十二月の歌   田山 花袋


     田とすかれ畑と打たれてよしきりのすまずなりたる沼ぞかなしき
                                 (『田山花袋歌集』)
                              

      先日、所要で館林へ行った。ここは私には思い出の地。明治二十年代、田山花袋と
    松岡(柳田)国男とは少年時代に同じ師、松浦辰男のもとで歌を学んだ。紅葉会とい
    うその短歌会の詠草綴が当地の田山花袋記念館に保存されている。二十数年前のこと
    だが、その資料を読むために私は何度もここに足を運んだ。松浦辰男の研究者兼清正
    徳さんをお連れしたこともある。記念館の近くには花袋の生家があり、この歌は白狐
    の伝統で知られる尾曳稲荷神社の境内に歌碑になっている。花袋の歌は見ての通り平
    明素朴な歌。空穂も花袋の歌には好意に満ちた文章を書いている。今回は旧知の半田
    雅男さん(コスモス)が懇切に案内して下さった。ショックだったのは前回訪れた時、
    お世話になった越沢忠一さん(白路)が歌碑の除幕式直前に急死されたという。歌は
    「尾曳橋渡りゆくときみぎひだりわれにつながる水温かし」であった。そういう悲し
    みもあったが、前に記念館で紅葉会の調査に協力して下さった女性学芸員二人とも偶
    然再会。そういう思いがけぬ喜びもあった。              (来嶋靖生)
                                                           
                                  
  (注)「槻の木会」について

所  在  東京都武蔵野市吉祥寺本町
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        槻の木会
郵便番号  180−0004
電  話  0422−36−1947

 大正十五年、窪田空穂門下の早稲田の学生、
 都筑省吾、稲森宗太郎、染谷進、稲垣達郎、
 小沼達、尾崎一雄らが結成し、雑誌を創刊。

 創刊以来、第二次大戦中用紙事情の悪化に
より一時他会と合併したものの戦後復刊、そ
の後も歌風を問わず広く会員が集い、現在に
至る。 
    平成九年、都筑省吾逝去後
    編集代表、来嶋靖生
    雑誌題字、會津八一

入会ご希望の方は、上記「槻の木会」に、ご照会下さい。

創刊 大正15年
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