8章 4〜21節

有名な “種まきのたとえ” です。 「神のことば」 は 「種」 にたとえられるように、芽を出し、生長して、多くの実を結ぶパワーを秘めています。問題は、「神のことば」 を聞いた人の心の状態やその後の生き方にあります。

「種」 が芽を出す間もなく取り去られる人もいれば、芽を出してもしっかり根付いてないので、何かあるとすぐ枯れる人もいます。また、芽を出し生長しようとするけれども、他のものがじゃまをして実のならない人もいれば、しっかり育って多くの実を結ぶ人もいます。

しかし、実を結んだといっても、ただ何もしないで実を結べたわけではないと思います。というのは、いくら 「良い地」 といっても、踏みつけられたり、空の鳥に食べられたり、水分が不足したり、他のものがじゃまをしたりする危険は、十分あるはずだからです。

ですからそこには、良い地を保つ労力があるはずなのです。

農業を営んでいた私の伯父は、「農業に日曜日はない」 と言っていました。田畑は石を取り除き、よく耕し、肥料をやり、よい苗を植え、鳥やもぐらを近づけず、害虫対策をし、水を絶やさず、雑草をとり、常に 「良い地」 であるように努力していました。

15節にも 「正しい良心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶ」 とあります。

イエスさまは 「どう聞くかに注意するがよい」 と言われました。神のことばをただ聞くだけではなく、聞いてしっかり守り、耐え忍んでそれを行なう者こそがイエスさまの家族なのです。

 

前回 「7章 36節 〜 8章 3節」      次回 「8章 22〜39節」

「ルカによる福音書を読もう!」 に戻る