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海抜190メートル余りの田面の通称お大師山、虚空蔵山に西の阿条谷から一番の霊山寺、山の尾に従って東へ順次石仏が建立されており、大国木の大師堂にある八十八番大窪寺までの新八十八ヶ所が形成され、阿条谷・大国木自治会により「お大師山の火祭り」が保存されている。
20日の盆には、虚空蔵山では地区の人が朝から道つくりをし、108ヶ所に穴を掘り、地区総出で準備した肥え松をもって登り、木をつくろっておく。夜になるとデンダイで打ち鳴らす一番太鼓で人を集め読経後、それぞれテザイトウを持った八組の人が山へ登り、二番太鼓の合図で木を組んだ所へ、テザイトウを投げ込んでいく。
この夜の虚空蔵山は、このオハツカノヒの燃え盛る炎に照らされて誠に壮観である。この火が燃え尽きる頃、精霊踊りとして、シンミョウ踊りやミトルツビョウシが踊られ、芝居や相撲などの余興が行われていた。
大国木の大師堂から発見された過去帳によると石仏勧請の発意は弘化二年と記されている。当時の庄屋、多田長兵衛宅、長百姓、組頭等が集まり、霊場を移すことを企画し、礼所の各寺の砂を取り寄せ嘉永二年に開眼したとある。さらに、小豆島淵崎の石工善四郎らが、石仏一体につき銀札15匁にて彫刻を請け負ったことがわかる。

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