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大川町と寒川町の町境にある吉金地区の三次山の東麓に、大規模な窯跡がある。この窯跡は、地名から吉金窯跡と呼ばれ、多くの陶工達によって大量の焼き物が作られたため、付近一帯に膨大な量の陶片や窯道具が埋まっている。
昭和43年に、陶器と磁器の二基の窯のうち、陶器窯だけの発掘調査が行われた。陶器窯は、焚き口を東に向け、傾斜を利用した実に大規模な登り窯であることがわかった。
その規模は、全長40メートル、高低差9メートルの八段の登り窯であった。八房からなる焼成室は、最下段が1.6メートル×3メートル、最上段5メートル×5メートルと上段になるつにつれて大きくなり、天井の厚さは、14センチメートルと厚く造られていた。
この窯の特徴は規模の大きいことのほか、南京染め付けと呼ばれる磁器が焼成されていることである。つまり、ここでの磁器は瀬戸よりも古いことが注目される。焼成されたものは、徳利、鉢、水瓶、ゆきひら、茶碗、土瓶、洒杯など生活必需品のすべてにわたっている。焼成記録のある陶片としては、理兵衛焼きの破風高印のほか、「富田」、「富」、「寒川郡」などがあり、また、窯道具には、『〈や、「山』などの窯印がつけられており共同窯としての性格をもっている。

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