『てんかん学の進歩により、てんかんの80%以上は治る時代になりました。ところが徳島では、いまだに一生薬を飲みなさいと、誤った指導がなされていたり、不適切な薬が出されているために発作が止まらないケースが多いように思います。赤岩医院、渚クリニックにかかって、てんかんに対する考え方がどのように変わったか、差し支えのない範囲で結構ですからお教えください。てんかん基礎講座の資料として、あるいは波センターのホームページで紹介させていただきます』
上記のアンケートに対する答え(匿名)を、掲載します。(本アンケート結果をてんかん運動推進以外の目的で転載、利用することを禁じます)
その75;初めて子供がてんかんの発作を起こしたのは、3年前の12月でした。この病気に対して何の知識もなくただただ驚き、不安で一杯だった私にある友人がS先生のことを教えてくれ、わらにもすがる思いで渚クリニックで診ていただきました。先生の適切な治療でその後発作を起こすこともなく現在に至っています。先生はどんな質問にも丁寧に答えてくださり私たちの不安を取り除いてくださいました。今ではこの病気を持っていることを時々忘れるくらい普通の生活を送ることが出来ています。S先生の存在を教えてくれた友人に感謝し、先生に出会えたことを本当に幸せに思っています。これからはこの病気と共存共栄をはかりつつ治ることを信じて努力していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
その74;娘は3歳の時、保育所でけいれん発作を起こし、検査の結果、てんかんだと診断されました。それからは発作を起こす度に薬は増え、7ヶ月前は2種類の薬を1日3回大量に服薬していました。それでも3ヶ月に1度起きる大発作はおさまらず、小学校へ入学してからは、1ヶ月に2度もの大発作を起こすようになり、渚クリニックに受診をお願いするようになりました。S先生にお世話になってからは発作はだんだんと少なくなり前回の発作から3ヶ月を過ぎましたが1度も発作は起こっていません。他の病院で4年かかっても止められなかった発作をたった3ヶ月で適切な薬を判断し発作を止めてくれた。娘も薬が減ったことや発作が起こらなくなったことを喜んで小学2年生になった今、明るく元気に学校生活を送っています。
その73;病気どころか風邪すらひかない健康体の私が”てんかん”という病気になるとは全く思ってもいませんでした。元々元気なだけに発作を病気としてとらえられず病院に行くことすらしませんでした。そして数回の発作を繰り返し、初めて病院に行きました。先生と出会い薬を飲み、現在は発作も起こっていません。しかし発作によりたくさんの大切な思い出や記憶を失いました。主人や家族、友人と昔の話ができないことがあり、その度になんとも言えない気持になります。もっと早く病気として受け入れ、薬を飲んでいれば、大切な思い出を失わずにすんだのになあと悔いが残りますが、前向きにこれから先の思い出を失うことのない様に治療していきたいと思います。
その72;昭和46年生まれ、33歳です。2歳の時、自閉症と診断され、ずっと親子で奮闘してきました。15歳養護学校卒業後、通所更生施設で七宝焼、陶芸、木工等を習っていました。16歳になってすぐ初めての大発作があり、OO病院精神科受診、以後、1年に1度くらいの発作がありましたが、元気に通所していました。21歳から1ヶ月に4〜5回くらい発作が起こるようになり、薬の量もどんどん増えるのに発作は減らず、どうしたものかと悩んでいたところ、知人に渚クリニックを紹介され、半分は治らないだろうと思いつつ、受診しました。30歳の時でした。いままでの考えと全然違い、必ず合う薬があるから根気よくその薬を捜していきましょうと言って頂き、希望が見えてきました。初め1年くらいはいままでと変わりなく発作が起きていましたが、今、服用している薬にたどり着き、約2年間発作もなく、何より本人が楽だろうと思います。このまま発作が治まって、脳波の状態もよくなってくれればと願っている毎日です。
必ず止まると、諦めなかったのが、いい結果につながりました。何年も止まらないと、そういうものかと受け入れてしまうものですが、案外、治療が合ってないだけのこともあります。ただ、誤解のないように付け加えますが、現在あるどの薬を使っても止まらないケースもあります。新薬の発売が待たれます。当院で、治験をやった薬がありますが、7例中2例で奏効しました。その他にも新薬が近々、承認される予定です。
その71;孫が初めてけいれんを起こしたのは小学校5年生のときでした。近くの病院に行ったのですが、そのときは風邪とばかり思っておりました。先生からてんかんと言われ、時々発作があり、目が定まらず、白目をむいて、意識が薄れ、全身がぐったりしました。また頭を強く打ち、何針も縫うこともありました。徳島市内の総合病院2カ所に5年間通いましたが、よくならず発作が1日に何回も起こる毎日でした。そのとき他に良い病院はないだろうかと知人に話したところ、ホームページで調べてくださり、渚クリニックの先生に出会うことができました。先生に診て頂いてからは、発作もほとんどなくなり今は安心して、元気に学校生活を送っています。
症候性全般てんかんの患者さんです。治療は困難を極めました。現在も、完全には止めることはできていないのですが、月に30〜60回あった発作が、2〜4回に減りましたから、生活は楽になったと思います。寮生活を楽しんでいるようです。
その70;月に何度もてんかんの意識障害が顔を出し、次に全身ガクガク発作が時々症状に出る状態になり、薬、病院不信になって、先生への信頼も失いかけていた頃に、てんかんの専門医、渚クリニックが新聞に載っていました。病院の看板が見えるところまで来ているのに、再度出直して、診察、脳波で症候性部分てんかんと診断されました。薬は止められなくても、発作が抑えられると良いと考えるようになり、マイスタンとテグレトールを飲み始めて以来、最高に症状が出ない自己記録を更新中です。人生の半分以上もてんかんと共に、暗くて長いトンネルの中で、光の出口を遠くに見つけた感じがします。脳波も異常波が出ていても、一歩ずつ前進して、目標に向かっていれば、なんとかなりそうな、とのんびり気分で、の検査結果。信じられない、先生の声は、異常波は出ていません。といってもらえました。このまま薬を続けて減量にもと希望がもてるようになりました。
この方も、過去の病院めぐりで発作が止まらなかった経緯から、初診のときは、止まるという期待は薄かったように思います。マイスタンも過去に使って効かなかったとおっしゃいましたが、あえて使いました。使い方が悪かったのだと思います。
その69;小学4年の子供がいます。初めて発作をおこしたのは、4歳の誕生日でした。それからずっと県内の大きな病院に通院していました。薬を毎日服用しても発作はなくならず、ひどいときは毎晩のように軽発作を起こしていました。救急車で運ばれることも何度かありました。ずっと悩んでいた私に、友人が「こんなクリニックがあるらしいよ。ためしに行ってみたら?」と電話をくれました。それから2年くらいがきますが、子供の毎晩の発作もなくなり、救急車で運ばれることもなく、元気に毎日を過ごしています。子供の症状に合った薬を出していただけることがすごく大切なんだと思いました。先生もすごくわかりやすく症状を説明してくれるので、病気に対しての不安感も少なくなりました。同じ悩みをもつお父さん、お母さんにクリニックのことを知って頂けたらいいなと思います。
特発性局在関連てんかんです。寝入りばなとか、覚醒直前に発作が起きます。本日の脳波でもてんかん波の消失が確認されました。もともと良性のてんかんですから、治療ばそんなに難しくはありません。前医が難しくしていただけのようです。
その68;渚クリニックを教えてもらって、本当に良かったと思っています。それまでは病院を転々としても良くならず、毎日が憂鬱でした。友人の紹介で良い先生に巡り会えてよかったです。いまでは社会復帰ができて仕事に励んでいます。これからもよろしくお願いします。
彼女の発作は、動悸がして、頭がふらふらし、居ても立ってもいられなくなる、これに続いて右手がふるえだして身体が固くなることがある。それまでの担当医は、彼女の発作を精神的なものと考えて、めまいの薬と精神安定剤を投与していました。治るはずがありません。母親に無理矢理当院に連れてこられて、脳波検査でてんかんですと説明しても、私の薬は飲まないと言い張りました。結局、だまされたと思って1ヶ月飲んでもらい、それまでと状況が一変し、それからは快く飲んでくれるようになりました。就職もできて、めでたしめでたしです。
その67;今中学2年生です。小5の頃、頭痛と視力意識障害があり、救急車で運ばれました。検査をしても異常が見られず、その後も発作を起こす度病院へ連れて行きましたが、原因が見つかりませんでした。けいれんを伴うようになり、薬を飲むようになっても、発作はおさまりません。頭痛が激しく鎮痛剤が効かない。一日中吐き続ける、吐きそうになりながらの食事。学校でも座っていられず保健室で寝たまま。学校に行けない日はふとんの中で泣いていました。診ていただく先生によって、いじめ、虐待、ヒステリー、性格の問題など診断は様々でしたが、てんかんと言われたことはありませんでした。小児科の先生からS先生を紹介して頂き、こちらで初めて脳波に出てますよと言われ、驚いたし、何年も受けてきた検査で異常なしとは何だったのかと思いました。薬を変えて4ヶ月になります。子供が以前とは別人のように元気になってきました。体調の悪い日もありますが、少し休めばすぐよくなり、大きな発作もありません。1人で通学し、日焼けした顔で帰ってきて、1日の出来事を楽しそうに話す。数ヶ月前にはなかった生活が今あります。学校の先生から学力も運動能力も高いと言われ、劣等感が一転して自信を持てるようになりました。診察を受けながら思い出したことですが、幼稚園に通う頃からてんかんの症状が出ていたようです。テレビを見ると顔色が青くなり、眠ってしまう。テレビゲームで遊ぶとすぐやめる。学校で映画を見ると立てなくなるほど疲れているなど。周りの大人にてんかんの知識がなかったためきづいてあげられなかったことが残念です。その時わかっていればつらい苦しい小学校時代がどんなに明るく変わっていただろうと思います。
小児期の後頭葉てんかんです。良性のてんかんです。後頭葉は視覚中枢のため、目の症状が出てきます。テレビを嫌がったり、テレビゲームを嫌がります。頭痛とか吐き気を伴うこと多いようです。
その66;私はいままで病気という病気はしたことがなかったのに、21歳の時、会社で突然発作を起こし倒れました。会社も退職し、4カ所の病院で診てもらいいろんな治療を受けてきましたが、一向によくなりませんでした。ある日、新聞で渚クリニックのことを知り、一度話だけでもと思い、母と二人で行きました。S先生の話を聞いて、いままでの12年間の無駄な治療期間と辛い思いは一体、何だったのかと思いました。以前は多いときで月15日間くらいで、1日5〜6回の発作だったのが、いまでは多いときで月7日くらいで、1日1回、それもほんの数秒間の発作で人前ではわからなくなりました。S先生に私に合った薬をみつけていただいたおかげで、いままでの辛い思いは希望へと変わりました。本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
7年間セレニカRとエクセグランの組み合わせを漫然と飲んでいました。主治医に治す気があったのか。彼女も難治性だというあきらめがあったのかな。ただ、4カ所の病院で、部分てんかんにこういう組み合わせの薬を投与するのは日常的のようで、当院へ転院してきたのは、彼女が最初ではありませんでした。てんかんのタイプを決めて、適切な薬を選択すれば、それなりの効果が期待できます。もったいない12年間でしたね。
その65;#息子がはじめて発作をおこしたのは、8ヶ月の時でした。高熱を出したときに目のあたりがピクピクと連続しておこりました。その後さほど高熱でもないのにピクピクするようになり、小児科で脳波検査を受けましたが、異常なし。発作も熱があるとき以外はなく、安心していました。でも2歳9ヶ月の時に1日に1回の発作から始まり、夜中も日中もと段々回数が増えていき、また小児科で検査を受けましたが、異常なし。でも母親として普通ではないと不安になり、以前にてんかんの専門病院だと知った渚クリニックを受診しました。脳波では異常なしでしたが、良性ミオクロニーてんかんだとわかったときは頭は真っ白で、泣いてばかりいました。ですが、きちっとした診断をしていただき、その都度、主人と共にきちっとしたS先生の説明を聞く度に、「てんかんは治るんだ」と確信し、安心するようになれました。あの日から8ヶ月が過ぎましたが、息子は発作が起こっていません。来年からは保育所に行かせるつもりです。まだまだ不安はありますが、「きっと治る」と信じ、家族で頑張っていきます。あのときにS先生に診断して頂いたことを心からよかったと思っています。てんかんという病気は私たち夫婦にとっても未知の病気で怖いという思いでいっぱいでしたが、少しずつ知っていくことで治るんだと思えるようになっていき、異常なしと言われ続けた日々よりも、きちっと診断していただいたことで、今は治そうと気持ちが変わってきました。何かわからなかったときよりも安心できるようになりました。
その64;前の発作は時間も長くあり、1日横になり、食事も欲しくなかったのです。渚クリニックへ行きだしてからよっぽどよくなりました。発作が起きたときは、声だけで、引きつけがないようになりました。夢みたいになりました。
この方は外傷性てんかんでしたので、使う薬も明確です。でもどういう訳か前医でデパケンが投与されていました。
その63;うちの息子は生後4ヶ月目に初めてかかった病気がインフルエンザでした。後でけいれんを起こしやすいインフルエンザだったと聞きました。それ以来たびたび熱を出し、熱が出れば必ずけいれんを起こしていました。まもなく県立中央病院の先生に「この子はてんかんです」とはっきり言われました。それまでてんかんという病気をあまり知らなかったけどすごくショックでした。それからあらゆる薬を飲むようになり、入退院を繰り返していました。そして98%ぐらいはほとんど小学校入学までに治ると聞き、その言葉を信じて言われるまま薬を飲ませていました。ところが状態はよくならず、入学前は熱がなくても突然、発作を起こすようになり、ひどい状態でした。そんなとき、通っていた保育所の先生を通してS先生に出会いました。渚クリニックで診てもらうようになって、発作はほとんどなくなってきました。いままで風邪をひいたりすると必ず入院していたのに、全く入院の必要もないくらいになりました。いままでのことが嘘のようです。現在、小学3年生になり、普通クラスで頑張っています。勉強は少々遅れがちで友達との関わりがへたくそなので、時々トラブルを起こしたりしますが、落ち着きも出てきて元気に通っています。
乳児重症ミオクロニーてんかんのケースです。この疾患は乳児の難治性てんかんの横綱格です。小学校入学までに治ると説明した主治医のノーテンキな無責任さに驚き、あきれます。このケースはたまたま薬が合って止まっただけで、その後やってくる同様のてんかん患児には悪戦苦闘しています。
その62;病気とのつきあいは8年くらいになります。月1回くらいは気分が悪く、胃薬でごまかすことの繰り返しでした。渚クリニックでお世話になり、薬を変えて頂き、もうすぐ1年になりますが、その間は以前のようなこともなく、毎日、安心しております。適切な薬の投与に感謝しております。
気持ちが悪いとか、料理の匂いが鼻につくとか、睡眠中の全身発作が症状でした。部分てんかんなのにバルプロ酸が投与されていました。治療は比較的簡単にうまくいきました。8年の月日がもったいないことのように思いました。
その61;生まれてすぐにOO病院にかかり、薬の性質、子供の病気の内容など知らないまま、検査したり、薬漬けにしてしまいました。新聞で見て、先生の話を聞き、先生だったらと思い、21年通った病院をかわりました。やっと子供に合う薬が決まったような気がします。子供も先生を信頼しています。これからだと思っています。病気と薬、やっと理解しました。子供には、話す勇気はありませんが、時期をみて話したいと思います。
笑い発作の患者です。3種類の薬が投与されていましたが、第1選択薬が投与されていませんでした。前医に、笑い発作という認識があったのかどうか。たまに大発作が起こりますので、その治療をやっていたと思われます。現在、2剤で発作はコントロールされています。21年間は長かったと思います。
その60;昨年(平成14年)の11月初めに、17歳になる娘が突然、意識を失い、倒れてしまいました。いままで大きな病気など無縁で、健康そのものだった子供でしたから、とても驚きました。診察の結果、”突発性てんかん”と聞かされ、信じられない気持ちで一杯でした。それでも治りたい、治してあげたい、という気持ちで通っていた神戸の総合病院の先生の出されるままに薬を飲み続けさせました。しかし一向に良くなる気配はなく、多量の薬の副作用のため、毎日、ふらふらの状態でした。身体も心もボロボロの真っ直中にいたとき、娘がインターネットで渚クリニックのことを知りました。大学受験を控え、絶望の中、S先生にすがる思いで診察をお願いしたところ、快く診て下さり、一緒に悩んで下さいました。いろいろと薬を試してやっと娘に合った薬も見つかり、発作も止まりました。このまま再発せぬようにと、いまは祈るような気持ちで見守っています。S先生には感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございます。娘も大学受験に向かって頑張ると思います。
高3で、発作のために試験をまともに受けることが出来ないという切実な訴えに、一刻も早く発作を止めなければと、必死でした。メールのやりとりで症状の変化を聞き、治療を進めました。てんかん類型の診断に手間取り、海外文献の第1選択薬が無効で、結局、止めるまでに3ヶ月かかりました。前医で6ヶ月治療して止まらなかったことを思えば、許容して頂ける期間でしょうか。ちなみに、いままで受験生は2人、受験の年度に当院を受診しているのですが、2人とも試験日までに発作は止まり、大学合格しているので、ジンクスはいいのですよ。
その59;16歳の時に急性硬膜外血腫の手術をして、その後遺症としててんかんという病気があると知りました。その後2年くらいの間に、2回ほどけいれん発作を起こしました。その時のかかりつけの病院では脳波にも異常がないので薬で・・・・と言われ20歳くらいまで服用していました。しかし発作もないのでいいかと思い服用と通院を自分で勝手に止めてしまいました。そして12年後、自宅で睡眠中にけいれん発作を再び起こしました。家族もびっくりして、以前かかっていた病院に再びかかりましたが、同じ薬の処方しかありませんでした。何年か同じ薬を飲み続けたのですが、半年に1回、3ヶ月に1回と定期的に発作を起こすようになりました。ある時、新聞で渚クリニックの記事を見た家族のすすめで受けさせて頂くことになり、いままで異常ないと言われていた脳波の悪いところもわかり、内服薬も変更していくことで発作が1年近く治まっています。
外傷性てんかんなのにバルプロ酸ナトリウムが投与されていました。奥様がてんかん基礎講座に出席されたので、治療を間違っている旨、説明し、後日、本人が受診され、治療がうまくいきました。その他にも、外傷性てんかんなのにバルプロ酸ナトリウムが投与されているケースは多々見られます。そういう方は、一度御相談下さい。
その58;もう、4年になります。突然、息子が倒れたのは・・・・・・。他の方々と同じで、どの病院へ行っても治らず、だんだんとひどくなる一方でした。年頃になり、将来の事も考えなければいけない時がきて、考えても考えても、まずは身体をどうにかしなければダメなんだ思いました。そんな時に新聞で渚クリニックを知りました。あっけないほど簡単に薬が合い、1年発作は出ておりません。実は、てんかんについて本を読み、試行錯誤しているおりに、意外と、てんかんの発作を起こしている人が多いことに気付きました。そしてあるきっかけで、自分がてんかんだと気付かずに発作を起こしている人と出会い、こちらの病院がとても良いので、一度ぜひ行ってみたらとすすめました。今も通っているはずですが、そういった気付かずに他の病院を転々としている人、不適切な薬を飲んでいる人も確かに多いように思いました。おかげさまで息子はある目標に向かって勉強しています。1週間に1度スポーツジムにも通っています。そんな息子を見ることが母としてうれしいのです。
あっけないほど簡単というのは、お母さんの感覚ですが、私は結構、悪戦苦闘しました。前にかかった2つの病院は、県のHPに”てんかん専門外来”で登録されています。側頭葉てんかんにデパケンを出していました。てんかん専門外来を自称することに、恥ずかしさを覚えないのでしょうか。てんかん治療を混乱させているように思います。
その57;子供が平成14年の7月に突然ひきつけを起こし、OO病院で脳波検査の結果、てんかんと言われ、それといって説明もなく、出された薬を飲んでいました。まったく発作はおさまらず、家族中が不安で一杯でした。私が薬局で薬を待っているときに、S先生の講演のチラシを目にしました。その時、すごく救われたような気持ち。うれしい。お話を聞きにいきたいという気持ちでした。お話を聞いてから、先生に診察して頂き、私も子供も不安な時期を乗り越えられました。先生には感謝の気持ちでいっぱいです。これからも薬を続けなくてはいけませんが、てんかんという病気に負けないよう頑張っていきます。
その56;私の主人のことですが、初めて発作が起きたのが、平成13年の2月でした。仕事場で倒れたので、救急車でT病院に運ばれました。てんかんという病名を聞いてびっくりしました。平成5年10月に交通事故で傷を受けていたので、そこからきているというのです。事故から8年もたって、こんな後遺症が起こるのかと、とても複雑な思いでした。それからその病院に月に1回診察を受けにいったのですが、なんと5月、7月、12月、1月、2月、3月、4月と合計8回大きな発作にみまわれました。私はそのたびにもうどうしていいか、先生に診てもらっても薬の量が増えるだけで、あとは何もありませんでした。その時友人からてんかん専門の先生が小松島で開業していると聞き、そこで診てもらいました。そしたら薬が全然あっていなかったのです。病名も症候性部分てんかんと言われました。いままでの先生はそんなことを言ってくれず、脳波をとっても説明もあまりありませんでした。でもS先生はちゃんとわかりやすく説明してくれて、本当に専門の先生は違うと実感しました。現在11月に入りましたが、5月に病院をかわってから、1回も発作は起こっていません。これも先生のおかげと感謝しております。
その55;心の中に重い不安感、家族の者に心配と迷惑をかける心苦しさ、よくなったかと思えば、また同じことの繰り返し。その間、脳外でいただく薬は飲み続けての10年余の月日でした。こちらのクリニックにお世話になり、病気のことは忘れている私です。でもまだもう少しの時間が必要な私ですが、何とか治りたいという気持ちで一杯です。よろしくお願いします。
その54;今年、31歳の息子です。中学校を卒業し、1年くらい過ぎた朝の出来事です。起きてすぐ2階から落ちてきたのです。意識を失い、けいれんを起こしたのです。すぐ近くのかかりつけの内科の先生に往診してもらいました。そしたら、てんかんかも・・・・と言われました。その時は本人はもちろん家族全員がびっくりしてしまいました。すぐ、別の病院へ連れて行き、「やはり」、それから薬を飲みながら、年に1,2回、月に1回、ひどいときは週に1回と発作が起こるようになりました。なんとか治してやりたいと思っている矢先に、昨年新聞を見て、白河先生のお話を聞かせて頂き、息子に相談して昨年(平成13年)7月より先生にお世話になっております。それからというもの発作も1回もなく元気で仕事に行っております。いままでも何回か病院もかわりました。「でも・・・」白河先生に巡り会えて本当にうれしいです。これからもよろしくお願いします。
その53;マイスタンは使い始めて2年くらいになるお薬ですが、その副作用で発作が誘発されると聞き、服用をすべて止めたときは不安でした。案の定、2,3日は発作が何回かあったのですが、4日くらいにピタッと発作がなくなり、驚きました。そしてお薬ってとても怖いと感じると同時に、昼間、発作がなくなり、本人もとても楽になったようで、喜んでいます。
その52;生後4ヶ月のとき、初めてのけいれんが起き、8ヶ月からお薬を飲み始めました。それでも発作は2〜3ヶ月に1回起きていました。お薬を変えてもよくならず、5歳の時にS先生にお世話になりました。それから1年半の間は発作が2〜3ヶ月に1回ということでお薬が合っているかどうかわかるまでに時間がかかりました。いま7歳、発作が7ヶ月起こっておらず、脳波もきれいになってきたので、一安心しているところです。このままよくなってくれるものと信じています。
その51;はじめて発作があったのが23歳のときでした。はじめはどうして発作が起こるのかわからず、夜寝ているときに多く発作があったので、寝たら今日もまた起こるのかなと、不安でした。「てんかん」と初めてわかったのが、娘がお腹にいるとき、早産しかかり、入院中に発作があり、その時診断を受けました。娘は無事生まれ、今も元気に育っています。S先生にかかるまでの3年間、市内の総合病院で治療を受けましたが、発作はかわらずありました。診察の時、S先生の、「何かありませんか?何でも言ってくださいね」、とあたたかく声をかけて下さり、今まで受けてきた診療の、あまりにも違いがあり、先生の言葉を聞くだけ、自分のことを聞いてもらうだけで、発作の不安がどんどんなくなりました。いま、発作はすこしずつ落ち着いてきました。身近な大切な家族に、いままでかけてきた心配を、すこしずつ自分のペースで戻せたらと、思います。
その50;息子は2歳1ヶ月の時、発病し、中央病院に入退院を数回繰り返し、それでも発作が止まらず、別の病院に紹介され入院。検査検査の毎日で、薬は6種類に増えた。発作が止まらないと量が増える。それでも止まらないと種類が増える。6ヶ月が過ぎた。退院後は、薬漬けの息子は歩行が困難なので、ベビーカーに乗せて4ヶ月通院。一緒に入院してた人から、入院しとったときより悪くなっとんちゃう、と言われた。自分ではまっすぐ歩いているようでも、親から見ると斜め歩き、遊ぶのも危なっかしく、つきっきり、ご飯も食べず、2歳のとき14kg、3歳の時も14kg。眠気で半日は寝ている。波の会を知り、渚クリニックへ。今、5歳になりました。6種類あった薬も3種類に。発作はまだありますが、寝たときだけです。幼稚園に元気に通っています。ふらつきもなくほっとける状態です。本当によかったと思います。あのまま前の病院に通っていたらと思うとぞっとします。
その49;私は地方公務員として仕事をしてきました。平成13年の3月に初めて発作が起こりました。そのときはまだてんかんの発作とは気付かず仕事を続けていました。それから3ヶ月の間に、3回も車で事故を起こしました。その度、他の病院では、車に乗ってはいけないとか、脳波には何もないと言われました。3回目の事故の後にS先生と出会い、はっきりと病名の話や薬の説明を受け、てんかんは治る病気だと知りました。私は34歳で初めて発作が起こりました。それまでてんかんと聞くだけで、心の中に少し偏見がありました。でもS先生やその他いろいろな方のアンケートを読み、これから自分も少しずつてんかんで困っている人たちと協力し合っていきたいと思います。
その48;私の息子は小学校4年で発病し、以来14年になります。いろいろな病院にも通院しましたが、なかなかよくならず、赤岩医院にお世話になって、初めて少しよくなってきているという話をして頂き、治らない病気だと思っていたのが、希望を持って治していきたいと思います。
その47;29歳の女性です。いままで医大といろいろな病院で治療して、お薬をたくさん飲みました。具合が悪くなれば、薬の追加で、薬はどんどん増え続けました。でも具合は悪くなる一方。そんなときS先生の話を聞くことができ、すぐに診ていただき、薬を私に合わして頂き、少しずつよくなり、身体も楽に動き、頭も軽くなりました。いま思えば、辛かった日々が嘘のようです。これから希望を持って歩いていけます。先生、ありがとうございました。
その46;長男は小学5年生で発病し、中学3年になる春先まで総合病院に通院していました。2〜3ヶ月は発作が止まっても、また起こり、薬の量が増えたり、薬をかえると副作用が出たりで、不安の毎日でした。新聞で見つけた赤岩医院に思い切って訪れ、発作に合った薬を使うと、発作は止まることを教えていただきました。いつかは治ると信じて、息子も面倒がらず薬を飲んでいます。ただ、まだまだ偏見があり、学校には届けていません。就職にもかかわってきます。この病気が「アトピー性皮膚炎」の様に大変だけれども多くの人が理解してくれる様になればいいと思います。薬でコントロールできれば発作は止まるし、日常生活も普通にできます。それに必ず治るという希望をもたせてもらいました。(わたしのところへ来て、高校受験が控えていましたので、なるべく早く発作を止めなければいけないと、結構、焦って治療しました。なんとか間に合い、合格してほっとしました)
その45;現在、28歳になる娘が小学1年生の時に頭を打ち、その後にてんかん症状が出てきました。後天的なことが原因だから、そのうち身体も大きくなると、もしかしたら状態もよくなるのではと希望をもっていましたが、良くなるどころか、3年前には大きな発作で1年に2回も救急車で病院へ・・・・2度入院させたこともありました。親としてどうしたものかと日々、心を痛めているときに、新聞でてんかん専門の渚クリニックのあることを知り、藁にもすがる思いですぐにお世話になり、まだ4ヶ月余りですが、いろいろと調合していただき、かなり症状もよくなってきています。親として精神的にも、かなり楽になり、先が明るく見えています。
その44;4歳の女の子ですが、4月から無意識で回転するような発作が起こり、某公立病院にて診察を受け、デパケンのみを服用していましたが、発作がおさまるどころかついにはけいれん発作まで起こっていました。てんかんらしいということしかこの時点ではわからなかったのですが、保育所の方から渚クリニックを教えて頂き、新たに薬を処方して頂きましたら、10月までにはまったく発作がおさまってしまいました。てんかんは一生、治らない病気と思っていましたが、適切な治療で治すことが可能であると、確信しました。
その43;私の子供は生後3ヶ月くらいで口から泡を吹きだしているのに気づきました。◯◯病院(公立病院の固有名詞、編者注)で検査をしてもらうと、てんかんと診断されました。それからS先生にかかるまでの10数年間、いろいろな薬を飲みました。年に一度検査を受けると、脳波にてんかん波がでているので、薬を飲んでいないからだと、注意を度々受けました。てんかんが治るとか、どういう種類のてんかんであるとか説明はされませんでした。S先生に診察してもらうようになり、時間をさいて説明があり、てんかんが治る希望がわきました。◯◯病院ではてんかんの専門的な先生がいないように思いました。(前医で、薬をきちんと飲んでいるのに、飲まないから脳波がよくならないのだ、と言われて傷ついたそうです。薬を変えたら、脳波はよくなり、もうすぐ断薬、の時期にきております)
その42;いつもお世話になっています。初めててんかんと聞いたときは、この先どのようにやっていけばいいのかとても不安でした。しかしS先生と出会い、てんかんに対する正しい知識やてんかんは治る病気だということを教えてもらい、随分気持ちが楽になりました。最近は発作も少し減ってきているようで一安心しています。てんかんという病気に対して悪いイメージを持っていましたが、今は前向きに気長に治していけたらと思います。これからもよろしくお願い致します。
その41;やっと専門医に診察して頂けたという大きな感激が先生との出会いでした。発病後、ある程度発作は治まったものの本人の病気不安、それによる不登校、釈然としない体調など、母子とも気が重い数年を過ごしておりました。本人もS先生の診察にはやはり信頼を感じたのでしょう、安心しておりましたし、私も長年の不安な思いがようやく解かれました。大学受験一浪中にお薬はかなり良い状態にまで合わせて頂き、希望の大学に合格できましたときは、本当に本当に感謝の思いで一杯でございました。人口あたりの医師の数は全国的にも高い位置にある徳島県でありながら、てんかんの専門医がいなかったため、いままで適切な治療が受けられませんでした。S先生の診察を受け、私ども親子はまさしく霧が晴れるように、先生を信頼しつつ、病気とつきあっていく気持ちをもてるようになりました。てんかんとはこれからもずっとつき合っていかなければならないのはもちろん気が重いことです。しかし誰にも話せなかった自分の経験を生かせる職業につきたいという考えのもと、現在学んでいる我が子には是非とも実現に向かって欲しいものだと思っています。
その40;長かった自律神経症状(部分てんかんの前兆;編者注)で脳外科、神経科といろいろと行きましたが、言うことは同じようなことばかりで、薬も一向に効きませんでした。便秘、冷汗、生理。便秘が何日も続いたり、生理の調子の悪いときには発作が起きていました。いまから10年余り前、N病院へ1週間検査入院して脳波も調べましたが、異常もなく心配ないとのことでした。でも1年近く薬を飲み続けていたのですが、状態は変わらず、言語障害を起こして話すことができなくなって、病院へ行ったら先生は、この薬を飲んでいたら肝臓を悪くすると言ったのでびっくりしました。それから医者がまったく信用できなくなり、薬もこわくなりました。漢方薬もいろいろ飲んでみました。不安になったり緊張したり、動悸がしたら、冷汗が出ていました。あきらめかけていたときに見たのが、徳島新聞のS先生の記事でした。発作は止めることができる、発作が止まらないからといってあきらめないでほしいということが書かれているので、すぐ電話しました。3月13日に病院に行って、S先生の説明することが、いままでの病院の先生の言うことと違って、全部当たっているのにはびっくりしました。そしてその日にS先生に頂いた薬を飲み始めてから、またびっくり。その月の生理の前の発作も起きなかったのです。2ヶ月目は少し不安があったので、先生に電話で聞いたら、わかりやすく説明してくれたので、安心しました。そして発作も起こりませんでした。ほんとうにS先生に出会えて良かったと思います。そして感謝の気持ちでいっぱいです。うれしくて何度も涙がでてきました。3ヶ月目の生理の前の発作もなく、すごく順調です。私だけでなく主人も娘も喜んでいます。
その39;初めて私がS先生の名前を知ったのは、友達が県立総合福祉センターで先生の話を聞いて、行ってみたらどうかと電話をくれたので、すぐ病院の方へ電話をしたところ、次の日に検査をしてくださるとのことで、本人と出かけていったのです。それまで某公立病院へ2度検査入院をしましたが、先生からはてんかんですねというだけで、詳しい説明はありませんでした。私の方も説明を聞くのが恥ずかしい様な気持ちで深く聞けなかったと思います。でも、S先生の説明は初めから力強く、薬でほとんど発作は止まるでしょうと言って頂いて、涙が出るほどうれしかったです。本当に発作も止まり、毎日、仕事に出ていき本人も明るくなり、喜んでいましたが、やはり一進一退で、まだ気の休まるところまではいきませんが、人にあまり恥ずかしい病気だという気持ちは少なくなってきました。でも何があってもS先生に相談できると思うと、心強く、話を聞いてもらえる人がいるということがうれしいです。
その38;私たちの娘は9ヶ月の時、急激な発熱のため熱性けいれんを起こし、けいれんが2時間以上続き、その間、個人病院を2軒、県立病院へ救急車で運ばれました。運ばれたとき、意識がなく覚悟はしておいてくださいと言われましたが、意識は回復し、麻痺が残るといわれたのも、麻痺もなく戻りました。その後も熱が出る度にひきつけておりました。3才の頃、熱が出てないのに声をあげてひきつけるようになり、その症状は高学年になるほどひどくなっていきました。適切な治療も受けられないまま、検査入院を繰り返し、病院も次々と変わっていきました。15才になるまで、病名が自律神経失調症とかヒステリーとか言われて、薬もたくさん飲み、ひどいときは5種類ぐらい飲み、効かなければ次の薬と変え、その副作用が強く、眠気を起こしたり、吐き気が出たりと、見ている私たちの方がこのままで娘はいけるのだろうかと心配しました。そんなとき中学校の養護の先生が新聞に載っているS先生を教えてくださいました。一度行ってみたらと勧められ、訪ねました。S先生に処方して頂くまで、薬を飲んでも月30回くらい起きていた発作が、ひどい時でも月5回におさまり、よいときは月にまったく発作を起こさないまでになりました。薬の量もかなり減り、副作用も起きず、本当に元気になりました。いままでやりたいことがほとんどできず、親子ともども辛い毎日を送っていましたが、いまでは娘はいろんなことに挑戦し、生きてきてよかった、S先生に出会えてよかったと言っています。
その37;某大学病院に7年間通院、一部入院をしていましたが、ひきつけ、けいれん等の症状がいっこうに思わしくなく、不治の病と諦めかけていましたが、新聞でS先生のことを知り、お世話になるようになりましたが、一番に思うのは、薬の量が大変に違うと言うことです。前医のときは大量の投薬、その事によって本人が飲むのを嫌ってきましたが、病気治癒のため勧めましたが、副作用のことも考えました。治療のためと思い、続けて参りました。S先生のお話を聞くことによって、てんかんは不治の病ではないと思いました。先生にお世話になるようになって、ひきつけ、けいれんの回数も少なくなり、本人家族とも大変ありがたく思っています。
その36;ここに通院する前は、徳島市内の病院に通院していましたが、発作も止まらないし、軽減もしませんでした。初めてこの医院を受診したときに、それまで出されていた薬の三分の二が必要のない薬だと教えられ、何故そんな薬を飲んでいたのかと思いました。また発作もほとんどのケースが治ると言われ、それまでは半ばあきらめ気分でしたが(発作が出始めてから10年もたっていたので)希望を持つことができました。治療の内容も血中濃度や脳波もこまめに調べてもらえ安心の一つとなっています。
その35;僕にてんかん発作が出たのは5年前で、最初はT病院に運ばれました。いままではてんかんという病気に無関心で、普通に薬飲んどったらいけるわって軽い程度に思っていました。薬も飲まない日も度々あって、油断して3〜4回くらいの発作が出たときには、気がついたら、病院に運ばれていました。まさか(てんかんという病気から)発作が起きていると思いませんでした。ショックで部屋に閉じこもりきりになり、人と接するのも怖いくらいにまでなりました。S先生に診てもらってから、考え方が変わり、治るんやって思って安心しています。
その34;鳴門、徳島、鳴門と17年間通院していましたが、どこの病院も専門の医者がいなくててんかんを治すと言うより回数を抑えるという考え方の先生しかいなくて、てんかんとは治らない病気なんだなと自分でも諦めていたのが、S先生に診てもらって、治ってもおかしくないんだなという考え方に変わりました。とはいっても自分のは一番治りにくいのだと聞いたときはさすがにショックでした。治らない確率が70%だからです。しかしいままで通っていた病院では0%と思って17年間過ごしてきたので、30%でも光が見えてきてここにきて良かったと思います。(いまは発作は1ヶ月に1回あるかないかまで減っています。しかしついこの間まで、約3年間、なかなか有効な手段が見いだせず、手術しかないかと、彼にも辛い思いをさせてしまって申し訳なく思っています)
その33;現状の病院の処置については満足しています。ただ一般的にはてんかんについてまだ多くの偏見を持たれています。広報活動などを通してより多くの方々に理解して頂いて偏見をなくす努力をして頂きたいと思います。
その32;てんかん治療がこれほど前向きにできるとは思っていませんでした。なかなか発作がおさまらないといって、いま飲んでいる薬をどんどん量だけ増やしていき、ある程度の量までくると、日常生活に差し支えない発作だったら様子をみましょうと現状維持。しかしS先生に診てもらって、必要でないと思われる薬はスパッと切り次の段階に進んでくれる。薬が減るときはチャレンジみたいなドキドキしながらも一歩一歩先に進んでいくような気になり、自分自身が治療に対して、前向きに積極的になってきました。(効かない薬は止めていかないと、どんどん増えていきます。薬だけでお腹が一杯になるという患者さんもいました)
その31;10年余りてんかんで苦しんできました。徳新の記事で80%は治るというのを読み、S先生にお目にかかりました。明快な説明、実績、自信に満ちた先生のお話に、てんかんは止めることができるかもしれないと、希望がわきました。先生のお話によると、てんかんはかなりパターン化され、治療薬も決まっているようなのにいままで治療を受けてきた精神科の先生に、その薬を処方して頂けなかったのが不思議ですし、てんかんを止めていく先生の力は偉大だと思います。(てんかん学は日々進歩しています。特にこの10年はめまぐるしいものがあります。治療の基本である分類学自体が変遷しています)
次のページへその30