競技スポーツの悲劇

 そろそろ競技スポーツによる問題点に目を向けてみましょう。

@ スポーツ障害 成長障害
A 賭博性 競争原理
B 現実回避
  C 職業スポーツへの誤解
D 薬物依存

競技スポーツと賭事について

 私は、現在の競技スポーツについて批判的な立場を取っています。学生の時、ラグビーなどもやって個人的には、心身の健康のための運動として親しんできました。しかし、現代の多くの競技スポーツとその環境は、問題点が多いと思います。第一に、プロスポーツです。現在は将来への深刻な問題が多いだけでなく、市民レベルでの解決や対応が必要な時代になりました。そのために生涯教育が必要になるのですが、現実から目をそらしてゲームに熱狂している輩が、昭和30年代生まれ以前の社会の中核に居る者の中に多いのです。その光景は、滅び去った古代ローマのようで、おぞましい光景です。この輩によって高校野球など、子どものスポーツも汚されています。ゆがめられたスポーツ指導の指導者と親たちを観察してみると、子どもを虐待する異常な親たちと共通する目をしています。さらにスポ根時代に育った大人とその熱にあてられて育てられた世代は、スポーツをやることによって体がむしばまれてきています。今、大人がやるべきことは実行する
 スポーツは心身の育成に有効な側面もありますが、そういった体育の視点からは、単一のスポーツ競技を幼いときから連続してやらすのではなく、多様なスポーツからバランスのよい成長を目指すべきです。ベルリンオリンピックからメジャーになった、郷土や国家の名誉を名目にした勝つためのスポーツの弊害は、教養のある親や教育者には十分理解されるようになってきています。しかしなっがら、成長期の子どもの体を消費させ、未来を奪う行為が今でも公然と行われています。年配者の中にも、歴史の浅いスポーツ界のヒーローの前半生の成功談を全人生の価値と勘違いし、人生を「勝負」として教えることを生き甲斐とする輩もいます。一般的に小中学校の運動部活動指導者の多くは、競技指導には長けていても、体育指導の面からは素人と感じられます。実際、体育の単位を取っている指導者が指導する小学校の現場で、加熱したサッカーやバスケの指導で膝や腰に傷害を受けた子どもをよく見かけます。傷害とは言えないまでも姿勢や体型の異常まで数えると..そのときは軽度の傷害にみえても、成長期の子どもたちの傷害は数十年後にその人生に深刻な影響を与えることでしょう。寿命が延びて長くなった老いてからの人生は、足腰の傷害が表面化して長い苦しみの日々となることでしょう。数十年後には、深刻な社会問題となると予想されるスポーツ指導の問題は、ほとんど今は調査さえされていません。
 心の面から見ても、相手のミスが自分の得点になり、いかに相手の隙をつくか、裏をかくかを競う経験と、目前の結果を求める生き方をすり込まれた子どもたちには、これからの「共生の時代」に適応ができるのか心配です。人や社会を見て、自然を体全体で感じる子供の時代、そして自分自身および社会の中での存在価値を求めていこうとする思春期という無防備な時に、勝負にあおられることは、その人の人生にとって致命的な資質を持たせる可能性があります。親の時代を見る目を期待したいところですが、そういう環境の地域は、親もまきこんだ饗宴状態の場合が多く、手の着けようがありません。しかし、将来の自らの不幸を教訓にして、さらにその子どもの代には嫌でも変化していくことでしょう。
 私は、今は平和を享受するときではなく、戦中や幕末とは比較にならない深刻な時代だと思っています。今の大人の生き方や姿勢から子どもは将来を考えるのです。そういう意味でも私は自分のやるべき事、今やっておかないと自分の人生を後悔することになると思われることをしっかり行うために、さまざまな趣味を深めていきたいと思っています。