐き気に見まわれるという。平地での空気中の酸素濃度は16%程度ほどで、普段人間は肺に入れた酸素の内の10%ほどしか消費しない。残りは排出している。富士山の頂上の酸素濃度は平地の60%ほどなので、健常者であれば充分な酸素濃度は存在する。健康な人ならほとんどがこの高山病にかかることはないという。
高山病の発生は、もともとの体質よりもその日のコンデションによるところが大きいそうだ。
街のアウトドアショップや富士山の山小屋にはよく高山病対策用の酸素吸入スプレーが売られている。ガイドの人によると、山で高山病にかかり頭痛が発生して、このスプレーを必要にするようなら登頂は諦めるほうがよいのだそうだ。酸素吸入で一時的には頭痛は収まるが、それ以上登山を続けるならずっと酸素吸入をし続けなければならない。今いる標高よりも低いところへ降りるしか根本的な解消にはならない。

■やっと9合目を越えたあたり。頂上へ向かう人の列が渋滞になっている。ガイドの機転で別 のルートに切り替えて進むことにする。しばらくして、同じツアー参加者の老人男性が高山病にかかったようだ。時折、登山道のすみに這いつくばり嘔吐している。何と見窄らしい姿か、年寄りが自分の体力もわきまえずに興味本位 で富士山なんかに登ろうとするからだ、と老人を横目に追い抜いていく。実をいうと、こちらもそろそろ限界かなと思い始めていた。
頂上までほんのあと少しという9合5勺。とうとう自分の中で我慢が途切れた。目的の頂上はもうそこに見えているがもう諦めがついてしまった。「僕はここで待つ。下山の時に合流する。リタイヤをガイドに伝えてくれ」家内にそう頼む。
ところがガイドいわく「リタイヤといっても休憩をとる山小屋で一番近いのが頂上なんですけど。それに帰りはこの道は通 りませんし、、、」
「進むか退くか、それを決めるのはお前ではない」そう山がそう言っているように聞こえた。そうか、お前は頂上まで来いというのか。・・・やはり高山病なのかもしれない。

 


am 05:07

am 05:08

am 05:09


am 05:11

■目の焦点も定まらないままひたすら歩みを進める。片足ずつ、半歩ずつ、鉛のように重くなった足をただただ前へと運び続ける。
am 04:30頃、頂上の一段下がったところで御来光待ちの座り込み集団が発生している。とりあえずここに陣取ってわれわれも御来光を拝むとしよう。
気温はすでに0℃。汗が体中を冷やして寒い。背中のザックからフリースジャケットを取り出してレインコートの中に着込む。
ガレた登山道の片隅に足を投げ出し座りこむ。目を閉じ、うなだれ、体中の力を抜き、思考を停止する。脱力感と同意の達成感。意識が静かに闇に沈んでいく。

■am 05:00頃、空の果てが白んでくる。そうか、あちらが東か。
いまだ地平線の底の太陽が徐々に東のそらを橙に焦がしていく。雲海はまだ漆黒を保っている。徐々にゆっくりと朝日が雲海の底から顔を覗かせる。朝日を映して輝く雲は太陽の翼のようだ。まるで死せる不死鳥が復活する様を見守るかの光景。
地球最後の日もきっとこうして美しく太陽は昇るのだろう。




火星か?ここは

噴火口と測候所

■さてと、無事、御来光も見ることが出来たことだし、頂上の山小屋で一休みしようか。
富士の頂上といえば、もちろんすり鉢状の噴火口がある。この噴火口を臨む景色は凄まじい。巨大なクレーターが口を開けているようだ。この火口の内部は断崖になっているので残念ながら降りていくことは出来ない。

■富士山の登場する古い文献では、万葉集のころから噴火口からはうっすらと噴煙が立ち上っている様が記されている。そのころまでは噴火口はまだ煙を上げていたことが窺える。
かの竹取物語では、物語の終盤にかぐや姫が月へ去る際に残した不死の薬を帝が富士の頂上で燃やす場面 が登場する。竹取物語が書かれた当時の富士もきっと白い噴煙を上げていたことから物語に取り入れられたのであろう。実はほんの十数年前までは噴火口の底で僅かながら水蒸気を噴き出しているのを観測できたらしい。
江戸時代には2回ほど富士が噴火していることは周知のこと。この時吹き上げた赤い粉塵は広く関東平野に降り積もり関東ローム層を形成するほどだった。その時の赤い粉塵の様子を山肌の所々でうかがうことが出来る。まるで火星に来たかのように思わせる赤褐色の溶岩に覆われた部分を何カ所か見た。僕らが小学生の頃、富士山は休火山であると教えられたものだが、今では活火山という認識になっているらしい。

■全周約3kmの火口をぐるりと一周する事をお鉢巡りと呼ぶ。せっかくなのだから廻って見たかったのだがツアーの行程が駆け足なもので予定には入っていなかった。山小屋で大休止の後、すぐに下山の予定である。
火口向かいの高台に見えるのが富士気象観測所なのだが、そここそがこの山のピークである3775,63m地点なのだ。ピークハントにこだわってはいないのだが、やはり惜しい気がする。



■頂上での集合場所は東京屋という山小屋。下には江戸屋という山小屋もある。いなせだねぇ。
のんびりと火口を眺めていたものだから集合場所に最後に到着した。ゆっくりと腰をおろして8合目で受け取った朝食のお弁当を取る。ゴマのかかったご飯に漬物が添えられて、竹の皮に包まれている。背中のザックに入れてあったとはいえ、氷点下の気温でご飯は冷たく冷え切っていた。真冬にかき氷を食べるような心境でお弁当を食べるのだが、これはこれでなかなかオツである。食後に暖めた牛乳を頼んで飲む。ちなみに400円也。紙コップからチビチビ熱い牛乳をすするのがこの上なく心地よい。久しぶりに暖かい物を口にする。
出かける前にストーブとコッフェルを持ってきて頂上でコーヒーを煎れようと考えていたのだが、思いのほかザックの中身がいっぱいになったのでやめておいた。気圧が低いので低い温度でお湯が沸騰するのを体験してみたかった。ひょっとしたらヘソで茶が沸かせたかもしれない。

■頂上のお土産を買っているところへ、早くも集合のお呼びがかかる。
登った限りは降りなくてはいけない。登ってきた道のりを考えるとちょっと気が遠くなる。下山は約3時間ということで、出発した場所まで自由下山となる。登りの時のように遅れをとるまいと先頭をきって下山を始める僕らであった。やはり登るよりも降りるほうがよっぽど楽だよ〜〜。、、、、と言いたかったのだが、そうは問屋が卸してはくれなかった。下山道は燕沢というルートをとる。延々とゆるやかな道が葛折りに続くのだが、これも結構つらい。疲労しきった体に追い打ちをかけるような感じ。その上、下っても下ってもまだまだ先に道が続いているのが見える。終わりが見えないので精神的にも疲労が積み重なっていく。

■ 以前から耳にしていたことだが、富士山は心ない登山客が捨てていくゴミがあちらこちらに目に付くという。日本のシンボル的な山なので、登山を趣味とする人達以外の観光客も多く訪れるためだろう。以前は年間数百トンものゴミの処理に困っていたそうだ。ところが、明るくなって富士山の様子がよく見えるようになったが、それほどゴミが捨てられてあるのを目にすることはなかった。おそらく看板などでの呼びかけや、アルピニストの野口健やレーシングドライバーの片山右京らに知られるような富士清掃登山のボランティア活動が実を結んだのかもしれない。

■休憩を入れながら歩くので、どんどんツアーメンバーに追い抜かされていく。みんなどこにそんな元気があるんだ?そうこうするうちに最後尾を歩いているはずの添乗員さんにも追い抜かれてしまった。僕らが最後尾になるのかと聞くと、彼女も追い越しながら降りているのでそうでもないらしい。自分的にはきっと半分くらいの位 置にいるのだろうと認識していた。結局バスに戻るとみんなすでに下山し終えていた。あらら。

■全員集合後、下の街の温泉で汗と埃を洗い流し、河口湖のほとりで昼食をとり帰路につく。帰りのバスはみんなぐったりとして静かだった。
こうして僕らの2年越しの富士山登頂計画はその幕を下ろした。大変だとは思っていたが本当に大変な登山だった。まだまだ登山家としては駆け出しであることを知ったし、自分の弱い面 とも向かい合った。それでも何故山に登るのかと問われると、、、さぁねぇ〜、、、と答えておくことにしましょう。
途中、大阪で宿を取ったJR岸辺駅のホームにこの時期恒例の「青春18きっぷの旅」のポスターが貼られてあった。毎度のことだが気の利いたコピーが書かれている。


『この旅が終わると、新しい私が始まる・・・』

 

お し ま い

 


back to before page

back to "sennentabito-august"

magical mystery tour index

[scudelia:cinema] top page