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火山から南に派生する尾根の頂上部(標高約130メートル)に位置し、南方の平野部との比高は90メートルを測る。古墳の墳丘は盛り土ではなく、石を土の代わりに積んだ町内唯一の積石塚で、昭和五十八年に測量調査が行われた。全長39メートルを測る前方後円墳で、津田町の鵜の部山古墳と共に県内の積石塚古墳分布の東限をなしている。
前方部は基底部が比較的明瞭で、中央よりややくびれ部よりの位置からバチ形に開く形態である。後円部主軸方向に長い楕円形を呈し、径約20メートル、高さは約3メートルを測る。側面の基底部は不明瞭である。
主体部は不明であるが、墳丘上から土師器片が多数採集されている。墳形からみて前期でも古い段階に位置づけられる可能性がある。北のほうの後円部には凹地があり、盗掘が推測される。竪穴式石室と推定されるが、情報は得られていない。寒川町奥三号墳、津田町の鵜の部山古墳とともに東讃地域の古墳文化成立を考える上で貴重な古墳と考えられる。また以降東讃岐地域には積石塚は築造されなくなることから県内の積石塚の分布や盛衰を考える上でも重要である。

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