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西教寺の奥の院へ通じる通称、薬師道に安永七年(1778)津田の「板屋」で有名な安芸幸四郎の妻衣武(きむ)が寄付した丁石があり、梅が谷に因んで梅の句を刻んである。
西教寺の門前には「是より奥の院江八丁」の立石があり、丁石を建立した趣旨を記している。
西教寺の奥の院への道は安永二年(1773)に藤太夫、吟七の両名が山林を寄付し薬師堂を幅五尺に改修した。
道の中ほどには「夢の井」というのがあり、干天にも水の枯れることがなかったという。

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