働ケドモ働ケドモ我ガ暮ラシ楽ニナラズ


 私の周りに起こる色々なことを、つれづれなるままに記録しています。
 そこはかとなくものぐるおしけれ。

2月27日(火)晴れ
 当院で初めて、PTEG(経皮経食道的胃管挿入術)を施行した。昨年の学会で、新発売になったキットを見て目を付けていたのだが、今回、適応となる患者さんが出たので、施行することになったのである。メーカー(S友ベークライト)に問い合わせたところ、西日本でも十数例、高知県では2例目の施行だそうである。まだ普及していない方法なので、メーカーも担当者がわざわざやってくるという力の入れようである。高知県1例目は、当院とも関係の深いS崎Kろしお病院だそうである。そこでの手技が2時間半かかったとのことである。当院ではそれを50分で成功させた。メーカーによると開発した先生を除いて一番スムースにできたということである。はーっは、はっはっはっ。(ちょっと自慢っ!)超音波下穿刺もワイヤー、カテ操作も楽勝である。私を誰だと思ってるの?M田S二郎師匠の10番弟子だよ。

2月26日(月)晴れ
 当直明けのまま、仕事に突入。そのうち、倒れてやる!と心に決めつつ、仕事。梼原高校の養護のO智先生より電話が掛かる。この先生は、すごく感じがよく、個人的にファンなので、電話に出た私の声は1オクターブ上昇。ゲンキンなものである。ところが、「教頭に代わります。」とすぐにH龍教頭に代わられてしまう。(がくっっ) 教頭先生のお話は一年生でインフルエンザが増えているので学級閉鎖にしたいのだが、意見を聞かしてくれというものだった。学校保健法では、学校の一部あるいは全部の閉鎖は校医の意見を聞くことと書かれているので、必ず電話をくれるわけである。私は二つ返事で学級閉鎖を勧めた。私は高校生の味方なのだ。

2月24日(土)曇り
 きょうは当直である。昨日の深夜に帰ってきて朝から当直。体が辛くて仕方がない。インフルエンザが流行してきたおかげで、当直の仕事も忙しい。救急車もやってくるし、病棟の急変もあり、家に帰り着いたのは日付が変わる直前。ひーん。

2月23日(金)晴れのち雨
 毎度の東京日帰り出張のひであった。自治体病院の中小病院の院長の会である。疲れるが、他の先生方と仲良くなっており、また、話すと元気がもらえるので結構楽しい。
 帰りの飛行機は、伊達公子と一緒だった。

2月21日(水)曇り
 先月も告知したように、所さんの日本全国ダーツの旅がU路村にやってきた。今日が放送日だったのだが、あれほど張り切っていたU路診療所長O谷K太医師のギャグは全くOAされなかった。やっぱり。

2月20日(火)晴れ
 昨日停止したはずのMacのサーバーが起動している。おいおい、誰だよ〜、いつまでも古いシステムを使うなよ。と思いつつサーバーを停止。翌日、同じくサーバーが起動していることが判明。まったく、誰だ、これを動かすのは! と思っていたが、よく考えたら、毎朝6時に自動起動に昨年設定したのが私であることを思い出す。なんだ、俺か・・・。

2月19日(月)晴れ
 今日から院内LANをMacからWindowsに変更した。M崎医師としばらく準備を進めてきたが、今日からMacのサーバーを停止して、全面的に以降完了したはずである。しかし、朝から薬剤師、検査技師から、うまく動作しないとのクレーム続出。再び、夜にサーバーをいじることになる。軌道に乗るまでもう少し掛かりそうであるが、少なくともこれだけクレームが出るということは、みんなの仕事が院内LANに依存していることの現れであり、喜ばしいことである。5年前の病院開院当時のPC9801が1台の時代とは隔世の感がある。

2月17日(土)晴れ
 今日は、葉山村に地域医療シンポジウムの為に出かける。葉山村の保健・医療・福祉の各立場から発表があり、葉山村はこれから変わっていくことが見て取れた。司会をつとめた県の長寿社会政策課M吉課長の仕掛け通りというところか・・。

2月15日(木)晴れ
 1月の入院の病床利用率が97.3%であった。めちゃくちゃである。本当にすれすれのベッド回しをしている。今日も夜間の緊急入院がある。明日の入院予定の人をどうすりゃいいんだ?明日考えることにしよう。

2月14日(水)曇り時々雪
 バレンタインデーである。毎年の事であるが、義理のチョコレートをあちこちからもらう。家に帰ると妻からの義理チョコが置いてあった。5つ入りのチョコレートフィナンシェだそうである。去年も同じものをあげたと言われるが、全く記憶にない。翌朝には、5つのうち、3つが無くなっていた。妻と娘二人で食べたようである。残りの2つは、娘二人で分け合う算段をしていた。ぼ、僕の分は?

2月13日(火)雪
 特別養護老人ホームFじの家の幹部と宴会。私は当直なので、ノンアルコールであった。

2月10日(土)晴れ
 昨年12月にオープンしたジャスコを中心としたショッピングモール、イオン高知に出かけた。やたら、広くて歩くのが大変である。人に酔いそうである。やっぱり、静かな所が落ち着くのは田舎生活が長いせいか?

2月9日(金)晴れ
 U田助役、O崎所長、K橋事務長とともに車で神戸に向かった。M野先生のお葬式に出かけたのである。ご遺族、お知り合いの方々の悲しみを見ていたら、M野先生の存在が如何に大きかったか分かる。4歳の娘さんのあどけなさが却って悲しみを誘った。先生に最後の別れをを告げるために棺の中を見て、悲しみを抑えることが出来なくなり、憚ることなく涙が出た。ご主人に声をかけようにも、黙って手を握りあうことしかできなかった。神父さんが言った、「神は時に残酷な試練を与える、でも、その試練は、我々を苦しめるためのものでなく、むしろ、その脱出方法も一緒にお与えになっている。」 そう信じたい。
 こんなことを書かなくてはならないのなら、日記も止めてしまおうかと、自己嫌悪。

2月8日(木)曇り
 朝、ショッキングなニュースが入ってきた。当院の医師で病気のため地元神戸で療養中であったM野先生がお亡くなりになったのである。今週末、お見舞いに出かける予定だったが、間に合わなかった。難しいことは分かっていたが、得がたい人材だけに、一縷の望みを託していたが、それもかなわない事になってしまった。ご遺族の悲しみは計り知れないが、M野先生の行動力と健康に対する意識は特筆すべきであり、梼原町が彼女を失ったことは、蜀が鳳雛を失ったようなものである。惜しい、あまりにも惜しい。

2月6日(火)雨
 院内LANのサーバーのために先週末、M崎医師が松山市で購入してきたマシンが起動しない。どうやら初期動作不良のようだが、M崎医師が電話すると「持ってきてくれ」とのことだ。格安の5万円を切ったシステムだが、やはり安かろう、悪かろう・・。

2月5日(月)晴れ
 職員を前に、医療事故について訓辞。こんな事を言わなくても済むような病院にならねば。

2月3日(土)晴れ
 一昨年まで隣のH吉村におられたA雲先生からメールが来た。A雲先生は、現在、NTT東M山病院に勤められている関係で、マイライン顧客100人獲得のノルマが課せられているのだとか・・大変である。「もしどこのマイラインに入るか決めていないなら、資料だけでも送らせてもらえないか?」とのことである。お得なら入っても良いのだけど、よくわからないし、資料を送ってもらうことにした。誰か分かり易く説明してくんないかな?

2月2日(金)晴れ
 毎月恒例のレセプト作業が昨日から始まっているのだが、毎月1,700人分(打ち直し、複数枚に亘る人の分を含めると2,000枚くらい打ち出すハズ)のレセプトを打ち出しているプリンタが故障した。事務室がパニックになっていた。このあおりを食って、M山電子計算センターから朝早くサービスマンが呼び出された。

2月1日(木)曇り
 半月前から、左小指の付け根が痛い。役場の課長会の新年会で飲んだ日の翌朝からである。何かやったのかな?何もしないと痛くはないのだが、本のページをめくったり、胃カメラを操作したり、何かの拍子にズキッと痛む。あまりに長引くので、今日、整形外科T田医師にレントゲンを撮って見てもらった。結果、異常なし。


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