8章 40〜56節

ここに登場するふたりの人に注目してみましょう。ひとりは会堂司ヤイロ。もうひとりは無名の長血の女です。会堂司はふつう比較的裕福で、町の人たちに尊敬されていました。一方、女の人は無一文であり、長血という病はユダヤ教では汚れたものでした。

ヤイロは真正面からイエスさまにひれ伏してお願いしましたが、長血の女は、人ごみにまぎれて後ろからそっと衣にさわりました。また、ヤイロは口止めされましたが、長血の女はすべてを話さなければなりませんでした。

このように、とても対照的なふたりですが、ではこのふたりに共通する点は何でしょうか? それはふたりとも、イエスさまに最後の望みをかけた、ということです。

12年間病に苦しみ続け、財産も底をつき、夢も希望もなくなってどうしようもなくなった、そんなとき、この長血の女はイエスさまに最後の望みをかけ、病はいやされ、希望が与えられました。

一方、12年間手塩にかけて育てた愛娘が今にも死のうとしているのに、自分にはどうしてやることもできない、そんなとき、ヤイロはイエスさまのところにやってきました。しかも途中で娘は死んでしまい、ヤイロの最後の望みも消え失せたのでした。

しかし、イエスさまは娘を生き返らせました。

どんなにぎりぎりの極限状況でも、いやそれどころか、もう100%望みがない、不可能だと思えるところからでも、イエスさまは新たな望みを与えてくれるのです。イエスさまって、すごい。

 

前回 「8章 22〜39節」           次回  ありません

「ルカによる福音書を読もう!」 に戻る