eastend of blueisland

date:2004.04.10

 

「日本」という国は「日本列島」という言葉が示す通り大小多くの島々が連なった成り立ちをしている。
考えてみればこの地球は面積の差こそあれいくつもの島を乗せて回っているのだ。そしてこの島は常に海に接する部分で囲われることによりその領域を限定され、その領域の限界を人は“果 て(涯)”という概念で呼んでいる。
不思議なことにオートバイに乗る連中の中にはこの“果て”を目指して走りたがる者が多くいるようだが、ある意味これはライダーという人種がごく自然に持ち合わせている習性なのかもしれないとつくづく考えている。

ここは四国、藍よりも蒼い海に囲われし私達の島。そして私もまたひとりのライダーである。愚かしくも最果 ての地を目指す欲求を持て余す一族のDNAが、どうもこの体にも刻まれているようだ。
かくいう私も過去3度この四国という島の最果ての地を求めて旅をしてきた。
まずは最西端に位置する愛媛県の佐多岬。初めてのロングツーリングの際、九州へ渡る道すがらのことだった。ついで最南端、高知県の足摺岬。黒く染められた海の色。なるほど黒潮とはよく言ったものだと感心したことを憶えている。そして最北端、香川県は大崎の鼻。内海である瀬戸内海らしいもの静かな景色に心が和む。どれもみな臨む海が異なるためにそれぞれ異なった表情をしていた。
そして今回、四国の最果てを巡る旅の締めくくりとして最東端、蒲生田岬(徳島県阿南市)を目指すことにする。徳島県在住のライダーでありながら蒲生田岬が最後になってしまったことがいくらか不思議に思わないでもないが、これも生来の行き当たりばったり人間のなせる業ではなかろうかと、ひとり密かにほくそ笑んでいる次第。

今日のこの小さな旅に私は小さなXL125R PARIS-DAKARを連れていくとしよう。かつて世界一苛酷といわれたラリーにおいて、パリから地の果 てダカールを目指したワークスマシンXL500R改を彷彿させるシルエットをまとったこのマシンこそ、四国の果 ての地を巡る旅を締めくくるツーリングにふさわしいのではないかと思うのだいかがだろう。
岬へ向かう細く曲がりくねった道は大きなカタナよりもパリダカの方が向いているだろう。


北島町を出発してしばらく、徳島市内で車の波をかきわけながらの走行中に一台のTWのトラッカーと遭遇した。どうも若者(自分はすでに若者ではないという自覚がこう言わせるのか)が運転しているようだ。もちろん知り合いでも何でもない。交通 のよどみをかきわけて走る彼を、別のラインで先行する。そうすると今度が彼が別 のラインでパリダカをパスして前に出る。日常よくあるパターンにはまってしまったわけだ。
あちらは250ccのソロライディング、こちらは125ccのタンデムラン、その上年代物ときている。不利な状況ではあるが、ハンディキャップをやったと思えば悪い気もしない。
しばらくはこんな調子で抜きつ抜かれつしながら走り続けるのだが、あくまでもこっちが“その気”になっていることを気づかれてはいけない。クールに振る舞う必要があるのだ。こちらの気持ちを悟られないように無理なパッシングなどもしない。こうして暗黙のうちにレギュレーションが形成されていく。きっと信号一個分くらい離せば勝敗がつくのだろう。向こうも同じ事を考えているだろうことが彼の背中からひしひしと感じ取れる。しかしながらお互いの走りには隠しておくべきはずの“その気”が満々に溢れていた。
徳島市を抜けて小松島へ入るとやや交通量が減少し視界がクリアーになる。この時点で僕が先行。しかしここでアクセルを大きく開けて引き離すのはレギュレーション違反だ。あくまでも「流してますよ〜、気にしてませんよ〜〜」といったOUT OF 眼中的な演出を欠かしてはいけない。といいつつ赤石のトンネルを抜ける頃にはお互い80km/hほど出ていた。

っと途端、視界の左端に警察官を発見「しまった!取り締まりか!」即座にUターンをしようかと思いきや中央分離帯があるので反対車線には逃げられない。頭が急速に回っているのが分かる。なんたって視界がスローモーションだ。運良く左に曲がる田圃のあぜ道のような細い道を見つけたのでそちらへ曲がろうと急制動をかけた。その途端、真後ろまで追いすがってきていたTWの彼が驚いて急ブレーキ!もう少しのところで接触するところだった。これは僕の方が悪い。
その後、和田島を抜けて那賀川町に入ったので事なきを得ることが出来たわけだが、TWの彼も同じくらいスピードを出していただろうに、大丈夫だったろうか(捕まらなかっただろうか)。結局勝負はつかず終い。

ちょっとしたハプニングがあったものの橘までやって来た。「蒲生田岬」の看板を目印に国道を逸れて東へ入っていく。
いままで「ガモウダ」と読んでいたが正しくは「カモウダ」のようだ。


 

ここは蒲生田岬にほど近い港町、椿泊。近年、白鶴酒造の「まる」という清酒のテレビコマーシャルのロケ地として起用された地であることがまだ記憶に新しい。コーマーシャルではテレビでよく見かける眼鏡の俳優が両の手に酒パックを掲げて大漁旗をなびかせた漁船の一団を臆面 もない笑顔で迎えるという演出。「お〜ぃ、まるだぞ〜!」の、アレだ。県人ならみんな憶えているだろう。
しかしながら、実際のところ椿港はテレビのような賑やかさとはほど遠い閑散とした港町で程良く寂れた空気を漂わせている。これをマイナスのイメージで捉える方もいるだろうが、本来こうした雰囲気にこそ日本人は美意識を見出すべきではなかろうか。「わびさび」でいうところの“寂び”だ。沖の海鳥もまたのんびりと波に揺られてよい案配だ。


蒲生田岬まで後もう少し、というところに近年公共の温泉施設が登場した。ツーリングに温泉はつきものだ。
「船瀬温泉」というのだが、数年前に角田氏と轟の滝へツーリングの際に立ち寄ったことがある。下駄 箱に靴を入れようとするのだがすべての下駄箱にカギが無い。館内にいる人に聞いてみると、なんとまだ建設中。おかげで面 白い思い出が出来たものだった。
基本的に僕は環境の独り占めが好きだ。かといって空間から人を追い出すことは出来ない。だからいつも訪れたいところの本命は人がいない早朝一番とかに行くことにしている。今日も誰もいない露天風呂をひとりで満喫しようと10時の開館を狙っていた。残念なことに少し時間の読みが甘く、到着したのは10時16分。なにぶんへんぴな所にある温泉なのでだれもまだ来ていないだろうと思ったが、すでに一人先客あり。三国連太郎がドロップアウトしたような感じのおじいさんだった。三国連太郎氏が出ていくのを待って露天風呂を陣取り記念撮影としゃれ込む。
ここ船瀬温泉では受付で「四国最東端到達の証」というスタンプをおいてあるので是非スタンプ帳を持っていくといい。蒲生田岬の絵はがきをサービスでいただけるのでその裏側にスタンプを押すこともできる。
ちなみに入泉料¥500-也。

 

 


蒲生田大池湿地帯

道がドンドン細くなって

遂には遊歩道に

椿泊からの山道も酷いものだと思ったが、船瀬温泉を出てからはもっと道路事情は悪くなる。舗装が古くあちこち傷んでいる、その上まだ未舗装の部分もあるし山からの落石も酷い。
初夏のような陽射しの中、黒々と茂った林の間を走っていると、どこか南の島国に来たような気持ちになる。徳島の風景とは思えない。

蒲生田大池に到着。この池を含む湿地帯には沢山の品種の植物が自生するらしく、それらが蒲生田の地名の由来にもなっているのだという。この池の畔に数台車を停められる駐車場がある。本来ならばここで車を置いて岬まで歩くみたいだ。そんなことはつゆ知らず細い遊歩道をどんどんパリダカで走破して進む。やはりパリダカできて正解だったかもしれない。


 


意外と急な階段は 緑に包まれ
まるでジャングル

蒲生田岬灯台
大正13年10月1日初点

まさか先客がいようとは・・・


沖に浮かぶは伊島か

『東経134度45分10秒 北緯33度49分49秒』われついに四国最東端に到達せり

それは同時に四国東西南北端制覇の瞬間でもあった。
遊歩道を突き当たるとキャンプの出来そうな広場へたどり着く。泣いても笑ってもこれ以上は進む道は無い。そう、ここが最果 ての地なのだ。高台の上には灯台が見える。最果ての地には灯台もつきものである。上は展望台にもなっているようなのでパリダカを置いて登っていくことにするのだが、この階段の勾配がきつくて登るのに一苦労だった。こんなことで音を上げるようでは今年の登山は思いやられる。その上、険しく木々が階段を覆うように茂っているのでこんな展望台に登る人間なんてめったにいるはずがない、、、、、と思いきや、ひと組いらっしゃいました。どうやらバードウォッチャーらしき男性とそのお連れの犬の方。聞くと上空を飛んでいる鷹を観察しているのだという。
灯台に登ると頬をなでる風が暖かくて気持ちいい。お腹もすいてきたのでここらでお昼にしましょう。


今日はお弁当持参なのだ。といっても自家製ではない。道すがら去年改築が完成した阿南駅で売っている『阿波地鶏弁当』なる駅弁を買っておいた。ちなみに¥1,000-也。

中身はというと、まずメインと呼ぶべき阿波尾鶏の照り焼きが醤油で炊き込まれたご飯の上に載っている。次に小松島の竹チクワ、勝浦のミカン、鳴門のレンコンのはさみ揚げに同じく鳴門の金時イモを使った大学芋。焼き鯖の上には嬉しいことにスダチの輪切りが載っている。駅弁は地方を表現していなくてはその存在自体に価値がない。『阿波地鶏弁当』良くやったり!

今や全国で2000種類以上もあるといわれる駅弁ではあるが、新しい弁当が開発されたり、人気のない弁当が消えたりで、その数は常に流動的。そして駅で売られている弁当がすべて駅弁かといえば、実はそんなことはない。駅弁にはちゃんと定義があるのだ。
まずは駅弁を作っている業者が、昭和21年に設立された社団法人日本鉄道構内営業中央会に加盟していること。この加盟業者がJRの駅構内で売っている弁当こそが駅弁ということになる。社団法人鉄道構内営業中央会に加盟している業者かどうかは、掛紙などに押された「駅弁マーク(昭和63年制定)」の有無で判断できる。経木を思わせる四角い枠に十字の仕切り、日の丸弁当をイメージした赤丸と「駅弁」及び「EKIBEN」の文字があしらわれたマークだ。
マニア(何の?)ならご存知かと思うが、奇しくも今日4月10日は“駅弁の日”。これは弁当の“弁”の文字が「4」と「十」であるから、、、という半ばこじつけで、平成5年に作られた記念日。

日本中にその土地ならではの味覚を盛り込んだ駅弁が存在しているが、我らが四国にも風土色豊かな駅弁がたくさんある。香川県には「お遍路さん弁当」や「アンパンマン弁当」、愛媛県には「坊ちゃん弁当」や「マドンナ弁当」、高知県には「鯖の姿寿」や「かつおのたたき弁当」などがある。もちろんこれは一部の紹介に過ぎない。
しかしながら 駅弁は現在、受難時代に突入しており四国でも次々と駅弁がなくなっているのだそうだ。我らが徳島県は悲惨なもので徳島駅と阿波池田駅の駅弁がなくなり、ついには駅弁のない県になってしまっている。今全国で駅弁がないのは徳島県と沖縄県のみ。沖縄県には鉄道そのものが敷かれていないのだから、事実上“駅弁がないのは徳島県だけ”ということになってしまう。(注:今日買ってきた阿波地鶏弁当は上記の「駅弁」の定義を満たしていないので単なる「駅で売っているお弁当」ということになる)
このこととは直接関係ないにせよ、徳島県人というのは郷土愛というのに欠けていると以前から感じている。その土地の気質をその土地の言葉でしか言い表せないことがたまにある。例えば高知県の男性をして「いごっそう」女性は「はちきん」と呼ぶそうだ。タケダが徳島県民に感じる気質は「へらこい」という残念ながらマイナスのイメージである。




こんなバス停が実在するのが嬉しい。
しばらく内緒の場所にしておこう。

8;27発「月夜」行き。洒落てる。
;(セミコロン)のミスタイプが泣ける。

まだ日が高いので少し寄り道をする。別段観光地というわけではないのだが、タケダが個人的に気に入っているのが阿南市某所に実在する『月夜下』のバス停。竹藪の覆い茂る道を進んでいった先にあるバス停、夜、月光の下で待っていればどんなバスが迎えに来るのだろうと想像をかきたてる。
「月夜下18;14発 月夜行き」一度乗ってみたい気がする。
ちなみに終点「月夜」までは徒歩で数分です。

 

ひとつの旅が遂に終わりを迎える。断続的に続けてきた四国の東西南北の涯を訪ねる旅。感慨にふける思いを、今はうっすらと寂しさが染めてゆく。いつだってそうなのだ。私たちの旅はたどり着くことを目的としない。その道程が終わるとき、この旅の目的は既に達している。ともすれば、その道のりの上に最初の一歩を乗せた時、すでに終末を暗示しているのではないかとすら推測する。私たちは何とも儚くも切ない欲求の具現化なのか。すべての価値観を陳腐に置き換えるこの現代日本で、恥ずかしげもなく鉄馬を駆ることで自らの存在を誇示する種族。誰よりも速く、もっと遠くへ向かうことを最善とするプロパガンダ。より楽に便利にを合い言葉とする大勢の対局に立つ彼らを、多分に矛盾を内包する憂いを、私はいつまでも愛して止まない。

 

 

おしまい



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