働ケドモ働ケドモ我ガ暮ラシ楽ニナラズ


 私の周りに起こる色々なことを、つれづれなるままに記録しています。
 そこはかとなくものぐるおしけれ。

1月31日(金)雪のち晴れ
 今日も閉塞性黄疸の患者は来なかった。
 夕方、某先生と呑みに行く予定だったが諸般の事情により中止になった。残念。

1月30日(木)晴れ
 今日も閉塞性黄疸の患者は来なかった。明日かな?

1月29日(水)晴れ
 今日は閉塞性黄疸の患者は来なかった。明日かな?
 梼原病院に行っていたときに一緒に呑んだ看護婦さんとS田医師一家と私の計8人のうち4人が下痢症状を訴え3人が点滴をしたらしい。S田医師から大丈夫ですかとメールをもらったが私は全然平気である。

1月28日(火)晴れ
 M田Y多佳医師はグアム行きの前日になり妻と喧嘩になり、とうとう、妻はグアムに行かないと言いだしたらしい。真偽を確かめるために夕方、M田Y多佳医師は自宅の妻に電話をしたが、その口調は仲直りをすると言うよりは挑発してるようにさえ聞こえ、これは本当に行かないかもしれないと周りの者に思わせた。
 M田Y多佳医師は今晩9時出発の大阪高知特急フェリーに乗る予定にしていた。7時からフィルムカンファレンスが桟橋近くの保健協会で行われる予定だったので、「出席してから行けば?」と勧める私とN田医師。「俺がお前ならそうする。」と追い打ちをかけるM田S二郎先生の言葉も届かず、M田Y多佳医師は自宅に帰ってフィルムカンファレンスには来なかった。N田医師がカンファレンスから帰って、医師住宅のM田Y多佳医師の部屋の明かりが消えていたことを確認したことから想像すると夫婦一緒にグアムに向かったようだ。お土産お待ちしています。

1月27日(月)晴れ
 M田S二郎先生とM田Y多佳医師夫婦と高知医大放射線科H医師夫婦と奥さんの実家のT尾石材店(高知県では「人類の幸福は祖先の崇拝にあり」のCMで有名)御一行様は明日の夜からリザーバー研究会のグアムセミナーに4泊5日で出かける。私とN田医師は留守番である。私とN田医師は来月かわりに、島根県に1泊2日で出かける。えらい違いである。この話を聞いたH見外科部長は「石川県の町会議員みたいだね。福留さんのブロードキャスターで叩かれるよ。」とおっしゃった。それは冗談として無事に帰ってきて欲しいものである。まあ、万が一、飛行機が落ちてもT尾石材店がいい石碑を建ててくれるはずである。M田S二郎先生が留守の時に閉塞性黄疸の患者が来るのがジンクスになっている。私が最近、PTCDをさせてもらえるようになったが、背後にM田S二郎先生の影を感じながらするのと、一人でやるのとでは大分精神的な重圧が違う。まだ見ぬ閉塞性黄疸の方、今週来るなら肝内胆管は1cmくらいにしといてください。
 投稿中の論文が医学図書出版「胆と膵」の3月号に掲載するとの連絡があった。みんな見てね。

1月26日(日)晴れ
 梼原から帰ってきて、午後は大学時代の友人に文旦(高知県特産の柑橘類)を送りに出かけた。毎年恒例の行事であるが、これが山形のさくらんぼ、岩手のリンゴ、鳥取の二十世紀梨に変わると思えば苦にならない。

1月25日(土)晴れ
 梼原病院に呼ばれて、内視鏡的胃瘻造設術をしに出かけた。私は、今でも梼原町職員であるので公務員のアルバイトにはならない。(これを言っとかないとオンブズマンに通報されちゃうので)昼頃に到着しS田医師の家に上がり込んで食事をごちそうになった。梼原病院の事務のT田さんとか臨床検査技師のJ明さんに命じられて、梼原に行くときには手土産を持って行かなくてはならない。中央病院近くのKみベーカリーでチーズケーキ(税込み2,575円)を購入し持参したが、J明さんは食べずに帰った。ひどい話である。無事に胃瘻造設し、日帰りでも良かったのだが、雲の上ホテルに宿泊し、雲の上温泉につかった。雲の上温泉は昨年秋に営業を開始したのだが、当初、白色の濁り湯で温泉らしい温泉だったのだが、次第に薄くなって今は無色透明である。単に穴を掘ったときの石灰成分が混じっていただけと推察された。大丈夫であろうか? その夜、居酒屋でS田医師一家と日勤の看護婦さん4人と一緒に酒を飲んだ。

1月23日(木)曇り時々雪
 今日もM田Y多佳医師は休みである。今年のインフルエンザはよほどたちが悪いらしい。一週間後から、M田Y多佳医師夫婦は、リザーバー研究会のセミナーでグアムに行くのだが、大丈夫だろうか? ちなみに私とN田医師は留守番である。M田Y多佳医師はグアム直前にインフルエンザが治ったりしたら、私グレちゃうよ。ホント。ちなみに、M田S二郎先生と高知医大放射線科H医師夫婦と奥さんの実家のT尾石材店(高知県では「人類の幸福は祖先の崇拝にあり」のCMで有名)御一行様もグアム行きである。
 さて、今日午後、医療機器メーカーが血管造影や胆管造影の写真を回転して立体的に見せる装置のデモンストレーションにやってきた。X線管球を回転させて撮影したVTRをソフトウエア的に左右の画像を素早く交互に出し、それを特殊な眼鏡をかけてみるという装置である。放射線科診察室で見ていたが、噂を聞きつけて消化器科のDrが次々にやってきた。その過程でM田S二郎先生が「これでエッチビデオが見えたらすごいな」と言ったのが湾曲して伝わっていき、いつのまにか裸のお姉さんがグルグル廻るビデオを見せてくれるという話を聞きつけて消化器科T松先生がやってきた。伝え聞きのおそろしさかな・・・

1月20日(月)晴れ
 昼食を食べに病院の食堂に行った。大体、私は日替わり定食570円を食べることにしている。今日の日替わり定食はスパゲッティとサンドイッチだった。しかし、12時半に食堂に行くとすでに売り切れていた。残念と思いながら他の物を食べ、帰りに食券売場を見ると日替わり定食があった。あれ??? しかし、よく見ると、スパゲッティでなく焼きうどんに変更されていた。おそらく、サンドイッチが余ってしまったのだろう。以前に日替わり定食が山かけマグロ丼の時は、売り切れた後、おもむろに「山かけそば、うどんできます。」の掲示が出たことがあった。山かけを作りすぎたのでしょう。おそるべし、高知ソフト!(食堂の業者の名前です。)

1月17日(金)晴れ
 風邪は大分良くなってきた。M田Y多佳医師は嘔吐下痢は治ったのだが、今度は鼻汁がひどいらしくダンリッチという風邪薬を飲んだところ、ボーとしてしまい、昨日はそのまま強制帰還命令が出てしまった。本日も寝込んでいる。そのお陰と言っては何であるが私は昨日PTGBD、本日PTCDとをまた経験させてもらった。
 夕方は英会話教室の新年会で街に出た。M田Y多佳医師は自分で段取りをしながら、欠席せざるを得なくなり、つくづく不幸である。英会話教室の先生のDavidは「暴れん坊将軍」が好きであることが判明した。曲調だけで単純なストーリーが理解できるらしい。「水戸黄門」は主役の役者が替わるのでダメだそうである。

1月15日(水)晴れ
 風邪がまだ良くならない。げほっげほっ。年賀はがきの当選番号のチェックをした。毎年、この作業が結構面倒くさい。MS-Excelにでも入力して、検索かけてやろかとも考えるが、そこまでムキになるほどの物でないような気がする。読売新聞のホームページで当選番号を調べて、合わせていくと例年の如く、切手シートしか当たっていなかった。しかし、後輩の県立中央病院のS田S医師(独身女性、外科で研修中)から貰った年賀状が2等の当選番号下五桁42188と一つ違いの42187だった。ということは、私の次に彼女が年賀状を書いた人が当たったのか。大月病院のY崎医師か香川県造田診療所のK村兄医師あたりがあやしいと私は睨んでいる。
 しかし、某書店のインターネット上でのプレゼントに応募していたのだが、今日当選の発表があり見事に当たった。X FILE IIIrdのTシャツだ、わーい。

1月14日(火)晴れ
 M田Y多佳医師の嘔吐下痢はかなり良くなったようだが、まだ本調子では無いようで、今日の病院当直もN田医師に交代した。今日も動注リザーバーをだいぶやらして貰った。昨日より一つ前進した。
 夕方は肝疾患研究会に出かけた。終わってから病院に帰って昨日届いたpersuasion のファイルをスライド出力した。
 N田医師はセットアップの終わった performa を昨日自宅に持って帰ったが電源コンセントを忘れていったので昨晩は何もできなかったらしい。

1月13日(月)晴れ
 先週末に娘が保育園で風邪を貰ってきてから我が家に風邪が蔓延した。今日は咳が出るし喉が痛い。ごほっ。しんどいと言いながらも病院に行くとM田Y多佳医師も調子が悪いようで一昨日から嘔吐下痢になっているらしい。M田S二郎先生はM田Y多佳医師に帰還命令を出した。風邪で休めるのは先着一名様なようで私は働き続け、その甲斐あって午後は動注リザーバー埋設をだいぶやらして貰った。しかし風邪の上に腰痛が出現し、左頬のニキビも痛くなり、三重苦である。
 疲れて家に帰り着くと梼原病院のS田医師よりE-Mailが届いており、ダウンロードするのに10分もかかった。メールにはAldus Persuasion のファイルが添付されており、スライド出力の依頼だった。しくしく泣きながら夜中までかかって校正した。

1月12日(日)晴れ
 南国市にある妻の実家に遊びに行くといって娘二人を預けて、妻と二人で近くにある某ジーンズ屋にズボンを買いに行った。この店は普段でも店員がチャラチャラしており制服など無いので客と区別がつかない。今日は、冬のセールとかでさらに客が多く店内がごった返しており無茶苦茶で息が詰まる思いがした。
 放射線科N田医師はMacintosh Performa 6260 を購入した。セットアップもろもろを手伝いに病院に出ていった。N田医師は今日は病院当直なのである。なかなか思うとおりに進まず、ついつい夜8時までやっていたら、妻の御機嫌がすっかり悪くなってしまった。N田医師にもらった自家製キイウイを持って帰ったが焼け石に水だったようだ。反省。

1月9日(水)晴れ
 放射線科外来看護婦が患者指導用のビデオを作ろうと言い出し、昨年末より撮影をすすめていた。今日は、M田S二郎先生の締めの言葉を撮影した。年末に撮らして下さいといったら、散髪してからと言われていたため撮影が残っていたのである。妙に緊張した面もちが受けていた。家に持ち帰り、妻に見せたら大好評だった。

1月7日(月)晴れ
 N田医師の風邪はまだ良くならないようだ。
 昼食を食堂で食べていると電話で呼び出しがかかった。「N田先生おいでますか?」と電話をとった食堂のおばちゃんが呼んだ。N田という医師は放射線科のN田医師と小児外科のN田医長の二人おり、どちらかわからなかったが、小児外科N田医長が電話に出た。電話はCT室からでもちろん放射線科のN田医師への電話だったためN田医長とまるで話が合わず、N田医長も気がついてN田医師に電話を代わった。この騒ぎの間、席を離れたN田医長の食べかけの食事が下膳されてしまった。気の毒である。

1月6日(月)晴れ
 仕事始めである。体に正月疲れが残っており何となくしんどい。
 放射線科N田医師(独身、身長180cm)は昨晩当直であったが、ベットが小さく蒲団から体がはみ出してしまい風邪を引いて早退した。ベットが小さいと文句を言っていたがノーマルサイズの医師からはその類の不満は聞かれたことがない。
 M田Y多佳医師(新婚7ヶ月)は神戸に帰省していたが、妻が元旦より風邪を引き寝たきりになってしまい、仲人のK野教授への年始の御挨拶も一人で出かけた。昨日、車で実家の神戸から帰ってきていたが、高知自動車道が雪で通行止めになり、香川県坂出市でチェーンを買って国道で帰ることを決意した後、通行止めが解除になってチェーンが無駄になった。妻は風邪がよくならず、実家の明石で暫く静養するらしい。M田医師は妻がいないときの方が体調はいいし、精神的にも落ちついているようだ。
 外科、O崎医師は小児科Y溝医師(独身女医、通称みぞりん)に日頃の失礼を詫びるべく、年賀状を書いた。その文面・・・「昨年は色々失礼なことをして、申し分ありませんでした。」O崎君、普通は「申し訳ありませんでした。」と書くのだよ。申し分ありませんでした、だと謝っているようにない。みぞりんは怒っているのだ。

1月5日(日)雨(山間部では雪)
 昨日、新年会と称して町へ飲みに行った疲れを引き吊りながら当番なので病院に出かけた。流石に休みも9日も続くともういいやと感じる。仕事をしていた方が疲れない様な気がする。それはそうと「おめでとうございます。」と声をかけられるとついつい「有り難うございます。」と答えてしまうのは私だけだろうか?

1月3日(金)晴れ
 正月の料理にはもううんざりしてきた。一日中、腹が張っている感じでこれぞ日本の正月である。それはそうと、世間ではインフルエンザが流行しているらしい。田舎で医者をしていた頃は、そういう物に敏感であったが、町の医者になるとどうも疎い。自治医大のメーリングリストで「インフルエンザの患者が沢山来たぞ。」というようなメールが届くと、ああ、私も田舎医者だった、と思い出す。インフルエンザと診断すると小学校の校長先生から電話がかかってきて、学級閉鎖、学校閉鎖の相談があったりする。まあ、18人しかいない小学校で5人も患者が出たら大騒ぎである。学校医は面白い。

1月1日(水)晴れ
 新年明けましておめでとうございます。
旧年中は何かとお世話になり厚く御礼申し上げます。今年も宜しくお願い申し上げます。・・・て、日記で誰に挨拶しとるんだ?


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