oni-ga-shima

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date:2003/08/31(sun)

 

瀬戸内海に臨む高松港からほんの4km沖に女木島(めぎじま)と男木島(おぎじま)という二つの島が並んで浮いている。大きな方の島を女木島で小さな方が男木島というのだが、てっきり男女にまつわる謂われでもあるのかと思いきやそうでもないらしい。高松沖の水域といえば源平合戦のクライマックスの舞台で有名でもあり、その当時の逸話もたくさん残っている。
その中でも弓の名手として名高い那須与一が揺れ動く船の上から遠くの船に掲げられた扇を射落としたというエピソードはとても有名だ。その時那須与一が射落とした扇が流れ着いた場所ということから扇島と呼ばれた島が転じて男木島となったという。(おうぎじま→おおぎじま→おぎじま、、、バンザーイ)一方、女木島の方は壊れてしまった扇が流れ着いたからだという。土地の言葉で(徳島でも使う言葉だが)物が壊れることを“めげる”と言う。このめげた扇が流れ着いたから、めげじま→めぎじま、となったらしい。
この歴史のロマンを背景に持つ女木島ではあるが、昔話の桃太郎に登場する鬼ヶ島であるといわれているのは今や有名な話。因みにこの桃太郎の物語は京都の北野天満宮に学問の神様として祀られている菅原道真が作者ではないかといわれている。岡山県では桃太郎伝説に登場する桃太郎は吉備津彦であるとして桃太郎は岡山の人だと主張している。桃太郎を岡山県のマスコットキャラクターとしてアピールしていることや、たまたま岡山県では桃が名産であることからこの桃太郎岡山出身説が一般 的に知られている。しかし、海を挟んだここ香川県にも桃太郎伝説が残っている。このふたつの土地にまつわる桃太郎伝説のディティールがそれぞれ異なるというのも興味深い部分ではある。良い機会なのでここでそれぞれに伝わる伝説を紹介しておこう。

 

『岡山県の桃太郎伝説』
時は昔、大和朝廷の時代。吉備の国に温羅(うら)という鬼が城を築きました。温羅は身長4.2m、目はあたかも虎か狼のよう。髪は燃えるような赤。凶暴凶悪な温羅は、朝廷への貢ぎ物や婦女をしばしば略奪していました。土地の人々は「鬼神」と呼んで恐れ、居城である「鬼の城」に近づく者は誰もいませんでした。ある日、吉備の国に一人の武将がやってきました。朝廷から温羅退治の命を受けた孝霊天皇の皇子、吉備津彦命の事です。命は犬飼と鳥飼の役職にあった家臣をつれて、吉備の中山に陣を張りました。いよいよ合戦の時。双方、壮絶な戦いを繰り広げますが、なかなか勝負がつきません。そこで命は、一度に二本の矢を放ちます。これには温羅も不意をつかれ、矢の一本が温羅の左目に刺さりました。目から噴き出す血が血吸川に流れ、赤浜まで真っ赤に染めました。
温羅は鯉に姿を変えて、血吸川に逃げます。そこで命は鵜になって温羅に食いついたのです。
絶体絶命の温羅。とうとう、首をはねられた温羅ですが、その首はいつもでもうなり声をあげていたそうです。
そこで命は吉備津神社の御釜殿の地中深くに温羅の首を埋めます。ある夜のこと、命の夢枕に温羅が立って「これまでの悪行の償いに世の吉凶を告げてしんぜよう。釜が大きな音で鳴れば吉、鳴らなければ凶」と。これが今に伝わる吉備津神社の鳴釜神事です。

 

『香川県の桃太郎伝説』
吉備の国の温羅退治に、兄の吉備津彦命とともに派遣されていたのが、弟の稚武彦命です。ある日、命はある噂を聞きつけました。鬼ヶ島(現在の女木島)の洞窟を根城にして、瀬戸内海の沿岸各地に出没、荒らし回っている鬼(海賊)がいると。血気盛んな命が、鬼退治の決意を固めたのはもちろんです。
まず、命は単独、讃岐の国に乗り込みました。船に乗って讃岐の国を進んでいた命は、川(本津川)で洗濯をしているおばあさんに遭います。
おばあさんはおじいさんとふたりで、悪行の限りを尽くす鬼から逃れるために、神高の里(鬼無)に住んでいました。そして子宝に恵まれなかったおじいさんとおばあさんは、子授け地蔵に毎日、願をかけていたそうです。そんな時に出会ったのが稚武彦命です。
命は鬼の暴威にほとほと困り果てているおじいさんとおばあさんを見て、一層、鬼退治への思いを強くしたのでした。
命は吉備の国、犬島の住人と讃岐の国、陶村猿王の住人、讃岐の国、雉ヶ谷の住人を家来に、鬼退治に出発しました。
まずは海での合戦です。命たちはこれに勝利し、鬼の根城である鬼ヶ島に上陸しました。そして鬼の宝物を奪って凱旋。しかし、鬼たちもこれに負けじと逆襲してきます。命たちは、これをみごとに返り討ちにし、鬼たちを全滅させたのでした。その時に鬼を埋めたのが「鬼ヶ塚」です。この里が後の鬼無の地になりました。

桃太郎伝説というとどうしても岡山県がまず思い浮かぶが、現在広く知られる桃太郎の物語に近いのはやはり高松に伝わる話のほうだと考えざるを得ないだろう。タケダが以前から気になっていた鬼無(きなし)という地名もやはり桃太郎伝説に起因するものだったようだ。
また、 吉備津彦命の存在が後にキビ団子として表現されたのであろうことや、上記のふたりの姉の名前がモモソヒメ命であることが川を流れてきた桃に姿を変えて登場しているのだなぁ、というのも興味深い。

 


雌雄島海運M

鬼ヶ島こと女木島
さて、女木島へ行こう。
いくら高松からわずか4キロしか離れていないとはいえ一応は離島なのだ。行き帰りのフェリーの時間を事前に把握しておかないと帰れなくなるかも知れない。最悪の場合、泳いで帰るというのであれば別 の話だが。
女木島へ行くフェリーは雌雄島海運のみ。「めおん」という名前のフェリーが高松-女木島-男木島を行き来している。岡山方面 への航路は存在しない。ゆえに「めおん」は島民の四国本土への重要な日常の足であるといえる。

発着の時間は高松発がam8:00始発、女木島発がam7:20始発、男木島発がam7:00を始発にそれぞれ2時間おきに一日6便が運行している。
困ったことにこの「めおん」、前方にのみハッチがあるために乗船はバックで行う。バイクにはちょっと不便。それと船体の床にバイクを固定しておくためのタイラップが無かった。三角形のタイヤ止めだけは不安なので短い航行中ずっと気が気ではなかった。
海上20分。いよいよ鬼ヶ島上陸である。さぁ、“鬼が住むか、蛇が住むか”

鮮やかなツートンの「めおん」

女木島着岸

 


世界唯一鬼灯台

瀬戸の都、高松

鬼ヶ島おにの館

女木島の港に着くとまず出迎えてくれるのが鬼の形をした灯台。“鬼に金棒”状態で瀬戸内海を行き来する船の航行の安全を見守っている。島の人は世界にひとつだけの灯台というが、まぁ、、確かにそうでしょうなぁ。 対岸には瀬戸の都、高松が見える。海から高松市を見るなんて機会はなかなか無いので新鮮に感じる。目下建設中のシンボルタワーがひときわ大きくそびえる。完成すれば瀬戸内海の新しいランドマークになるのだろう。

フェリーの入港の時間に合わせて『大洞窟』へ向けてのバスが出る。船を下りた人たちはこのバスに乗り遅れてはいけないとばかりに乗り込んで行ってしまった。こちらは自前の足で来ているのでなにもバスに時間を合わせる必要もない。ゆっくりしたものである。まずは『鬼ヶ島おにの館』からまいることにしましょう。
この施設は作りも新しくつい最近出来た物のようだ。フェリーとバスの発券所兼待合所に簡易な食堂と鬼にまつわる資料を展示した資料館が備わっている。入場は無料だ。一緒の船に乗ってきた人たちがみんないなくなったので、ゆっくりと資料館を堪能することができた。タケダ的観光の極意は「人がいない所に行く、もしくは人がいない時間に行く」なのだ。“鬼のいぬ まに洗濯”というやつだ。




オーテの石垣
この島独特の物のひとつに右の写真の石垣がある。高さ3メートルほどに積み上げられたこの石垣は『オーテ』(またはオオテと書く)という。冬の寒い時期にこの附近の海岸線の民家では潮風に乗って冷えた海水が霧になって家の中に入ってくる『オトシ』という季節風に悩まされてきた。アルミのサッシなどなかった時代のことだ。このオトシから家を守るためにこのオーテが海に面 して築かれた。
昔の人の知恵と努力の結晶が未だに人々の暮らしを見守ってくれている。タケダ的文化遺産に認定しましょう。

 

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