6章 39〜49節
父なる神さまのようになること、神の子どもと呼ばれるにふさわしい者となることをイエスさまは教えます。でも、そう言われると、人間にそんなことができるのでしょうか、と反論したくなります。
そうできないからこそ人間は罪人であって、イエスさまはその罪人の身代わりとなって十字架にかかって下さって、行いではなく、信仰による救いの道を備えてくださったわけですから、もう、今さらそんなレベルの高い話はしないで下さい、と逃げ出したくなってしまいます。
しかし、イエスさまははっきりと、「弟子は・・・修行をつめば、みな師のようになろう」 と言います。
イエスさまは自分の教えたことをそのまま実践した方です。その師であるイエスさまに従う弟子は、目がはっきり見えるようになり、良い心の倉から良い物を取り出し、良いことを語り、師イエスのことばを聞くだけでなく行う者とならなければならないのです。
新約聖書ヘブル人への手紙12章4節に、「あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない」 とあります。考えてみるとイエスさまは、人となって人として生き、人の弱さや誘惑を経験し、しかもそれに打ち勝った方なのですねえ。