[scudelia:cinema]  magical mystery tour

 

2004  funk fuji-yama

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霊峰富士
永く日本人はこの山を崇拝し同時に畏怖してきた
たおやかに裾を降ろすその姿は眼下に広がる総てを睥睨するかのよう

 



吉田口五合目の風景
■ある時登山を始めようと思った。それは今から2年ほど前のこと。
突然に家内が富士山に登ってみたいと言いだしたことがきっかけだった。この国で一番高いところに登ってみたいのだという。
オートバイでもなければあまり遠くへ行くことは好きではない性分だった。ましてや登山のような重労働などもってのほかという怠惰な人間の部類に僕は入る。そんな僕が「よし!行ってみよう!」なんて思ってしまうのだから不思議なものだ。
今にして思えば、その頃から富士が僕らを呼んでいたのかもしれないと、そう思う。
今の自分には出来ないかもしれないことに挑んでみる。そうこれは自分たちへのトライアルだった。それが安易なことであれば、こんなに心は逸らなかっただろう。

■もちろん登山の経験なんてあるはずもなかったし、普段から体力を鍛えているわけでもなかった。しかも体はすでに老化を始めている。そんな人間が突然日本一標高の高い山へ登るのも無謀と思われた。
いきなり富士山に登るのではなく少し練習をしてからにしよう、とまずはデモンストレーションのつもりで市内の眉山へ登った。そしてつぎに剣山へ登る。これでも西日本第二の標高で1955m。同じ年の秋に西日本一の標高の石鎚山へ挑んでみたが悪天候にみまわれてあえなく断念。同じ年に2回目のトライをかけるが同じく悪天候。残念ながらこのトライは次の年へ持ち越すことにする。途中、余興がてら日本一低い山なんてのも登ってみた。徳島県の方上町には国土地理院が認定する日本一低い天然の山、弁天山(6.1m)があるのだ。登頂時間、わずか数秒。ついで今年に入って大阪に出かける用事ができたので天保山(日本一低い人工山、4.5m)にも登ってみる。そして先だっては剣山から次郎笈へのトラバースに成功。
さぁ、いよいよ国内最高峰の富士山へ挑む夏がやって来た。

 

■今回の富士登山は始めてということもあって旅行会社のツアーを利用することにした。徳島から富士山までの交通 機関や山小屋の手配もそうだが、多数ある富士山頂へのルートをガイドしてもらうのが一番の目的となる。
近頃では関西圏へ向かう高速バスの便が増えたとはいえ、大阪出発am07:20という早朝に大阪に着くバスはなかった。仕方なく大阪の吹田市岸辺に宿を取り一泊することにする。
良い機会なので、以前から行ってみたいと思っていた梅田のスカイタワービルの屋上にある空中庭園に行ってみた。大阪に来るたびに行こうと思ってはいたのだが、その度に予定が合わずに延び延びになっていた。館内に貼られた国内のタワーを紹介するポスターを見ると、いつの間にかほとんどのタワーに登っていることに気が付く。別 段、高いところが好きというわけでははないのだが、すでにいっぱしのタワーマニアかもしれない。

大阪スカイタワービル

ついでに梅田駅にある大型アウトドアショップモールのGAREを覗いて地方ではなかなかお目にかかれないメーカーのショップを散策。ゴーグルと帽子の良いのがあれば買おうかと思ったがイマイチ気に入る物がなかった。今回は目の保養だけ。

■さて、明けて翌日。日付は8月13日。なんとか時間ぎりぎりでヨドバシカメラ北側のバスターミナルへ到着。予約したJTBは大型バス2台が乗り付けていた。僕らは2号車の組。
いったんバスに乗ってしまえば後は富士登山口まで乗り換えもなく連れていってくれるので寝ていれば良いだけ。目前に控えた登山のために体力温存である。途中で何度かは高速のサービスエリアでトイレ休憩を挟むが、寝ているとも起きているともつかないうつろな状態で約10時間もバスに揺られる。


吉田登山口五合目2305m

■トンネルを抜けるとそこは雪国だった、、、は川端康成。
富士スバルラインを抜けるとそこはもう富士山の五合目だった。ここで標高はすでに2305mにもなる。この登山口へアクセスする有料道路「スバルライン」は富士山の登山シーズンは一般 車両の乗り入れを規制しているので公共の交通機関かわれわれのようなツアーバスしか見かけない。おかげで混雑もせずここまで来れたわけだ。自家用車で来なくて良かった。
しかしバスで急激に2000m越えをするのだからこれだけで高山病になる人もいるだろう。ちょっと問題ありである。外の気温は空調のきいたバスの中よりも低い。
いまさらの告白になるが、僕は体力的に富士山を登り切る自信はなかった。もうここに来られただけである意味達成感を得てしまっている。あぁ、出来ることならこれで帰りたい、、、。


入山口の看板

さて出発!
■帰りたいといっても帰らせてもらえるわけもないのでいざ出発しましょう。
慌ただしいことに、バスが着いたかと思うと間髪を入れずロッジ風の建物で着替をすませ少し早めの夕食を取って、さぁ出発!と息を付くひまもなく追い立てられる。僕らの乗ってきたバスの46人がひと組のパーティーで登っていく。

■おどろくことにこのツアーの参加者の半分近くが若い女性だけのグループだったこと。おねぇちゃんたち山をあまくみたらいかんぜよ(何故か土佐弁)っと思ったらこれがなかなか。たいしたものでサクサクと登っていくもんだ。結構登りなれている感じがする。 後のメンバーはシルバーの夫婦連れが三組、小中学生の子どもを連れた家族連れひと組。若い男性の四人組、若いカップルひと組、そして僕らを含む中年夫婦連れが三組ほど。
彼らがどれほど山歩きになれているかは持っている装備を見ればだいたい分かる。さすがにスニーカーで登ろうとしている人間は少ない(少ないとはいえ実際にいるのでおどろく)。大抵の人は使い込んでるゾって感じのザックからある程度の経験を見て取れる。
僕の背中に背負ったザックは10キロを越えている。4割がたは飲料水の重量 なので帰り道には減っていることになるが、10キロというのは結構なものだ。なんせ1トンの100分の1なのだから。こんな物を背負ったまま山を登るなんてぞっとする。ちなみにそんなに大きなザックの中身を披露しますと、まず防寒着のフリースジャケット。次にレインコート、これも防寒用の衣類。そしてカロリーメイトなどの食料にペットボトルに入った飲料水。その他カメラなど諸々。
これだけで25リットルのザックはいっぱいになる。
登る山の高さに比例して荷物の大きさも大きくなってくる。しかし登りやすさは反比例する。

■ 一般的に富士登山は7月1日の山開きから8月26日の閉山までとされている。下界の気温がまだ夏の気候であったとしても9月に入ると頂上はもう氷点下まで冷える。そのうえ強風にあおられて石が飛んでくるというし、山小屋も閉まってしまう。9月も後半になると初雪が観測されるそうだ。富士登山は季節が非常に限られる。

 


下界の景色を雲が覆う
■pm6:00 入山。すでに立秋を迎えて日の入りも早い。薄い雲が下界の町を覆い始め、その雲海の中へ太陽が沈もうとしている。剣山のような連峰であれば奥深い山へ入っていくために山の上からでも人里は見えないものだ。富士は独立峰なので附近の街並みや五湖の姿もよく見える。この独立峰であるということは、富士を美しく見せている要因でもある。
白から漆黒へのグラデーションを奏でる雲、蒼から藍へ移る空のグラデーション。その境界を太陽が薄くオレンジに染める。しだいに薄紅は闇に汚され、じきに闇が訪れた。荘厳な景色を横目に見つつ背中へ目を向けると岩肌をむき出しにした富士の陰が闇の中に不気味に浮かんでいた。その威圧感のある姿には少しばかり恐怖を感じる。
頂上付近にぽつぽつと電気の明かりが見える。あそこまで行くと頂上なのかと思いきや、ガイドの話によるとそこはまだ八合目附近でそれをさらに越えたところに頂上はあるという。


ガイドの菊池くん

闇夜に浮かぶ八合目

もうダメのジェスチャー

■パーティーの先頭を行くのは強力の菊池くん。今回の先導役だ。年令にして30歳前後だろうか。さすがに登りなれたもので短パンに半袖のシャツという軽装に大きなザックを担いでどんどんと登っていく。いくら登っても疲れるそぶりもない。よほど山が好きでなければこんな仕事はできないだろう。こうして彼は何度この山を登り降りしたのだろうか。彼によると猛暑に沸く下界とは反対に今年の山の温度は低い(寒い)のだという。こんなところにも異常気象の影響があるのだろうか。
強力というのはかつて高山に物資を運ぶブルドーザーなんかがなかった時代に自分の背中に大量 の荷物を背負って運搬した人のこと。今風にいうとシェルパーさんと言ったところか。そうしたニュアンス的な見方をするとかれはやはりガイドさんということになる。彼に続いて体力的に自信のない者が先頭を歩き、余裕のある者が列の後ろを歩く。そして最後尾に添乗員の和藤さんがはぐれる客がいないか確認しながら登ってくる。この添乗員さん、若い女性の方ではあるが今回で富士登頂は40数回目の大ベテランだという。登山専門の添乗員かと思ったら、ほかのシーズンは普通 のツアーの添乗員をするんだそうだ。
体力に自信のない僕らはキッチリと列の先頭を歩くのだが、休憩地点に着く頃にはみんなに追い越されていつのまにか最後尾を歩いているのだ。どうも情けないような感じがする。集団のペースが自分のペースよりも早いので付いていこうとすると体への負担も大きくなる。結構つらい、、。

■いつの間にかとっぷりと日が沈んでしまった。富士の頂上を見上げると所々に電気の明かりが見える。山小屋だ。富士には全体に約65件ほどの山小屋があり、それぞれが100人くらいは収容できるキャパを持っている。急な天候悪化の事態にもだいたいの登山客は収容できるようになっている。山小屋と山小屋の間隔がだいたい数百メートルごとに並んでいるので山小屋ごとに休憩を取る。ほとんどの山小屋が八合目から上に軒を連ねる。六合目から八合目までは灯りも何もなく非常に孤独な登山道だ。途中には厳しい岩地も待っている。自分の持つ懐中電灯だけが足元を確保するたよりになる。こういう時にこそヘッドライトが便利だ。以前からキャンプ場で夕食の支度をしたりするのにヘッドライトがあるとべんりだなぁ〜と思っていた。今度買い揃えよう。本日は七合目附近で自慢のミニマグライトの電池切れ。電池のスペアも無し。暗闇を歩くとするか、、、。

■富士は見る山であって、登る山ではないと経験者は言う。視界に広がるのはず〜〜〜〜っと先まで同じ様なガレ地と岩場ばかりが続く。富士は本当に高山植物に恵まれていない。もともと高山植物というのは北方に生息していた植物が氷河期に気温の下がった日本にも生息域を伸ばしてきて、氷河期が終わり気温の低いままの高地に取り残されたものだ。日本アルプスなどは本の写 真で見ると夏の季節には様々な高山植物が咲き乱れている。富士は比較的年令の若い山で氷河期よりもずっと後に出来た山なのでこうした低温性の植物が生息しない。
代わりに僕らの目を楽しませてくれたのが超極上の星空だった。七合目くらいでタケダはすでにダウン状態だったのだが、少しの休憩時間に満天の夜空を見上げる度に疲れ切った体が癒された。いわずとしれたことだが標高が高いため空気がキレイで見える星の数がまったく違う。天の川がくっきりと夜空を横断している。北斗七星とカシオペアで北極星の位 置を探る。ほかの1等星が明るく見えすぎて北極星が小さく感じる。白鳥座が真上を通 過していくのを見上げていると、東の空からオリオン座が登ってきた。今日のオリオンは格別 だ。7星以外の小さな星もたくさん見える。時折流れる流星にあちらこちらから歓声が上がる。なんともダイナミックで神秘的なのだろう。まるで星がまたたく音まで聞こえてきそうだ。この星の数をどう言えば分かってもらえるだろう。そう、それは、まるで銀河を見ているかのようなのだよ。

 


七合目山小屋トモエ館へ到着

なんでも高額な売店

■鉛のように重くなってしまった両の足を引きずりながらなんとか七合目まで到着。真冬なみの気温ではあるが登山中は汗をかくほど体は暖かい。逆にこうして止まってしまうと冷たい高所の空気が背中の汗を一気に冷やして風邪をひいてしまいそうだ。
山小屋が近づくにつれてエンジン発電器の音が聞こえるようになってくる。さすが文明国家日本でもこんなところまでは電気は供給されていない。各小屋とも自前で発電している。
ここの山小屋は七合目トモエ館。八合目にもトモエ館はあるのだ。仮眠を取る予定の東洋館は八合目にある。もう歩けそうもないほどへばっていた。それでも少しでも休憩を取るとまたほんの少しだけ歩けるようになる。
登山中のトイレは山小屋ですることになるのだが、これがどこに行っても有料。有料といっても100円程度をチップとして据え付けてある箱に入れて行くだけ。水のない富士ではトイレの汚物の処理は大変なものだ。一時は公害問題になりかけたこともあるらしい。それを処理するための予算を捻出するにはやはり有料化するのが良かろう。設備は案外キレイにしてあるのだが、掘っ建て小屋のトイレなので脱臭の機能が備わっていない。ゆえに匂いが猛烈に酷い。鼻で息が出来ない。匂いが目に滲みる。口で息をすると味がしそうだ。結局、息を止めておくしかない。それでもこんなところにトイレを設置してくれることは有り難い事なのだが、悲しいことに利用者のほとんどがチップ入れにお金を入れていかない。なんていう国なんだここは。

■山小屋には仮眠するための部屋と売店が備わっている。面白いのがそこで売っている品物の値段なのだが。まずこんなところでまともな値段で売っていないことは誰でも分かっているだろう。けれどまさかこれほどまでとは、、、。ちなみに1本120円程度のジュースは400円。80円くらいで売ってそうなあんパンも400円。ラーメンはなんと1杯1200円もする。思わず笑わずにはいられない。いやいや笑っては失礼にあたる。すでに3000mを越えている場所まで物資を運んで来ているのだから足元を見ているとは一概にはいえないのであった。僕のように数リットルもの飲料水を担いで登るのは大変なので上で調達できるに越したことはない。そんなときに水が1本400円でも有り難いとさえ思う。

 

つ づ く