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文政十一年(1828)に完成した弥勒大掛井は、その後漏水甚だしく、農民は「器あれど盛るのに水は無し」の悲嘆をくり返していた。
この惨状を見かねた富田中村の庄屋軒原庄蔵は、田面の砕石谷より山底の石盤を掘り抜き、石穴を作り導水する以外に方策はなしとみて、その工事を高松藩に申請、安政二年(1855)七月ようやく許可をとりつけ、東西双方より昼夜兼業で掘り進めた。しかし、当時のこととて、のみとげんのう、燈明にたよる手仕事は、言語に絶するものがあった。
軒原庄蔵の卓越した技術と努力の甲斐もあって、着手後三年目の安政四年(1857)十一月、百五間(189メートル)の石穴は見事貫通した。この偉業により、多くの田畑を旱魃の被害から救済することができた。

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