呑み・打つ・買う!
呑む!
日本人はアルコール分解能力の低い人が多いらしいが、ありがたいことに私はアルコール類は十分楽しむことができるDNAを受け継いでいるようです。私の世代では多いことですが、酒の洗礼は大学の新入生歓迎コンパででした。姫工大ラグビー部の新勧コンパは、先輩からの3倍返しで酔いつぶれるまで呑ます(今では問題の慣習となってますよね)というものでした。貧乏性の私は食したごちそうを戻すことがでないばかりか、会場の伊勢屋寿司の最後の寿司まで食べることのできた希な新入生の一人になりました。このときは3日間苦しんだのですが、吐けば早く楽になることを知ったのはずっと後なのです。
呑んだら見苦しく悪酔いする人も多いですが、少なくとも私はそのようなことも少なく(女の子をめぐっていちどやらかしたらしいですが..)、よい酒飲みだと思っています。学生時代、酔うためにばかばか呑んでいた頃、あるスナックの用心棒みたいな者を経験したことがあります。姫路は結構怖い街で、店長が「ポンチュウ」とよぶ覚醒剤?中毒の輩とやり合ったときの精神を麻痺させられた人間の凄みをよく覚えています。社会人になって少し高い酒も飲めるようになり、ビールはハイネケン、日本酒では以前は「浦霞」を好んで飲んでいました。しかし、今では安く速やかに酔える焼酎の酎ハイ割りをよく飲んでいます。蒸留酒はもっぱらカクテル用ですが、バブルの頃シングルモルトスコッチにはまったことがあります。お気に入りは「ザ・グレンリベット」でした。海外旅行でも飲食費の半分以上は酒だったような気がします。ところが、平成24年、胃が小さくなって抗ガン剤の副作用?でおいしい酒の味も酔う楽しみからも切り離されてしまいました。現在少しずつ酒の味も酔いも感覚が戻りつつあり、改めて酒のもつすばらしさと会話できるようになり自分の体に合ううまく酔える酒を開拓中です。
打つ!
賭事に関しては、私はどちらかというと否定的な考えを持っています。ギャンブルで身を滅ぼした人やそれに巻き込まれて不幸になった人を数多くみてきたからです。しかし、賭け事と共に独自の生き方を貫く人の業をしょった生き様にもあこがれることがあります。
しかし現実では博打打ちによって身を滅ぼす人が多いのです。さらに日本は私的に金銭をかける願ブルは禁止されていながら、公営ギャンブルや宝くじ、サッカーくじ、パチンコやスロットのように実質はギャンブルといったなどものが花盛りです。そこに非合法な組織が関与していることも周知の事実です。合法とされるギャンブルは一応成人のみに許される遊びです。しかし、成人の中にもギャンブルにおぼれ、人生を狂わされてしまう人が多くいます。そもそもそういうものを楽しむことは自分を律することのできる素養を持つ必要があります。私も多くの子どもの成長をみてきて勝負事や小さなこだわりに無気になる将来危険な人になると思われる事例をみてきました。その感情を助長させる行事や活動も学校の中には多く、教師の中にも勝負となると人間性を疑う行為をする人がいるのも見てきました。実際そのような人がギャンブルにのめり込んでいます。そして日本の教育現場で多くの競技スポーツの悲劇を生んでいるのです。やっと近年そういう教師についてメスが入るようになりましたが、スポ根時代の生き残りのような教師や保護者が今でもいるのは事実です。金銭的なギャンブルではないかもしれませんが、結果として人の人生を狂わす勝負事も私は同じ範疇に入れています。
私たちは、多くの人が弱さ故に賭け事や勝負事に泣き、没落し、殺し合い、家庭や職場を破壊してきたことを忘れてはいけません。ギャンブルには依存性があり、これは麻薬と共通していると思います。自分を律する大人がギャンブルを楽しむことは趣味だと思いますが、その依存性や悲劇性、そして自分を知ってこれらを制御できるようなる機会がほとんどないのが現状です。
教育面での大きな課題の一つに博打と借金のリスクに対する指導があると感じます。世の中のリスクを知りそれに巻き込まれやすさといった自分のリスクを知って自分を律することのできる大人が育っていかなければなりません。それがリスクフルな現代社会を生き抜く素養だと思います。
買う!
この趣味嗜好?はプライバシー的に大公開すべきではないのでHPとしては具体的な内容は載せませ不謹慎な男女を一緒くたにして考える人間の性についての考えが蔓延しています。本来男の生理には悲しい性があり、その部分はタブー視されることが多いのです。しかし、昨今の性のゆがみには頭を抱えます。これも欧米の宗教論理を人権意識にすり替えることが原因です。特に古来の女性の生業を蔑み、男の価値観で社会性をみるあまり不幸な女性を増産しようとしていることです。そもそも男の生業などは、母に対してどれほどの価値があることか。どんなにお偉い大臣や社長さんも空しい虚栄にすぎないことは多くの男は晩年感じるところです。最近の研究では人間の生活様式は本題大家族生活のようです。そこに宗教的な戒律で発生した一夫一妻制結婚が法で規定されています。このことで世の中の様々な性の不幸が誕生していると思っています。少なくとも男性(女性もそうかもしれませんが)は一人の異性に固定され核家族の構成員としては収まりきれないようで、そのゆがみに対応するために性風俗の文化?が人間史上途絶えることがないのではないかと私も実感するようになりました。時代的な抑圧のためか異常な性風俗が蔓延するようになって、そろそろ男性の生理についても本音で現実を語り合うときがきたのではないかと思ってしまう今日この頃です。
私は、今は平和を享受するときではなく、戦中や幕末とは比較にならない深刻な時代だと思っています。今の大人の生き方や姿勢から子どもは将来を考えるのです。そういう意味でも私は自分のやるべき事、今やっておかないと自分の人生を後悔することになると思われることをしっかり行うために、さまざまな趣味を深めていきたいと思っています。