近畿、北陸の山行記録のリスト

 

No.山 名
標 高
場 所
登頂日
行   程
187白山御前峰
 2702
加賀南部  
H09.08.07
 別当出合から弥陀ヶ原を通り、室堂からガスの中、御前峰に登頂@。さらに剣ガ峰をトラバースして翠が池を巡った。ここでガスが一瞬切れ眼前に大パノラマが広がる。さらに大汝峰@を登り、ガスの中をさまようように室堂へ下った。この間も時折ガスが切れ、山頂部や池などの神々しい姿を目にすることができた。室堂からはガスの中をいく筋もの踏み跡がある登山道に不安を感じながらも、方位を便りに無事南竜山荘に到着した。到着とともに大雨となった。
***白山別山
 2399
加賀南部  
H09.08.08
 南竜山荘をまだ暗い早朝出発するが、キャンプ場を通りしばらくの間、少々迷って何とか登山道に出る。ガスの中延々と続くほとんど樹木のない稜線を淡々と歩く。雨こそ降らないが誰も通らない静かな山歩きである。小屋跡などを通過し、やがて大山祇大神を祀った別山山頂@に到着した。帰りは往路をたどったが、明るい道では全く迷うことはなかった。正しい道はキャンプ場をトラバースしていたのである。南竜山荘下からは一気に別当出合に下った。
188荒島岳
1523
越前大野
H22.08.11
 深田久弥のふるさとの山であるこの山は、百名山の中でも手前味噌だと批判も多い。この年は、忙しく海外旅行が計画できなかったので、兼六園や境港、一乗寺谷、永平寺と共に北陸山陰の行ってなかったポイントの一つとして登ることにした。勝原スキー場Pから早朝出発すると、下からドヤドヤと遭難者捜索隊が登ってきた。ヘリもでてにぎやかな中登る。スキー場の上から上のブナ林は美しく。シャクナゲ大良からガスの山頂に登頂した。下山後のニュースを聞いてびっくり、目の前に停まっている車が遭難者のものだった。後で調べると、このとき山頂近くの木に死体がぶら下がっていたようだ。下山後、マニアには有名な福井電鉄に乗って福井城へ行き、AKB48のコンサートの狂乱を観察した。
***金華山  
 0329
美濃中部  
S63.08.06
 稲葉山こと金華山へは、歴史的興味によって岐阜公園から登った。天下取りの数々の歴史を刻んだこの城から見ると、南に広がる濃尾平野は感銘深い。この山を巡るようにのたうつ長良川、そして木曽川と揖斐川の作ったこの大平原、北の山々を見下ろすと何か大きな気持ちになる。午前中に行った墨俣の一夜城跡もずっと南に見える。金華山の山頂部の岐阜城はゴチャゴチャとしているが、さまざまな武具などが展示してある館を見学して下山した。日が落ちると、長良川越しにこの金華山の岐阜城が浮き上がる。その夜は鵜飼い船を見ながら2時間もほとんど連続で打ち上げ続ける岐阜の花火に興じた。私が当時住んでいた愛媛県の大洲市は、まさにこの岐阜のミニチュア版であると感じた。
189伊吹山  
 1377
東近江 
H02.08.14
 交通の要所である東近江の山々の中で、常に目を引く存在なのがこの山である。しかしこの雄大な近江の名山は、一方コンクリートの原料である大規模な石灰岩採取のための悲劇の山でもある。私は、伊吹山ドライブウェイ山上駐車場からまだ暗い早朝に登頂した。山頂まではほんのわずかの道のりだが、それでも多くの人が山頂の小屋に泊まっているようだった。山頂のガスの合間から美濃の平野が少し見えた。山上のお花畑を巡りながら、この植生のおもしろい名山には今度はじっくり下から登ってみたいと思った。しかし、次第に広がる開発の爪痕は痛々しい。
***男山 
 0143
京都周辺
H12.8.5
 男山は、二つの意味で世界的に有名な山である。一つは、かのエジソンが電灯の完成に貢献したということである。その時のフィラメントの原料である竹炭の竹が、世界中のサンプルの中でこの山のものが選ばれたのである。男山の中腹にはこのことを記した碑があり、その後ろには竹藪もある。そしてもう一つは日本で最も多くの分社をもつ八幡神社の草分けである石清水八幡宮の山であることである。平成12年7月25日午前、麓の京阪八幡駅に到着。さっそく幅の広い参道の石段を登っていく。やがて、エジソン記念碑への道を右手に見て石清水八幡宮に着く。そこでにわか雨となったが、巫女さんが傘を貸してくれた。その傘を戻すため、8月5日早朝再び男山に車で上る。車道はエジソン記念碑のすぐ横まで通っている。私が来たときには多くの人がここに集まり朝のラジオ体操をやっているときであった。
382比叡山  
 0848
京都周辺 
H12.7..27
 中学校の修学旅行では、バスで根本中堂へ行った記憶がある山である。その途中、琵琶湖周航の歌を無理矢理覚えさせられ、眼下に広がる琵琶湖を背景に歌いながら登った。平成12年京都で2週間滞在する機会ができた。昼間は大学で勉強なので早朝、夜間にしか山登りはできず、従ってケーブルは使うことはできない。7月26日夜、ドライブウェイで山頂@の駐車場に到着。途中見える琵琶湖周辺や比叡平、そして京都の夜景には息を呑む。翌朝4時、信長の焼き討ちをイメージしながら明王堂から無動寺道を下り、京阪松ノ馬場駅に下った。そこで電車を待つ間ザリガニ捕りをして、大学へ向かった。その日の夕方、同じコースを登り山頂に向かう。やがて日も暮れ振り向くと坂本や大津などの夜景の中ぽっかりと琵琶湖が浮かび上がりきれいだ。登るに従って真夏の風はひんやりと気持ちよく、木々の間から差し込む月の明かりは幻想的な山道を演出している。やがて延暦寺の建物が現れ、山頂となる。夜の間に大津に下り市内の銭湯の桃湯に浸かり汗を流す。その日の間に大原に移動し、翌朝三千院の奥の音無ノ滝を詣でた。
***衣笠山 
 0201
京都周辺
H12.7.27
 羽衣山と言っても、ほとんどの人は聞いたことはないだろう。この山は、京都の北西金閣寺の後ろの大文字山の隣にあり、ちょっとした散歩やトレーニングには適度な小山である。竜安寺の裏山といったほうがいいだろうか。私は仏教大学の体育のスクーリングの軽登山の授業で、Bコース50人ほどの集団でこの山に登った。最初に危険な動物や植物の説明を受けた後、金閣寺の前を通り、立命館大学の前から山の家横の東登山道を直登する。あっという間に稜線に出てしまうのだが、あまり登山経験がないのか、あえぎあえぎ登る学生も見られた。私はB-3班という楽しい8人の先頭を歩いたが、この班は個性と明るさのあふれるグループでまさに遠足気分でのトレッキングとなった。楽しいおしゃべり登山を否定する立場の私であるが、この時は登山から里山遊びモードに切り替えた。わずかに展望が得られる山頂で植物観察をした後、西面に出て、一条天皇北陵、堀川天皇陵を通り竜安寺の裏に下った。この陵墓から遠望した西南京都から天王寺山、ポンポン山への稜線が美しい。この頃、辺りでは熊の出没騒ぎがあったそうだ。大きな都市に挟まれたこの地方にもなかなか豊かな自然が残っているものである。その後、竜安寺の裏でロープワークを学んで大学へ向かった。
***鞍馬山 
 0504
京都周辺
H12.7.29
 鞍馬山は、奈良時代鑑真の弟子鑑偵が毘沙門天を祀って開山した山で、源義経の幼少時代の修行の場としても知られる。私は叡山電鉄鞍馬駅前に車を止め、人気のない早朝の参道を標高410mの鞍馬寺(標高差160m)を一気に登る。箱庭のような修行滝、由岐神社を通って登った狛犬のかわりに虎がいる社殿?が本殿である。右手に進み霊宝殿という博物館を通り、奥の院を目指す。途中にある牛若丸の伝説のある背比べ石あたりが標高が最も高い場所@である。このあたりから木の根道という杉の根が露出した道があり、その奥に大杉権現がある。さらに少し下った僧正ガ谷に義経堂と不動堂があって、この辺で義経は天狗から剣の指南を受けたという。そしてさらに進むと、累々と石灰岩が積み重なる磐座のある奥の院魔王殿が深山の中に鎮座している。誰もいないこの静寂の森の中にも道のすぐ横をモノラックのレールが通っている。まさにこれが現代の鞍馬山である。私は来た道をピストンして下山した。そのころには本殿にも朝の参詣の人の姿が少しずつ見え始めた。
***船岡山 
 0112
京都周辺
H12.7.26
 名前こそ山のつく船岡山は、京都の西陣にある標高わずか111.89m(三等三角点)の小高い丘である。玄武の守護する京都の北に配され、応仁の乱では、西軍山名氏が城壁を築いた山である。船を伏せた形に似ていることに由来する名のこの山の山上には、明治十三年織田信長を祀る建勲神社が創建されるとともに、公園となり、国の史跡に指定されている。また鳥居形を除く京都五山の送り火が見えるの見物場所として有名である。この年私は送り火を大変な混雑の出町柳の鴨川河原から見たが、この船岡山も大変なにぎわいだという。私は東の神社参道からと、北からの公園沿いの道から2度登ったが、登山という雰囲気はなかった。山の上の森も品粗なものであったが、京都の街中にあるこの展望の山の存在は貴重である。三角点があるがそれよりわずかに高い所もあり、さまざまな興味のある岩や石や建物もある。私が通っていた大学の近くでもあり、この山のお膝元である西陣は私の京の街歩きの最も好きなところである。地元のある人の談ではある意味で危険な地域だそうだが、一般の住宅から機織りの聞こえるこの街には、銭湯もたくさんあって、わくわくするような発見も多い。実際この山の南東の船山温泉は全国に知られる豪華絢爛な銭湯である。私も大天狗や爆弾三勇士の木彫りや菊水橋などを観にこの船山温泉にも訪れた。
383愛宕山 
 0924
京都周辺
H12.8.1
 この山は比叡山とともに京都を代表する山で、京都での長期滞在の間にいつかは登ってみたいと思っていた。しかし昼間は大学なので、片道3時間ほどのこの山への登山計画はなかなか立たない。ところが8月1日は、千日詣といって深夜登山の行事があるというではないか。2時くらいに行事があるというので、7月31日夜10時過ぎに嵐山から臨時バスにのって清滝登山口へ。表参道登山道には山頂まで電球の列が続き、こんな深夜にどこからわいてきたのかと思うほどすごい人が声をかけ合って登り下りしている。途中の東屋も人でいっぱいで休憩もできない。途中、左手に見え隠れする京都の夜景は、やがて亀岡市の夜景に変わり山頂に近づくに従って気持ちよい風も吹く。頂上直下の広場には多くの店がでており、それ以上に多くの人がテントの下などで休んでいる。山頂の神社でも多くの人が所狭しと横になっており深夜宗教登山の独特の雰囲気を堪能した。5000円のスイカを食べた後下ったが、それまでの疲れと眠気がどっと押し寄せ、意識がもうろうとする。ケガしそうなので時折休憩しつつ、何とか下山した時はもう朝であった。すぐに大学に行く準備をして京福電車に乗った。その日、ほとんど死んでいたのはいうまでもないが、この登山を最後に京都登山計画は無事終了したのである。
384六甲山  
 0931
六甲山系
H12.7.25
 六甲山は神戸の裏山であり、学生の頃はドライブで山頂近くまで行った記憶もある。この山は表に灘の酒を支える清水を、裏に日本最古の温泉郷有馬温泉を生み出している。私は大学の地学の授業で山麓の甲山へ地質調査に行ったりもした。花崗岩質のよい岩場が多いというが、いつでもいけそうなので、なかなか訪れる機会はなかった。明石大橋ができて裏六甲の道が整備されたこの年、久しぶりに車で一見茶屋まで登った。そこからは雨とガスの歩道を歩き、一等三角点@を踏む。早朝でだれもいなかったが、だだっ広い山頂は毎日多くの登山者であふれるのだろうか。それから約2ヶ月後の平成12年9月15日裏六甲の登山拠点有馬温泉のかんぽの宿を訪れた。15時頃悪天にも関わらず多くの登山者でごった返している。ここからは山頂まで約1時間である。
285金剛山  
 1125
河内山系
H06.05.05
 早朝、まず、楠木正成で有名な千早城跡に登った。今は静かな森に包まれたこの山の急峻な山腹からは当時の激しい城の攻防がしのばれる。金剛山へはそこからやせ尾根を通って縦走した。南朝を支えたネットワークを持つ修験の山々が美しい。金剛山は役小角が開き、中世修験道の霊場として重要な山でもあり、その後も豊かな歴史に育まれた懐の深い名山である。道の上にブナの芽がたくさん出ていたので、持ち帰り栽培しようとしたが南国四国の平地ではうまく育たなかった。下りはロープウェイを利用した。
190大台ガ原山
 1695
台高山脈
H06.05.03
 この深山幽谷の代名詞でもあった山塊にも山頂近くまでドライブウェイが通り、気楽に訪れることができるようになった。私は山頂の駐車場に車を止め、まずは最高峰である日出ヶ岳山頂まで歩いた。途中鹿の大群にあったが、このころ鹿による食害がこの山域の悩みの一つでもあったそうだ。その後、堂倉避難小屋に荷物を置き大杉谷に下る。大杉谷は大量の水に深くえぐられたスリリングな谷で、次々に現れる滝は見事なものであった。桃の木山の家辺りまで散策して引き返し、大杉谷を登り堂倉避難小屋に宿泊した。翌日そこから日出ヶ岳に登り返し、ガスの中を正木嶺、大蛇ぐらを周りシオカラ谷を越えて駐車場に戻った。
3FF山上ガ岳 
 1719
大峰山系
H07.05.04
 五月の連休に、北大峰の縦走を計画した。この山は修験道のメッカである。ということで、吉野山の麓から登ることとした。吉野駅から盛りを過ぎた八重桜の残る下千本に登り、青根ヶ峰から女人結界を通り、洞辻茶屋で宿泊した。早朝暗いうちから出発し、西覗岩では下界を見下ろし、さまざまな建造物のある山上ガ岳に到着した。次は地蔵岳を通り、大普賢岳へと向かう。
191大峰山  
 1915
大峰山系
H07.05.04
 大普賢岳から行者還岳をトラバースすると、いったん下り快適な縦走路が続く。やがて大きな山塊が目の前に立ちはだかる。それを登り切ったところが多くの建物のある弥山である。正面に最高峰八経ヶ岳が見える。さっそくその山頂@に登り、明星ヶ岳との鞍部で幕営。翌日うっすらと雪の積もった登山道を引き返し、再び弥山に登る。そこから狼平に下り、天川川合へ下山した。長い長い下山の道のりであった。バスにのり、再び吉野を目指した。
282御在所岳 
 1212
鈴鹿山脈
H06.12.24
 うっすらと雪の積もる年末に、湯の山温泉からロープウェイを使って御在所山を目指した。ロープウェイは、槍の穂のような鎌ガ岳を南に見ながらほとんど頂上の山上公園駅に到着した。山上はまさに公園のようでありスキー場もある。少し風は寒いが、快適な高原を歩き頂上に立った。道沿いには雪や氷の自然のオブジェが見られる。下りのプウェイから見た藤内壁に続く岩肌が印象的であった。
  ※ @:登頂時、自分以外の人がいなかった山頂        H24.12更新