6章 27〜38節
神さまは、貧しく、飢え、泣き、イエスさまのゆえに迫害されている人たちの味方なので、そういう人たちは幸いだと言いました。では、いったいイエスさまはそういう人たちに、どうしろというのでしょうか。
ひたすらがまんしろというのでしょうか。それとも革命をおこせというのでしょうか。いいえ。イエスさまは 「敵を愛し、人によくしてやり、何も当てにしないで貸してやれ」 というのです。
ふつうそんなことをしたら、ますます敵につけこまれ、人にいいように利用され、たちまち餓死するだろうと思いますが、イエスさまは、「そうすれば受ける報いは大きく、あなた方はいと高き者の子となるであろう」 と言います。
どうもイエスさまの見方はふつうとちがいます。イエスさまのしあわせの観点は、神さまが味方で、神さまから報いを受け、神さまの子どもとなることにあるようです。
しかし考えてみると、それは当然のことかもしれません。というのは、人間は罪に陥り、神さまの子どもと呼ばれるにふさわしくない者で、イエスさまはその罪人たちを救い、神の子どもと呼ばれるにふさわしい者として下さるために、この世に来て下さったわけですから。
「父なる神が慈悲深いように、慈悲深い者となれ」 父なる神のようになること、つまりそれは、神のかたちにつくられたという人間の、もともとの正しい姿なのでしょうから。