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西教寺から北へ約800メートル、火山に通じる険しい山道の中腹に「穴薬師」の名で知られる西教寺奥の院がある。堂外の凝灰岩の岩壁の光背をあらわす円形のくりこみをつくり、如来形の頭部と肩から上半身を彫りだしている。面長約50センチで中肉彫り、胸部は薄肉彫り、下部は岩盤そのものが剥落していて当初の状態は確認できない。
磨崖仏の起源は中国で、朝鮮を経て、わが国では奈良時代に始まり、平安時代ごろに流行的となり、鎌倉時代に衰退して小型化し、普遍的に作られたといわれている。
奥の院の堂内には、凝灰岩の岩窟があり、天井部の凝灰岩には石を切り出した鑿の痕跡が残存している。岩窟内には、薬師如来、不動明王、十二神将などが厚肉彫りで刻まれているが、像高はいずれも一メートル以内のものである。
磨崖仏より十メートルほど上部の平坦部の岩壁には、薄肉彫りの役小角の像、不動明王の像が刻まれており、山岳修験につながる聖地としての位置づけが考えられる。

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