8章 22〜39節
37節を読むたびに、なぜ 「ゲラサの地方の民衆はこぞって、イエスを喜びむかえ、病人や悪霊につかれた人たちをつれてきてイエスに直していただいた」 となっていないのか、不思議に思います。
たしかに、多くの豚を失ったかもしてないけれど、悪霊につかれた人の失っていた人生を回復させたイエスさまに、一言のお礼もなく 「出ていってくれ」 とはずいぶんだと思います。
22節を見ると、イエスさまはあえて湖を渡ってゲラサ人の地方に来たことがわかります。イエスさまはここでも、神の国の福音を宣べ伝えるつもりでいたのでしょう。
ゲラサ人たちはイエスさまを受け入れず、福音もきかずにおわりました。これはゲラサ人にとって豚の損失よりももっと大きな決定的な損失です。結局、イエスさまを信じ、神の大いなるわざを体験したのは、この悪霊につかれた人だけで、イエスさまは帰ってしまいました。
イエスさまは風も水も従わすことができるし、おびただしい数の悪霊もイエスさまの前ではたじたじです。自然界も霊の世界も、イエスさまの命令に従うのです。
そのイエスさまも、人に信仰を強制はしません。出ていってくれと言われると、本当に出ていってしまうのです。
「わたしにつまずかない者はさいわいである」 とイエスさまは言われました。