2章 21〜39節
エルサレムの神殿で、またもや不思議なことが起こりました。
シメオンさんは正しい信仰深い人で聖霊が宿っていて、キリストに会うまでは死なないと聖霊の示しを受けていました。アンナさんは女預言者であり、神殿で昼も夜も断食と祈りで神さまに仕えていた人でした。
おそらく、シメオンさんはエルサレムでは有名人、アンナさんは神殿の名物おばあちゃんであったことでしょう。このふたりが、神殿にやってきた貧しい夫婦の赤ちゃんに目をとめて、神さまを賛美しました。(シメオンさんの詩は、ヌンク・ディミティスと呼ばれています)
ルカによる福音書の1,2章のすばらしさはこういうところにあるのだなあ、と思ってしまいます。聖霊の力によって妊娠したマリヤさん、聖霊に満たされてマリヤさんを迎えたエリサベツさん、そして聖霊に満たされて預言したザカリヤさん。
神さまはこのような人たちをご自分の救いのわざを達成させるために用いようとされますが、強制するわけではありません。働きかけられた人たちも、驚きとまどいながらも、せいいっぱいそれに応じていきます。
用いようとなさる神さま、用いられようとする人々、そして両者を有機的に結びつける聖霊さま。今はじまった神さまと人間との新しい時代は、こういう時代なのだと思わされます。