没の理由

『はだかの王さま』第6号で「あのザアカイさんはホントウに極悪非道の人非人だったか!?(前編)」という特集記事を公開してから約十年たち、その記事を通して提起した問題に自ら出した答えを、そろそろ公開するべき時期が来ていました。

いくら不定期だったとはいえ、いまさら『はだかの王さま』を出すのも恥ずかしいので、どうしようかと思っていたら・・・いいのがありました! クリスチャン新聞主催のあかし文学賞!
これなら、大賞になれば頼まなくても新聞紙上で公開してくれるし、副賞のおまけもついてるし、一石二鳥っていうわけです。

こう思いついて、書き始めたときは応募締切まで2ヶ月を切ってましたが、次回まで待ったら一年以上もあいてしまうし、まあ、なんとかなるだろうと思っていました。

このとき実は、学生たちが話し合いをするというストーリーと、ザアカイさんがラジオに出演するというストーリーは、ほぼ同時に思いついていて、どちらにするか迷いつつ、ふたつを同時に書き進めていたのですが、とりあえずラジオ出演の方が先に進んで、作品がだいぶ出来てきたとき、ある考えがひらめきました。

「そうだ! 現代にやってきたザアカイさんは、実はイエスさまご自身だったという結末にしよう!」

僕はこの思いつきに有頂天になって、ウキウキとして内容を書き換えようとしたのですが・・・これが意外にやっかい。
ザアカイさんの言葉は全てイエスさまの言葉になるので、へたなことは書けないぞ、というプレッシャー・・・(マジメだなあ)
正体を明かすクライマックスへの展開がうまく思いつかないし、おまけに、ストーリーは出来てるのに、良いタイトルが見つからない・・・(これはかなり大変)

行き詰まった僕は、学生たちが話し合いをするというストーリーのほうも書き進めていくことにしました。

ところが、何故かこちらが、まあまあうまく行く。
まあ、困ったことと言えば・・・
最初の設定では、マキト君は牧師の息子で、牧師のコピーみたいな性格でいやいやながら話し合いに加わっていたのに、話し合いが進むにつれて自分の誤りに気付き始め、最後には本当の救いの意味に気がつくという、ラジオ出演の方のストーリーの牧師のような役どころにしようとしたのですが、うまくいかないのでやめてしまったこと。それと、あかし文学賞には原稿の枚数制限があって、そのままでは長すぎるので、最後の方をはしょってしまって、僕の言いたいことが伝わりにくくなってるかなあという懸念があること。

でも、それ以外は多少苦しみながらもまあまあすんなり進んでいき、何より良かったのは、タイトルがスムーズに決まったことでした。”ザアカイさんの味方”をしようとした学生たち。でも、真実の”ザアカイさんの味方”はイエスさまだった! 「これしかない!」という感じで納得しているタイトルです。

あれこれやったので、結局締切ギリギリになってあせって仕上げたので雑になってる部分もあって、今思うと、もう一年時間をかけて丁寧に仕上げた方がよかったかなあ・・・とも思いますが、まあ、いいことにしましょう。

さて、応募した『ザアカイさんの味方』は入選したものの”佳作”だったため、新聞紙上では公開されませんでした。
でも、他の入選作とともに、一冊の本として出版されたので、一応、”公開”という目的は達したわけです。また、こうしてホームページでも公開し、見知らぬクリスチャンの方々からご意見や感想も寄せられるという、うれしいことになっております。

ま、そういうことで、ラジオ出演の方は没になったというわけです。

ラジオ出演のストーリーの方が、内容的には僕の言いたいことがわかりやすく伝えられてると思うけど、二人だけの対話なので掛け合いがいまいちだし、ザアカイさんの正体はイエスさまだったなんていう面白い結末を思いついてしまったので、それを書かないで応募するのも当時はちょっと許せなかったし。
でも、このまま埋もれたままなのも何かもったいなくて、ホームページで公開して、日の目を見させることにしたというわけです。