oni-ga-shima

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date:2003/08/31(sun)

 

名残を惜しみつつも一路鬼ヶ島を後にし高松へ帰ってきた。鬼ヶ島だけでは片手落ちというもの。今度は桃太郎縁の地『鬼無』を訪ねてみましょう。
まずは地図をみながら鬼無駅へ向かう。女木島が鬼づくしなのに対し、こちらは打って変わって桃太郎づくしだったりする。駅の名前も鬼無駅の下に小さく(鬼無桃太郎駅)と遠慮がちではあるが、ここが桃太郎縁の地であることをアピールしている。

 

鬼無散策はまず桃太郎神社から。ここは高松で桃太郎と伝えられる稚武彦命を祀った神社。山岳信仰の総本山である熊野大社の系列にあたるようだ。境内には桃太郎が描かれたレリーフや記念撮影用の顔空き看板などが見受けられる。しかしながらあまり桃太郎神社に来る人はいないみたいで淋しい感じのする境内だった。まぁ、それはそれでタケダには好都合なのだが。
驚いて良いのか感心すべきなのか、な、な、なんと、、、境内には桃太郎のお供をした猿&犬&雉のお墓があったりする。
そして、な、な、な、な、なんと、、、この神社の裏山が『柴山』という名前の山でこれこそがおじいさんが柴刈りりをした山なのだという。その上、な、な、な、な、な、、、、、な、、、なんと、、、、この近くにはおばあさんが洗濯をしたという川まで残っていたりする。すでに虚構と現実の境界線は闇の中。 これらはここにくれば本当にあるのだが、、、人に言っても信じてもらえないだろうなぁ。

 

桃太郎に襲撃された腹いせに鬼たちは鬼無に乗り込んできますが、悲しいかな返り討ちにあってしまいます。
その鬼の亡骸を葬ったのがこの『鬼ヶ塚』。普通の住宅地の間に雑草に囲まれた小山が取り残されたように残っている。この小山が鬼ヶ塚なのだが上まであがっていく道がないので回りから眺めるだけだ。鬱蒼と茂る雑草の間に立つ石碑になんとか「鬼」と書かれているのを確認するに留まる。
本当にここに鬼が埋められているのだろうか?
、、、、、、、、、ちょっと掘ってみましょう。

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近頃は高松というと空前の讃岐うどんブームなのらしい。無類の麺喰いであるタケダはうどんも勿論守備範囲である。いろいろと遊び歩いたので小腹がすいてきました。うどんにしましょう。
今日は新しい店のチェックを入れてこなかったのでいつもの店に行くとします。
「東にわら家あり」と言われる屋島の名店、わら家です。いままでどれだけ知り合いをこの店に連れてきたことか。

 

 


本来であれば我々人間にとって忌むべき存在であるはずの“鬼”。
遠い昔にはるばる中国から渡ってきた彼らも長い歴史のなかでいつの間にかすっかりこの国に帰化してしまったようだ。今回の桃太郎伝説の他に、昔話や童話の中にも多く鬼は表れるし、このレポートの中にいくつかタケダが折り込んだような諺などにも鬼の出てくるものが多く、私たちはこれを日常でごく当たり前のように使っている。また「オニヤンマ」「オニオコゼ」「オニヒトデ」等々の固有名詞にも形容詞的に用いられていることが多い。この場合では強大であることを表現する場合にのみ使われることから、我々は無意識のうちに鬼たちの力を認めているのが興味深い。また、建築の様式として古くから使われる鬼瓦などは、鬼の力を持ってして邪気を払うという、いうなれば毒を持って毒を制すといった使われ方をしている。普段はなんの疑問にも思っていないことではあるが、よくよく考えてみるとユニークな考え方ではないだろうかと思われる。
このように今や“鬼”は生活の中に広く深く根をおろした私たちの良き隣人という側面 すら持っていると言えるのではないだろうか。まして女木島において鬼は島民のアイデンティティであると共に英雄的ですらもある。それも桃太郎に征伐された悪役にもかかわらずだ。
今回の旅で、タケダはとても女木島が気に入ってしまった。ここには心安らぐ瀬戸内の海を眺めながらすごす心地よい時間がある。反して、加速度を増して我々に迫ってくる焦燥がここには存在しない。遠く北欧の先達ケルトは自らに驚異を与える自然現象や精霊・悪霊から逃れるために自分たちの住む集落をsafe houseと名付けた。桃太郎が鬼を倒したことによって鬼無と呼ばれるようになった地名などはまさに日本のsafe houseといえるだろう。しかし反対にタケダは鬼ヶ島と呼ばれる女木島にこそ現代日本のsafe houseの精神を見つけることができるのではないかと思う。
あぁ、また来年も女木島に行ってみたいなぁ、、、、、、、あっ、“鬼”が笑いますかねぇ。

 

おわり

 


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