2003 summer dance with venus
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{2003年8月14日(木曜日)3日目}
「パラパラ、、、パラパラ、、、」気がつくとテントを叩く雨音。やはり夜のうちに降り出したか。と耳栓を取ったとたん「ザ〜〜〜〜!」という激しい雨音に変わる。こりゃぁ本格的だなぁ、と思ったとたん、おでこにピチャンッと雫がおちる。なにぶんスーパーマーケットで買ってきた安物のテントだけに防水性能なんて期待する方がおかしい。(なんでホームセンターじゃなくてスーパーマーケットにテントが売っていたのか未だに不明。そんなテントでも今年で4年も使えているのだからありがたい。)(基本的にはテントとフライの間のクリアランスが確保出来ていないのが問題)
昨夜のうちに荷造りをしておいて良かった。大粒の雨の中、手際よくテントを畳んで荷物をタンデムシートにくくりつける。今日は朝食の用意も出来ていない。どこかでファーストフードの店でも探すか。
午前7:00 暖気もそこそこに出発。目的地は箱根。ターンパイク。
![]() 『軽井沢の星野温泉ホテル前にて』 |
![]() 『即席ブーツカバー。イケテル。』 |
マップケースが防水ではないので常に道を確認しながら走ることが出来ない。少しずつ、進む方向の道路標識を追いかけて行くことになる。
まずは軽井沢だ。 夏の連休に軽井沢なんて、ちょっとセレブのようじゃない?っとまぁ、想像力もここまで来ればたいしたものである。
しかし初日よりも雨の降り方が酷い。走り出して一時間ほどでブーツの中が水浸しになってしまった。ブーツカバーが必要だなぁ、、と一考。北軽井沢のコンビニで缶
コーヒーを買って一番大きなビニール袋を2枚分けていただく。上の写真のような状態でブーツの上からビニール袋を履きふくらはぎで縛る。見てくれは悪いが効果
はバッチリだった。地面に足をつくと靴の裏が滑りやすくなるので要注意。信号待ちで僕の足元に人の視線が集まる。
早朝の時間でもあるし天候もすこぶる悪いので軽井沢界隈に行楽の賑わいは皆無だ。北軽井沢→中軽井沢→南軽井沢→旧軽井沢と難なく抜けていくが問題はここから先の軽井沢旧道だった。道幅の狭い一車線道路、その上つづら折りの山道に何本も川が出来ている。240キロの車重をこの細いタイヤにあずけるのは危険だ。コーナーで車体を傾ける度に一体どこに加重していいのか分からない。慎重にゆっくり連続するUターンカーブをこなす。
「まっすぐな道でさみしい」 山頭火が残した句にこうある。ひとしきり雨が路面
を打つ中、速度を上げられないまま細く暗い軽井沢の旧道を行く。胸底の孤独が目を覚ます。行く先を示す標識ひとつあればこの孤独も和らぐだろうに。しかしそれも無い。
冷たい雨が語りかける。「見よ。お前はなんと愚鈍で、かくもか弱く、見窄らしい存在なのか。」
我が耳よ、生のある限りこの声を聞け。
虚飾を纏わぬ自分を見つける也。
軽井沢を抜けると今度は秩父の山々を抜けるコースになる。・・・なるのはいいが、道を間違えた。立体に交差する分岐路で進むべき道は見えているのにそこへの道が分からない。通
りがかりの地元の人に声を掛けて聞き込みをする。どこに行きたいのと訊かれるが、まさか箱根までと言ってその道順をこんな山奥の人に説明できるとも思わない。「あぁ、箱根ならね秩父を抜けて甲府を廻るよりもお盆だから東京経由の方が早いし迷いにくいと思うよ。」なんともまぁ、ラッキーな人に道を尋ねたもんだ。「お兄ちゃんの小さい地図じゃ分かり難いから家から大きな地図を持ってきてあげるよ。ここで待ってな。」という奇特とも言える厚恩を制御するのも一苦労であった。
この後はR18高崎→R17で埼玉→R16で八王子を目指して走る。非常に分かりやすい幹線道路。ひたすら車の波の中で走り続ける。
午前9:00 高崎の吉野家で朝食。ずぶぬれのままお店に入るのが気が引ける。
後、八王子のホームセンターにてドリンクを買い、例の如く大きなビニール袋をいただく。そろそろ破れかけた“即席ブーツカバー”を新調する。
走行中、前方の視界ににジャンボジェット機が入ってきた。飛行場?と思うと米横田基地だった。東京とか新宿とかいう道路標識に何だか違和感を感じる。
次に八王子から厚木を目指すが市街地に入ると急に標識が姿を消す。不安になって道沿いの交番に立ち寄るが不在(日本の交番って大抵お巡りさん居ないよね)。たまたま通
りかかった初老の女性の足を止め道を聞くことにする。電車での移動の多い大都市の人に道を聞くのも間違いかと思ったら、予想に反してこの女性の道の詳しいこと。あそこをこう曲がって次の信号を曲がると標識があってその道をずっと行くと箱根よ。
必要以上に詳しい説明に勇気づけられ厚木を目指すことが出来た。
さて夕暮れも近くなってきた。今夜の寝床を探そうと芦ノ湖の北15kmほどの所にあるキャンプ場を目指すがここで大渋滞につかまってしまう。その上厚木市内の道が非常に分かり難くい。雨の中濡れていく地図を見ながら国道を行くが1時間に10km程度しか進めない。このままでは日没を迎えしまう。近場で別
のキャンプ場を探そうと通りかかったダイエーで休憩をとりながらすでに水浸しになった地図をめくる。軒先で僕が地図を見ていると横にいたおばあさん(推定年齢75歳)が声をかけてきた。「おにいちゃんどっからきたの。どこまで行くの。」「徳島から来たんですけどね。近くで泊まれる所を探しているんですよ。」「徳島かい。あたしは和歌山の出なのよ。(まぁ、近くと言えないこともない)泊まるってビジネスホテルでもいいんかい。」「いや、お金が無いんでキャンプ場を探してるんですけどね。」「あたしゃキャンプ場なんて知らんけど娘なら知っとるかもしれんから連れてきてあげるよ。いま中で買い物してるから呼んでくるから待ってなさい。」御する間もなくおばあさんは店の中に消えていった。ここでドロンするわけにもいかないので待つしかない。約10分後、おばあさんが迷惑顔の娘さん(推定年齢45歳)を連れて帰ってきた。
しかし結局彼女もキャンプ場の場所なんて知らなかったので自分で茅ケ崎のキャンプ場を探してそこまでの道を聞く。
有り難いことに地図に無いような抜け道ばかりを教えてくれるのだが地の利のない僕にとってはいっこうに道順が頭に入らない。
しかり彼女らがあまりにも懸命に説明してくれているので僕はずっとその説明が終わるまで真剣に聞いていた。
茅ケ崎手前のコンビニで夕食の調達。出来合いのお弁当を買った。一日中雨の中を走ってきたので疲労困憊、自分で食事を作る元気はなかった。レジのギャルに茅ケ崎キャンプ場までの道を聞くと知らない様子。代わりに店の主というおじいさんを連れてきてくれた。
少々言語障害のある老人はレジの前にうずくまり僕が雨で濡らしてしまった床の上に指で懸命に地図を描いてくれた。さっきのダイエーでのおばさんといい八王子でのおばさんといい身に余る親切に頭が下がる。
「やっとたどり着いたぁ〜」という感で茅ケ崎キャンプ場に到着。
茅ケ崎ってサザンの曲に出てきそうな名前だと思ったら江ノ島まで11Kmという標識が現れる。おっ、湘南ボーイじゃーん。(どこが?)
しかし、せっかく辿り着いたというのにキャンプ場の入り口は重厚なバリケードで閉鎖されていた。どうももう使用されていないキャンプ場のようだ。背に腹はかえられん!とオートバイの車幅ぎりぎりのバリケードの隙間を抜けてキャンプに入りこむ。
驚いたことに、何故かそこには先客がいた。彼等は車で乗り付けているが一体どうやって入ってきたのだろう。さらに治安の良さそうな人たちに見えない。正直言ってこの人達のいる場所でキャンプするのは恐い。・・・あえなく退散。
仕方ない、、。日は暮れてしまうが当初のキャンプ場に向かうことにしよう。
遠回りになってしまうが分かりやすい道を探すと今度は1号線を芦ノ湖方面に向かい途中で県道74号線を北上となるが、実際に走ってみるとこの74号線が見つからない。
もう心身共に疲れ果てていた。もう野営する気力もない。ふっと布団とお風呂が恋しくなり急遽、芦ノ湖のほとりのユースに電話を入れて厄介になることにした。多少散財になるがもう我慢出来なかった。
芦ノ湖ユースホステル。温泉利用費込みで一泊4300円也。温泉?そう、有り難いことにここには温泉が湧いている。
荷物を玄関に預けるやいなや降りしきる雨の中をカタナにシートを被せに行く。 旅のたった一人の相棒を雨に濡れさせておくわけにはいかない。
すでに冷えきってしまっているお弁当を食べたあと久しぶりの(3日ぶり)風呂に入ると、後はベッドに体を横たえる他に今夜の僕には出来る事がなかった。
雨はまだ降り続いていた。
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{2003年8月15日(金曜日)4日目}
午前6時。樋から溢れ落ちる雨の音に目を覚ます。窓を開けてみるが雨脚は衰えていない。
i-modeで天気予報を見ると大雨注意報が出ている。こんな予報だけ当たるんだ。
スローペースでもターンパイクを走ろうとも思ったがそんな余裕もなささうだ。これ以上旅を続けても意味がない。
撤退しよう、、、頭をうなだれる。
支度はとても簡単だった。昨夜はバッグも開ける必要すらなかった。
シーツと部屋の鍵を無人のカウンターに返却し荷物をカタナに縛り付ける。まだ早いのでペアレントさんへの(ユースホステルでは管理人さんの事をこう呼ぶ)挨拶はなしだ。その旨は昨夜のうちに伝えてある。
6時40分、大粒の雨の中を帰路に立った。
松田インターから高速道路に乗る。乗り口のループを恐る恐る登り料金所の発券機から通
行券を引き抜く。 ビニール袋の中からマップケースを取り出しそのポケットに通行券をねじ込む。一連の長引く作業が後続車に申し訳なく思う。 合流車線を加速し本線に入る。一度は100km/hまで引き上げるが、それは万が一の時に車体を制御出来る域ではない。 速度を落としつつ80km/hほどで安全マージンと折り合いを付ける。真横を追い抜いていく大型トラックが暴力的にすら感じた。 |
![]() |
静岡県の名勝「日本平」付近で事故車と遭遇。大型のランクルのフロントが大破している。わき見中にスリップでもしたのだろうか。幸いドライバーはピンピンしていたが、オートバイならもしもの時はただではすまない。再度、気を引き締める。
濡れたグローブが走行風にさらされ、気化熱となって指先から感覚を奪っていく。時折エンジンのフィンに手を当てて一時の暖を取ってみるが、日本平のSAにたどり着いた時にはもうイグニッションを切ることもままならなかった。このまま残り400Km以上も走るのかと思うとぞっとする。売店でゴム手袋を買ってグローブの中に着ようかと一考するが高速道路のSAに売っているようなものではない。なかば諦めながらトイレで用をたしていると掃除のおばさんが入ってきた。そしてその手にはピンクのゴム手袋。すいませんがもしゴム手袋の予備が有りましたら分けてもらえませんでしょうか。手がかじかんじゃって。ヘルメットとレインコートを着たずぶ濡れの男を見ておばさんはこの男のおかれた状況のいくばくかを察してくれたのだろう。その人は掃除用具入れの中を探し始めてくれた。使い古しならあるけど、、、穴の空いたのじゃいやだよねぇ。よかったらこれを使いな。今日下ろしたばかりで新しいから。と彼女は自分のしている手袋を脱いで差し出してくれた。受け取った手袋は彼女の体温でまだ暖かかった。
走り出す前によく手を乾かしてからいただいたゴム手袋をはめ、その上からひとしきり濡れたメッシュグローブを着ける。予想通
り手の冷たさが和らいでいる。バッチリだ。
自分の功績を讃えたのもつかの間、少しすると冷静に頭が働き出す。世間様が連休だと浮かれているときに高速のサービスエリアでトイレ掃除をしているおばちゃんがいたりする。遊びに来ている身だというのに、人の使っている手袋を見ず知らずの人間にくれと言う馬鹿がいたりする。ようやく自分の馬鹿さ加減に気づき出す。ステアリングを握る手の温かさに、つい、目頭が熱くなる。しばらくヘルメットの中で号泣していた。頬をつたう涙が顎で雨に溶け合う。
![]() 『浜名湖で・・・』 |
![]() 『ウナギバーガー食べました』 |
![]() 『琵琶湖』 |
午後8時すぎガレージを借りている実家に帰り着く。トリップメーターは270キロを廻っていた。帰宅の挨拶もそこそこに玄関に仰向けに倒れこむ。疲れがたまっていたのでこのまま眠ってしまいたかった。旅の日程を縮めてしまったものだからこのまま家に帰っても家内はまだ帰省先から帰っていない。旅先でのことを母親に話しながらの夕食の後、久しぶりに実家に泊めてもらうことにした。実家に泊まるなんて結婚してからはなかったことだった。10年ぶりだ。
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こうして年に一度のロングツーリングが幕を下ろしたわけだが、今回の旅は雨にやられた残念な旅だったともいえるし、何か大切な物を得ることのできた旅でもあったように思う。今年で4回目になる夏のロングだが、回を重ねる度に快適に旅をするツールが増え、旅のための要領も身に付いてきた。しかし、そうなるに連れてなんとなくマンネリ化してきているような気がしてきていた。安物の寝袋とテントだけを持って何も分からないまま旅をした初めての九州が忘れられない。あれは僕にとって冒険だったのだろう。だから、今でもその時のトキメキがこの胸に残っているのだと思う。今回の旅はどこかそんな思いを引きずったままの旅であり、これから先もこんな旅を続けようとする意思が自分にあるのかを確認するための旅でもあった。
今年はビーナスラインを求めて旅立ったのだが、そこで出会ったのは、行く先々で親切に道を教えてくれた人達や日本平でゴム手袋をくれた彼女のような生きたビーナス達だった。
またオートバイで旅に出よう。その気持ちがあらためて湧いてきた。
今僕は未来への始まりの場所に立っている。そんな気がする。だからエピローグは、まだない。
旅に出て、今まで知らなかったものを知る。
見つけるのはいつも、決まって自分の中。
雨に洗われたのは体だけではなかった。
紺碧に染め上げた空も憧れも、思い違いと共に雨に消えた夏の抜け殻。
全走行距離:1,732km
総予算:¥45,011(反則金¥12,000を含む)
おわり
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