はだかの王さまって何だ?

「はだかの王さま」 は、私がキリスト教のことを考え直そうとしたとき、そのころ友だちだと思っていた人たちに対して一方的に送り付けた小冊子です。

1985年11月7日から1989年1月8日まで、ぜんぶで第6号まで発刊しました。発行部数は20部程度でしたから、コピー、製本、郵送も自分でやっていました。

送り付けられた友人たちはというと、中には疑問点を指摘して下さる方も何人かいましたが、概して反応は鈍く、まあ、みんな私が何を書いているのか理解に苦しんだのでしょう。

無理もありません。私がやろうとしていたことは、神さまを心底信じていらっしゃる普通のクリスチャンの方々にとっては、全くわけのわからないことに違いありませんから。

それは、「創刊のことば」にあるように、私は、自分がはだかであるかどうか、というか、自分で自分がはだかに見えるけれどもそのことが真実であるかどうか、ということに決着をつけようとしたのです。

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それは、言い換えればこういうことです。

私は、クリスチャンになりました。キリスト教という衣をまとって歩き始めたのです。周りの人たちは、このキリスト教という衣はとてもすばらしいものだと口を揃えて証言しました。

しかし私には、その力も平安も喜びも心底感じることができず、相変わらず惨めなはだかのままのような気がするのです。でも、私は一生懸命すばらしい衣を着ているふりをしていました。

私は、自分が惨めなことを認めたくなかったし、認めたらそのあと自分がどうしたらいいかわからなかったし、一生懸命やればそのうち本当にその衣のすばらしさを感じるようになるんじゃないかと期待もしました。

そして私は疲れ果てて破綻しました。そして、この衣と、衣をすばらしいと証言した人たちを非難することで自分の惨めさから逃げ、崩れそうになる自分をなんとか保とうとしたのです。

私は衣を着て歩くことをやめました。

その後、1984年初頭のことです。もうキリスト教のことは吹っ切って生活しているつもりだった私は、ある宗教の集会に出席して、何とも言いようのない違和感や胸騒ぎに襲われてしまいました。

そのことで私は、自分には「キリスト教」という衣がまだ思いっきりまとわりついていると強く自覚させられ、そして、このキリスト教という衣になんとか決着をつけ、吹っ切らなければいけないと思うようになりました。

私はもう一度考え直そうとしたのです。今まで信じてきたキリスト教が一体何だったのか、そして、もしも真実なものがあるとすればそれはどんなキリスト教なのか、ということを。

私はまた歩き始めました。自分がはだかであることは知っていますが、敢えてそれを小冊子という形で衆目にさらしながら堂々の行進をすることで、この衣に決着をつけようと思ったのです。

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しかし、この試みはあまりうまくいかず、「はだかの王さま」では、この決着をつけることはできませんでした。問題のある程度の整理と提起にはなりましたが、私はその問題提起に答えることができなかったのです。

私はいろいろなことをいっぺんに考えすぎてしまい、落ち着いて考えることができなくなってしまいました。私にとっては、惨めなはだかをさらす毒々しい大行進よりは、雑音や雑念から離れた落ち着いた生活のほうが、よかったようです。

結局、その後の「きまぐれつうしん」が、提起した問題整理の過程となり、そして、「ザアカイさんの味方」が一応の決着になっています。このことはおわかり頂けるかと思うのですが・・・

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ところで、発刊していた当時、「はだかの王さまは、イラストおもしろい」とよく言われていました。

この大好評だったイラストを描いてくれたのは私の友だちで、現在はフリーのデザイナーをしています。楽しいイラスト、ありがとう!

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