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i r a ・ k i r a
2004/06/13 sun
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南へ向けて走っている。 |
![]() 道の駅 宍喰温泉 |
県南から室戸岬へ向かうルートは何度走ってもいい。阿波室戸国定公園に指定されるほど風光明媚な景色に恵まれている。その上交通
量も少なく快走できるし、まったくツーリングにはもってこいのコースだ。 |
道の駅「宍喰温泉」で少し休憩を取り再び室戸岬に向けて走る。 高知県に入り、甲浦を過ぎたあたりで写真の看板が現れる。『魔のカーブ』とは気が利いてるではないか。いったいどんなカーブが待ち受けているのかと期待に胸を弾ませて飛び込んでみると、、、実はたいしたことのないS字カーブ、、、と思いきやそのまた奥にS字カーブがもう一つ待ち受けているという趣向。フッ、この程度で魔のカーブとはフカシもいいところだぜ。っと安心しているところに実はもう一発S字カーブが待っているという演出。実に気が利いている。 野根あたりからの海岸沿いは所々に砂浜はあるのだが、その多くは黒光りする大きな岩がゴロゴロ転がったような岩礁 が続く。通称「野根ゴロゴロ」これまた気の利いたネーミングではないか。土佐っ子の心意気が伝わってくるようだねぇ。 |
![]() 東洋町名物「魔のカーブ」 |
![]() 野根ゴロゴロ |
![]() 御蔵洞 |
この野根ゴロゴロが国道のなかった時代には難所の遍路道だったそうだ。種田山頭火がこう詠んでいる。 室戸岬の少し手前、『御蔵洞(みくろど)』を再び訪れてみる。 弘法大使が修行し悟りを開いたとされる洞窟。 今でこそ国道が前を走っているが、彼の時代には洞窟から外へ目をやると“空”と“海”しか見えなかったことだろう。そして彼は“空海”と名乗ることになるのだ。 |
悟りと聞くとちょっと恐れ入るが、仏教において悟りとは突き詰まるところ「色即是空空即是色」にたどり着いて「さぁ、おしまい」である。幕末の動乱を走り抜けた坂本龍馬や中岡慎太郎の燃えるような生き様しかり、浮き世の所行は皆泡沫の夢、目が覚めてみれば幻と気づくだけ。今は冷たくて美味しいけれど、いつかは食べてなくなってしまうアイスクリンのようなものなのだ。あとはただ、ワッフルコーンが残るのみ。難しいことを分かりやすく説明してみました。 |
![]() 中岡さんちの慎太郎くん |
![]() 室戸名物アイスクリン |
余談ではあるが、ここで“悟り”というものについて少々誤解されてしまうことが考えられるので補足しておく。多分にして悟りとは仏教世界における修行の到達地であると認識されているのではないだろうか。それがすでに間違い。誤解ついでにこう言っておこう。実はタケダもすでに悟りを開いている。あまりお堅く考えないことだ。悟りなどは日常茶飯事そこいら中にころがっている。現の様々な迷いに際して、あれはこうだったのか、、、と閃けばそれはすでに立派な悟りである。いや、深く考えた末に到達するよりも突然閃くものなのかもしれない。まるで天から悟りが降ってくるようなものである。天啓と表現されるのも解るだろう。 余談の補足ついでにもう一つ。中岡慎太郎。何をした人物かご存知だろうか。幕末の動乱を駆け抜けた土佐藩脱藩の志士。というだけでも知っていたらたいした物である。幕末から明治維新までの天下風雲の時代における史劇には英雄と呼ぶべき人物が大勢登場する。幕臣の勝海舟、薩摩の西郷吉之助(隆盛と呼ばれるのは維新後ずっと後)、長州の桂小五郎に高杉晋作、そして真打ち土佐藩(脱藩、復席を繰り返すが)の坂本竜馬らがそうだ。慎太郎もこの英雄の中に含まれるべきなのだが、どうしても竜馬の陰に隠れてしまう。彼は本来、竜馬の陰に隠れるには惜しすぎる人物なのだ。明治維新を大きな石垣に例えると、中岡慎太郎という石を石垣から取り除くと維新という石垣は見事に崩壊してしまうほどの重要人物なのだ。彼の奔走なくして薩長同盟はありえなかっただろうし、彼が岩倉具視との架け橋にならなければ大政奉還も不完全だった。竜馬の海援隊に対し、陸援隊を率いたのも慎太郎だ。残念ながら慎太郎は大政奉還後、竜馬と共に近江屋にて賊の討ち入りに会いこの世を去った。土佐藩からはほかにも自由民権運動で有名な板垣退助や藩臣、後藤象次郎も欠かせない。 えぇいついでだ。もういっちょ余談といくか。広大な太平洋に面し、荒々しい黒潮に育まれた環境が幕末に多くの志士を産んだ、っと勝手に思いこんでいる御仁が多いように感じるのだがいかがだろう。確かにそういった環境が人を育てたという背景はあるだろう。しかしそれは本質ではない。 |
巨大空海象にシバキを入れてみた。 後ろでは釈迦象がふて寝している。
“あこう”の林が山肌を覆う。ここはすでに亜熱帯気候地帯。南国土佐なのである。
![]() 鯨館「鯨の郷(いさのごう)」 |
室戸岬をV字型に折り返して進み、本日の真の目的地、吉良川町へ入る。 まずは休憩がてら、道の駅「キラメッセ室戸」に立ち寄ることにする。室戸周辺に限らず、四国南部の海ではホエールウォッチングが出来るスポットが各地に存在する。古来より水産資源に恵まれた海にはマッコウクジラやニタリクジラが今でも訪れる。日本人は世界でも類を見ない鯨肉を食する文化を持ち合わせているので(あとはイヌイットくらいだろう)、もちろんこれを獲らずにはいられない。というわけで室戸は380年ほど前から捕鯨で栄えることになる。突き取り漁法といわれる古式捕鯨は一時は隆盛を極めはするが、鯨の来遊の減少や捕鯨に対する外的圧力によりそれも次第に衰微していった。鯨に限らず乱獲で姿を消す魚は後を絶たない(ニシンとか。最近ではタコも獲れないらしい)。漁獲高をコントロールするといったテクノロジーは、残念ながらこの国には存在しない(期待はしていない)。 その土佐古式捕鯨の歴史や文化をキラメッセ室戸に併設された鯨館「鯨の郷(いさのごう)」では紹介している。入場料は350円。旅に出たのならこの手の施設はケチらず訪れた方が良い。ちなみに当館の名誉館長はかのC.W.ニコル氏だ。 |