四国の山行記録のリスト    H11.11.03

※ 400番台の下2桁は、高知新聞社発行「四国百山」の番号
No.山 名標 高場所 初登頂日 備 考   ( )は登頂回数
***伽藍山0414伊方町 H08〜  この山は、日本一細長い佐田岬半島の最高峰である。頂上@(多)には、展望台の他、地理的な理由で、旧日本軍の防空監視所の跡とともにアンテナ塔も立っている。名前の通り宗教的にもさまざまな施設の跡も残っている。ウバメガシ茂る自然林の山であるが、山頂部分は平成10年に県の事業で、自然公園として大規模に開発された。駐車場前には芝生の広場ができ、多くの木が植えられ、頂上直下にはこの公園のための大きな給水タンクまで設置されている。佐田岬は知る人ぞ知る渡り鳥銀座である。頂上下には野鳥の休憩のための人工池までできた。そこにはメダカやエビなどが放流され、親子連れがメダカすくいに訪れるようになった。遊歩道が整備され、各所に東屋、そしてさらに自然体験農場もできている。登山道は一応各地区からあるが、車道が頂上まで行っているので、今ではほとんど歩かれない。また山頂の展望台も老朽化で使用禁止になって戦争の史跡も藪に埋もれてきた。
***大山0366伊方町 H09〜  三崎町第2の高峰で、昔、仙台藩名取郡の人が連れてこられてできた集落である名取(松山建築楽会:四国88カ所の1つ )の裏山である。現在、名取からの車道が、うら越え(頂上の肩にある峠で、NTTのアンテナが立っている)まで登っている。そこから頂上への道は今は消えているが、まっすぐ登るだけである。ほとんど分からないが、各方面からの道もある。昔は雨乞いが行われ、地元では「名取伽藍」と呼ばれている。今は山頂に登る人もなく、おかげで良い自然が残っている。
***見晴山0395伊方町 H10〜  佐田岬半島にある一等三角点の山である。高茂への一般道から分かれてこの山には車止めのある車道が登っている。頂上直下で車道は切れているが、そのまま高い方を目指して歩いていくと、一等三角点なのに今ではほとんど登る人もない山頂@に出る。西方は開けていて高茂牧場の草場になっている。
***堂々山0397伊方町 H12〜  佐田岬半島伊方原発のお膝元のやまです。旧伊方町の最高峰で、地図によると最高所は400mをわずかに越えているようです。山頂@部には公園と展望台がありますが、木々が茂って今では展望がよいとは言えません。この周辺には林道や農道が多く道に迷いやすいので注意が必要です。
461出石山0812長浜町 S6?.??.??  山は「いずし」山と呼ぶが、山頂にある寺は、金山出石(しゅっせき)寺と呼ぶ。弘法大師ゆかりのいわくある山で、一説には水銀の鉱脈があったとされる。長浜町、保内町、大洲市、八幡浜市のほぼ中央にあり、各方面から登山道がある。歩いての登山ではちょうど往復1日ほどかかるため、この地の多くの中学生が学校行事で登っている。私は、車での登頂の他、バイクで登頂@(2)したときは、上須戎までのぬかるんだ山道をオフロードバイクで下ったこともある。
***壺神山0971長浜町 S6?.??.25  壺神山は、長浜町の北東にある中南予最高峰の一等三角点の山である。しかし、ほぼ山全体を針葉常緑樹が覆い、山頂部には大きな反射板等の人工のにおいが漂う魅力の乏しい山としてあまり登られることはない。しかし、ちょっと低い南峰には祠があって壺神権現を祀っており、田処などの周辺の地区の信仰は今なお続いている。私は、まだ山歩きが趣味でない頃、車とバイクで山頂@(2)まで行ったが、1等三角点は、草むらの中に淋しくたたずんでいた。私は麓の柳沢という地区に住んでいたこともあって、その周辺の林道は無数に走っている。当時、田処の人は大洲の花火を壺神山の肩である石神峠で見下ろして楽しんでいたと言っていた。平成十二年に出版された「四国百名山」にはこの一帯の山としては唯一この山が選ばれた。標高こそ少し高く一等三角点があるが、同出版社の「日本の山1000」で四国の57座のうちに選ばれた出石山や神南山を落としてまでも選ぶような山ではないのは明らかである。高知新聞社の「四国百山」でさえも全くこの山は触れられていない。私はこの山には数々の思い出や思い入れもあるが、どうひいき目にみてもこの選定には首を傾げざるをえない。この地域に住み公平に山を知っている人なら、この本そのものの価値をも疑うことである。この山を選ぶのなら、前述の2山の他でも、御在所山、牛の峰、冨士山、明神山、伽藍山が選ばれる方が自然である。
***冨士山0320大洲市 S6?.??.??  冨士(とみす)山は小さな山だが、地理的にも観光の面でも大洲市の中心の山である。山頂部には大量のサツキや園芸樹が植えられ、公園や展望施設などが徹底的に整備され、周遊道は一方通行、シーズンには登山専用バスがでるという市民の憩いの山である。オートキャンプ場や水遊びのできる広場さえもある。私が登頂したときには三角点上に測量用の大きな櫓が組まれてあった。私は当時、大洲市民だったので、手軽に登れるこの山には無数に各方面から登り、津々浦々まで歩いている。山頂下には展望台があって、そこから見る霧の大洲の雲海には感銘を受けた。しかしこの山の本当の良さは、如法寺周辺の静寂、そして南予には珍しい中腹の豊かな広葉樹林の美しさである。また、この山のおかげで、大洲の他の山は観光地化せずにすんでいるとも言える。
***感応寺山0688大洲市 H0?.??.??  大洲自動車道を宇和島方面から走り、冨士山トンネルを抜けると、正面やや右に端正な山がどっしりとぞびえているのに気づくだろう。これが感応寺山である。その後ろの反射板と鉄塔の見える山は壺神山である。感応寺山の山頂への登山道はさだかではないが、林道は山頂まで伸びている。中腹の恋ノ木地区や宇山、麓の新谷や柳沢地区からの信仰もあるのだろう。山頂には立派な社があり、藤縄の人からは、お祭りもあると聞いた。私は、山歩きをしてなかった頃、単車で登った(2)ので、登山道は確認していないが、静かな頂であった。
***高山寺山0561大洲市 H0?.??.??  大洲の久米は、最近市民病院を初めとするいろいろな建物が建てられ、その景観が変わりつつあるが、いまでも田園が広がり美しいところである。この久米の奥に控えるアンテナの目立つ山が、高山寺山である。大洲中心からみると出石山を隠すような位置にある。中腹の高山地区には巨石遺跡(メンヒル)があり、正面の神南山に向いている。私は車や単車で、山頂部のテレビアンテナまでは何度も行ったことがある。そこから少し西に行くと、三角点のある山頂@があるが、ちょっとわかりにくく、だれも訪れることはないようだ。
***神南山0710五十崎町 S4?.??.??  この山は、肱川及びその支流の小田川、矢落川にぐるりと囲まれた単独峰で、ハンググライダーの愛好家には有名な山である。山は最高峰のある本峰(女神南山)と西の新谷神南山(男神南山)からなる。本峰は、私の故郷五十崎で見るとまさに大きく裾を広げ最も美しい。五十崎町は、昔は日本でも有数の大久喜銅鉱山で栄え、今でも多くの坑跡が残っている。私にとってこの山は、毎日正面に見ながら五十崎小学校に通学し、廃坑で遊んだまさに故郷の名峰である。本峰は大きくどっしりしているが、西峰は男性的で景色の良いやせ尾根が続き、山歩きには楽しい。大洲から見た西峰は、その端正な姿から神奈備と呼ばれ、美しい山の景色が大洲市民に愛されている。私はさまざまなコースと方法で何度もこの山には登っているが、大洲の菅田から西峰をへて登頂@したのが最も印象に残っている。
465御在所山0669肱川町 H0?.??.??  御在所山は、肱川町、野村町、大洲市の境にある石灰岩の山で、四国カルストの西のはずれにあたる?。山頂部@(2)にはカルスト特有の奇岩がみられ、自然の森キャンプ場も整備されている。御在所の名前は平家伝説によるらしく歴史的にもおもしろそうだが、尾根伝いの立派な広葉樹林や断崖や奇岩の景観だけでも訪れる価値のある山である。私は自然の森からと、大洲との境である水が峠からの縦走というコースでも登ってみた。山麓の小藪温泉は風情ある温泉宿で、今までテレビや映画の舞台にもなっている。
***犬尾山130吉田町 H11.11.??  この山は、吉田町市街のすぐ西にある小山である。しかし、百mをわずかに越える標高ながら、宇和島方面から国道56号線を北上したときに見える、吉田の港を背景に見るこのピラミダルな山には、ここを通るたびに気になっていた。吉田中学校から一時のブームで作った長い滑り台のある吉田公園を経由して、吉田町の市街の反対側からこの山に向かった。ここからは車道が犬尾山の肩まで通じている。肩の駐車場のすぐ上に東屋があり、そこから登山道が通じている。山頂部は炭焼きには手頃な太さの美しいウバメガシの林で、犬尾城という城跡らしく、山頂@は平地となっていた。北の尾根沿い歩いていくとミカン畑の中に壕らしき窪地も多く見られる。しかし、道は藪となって終わっているので、引き返ししばらく下って再び北尾根に向かった。歩きやすい山道はやがて神社を通り東面に出て、吉田市街に下っていた。
407鬼ヶ城山1151鬼ヶ城山系 S6?.??.??  南予の山に詳しい大谷彰氏は、宇和島市の南東部にそびえる南予の山岳地帯を南予アルプスと呼んでいる。一般には鬼が城山系といわれるが、これは宇和島市からみえるこの山系で最も高く見える山がこの鬼が城山であるからだとされる。今ではスーパー林道が通っており、多くの人が車で訪れている。しかしこの山の山頂部は樹木で覆われ、展望はきかず、登って美しいのは霧氷のの見られる冬季である。私は、当時はオフロード単車で走るのが趣味だったので、この山は山頂@まで単車で登頂した。このような登山は、今ではひんしゅくものであろう。
455高月山1229鬼ヶ城山系 H05.04.02  この山は、鬼が城山系(南予アルプス)の最高峰である。宇和島市からR320で広見町へ向かう途中で、右に折れると黒尊林道が始まる。この林道は、南予アルプスの山々を縫って高知県に抜けるスーパー林道である。鬼が城山の手前を梅ヶ成峠に向かい、そこから登山道を1時間かけて登ると山頂@である。葉の落ちた木々の間から展望も利いていたが、そろそろ新芽もふくらんでいた。この山域には猿も多いと聞くが、この時初めて見ることができた。
391三本杭1226鬼ヶ城山系 H04.11.22  この山は、標高こそ高月山より低いが、その立派な山容から鬼が城山系の盟主ともいえる山で三百名山の1つに選ばれている。その名前は、この山の近くに、宇和島藩、吉田藩、土佐藩の境界を示す3つの杭が立っていたことに由来する。私は、黒尊スーパー林道で、八面山を通り、この山まで縦走した。頂上部@は見晴らしのよい笹原である。滑床山という別名もあるように麓の滑床渓谷から滝や渓谷の美を味わいながらまわるハイキングコースがこの山をじっくり味わうには良いと考えられる。
495譲ヶ葉森1016津島町 H06.01.15  津島町の山を県道四号線を通り深く入り、大道という地区を目指す。広野峠から東にさらに林道を登ると、やがて畜舎がある。ここに車を置き、植林の中を登っていくとやがて、加塚越という尾根に出る。そこから稜線沿いに一気に登ると山頂@についた。ここからは鬼が城山系の山々がよく見えた。ここも他には誰も登ってこない静かな山行であった。
392篠山1066一本松町 H02.08.24  この山は、四国で最も南の千m峰で、その山容からも、春のアケボノツツジの大群落からも、宗教からも予土国境としての歴史からも南予の名峰として屈指の山である。三百名山にも数えられ、山頂部は国立公園特別保護区でもある。私は、篠山荘のある南東尾根から登ったが、途中の道に子どもの名前があるあまりにも考えのない植樹の跡があった。このような指導者の常識が問われる行為は、自然体験を急いで取り入れようとする教育の焦りによるものであろう。山頂には大杉や寺跡、国境石碑などがあり、その歴史を感じさせる。新しい篠山神社の奥@は、笹が多く明るい雰囲気である。麓の一本松温泉あけぼの荘の浴室にはアケボノツツジの満開の篠山が描かれており、この山が町民にいかに愛されているかが分かる。
464大野ヶ原1403四国カルスト H0?.冬.28  愛媛県から高知県へと続く四国カルストは、夏に行くと広々とした涼しい高原地帯で、羅漢穴を探検したりブナの原生林を訪れたり、なかなか楽しい。大野ヶ原も冬となると様相が大きく変わる。ここの小学校は愛媛県で唯一冬休みが長い。夏にも何度か登頂@したが、スキーもできるというこの厳冬の高原に登ったことがある。その時は雪は深くなかったが、うっかり車のウォッシャー液を出して視界0になってあわててしまった。山頂@はまさに吹きっさらしで、小さな社で風をよけしばらくいたが、早々に下山した。
442大川嶺1525上浮穴郡 H02.04.30  大川嶺は、美川スキー場のある山で、山頂部はなだらかな山容が続く放牧場で、車道も整備され、夏のドライブには楽しい山である。山頂部は牧草地と笹原が広がり、これといって特徴のある頂はない。最も高い笠取山の頂上@には、三角点と小さい立て札があるだけである。展望はよいので、周りの四国の山々の景色を楽しむことができる。皿ヶ峰から石墨山、石鎚山、瓶が森、筒上山と四国山地の主稜の山々の景色もなかなかいいが、隣の明神山は特に立派に見える。
430中津明神山1541上浮穴郡 H0?.??.??  中津明神山は、予土県境にすっくと立った独立峰で、四国の多くの山からも、山頂の気象観測レーダーのアクセントのあるこの端正な山はよく目立つ。気象観測施設の建設のためか、山頂直下まで林道が通っている。山頂部は笹の原で、その中に一部吹き飛ばされながらも針金で支えられた木の鳥居が立っている。下にも2つの鳥居が並んであり、観測レーダーの足下に申し訳なさそうに小さな祠@が鉄柵に囲まれて2つ建っていた。その祠は全く向きが違うことから、それぞれ土佐と伊予のものなのかもしれない。山麓からじっくり登ってみたい山である。
404牛ノ峰0896双海町 H0?.??.25  内子町と双海町の境にあるこの山には、遠い昔、内子側からの父と登ったぼんやりした記憶がある。今回は双海町上灘から登った。稜線まで林道が走っており、そこには立派な地蔵堂がある。依然、中央構造線の走る上灘の柱状節理のまさに柱のような安山岩を見に行ったことがある。ここにも牛峰地蔵尊と掘られたこの安山岩の柱状石があり、倒れそうなのを多くの柱で支えていた。そこから杉の林の中を登っていく。頂上らしくない頂上@には、岩が少し覗いており、2つの「牛ノ峰」と書いた立て札、三角点に立てられた紅白の棒があるだけで全く展望はなかった。
***泰皇山0874中山町 H0?.??.??  中山町民なじみの山と言えば、やはりこの泰皇山なのであろう。国道56号線からも山への道標あるが、その林道は山頂までのび、観音堂@がある。さらには、キャンプ場もあり、町民グランドまである。この山はまさに町民のふるさとの山であり、レジャーの山である。まわりの山から見ても山そのものは、なかなか立派な山容を有している。
***谷上山0456伊予市 H07?.??.??  道後平野の南には、小高い山がいくつか見えている。その中で最も高い頂が谷上山である。すぐ北には大谷池森林公園のさまざまな施設があり、展望台があったりして、この周辺は県民の森として整備されている。山頂に登るには、第二展望台のそばの宝珠寺の駐車場から尾根沿いに歩く。墓地の間を抜け、しばらく登るとすぐに小さな祠と池のある素朴な山頂@である。この辺りの車道は入り組んでいて、迷う人も多いという。夜には幽霊も出ると言ううわさも聞いたことがある。
470障子山0855砥部町 H0?.??.??  砥部焼きで有名な砥部町から見ると、南西方向にすっくと立った端正な山が目につく。これが障子山で、砥部以外から見ると、そんなに個性的な山としては目立たない。私は砥部焼観光センターで湯飲みの絵付けをしたことがあるが、迷わずそこから見える障子山を描いた。さて、この山へ登るために、県道砥部大平線を登り、砥石山の近くの鵜崎の峠あたりに車を止め、登山道を探したが特に表示はない。そこで、畑の間のそれらしき山道を登ってみた。しばらく登り、何とか山頂@にたどり着いた。この山はほぼ全山が杉・檜の針葉樹で覆われ、あまり展望は良くない。山頂部は平坦であり、何かに利用できる気もする。南には兄弟のような階上山、泰皇山が並んでいるが、最も標高の高い階上山はまわりの山に隠されて、里からは目立たない。でも障子山の南山麓にある松山ロイヤルGCからは、立派に見えるかも知れない。
***小富士山0282興居島 H06.12.04  松山市の北部、高浜の港から見ると、沖に端正な山容の山を持つ島が見える。これが興居島であり、その山は小富士と呼ばれ、南からみるとまさに見事な富士山のミニチュア版である。私はZ2とともにこの島に渡り、ミカン畑の横の道を登り低木の森の中に社があった。さらに、裏に回り山頂に立った。そこにある航空標識灯にも登ってみたが、かなり登らないと展望はない。帰りに泊まりの港の食堂で、肉うどんを食べた。決しておいしいとは言えない甘い出汁のそのうどんであったが、何か懐かしい味がした。
***鷲ヶ頭山0437大三島 H06.02.12  伊予の一の宮のあるこの島にめったにない雪の積もった日であった。大山祇神社に詣り、地元の人数人にに鷲ヶ頭山への登山道を聞いたが分からず、雪で山道も分かりづらいので、結局大回りして、車道を歩いて誰も通っていない雪の道を山頂まで歩いた。山頂@のアンテナの間に幕営し、清酒鶴姫で暖をとりながら、闇に沈んでいく瀬戸内海の島々を眺めた。翌日は尾根を伝って、安神山から下った。途中ちょっと荒れているところがあったが、このようなよく整備された登山道をなぜ地元の人は紹介できなかったのだろう。この登山以後、私の最も信仰する大山祇の神には毎年のように旧正月に参るようにしている。その時にはさまざまなルートでこの安神山にも必ず登るが、以後この山に雪を見ることはない。
420高縄山0986北条市 H0?.??.??  高縄山は、高縄半島を代表する名山で、風早の郷からみるとその端正な山容がすばらしい。山頂下には高縄寺という立派な寺があり、多くの杉の巨木が立っている。しかし山頂@は、無線中継施設が幅を利かせ、1等三角点はその足下にぽつんとある。一応、頂上にも祠はある。私は帰りによった高縄寺で、大きな蝮を捕まえた。その蝮は今も酒に漬けられている。
490楢原山1041玉川町 H04.11.29  鈍川温泉のある木地川を上り、下木地から湯之谷林道をぐんぐん登り、尾根上に車を置き、稜線歩きをして、しばらく登るとすぐに頂上であった。山頂には、社殿こそはないが、その跡といくつかの祠、そして牛馬の守護神を祀った奈良原神社について書いてある大きな半年ほど前に立てられた石碑があった。山頂部にはスギの巨木の跡などもある。また、山頂の傍らには、「鴨部小学校親子ふれあい活動の記念」の立て札がしっかりと立っていた。石碑は必要以上の大きさがあるとはいえ仕方ないが、このようないずれゴミとなるような立て札は、このような歴史のある山には差し控えるべきではないだろうか。
497明神ヶ森1217重信町 H0?.10.22  重信町の扇状地を詰めていき、採石場などを横目に林道を登っていくと、やがて山の稜線近くとなる。そこから稜線に登り、山頂を目指す。山頂@は、落葉樹の林の中にありの展望はほとんどない。そのままUターンするように稜線沿いに歩き、林道に下った。楢原山や北三方の山が木々の間から見えた。
***引地山1027皿ヶ峰連峰 H0?.??.12  六部堂の林道は三坂峠のすぐ上の稜線上まで行っており、そこからこの山の山頂@はすぐである。地味でだれも訪れる者はいない雰囲気でもある。稜線上からは直下の久万スキー場がよく見える。夏スキーもできるこのスキー場には、白いプラスチックが敷き詰められているようだった。
479皿ヶ峰1271皿ヶ峰連峰 H0?.??.??  道後平野から東を見ると石鎚山系から続く稜線の中に、のっぺりと平坦な山頂の山がある。これが皿が峰で、松山からも手軽に登れるので、親しまれている山だと聞く。冬には木々に霧氷がつき幻想的な山となる。さて、私は六部堂から登った@が、展望もあまりなくこれといって主張のないこの山の中で、風穴の道標があったので下りてみた。確かに岩穴から冷たい風が出るのはおもしろい。そこで何と思ったか私は、すぐ下に見える道後平野方面に下った。その道のりの長いこと、そして県道23号線からはどうやって車のある六部堂に戻るのかを考え、馬鹿なことをしてしまったと反省したものだ。結局歩けるところまで歩いて、タクシーやバスで何とか戻った。
431石墨山1456皿ヶ峰連峰 H01.11.26  面河ダムの直上の名山で、北側には白猪ノ滝、唐岬ノ滝という名瀑?がある。観光俗化されたこれらの滝には私はあまりよい印象はもたない。私は唐岬ノ滝の横から登った。しばらく登って割石峠という稜線に出て、久しぶりに見た霜柱をざくざくと踏みながらの急登である。山頂部には笹とススキ、落葉低木が程良く茂り、明るい。山頂@で、熱い飲み物を飲みながら朝食をとり、誰もいない山を下った。東温高校の山小屋のある石割峠から黒森峠までの稜線は、境だけ樹木が取り払われていた。防火のためだろうか。
474二ノ森1929石鎚山系 H0?.秋.15  四国第3位の一等三角点のある高峰であり、1900mを越える山は四国に4座しかないことから考えても注目されてもよい山だけれど、この山を語る人は少ない。私は、壮大な高爆から往復したが、おかげで静かな山行であった。なんといっても高爆は高度差100mを越える滝である。水量こそ少なかったが、いきなりこの滝の前に出たときにはその高さにびっくりした。そこからの登山道はあまりはっきりとはしていなかったが、何とか西ノ冠岳の直下に出ることができた。稜線に出てからは、その端正な山を正面に見ながらの快適な尾根歩きである。山頂@からの展望もよく、岩の固まりのような石鎚山はもちろん、五代山や石墨山へ稜線も美しい。このような実質的によい山は、結局あまり有名になっても困る気もする。
194石鎚山1982石鎚山系 S5?.??.??  この山は言わずとしれた西日本一の高峰にして、修験五山の一つでありその名はきわめてよく知られている。特に弥山から見た天狗岳、表参道から見た北壁には誰もが息をのむ。私は筒上山からみるピラミダルな石鎚が好きであるが。四国の各所にはこの山を展望するための山があり、石鎚への信仰の歴史は深い。私の住む三崎町二名津にも石鎚神社の分社があり、今年の御山開きではしっかりと御三体を背中にこすりつけてもらった。当然私も本格的な山歩きをする前から土小屋から何度かこの山に登った。最初の雪山登山は、平成2年1月5日に表参道から登った。@(5)また、土小屋からは矢筈岩、大砲岩のある南尾根を直登したのが思い出に残る。誰も来ない石鎚山三角点にも行ってみた。どこから見ても違った個性を見せる名山である。
446岩黒山1746石鎚山系 H0?.??.24  石鎚山と瓶が森、筒上山状のつくる三角形の中央部に鼻のようにまっすぐに突き出たような形の良い山がこの山である。山頂も静かで名山に囲まれ、展望もすばらしく良いこの山にもかかわらず、語られることが少ないようである。しかしこのような、地味な名山はできるだけ静かであってもらいたいものではある。私は筒上山、手箱山を巡った後、この山の山頂@でその日の山行を振り返りながら周りの名山を眺めた。
390瓶ガ森1897石鎚山系 H03.05.04  二百名山で氷見二千石原といわれる笹原平原の山である瓶ヶ森は、瓶ヶ森林道開通によってあっという間に登れる庶民の山となった。私は早朝駐車場から登り、男山から山頂を目指した。山頂からは、朝日に照らされ雲海の上に浮かぶ石鎚山に息をのんだ。しかし、アプローチの短すぎる名山らしく、ほとんど街着の観光客もたくさんいた。天候が急変したらさぞ大騒ぎになるであろう。私は、この大笹原を下った。人も多くちょっとした植物園のような風情であった。
457西黒森1861石鎚山系 H0?.??.??  瓶ヶ森の隣にひっそりと、しかししっかりと個性を主張している山がこの西黒森である。しかし、南から見ると、瓶ヶ森林道がまさに首を切るように岩肌を削って、一直線にこの山を横切っているのが見える。そのせいで、山自体が痛々しく見える。瓶ヶ森林道は、その位置から林業用と言うより観光用の林道であろう。しかし観光面からこの山域に与えている環境資源へのダメージはきわめて多いと思われる。
389伊予富士1756石鎚山系 H01.05.04  私はどこから見ても、なぜこんな名前が付き、三百名山に数えられるのか理解できない。恐竜の背中のようなこぶだらけのこの山は、おもしろい個性を持ち、展望はよいとは思うが、山の風格としては隣の寒風山や筒上山、二ノ森にはまるで及ばないし、歴史的な重要な山でもなさそうだ。形から言っても中津明神山や赤星山なら富士とは言えそうだが...。むしろこの山は縦走の山であろう。石鎚・瓶ヶ森と笹が峰の間にあり、笹の美しい展望の良い山だからだ。私は登頂後、だいぶばてていたので瓶ヶ森林道に下り、桑瀬峠まで歩くこととした。しかし林道は鷹ノ巣山をぐるりとまわりその長いこと長いこと、おかげで林道歩きのつらさを味わうことができた。
401寒風山1763笹ガ峰山系 H01.05.04  愛媛県と高知県を結ぶR194は四国山地の中心部を貫いているトンネルがある。そのトンネルを寒風山トンネルといい、そのすぐ上の山が寒風山である。そのトンネルが通る峠は桑瀬峠といい、昔から交通の要所であったという。トンネルの高知県側の入り口の横から一登りすればすぐ峠である。そこからの寒風山への登りはきついが、いかにも山を登っているという気がする。私は笹ヶ峰へ行く途中や縦走途中でこの山には何度か登頂@(4)した。山頂部は少し広く開けていて、気持ちの良い風が抜けている。四国山地の中央部に南北から深く刻まれた谷の合わさるこの地ならではの風であろう。平成11年、今のトンネルのずっと下に新寒風山トンネルが開通した。これで桑瀬峠もだいぶ静かになることであろう。
292笹ガ峰1860笹ガ峰山系 H01.05.03  石鎚山系の東の雄は、なだらかな笹で覆われた日本二百名山の笹ヶ峰である。この山のすぐ下の丸山には人の世良い伊藤夫婦の経営する丸山荘がある。私は平成元年から数年この山荘を訪れ、冬山の登山の技術を学び、厳しさと美しさをしっかり味わった。笹が峰周辺の散策も楽しいが、四国で最も標高の高いスキー場のあるこの小屋は、古いながら百本以上の貸スキーを常備しており、スキーを楽しむことができる。私もライケルのスキー靴をここにキープしてもらっている。この山の山頂@(5)部には樹木がほとんどなく、夏は楽しい散策ができる。伊藤夫婦とは長い冬の夜、いろいろな小屋経営の苦労話や楽しい話を聞かせていただいた。しかし、頂上の反射板を観察しに毎冬来ている山田さん(一緒に語ったこともある)が雪崩でなくなった事故には、改めて山の怖さを感じた。クロは元気だろうか。
***沓掛山1700笹ガ峰山系 H02.12.30  最近は西山越え辺りの道が不明瞭になっているが、昔は黒森山からこの沓掛山を越えて笹が峰に至る登山道はよく使われていたという。私は、雪の朝丸山荘を出発して深い笹原の道を沓掛山に向かった。黒森まで行くつもりだったが、以外に笹道は手強く、時間をとってしまったので、沓掛山までとした。山頂@には「くつかけ山」と書いた立て札があるだけである。しかし正面の笹が峰はすばらしく、その先には寒風山、伊予富士、尾根越しに手箱山と筒上山、そして西黒森、瓶が森、そして石鎚山北壁が展開する。展望の山としては一級の山であろう。さて、下山だが広大な笹原は南面なので雪が解けだし、びしょぬれになってしまった。
***ちち山1855笹ガ峰山系 H0?.??.??  四国でも有数の標高を持つにもかかわらず、縦走路が巻いてあるためにほとんど登る人のない山である。その山名の由来は、父なのか乳なのか地元の人に聞いても分からない。この山の笹原の山頂は、笹ヶ峰から少し足を伸ばせば踏むことができる展望の良い静かな山頂@(2)である。私にとってはこの山は、平成3年年末もっと意味のある体験をさせてくれた。例年にない大雪の中、大永山トンネルから丸山山荘へ向かう途中であった。道を誤り、さらにちち山への登りのラッセルに時間を食い、天候も悪化し、トラバース道のほぼ中央で日は傾き手足は凍えてしまい、頂上直下の岩影ではじめての冬のツェルトビバークをしたのだった。あまりの寒さに眠れない長い夜をすごしたよく朝、丸山荘を目の前にして大転倒、他の客に迷惑をかけてやっと下山した苦い思い出である。
291東赤石山1707法皇山脈 S63.11.03  この山は二百名山であって、花の百名山と知名度も一級だが、私にとっての初縦走の山であり、最も好きな山である。登頂@(4)は、東西からの権現越えコース、鉱山跡からとさまざまで、水無しの地獄を味わったのもこの時がはじめてであった。そして八巻山周辺の南ア鋸岳のような岩よじりの楽しさに味を占め、日本アルプスへの登山を目指した。すなわち縦走という山歩きの魅力を教えてくれた山なのだ。この周辺は登山道以外もかなり歩き回っている。五葉松をホシガラスがつつく光景や、珍しい高山植物も味わい深いが、この手の山が好きな人は尾根伝いに前赤石@にも登ってみよう。赤石小屋の管理人である安森さんは、当時週末だけ登ってきていると言っていた。丸山山荘の伊藤さんとも親しくこの辺りの山のいろんな話を聞かせていただいた。また、この山域の北側にはすばらしい滝(私は魔戸の滝が一番好きだが)が多い。
443西赤石山1626法皇山脈 S63.11.03  新居浜市から見ると、まさにこの山は正面に立派にそびえている。多くは銅山越え経由で登るようだが、私は東赤石山からの初縦走でこの山に登った。途中、物住頭というなにやら、怪しげなピークを越え、そこから登り返してにぎやかな山頂に立った。水を持たずに歩いた縦走で、このころは地獄の真っ最中であったが直下の新居浜市街に見とれてしまった。下りは少しでも早くと思い、一気に小足谷に下った。この辺りは別子銅山の中心地であったのだが、もうすでに立派に木々が育ち過去の繁栄は埋もれかかっていた。しかしこの辺りは稜線上のツガザクラや四国では珍しい唐松林などなかなかおもしろい植生を見せてくれる。
441二ツ岳1647法皇山脈 H02.11.11  周りのどの山からみても、この山のバットマンの頭のような特徴的な双耳峰は目に付く。私は銅山川側の肉淵を早朝出発し、峨蔵越から東赤石権現越えまでを縦走した。峨蔵越からの登りはきついが、花のような霧氷が朝日にきらきらと光り、どきどきするほど美しい。やがてあまり展望の良くない山頂(東峰@)に着く。そこからはなかなか歩きごたえのある静かな縦走路が続いている。一時間ほどで1670mの西峰、そしてそこを下り一時間ほどで1677mのエビラ山である。山頂は縦走路から少し離れており、急いでいたので山頂には行かなかった。一度下って1595権現山に登り、権現越にある権現岩の祠を拝んだときにはもう四時を回っていた。幕営の準備をしていなかったのでそこから床鍋への下りを駆け下ったが、途中日没。ライトを見失いその場で暗黒の野宿を覚悟したが、やがてライトを見つけて床鍋へ下った。
437赤星山1453法皇山脈 H01.??.??  赤星山は東予富士ともいえる端正な山である。赤星ラインから、中尾からともう何度も登っている。特に大地川沿いの皇子渓谷の景観は美しく、土居町の故曽我部友吉がミニ吉野を夢見て三千本もの桜を植え、この山のために陳情を重ねて赤星駅をつくったのも肯ける。今でこそ当時の面影はほとんどないが、この谷からの登山はむしろ楽しい。マイクロウェーブ反射板のある山頂@(5)は平坦であるが、背丈の高い草や低木があって下界の展望はあまり良くない。小箱越えから二つ岳への縦走は、道がほとんど分からず、地形も複雑なようである。
***豊受山1247法皇山脈 H0?.??.??  伊予三島から見ると、赤星山の左にある雄々しい固まりのようなこの山には、赤星山から縦走して登頂した。山頂@は低木が茂り、特別見晴らしはよいとは言えないが、辺りには展望の良いところもある。山頂すぐ下の五穀の神をを祀る豊受神社は、60年おきに社殿を建て替える信仰深い神社である。ここには風穴があり、やまじ風に苦しめられた麓の宇摩の人々には「おといこさん」と呼ばれている。登頂後私は、皇子渓谷に下った。
452翠波峰0892法皇山脈 H04.11.13  中央構造線沿いにでき、見事に一列に並んだ法皇山脈の中で最も観光地化された山がこの翠波峰である。私は山頂で幕営し、夜は三島川之江の夜景を楽しみ、早朝東西の峰@を登った。見晴らしの良いこの山からは、私の好きな法皇山脈の主たる峰々が仰がれる。眼下には金砂湖が見える。私はダム湖の美というものがよく分からない。翠波峰はコスモスの名所でもある。一様なコスモスの花園とピンク色の展望台の下の金砂湖の光景は、陳腐な観光の山の代表であるだろう。しかし、私の好きな法皇の峰々の多様な自然の保全のための生け贄となるなら、それも仕方ないことだろう。
434塩塚峰1043脊梁山脈 H08.01.13  ICのある新宮村の名峰塩塚峰の名は、塩の交易に関係あるとされている。この山の山頂部は草原となっており、四国の中央部にある展望の山として優れた存在である。また山頂を取り囲むようにキャンプやパラグライダーの施設ができており、まさにアウトドア族の好みそうな山となっている。私は薄雪の積もるキャンプ施設に幕営し、身を切るような早朝の山頂@に登った。赤星山と雄々しい二ツ岳、赤石山への法皇山脈、そしてその向こうに白く輝く笹ヶ峰、そして脊梁山脈の力強い山々の展望を楽しんだ。
  ※ @:登頂時、自分以外の人がいなかった山頂        平成24年12月更新