南川太鼓は、阿讃山脈のふもと、さぬき市大川町南川地方に、今をさる約190年の昔、江戸時代の寛政年間に端を発したものといわれている。山あいの村落のことでもあり、娯楽に恵まれない地域の人々に、この太鼓は日夜親しまれ、特に盆踊りや領主の歓迎などには地区をあげて、太鼓を持ちより盛大にたたかれていたという。
南川太鼓は、「南川小唄」、「大津絵節」、「松づくし」の歌と踊りにあわせて、数多くの締太鼓をそろって打つところに特徴がある。囃し太鼓の中では、「さくら囃」の曲が特に有名である。今でも婚礼や名付け、棟上げなどの祝いの席では太鼓が持ち寄られ、たたかれている。八幡神社の祭礼には、おみこしの先導となったこともある。
また、土地の氏神である大森神社では奉納太鼓が打ちあげられている。 その後、安政年間に、頼富家の何代目かの当主であった頼富時蔵が太鼓打ちの名人といわれ、多くの打ち方を考案して地域全般に広め、これが何代かの師匠の手を経て、現在まで伝承されたものである。

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