北海道の山行記録のリスト

 アイヌ等の北方民族への侵略の土地であるということで、大和民族である私は、北海道を山行対象とすることはあえて避けていた。  しかし、その山々の魅力は捨てがたく、北方民族を知るという目的を加えることで山行対象にすることとした。そして、平成13年の夏はたまたま長い休暇がとれたので、北海道の山行に挑戦した。
 舞鶴−小樽のフェリーを往復に使い、大雪山系以外の名山を車のアプローチで巡った。もちろん網走や阿寒などの北方民族関係施設も訪れ、釧路湿原をはじめ火山や海などの自然と人との関わりを総合的に見て回った。洞爺湖温泉周辺の有珠山活動跡や豊浜トンネルの傷跡も観察することができた。右写真は雄阿寒岳から見た雲海に浮かぶ雌阿寒岳、左写真は戸蔦別岳の下りから見た幌尻山北カールである。

No.山 名標高場 所登頂日備   考
***礼文岳0490宗谷支庁H05.08.02  前日夕方、稚内からの船で香深より上陸し、バスで内路に下車。稲荷神社の拝殿で夜を明かし、朝4時過ぎに郵便局横の登山口を出発。草原の道から尾根に取り付き樹林帯をひたすら歩く。快適な道を2時間弱歩いて展望の良い山頂@に出る。北への視界はあるが、残念ながら利尻富士は見えない。西の下山道に挑戦するが、ハードな藪こきに途中で断念。起登臼登山口(鮑養殖場の前)に下山。
101利尻山1721宗谷支庁H13.08.03  前日、礼文より沓形港に上陸。大山祇神社を探すがない。見返台Pまでタクシーで行き、土間床の7合避難小屋泊。朝4時過ぎ霧雨の中出発。7時前三眺山、トラバースも難なく通過し、歩きにくいザレ道を登って9時前に山頂@に着く。ガスでろうそく岩も見えない。ガスの中、下山1時間ほどでしっかりした避難後屋を通過、甘露水には14時前、そのまま歩いて16時前に鴛泊港着。稚内に向かう。
102羅臼岳1660網走支庁H13.08.06  岩尾別温泉から早朝出発し、6:20弥三吉水。銀冷水を過ぎると視界が開け大沢をつめていく。8:00に這い松の海にぽっかりと羅臼と三ツ峰が浮かぶ別天地のような羅臼平に着く。しばらく這い松原を進み、岩場にさしかかると、これも登山者には夢のような石清水がある。そこから山頂はすぐだ。下山は往復だが、途中水も豊富にあり、岩あり沢あり高原あり温泉ありの北海道でも最も快適な登山路であった。
103斜里岳1545網走支庁H13.08.07  当初は8/5登山の予定で清岳荘まで行ったが、朝、雨天のためその日は釧路湿原から根室をまわり、羅臼登山の後に変更。8/7朝4時過ぎ、清岳荘前を出発。数々の滝の続く快適な沢道を登る。なめ滝の横を登り、水がなくなると今度は視界の良くない低木帯をひたすら登る。うんざりする頃馬の背に着き、そこからは視界の良い尾根を歩いてすぐに山頂@だ。まさに360度の視界を堪能し、今度は眺めの良い旧道コースで下山。ここも快適な展望の尾根で、最後に一気に下り下二股に出る。この山も沢あり展望の尾根ありの楽しい山行であった。
104雄阿寒岳1371釧路支庁H13.08.08  登山口の滝口駐車場は、湖底にザリガニが遊ぶ阿寒湖の景勝地でもある。朝4時過ぎに出発し、視界のない鬱蒼とした原生林をひたすら歩く。うんざりする頃5合目で視界が開け雌阿寒岳が雲海の上に見える。山頂近くにいるように感じるが、ここから結構山頂まで距離がある。8合目ころからは火口壁を巡り、反対側の山頂@には8:30に着いた。パンケトーの他、雌阿寒岳等の高い山は見えるが、他は雲の下だ。下山は往路をたどり、次郎湖や太郎湖を楽しみながら滝口に12時30頃下山し、まりも湯に向かった。
104雌阿寒岳1499釧路支庁H13.08.09  オンネトー野営場はきわめて広くのどかな雰囲気だ。朝4時過ぎに野営場を出発。エゾマツ帯をひたすら登る。やがて樹木が途絶えると阿寒富士が目の前に大きくそびえる。ザレ道をジグザグをきって阿寒富士の分岐に着いたのが6:20。ここからは強風吹きすさぶザレ道登りで、ガスの危険こそないが、山頂付近は立っていられないほどの強風である。山頂(@7:00)を後にし北に下る。視界の良いガレ道をどんどん下っていくとオンネトーが見え始める。やがて這い松のトンネルとなり、樹林帯にはいるとすぐに雌阿寒温泉登山口である。そこに置いていた自転車で野営場まで下り、車で再び雌阿寒温泉に戻り湯に浸かった。
105大雪山2291上川支庁H26.07.11  日本百名山最期の山として老後の楽しみにとっておいたのが大雪山系の三山であるが、中高年の遭難事故もあり還暦前に挑戦することとした。拠点とする西神楽公園を早朝出立し朝一番のロープウェイで途中から霧雨となった姿見駅から直登する。一気にガスに被われる旭岳に登頂。その後、裏大雪をシャクナゲのお花畑を通り広大な雪渓を下り間宮岳から黄金平に向かう。このころには天候も好転し、まさに楽園のような黄金平を見下ろしながら中岳温泉から続く雪渓とお花畑の楽園を歩きチングルマ群落のまっただ中を姿見池周辺の箱庭のような登山口に戻ってきた。
106トムラウシ山2141上川支庁H26.07.15  十勝ダムで幕営しダートの滑りやすい林道から6時過ぎに登山口に到着。チシマザサの茂る登山道からカムイ天井そしてなだらかに新道で沢に下り、コマドリ沢の雪渓を登り返す。別天地となるトム前平からはすばらしい展望で、トムラウシ公園から南沼の幕営地までゆっくり楽しむが、トムラウシ山の山頂部だけはガスに被われている。けっこう賑やかな幕営地では岩陰にテントを設営しガスに被われるトムラウシ山頂に向かい登頂@。日本百名山コンプリートを祝いビールで乾杯! しかし夜は夏装備だったので寒さに凍える。次の朝は北沼からロックガーデン、日本庭園まで散策してピストン。テントを撤収して下山する。途中のトムラウシ公園でヒグマに大接近したがなんとか無事に下山する。新得温泉で汗を流す。
107十勝岳2077上川支庁H26.07.12  西神楽公園を早朝出立し、5:30にはすでに森林限界である望岳台の登山口に到着した。昨日の大雪山と違い青空が広がり身を隠すところもほとんどない直登の登山となあった。ときどき大岩の影で休みながら高度をかせぎ、9時過ぎには昭和火口そして昼前に日本百名山99座目の山頂にたどり着いた。なかなかの展望で昨日登った大雪山も輝いている。しかしトムラウシ方向だけは雲で展望がない。結局トムラウシ山の山頂部は今回のアプローチで一度もその姿を見せることはなかった。下山は美瑛岳コースも考えていたが昨日の大雪山登山の疲れも残っており終始炎天下での登山だったので無理をせず素直に登路を往復した。
108幌尻岳2052日高支庁H13.08.11  とてつもなく長い額平川ぞいの林道をたどって登山口に着く。ここから2時間近くの林道歩きとなるはずだったが、私は往復とも作業用の車にひろってもらったので、結局往復で1時間ほどしか歩いていない。登山道を歩いて一時間足らずで渡渉が始まる。せいぜい50cmほどの深さだが30回以上の渡渉で冷たい水に足がしびれる。渡渉用の履き物はみんな工夫していていろいろあっておもしろい。幌尻山荘で泊まり、翌朝4時過ぎに出発。2時間足らずで命の水に着き、そこから戸蔦別岳を背に痩せ尾根を直登すると、まもなく北カールとその奥の幌尻岳が現れる。長大な尾根を1時間半くらい歩くと山頂(8:00)だ。そこから尾根を北に1時間ほど下ると、七ツ沼カールが開け、前方に戸蔦別岳がすっくと立っている。鞍部まで急坂をぐんぐん下る。
***戸蔦別岳1959日高支庁H13.08.11  幌尻岳との鞍部は標高1700m程度。七ツ沼カールを右に痩せ尾根を上り下りしてしばらく行くと戸蔦別岳の肩である。ここからはひたすらジグザグに登るだけだ。幌尻登山は行列ができるほどなのにこちらまで足をのばしたのはどうも私を含め二名だけである。一気に山頂@を踏み休んでいると、東の尾根で大きな動物の気配。ちょっと緊張したが、飛び出してきたのは数人の大学生である。沢を登りきってきたとのことである。それからの下山道はきつい坂だが、展望は良い。やがて樹林帯となり、ぐんぐん下ると沢に出た(13:00)。そこからは30分くらいの沢下りで渡渉もあると聞いていたが、ルートを工夫して渡渉をしないで小屋までたどり着いた。それからは再び渡渉を含む沢歩きである。帰りには平取町キャンプ場の温泉につかった。
309樽前山1041石狩支庁H13.08.12  前日の夜までに7合目登山口まで車であがる。登山車道は快適だがダートである。朝5時前に登山開始。広く展望の良い登山道をまっすぐに登っていく。ほどなく外輪山に出て、目の前に煙を噴き上げる溶岩ドームがそびえ立つ。風の強い外輪山沿いに樽前神社、西山、東山と山頂ドームを中心に2時間足らずでゆっくり一周した。下ると駐車場はいっぱいになろうとしていた。
***有珠山0732胆振支庁H13.08.12  樽前山を下山するとその足で有珠山に向かった。国道453号を西進すると明らかに異様な昭和新山と有珠山が見えてくる。ロープウェイで外輪山まで登り、そこから小ピークまでゴムの敷き詰められた歩道を歩いていく。有珠山は危険でこれ以上の登山は禁止されているが、そこからの展望は、眼下に昭和新山や洞爺湖、後方羊蹄山、伊達市街等が見渡せてとてもよい。夕方には洞爺湖温泉街上の火山活動被害の様子や国道230号を西山火口や沼を見て回った。
***測量山0200胆振支庁H13.08.12  測量山は室蘭市の名所である。室蘭市街を見下ろす一等三角点のある好展望の山で山頂直下まで車で行ける。結構人も訪れており、10台ほどの駐車場は常に満杯であった。この山はアイヌ語では最初に見える山という意味の「ホシケサンペ」で、明治5年の測量調査の見当をつけた山という意味で「見当山」とつけられ、やがて測量山に変わったそうだ。与謝野夫妻の句では「即涼山」となっており、夏にはいかにも訪れたい名前となっている。登別温泉に浸かった後ここを訪れ、下山後は白鳥大橋を渡って再び有珠山に向かった。
109後方羊蹄山1898後志支庁H13.08.13  蝦夷富士こと後方羊蹄山には、倶知安登山口から登った。前日までに登山口に着き、翌朝4時過ぎに出発した。ニセコアンヌプリを背に高度を稼ぐとやがて視界も広がり、9合目のガラ場をぬけて少し登ると外輪山に飛び出す。そこから母釜、子釜の上を通り、北峰まで登るとそれからは岩歩きとなるが山頂らしきところは何カ所もある。父釜と言われる火口は深く高度感がある。山頂@で少し休み、ぐるりと周って避難小屋まで下りてみた。そこからトラバース気味に倶知安登山道9合目に向かい、そこからは往路をたどった。すぐ麓に温泉はなかったので、長万部の温泉に浸かった。
306狩場山1520後志支庁H13.08.14  駒ヶ岳が登山禁止だったことで、この山を登ることとした。早い出発としたいところだったが、島牧町でガス欠となり、GSの開く8時まで動くことができなかった。ガソリンを入れて千走川沿いの林道をつめ、新道登山口に着いたのは8時40分であった。しばらく登ると尾根に出て、ツガノザクラとエゾカンゾウのお花畑を横切り、高度を稼いでいく。南狩り場の岩場の周辺では展望が悪くなるが、すぐに頂上まで草原が広がる快適な道となった。この山は火山とは思えない緑の大きな山塊で、奥尻島の展望はなかったが、東には雲海の上に後方羊蹄山が浮かんでいた。下山は往路をたどったが、とにかく暑い山行であった。帰りに賀老の滝に寄ってみたが、そのアプローチの長いのには驚いた。それらの汗は千走温泉で流した。
  ※ @:登頂時、自分以外の人がいなかった山頂