その30;息子が中学生という年齢で、全く予想もしない脳梗塞という病気に襲われました。それからちょうど1年後、てんかん発作があり、一瞬、目の前が真っ暗になった年をいまでもはっきり記憶しています。かかりつけの医師の説明で、脳梗塞になった患部からてんかん発作が起きているとのことでした。以来投薬で治療を続けましたが、10ヶ月間で4回意識を失う発作が起き、救急車の助けを借りるなど、またその都度、薬の量も増え、不安な毎日を過ごしておりました。以前、私はS先生の記事を新聞で読んだこと、また保健所で教えて頂いたのも先生のお名前でした。以来ちょうど1年が過ぎましたが、発作も起きず、脳波も当初と比べると、格段に回復しているのが確認できるとのことで、家族一同まずは一安心という今日この頃です。振り返って思うことですが、S先生の説明や治療により子供の病状に合った薬を与えてくださったことに深く感謝している次第です。こうした病気は誰にも相談できず、思い悩んでいる人や家族はたくさんいると思いますが、治療を続けていても回復が見られないと言う方へ、機会があればS先生への紹介をしてあげたいと思う気持ちで一杯です。(てんかんについては私が責任をもって治しますから、梗塞の再発防止に万全を期すように主治医と相談してくださいと話していたのですが、とんでもない主治医でした・・・・)
その29;いまから15年前を思い出します。最初、大発作で始まり、親にこの病気の知識はなく、その頃はふだんのかかりつけのお医者さんにもあまり適切な治療というのはしてもらえませんでした。そして早く専門医へという言葉もありませんでした。現在では初期治療の大切さは常識になってきています。病名の告知だけでも困惑しているのに、十分な説明をしてもらえなければ、親はどうしていいか、本当に困ってしまいました。私の場合は、その後大学病院で専門医の治療は受けました。しかしながら3時間待って、10分間の診察というパターンで、受け身ばかりの診療とならざるをえませんでした。もらった薬について、副作用について、発作について、等々、親は知りたいことばかりです。S先生に診てもらうようになって、脳波についても、また薬の選択についても十分にわかりやすく説明してくださるので、てんかんという病気の実体が見えてきたように思います。
その28;前の病院にかかっているときは、一生治らないと言われたが、S先生にかかって治ると言われたので、治る病気なんだなと思った。これからもてんかんについての考え方を変えていくようにしたいが、やはりけいれんの病気持ちというイメージがあるから、なるべくそういうのを意識しないようにしたい。
その27;ある日突然、てんかんと言われ、てんかん?聞いたことはあるが・・・・。でもとにかく大きな病院にかかっていることだし、先生にお任せして、自分でも本を開いてチラチラ見たことはあるのだが、怖くて恐ろしい言葉ばかりが飛び込んできて、そこに一歩踏み込んでは、ただオロオロとするばかりの日でしたが、おかげさまで、大病院で言い渡された不治、というものではないとS先生に聞かされたときの何とも言いようのない気持ち。私たちの他にも、治るものでありながら、不治と言われ、その治療をおろそかにしている人は大勢いることと思います。大した知識も持ち合わせず、てんかん治療を行っている医者は罪であるかもしれませんね。(その医者にとって不治だったということ? てんかんという病気ほど医者の能力が問われるものはないかもしれません。発作が止まったかどうかは誰の目にも明らかですから)
その26;早期治療の重要性があることがわかりました。(簡単ですね。的を射てますが)
その25;私の子供は今年小学生になります。てんかんらしい発作を起こしたのはお誕生日を過ぎて位の頃でした。どの病院が良いのかもわからないまま、近くの大きな病院の小児科に通うしかありませんでした。その間も投薬は毎日続けていましたが、発作は年に数回でしたが、冬の風邪引きで熱が出ると、発作を誘発するような状態で、その度、病院に走っていました。小児科の先生もなかなか子供の状態に合った薬が見つからず、五里霧中の手探りの状態の投薬でした。病院をかえないといけないと思い出した頃、本当に偶然に、S先生の新聞記事を見て、すぐに電話をかけて病院の場所を聞いて診療を受けました。S先生のおかげで以後1年半、発作もなく元気に幼稚園に通っています。いまではほんとうに先生に巡り会えて良かったと感謝しています。現在でも朝夕の投薬は続いていますが、熱を出すことも少なくなり、小学校に入学できるのを楽しみにしています。養護学校にしようかな、と悩んでいたのが嘘みたいに元気です。てんかんも薬で発作を止めることができることをみなさんに知ってもらいたいです。(てんかんの専門医はてんかんを治すことが仕事です)
その24;恥ずかしいことですが、子供に発作が出ていたのに、あまりけいれん発作やお薬のことなどほとんど知りませんでした。もちろん以前かかっていた先生にいろいろお話をうかがっていましたが、その先生はてんかんの専門ではなかったので、先生自身もあまり自信のないような話しぶりでした。S先生のところへ初めてうかがってお話を聞いたときに、子供の状況や薬の効果(どういう症状に効くのか)などしっかりした説明をして頂き、主人ともども納得してお願いするつもりでやってきました。子供は難治性のてんかんで、初めに完治するのは難しいということでした。こちらにくるようになって8ヶ月になりますが、発作の回数は以前に比べて減っていますが、やはり1日の回数にすると数十回はあり、薬でのコントロールはまだ、完璧ではありません。ですが先生の、必ず回数は減らしてあげる、の一言を信じて頑張っていきたいと思います。
その23;この病院に来る前に丸4年間、いろいろな病院へかかってきましたが、S先生にお会いして、やっとてんかんを抱えるということの負い目(こうなることにも問題があると思いますが)や不安にピリオドを打てそうな気がします。日本全国でも少ない、支部のない県に住んでいる不安がこれで軽減されることを心からうれしく思います。専門医の治療により最新の情報を直接お聞きすることができますし、こちらの小さな不安や疑問にも直接答えて頂くことができますので、子供になにかもっとよりよい方法があるのでは?と自分を責めるようなことも少なくなるような気がします。何より病気の性格上、患者、家族の不安はとても大きいので、親身になって話を聞いて頂ける医師、病院があるというのはとてもありがたいと思います。また、こちらに来て、本当に同じ病気の方は、大勢いらっしゃるのだと安心したところもあります。特別な病気なんだという考え方も少しずつ変わってきました。(きちんと説明してくれる医者が少ないのには驚きます)
その22;前の病院の薬が合わず、量を増やしてもまた日がたつと発作が出るの繰り返しでした。いじめにあうかもしれないとの話を聞かされており、学校へも、知人にも話しておりませんでしたので、病院で知人に会う度にビクビクしておりました。こちらにかかるようになり、薬を変えて頂き、子供も前の薬のように眠くないと言い、量も一定で、発作も起きていませんので、学校に行っている間も安心しております。まだ先は長そうですが、治ると思えるようになってきました。
その21;私の主人は平成8年に脳炎を起こし、その後遺症としててんかん発作や記憶障害が残りました。退院してからも月1〜2回の軽い発作や、2ヶ月に1度くらいは大発作があり、いつも顔色を見てビクビクしていました。S先生に診てもらうようになっても、半年くらいは発作がありました。でもそれまで起こっていた発作とは少しずつ違ってきました。最後の発作から半年が過ぎましたが、今は発作がありません。最近ではほんとうに発作が2度と起こらないのではと思えるようになってきました。脳炎を起こして入院して、退院してからも一生薬は飲み続けなければいけないと言われていたけれど、最近ではほんとうにてんかんは治るのではと思えるようになりました。(発作を止めるために、家族と一緒に悪戦苦闘した方です)
その20;お世話になってから、脳波の異常もなく、長い道のりと思いますが「治る」ことができると、感謝しております。
その19;てんかんが起こり始めた頃は、すごく憂鬱で気が重くなる、暗い気持ちになる病気だなあとつくづく嫌になりました。いまでももちろんいつ発作が起きるかわからないだけに心配で不安な面もありますが、頭の中の難しい病気だけに、難しく複雑に考えても仕方がない、気楽に考えた方がいい様に思い直してから、以前より心の中が軽くなりました。私も同様、てんかんの子供さんを持っているお父さんお母さんは大変と思いますが、憂鬱な病気と思うより、むしろいつも子供の一番近くにいる看護婦さんになったつもりで、どんどんよくなるよう、精一杯頑張って見守っていきましょう。そのうちきっと完治する事を信じて。
その18;Nクリニックでお世話になってから、親自身の気持ちが楽になりました。もしかしたら発作が止まるかもと、思えるようになりました。今は発作の回数が少なくなり、喜んでいます。
その17;初めは子供がてんかんって言われて、どうしたらいいのかとても迷っていました。病院に行ってもなかなか発作が止まらなかったりしましたが、この病院を知ってとてもよかったと思います。一生治らないと思っていたから、本当にありがたく思っています。
その16;徳島県ではてんかん専門病院がなく、私は大学病院OO科に30年以上通院していましたが、度々主治医もかわり、薬の副作用で歩行が不安定に困っているのに、6種類もの薬を出し、それでまた発作が多くなる。発作が多くなったと訴えるとまた薬を増やす。てんかん専門の先生がいないので臨床結果を持っていない。平成11年の4月24日重積発作のため入院、6月3日退院したが、入院患者さんの中にてんかん患者さんは一人もいなかった。色々薬は出して下さるのですが安心して飲ますことができない気持ちになり、勇気を出してS先生を頼りに診察をお願いすることにし、何をお尋ねしても気軽にわかりやすく説明して下さって安心いたしております。先生を信頼するのも治療に大きな効果があるように思います。(6種類の薬は不必要で、現在は2種類にして、発作は減り、ふらつきの副作用も軽減しております)
その15;僕はこの病気になって10年近くになります。最初は、別の病院で診てもらっていましたが、薬が合わなかったため、時々発作を起こしていました。しかしS先生にかわって、薬を変えると発作が止まり、いまではもうこのまま発作が起こらないんじゃないかと思うときもあります。しかし油断をせず、この病気を一日も早く治していきたいと思っています。
その14;お世話になっています。娘がてんかんと言われたときは、目の前が真っ暗になりました。よその病院に行っていましたが、ある日S先生の記事を見て、あっと思い、以来、娘も「治るんじゃなあ」と喜んでいます。もちろん、家族全員!!これからもよろしくお願いします。
その13; 娘は小学4年のときはしかの高熱で入院し、4時間あまりひきつけを起こしました。やっと止まった翌朝、半身麻痺の後遺症が残り、ひきつけを度々起こしました。T大へも行き、診療をうけましたが、よくなるとのことでした。それからはN病院に変わり治療を受けていましたが、相変わらず発作は起こるし、調子が悪いときは目はとろんとするしでした。昨年、新聞でてんかん講座のS先生を知り、それから治療して頂いていますが、発作は少なくなり、薬も少なくなっています。以前のように目をトロンとすることは全然なくなりました。30年あまりもう少し早く先生に治療していただいていたらよかったのにと思います。(私の治療方針は薬の種類はなるべく少なく、そして発作を止める、です)
その12; 平成10年4月に化膿性髄膜炎と診断され、早期にわかったから後遺症などは大丈夫だろうと言われ、約2週間ほど入院。その後退院して10日もたたないうちに入退院が続き、11年5月には30分以上のけいれんを起こし、病院での診断もはっきりせず、でもデパケンシロップを服用していましたが、11月頃から発作が度々続き、フェノバールにかわり、12年1月にやっと症候性てんかんと診断され、4月には別の病院に移りましたが、ハッキリ言わなく、なんかな、発作かな、の連発。薬もテグレトールとフェノバールを服用し、何冊か本も読み、ヘンだなと、発作ではないのかなと思うことがあり、児童相談所でS先生を9月頃教えてもらったのですが、信頼している先生からの紹介だったためすぐに行くことはせず、今年5月末、おでこを裂き、3針も縫う、また1週間もしないうちに同じ所を打ち、ヘンだなと思いS先生に連絡し、診察してもらったら、すごく嬉しいことにハッキリと発作ですねと言われ、3ヶ月くらい様子診て、でも治るからね、と言われ、行ってよかったと思っています。(転倒時の頭部保護のためヘルメットをオーダーしたのですが、それが完成したときには発作は止まって、必要なくなってしまいました)
その11; 娘の発作が起きる度に不安と辛い思いをしている姿に、私自身どうすることもできずでしたが、S先生のことをお友達から聞き、診てもらったおかげで大きな発作がなくなり、本人も楽だと思うと、本当に嬉しく思っています。年頃になってからの発作だったもので、本当に毎日が苦しい思いでしたが、この病院に来てからは、また元のようにいろんな所へ行って楽しい思い出をいっぱい作っています。まだこの病院のこと知らない人がきっといるんだと思いますが、早く知って頂ければ、本人が楽になるのに。口コミだけでしょうか、公の所でも教えてくれないようですし。
その10; 私はてんかんという病気にかかって、もう10年になります。最初は自分がてんかんになったとは知らず、何かが私に取り憑いているのかと思ったりしてお祓いに行ったりしていました。しかし全然、体調がよくならず、悪化していきました。見るに見かねた知人が病院で検査してこいというので、検査を受けたとき、初めて自分がてんかんにかかっていることを知りました。私も、私の両親も、それを聞いて驚き、医師に相談したところ、今の医学では治らないと、言いました。それから月日は流れ、私は就職しました。会社にも私がてんかんということを隠して、なるべく発作が起こらないようにしていたのですが、2年前に会社でとうとう発作が起こり、職場で働くことを禁じられました。休職している間、色々な医師にかかり、てんかんを治そうと努力しました。けれども、どこの医師も完治しないとか、20年以上かかるとか、社会生活に対して適応していない、などと言い、職場には復帰できないと誰もが言い、半分諦めていたときに新聞でS先生を知りました。どこの医者も治らないと言っていたので、半信半疑で行ったところ、S先生は治るとおっしゃってくれました。そのとき私も私の両親も驚き、S先生の薬をもらって帰り飲んだところ、本当に発作は嘘のように収まりました。私も両親も涙を流しました。一生治らないと思っていたのに、先生の薬のおかげでもう一度社会復帰できるのだと思いました。しかし会社に事を告げると、会社の対応はあまりにも意外でした。会社の人たちの考え方はてんかんは治らない、一生発作は起こり社会適応はできないと言うのです。私は愕然としました。やっとよい先生に巡り会い社会復帰できると思っていたのに、会社が私を受け入れようとしないのです。てんかんに対する偏見を持った人間が、私の復帰を拒みました。私は会社と戦いました。そのとき両親や友人やS先生が私を助けてくれました。そのおかげで会社との戦いに勝ち、私は復職しています。
その9; 両親は、てんかん患者であることを誰にも言わないようにと、10年弱、私は育ってきた。でもあるとき隠し続けて、もし私一人になって発作が起きるとどうなるのか?と思った。親しい友人、職場の友人に少しずつ話していると、S先生(てんかん協会)を知ることができた。口に出さなかったら、いまでも私は、かくれてんかん患者だったように思う。今はてんかんであることを恥ずかしくないせいか、よく口にするようになった。治るという希望が見えたせいだろうね!先日、ハンセン病の患者さんがこう言っていた。「私は実名は言いません。家族や親戚に迷惑をかけたくないから」勝訴しても、やはり差別は残ると、実感しているんだなと思った。でもそれは自分を自分が差別しているように、私には思えた。私はてんかんは恥ずかしくない、どんな病気かを周りの人にも知ってもらいたい。だから私は自分のことを隠さないぞと思った。自分が自分を隠さないぞ!こんな思いになれたのも、波の会の方たちのおかげだと思います。
その8; いまから3年ほど前に頭を強打し、20日間は安静状態で寝たきり状態でした。2ヶ月間入院し、仕事に復帰しました。1年を過ぎた頃、突然激怒しはじめました。後遺症がでてきたのですが、どう対処したらいいのかわからず、色々な病院に相談しました。全くよくならずに3ヶ月が過ぎた頃、以前S先生のことを聞いていたのを思い出して、すぐにお世話になりました。1ヶ月を過ぎた頃にはかなりよくなっていました。もっと早くかかっていればよかったと思います。
その7; 自分自身てんかんという病気がわからず、勉強不足で、てんかんという病気を忘れよう、そのことばかりを考えてきました。新聞でS先生のことを知って、自分自身ほっとしました。先生の話はとてもわかりやすく、親身になって話を聞いてくれます。いままで10年間、誤った薬を飲んでいたのかと思うと、くやしいです。自分に合った薬を見つけてがんばりたいと思います。
その6; 薬が合っていないと発作はおさまらないことは、子供の場合、他の病院で数年かかっても同じ状態が続いていた、という経験があります。薬の種類、量共に、いかにあったものを飲むかが非常に大切であるということが、S先生に診ていただいてよくわかりました。
その5; 一生治らないと思っていましたが、薬を変えただけで、こんなに違うものかと思いました。現在、治る病気なのだと実感しています。(徳島のてんかん医療の貧困さを痛感します。誰のせいなのでしょうか)
その4; 小学2年生の娘が突然、様子がおかしくなったのは、1年生の2学期頃からでした。てんかんとわかるまで随分かかり、病院を次々と変えて、最初の病院では良性のてんかんと診断され、その次は悪性と診断され、最後に国立病院で点頭てんかんと診断されました。このままでは知能も後れていくと・・・・・。1回、S先生に診てもらった方がいいと、アドバイスしてくれたので、訪れると点頭てんかんではなかったけれど、薬を飲んで悪くならないようにしようと言ってくれました。通院して、2ヶ月すると発作も見られなくなり、娘は以前とは見違えるほど元気になりました。薬が合っていなかったことがわかりびっくりしました。この薬がいいと言ってくれたのを信頼していてよかったです。(発作が止まると、知的な部分も改善してきて、早く止めることができてよかったケースです)
その3; 私は15才の頃から発作を起こし、18年間薬を飲んでいます。S先生に診察して頂くまでの17年間は、薬をほとんど変えることのないままの生活でした。一つの薬の量は数回変えることはあったけど、発作があればただ量を増やすだけでした。自分に合った薬を捜してもらうことはありませんでした。まだ、100%あった薬は見つかっていませんが、いつか見つかると思っています。(専門医に巡り会えなかった悲劇です。適切でない薬を何年飲んでも病気は治りません。徳島では同じような悲劇は繰り返されているように思います。1年で発作が止まりそうになければ、1度専門医にセカンドオピニオンを求めた方がいいと思います)
その2; 9才になって、色々なことが出来るようになって、これから楽しみだなあと思っていた、そのときにてんかんになってしまいました。もー、目の前、真っ暗。涙がとまらなくてどうしていいのかわからなくなりました。その時に友達の紹介で、S先生を知りました。先生の話を聞いて、すごく心が落ち着きました。よかった、一生薬を飲まなくていいのだ。本当にうれしかった。今は普通の生活の中で、てんかんも治まり、いつもと変わらない生活を送っています。
その1。娘が発病したのは2才8ヶ月のときでした。それから病院を転々として、発作と戦ってきました。1年9ヶ月前に、S先生に診察していただき、それ以来1度も発作は起きず、脳波も少しずつ安定してきました。いまではもう完治したのではないかと思うほどです。思い返せば1年9ヶ月前の、S先生の積極的な治療のおかげだと感謝するばかりです。娘も保育園、幼稚園と通うごとに少しずつ元気になってきました。入園の際、周囲の方は理解ある姿勢を見せてくださり、とても安心でした。しかし田舎のことですから偏見を持った人が多くみられます。私自身、発病したときに頭の中にめぐった不治の病という思いが、今では治るんだ、必ず治してみせる、という強い思いに変わりつつあることは確かです。かわいい娘の人生が、楽しく素晴らしいものになるように心から願っています。(毎月、2時間近くかけて通院してくれている人だと思います)
このアンケートを読んで、徳島でてんかんになるということは、単にてんかんになるという不運にくわえて、”徳島”でてんかんになるという、二重の不運に見舞われると気づいたのは、私だけではあるまい。
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