11月29日(金)
「隣の患者さんのイビキがひどいので安静にできないでしょう。」と婦長さんが随分心配してくれたが、関係なく熟睡する。6時半に浣腸を手にしたナースに起こされるまで熟睡していた。有無を言わさず浣腸をされる。手術は午後なので午前中は暇である。M田S二郎師匠、H見院長が激励に来てくれた。手術直前になり、ナースが経鼻胃管を入れにきた。これが痛いの痛くないのって、涙が出た。手術室に搬入される。入り口で手術室のナースに引き渡される。研修医時代によく一緒に飲みに行った顔見知りのナースだった。患者取り違え事故の防止のためだろう、「お名前と血液型を言って下さい。」と言われる。そんなあ、聞かなくても知ってるでしょ? 手術室で麻酔科のT田先生に点滴をされ、マスクを当てられたところまで記憶しているが、そのあとは、一切記憶なし。気が付いたら3時間ほど時間がたって、病室のベッドの上にいた。腹がやたらに痛い。それでも夜には、少しずつ体の向きを変えることが出来るようになる。腹の痛みに耐えながら横向きになろうとして、尿管を足に引っ掛けてしまい、ぐぇええ・・・。坐薬を一つ入れてもらって就寝。後から聞くところによるとM田師匠のときは、翌朝までに鎮痛剤を4回注射したらしい。私が図太いのか・・?
11月28日(木)晴れ
いよいよ入院である。10時までに入院してくれと言われたのに、こっちの都合で11時に変えてもらった。ところが、術前検査も終わっているし、することもまったくない。病歴を聞きにきたナースは、「職員は自分で書いてもらうことになってるんです。」とカルテ用紙を突き出す始末。私は、職員じゃなくって元・職員ダゾ。主治医のN岡先生も部屋に来てくれ、「あれ、もう来たの?」と言われた。明日入院でもよかったんじゃないのか知らん。午後3時半にナースがお腹の除毛にやってきた。除毛クリームを塗られしばらく置かれてふき取られる。「もともとあんまり毛がないから、除毛できたかどうか、ようわからんねえ。」とナースがポツリ。「午後4時から6時まで男性の入浴時間ですから、お風呂に入っておいて下さい。」と指示される。ところが部屋の掲示を見ると今日の男性の入浴時間は2時から4時になっている。あれ、間違っていない?詰所に聞きに行くと、「そうですね、4時までに入ってください。」と言われる。あと10分しかないじゃないか?ぶつぶつ言いながらカラスの行水をする。夕方、手術室のナースが説明しに来る。顔見知りである。「先生には、説明しません。これを読んでおいて下さい。」と言い放ち説明書を手渡される。「サービス悪いゾ、ちゃんと説明してよ。」そのあと、手術の助手を勤める若い外科医、つづいて麻酔科医が部屋にやってくる。当然、私が医者であることがわかっているので、やりにくそうである。
11月27日(水)晴れ
久しぶりにO崎総務課長と飲みに出かけた。T洋軒で焼肉、ビール三昧となる。これが、明日から、入院するやつのすることか?
11月25日(月)晴れ
この4月から埼玉県O宮医療センターに研修に行っていたI井医師が病院にやってきた。色々な事情があって、明日から香川県のM豊総合病院に研修病院が変わることもあって、事務手続きとか挨拶に来てもらったのである。有意義な研修を過ごしているのか心配していたが、その成果も披露してもらった。わずか8ヶ月でこれだけの仕事を成し遂げるとは・・研修に出る前には想像だにし得なかった。世間話の種に飢えている職員に格好の話題を提供したことになる。
11月24日(日)晴れ
徳島県K浦町K浦病院の職員ご一行様が来院。天狗高原に職員旅行においでたそうであるが、ついでにお立ち寄り頂いた。K浦町の隣のK勝町で行われた2年前の剣山サミットでの私の講演をH賀院長先生が聴いてくださったとか、K浦病院と当院の薬剤師さん同士が大学の同級生だというご縁があっての視察となった訳である。多くの職員の皆さんの最も注目を浴びたのが、「梼原病院では、休日、夜間は、レントゲン検査、血液検査などは医師が自分でやる」という事実である。帰りのバスの中でもそのことが話題になっていたらしく、院長先生が矢面に立っていたのではないかと心配する。
11月23日(土)曇り
今日は、割と暇な日である。勤労感謝の日なのであんまり働かないのが正しい。病院受付にあった、「ゴッドハンド輝」という漫画を読んだ。主人公の外科医が普段はダメ医者なのに、ピンチになると神業的な手術をしたりするという、そんなあ無茶苦茶でござりまするがな・・という内容なのだが、結構、面白く読破する。私もやっぱり外科医になった方が良かったかな・・
11月21日(木)曇り
高知県地域医療担当理事のT橋先生がやってきた。医師の来年の人事希望のヒアリングのためである。T橋先生は、叙情的な話がお好きであるので、若干違和感を感じながらもヒアリングは進む。夜は宴会。
11月19日(火)曇り
外来カルテのサマリー入力をしているため、最近、M崎医師がコンピュータの辞書に医学用語を沢山登録している。それも、長い言葉を短い読みで登録している。
たとえば、すい→睡眠時無呼吸症候群、ぜん→前立腺癌術後という具合である。しかし、「ようれんきん」を変換して「溶連菌」と出てきて欲しいところなのに、「腰椎すべり症レンドルミン近視性乱視」と出てくる。「ばっきょ」を変換して「抜去」と出てきて欲しいところななのに、「バップフォー(10)胸部Xp」と出てきてしまう。どうも不便になっているような気がするが・・
11月18日(月)晴れ
今月末に手術を受けることを実家の母に電話する。「あんた、誰に手術してもらうが? え? N岡先生? H見院長じゃないが? その先生大丈夫ながかね?」 誠に失礼である。うちの母親は、私の娘にブツブツができたら、「あんた、医者に診せたがかね?」と医者である私に聞いたこともあり、非常に疑い深い。しかし、さすが、うちの妻である。「N岡先生は、以前、皇后陛下が四国に来られたときにお供をした先生です。」と説明。(事実) 「ああ、それなら安心だね。」 N岡先生は皇后陛下には指一本触れてはいないのであるが、この際、そういうことはどうでもいいのである。この母親は実在する。
11月16日(土)晴れ
妻子とともに高知市へ出かけていたが、用事も早く終わり、帰り道、ふと思い立って、松原に新しくできたパン屋さんに行ってみることにした。久しぶりの松原である。酷道439号を走ること30分、松原に到着。若干、遠いのが難点であるが、いいお店である。お時間のある方は、ぜひ、お立ち寄りください。
11月14日(木)晴れ
午後から有給をもらってK立C央病院に行く。再来週にお願いしている、私自身の胆石症の手術の術前検査のためである。初診受付をして、あらかじめお願いしていた、MRI(核磁気共鳴装置)を用いた胆管の検査(MRCP)をしてもらうため、放射線科に行く。5年前にお世話になっていたところなので、いろいろ融通をきかしてもらえる。検査もK目技師長直々にやってもらえた。狭いトンネルのようなMRIの装置の中でバンザイしたような状態で検査していたらすっかり肩がこってしまった。技師長に「おかしいな、磁石だから肩こりはよくなるはずだけど・・」と言われた。嘘・・。
外科に行き、採血、検尿、心電図、肺活量の検査などを指示される。院内各所をぐるぐる廻っていると、やたら顔見知りの看護婦さんたちに会う。彼女らの興味津々の目を見ていると、手術時のことが思いやられるのである。
11月11日(月)晴れ
今日から、外来カルテ書き換え作業が開始。医療法でカルテは5年間の保存が義務付けられている。ずっと同じカルテを使い続けていると、どんどん分厚くなってきて、カルテ棚が溢れ出す事になる。当院では、開院依頼、2年半ごとにカルテを更新し、5年経過したものは破棄をしているのである。この12月で開院7年半になったのである。この書き換え作業が、結構大変である。今までの患者さんの治療経過をまとめなくてはならない。その日に診察した医師がその作業をすることになるのであるが、初めて会った患者さんの病歴をまとめなくてはならないなど理不尽なことも起こるのである。しばらくは、コンピュータに向かい合う日々が続く。
11月9日(土)雨
昨夕から雨が降っている。朝起きると、山の上は雪になっていた。今シーズン2回目の降雪である。ここ10年の中で一番早いと思う。これからどうなることやら・・サムイノキライ。
11月7日(木)晴れ
行商にきていたパン屋が潰れた。これにより火曜日のパンの供給が停止した。どうなるO川医師?生存の危機だ。・・・と思っていたら、梼原町南部の松原地区にパン屋がオープンした。ホームページは、ここ。人口350人の集落でやっていけるのか?カギはO川医師のハートを掴む事ができるかであろう。
11月5日(火)晴れ
久しぶりの、通常勤務である。休みボケで、どうも調子が出ない。娘たちも、久しぶりの登校、登園である。この、3日間、さんざんいろんな所へ、連れていったのに、長女の作文は、「山に雪が降ったよ。」だった。親の努力を無にするか?この親不孝娘!
11月3日(日)晴れ
今日は帰るだけの予定であったが、飛行機が午後であったので、午前中、某国営放送会館に行ってみた。去年の8月にFジテレビに行ってみたものの、Fジテレビ系列の高知SんSんテレビは梼原では見れず、子供たちにしてみれば、まったく訳の分からない放送局であったわけである。その反省から、今年は、某国営放送となった訳である。軽い気持ちで出かけたのだが、今日は、教育フェア2002とかで某国営放送は、大変な人出でごったがえしていた。忍たま乱太郎のショーには、子供たちの受けもよかった。しかし、あまりの人出のため、スタジオパークには入れなかった。もう少し、リサーチをしておくべきであった。どーも君が歩いていたが、「どーも、どーも」と言う以外にあまり芸が無いので、あまり受けがよくなかった。
沢山の人に息が詰まりそうになりながら、羽田に行き、飛行機に乗って帰高する。やっぱり、田舎が落ち着くなあ。しかし、車のインパネに表示される外気温が高知市8度だったのに、葉山村6度→東津野村4度→梼原町3度と低下。前言撤回。
11月2日(土)晴れ
今日は、多摩に向かう。サンリオピューロランドに行ったのだ。次女は、楽しかったようだ。ショーは、待たずに見ることができるのだが、子供だましであった。パレード前に、赤や青に光るライトを、お姉さんが売りさばいていた。パレードでは、キティーちゃんが悪玉に誘拐され、また、復活するというストーリーであった。幽閉されたキティーちゃんが、「もっと光があれば、大丈夫よ!」と叫ぶ。「みんなの持っている光は、ただの光じゃ、ないんだ!みんなでキティーちゃんを助けよう!」と他のキャラが叫ぶ。それゃ、ただの光じゃないわな・・・。800円もするもんなあ。電池とLEDでできたちゃちな造りなのに・・・。商魂たくましい。
11月1日(金)曇りのち雨
今日は、ディズニーシーで修行に入る。何しろ、初めてのことなので勝手がわからず。娘たちの希望でマーメイドラグーンに直行。リトルマーメイドのショーを見る。ワイヤーで吊られたアリエル(人魚姫)が歌い踊る。大変な肉体労働と見た。ここでもたいして待ち時間はなく、こんなんでいいのか?と自問自答。
午後には雨が降り始めた。水上のショーは、強い風雨の中、鑑賞。子供たちも耐えながら最後まで立ち見をした。そうそう、ディズニーリゾートは子供たちに苦難に耐え我慢すると良い事もあると教える精神修養の場なのだ。ショーが終わると、次女はギブアップした。私は次女の手を引いて、ホテルに帰ることにしたが、さすが先輩修行僧の長女は、まだがんばって妻とともに残った。帰り道、次女が私に、「ひょっとしてよ。プルートとか中に人間が入ってるんだろうか?」と疑問をぶつけてきた。「そうかなぁ・・」ととぼける私に、次女は、「でもミッキーは、声は本物だし・・。本物と同じ声の人って、居ないと思うんだよね。」と持論を展開していた。(おまえも、来年、小学生なんた゛から、いい加減、気付けよな・・・)
昼寝をして、エネルギーを蓄えて、夕方、再びディズニーシーで修行で修行TDoCoMo提供の水上ショーを見る。景気良く、花火も打ち上がる。やっぱりDoCoMoは儲かってんだろうな・・