《※CINEMA CODE※→touring report→shiden-kai》
2002 winter shiden-kai
date:2002/11/10
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2002年11月10日 村上君とタケダの2台で紫電改を目指す。 早朝4時起床。適当に着替えと朝食をすませてカタナを置いてある実家のガレージまで歩いていく。天気が良く頭上には沢山の星が見えていた。あ、オリオン座だ。空気がきれいだからオリオン座星雲もよくみえるなぁ、、、あれがカシオペアで、あっちが北斗七星、、、、、、って夜かよ!(さま〜ず風) 午前5時、川内インター近くのローソンにて待ち合わせをする。手元の温度計では摂氏5℃。真冬ほどではないが結構寒い。ウインタージャケットの中にフリースを着込み、ボトムはレザー、久しぶりに家宝のヨシムラのヘルメットを出すがこれも防寒用。 |
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川内インター近くに待ち合わせたのにもかかわらず藍住インターから高速道路に上がる、予算削減。まだ夜明け前なので路面
の状況がつかめない。それほど速度も上げるわけでもないが100キロ近くでの走行風の冷たさはかなりこたえる。こいつはチト、、、キツイ。大洲までのあいだ幾度もパーキングエリアで休憩をとりながら走る。1時間は走っただろうか。そろそろ日が昇りはじめるが依然と気温が上がらない。申し訳程度のスクリーンに身を伏せるがたいして効果
はない。油温計も70℃前後を行ったり来たり、サーモスタットが解放されていないのだろう。夏のオーボーヒートも困りものだが、冬のオーバークールは深刻だ。エンジン温が上がらないとどうしても馬力もついてこない。
出発した時点では雲一つない快晴の夜空だったのにいつの間にか曇りだしてきた。ひょっとしたら降り出すのか? |
ここは聖地、アスファルトの上・・・
徳島を出て約200キロ、寒さと闘いながらなんとか愛媛県、大洲インターまでやって来た。肩の筋肉を緊張させ続けたので肩がこって仕方がない。何よりまず給油をしなければとインターを降りてすぐのスタンドに入ることにする。カタナのタンクの容量
だと航続距離はMAXで300キロが良いところだ、早めに給油しないと。ここから大洲バイパスを経由して国道56号線に入る。紫電改まであともう一踏ん張り、と思いきやここからが遠い。平均60キロほどと下道にしては好条件で巡航出来たにもかかわらず紫電改保存館のある御荘町まではたっぷり3時間はかかっただろうか。計5時間の道のりであった。そうこうするうちに国道ぶちに「紫電改保存館」の看板を発見!いよいよ到着と思い駐車場に入る。この駐車場から小高い山の上にある紫電改保存館へロープウェイが運行している。タケダはてっきりこのロープウェイに乗って行くのだとばかり思っていたのだけれど、どうやら近くまで有料道路「西海道路」で行けるらしい。村上君のほうがバッチリ予習をしてきているようだ。因みにロープウェイだと往復¥900-、有料道路で行くと往復¥500-。西海道路の料金所をぬ
けて数百メートルの所にある駐車場に一旦カタナを止める。ここからは遊歩道を歩いて行くことになる(約10分)。すでにクタクタであった(眠いし、、、)。 |
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・ 紫 電 改 保 存 館 ・
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これが噂の『紫電改』。機体は所々腐食が進んでいたり、プロペラは曲がっていたりして随分と傷んだ印象は受けるもののきれいに整備されており、何十年も塩水に浸かっていたとは思えない状態だ。とはいえすでに主脚で自立できず支えが必要なようだ。今はただ、もう二度と飛び立つ必要のない時代が続く事を願って、翼を休めているように感じる。それと忘れてはいけないのは、ここに人が乗っていたんだなぁ、、、、ということ。
【局地戦闘機 紫電二一型 紫電改 川西(N1K2)】 以上が紫電改のプロフィール。スペック上は空冷エンジンとなっているがこのエンジンは熱をもったシリンダーの背後に循環用のオイルを噴射して厚い空気の層を除去し高回転化するこので出力の向上を図るという構造をもっている。この方式のメリットはエンジン本体がコンパクトに設計でき軽量 ながら高出力であるところ。戦争という負の功績なくして産まれて来ることのなかったであろう技術的遺産。今日SUZUKIはこの冷却方式を“油冷”と呼び、この構造を取り入れたエンジンをモーターサイクルに採用していることはすでに周知。80年代から多くのレーサーが油冷エンジンを搭載したGSX-Rを駆ってサーキットを席巻し、ストリートでも人気を博した。タケダは90年式R1100が大好きだった。いつの間にか“油冷”という言葉はSUZUKIのアイデンテティーとなり、現在でも同社はいくつかの車種に油冷エンジンのモーターサイクルを生産販売している。一度作り始めたものはそう簡単に止めては行けないということ、それがクラフツマンシップということ、そしてそこがSUZUKIの愛される理由だと思う。 |
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ちょっとサービス、、、、いや失礼。 当初の計画では紫電改のあと四国最西端の佐田三崎まで走って瀬戸内の新鮮な魚介類でリッチにランチを頂くつもりだった。しかしそれは一泊での計画の場合。600キロを超える行程を日帰りでこなす以上どうしても無理が出てくる。村上君、このまま予定通 り佐田岬を廻って徳島に深夜に帰宅するのと、道後温泉でゆっくりお風呂に入るのとどっちがいい?・・・・佐田岬は行ってみたいし、、、かといって温泉も捨てがたい。彼は自分の気持ちに正直なようです。 なんだかんだ行っても無理なスケジュールで走ると事故の元である。分別ある(?)大人として道後温泉を選択する。佐田岬へはまた来れることもあるよ。少々の心残りを残しておくのも旅のエッセンスのひとつだ。とタケダは考えている。
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趣のある建物、文化財指定 |
坊ちゃん時計、、、だったっけ?
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坊ちゃん列車が出入りする
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下駄箱までも風情が
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2階座敷
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でゆったりくつろいで
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道後温泉の前にある道後麦秋館にて伊予料理で遅めの昼食をすませたら、、、、さぁて、温泉である。 「他のものはたいてい東京におとるが、温泉だけはたいしたものだ・・・・」っと夏目漱石の坊ちゃんに登場してくる道後温泉は日本最古の温泉なのだそうだ。どれくらい“最古”なのかというとその歴史は3000年にもなるという。嘘のようなホントの話。文献では「古事記」の中にすでに登場する。なんか、スゴイよね。泉質は含硫黄アルカリ単純温泉。正岡子規もよく湯治に訪れたという。近くに子規の生家もある。ここはまるで千と千尋の神隠しに出てくる油屋の世界を彷彿させる。 道後温泉の前には「坊ちゃん」の衣裳を着た人が立っていて一緒に記念撮影をしてくれる。もちろん有料。坊ちゃんにマドンナ、ハラダイコに赤シャツ、ウラナリにヤマアラシ。高校の後半から大学の前半にかけては漱石は随分と読んだものだ(それと宮沢賢治も)。 この道後温泉、ただ入浴するだけにもいろいろとコースがあったりする。ただお風呂に入るだけなら¥300也。この場合は「神の湯」というお風呂に入る。以前訪れたときこのコースで入浴をしただけだった。次に同じ「神の湯」に入るコースで「2階の座敷で浴衣を借りて炭火で煎れたお茶を頂きながらくつろぐコース」がある。今回はちょっと奮発して620円払ってこの「2階の座敷で浴衣を借りて炭火で煎れたお茶を頂きながらくつろぐコース」にしてみた。なんともイイ感じでした。そしてさらにその上に「霊の湯」なるコースがあるのだがそこは未知の領域。 |
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さて、温泉でくつろいだし帰るとするか。とはいえまた走行数時間の道のり、朝も早かったし疲れで眠気も出てきた。高速道路を走行中幾度となく白昼夢におそわれたり、、、、。安全のため多めの休憩をとりながら帰ることにする。石鎚ハイウエイオアシスから見た石鎚山は頂上付近はすでにうっすら雪景色だった。 今日は十数時間もバイクを走らせた。走行距離も600キロを越えている。一日に走行する時間と距離としては少し多すぎたが日程上仕方がない、その上気候もツーリングには向いていなかった。とはいえ、まだまだこの走り続けるモーターサイクルの上に跨っていたいと旅の最後が近づいても感じていた。もしも、地上に理想郷と呼べる場所があるならば、僕にとっては間違いなくこのカタナのシートの上がそうだ。モーターサイクルであってモーターサイクルを越える存在、その造形的モニュメント。だから、臆面
もなくこの心にわき起こる群像をこう呼ぼう、、、 |
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