大川町富田西の筒野の里には、「筒野の虎獅子」と呼ばれる虎そっくりの頭を使っての獅子舞がある。
言い伝えや古文書によると、今から約160年前、この地方で大きな屋敷を構えて酒造りの業をしていた向井家の何代目かの当主、向井孫七によって始められたといわれている。
歌舞伎好きの孫七は、当時流行っていた近松門左衛門作の浄瑠璃「国性爺合戦」の虎退治の獅子舞の勇壮さに惹かれ、さっそく、私財を投じて獅子舞用具一式を作り、自宅の酒蔵の一部を開放して、若者たちを集めて練習させたのが始まりといわれている。
獅子舞の振付や太鼓と鉦による調子は、当時酒造りのために向井家に住み込んでいた山伏あがりの茂市という職人が考案したといわれている。なかでも、和唐内に扮する武者姿の少年が、「虎は千里の藪をくぐるといえども、この和唐内が鄭成功のお守りをもって従えてみせよう。」と、荒れ狂う虎を手に持った扇子一本であやつり、ついに取り鎮めるという場面は圧巻である。
毎年旧暦の六月十五日の「笠仏さん」や十月十日の鎮守の神様である「金毘羅さん」のお祭りには、この勇壮な獅子舞が奉納され、病魔退散、魔よけ、厄払いの象徴として親しまれている。

前項 目次 次項