1月30日(水)曇り時々雪
院内でPHSの工事が行われている。とりあえず、PHS間での内線通話だけの使用だが、来月中には病棟、外来のナースコールとも連動する予定である。看護婦以外の医師、技師にもPHSを持たすことになった。これからは、「○○先生、どこに行った?」と探し回る姿は院内から消えることであろう。みんなの首に鈴をかけたことになる。わん。
1月27日(日)曇りのち晴れ
3日ぶりに帰宅する。疲れた。
1月26日(土)曇りのち霙
いつもなら、お江戸は日帰りなのであるが、今回は宿泊をした。今日、T京J子医大で開催される「第一回日本PTEG研究会」に出席するためである。昨年2月に当院でも施行した新しい手技PTEG(経皮経食道的胃管挿入術)の研究会である。「やった、よかった」程度の発表が目立ち研究会としてはまだまだの感は否めないが、癌性腹膜炎による腸閉塞の状態の患者さんには非常に有効でQOL(生命の質)を高める方法であることは間違いないようである。で、緊急告知!お近くの病院の先生方で、このような患者さんでお困りの方、是非是非、私を呼んでください。PTEGを施行しに出張いたします。一例でも構いません。(高知市内3杯から出張するK崎の中華ソバよりよっぽど良心的である。)
夜は高校時代の同級生と旧交を温める。20年前の記憶のいいかげんさと、自分が歳をとったことを確認。
1月25日(金)晴れ
昨夕はそのまま高知市内のホテルに泊まり、今朝は、東京に向う。飛行機の中で、高知県長寿社会政策課のY中班長、I本氏に偶然会った。自治体病院協議会の中小病院問題委員会に出席のために東京に行っている旨を話し、この委員会も再来月に会長に最終答申をして任期が終わることなどを話した。今まで、1年半ほど2ヶ月毎にお江戸に出かけていたのも、この3月に頑張ってあと一回行けば終わり・・と思いながら会場に到着。会議が進む中で、「4月以降も回数は減らしても、今後も中小病院問題委員会は継続」となった。えっ!
1月24日(木)曇り
夕方、仕事もそこそこに、雪の中を高知市に向った。(昨日と同じ始まりである。)今日は本当は須崎市で介護認定審査員の研修会があったのだが、依光先生のお通夜がいとなまれると聞き、お悔やみに行くことになったのである。翌日の告別式に行きたかったのであるが、東京に出張のためお通夜に・・となった訳である。多くの参列者があり、先生のご遺徳を物語っていた。
1月23日(水)雪
夕方、仕事もそこそこに、雪の中を高知市に向った。高知放送のラジオ番組、「大二郎'sワールド」の録音のためである。この番組、字のごとく、高知県知事H本D二郎氏がパーソナリティーを務める番組で、毎週日曜の昼に放送されている。毎回、各方面のゲストを呼んで、色々な話を聞くというのが番組の趣旨である。今回は、田舎の医者に白羽の矢が命中してしまった訳である。K立C央病院のS田医師とともにドキドキの収録であった。言いたい事も十分に言えずに終了。OAは、2月3日(日)だそうである。ホームページからもRealPlayerで聞けるので、県外の方もよろしかったら聞いてやってください。
1月22日(火)雪
午後から血管造影をしていたら、訃報が入った。元高知県立中央病院消化器科部長依光幸夫先生が亡くなったという知らせである。2週間ほど前に緊急入院され随分容態が悪いとは伺ってはいたが、さすがにショックである。私は依光先生に胃カメラを教えていただき、またご指導により論文もいくつか書かせていただいた。研修医時代に、依光先生の横で胃カメラを見学していて、食道から胃にカメラが入ったとたんに先生が、「あ、こういう胃は注意してみないと癌が多いから・・」と言われ、そのとおり、胃の出口近くに胃癌があり、まるで魔法を見せられたような気がしたものである。先生には根拠があってのことで、実は魔法でもなんでもなく、シャーロックホームズに驚かされたワトソン博士だったのである。
ともかく、偉大な医師を一人失い、高知県の医療は大きな損失をしたのである。開業されたばかりで、これからというときに、ご家族のご心痛いかばかりかと察せられる。ご冥福をお祈りします。
1月21日(月)曇り
明日の朝から山間部では雪の予報である。テレビでやっている天気予報は、高知県全体に「晴れマーク」が出ているのに・・。長女が「ねえ、梼原はどこを見たらいいの?西部?東部?」と聞くので、妻が「山間部では・・って所を聞いておけばいいのよっ!」と説明。そのとおり、梼原って、「山間部、所により雪」って言ったら大抵雪になるもんね。
1月19日(土)曇り
県庁に出向く。来年の人事に関する意見交換である。終わった後、有志で酒を飲みに行く。
1月17日(木)曇り
今日は、昨年末の忘年会で踊ったダンスユニットの打ち上げであった。高級居酒屋Iとりどりで例のごとく宴会。
1月16日(水)晴れ
今日、受診された患者さん。「先生、目薬は今日は要りません。あの、シルクロードという目薬は2本残ってます。」 ・・・んー。ジクロード点眼のことだね。
1月15日(火)晴れ
J明さん、お誕生日おめでとうございます。
1月13日(日)晴れ
当直の傍ら、外来検査予約システムを作成した。今までカレンダーに書き込んでいた胃カメラとか超音波などの検査予約がオンラインで出来るようになった。苦労はかなりしたがなかなか完成度の高いシステムであり、自信作である。売りに出してみようかなぁ。
1月11日(金)晴れ
オーストラリアで首に矢の刺さったカンガルーが発見され、当局が捕獲しようと一生懸命だそうである。テレビに映った姿が痛々しい。しかし、さすがにオーストラリアである。日本はせいぜい、猫とか鴨くらいである。中国だとパンダ・・それは、ないだろう。
1月10日(木)晴れ
朝7時に家を出て高知市に向かった。年に一回の検診のためK知検診クリニックの門をくぐる。同じ医療に携わっているので、他の医療機関のやり方は非常に参考になる。言いたいことは山ほどあるが、ここでは黙っておくことにする。人の振りみて我が振り直せ、である。
同じように検診を受けに来た、次女の幼稚園の担任のA恵先生、K立中央病院の外科のN岡先生にバッタリあった。うーん、世の中狭い。
1月9日(水)雪のち晴れ
K知医大フィールド医学研究会の実習も今日で終了である。最終日に雪に見舞われ、どきどきの帰宅となったが、いい体験をしたようである。
雪のおかげで、仕事も早く片づき、帰ろうかなと考えていたところ、自称アイドルナースのK西看護婦に看護添書のコンピュータ化を命ぜられた。9時過ぎまでかかってcoolな添書が完成した。たぶん、何かお礼があるだろう。それはそうと、自宅に帰って夕食を目の前に、よく考えると明日は定期検診だった。「午後9時以降は何も食べないこと」と注意が書かれていた。まあ、いいや、食べちゃえ。
1月7日(月)曇りのち雪
明日から3学期の始まる長女(小学校二年生)が泣いていた。なんでも、冬休みの宿題が出来ていないのだと。「漢字クイズ」という教材で、小学校二年生レベルの漢字、熟語をクイズ形式で答えるものである。最初は、「正月に遊びすぎたから、出来てないんだろう。」と憤慨していた私も、その問題を見ていると、どうもそうではなさそうだということがわかった。
例えば、「とって、かけて、きるものはなあに?ひとりがきると、もうひとりもきるもの。」という二文字の熟語を要求する問題。「肉も骨もあるのに、からっぽだといわれるものはなあに?」という一文字の漢字を要求する問題。 むむむ・・これはわからん。長女が寝た後も、妻と一生懸命考え、考え、風呂に入っても考え、考え・・・一時間ぐらい考えて答えがわかった。すごく達成感があるとともに小学校二年生には無理だわな、と実感。妻に久しぶりに尊敬された。
1月6日(日)晴れ
今日から、K知医大のフィールド医学研究会のメンバーが実習にやってきた。医学部、看護学部の学生さんであるが、大学の正規の授業でなく、地域に勉強にくるとは殊勝な心がけである。N村次長とともに、高級居酒屋Iとりどりに連れて行く。屈託もなく、純粋に色んな体験をしようとする姿勢に羨ましくも思えた。
1月4日(金)晴れ
今日から仕事始め。やっっっっーと、正月休みが終わった。フルメンバーそろうときの病院の有難さよ。
1月2日(水)晴れ(山間部では雪)
今日は梼原に帰る予定であった。いい天気であった。しかし、梼原方面の西の方角にかかる雲は、どうも雪雲らしい。高知での用事をそこそこに済ませ、恒例のミスタードーナッツの福袋をお土産にゲットし、いざ梼原へ。土佐市を過ぎたあたりから、雪が舞うし、対向車に雪を乗せた車が出現してきた。無事に到着したが、病院に顔を出し、今日事務当番のY本放射線技師が出勤途中に、雪道で滑り愛車のアルテッツァがお陀仏になったことを知った。クワバラクワバラ。
1月1日(火)晴れ
昨日から風邪でダウン。浜崎あゆみの大賞にはどうも納得がいかないと思いながら、猪木軍対K-1に期待しながらうたた寝。気が付くと、朝になっていた。げっ! 猪木軍どうなった?
重い体を引きずりながら、妻の実家に新年の御挨拶に。少し酒が入ると調子が少しいいような気がして、妻のリクエストのイオン高知の初売りに出かける。何で元旦からこんなに人が居るんじゃ?というくらいの人出。人の多さに気分が悪くなりそうであった。K知医大のI田学長先生にバッタリ会う。実家に帰ったが、またもやダウン。