天道春樹の人相術
 
 
 紳士・淑女の人相術

 その(1) ごあいさつ
 その(2) 自己紹介
 その(3) 八木観相塾と、当時の思いで
 その(4) 念願の街頭易者、易者身の上知らず
 その(5) 街頭も占い師も相変らずじゃ
 その(6) 人相術について
 その(7) 人相術の歴史
 その(8) 骨格と気色
 その(9) 神の有余と不足

 紳士・淑女の人相術 (1)

 ごあいさつ

 紳士淑女の皆さん、お元気ですかな。それと、紳士でもない淑女でもない衆もこんにちは。これから暫くは、チョー上品な街頭易者の天道春樹と付き合ってもらいたい。紳士淑女の皆さんはもともとが上品だから、わしと波長がピタッと合うから話が早いが、下品な連中には、わしの話はピンとこんかも知れんのう。まあ、何れにしても元気で幸せが一番じゃ。
  街頭易者のわしの願いはただ一つ、一人でも多くの人が幸せになることじゃ。難しく言うと、「修身、斉家、治国、天下泰平」じゃ。そのために、わしの四十年近い街頭易者としての人生があるのじゃからのう。それと、わしゃエコヒイキはせんから、「紳士でも淑女でもない」と思っている、か可愛い連中も安心して話を聞いてもらいたい。ただ、紳士でも淑女でもないくせに、「俺は紳士だ」とか、「私は淑女ですワ。ホホホ〜のホ」などという連中は一番厄介じゃ。しかし、わしの話を聞いているうちに、段々と今の自分の正体に気が付いて、恥ずかしいやら照れくさいやらで、「あらいやだ」となるに決まっておる。そう気付いたらしめたものじゃて。

 この原稿を書いている時に、ラジオから懐かしい歌が聞こえてきた。わしの大好きな黛ジュンちゃんの、「恋に〜燃〜える胸の願〜いは一つ〜」とね。わしにも青春時代があったなあと思い出したのじゃよ。しかし、今時の迷える連中のように、好きだ嫌いだと騒いで、悩んだことはなかったのう。胸を焦がしたことも何回かはあったが、悩んだことは無かった。人の出会いも別れも天命のように感じていたから、「捨てないでくれ〜」とか、「恨んでやる〜!」などと、女々しいことは思ったこともない。
 まあ、何事にもあまり執着しないことじゃ。心が囚われるから苦労が始まるというのが運命の法則でもあるし。それに、苦労するにしてもじゃ、世のため人のために苦労をしてもらいたいものじゃて。中には、「彼がいないと生きていけません〜!」などと、戯(たわ)けたことを言うのがおるが、しっかりしてチョ〜ダイね。ナンマンダブ、ナンマンダブ。

 近頃は、「俺が俺が」が当たり前で、ヘンテコリンな格好をした連中が増えて、「自由だ自由だ」で騒がしいが、ようく見れば皆が同じような格好をして、同じような言葉を使ってからに、個性も何もあったものではないわい。ズボンをわざわざ破いたり、ズリ落としたりして、どうしたものかのう。他に自己主張の方法はないのかいな。
 服装も服装なら、所作も言葉使いもそれなりにヘンテコリンだが、人相見として一番気になるのは目付きじゃ。近頃は目付きの悪い連中が増えた。「目は心の窓」と言うし、人相術の古典にも「心に毒があるか無いかは、目を見れば分かる」とある。この調子で目付きの悪い連中が増えたら、いったいこったい日本はどうなるのか心配じゃ。それに無反応で無表情の顔が増えたのも大問題じゃ。
 若い衆から政治家まで、何にでも、「思います」を付けるのが流行っているが、もっとハッキリと物を言えんものかのう。この間も選挙前の演説で、ゴッツイ顔をした男が、「当選した暁には、市民のために力の限り頑張りたいと思います!」と言っておったが、わしゃ、「思うんかいな」とツブヤイタものじゃ。何でハッキリ「頑張ります!」と言えんのかのう。しっかりしてチョ〜ダイね。   国会でも、「質問したいと思います」、「これで質問を終わりたいと思います」じゃからのう。その内に、「思いますカモ!」などと言い出すんじゃなかろうかと心配する今日この頃じゃ。今日日の連中はフニャフニャして、一事が万事この有様じゃ。
 心持、人相、言葉、文字、運命の法則、開運法、霊のことやら、流行のことやら、一切合財話して行くから、今回の連載は長くなりそうじゃ。

 世の中訳が分からんが、しかしじゃ、心配せんでもエエ。世の中にはまだまだ紳士淑女がおるからのう。笛吹き童子か月光仮面かハリマオか、それとも七色仮面か仮面ライダーか。今に紳士淑女が救世主として現われて、地獄さながらのこの世の中を、愛の光で浄化して天国に変える日を楽しみに暮らそうではないか。のう、皆の衆。いつ迄も外国の大きな仕掛けに掛かって、日の本の国がワヤにされ通しではいかんからのう。
 それにしても、教養と品格にあふれた紳士淑女は、いったいどこへ雲隠れしたのかのう。早いこと現れてもらわんと間に合わんがのう。まあ、いずれ時が来れば必ず現れるだろうが、それ迄は俺が俺がの顔と、無表情の顔と、男女同権を履き違えた連中や、犬と人間を同等に扱う連中などが、街を闊歩して幅を利かせることじゃろうて。ご苦労さん。

 因みに、紳士とは、《上品で礼儀正しく教養の高い男》のことで、淑女とは、《気品のある、しとやかな女性》のことじゃ。ちゃんと国語辞典に載っているから間違いなかろう。アチャラ語では、ジェントルマンとレディーじゃ。アチャラでは、一応建前として、女子(おなご)の顔を立てるから、レディーアンドジェントルマンと言うて、レディーを先に言うのじゃよ。それを間に受けて、レディーでもない金狂いのエロエロ女子が、離婚のときなどに調子に乗って、何億とかの慰謝料を吹っかけたりして、馬鹿なことばかりしておるが、ホンマ何とかならんのかのう。物質に振り回されて、人相を悪くして、地獄行きの予約をして、本にご苦労なことじゃて。いやいや、本当のことを言うと、人相が悪いからいらんことをするのじゃよ。ホンマ。

 大体がじゃ。男が頼りないから女子が調子に乗るし、女子にも苦労をかけるのじゃよ。そのことはわしが一番分かっておる。街頭易者の宿命とはいえ、女房と家族には苦労をかけたからのう。未だに霊能師には必ず「あなたの妻は泣いている!」とか、「あなたは奥さんに苦労をかけましたねえ〜、アナタハ!」などと言われるのじゃよ。たまらんわい。それも客のおる前でじゃ。
未だに観音様から、当たり前の子供並みのお諭しを受けておる有様じゃ。「わしゃ、保育園児かいな」と時々思うことがある。

  わしを「護る」と言う、轟神社の龍神が、今は白蛇と化しておるらしいが、「わしゃ、お前を護るのに疲れた」とこぼしたことがあった。わしはそれほどに人様にも迷惑をかけたかも知れんのう。しかしじゃ、「男が一度護ると言うた限りは、損得抜きで、わしを信じて護るべきじゃあないのかいな」と、わしゃ龍神に言いたい。まさか、メスの龍神じゃあるまいのう。しかし、心憎い龍神ではある。わしは、男同士は絶対に裏切らないものだと思っておる。

 この間、ラジオで女子の学者か評論家かが、「男が男に命を賭けることが不思議でしたが、その謎が解けました〜」と弾んだ声で言うから、わしも興味を持って聞いておったが、「そのルーツは男色にありました〜!」と、明るい声で悦ばしげに言うのじゃよ。わしゃ、「なんじゃ、そりゃあ?」と、ため息をついたものじゃ。「男〜心〜は、男〜でなけりゃ、分かるものかと諦め〜た〜」と。
 観音様の心も龍神の心も、わしには手に取るように分かるのじゃ。どうしてかと言うと、霊はわしの心に感応して憑いているのだから、わしには自然に分かるのじゃよ。霊が憑くのを憑依(ひょうい)というのだが、神霊から、高級低級の動物霊や、浮遊霊、怨念霊、地獄霊、生霊(いきりょう)も、心の状態によって、ス〜ッと引っ付くから、皆の衆も十分に注意してもらいたい。要は心次第ということじゃ。

 おおそうじゃ。「紳士と淑女の人相術」の話をせんといかんのじゃ。皆の衆、これから話す人相術は、そんじょそこらの人相本の内容とは違うぞ。人相術でも「秘伝」とされてきた中国の古典である神異賦(しんいふ)を主とし、神相全編、南北相法、林流相法、玄龍子相法、観相発秘禄、量亀流透視観相など、わしが実践したことだけを、責任を持って講義するから、安心して聴いてもらいたい。

 古典などというと難しそうだが、しかし心配はいらん。紳士淑女には簡単に分かるようになっておるからのう。しかし、占いのことを何も勉強せずに、頭から「占いなんてアホらしいワ、ホホホ〜のホ」とか、「当たるも八卦、当たらぬも八卦〜、ペペッ」とか言う、紳士淑女のシの字も付かない連中には、チンプンカンプンなのは当たり前。分かりたくても分からないという仕組みじゃ。まあ、これから話す人相術の秘伝を知れば、今日からでも人相見になれるという代物だから、幸せのためにも大いに役立ててもらいたい。
 読んで一喜一憂することなく、人相の吉凶を通して「心と人相」の関係を悟って、人相を改善して凶を吉に転じてもらいたい。皆の衆、宜しく頼むぞ。

 ☆最後に嬉しいニュースがあるのでここで発表する。人相術の好きな皆の衆にとっては、それはそれは有難い話じゃ。二冊の名著の復刊が決まったのじゃよ。

【一冊目】は、わしが十九歳の時に、大阪の八木観相塾で人相術を習った時の教材であった、八木喜三朗(やぎきさぶろう)先生著の、観相発秘録(かんそうはっぴろく)じゃ。絶版になって久しいし、古書店では十万円以上の値が付いておって、人相術を勉強をしたい者にも、なかなか手に入らない状態じゃ。
  先輩の協力と八木観相塾によって、何れは復刊されるだろうと、今か今かと頸を長くして待っていたのだが、全くその気配が無い。そこで気の長いわしも、とうとう痺れを切らして、運命研究家の星川耕一氏の紹介を得て、鞄圏m書院の斎藤勝己社長にお会いして、「八木先生の本を是非復刊して頂きたい」とお願いした。そうすると、太っ腹の斎藤社長は、八木先生の書籍を色々と点検してから、「八木喜三朗選集として、順次出版しましょう」と快く引き受けて下さったのじゃ。儲け主義で言えることじゃあありませんよ。男の心意気で、「やりましょう!」ですからねえ。本当に嬉しいですよ。
 順調に行けば、今年の五月末頃には、第一巻の骨格編「総論・詳論」が世に出る予定じゃ。三百部限定だから、エコヒイキのようだが、先ずはわしに縁のある衆に読んでもらいたいと思って、予約を受け付けているから、早いもの勝ちと思ってドシドシ申し込んで貰いたい。順次、気血色相法、保健相法、刀巴心青(とうはしんせい)、観面秘録も復刊される予定だから、楽しみにしてもらいたい。

 わしの住所と電話番号は、〒781-5102 高知市大津甲九九九番地じゃ。葉書かメールで、住所、氏名、電話番号を、できれば購入の動機や年齢も知らせてもらえれば尚ケッコー。特に、第一巻は殆ど世に出ていない孔版のもので、原本といってもよく、今では全く手に入らないものじゃ。写真もヨウケ入っておるから、なお楽しみじゃて。宜しく頼みたい。
 携帯はрO90―7780―8353だから、本の内容などで、どうしても知りたいことがあれば電話もオッケーじゃ。。

【二冊目】は、人相術では知る人ぞ知る、知らない人は全く知らない、亀田壱弘(かめだいっこう)先生著の、量亀流透視観相鑑じゃ。
 潟iチュラルスピリットの、今井博央希社長にお願いして、復刊していただくことになった。この亀田先生の本は画相の専門書で、見える画相のことではなく、「見る画相」の専門書といっても良かろう。この画相が見えると日常の鑑定には大いに役立つから、皆の衆にも是非お薦めしたい。

 この本は、古書店で三万円以上しているが、今回は内容も見やすくなって、題も、「画相で透視する方法」に変えて、四月の下旬には、三千円くらいで市販されると思うから、楽しみにしてもらいたい。初心者のためにワンデーセミナーも考えているから、「画相? 何ですか、ヘンテコリンねえ」などと思わずに、人相術の奥に挑戦してもらいたい。分かった風なことを言う連中より、むしろ初心者の方がよく見えるのじゃよ。ホンマ。

 因みに、画相とは、顔や身体に人の顔や全身や、動植物から風景まで、本人に関係のある、あらゆることが画(え)になって現れるのを言うのじゃ。経験すれば誰にでも見えるから、わしの言うことを信じて、体験してもらいたい。
 わしも六十五歳になるから、呑みたい酒をグッと控えめにして、最終段階の仕事として、これから順次色々なことを発表し、世に問いたいから、皆の衆も飽きずに付き合ってもらいたい。

平成二十四年                    高知市の帯屋町の街頭にて
                                              天道春樹

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 紳士・淑女の人相術 (2)


 自己紹介

 占いとの出会いと、その頃

 時々、「占い師になったキッカケはなんですか〜?」などと聞かれることがあるが、キッカケはチョットしたことなのじゃ。しかし、今思うてみるに、何となく深〜い因縁を感じるのじゃよ。

 それは、昭和は遠くなりにけりの、昭和三十八年の、わしが高校一年生の春のことじゃ。わしにもそんな若い時があったかと、懐かしく思い出すのじゃよ。色々あったのう。ス〜ちゃんとは五十年以上会っていないが、元気でやっておるかのう。一度会いたいのう。

 「遥かなる〜北の山並〜み〜、緑〜濃〜き〜庭の芝草〜・・」の、高一の同級生に、ヒョウキンというか、風変わりというか、何とも言いようがないが、上田という男がおったのじゃよ。しょっちゅう遅刻をするので、教師が、「上田! 今日も遅刻か、遅刻した理由を言え、理由を!」と問い詰めると、「ハイ〜、すみません、今日は、自転車に乗り遅れまして・・」と、これじゃからのう。教師も、「ハイハイのハイ〜」で、それ以上は何も言わなんだ。まあ、そういう男であった。この男のことを書くと、それだけで一冊の本になるが、それではわしの出番がなくなるので、詳しくは話さない。

 その上田が休み時間に、一冊の本を見ながら、同級生の手を見ては、アアダコウダと言っているではないか。わしが、「何をしているのだ」と聞くと、「手相を見ている」と言うのじゃよ。わしは手相のことなど何も知らんから、「ハア? 手相〜?」てなもんじゃ。聞いたことも、見たことも無かったからのう。

 ところが、神の悪戯か、黛ジュンちゃんの天使の誘惑か、それとも因縁か。どうしたことか、何やら急に興味が沸いたのじゃ。この瞬間にわしの人生が決まった、と言って間違いあるまい。早速にその本を借りて、家に帰って夕方から読み始めたのじゃ。確か、大和田斎眼(おおわださいがん)先生の、「手相の見方を本で覚えたい人に」という、手相の見方を本で覚えるには持って来いの、題もそのままの本だったのじゃ。ところが、その本を二、三ページ読んだだけで、ア〜ラ不思議。懐かしいやら、神秘的やらで、いっぺんにハマッタ君となったのじゃよ。「オオ、これだ!」という心境であった。
 風変わりな男である上田の持っていた、手相の本の虜になったのだから、それ以来わしと上田は風変わりな、ヘンテコリンな兄弟分となった訳じゃ。後でもう一人の変人が加わって、「仲良し三バカ大将」となったのだが、当然、勉強もせず、好きなことしかせんから、成績はいつも赤点が多かったのう。懐かしいやら、情けないやらで訳が分からんわい。

 その上田も平成二十四年の今年の春に、六十四歳であの世へ行ってしまった。去年から今年にかけては、わしにとって一つの締め括りの年なのじゃ。出会いと離別の年でもある。わしの人相にも易にも、そのことはちゃんと現われておるからのう。いくら気張ったところで、易者も運命には逆らえんのじゃよ。
今年は、占いとの縁を引き出してくれた、上田があの世へ行き、念願であった八木喜三朗(やぎきさぶろう)先生の、「観相発秘録」と、一面識もないが、大先輩の亀田一弘(かめだいっこう)先生の、「量亀流透視観相鑑」が復刊されることになった。新しい出会いもあって、わしの最後の仕事である、先輩の残した良いものを後へ伝えるということができそうじゃ。

 これまでには色々なことがあった。自分で言うのも何だが、わしは思うことが全部成就するのじゃよ。どうしてかと言うと、成り行きや結果、命も、全てを観音様にお任せしておるからなのじゃ。小さい時から、「このように成りたい、成るだろう」と思ったことは、全て成就しておる。これは本当のことじゃ。我見を捨てて、全てを天に任せて生きておるから、天からの波動を遮らないから、思うことを全部、観音様(天)がやってくれるのじゃよ。わしはただ、天のお手伝いをしているだけなのじゃ。

 わしにとって観音様は、一切の根源であり、親神であるが、他の神仏もご先祖も一切が、観音様と一体になって事を運んでくれているのじゃ。わしは只、「ご先祖が全員天国へ行くように」と祈り、「神仏とご先祖から頂いた命が、世のお役に立ちますように」と祈願して、ただ淡々と、良かれと思う生き方をしているだけじゃ。そうすると、思うことは全て成就するのじゃよ。皆の衆も、やってみてはどうじゃな。

 「思いの成就」は、何も自分が全部する必要はないのじゃ。例えば、「人類の幸せ」を思えば、自分の所へ来てくれている客が、他の占い師の所へ行って、それで幸せになれば、それはそれでエエし、それが自分の思いの成就というものじゃなかろうか。「客を取られた」などと思うようでは、話にならんということじゃ。自分がどうのこうのは、ありゃあせん。天の子の共同作業じゃ。
 これから開運の話もチョクチョクして行くから、のんびり聞いてチョ〜ダイね。

 栄枯盛衰に一喜一憂することなく、人生の目標を、「自己完成」と決定して、「生まれ変わりがあるなら、何回生まれ変わっても、必ず自己を完成する」と、心に決めて、巡り来るあらゆる運命を、「全てが、自己完成のための経験だ」と悟れば、それで一丁上がりじゃ。自己完成の意味が分からなくてもケッコーケッコー。
 自己完成という、「思い」と「言葉」と「文字」が真理そのままじゃからのう。そう思うだけでエエのじゃよ。「自己完成とは何か、ウ〜ン、?、?」などと考えんほうがエエぞ。余計なことを考えると、迷いの元じゃからのう。

 話を戻すが、上田は気色を見るのが上手かったから、「鍼灸師ではなくて、人相見になっておれば、今頃は・・と」思うと、何とも言えん気持ちになる。細い気色の線を見るのも上手くて、わしは色々と教えてもらったものじゃ。素朴で単純で頑固で、一滴の酒も呑めず、仙骨が立っていて、仙人のような所があったから、生まれつき人相見の才があったのじゃよ。
 神異賦に、「山林骨の起これるは、終に神仙となる」とあるが、正にその通りじゃのう。お互い空手部だったが、上田は片道十キロ以上の道のりを、自転車で通学し、空手をやりながら、四、五日間の断食をやる男であった。惜しいのう。改めて上田君の冥福を祈りたい。

 もう三十年以上も前になるが、夕方に二人でうどん屋に入った時のことじゃ。わしは好きな熱燗をやりながら、二人で好きな人相の話や先輩の話をしていた時じゃ。上田が、うどん屋で働いている年寄りを見ながら、「島田(わしのこと)、あのばあさんはオカシイぞ」と囁くように言うのじゃよ。酒を呑んでエエ気分でいるわしから見れば、普通の年寄りだが、上田は首をひねりながら、「島田、やっぱりオカシイぞ」と言うのじゃ。「何がオカシイ」と聞いても、「う〜ん」と言うだけで説明しない。
 わしはそのことが妙に気になっていたが、果たして、一週間後にそのばあさんは交通事故で亡くなったのじゃ。上田は死相を見抜いていたのだろうが、口では説明ができんかったらしい。わしが説明してもらったところで、分からんかったろうと思う。分かる者にしか分からんということじゃあるまいか。
 このようなことを、パッと看取できなければ本物とは言えんのじゃよ。上田が人相見になっておったら、名人と呼ばれていただろうし、もっと長生きできた筈だと思うと、残念じゃのう。

 高知の田舎には、そんなことをパッと見抜く人が何人もいたのじゃ。通行人を見て、「あの人は、二百メートルも行かんうちに倒れて死ぬ」と言えば、それが当たる。家出人の鑑定でもそうじゃ、拝みやさんが、詳しい地図をジーッと見つめながら、地図上の道をゆっくり指で追っていって、「ここで、この場所で死んでいる」と指し示す。それが当たる。わしの先輩の易者は、大抵は祈祷(きとう)もやっておったから、素人には見えないものが見えたり、感じたりしていたのじゃなかろうか。

 占い師には、職人のように、コツコツと理論を研究し、経験を積んで一つの道を極めるタイプと、神仏を祀って霊的感応があるタイプとがある。勿論、その両方をやっている者も多い。わしは両方をやっているが、鑑定については職人タイプで、神仏には一切を任せしておるだけじゃ。
 神仏を信じなくても、真面目にやって行けば、色々な閃きもあって、物事を極めることができるのじゃよ。どの道、親神と一体の魂が発動するからのう。わしは、人相見でも、霊能師でも、風水師でも、人の見えないものが見えたり、感じたりするのは、詰まるところは、神と一体の魂の発動だと思っておる。
 意識的に霊と関わろうが関わるまいが、《霊的な世界は必ずある》から、そのことを頭に入れて、運命鑑定をしてもらいたい。霊的なことは人相にも現われるからのう。「陰」と「陽」のことを理解できたら、そんなことも一切合財、全て解るのじゃよ。
 唯、心眼が開いて見えるのと、憑依霊に見せられているのとでは、大きな違いがあることは確かじゃ。憑依霊に支配されないように頼むぞ。

 人相を見る、運命を鑑定するというのは、《気づき》にあるのじゃ。パッと見て、感じて分かることを、教科書通りにキチキチ見ていって、結論として見逃しては何ともなるまい。どのような学問でも占術でも、自分と一体にならないと、本当の判断はできんのじゃよ。「さあ鑑定しますよ」で始まるのではない。
 《いつも鑑定中》、寝ても覚めても鑑定中、《何でも鑑定中》でなければ、大切なことを見逃すし、本物とは言えんのじゃ。普段から「鑑定眼」を養うことをせず、「さあ鑑定するぞ!」と、意気込んで髭を撫でたところで、当たりゃあせんわい。
 どんな実力のある師匠に付こうが、有名な先生の印可があろうが、判断する時は自分一人じゃ。免状などのお飾りは、鑑定の時には何の御利益もないからのう。当然のことだが、免状は鑑定料とも無関係じゃ。

 店の前に立ち、店に一歩入ったら、客がいようがいまいが、この店はいま繁盛しているか、これからどうなるか、もうすぐ閉店するかを見抜く。人をパッと見たら、栄枯盛衰と七難の有無が分かる。このようでなければ、本物とは言えんとわしゃ言いたい。
 そのためには、何時も占いと一体、言い換えれば、《占い師の体質》にならないと駄目なのじゃ。それは人から教わるものでも、本を読んで記憶することでもない、信仰と実践によって体得するしかないのじゃよ。理論も結構、自分流も結構だが、実践の裏づけがなければ役には立つまい。
 色々な法則も理論も、実相から導き出されたものだということを忘れてはならんのじゃ。皆の衆、「いつも鑑定中」という看板を出していると自覚して、日々精進してもらいたい。

 わしは、幼稚園に通う頃から、何となく「人間はなぜ皆な違うのだろう」とか、「どうして歳を取るのだろう」とか、「なぜ生まれて、なぜ死んで行くのだろう」というような、当たり前といえば当たり前のことを、何となく不思議に思っていたから、少し変わり者であったかも知れん。小学生の時に、近くのキリスト教会で、二十人くらいの子供が、頭に星を付けて、「アア、キリスト様がお生まれになった!」と、劇をやっているのを見て、「神はいるに違いない」と思ったものじゃて。単純といえば単純じゃのう。
 幼いときの、高知の田舎の美しい自然に神を感じ、祖父母と両親や親戚の優しさに、観音様を感じていたのじゃなかろうかと、今思うのじゃよ。それが、占を通じて、中年になって、時が来て、信仰となって表に現れたのだと思うのじゃ。

 わしが運命鑑定で、今でも、小さい頃の境遇を重視するのは、それが本人の後々の人生に、大きく影響することを知っているからなのじゃ。近頃は、ご先祖や祖父母、父母を敬わず、家族を大切にせずに、直ぐに学校がどうの、県がどうの国がどうのと言うが、易経に、「家を正しくして、天下定まる」とあるのを知らんのかのう。家族の状態、家庭の状態こそが一番大事なのじゃよ。

 世の中には、色々な人がいて、それぞれの人生があり、運命がある。その不思議を研究するために、人様の運命を研究する道に入ったのだと、自分なりに納得しておる。「人生は、思い通りになる」という気持ちと、「必ず真理を悟り、自己を完成する」という、深い思いは幼い頃から自分の胸にあったのじゃよ。
 父親が土木の仕事をしていたから、わしは中学を出るまでは、飯場(はんば)で育ったのじゃ。中学を卒業するまでに、七回も転校して、それぞれの地域と人を見てきた。飯場というのは、体良く言えば寄宿舎じゃ。その頃は、二十畳位の部屋の真ん中に、大きな火鉢があって、十人位の若い衆が寝起きしていた。そんな畳の部屋が三つくらいあったかのう。わしは親方の息子だから、よし坊と呼ばれて、若い衆にも可愛がられたものじゃ。懐かしいのう。

 そこにも色々な人がいて、それぞれの運命があった。ダムの工事現場は事故が多かったから、怪我人も多く死者も何人か出た。発破やウインチに巻き込まれたり、墜落したりしてのう。戸板で運ばれている亭主に縋り付いて、女房が「アンタ〜!」と叫んでいる場面も何回か見た。喧嘩で死んだ者も何人かいた。ダムの工事の飯場には、それぞれに親方がいて、親方の気性によって飯場もそれぞれ、若い衆もそれぞれで、喧嘩が少ない飯場もあれば、喧嘩ばかりする飯場もあった。人夫が足らない時には、囚人を駆り出すこともあった時代じゃからのう。まあ、幼いながらにも、色々なことを見て感じてきた訳じゃ。

 わしは、小学生であったが、学校では勿論、自分から見える世界の、その時々の人の集まりの縁と運命、それと、その時々の人の顔付きや態度、その共通点を見て、何とも言えん不思議な気持ちになったものじゃ。高校一年の時に、一冊の手相の本を見て、理屈抜きで引き込まれたのは、小さな時からの疑問と、手相の本との間に不思議な縁を感じたからかも知れん。

 話は戻って、高一の時に手相の本を読んで、占いには嵌ってからは、本屋を回ったり、県外の古書店から取り寄せたりして、手相は勿論、人相、易占、九星、家相、姓名判断、印相、測字の本など、あれこれ読んだものじゃ。今でも昔読んだ本を買っては、懐かしがって一人悦に入って読んでおる。大先輩の本を読むのは、懐かしいやら有難いやらで、何とも言えんエエのう。

 それからというもの、元々嫌いだった勉強はそっちのけで、学校の帰りには、街頭でやっている易者の啖呵(たんか)を聞くのが楽しみで、よく上田と二人で立ち寄ったものじゃて。昔は、易者ばかりではなく、街頭や公園で、薬草売りや、がまの油売り、気力で鉄棒を曲げる者、紙縒り(こより)で大きな石を持ち上げる行者風の男など、色々な連中がおって、わしは興味津々であった。五目並べの香具師(やし)に引っ掛かって、小遣いを巻き上げられたりもしたが、今となっては懐かしい思い出じゃ。
 今が幸せなら、過去のことは全部エエ思い出になるものじゃて。

 街頭の地面に長い紙を広げて、大きな筆にタップリと墨を含ませてから、器用にクイクイと筆を動かしながら、大蛇の絵を描いている易者先生がいて、しょっちゅう立ち寄って啖呵を聴いたものじゃ。その先生は、最後に大蛇に目を入れてから、ゆっくりと立ち上がって、ぼつぼつ集まってきた連中に、「通行の邪魔になるから、もう一歩前へ寄りなさい」と言って、見物集を引き寄せてから、地面に広げた十二支の絵を指して、「子の年生まれの者は・・」と、講釈を始めるのじゃ。年季の入った声で、それも歴史上の人物を上げながらの名調子じゃ、ついつい皆が聴き入るのじゃよ。堂に入ったものじゃ。

 そして次には、集まった連中の人相を見る訳だが、吊り下げた顔の絵を指して説明しながら、いきなり、「あんたと、あんたと、あんたと、あんたは、一歩前へ出なさい」と言う。指された中年のおばさんが、皆一歩前へ出る。そこで先生が、「あんたら、みんな後家やろ!」とやる。オバサン連中は驚いて皆が皆、「はい、そうです、ハイ」と頷く訳じゃ。もう一人のオバサンには、「あんた、五歳のときに便所へ落ちたやろ?」と、ズバリ言えば、恥ずかしそうな驚いたような顔で、「エエ〜! ハイ落ちました〜」となるのじゃよ。言うことが一々全部ピタピタ当たるから、皆驚くし、わしは、「高知のような田舎にも凄腕はおる」と思って、頼もしく思い、憧れたものじゃ。

 この先生がサクラ(客のふりをした手先)を使っていなかったことは、その後の先生の判断で証明されるのじゃ。兎に角、言えば当たるということじゃからのう。サクラなどは必要がないのじゃよ。まあ、当たることしか言わんのがプロでもあるが、それにしても先生は当てたのう。
 ズバズバ当てておいて、「さあ、もっと詳しく知りたい人は、順番にこちらへ来なさい」と言って、奥に構えた鑑定台の前へ座らせて詳しい判断をする、という按配であった。

 「街頭易者になる!」と、ハッキリ決めたのは、この時の、今は亡き高島呑周(たかしまどんしゅう)先生の、啖呵を聞いてからじゃ。今でも先生を知る者は、「呑周先生は、言えば必ず当てた」と皆が言うのじゃよ。そんなことを言うと、「当てるばかりが能じゃありません〜」などと、横着な間の抜けたことを言う占い師が多いが、「当ててから言ってチョ〜だいね」と、わしゃ言ってやるのじゃ。ああだこうだは、先ずは、運命の診断ができてからの話じゃあるまいか。
 とは言ったものの、わしにしても、実際に運命鑑定となると、客を見てイヤ〜な気持ちになることもあるのじゃよ。客との相性が悪いということもあるが、顔付きや目付きや雰囲気に、「本当に見れるのか、試してやろう」とか、「俺のほうがもっと見える」とか、まあ色々な顔があるが、そうなると鑑定にも力が入らんのも事実じゃ。未熟と言われても仕方がないが、以心伝心じゃのう。「求めよ、さらば与えられん」と言うぞ。やはり、客も客で、素直な気持ちで来てもらいたい。心に応じた結果しか得られないということじゃからの。それは、神仏とご先祖に対しても同じで、傲慢な、失礼な気持ちでは、満足な答えは得られまい。

 ズ〜と後で街頭へ出ていた時のことだが、ある時に呑周先生にスナックへ呑みに連れて行ってもらったことがあった。客が占い師だと分かると、二流ホステスは決まって、「先生私を見て〜」となるのじゃよ。普段ならわしが、「タダで見てもらおうとは、オコガマシイではないか、この二流ホステスが! 控えおろう〜!」と、気合を入れるところではあるが、先生の手前もあるし、実はわしも先生の鑑定を久しぶりに見たかったのもあって、「呑周先生、一つ見てやって下さい」とお願いした。

 すると先生は、そのホステスの生年月日を聞いたかと思うと、指を繰りながら「フムフム」と言った後で、「あんた、去年の夏に、財布から金を○○○円抜かれたやろ、金だけ抜かれて、財布はあったやろ」と判断したのじゃよ。わしゃあ、驚いて「ハア〜?」と思ったが、そうすると、言われたホステスは、上品やら下品やら分からん顔をして、「エエ〜! 何でそんなことが分かるんですか〜、その通りです」じゃからのう。もう三十年以上も前のことだが、言えば必ず当てるという、先生の判断を改めて見せてもらったのじゃよ。

 話はあれこれと飛ぶが、高校生の時には、高知市内のあちこちの鑑定所を尋ねて、主に手相と人相を観てもらったのも懐かしい。その頃の先生は全員霊界へ行ったが、本当にお世話になった。高島呑周先生、杉本岳堂先生、玉龍子先生、先代の其仙庵先生、鍋島先生、南光易断の先生、高島呑州先生、公文南渓先生など,凄腕が多かったのう。「易者になりたい」と言うと、「止めとけ、食って行けんぞ」と言われたこともあった。

 公文南渓先生は人相一本で、骨相は指で頭を測って判断し、気色と画相にも通達していた。桜井大路先生に師事したこともあると言われ、「黙って座れば、本人と身内の運命を判断します」という看板を掛けていたのじゃ。「画相は、針で突いて絵を描いたように現われる」と教えてくれたし、杉本岳堂先生は祈祷もやっていて、「自転車を盗られたね」と判断するから、「どこを見て判断するのですか?」と、わしが聞くと、「客の横へ自転車が現われるのじゃよ」と、サラリと言ってのけるから、わしには訳が分からんかったのう。まあ、どの先生も、何れ劣らぬそれぞれの判断をしておった。

 わしが高校生の頃も相当な占いブームで、手相と人相の本では、小西久遠、永鳥眞雄、大和田斎眼、中村文聡、沢井民三、門脇尚平、出雲又太郎、平竹辰、桜井大路、佐藤六龍、横井伯典、観雲学人、前島熊吉、黄石洞、松井桂陰、その他の先生の本を片っ端から読んだものじゃて。浅野八郎という学者先生の書いた、「手相術」と、黄小という先生の「易入門」が話題になったのもこの頃じゃ。次々と占の本が出て、占好きのわしらを喜ばせてくれたものじゃ。

 放課後には、筮竹を振り回し、天眼鏡を覗き込みながら、女学生相手に一端の易者を気取ったものじゃて。懐かしいのう。手形もようけ集めた。その時に手相を見せてくれた女学生達が、今でも幸せであればエエがのう。その手相を見せた女学生の中の一人に、幸か不幸か、チ〜ちゃん(わしの女房)がいたのじゃよ。その時に、「離婚の相がある」と判断しておいたが、街頭易者の女房になる時に腹を括ったのか、今でも何とか保っておる。今思うに、チ〜ちゃんの我慢強さと、わしの信仰があったから、何とかやって来れたのじゃなかろうかと思う、今日この頃ではある。チ〜ちゃん、もう少しの間頑張ってチョ〜ダイね。

 今でも出ているが、日本運命学会の「運命宝鑑」に載っている先生に、手紙であれこれ質問したのも懐かしい思い出じゃ。どの先生も丁寧に返事を下さった。観雲学人先生は、「それだけの本を読めば十分です。街頭へ出るのは結構ですが、その日の米代を稼ぐ易者にはならないように」と、注意をして下さったし、村瀬茂先生は、「これからは心理学も勉強して下さい」と励まして下さった。その他の先生にも、チマチマと質問したが、どの先生も十七八歳の若造の質問にも、丁寧な返事をしてくれたのは本当に嬉しかった。

 高校二年いっぱいで、相棒の上田が、「それじゃあ、お先に失礼」と、中退して居なくなったので、急に占いの話し相手もなくなり、高校三年生になって、時々質問をしていた東京の中村文聡先生に、「通信講座はやっていませんか?」と手紙を出したところ、「大阪の八木喜三朗先生が通信講座をやっています」と、八木先生の住所を書いて知らせて下さった。嬉しかったのう。
 中村文聡先生は、初代目黒玄龍子先生の直弟子で、「日本運命学会」を主宰していて、その頃は会員が六千人もいたそうな。著作と共に、月刊「運命」も発行して、大して勢いだったようじゃ。その頃のわしには神様のように思えたものじゃ。大熊光山先生とは同門に当たる。八木先生は、二代目の玄龍子先生の直弟子だから、中村、大熊両先生とは同門になる訳じゃ。

 文聡先生に紹介して頂いたことを手紙に書いて、早速、八木先生に受講の申し込みをして、「観相発秘禄」を毎月送ってもらって勉強した。懐かしいのう。その内容に、今までにない新鮮さを感じて、「ようし! 高校を出たら八木観相塾へ通うぞ」と決めたのじゃ。

 ところが、上田に次いでわしも英語で引っ掛かり、追試にも落ちて、とうとう卒業間近で落第してしまった。「自分には英語など必要なし」という気持ちであったし、自分の疑問である「人生とは何か」ということの答えに程遠い、学校での授業は全然頭に入らず、当然の結果ではあった。しかし、今にして思えば、「その時に与えられたことをやる」という精神力に欠けていたと反省をしておる。未だに、霊能師に開口一番、「三日坊主じゃのう」と言われる有様じゃ。なかなか癖は直らんのう。三バカ大将の、もう一人の男は、何とか卒業できたらしい。

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 紳士・淑女の人相術 (3)


     八木観相塾と、当時の思いで

 昭和四十一年の春に、追試も英語で落ちて高校中退となったが、「八木観相塾へ通える」という気持ちが強かったので、寂しさよりも希望に燃えたというのが本当のところじゃ。しかし、卒業式があった夕方に、親戚の同学年の女子が家に来て、「卒業式に来てなかったネエ」と言われた時には、やはり恥ずかしかったのう。卒業できるのなら、わしだって行くわいな。「いらんお節介じゃ」と、わしゃ言いたい。

 早速に大阪へ出て、父親がやっている土建業の土方(どかた)や、事務員をしたり、小豆の相場の勧誘の会社に勤めたりしながら、憧れの「観相塾」へ通うことになったのじゃ。嬉しかったのう。何しろ、有名な目玄龍子先生の一番弟子であり、中村文聡先生からのご縁であり、一年間ほど「観相発秘禄」を送ってくれた、八木喜三朗先生に遇えるし、講義を直接聴くことができるのじゃからのう。確か、昭和四十一年か四十二年だったと思う。わしが十九歳の時じゃ。

 大阪の天神橋の南の、テルモのネオンサインの手前の、高麗橋詰町の、「八木昆布店」の二階が教室になっていた。八木昆布店は、なかなか由緒があるらしいことは後で知ったのじゃ。受講の申し込みをするために、昆布店の人に聞いてみると、「店の横のドアを開けて、二回に上がってください」と言うので、隣のドアを開けようとしてヒョイと上を見ると、そこには、「観相・八木喜三朗」と、質素な木の表札が掛かっていた。「有名にしては質素だなあ」と思いながら、思い切ってドアを開けると、いきなり「ベベベ〜!」という大きなベルの音がして、慌ててドアを閉めて内に入ったのを覚えておる。
 そうすると、階段の上から先生が顔を出して、「どうぞ上がって下さい」と優しく言うのじゃよ。全く威張った所がない、優しい先生であった。中村文聡先生に紹介されて通信講座を受けたことを話すと、「文聡はんは、禿げているから年上かと思っていたら、私より年下ですわ」などと、真面目な顔で言うから、「気さくな面白い先生だなあ」と、よけいに親しみを覚えた。後ろの本棚には、「玄龍子相法」があったのを覚えている。

 後に、上田が古本屋で玄龍子先生著の古そうな、青写真版の「相法原基」を高い金を出して手に入れたので、「八木先生に本物かどうか、確かめてもらう」と言って、見てもらったことがあった。その時に先生は、内容と玄龍子先生の朱印を見て、懐かしそうに、寂しそうに、「玄龍子はんのです」と言われたが、その時の先生の、何とも言えない懐かしそうな表情が今でも忘れられない。二代目の玄龍子先生は相当の酒好きであったらしい。

 その頃は、易書と美術書を多く置いてある、「中尾書店」が淡路町にあって、時々寄ったものじゃて。店が心斎橋へ移ってからも時々寄っていたので、ずっと後で、「人相術講座全十八冊」を出す時に、中尾書店の社長さんに発売をお願いしたのじゃ。二階から降りてきた社長さんに、手作りの十八冊抱えて、「こんにちは、お久しぶりです」と挨拶をすると、「ハア〜? どちらさんでしたかな?」と言うのじゃよ。こちらはよく覚えているのだが、社長さんには若造の記憶は薄いらしい。「お忘れですか?」と、改めて顔を見せると、「アア、ハイハイ、土佐なまりの、ハイハイ」てな調子で、例の愛想のエエ、人徳のある人相の社長さんのお陰で、目出度く発売していただいた訳じゃ。社長さんは、占業界の生き字引のような存在でもあるから、八木先生は勿論、当時の占業界の人物にも詳しいのじゃよ。

 現在はどうなっているか知らないが、当時の八木観相塾の部屋には十五人くらいの受講生がいた。話しているのを聞くと、どうやらプロの受講生は少ないようで、落語家や整形外科の先生や、その他にも有名な人が何人かいたように覚えている。先生が休みの日には、代わって茅岡先生が講義をしていた。十年以上通っている受講生もいたようだが、プロの運命鑑定家がいなかったように思う。

 大体のところは、先生が毎月送って下さった、「観相発秘禄」の通信講座で勉強した内容どおりの講義であったのと、骨格の一般相法と気血色の相法以外には、全く興味がなかったから、十ヶ月ほどで塾へ通うのを止めてしまった。「早く実践をせんといかん」という気持ちも強かったからのう。十九歳の若造の考えそうなことだが、高校時代に通信講座で勉強し、他の専門書もヨウケ読んだし、多少の実践もしたから、そう思い上がっていたのじゃよ。
 教室が終わって、先輩が帰ってからも、忙しい先生にあれこれ、くどくど質問をしたのう。時には、自分の顔に現れている気色の線を教えてもらって、そこにボールペンで、気色の線に沿って、印をつけてもらって、電車で帰ってから家で何回も見直したりもした。上田も三、四回一緒に出席したことがある。

 ある日先生を訪ねて、思い切って、「街頭へ出て実践をしたい」と言ったことがあった。先生は少し驚いたように十九歳のわしを見つめていたが、「頑張ってやりなさい」と言ってくれた。その時のことを思い出すと、今でも目頭が熱くなるのじゃよ。
 次の教室の日の授業の前に、先生が、「島田君(わしの本名は島田善弘という。天道春樹はずっと後で勝手に付けた名じゃ)、前へ出なさい」と言って、わしを十人余りの先輩の前へ呼び出して、「島田君、歳はいくつかね?」と聞かれたから、「十九歳です」と答えると、先生は、「この十九歳の島田君が、街頭へ出たいと言ってるんや、あんたら、何年ここへ通うてるんや、しっかりせなアカンデ!」と、先輩衆を叱ったことを、昨日のようにハッキリと思い出す。
 神様のように思っていた先生を、何回か訪ねて色々な話を聞かせてもらったが、時々、「皆んな教室に来るだけで、実践をしない」と零していた。歳が行くと涙もろくなると言うが、どうも先生のことを思い出すと、涙腺が緩んでいかんわい。わしは、その時の先生の言葉は本心だったと思っておる。

 確か新年会だったと思うが、どこかの料亭のような所で、先生ご夫婦を囲んで、大勢の塾生や卒業した先輩が集まったことがあった。わしは上田を誘って出席した。玄竜会々長の挨拶やら、先輩の挨拶が終わって、酒も回って、ワイワイガヤガヤになったので、二人で銚子を持って先生にご挨拶した。その時の料理が、鮎の塩焼きだったことを妙に覚えている。それを奥様が先生にほぐして差し上げていたのを覚えている。
 その時に、先生が上田とわしの手を取って、「これからは、若い人が頑張らんといかん」と言って下さったことも、未だ鮮明に覚えている。他にも先生ご夫婦が、「○○○・・・」と呟いたが、それは微笑ましいというか、何というか、まあエエか。

 実際に人相術の教室をやってみると分かることだが、実地をやる者は殆どおらんのが現状じゃ。八木先生には五、六百人の門下生がいるのではないかと思うが、果たしてその内の何人が、人相見として運命鑑定をやっているのかのう。実践をしないと、教わったことの本当のところは分からんのじゃよ。授業の前に先輩を叱った先生の気持ちが、わしにはよく分かるのじゃ。「あの本ではこう言っている」、「この本にはこう載っている」と、仲間同士でいくら話し合ったところで、実践をしなければ本当の所は分からんからのう。

 現在のわしは、人相術と易占の教室をやっていて、現在四、五十名の受講生がいるが、求められたら「受講終了証」は出すことにしておる。しかし、今までに三百人くらいいる受講生の一人にも、「免状」は出したことがない。街頭易者のわし自身が、免状を出すほどの器量ではないからのう。
 免状でも、剣術のように、実際に真剣負をしてから出すのではないからのう。どれほど真面目に、何年講義を受けたところで、それは実力とは関係ないから、免状は出さんのじゃよ。
 
 それと、プロになったら、わしの授業を受けた者も、わしと横並びじゃ。占で苦労をする同業者同士じゃからのう。先輩も後輩もあるかい。占家業、占を渡世にする同業じゃ。ただ、苦労をした後輩と、よくできた人物は、先輩を軽んじることはないが。ただ、先輩であるとか、免状があるとか言って、威張る連中は今も昔も相変らずおるわい。可愛いものじゃて。多分、他に威張れるものが無いのじゃよ。

 元々、初伝とか中伝とか、奥伝とか、秘伝や極秘伝などというのはないのじゃ。それは教える側が勝手にそのように分けているだけで、そんなものは元からありゃあせんわい。免状が顔を利かすようになると、人相術も何もかもが衰退してしまうからのう。
 神異賦に、「骨格は一世の栄枯たり、気色は行年の休咎を定む」とあるが、骨格が初伝で気色が奥伝でもないし、骨格を見て判断するのが易しくて、気色の判断が難しいということもない。易しいから初伝で、難しいから奥伝でもないのじゃよ。そんなものはありゃあせんわい。

 神異賦の序に、「千万伝ふる勿れ、後学凡庸俗悪の子。慎めよや、之を謹め」とあるのは、あれが秘伝、これが奥伝などという意味ではないのじゃ。ようく考えてもらいたい。そんなものを勿体ぶって、奥伝の伝授料とか、免許皆伝の免状がどうのと言って、高額な金銭を要求するのは、相道の諸先輩に申し訳がなかろう。自分は先輩の教えから学んでいるのだから、それで高額を要求してはなるまい。
 ただ、自分自身が高額を要求する先生から習ったのだとしたら、運が悪かったと思って、そこで区切りを付けて、後のものからボラナイように頼みたい。天は全てをお見通しじゃからのう。「神は見抜き見通し」と言うではないか。第一、神様から頂いた我が心が、全てをお見通しじゃ。

 例えば、師範の免状を出すとすれば、一定期間の授業を受けることは勿論だが、少なくとも、学んだことを十年くらい真剣に実践をして、その上で先生直々の審査があって、その実力を認められてからでなくてはなるまい。授業を受けただけで免状が出るようでは、世も末じゃ。舞踊でも、華道でも、剣術でも柔術でも、習うだけで免状が出たら終わりじゃからのう。人相術だけが例外であれば、相術も直ぐに絶えるわい。

 画相が見えん者が画相の講義をしたところで、それは虚偽であり、先輩の顔に泥を塗ることではあるまいか。一事が万事じゃ。まあ、言えば果てがないが、客を前にした時には、何年やっているとか、誰に習ったとか、師範の免状とか、その他のコケオドシは、何の役にも立たんということだけは確かじゃ。「私は画相が見えないが、私の先生はこのように言っている」というであれば、見えないものは見えないと素直に言う、可愛い正直者じゃ。

 今度復刊された、亀田一弘(かめだいっこう)先生の、「量亀流透視観相鑑」の復刻版である、「画相で透視する方法」という本はぜひ読んでもらいたい。今までにはない内容だが、実際に画相がどのようなものであるか。本を見て、「このようなことが顔に現れるのだ」という知識さえあれば、わしは何時でも実地の講習会をする容易がある。先ずは、本を読んでからの話じゃ。宜しく頼むぞ。

 近年の人相術の気血色の相法も、東京の鴨書店から、三十年くらい前に、「林流相法 画相気色全伝」が発行されてから、大いに進歩したのじゃよ。何しろ、幻の書が世に出たのだからのう。わしも直ぐに買って読んだが、全く至れり尽くせりで、その有難さは到底口では言えんわい。良い本が復刊されて、どんどん世に出ているから、人相術界も大いに進歩していると言わねばなるまい。

 中国や、日本の諸先輩の功績に感謝し、その著書からは大いに学ばなければならない。しかし、過去の先生方や著書やその教えに拘っていては駄目なのじゃ。実践を通じて前に進むことを忘れては、折角の先生方の努力を無駄にすることになるからのう。生成発展しないものは、個人であろうが組織であろうが、何れは取り残され、やがては消え去る運命じゃ。
 組織や自我や免状に縛られている連中には、言うても分からんだろうが、人相術を真面目に研究し、実践する者は、自然に真理を悟るのじゃよ。又、それが人相術の効用でもあるからのう。

 例えば、いつも先生の近くにいて、カバン持ちをしても、いくら先生と長い付き合いがあるとしても、先生の教えが分かることとは別問題じゃ。お釈迦様が、「私の袖を掴んで付いてきても、私を見ることはできない。法を見る者が私を見る」と言っているではないか。近くにいると、「一番弟子だ」とか、「先輩だ」とか、却って妙な拘りができて、自分を縛り、人を縛るから始末に終えんのじゃよ。但し、よくできた人物はそのようなことが無い。

 話は戻って、ある授業の日に先生が、「○○の観音様は観るのにエライから、お札をいる人は申し出て下さい」と言われた。大抵の受講生は申し込んで、次の教室の日に頂いたことがある。わしは無信心のため、いつしか頂いたお札を失くしてしまったが、先生が受講生のために、人相を見る目が開くようにと思って、観音様の木のお札を分け与えたことは、親心に違いないと思うのじゃよ。

  今わしが観音様を信仰しているのは、前世の因縁と、祖母の観音信仰の影響だけではなく、先生の影響も大きいのじゃないかと思う。神仏を否定する人相見がいるとしたら、骨格と気色の観法に通じていない証拠じゃ。見えないと分からない、分からないと見えないというのが人相術じゃからのう。
 わしは先生から十ケ月位しか習ってはいないが、十六歳で、「街頭易者になる」と決めていたので、人相術への思い入れは強く、それに初めて習ったこともあって、強くその頃のことを覚えており、又、思い出すのじゃよ。

 人相を習いだして、大国町だったと思うが、紀藤元之介(きとうもとのすけ)先生に、「人相見になりたい」ということで、鑑定をして頂いたことがある。その時に、「誰に習っていますか」と問われたので、「八木先生に習っています」と応えると、「それなら大丈夫です」と言われて、大いに心強く思ったことであった。その後も時々見てもらったり、易具を注文したりしていたが、十二、三年後にお会いした時に、「島田君は、初めて来た時は学生服だったなあ」と言われて、そんなことも覚えていてくれたのかと、あり難いやら懐かしいやらで、改めて尊敬の念を強くしたものじゃ。背広を誂えるまでの半年間は、中退した高校の学生服のまま、堂々とウロウロしていたからのう。

 紀藤先生は、実占研究会を主催して、月刊「実占研究」を発行されていたので、毎月楽しみにして見たものじゃ。後日、案内があって、「蒙色望診」の一日実習講習を受けたことがある。その時頂いた「修了証」は失くしてしまった。講師の竹安先生は、八木先生にも習ったことがあり、玄龍子先生の残したものをよく研究されていて、顔に現れる細かな蒙色の発表と、その他の詳しい話をされたが、円満で偉ぶらない、よくできた方であった。
 その後、蒙色の研究がどのようになっているか、版権がどうなっているかは知らないが、「二十一世紀の医学、蒙色望診」の復刊は、是非やってもらいたい。その後の研究も合わせて発表してくれたら、それはそれは有難いし、大いに世の役に立つというものじゃて。

 話を元に戻して。そうこうしているうちに、一年足らずで、八木観相塾へ通うのを止めて、天王寺の共和パンションという所に、四畳半の部屋を借りて、あちこちの電柱に勝手に、「人相見」の張り紙を出して、「さあ、いらっしゃい!」と構えたのだが、待てど暮らせどサッパリ客が来ん。世話になった不動産屋の女主人と従業員が、何回か来てくれたのはエエが、プロとして未熟だから、なかなか「黙って座れば」とはいかず、パッとした判断もできず仕舞いであった。友人も何人か来てくれたのだが、それでは食って行けないので、長く続く筈もなかった。
 今時のように、インターネットで宣伝ができる訳ではないし、非力な二十歳の若造が気張ったところで、どうなるものではなかったのは確かじゃ。生意気なばかりで、実力が無いのだから仕方がない。それでも、好きな道だから、父親の仕事を手伝いながら、周りの人を観察したり、色々な先生に鑑鑑定してもらったりしながら暮らしたのじゃ。よく、あちこちで観てもらったのう。

 心斎橋のアーケードの街頭に易者が座っていたから、大阪に来ていた上田に、「俺が見てもらう」と言って、易者の前に立った瞬間に思ったことは、「な、なんと貧相な易者だ!」ということであった。一分くらいの何ということのない判断が終わったから、行灯(あんどん)に書いてある鑑定料の五百円を出すと、「千円だ」と言うではないか。今から四十五年前じゃ。「五百円と、ここに書いてあるじゃないか」と言うと、「よく見てくれ」と言うのじゃよ。そう言われて、よくよく見ると、行灯の五百円という文字の下に、ホンマ、小さな字で、「より」と書いてあったのじゃ。全く恐れ入るわい。

 天王寺の道端で、浅黒い顔の易者が、「手相、千円」と紙に書いて、カバンに引っ掛けて座り込んでいるから、それを見て手を出すと、「兄弟は四人だな」と言うのじゃ。確かに四人だが、生後一年で死んだ兄を入れると五人になるから、そのことを言うと、突然怒って、「四人と言ったら四人だ!」と凄むのじゃ。訳が分からんまま、浅黒い顔の易者を後にした訳じゃ。

 上田が、「天王寺駅の直ぐ近くに、手相の気色を見て、詳しく判断する易者がいたぞ。日にちまで予言するぞ」と言うから、「そうか」てな調子で、二人で出かけて見てもらったことがあった。わしが手を出すと、性格などを適当に言うから、「大したことはないな」と思っていたら、「近いうちに女の子からの贈り物がある。ウ〜ム、日にちは、二月の十四日だ!」と言うではないか。「オオ、気色で、そこまで判断できるのか!」と、二人で関心して、「大したものだ」などと話しながら、家に帰った。しかし、ようく考えてみたら、二月の十四日は、バレンタインデーなのじゃよ。おまけに、二人とも何も貰わず仕舞いじゃ。「エエ加減にせえよ!」とか、「ワヤ(馬鹿)にするな!」と、二人で怒ったのだが、後の祭りじゃ。ホンマ、訳の分からんのが多いのう。
 ただ、街頭易者の場合は、料金がそこそこで安いから、愛嬌といえばそれで済まされんこともないが、何十万とか何百万も騙し取る、自称大先生も結構多いから、皆の衆は引っ掛からんように頼むぞ。引っ掛かるほうも引っ掛かるほうじゃのう。両者の因縁じゃよ、因縁。

 天王寺の街頭に、易経を諳んじる易者もいた。易を立てて卦を出したら、易経にある卦の言葉をツラツラと喋りながら判断するのじゃよ。そうなると、何となく様になるのう。わしも覚えてそれで判断しようとした頃もあったが、当たらないから止めたのじゃ。中途半端では、何をやっても役に立たんということじゃあるまいか。
 易聖と言われた、呑象・高島嘉衛門先生は、易経を全部覚えていたらしいが、なかなかできるものではない。先生の占例を見ると、字を分解したり、言霊を応用したり、実に見事に判断しておるが、なかなかそうは行くものではないのじゃよ。易好きの連中は、せいぜい頑張ってチョ〜ダイね。

 当時わしは、日本運命学会の大阪支部に所属していたが、支部長であった山本先生も八木観相塾出身であったようじゃ。達者でやっておられるかのう。八木先生に見てもらった時に、先生が、「お金はいいですよ」と言われたので、「すみません」と言って払わなかったことがあったが、山本先生にそのことを言うと、エライコト怒られたことがあった。単純馬鹿丸出しの頃を思い出すのう。
 「島田君は目がきつ過ぎる」とよく言われた。飯場育ちの、丸刈りか角刈りの若造で、目がキツイとなれば、見た目は殆どヤクザみたいなものじゃ。格好もそれなりにヤクザ風ではあった。高倉健さん主演の、網走番外地や、渡哲也の東京流れ者などの、ヤクザ映画はたいてい見たし、飯場にはヤクザも何人かいて、色々あったからのう。それが、高知へ帰ってからも続くのじゃよ。街頭は色々あるからのう。

 大阪の南で「すみいろ」を見てもらったことがあったが、いきなり、「おい! 見てくれ!」と言って、ズンズン入って上がると、六十歳くらいの上品な男先生が、驚いて恐る恐る筆と紙を出したので、わざと荒々しく一の字を引くと、紙が破れたのじゃ。「どうや、これで見てくれ!」と大きな声で言うと、その上品な先生は、震えながら、「ヒエ〜、あなたは凶暴です!」と言うたが、今思うと、何やら可哀想なことをしたと反省しておる。
 姓名判断の先生が、かなりハッキリと言うので、「どうして名前でそんなことが言えるのか、証拠の資料か何かがあるのか、その証拠を見せろ」とか、色々やったのう。そんなこんなで、易者をオチョクッタのじゃよ。それが因縁となってか、後で街頭へ出てから、「本当に、当たるの〜?」とか、「みっともないのう」とか、「どうして易者なんかになったの〜?」とか、「貧乏易者が、ペッ!」とか、散々言われるとは、夢にも思わない憎らしい若造のわしであった。

 二十歳くらいの時に、四柱推命で有名な、京都の阿部泰山先生に見てもらったことがあるが、貫禄と鑑定力は大したものであった。
 住所を頼りに探したがどうも分からないので、目に付いた店に入って、「占いで有名な、阿部泰山という先生のお宅を探しているのですが・・」と尋ねると、「アア、泰山先生のお宅でしたら、もう少し向こうです。立派な塀がある大きな家ですから、直ぐに分かりますよ」と、丁寧に教えてくれた。その言い方で、「泰山先生は有名なんだなあ」と感心し、人徳者だと確信したのじゃ。立派な人物は、周りの評判もエエからのう。

 行き着いてみると、店屋のおばさんが言ったとおりの、立派な家で、門を入ってズンズン進むと、武家屋敷のように衝立があったように覚えているが、そこで、「ごめんください!」と言うと、書生のような人が「ハイ」と出てきて、控え室に案内してくれた。部屋に案内されてみると、そこには五、六人の先客が火鉢を囲んで、呼ばれるのを待っていた。呼ばれた順に人が出て行き、又、人が入って来る。「有名だから繁盛しているんだなあ」と感心していると、自分の番が来て鑑定室に案内された。

 鑑定室の大きな机の前に、貫禄のある先生が座っている。周りの立派な本棚には、難しそうな本がギッシリであった。「宜しくお願いします」と、挨拶をして先生の正面に腰を掛けると、先生が、「何を見ますか」と言うから、「一代の運命をお願いします」と、緊張しながらわしは答えたのじゃ。

 そうすると、先生は生年月日と時間を聞いてから、無言のまま、パラパラと本を捲って、何やら用紙に書き込んでから、それを見ながら、罫紙にツラツラと書き始めたのじゃ。三枚くらい書き終わると、それを二つに折って、鑑定書と印刷されている表紙に挟んで、ホッチキスでパチパチと止めて、わしの名前を聞いてから表紙に書き込んだ。次に、鑑定者阿部泰山と印刷された所に、ドンと印を押して、大きな封筒に入れて、「はい、どうぞ」じゃ。
全く無駄な質問はしないし、無駄話もせずに、鑑定内容を的確に、達筆でツラツラ書いて、「はい、どうぞ」じゃからのう。恐れ入るわい。
 帰りの電車の中で、ワクワクしながら、封筒を開けて読んだ内容は、今思うに全て的中しておる。泰山先生のことを、ああだこうだと批判する者もいるようだが、その場でサラサラと鑑定書を書けるようになってから、どうのこうの言うてもらいたいものじゃて。

 手相で有名な、東京の大和田和代先生にも見てもらったが、先生は気色を見るのが上手で、鑑定室の蛍光灯を消して、懐中電灯で掌を見るのじゃ。二回ほど見ていただいたが、力むことなく、手の気色を見ながら、サラサラと流れるように判断するのは流石であった。大和田斎眼先生はお亡くなりになっていたので、一度もお会いできなかったのが悔やまれる。
 八木先生に、大和田和代先生に見ていただいたことを話すと、先生は、「斎眼さんより、奥さんのほうがよく見る」と言われた。街頭へ出たら、奥さんの所だけ客が列になるので、他の易者から、「出てもらっては困る」と、苦情が出たらしいが、それほどの実力で、人気もあったそうな。
 わしが、「手相を教えて頂きたい」とお願いすると、「人様に教えるほどのものではありません」と、サラリと断られたが、まことに残念であった。

 手相の門脇尚平先生にも二回ほど見てもらったことがある。アパートの一室の鑑定室で、コタツがあって、その上には和紙で包まれたような、柔らかい光の蛍光灯があったように覚えている。手相の気色を見るには、丁度エエのじゃないかと思ったものじゃ。
 天眼鏡の縁を外したような、レンズを持って、真剣に手相に見入る姿は、ヤンワリと手相を見る大和田和代先生とは対照的だったのう。思い切った判断をする先生であった。気色を良く見る先生で、一緒に行った上田の手相を見て、「あなたは今、親戚の人を引き取って面倒を見ていますね」と判断したから、上田に、「本当か」と聞くと、「夏休みの間、甥っ子を預かって面倒を見ている」と言うではないか。一体こったい、どこの何を見て判断したのか、皆目分からず、聞くことも忘れて、ただ感心するばかりであった。最後に、上田が鑑定料を値切ったのは勿論である。
 手相を見て、生まれ日の干支を当てたという話も聞いたが、名人ともなると、何を研究するか全く訳が分からんわい。先生は西式健康法の、西勝三氏に傾倒していたようじゃ。何れにしても、手相を深く研究した大先輩である。

 近頃は、手相見、人相見、易者、推名家、家相見というような、専門家が殆どおらん状態じゃ。何かを併用しておるのが現状ではあるまいか。現に、わしも手相と人相だけでは人事百般の判断が難しいから、易断を併用しておる有様じゃからのう。
小西久遠、大和田斎眼、門脇尚平、平竹辰先生などは、手相人相で人事百般を判断したようだが、大したものじゃのう。全く、頭が下がるわい。

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 紳士・淑女の人相術 (4)


     念願の街頭易者、易者身の上知らず

 さて、十六歳で、街頭易者先生の啖呵(たんか)を聴いて、「街頭易者になる」と決めてから、グズグズしている間に十二年が経ってしまった。「光陰矢のごとし」と言うが、後から思うとホンマ、アッという間じゃのう。昭和五十年に高知へ帰った時には、二十八歳のエエ歳になっていたのじゃ。それから街頭へ出たのだが、これからが本当の修行であった。早速街頭へ出ようと思って、二十歳から知っていた、街頭の元締めの杉本岳堂先生に頼んで、場所を決めてもらって街頭へ出たのじゃ。
 その頃は、まだまだ景気も良く、夜の街も賑わっていたから、「これは行ける」と踏んで、前祝いに屋台で熱燗をググ〜ッとやった迄は良かった。杉本先生が、「島田君、あのスーパーの前へ出たらエエ。前に出ていた女の易者はよう流行っていたぞ!」と言うので、「有難うございます」という次第で、手作りの鑑定台を引っさげて、島田鉄眼(てつげん)という名前で、勇んで街頭へ出たのじゃ。

 先代の元締めが、前に話した高島呑周先生で、その後を杉本岳堂先生が継いだのじゃ。後でわしがその跡を継ぐのだが、まあ街頭易者のややこしいこと。呑周先生の代では、「県外から来た同業者が挨拶に来ない!」ということで、近くの山へ呼び出して、ダンビラを振り回したそうじゃ。先生は「あの頃はよかったのう」と、目を細めて懐かしそうに話すのじゃよ。その頃は、「お控えなすって!」と仁義を切る時代だったそうな。まあ、街頭易者はテキヤの部類だから仕方があるまい。それにしても、先生はテキヤ言葉をペラペラ喋ったが、傍で聞いておっても全く何を言うておるやら、サッパリ分からんかったのう。

 後で、杉本先生から、「島田君、街頭の連中は、『股くら膏薬』ばかりだから、そのつもりで頼むぞ」と言われたが、全くその通りじゃ。股くら膏薬(こうやく)とは、内股に膏薬を張って歩けば、あっちへ引っ付き、こっちへ引っ付きすることを言うのじゃよ。あっちの人間に引っ付き、こっちの人間に引っ付き、あっちでこう言い、こっちでこう言う、二枚舌のことじゃ。
 わしも、その頃は若かったから、言った言わないで揉めた時には、二人を呼んで、お互いの言った言わないのカタをつけたものじゃ。男が一度言うたら、後で「すみません」では済まされんからのう。昔なら腹切りものじゃよ。揉め事によっては、ややこしい人間も出てくるからのう。

 さて、街頭だが、珍しいものか、若造のわしにも、街頭へ出て四、五日は人が並ぶ盛況振りであった。「これは景気がエエわい」てな調子で、また熱燗ググ〜ッとやる。しかし、実力不足では仕方がない。一週間足らずで客足も途絶えて、やがて閑古鳥が鳴く日が続く現実の厳しさ。女房と子供二人の四人暮らしで、生活が掛かっておるからのう。
 先輩が通りかかって、「鎬(しの)げとるか、アア?」と聞くので、「どうも暇ですわ」と応えると、「ただ見るだけでは食って行けんぞ! 街頭で鑑定した客を、名付けでも印鑑でも何でもやって、家へ引っ張り込め、エエか! そうせんと食って行けんぞ! 祈祷も教えてやるから来い。サラバ〜」と、叱咤激励して何処かへと去って行ったのじゃよ。後はただ、ほのかに酒の香りだけが漂っていた。先輩の愛の鞭じゃ、愛の鞭。あり難いようであり、あり難くないような、妙な気持ちであった。

 先輩の殆どが祈祷(きとう)をやっていたから、「お前も祈祷をやれ!」、「祈祷に繋げよ!」、「見るだけでは食って行けんぞ」と、諸先輩から何回も言われたが、わしは手相と人相と易占しかできないので、この歳までそれを通して来た。信仰はしているが、霊的なことは専門家に頼むことにしておる。
 それと、人相でも、家相でも、姓名判断でも、霊的なことでもそうだが、先ずは運命の診断ができないと話にならんのじゃなかろうか。現在の状態、運命をちゃんと診断できずに、ああせよ、こうしなさいと言うのは本末転倒であるし、オコガマシイではないか。きちっと運命を診断して、それを一つ一つ確認しながら、鑑定と指導を進めて行くのが本当じゃなかろうかと、わしゃ思うが、皆の衆はどう思うかの。

 さて、街頭と家とを足しても、来客は月に十人そこそこだったかのう。その頃を思い出すと、懐かしさと苦しさが一緒にやって来るから訳が分からんわい。当時は、一見五百円、総合二千円だったので、客が少ないから、とても生活できない。酒代にもならんからのう。しかし、客が来ないから生活できませんと言ったところで、情けないだけで、何ともならんから、街頭で鑑定しながら、昼は貨物の運転手をしたり、取立てをしたり、一時休業してクラブのマネージャーをしたり、出稼ぎをしたりの状態で、なかなか生活も安定せんかった。こつこつ集めた千冊はあった本も、殆ど売り払った。荒んだ生活をしながらも、「何とかなる」という気持ちだけはあったのじゃよ。不思議に。

 「易者身の上知らず」とは、よく言ったもので、自分の運命をちゃんと判断できないうちは、何ともならんのじゃよ。この間、本屋で見かけた小学生用の、ことわざ辞典に、「易者身の上知らず」というのが載っておったが、いらんことを載せんでもらいたいのう。ただ、当たっているのが、癪に障るではないか。大抵の易者に当てはまるような気がするのは、わしだけではあるまい。

 三十歳を超えた頃に、八木先生の訃報に触れた。追悼会があるという知らせを受けて、大阪の天満橋駅の近くの会場へ出席したことがある。奥様と茅岡先生や、多くの八木観相塾の先輩が出席しておられた。何か、わしには人相術界の一つの区切りのように思えたのう。プロでやっている人は、あまり居ないようであったが、八木先生はどのように思われているのか、少し寂しい気がしたのを思い出す。

 人の運命を鑑定して、開運に導くのがわしの仕事だが、困窮と自暴自棄の生活を、あまりにも不憫に思ったのか、女房の親戚の者が、「よく当たるハンコ屋さんが、知り合いの所へ来るから、観てもらいなさい」と言うのじゃよ。「いくらわしが身の上知らずでも、そこまで言われたくない」とは思ったものの、勉強にもなるという理由をつけて、一緒に観てもらったことがある。
 
 印相を見るその先生は、なかなかのベテランで、印鑑を見て、次に朱肉を付けて押して、その印面を観ながら、「あなたは二箇所から収入がある」とか、「ご主人は日焼けしたガッシリした体格で、血圧が高い」とか、「一週間前に左足を怪我しただろう」とか、詳しいことをズバズバ当てるのじゃよ。印相判断というのもなかなかのもので、後で聞くと、印面に画相が現われると言っていたが、そうでなければ詳しい判断はできまい。
 わしの番が回ってきたので、印鑑を差し出すと、見ると開口一番、「変わった仕事をしているなあ、貧乏印だから、新しい印鑑を作りなさい」と言うのじゃ。大当たりと言えば大当たりじゃないか。わしは、「何でも研究すれば、色々と判るものだなあ」と関心した次第じゃ。どの道でも、ベテランはちゃんと診断をして、当ててから次へ進むという、手順というか、流れが見えるのじゃよ。

 地元の浜の方に、よく観る有名な霊能師がいるというから、知り合いの女霊能師を連れて観てもらいに行ったこともある。その先生は漁師をしながら、人の相談に応じ、神官もしているらしい人物で、相談料もお任せで、指導料とかいうヤヤコシイのも無いらしかった。  
 部屋には四国八十八ヶ所霊場のご本尊と、朱印の並んだ掛け軸があり、シキビと榊があり、神仏両方をやっているようで、祝詞も上げれば般若心経もやるという塩梅であった。素朴なそこらの気のエエおじさんで、気張ったところなど微塵も無い、自然体の人物であった。

 面白いのは、祝詞や般若心経を上げている途中で、言葉が詰まった時に、何やら神仏の声が聞こえるらしいのじゃ。わしの前に見てもらった人は、時々詰まった程度で、案外とスラスラと祝詞が上がって、それほどの深刻な霊的な問題はなかったようであった・・が。
 わしの番が来て、霊能先生が神様の前で手を合わせるが早いか、わしの方を振り返って、「三日坊主じゃ、と神様が言っておるぞ」と言うではないか。わしは思わず「アハハ〜」と笑ってしまった。確かに人一倍短気で、根気がなく、何をやっても続かんからのう。ズバリ当たっておるではないか。そうすると先生は又、神棚に向かって何やら、「ハイ、ハイ」と言うのじゃよ。次は何か重大なことを神様が言ったのかと思って、待ち構えていたら、振り返りざま、「二日坊主もあったと言っておるゾ」じゃからのう。念には念が入っておるわい。

 次に、祝詞(のりと)を上げだした。普通は、「タカマノハラニ・・・」と続くはずだが、わしの場合は、「タカ、タカ、タカ、タカ」と、最初から詰まったのじゃ。霊能先生は、「これは珍しい! 祝詞が上がらん。一体何をやっておるのじゃ。神様が睨んでおるぞ」ときた。こうなると、「占い師です」と言ったわしも、笑ってばかりはおられなくなった。どのような神様かは知らないが、神様に睨まれては、エエ気持ちはせんからのう。

 それから、次々とあれこれいうのじゃよ。「神様のお札を纏めて、何処へ突っ込んでおるのじゃ!」と言うではないか。確かに、神様を祭っていたが、気が変わって、神棚も退けて、「エエイ! 神も仏もおるものか」てな調子で、大きな封筒に御札を纏めて入れて、本棚の端へ突っ込んだのが一ヶ月前じゃ。
 「水神が怒っておるぞ」と言うので、「ハア?」と言うと、「井戸じゃ、井戸。井戸を埋めただろうが」と言う。「便所も動かしておるし、塀の中の木も勝手に切ったな。勝手に門も作った」と、わしが何も言わんのに、全部当てるのじゃよ。こうなると、わしも笑いどころではないわい。「どうすればエエのですか?」と聞くと、「おお、その心よ」と言う。その一言で、何か救われたような気持ちになった。真心の言葉は、ちょっとした言葉でも、心を動かすものじゃのう。
 言葉は生かす殺すの両刃の剣じゃなかろうか。鑑定の際にも余程注意してモノを言わんと、却って傷つけることもあるから恐いのじゃよ。わしも言いたい放題言うから、時々客から怒られるのじゃ。「飲食を慎み、言語を節す」とは易の言葉だが、口さえ慎めば、大抵のことは治まるのは本当のことじゃ。

 霊能先生が、「水道が通るまでは、美味い水だと言って喜んで飲んでいたのに、水道が通ったからといって、断りもせずに勝手に埋めたのだから、井戸のあった所で、線香を立ててお詫びをしたらええ」と言う。「塀の中の木も、部屋から眺めて夏は涼しく、冬は防風になると言っておったではないか」と、わしの心の中までお見通しではないか。「恐れ入り屋の鬼子母神」とはこのことであろうか。

 この霊能先生に出会ったことが、「神仏はこうあるべきだ」とか、「こうに違いない」という、思い込みの信心ではなく、「実在の霊」に対する信仰に入る切っ掛けになった。但し、幼い頃からズ〜と、心の奥にある神と仏に対する信心は、今もそのまま続いておる。
 霊の世界は複雑らしく、わしのような凡人には測り知れんが、心に感じることと、人相に現われること、信用できる霊能師の言うこと、良い神霊についての本を読むこと、これらによって霊のことを垣間見ることはできるのじゃよ。

 さて、十分に恥をかいたし、勉強もさせてもらったから、「どうも有難うございました」と言って、前の客と同じように五千円を差し出すと、その霊能先生は神棚の方を見ながら又、「ハイハイ」と言うのじゃよ。どうしたのかと思っていると、「神様が、無理をするなと言っておる、いくらでもエエ、無理をするな」と言うのじゃよ。恐れ入るわい。そこまで言うか〜、他の客がおる前で。しかし、街頭で鍛えた面の皮の厚さだけが取り柄のわしは、素直に神の愛に応えて、二千円を差し引いて三千円を置いて帰ることにした。何やら霧が晴れたような心持で、霊能先生の宅を後にしたのじゃよ。

 そんなこんなで、四十歳前から、ご先祖と色々な神様にご縁ができたのじゃ。先ずは、次男だということもあって、仏壇で先祖代々の位牌だけを祀っていたが、長男が家を出ているし、霊的なことには一向に関心がないところから、実質は長男の役割をしているわしが、五十回忌が済んでいないご先祖は別に位牌を作ってお祀りした。霊能師に先祖のことを色々言われて、それが現実と符合していたからのう。そこは素直に従ったのじゃよ。

 古い家だから備え付けの神棚がある。中央に伊勢神宮の天照大神様、向かって右には、生まれた時からお世話になっている、地元の古城八幡宮の神様、その右には奈良の石上神宮(いそのかみじんぐう)の神様、左には高知市の潮江天満宮の神様、その左には徳島の轟神社の神様をお祭りした。
 轟神社のお札をお祭りしてから、神棚に向かって「轟神社の神様、宜しくお願いします」と言って、墨色(すみいろ)の一の字を引いたら、兌宮に大きな画相が現われた。神か行者か、何れにしても逞しい豪快な画相であった。それからグングンと客足が延びて、天童春樹という名が、高知ではボツボツ知られてきたのじゃよ。

 街頭へ行く途中に高知大神宮があって、いつもお参りさせて頂くのだが、その日は正面の拝殿へ行く途中の横に、お稲荷さんがあることに気が付いた。「お稲荷さんがあったのか」と思っただけだが、街頭へ出てから墨色の一の字を引くと、中央に眷族であるキツネの顔がハッキリ現れたことがある。何気なく見たお稲荷さんが現われるのだから、心の何処でどう繋がるやら、霊の世界は不思議じゃのう。それ以後はお稲荷さんにもお参りしておる。

 話を戻して、神棚の右の床の間にも、別に神仏を祭った。中央には轟神社の掛け軸、その前には聖観音様、左隣に浅草の浅草寺の観音様、右には奈良県信貴山の毘沙門天王様、左には七福神様をと、まあ大勢の神様をお祭りした。現在は武蔵野八幡宮の神様もお祭りさせて頂いておる。
 霊能師には、「あまり神様が多いので、どの神様が何を担当するのか迷う」と言われたりもするが、そのままお祭りしておる次第じゃ。
 吉祥寺の鑑定室には、轟神社の神様、前に聖観音、左に浅草寺の観音様、右に地元の武蔵野八幡宮の神様をお祭りして、毎日お祈りしておる。ただ、今年の六月で吉祥寺の鑑定室は閉鎖することにした。高知が留守になるし、歳が行くと長い出張はこたえるのじゃよ。ただ、四日間くらいは出張して、易占と人相術の教室と鑑定を暫く続けるつもりだから宜しく頼みたい。

 奈良の石上神宮に始めて参拝した時には、鳥居の前で、「かたじけない」という気持ちと、少し畏怖を感じたことを思い出す。轟神社には霊能師と一緒に行ったが、神域へ入った時に霊能師が、「護るから、三回来いと言っている」と言うたが、その後に他の霊能師の何人かに観てもらう度に、瀧か龍神が出てくるのじゃよ。それも、「護るから来い」と言うのじゃ。有難いではないか。しかし、考えようによっては、「護ってやらないと役に立たん男だ」とも取れるが、まあ、有難く護って頂いておる。

 街頭は、三十歳半ばで杉本先生から、「島田君、後を頼むぞ!」と言われて、高知の街頭易者の場所割りや、県外からの客人の場所の手配などをするようになった。同業と話し合って、「高知県街頭占業連合会」、「高知県易道組合連合会」を立ち上げて、その会長に就き、「同じ釜の飯を食う、家族」という思いであったが、「俺が一番」という易者の集まりは、そう上手く行くものではなかった。エエ経験じゃ。
 高知市の、料亭「得月」で、後援者や同業、先輩、裏社会の人などに集まってもらって、目出度く発足したまではエエが、それ以後は纏まりもなく、訳の分からん集まりとなったのじゃ。お互いに足を引っ張り合うことが多いから、何時の間にか、「適当にやれ!」という気持ちで、わしはあまり取り合わないようにしておる。

 そういう経緯で、事があって声が掛かれば顔を出すが、一度顔を出したら、相手がいることだし、途中で「止めました」は通用せんから、ややこしいのじゃよ。引っ込みがつかんなるからのう。どういうものか、わしが県外へ出たりして、留守の時に限って、色々と問題が起こるのじゃ。「わしがいたら、こんな事にはならんかったのに」と思ったものじゃて。
 「天道さんは、刑務所に入った事がない」といって、馬鹿にされるのじゃよ。それが街頭易者の世界じゃからのう。仲間内で、言うた言わんで死人も出たが、その時もわしが留守の時じゃ。「わしがいたら、何とでもしたものを」と思っても後の祭りじゃ。今では、新人が何処へ出そうが、わしは何も言わん。適当にやってもらっておる。「その代わり、自分でケリは自分でつけてチョ〜ダイね」という訳じゃ。

 ようけあった本を売ってしまったが、売り食いを免れた本には、神相全編正義、南北相法、林流画相気色全伝、観相発秘録、神異賦その他があったが、ふと神異賦を読む気になって、読み返してみた。運命とは妙なもので、それで何かが吹っ切れたのじゃよ。運命鑑定の仕方というか、順序というか、兎に角、今まで心の奥で迷っていたのが吹っ切れて、それから自分流の鑑定ができだしたのじゃ。四十歳になった頃に初めて気が付いた。
 気づくのが遅いといえば遅いが、「今までの苦労は無駄ではなかった」と、ハッキリ知ったのもその時じゃ。「人生に無駄なことなど無い。経験しなければならないから、経験するのだ。全てが肥やしだ」とね。「ああ、そうか!」と、何かに気づくことほど嬉しいことはないのう。有難いことじゃ。今までの苦労も吹っ飛ぶからのう。

 そして、運がボツボツ上向いてきた四十代で、今までの人相術教室の内容を纏めて、ワープロで仕上げて、表紙を付けて、「人相術講座・全十八冊」を仕上げた。それを大阪の中尾書店から発売してもらったのじゃ。「必ず発売を引き受けてくれる」と思っていたし、易占でも「オッケー」と出たからのう。平成二十四年の現在までに、直売を含めて、三百セット以上が世に出たのじゃ。

 それから七、八年して、一気に書き上げた、「街頭易者の独り言・開運虎の巻」の原稿を、新聞で「出版します」みたいなのを見て、長野の鳥影社に送って、共同出版として出してもらうことになった。出資した分は、四百冊の献本を、街頭に並べて三ヶ月で売り捌いて元を取ったのじゃよ。殆ど押し売りではあったが。

 本を書くということは、素人のわしには、書きたい時に一気に書く以外にないのじゃ。ウンウン唸りながら書くという代物ではないからのう。又、ノー天気だから、唸っても何も出て来ないのじゃよ。今までの経験を書くしかない。経験を書くのだから、別に難しいことではないし、嘘もない訳じゃ。
 わしの人相術教室では特に教科書はないのじゃ。経験だけが頼りだから、下準備も無ければ、繕うこともないし、質問にも平気で答える。但し、経験していないことは、「経験がないが、○○にはこのように載っており、○○先生はこのように言っている」というふうに、正直に答えることにしておる。当然、でっち上げも嘘もない。

 わしの言うこと、書いていること、内容を疑う連中もいるかも知れんが、信じてチョ〜ダイね。まあ、素人衆は仕方ないとしてもじゃ、同業者で疑う者がいたら、「しっかりしてチョ〜ダイね」と、わしゃ言いたい。何故なら、占い師が疑うこと自体が可笑しいではないか。「わしの言うことが本当かどうか、その真偽を、ちゃんと占ったのか!」と、わしゃ言いたい。占えば、イエスかノーかの答えがハッキリ出るから、疑うなどということは絶対にあり得んのじゃ。
 ただハッキリしていることは、「天道が言っていることが、真か嘘か」を占って、「嘘だ」と判断したら、それは誤占じゃよ。大外れ、判断間違いということじゃ。それは間違いない。疑心暗鬼などという言葉は、運命鑑定家には無縁じゃ。ただ、直ぐに迷ったり、勘ぐったりする占い師が多いから、「易者身の上知らず」と言われても文句が言えんのじゃよ。

 わしもエエ歳になったから、いちいち取り合わんが、言い出して引っ込みがつかんなってからでは、どうしようもないからのう。昔から陰口、噂話、井戸端会議は女子のすることと決まっておる。それと女面(じょめん)の男もじゃ。自分の始末の仕方くらい心得てもらいたいものじゃて。女子は心がコロコロ変わるところに可愛さもある。ルパン三世の、藤子のようなのもエエのう。

 わしは何でも占うから、迷うこともなければ、疑うこともないのじゃよ。易占教室の受講生にも、人相教室の受講生にも、「兎に角、いつでも、何でも占いなさい」、「兎に角、占うこと」と、いつも言っておるのは周知の事実じゃ。日頃のそうした実践の積み重ねが、占と一体の体質を作り、臨機応変な判断ができる基となるからのう。易占に、射覆(せきふ)というのがあるが、それを下らないというのであれば、易占は止めたほうがよかろう。

 話は変わるが、信仰の話の序に、わしが毎日ご先祖と神様の前で祈っていることを、簡単に言うから参考にしてもらいたい。
 「思いは諸法(すべて)に先だつ」というのは、法句経の言葉だが、「思いは全霊に繋がる」ということも覚えておいてもらいたい。例えば、明るい思いは明るい霊と繋がり、暗い思いは暗い霊と繋がり、暖かい思いは暖かい霊に繋がり、寂しい思いは寂しい霊を呼び寄せるということなのじゃ。
 思いやりがあれば思いやりのある霊と同調し、自分本位であれば自分勝手な霊の仲間になる。一事が万事、この調子だから、普段のちょっとした思いも、その都度その思いに波動が合う霊と繋がっていると知ってもらいたい。ちょっとした思いも、積み重なると、案外と強力になるからのう。易経に、「霜を履みて堅氷に至る」というのがそれじゃ。

 毎日のちょっとした明るい、積極的な祈りも、積み重なれば大きく作用するから、皆の衆も次の祝詞を実行してはどうじゃな。
「願わくば、この現身(うつしみ)を御手代(みてしろ)として、直(なお)く正しき御教(みおしえ)を、天(あめ)の下(もと)、四方(よも)の国に伝えしめ給(たま)え」、これじゃよ。現代の言葉に置き換えてあるが、「ねがわくば、このうつしみを、みてしろとして、なおくただしき、みおしえを、あめのもと、よものくにに、つたえしめたまえ」と毎日唱えると、必ず運気が向上することは、この天道が保障する。

 その意味は、「お願いです。この私を神の手代(使用人)として使って下さい。そして直く正しい神様の教えを、天下に、国中に伝えることができますように」、「私は神の教えの、素直で正しい教えを実行します。そして神様の僕として、その教えを天下に伝えられますように」と、まあこういう意味と思って良かろう。
 この祝詞を毎日唱えると、いつしか、「神様のお役に立とう。世のお役に立とう」という気持ちが沸いて、天命に任せて、ただ良かれと思う生き方をするようになるのじゃよ。それと、神の道に違うことを思ったり行ったりすると、忽ちその反応があるから、それも有難いではないか。悪いものがヨウケ溜まってから、いきなりドンと吹き出たら、たまったものではないからのう。

 神様と繋がれば、自分の内にある神の御霊別けの心が開くから、我が心を頼りに一切を判断して生きるようになる訳じゃ。そうなると、吉凶を越えた世界に安住するのじゃよ。それを、観自在境(かんじざいきょう)とか、空(くう)とか言っておる。
 ただし、ご先祖のご供養をちゃんとやらないと、いつの間にか自分だけの世界へ入り込んで、自己満足の世界で生きるようになるから、十分に注意してもらいたい。《家庭が世間の大本で国の基礎》だということを、しっかり悟ってもらいたい。いくら信心しても、出世しても、家庭が治まっていないようでは、ご先祖も神様も喜ぶまいて。

 《一身を修めるは、家を斉(ととの)えるにある》のじゃよ。《家を斉えることが一身を修めること》なのじゃ。それで国が治まり天下が定まるという訳じゃ。易経に、「家正しくして天下定まる」とあるも、「積善の家には必ず余慶あり。不積善の家には必ず余殃あり」と言うも同じことじゃ。《家を正すには、祖父母父母を敬い孝養するにある》 《父母祖父母を敬うことは、その父母祖父母の先祖を敬うにある》ことは自明の理ではなかろうか。

 わしの経験から言えば、いくら信心をしても、親を敬わず、祖父母を敬わず、ご先祖を蔑ろにしている者は、家庭が治まっていないのじゃよ。或いは難病、不慮の事故、浮気、肉親の争い、離婚など、決して幸せとは言えない有様じゃ。宗教に嵌って、「私は幸せです」とか、「俺はこれでエエ」と言ったところで、家庭が治まっていなければ、ヤセガマンだとしか言いようがあるまい。
 先祖と、祖父母父母を敬わない連中が、いくら神に祈り、自我を滅却したところで、神仏に通じる訳が無かろう。自分だけの幸せなどは無いのじゃよ。もし、通じるとしたら、同じ境涯の霊に通じるだけじゃ。それに、霊能師や霊能師モドキも多いが、信じている神がもし、神典に載っている神の名をかたるようであれは、わしゃあ信用せんほうがエエと思うが、皆の衆はどう思うかの。
 強い者勝ちの、下克上の現代には、上を敬い、過去の人々や物に感謝するという、精神教育が必要ではあるまいか。

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 紳士・淑女の人相術 (5)


  街頭も占い師も相変らずじゃ

 四月の末頃に、八木喜三朗選集が出版される予定だったが、少し遅れているので、六月の十三日に、「いつ出版されるのか」を占的に、易に問うてみたら、風地観の初爻変で風雷益に之く卦を得たのじゃ。六月末から七月の二、三日には出版されると判断して待っていたら、案の定七月二日に、「出来上がりましたから、送ります」との電話があったのじゃよ。まあ、占わなくてもエエことではあるが、わしは兎に角占うのじゃよ。
 一巻(一般相法の総論、詳論)は出版されたから、気血色相法、観面秘録、保健相法、刀巴心青(とうはしんせい)なども、順次出される予定だから、早い目に予約をいれてもらいたい。

 それと、「画相で透視する方法」を未だ読んでいない人は、急いでチョウダイね。太玄社の発行で、一般の書店にも置いているから、是非とも読んでもらいたい。分からないところは、実地講習会で質問すれば、解るように説明するから心配は無用じゃ。

人相術で運命鑑定家になりたい人には、ぜひ読んでもらいたい本があるから、次に上げておく。人相見必読の書じゃ。
 @「神異賦(しんいふ)」は、天道観相塾生必修の古典 A「神相全編(しんそうぜんぺん)」、又は、石龍子先生の「神相全編正義」 B「南北相法」は、鴨書店版が安価で良い C「林流画相気色全伝」は、鴨書店版が安価で装丁も上等 D吉村観水先生の「画相気色観相奥秘伝」は、新本があり、画相と気色の入門書としては最適 E「画相で透視する方法」は、量亀流透視観相鑑の復刻で、画相もここまで見えれば上等と言えるであろう。
以上を座右の書として実践を重ねれば、必ず人相実として一家を成すことができると、この天道春樹が信じて疑わない。

 さあ、自己紹介も思い出話も、この回で終わりじゃ。次回から人相術の話に入るが、成り行き上、今回もわしの話を聞いてチョ〜ダイね。

 高知の街頭易者の先輩方も、大方が霊界へ行ってしまって、随分と寂しくなったが、後発の易者もボツボツ出て来てはおる。しかし、本気でやっている者は少ないようじゃのう。キャンプ用品のようなテーブルへ、適当な布を掛けて、チャチなイスに背を丸めて座って、寂しそうな顔を晒(さら)しているのもおる。「プロなら、仕事の道具には、しっかり金を掛けんかい!」と、わしゃ言いたい、というよりも、常々言っておるのだが、どうやら馬の耳に念仏らしい。
街頭易者には二通りあるのじゃよ。まあ、何にでも陰と陽の二通りあるのだが、渋い陰者面(いんじゃめん)の者と、極端な貧相の者とがおる。殆どが貧相なのは、「易者身の上知らず」の証明かも知れんのう。酔っ払ってワーワー言うたり、唸ったりする悪相の者も結構多いのじゃよ。こうなると「街頭易者でもすれば、その日の米代と酒代は稼げるやろ」的な連中と思って間違いなかろう。自分の人相がエエと思い込んでいる辺りが、可愛いというか、何とも言えんのう。

  三十年余り前の、わしが三十代の頃には、高知市の中心街に十人くらいは座っていたのだが、「寒い」「暑い」「客が来ない」などの理由で、大方が止めてしまった。夏は暑くて、冬は寒いのが当たり前で、当たらなければ客が来ないのは当然ではあるまいか。わざわざ、「当たらない易者さんはいませんか〜?」などと言って、探して回る物好きはおらんからのう。
四季の厳しさと楽しさ、その移り変わりを楽しむ心が無いようでは、人間の栄枯盛衰も、人生の機微も分かるまい。しかし、占いの好きな者は、後から後から出て来るから、街頭易者が居なくなるようなこともなく、現在も七、八人の占い師が街頭に座っておる。高知は魚が美味いから、一度は尋ねてチョ〜ダイね。来た時には、観光の序に街頭易者をオチョクルのも一興じゃて。オチョクルつもりが、貧相の街頭易者に、「あなたは貧相です」などと言われないようにしてチョ〜ダイね。それと、三千円は払ってやってね。

 街頭易者はそれなりの格好をして、顔つきに力があって、渋いのがエエ。人相術で言う陰者面というのが、本当の街頭易者の定番なのじゃよ。たまにアンパンマンみたいな、ホンワカ顔の易者もおるが、寂しいときの話し相手には持って来いじゃ無かろうか。
「人生の裏表に通じ、厳しいようで優しく、優しいようで厳しく、信仰心があって、方便を心得て、現世利益を通じて本当の幸せに導く、その案内人が街頭易者ダ〜!」と、わしゃ言いたい。ま、言うたところで、犬の遠吠えにしか聞こえるまいが。

 犬の遠吠えといえば、昔懐かしい、わしが若かった時によく歌った、渡哲也の曲を思い出すのう。「弱い犬ほど吠えまする〜、俺は〜黙って〜闇の中〜、御用の〜ある時ゃ〜呼んどくれ〜、きっとお役に立ちまする、あ、あ〜東京〜流れ〜者〜」と。序にもう一丁、「何も〜言うなと〜故郷(くに)を〜出た〜、夜の〜都会の野良犬〜が〜、父〜に隠れた〜母頼り〜、封も〜切れずに〜男〜泣〜き〜」と。ク〜! 若い時に歌うたのは、この歳になってもジンとくるのう。

  昔の街頭易者は陰者面が多かった。兎に角、貫禄があった。力みかえった、頑固で偉そうな顔の先輩などは一人もおらんかったのう。鑑定する台にしても、行灯(あんどん)にしても、ちゃんと金をかけて、立派なものを使っておった。先輩それぞれの個性が、道具一つにも滲み出ておったのじゃよ。酒も呑んだが、顔にも目にも力があって、理屈抜きの凄腕が多かったのは事実じゃ。

  基本だけを誰かに習って、あとは実地で経験したのだから、初めの内は当たらずに、生活も苦しかったろうが、年数が経つにつれて判断に磨きがかかって、口にすれば必ず当てるという先輩が多かった。「当てるのが目的ではない」などと妙なことを言うたり、詰まらん免状と理屈だけでワアワア言うのとは、根本から違うわい。
実地が足らん連中に限って、教科書通りのことを勿体ぶって、平気で言うのじゃよ。わしも実占不足の、若いときには先輩から、「教科書通りじゃのう」と言われたものじゃ。全くその通りだと思うから、本当のことを言ってくれた先輩に、心から感謝している次第じゃ。人まねの占いを後生大事にするようでは、一生その呪縛から逃れないのじゃよ。皆の衆も注意してチョ〜ダイね。

  それと、人相術へアレコレの学問らしきものを引っ付けて、色々なことを言う連中も増えたが、人相術は人相術でエエと思うがのう。大抵のことは古典に載っておるわい。わしは、昔から東洋流の人相術で、鑑定に不自由したことがないから、ヘンテコなものを引っ付けたりはせん。鑑定で不自由するのは、自分が未熟だと分かっているからのう。
相聖と言われる、江戸時代の水野南北先生は、ある坊さんから、神相全編の要点を三日間習っただけで、後は諸国を回って実践をして、気色と流年を極めたというではないか。色々と引っ付けたり、言い方を変えたり、理屈を言うのであれば、少なくとも、先輩の境地を越えてからにしてもらいたいものじゃ。ややこしいだけじゃからのう。ホンマ。

  近年は、占い教室で、月謝を払えば簡単に習えるからラクチンじゃ。しかし、簡単に習えるから、その有難さも分からんのじゃよ。実践で身を持って苦労をしないから、一応の話はできても、ちょっと突っ込むともうお手上げの者が多い。有名な先生に就こうが、仙人に習おうが、実践には一切関係がないのじゃよ。経験してこそ、初めて教わったことの本当のことが分かるのじゃ。免状などはただの紙切れじゃ。
 それと、人相については人相見が強いし、易占は易占家が強いし、推命は推名家が強いというのが当たり前ではなかろうか。広く浅く、あれこれ手を付けたところで、その道の専門家には到底叶うまい。まあ、試せば直ぐに分かることじゃ。

  運命鑑定家は運命を鑑定して、それで暮らしを立ててこそ一人前じゃ。わしもやっているが、本を書いたり教えたりするのはその後のことで、余興と思えば良かろう。人に教えることなどは、十分に実践をして、実力がついてからがエエ。頼まれて初めて動くというのがエエ。わざわざ教えようなどと思わなくても、必要とされて教えるようになる時が来るから、黙々と実地鑑定に励んでもらいたい。天が必要とすれば、必ず世に必要とされるからのう。実地経験が無くて教えるのは、さぞ苦しかろう。内容の殆どが、妄想ということになるからのう。特に、人相術においてはじゃ。

 街頭の話に戻るが、わしが若いころは街頭へ出る前には、ちゃんと街頭の先輩に挨拶をして、場所を決めてもらってから出したものだが、近頃は挨拶の仕方も知らんし、昼は他の仕事をしながら、趣味程度の感覚で、料金も自分流のエエ加減なのが増えた。
 「運命鑑定」の看板を出しておいて、ただの人生相談員をやっているのやら、何でも霊の話で片付けるのもおる。「この世のことはどうでもエエですよ〜、あの世が大事です〜」などと、真面目な顔をして、訳の分からんことを言う、妄想界(霊界にある妄想で出来上がった世界)の使いのような者やら、色々な人間がおる。しかし、それも時代の流れだから、わしはどうこう言わん。放っておけば、自然に淘汰されるからのう。それが自然の摂理じゃ。

 先代から街頭を任されてからというもの、同業者のことでもいらん苦労をしたのう。その頃はわしも若かったから、挨拶もできんようなのは追い出したものじゃ。ただ、県外から来た易者はちゃんと挨拶があるから、昔からそれなりにエエ場所を構えるようにしておる。

 街頭易者で生計を立てるのは、なかなか難しいが、それでも、本気で易者をする決心さえすれば、何とでもなる。暑い日も寒い日も、「街頭易者か、ケッ」などといわれながら、毎日真面目に努めていたら、必ず身も立つから、中途挫折せずに頑張ってもらいたい。好きでやっているのなら、尚更ではないか。のう、皆の衆。

 神戸や東京でも街頭へ出したことがあるが、どうも商店街のおばさん連中が、嫌がって締め出そうとするからやり辛いのう。別に散らかしたり、大声で騒ぐ訳でもあるまいに。そんなことだから商店街も寂れるのじゃよ。ただの通行人のくせに、「勝手に出したらイカンぞ!」などと、妙なことを言うのもおるが、放っておいてチョ〜ダイね。先に街頭に出ている同業者も、余り歓迎しないというより、入れまいとする風が強いから、県外ではやり難いのう。

  昔なら、高知から県外へ出る場合、高島呑周先生に相談すれば、「ああ、あそこは兄弟分がおるから、話をつけておく」てな調子で、大抵の所で仕事ができたが、近年は同業者の繋がりが希薄で話にならんわい。随分と前のことだが、大阪で出そうと思って、そこの街頭易者に言うと、地回りがどうの、縄張りがどうのと、難しいことばかり言うのじゃよ。宗教団体まで出てきて、「大阪中には出す所は無い」などと偉そうに言うから、始末におえんわい。出そうと思えば何時でも出せるのだが、面倒臭いからその時は出るのを止めた。
 大体が、街々に街頭易者の代表が居ないからややこしいのじゃよ。「○○先生の紹介ですか、ハイハイどうぞ!」で通れば簡単なことだが、昔のように兄弟分がどうのこうのと言うと、ヤクザと間違われるし、全く窮屈で薄情な世に中じゃて。

  それに引き換え、地元の高知では、商店街も警察もうるさくないから気が楽じゃ。「街頭易者か」てなことで、警察にも商店街にも、問題にされないことも幸いしているようではある。商店街に「占い通り」などができればエエがのう。県外から客がドンドン来るようになれば、街も潤うというものじゃ。商店街の会長などに話を持って行く努力はしているが、いま一つハッキリせんのう。街頭易者の経緯も知らない交番の若いお巡りが、たまにエラソウなことを言う時があるが、可愛いのう。わしらは、「あなたはエライ! ハイヨ〜」で、取り合わんようにしておる。
 二十年くらい前に、あちこちにある屋台を整理して一箇所に集めようとした時に、街頭易者全員に、警察か市の職員か忘れたが、聞き込みに来たことがあった。その時に、わしは街頭易者の歴史と由緒を堂々と述べ、商店街のガード役にもなることを力説したのじゃよ。街頭易者の歴史は古いし、先輩が頑張った街頭の灯を消す訳にはいかんからのう。第一、街頭易者は街頭が好きで、そこで暮らしを立てるのは当たり前じゃ。

  この前にも、通行人が易者に絡んで揉めたことがあったが、わしがどうこう言う必要もないから黙っていたら、それを見た通行人が慌てて、「易者さんが、ガラの悪い人に殴られそうです」と、交番へ知らせたのじゃよ。わしは大いに心配しながら見ておった。直ぐに交番のお回りが飛んで来たが、その時には鑑定台の前に、絡んでいた男が倒れていたのじゃよ。警官も訳が分からん様子であったが、わしが心配した通りの結果になった。街頭易者に喧嘩を売るとはのう。いったい何を血迷うたのかのう。
そんな色々なことがあるのを顔にも出さず、通行人に、「当たるの〜?」とか、「こら易者、わしが見てやろうか〜?」などと言われながら、おとなしく上品に座っているのが普通の街頭易者なのである。

  街頭のわしの前を通った可愛い女の子が、わしの方を指差して、「おかあちゃん、あれ何〜?」と母親に聞いたが、可愛いのう。前には母親が子供に、「嘘よ、嘘!」と言うたことがあったので、今度は何を言うのかと思っていたら、目付きの悪い鬼のような顔をした母親が、「見たらいけません!」と子供に注意したのじゃよ。わしら街頭易者をゴキブリか何かと間違えているのじゃあるまいか。目付きの悪い母親から、あんな可愛い女の子が生まれるとは、何とも運命は不思議といえば不思議だが、そんなことよりも、あの子がいつまでも素直で元気に成長して、いらんことを言う鬼のような母親を大切にしてもらいたいと、心から祈ったのじゃ。そうでないと、あの母親の波動を受けて、母親と同じ人相になったら可哀想じゃからのう。

  ゴキブリと間違われるくらいなら、まだましじゃ。この間などは友人が通りかかって、「おい天道、あの向こうに死んだみたいな易者がおったが、ありゃあ何者じゃ〜?」と言うたからのう。殆ど死体と間違われる易者もおるのじゃよ。それを聞いて、「ああ、ゴキブリで良かった」と、ホッと胸をなでおろす天道ではあった。色々な街頭易者がおるが、皆の衆、街頭易者を大切にしてチョウダイね。ホンマ。占いの最前線で頑張っておるからのう。
 しかし、誰に断るでもなく、夕方になると何処からともなく現われて、作務衣や自己流の格好をして、慣れた手つきで、テキパキと、堂々と台と行灯をだして、神妙な顔をして座っている姿を見れば、子供が「おかあちゃん、あれナニ〜?」と聞く気持ちもヨ〜ク分かるのじゃよ。わしでもそう思うからのう。街頭易者は、全く不思議な生き物ではある。

 さて、話は戻って、色々なことがありがら、中尾書店から「人相術講座・全十八冊」を出してもらって、それがボツボツ売れ出した頃、鑑定会で大阪の宮田有峯先生と一緒に仕事をさせて頂いたことがあった。それがご縁で「関西推命学院」で、一年間ほど人相術の講師をやらせて頂いたのじゃ。高知の街頭易者を大阪へ呼んでくれたのじゃ。有難いのう。県外での人相術教室の第一号じゃ。
 宮田有峯先生には、それからも毎年「運命鑑」を送って頂いているが、何か恩返しができればと思いつつ、そのままになっておるのが心苦しい。「宮田先生、有難うございます」

  後年、鳥影社から「街頭易者の独り言・開運虎の巻」を出してもらってからは、鑑定のプロから素人まで、色々な人にご縁ができた。ホームページも息子に作ってもらって、著書の宣伝やら、スケジュールやらを載せたから、本の注文やら、鑑定の依頼やら、教室の話などが、ボツボツ入りだしたのじゃよ。インターネットは、本当に便利じゃのう。
 その便利な有難いもので、陰口や悪口を言う者が多いと聞くが、言うたことは、何れ必ず我が身に返って来るから、人の為にも自分の為にも、良いことだけを、人を活かす言葉だけを発するようにしてもらいたい。わしは横柄で偉そうに言うから、常々反省をしているのじゃよ。「口は災いの元」じゃ。陰陽の調和から見ても、「影では褒めて、表では厳しく」というのがエエのじゃなかろうか。

 色々な人からメールを頂いたが、その中に、東京は玄學舎の大石眞行(おおいししんぎょう)という、運命鑑定家のメールがあった。尺三ほどの筮竹を捌いている写真も載っておったが、その写真を見て、「なかなかの実占家だ」と判断した訳じゃ。わしはメールが苦手だから、直接大石先生と電話で挨拶がてら、少し話をすると、わざわざ高知へ来てくれるというではないか。早速お会いすることで話が決まったのじゃ。

 高知市の中央公園まで来て頂いたが、姿勢が良く、頭の低い好人物であった。近くの喫茶店で一時間余り色々なことを話してみて、「まあ、よくもここまで勉強したものじゃ」と、正直な話、そう思ったのじゃよ。占いは勿論だが、この業界の生き字引のような人物だとも思ったのう。「縁は異なもの味なもの」とは言うが、ホンマ、縁は計り知れんのう。その縁が、今でも続いておるからのう。
 どうして続いているかと言うと、お互いに実占家という共通点があるからなのじゃ。それと、お互いに酒が嫌いではないところもあってじゃ。但し、わしの場合は酒のほうはボツボツ止めんとイカンのじゃよ。とうとう観音様から、「命と酒とどちらが大切ですか」と言われたからのう。まさか、「そんなこと決まっているでしょう。酒ですよ!」とは言えんし、辛いが酒をほろ酔いで止めるか、禁酒するしかないのじゃよ。ほろ酔いで切り上げれたらエエがのう。わしの場合は、それはちょっと無理じゃのう。

 次の日に、高知市の電気ビルに部屋を借りて、三十人余り集まってもらって、人相術の講演をしたのじゃ。新聞に広告を出して、当然何人集まるかを占ってから、それに応じた広さの部屋を借りた訳じゃ。わしは一事が万事占うのじゃよ。そうでないと、集まった人が部屋に溢れても申し訳ないし、広い部屋に十人くらいでは、場違いでもあり情けないからのう。上達のコツは、兎に角占うことだと、わしは固く信じて実践しておる。

 そこで、人相の話が一区切りした時に、勝手に、いきなり、「今日は東京から、大石眞行先生が来ておられますから、質問がある人はこの機会にどうぞ、先生宜しくお願いします!」とやったのじゃよ。
 そうすると大石先生は、「いやあ、私がですか」などと言いながら、「質問がある方は、何でもどうぞ」とやる気満々のようで、もうホワイトボードに向かって、マーカーを握り締めているではないか。この時にも思いましたねえ。「実践家だ」とね。「経験者は語る」というが、落ち着いて堂々として、話の内容も濃いのう。

  質問といっても、「運命を鑑定して〜」のパターンになるは必定。その日も案の定そうなったのだが、大石先生は慌てず騒がず、生年月日時間を聞いただけで、指を折って何やら数えるようにして、年月日時の干支をスラスラと書いて、質問されたことに答えるのじゃよ。わしには訳が分からんが、本人に聞くと、「推命をやるなら、暦くらいは作れないと駄目ですよ」じゃからのう。わしとは脳のシワの数が違うのじゃよ。わしは、勉強もせず、我慢もしてないから、脳のシワが少ないと思うのじゃ。調べてはないが・・。まさか、ツルツルではあるまいのう。心配じゃのう。

 大石先生とのご縁でその後、東京の鎗田宗准(やりたそうじゅん)先生の所で、人相術の教室をやらせて頂き、続いて吉祥寺の占術スクール、カイロンの代表、天晶礼乃先生を紹介して頂いて、カイロンで三年に亘って人相術の講師をさせて頂いておる。今年からは易占も教えるようになった。吉祥寺での数日間に、運命鑑定もして、今に至るのだが、まことに人の縁ほど有難いものはないと、わしは常々思うのじゃよ。

 大阪の坂本兆杏先生にも、長いことお世話になっておるが、先生は肩書きとか免状などを全く気にしない、気さくな女先生じゃ。「妻を〜娶ら〜ば、才長〜けて、見目麗〜しく、情け〜あり〜」・・・と、何か自然にこの歌が出てくるから不思議じゃ。

 大阪といえば、インターネットーで、木村伯龍という先生が、人相術に詳しいのを知って、早速電話で、「天道という同業の者ですが、先生に鑑定をお願いしたい。同業者でも宜しいですか」と聞くと、「はい、同業の方でも結構です、どうぞどうぞ」という次第で、心斎橋の鑑定室を訪ねて鑑定をして頂いた。木村先生独特の鑑定法で、なかなか繁盛している様子じゃ。羨ましいのう。
 会った瞬間から、何か親しみが沸いて、今も坂本先生と三人で、伊勢神宮参拝に参加したり、美味いもの巡りなどをしているが、木村先生ほどの占い好きも珍しい。なにせ占いの話以外は聞いたことがないからのう。二時間でも三時間でも占いの話をする、実占第一のベテランじゃ。人を包み込む度量があるのう。

 カイロンのわしの教室で、易占と人相術の勉強をした、二見青龍(ふたみしょうりゅう)君は、教室の後の懇親会で、「街頭へ出たい」と言って、半年後に吉祥寺のサンロードの街頭へ出た。それから一年ほどしたら、「高知の街頭へ出て修行をしたい」、ということで、高知市の中央に部屋も借りて、去年(平成二十三年)の六月から、今年の四月まで実地の修行したのじゃ。随分とエエ経験になったと思う。東京へ帰ってから、最近まで吉祥寺の街頭でやっていたが、新宿の街頭へ移るという話を聞いた。兎に角、頑張ってもらいたい。面構えも段々と街頭易者らしくなって、わしゃ嬉しいのう。皆の衆も応援してチョ〜ダイね。

  そう言えば、この前などは、高知の街頭で、二見青龍君が座っているのを見つけた可愛い女の子が、駆け寄って来て、「おじちゃん、ナニしてるの〜?」と聞いたのじゃ。顔も可愛いが、言うことも可愛いではないか。二見君が、「ウラナイをしているの〜」と丁寧に応えると、その可愛い女の子が大きな声で、「わたし、占いなんか信じないも〜ん!」と言って、逃げるようにして、親のいる方へ走って行ったのじゃよ。わしも隣に台を付けていたが、お互いに顔を見合わせて笑ったものじゃて。その女の子も、何れは占い師のお世話になる時が来るだろうが、幸せな人生であることを祈るのみじゃ。

 何だかんだで、自己紹介と、経験談やら、思い出話が、随分と長くなって、皆の衆には退屈させたかも知れんのう。よくわしの話に耐えてくれたのう。その耐えた根性が、これからの肝心な人相術の勉強には大切なのじゃよ。

 それでは、次回から人相術の勉強に入るが、慌てず騒がず、ゆっくり行こうではないか。先は長いからのう。今までのわしの講義では、一番長いものになりそうじゃ。何年も掛かるから、そのつもりで頼むぞ。その代わりに、今までに話していないことも相当あると思って、楽しみにしてもらいたい。わしも酒を控えて頑張るからのう。そうでないと、途中で残念無念の絶筆になるからのう。こうなったら、後は、「のうまくさんまんだ〜」と、不動明王にお願いするしかあるまい。

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 紳士・淑女の人相術 (6)

人相術について

  先ずは、猛暑で気力と体力が衰えて、連載が遅れたことを心からお詫びする。十月に入って、奈良の三社を参拝してからは、その神気を受けて元気が出て連載も続きそうじゃ。五年くらい前から通勤をミニバイクに替えていたが、酒の量をグッと控えて、以前のように家から高知市の街頭まで、自転車で片道五十分くらいかけて通うことができるようになった。
「この連載が人を利しますように」、「願わくばこの連載が終わるまでは、何とか体力と気力が続きますように」と、いつの間にか思っていたので、その思いをご先祖と諸零が応援してくれたものと信じて、コツコツと書き続けるから、宜しく頼みたい。

  「思いは諸法(すべて)に先立つ」と、法句経(ほっくきょう)にあるように、「全てが思うことから始まる」から、何をどう思い、どのように行動するかが、一切の分かれ道であり、運命の分かれ道でもある。このことを悟ったら、後は思い通りの人生が展開するという次第じゃ。

  さて、いよいよ今回から、「紳士淑女の人相術」の本題に入るが、そうなると、これからは紳士と淑女のお相手ということになるから、わしも紳士淑女と釣り合いが取れるように、一番上品な状態を維持しながら、教養に溢れた話をせんといかんのじゃ。キス(酒)ボケの街頭易者の、ハシタナイ言葉は使わないように、せいぜい気を付けるから宜しく頼むぞ。只、土方(どかた)の飯場育ちで、街頭易者の先輩に可愛がられたせいで、生来の品格もグッと下がった現在の有様では、いつまで上品さを維持できるのか、自信はないが、易で火水未斉(かすいびせい)が出た以上、ジタバタせずに続けることにした。
まあ、心配はあるまい。時々、「街頭易者にしては、上品ですねえ〜、ホントに!」などと言われるわしじゃ。上品には違いなかろうから、安心して話を聞いてもらいたい。それにしても、「街頭易者にしては・・」とは、イッタイコッタイ、どういう意味かいな。まさかただの嫌味ではあるまいのう。心配じゃ。

 さて、人相とは顔だけでなく、体格や、歩き方、立ち姿、座った時の相、雰囲気、顔付き、声、挙動、その他、その人の一切を言うのじゃ。そして、性格や運命を鑑定する時にも、全部ひっくるめて観察するのだが、「顔」をその人物の代表とすることには、皆の衆もそれほどの抵抗はないと思う。

  「顔が利く」、「顔を売る」、「顔が広い」、「顔にかかわる」、「顔に泥を塗る」、「顔を貸す」、「顔を出す」、「顔をつなぐ」、「顔をつぶす」、「顔を逆なでする」、「顔見世」、「顔パス」、「顔役」などの言葉あるように、「顔は、その人の代表である」と言っても間違いではなかろう。「私の代表は、足の裏のホクロです」などと言う者は先ずおるまい。もしそんな連中がおったとしても何も問題は無い。取り合わなければエエだけの話じゃ。
 人相は本人自身であり、心の現われであり、因縁の結果であり、運命の象徴であるから、兎に角、人相は大切だということを知ってもらいたいのじゃよ。


     人相術の歴史

 人類がいつ頃誕生したかは、学者に聞けば、それなりの答えが返ってくるだろうが、男と女がおって、こどもが生まれて、家族ができて、共同生活が始まった時には、顔の表情や、語気や態度などによって、お互いに気持ちや行動を察しながら暮らしたのではあるまいか。
村ができ、もっと大きな集団ができて、大勢の人が集まれば、そこには自ずと個性の違いが見られて、それぞれの役割もできたことだろう。強い者が弱いものを従えて、身分の違いもできて、人の上に立つ者、使われる者、富む者、貧しい者、賑わう者、淋しい者、長生きの者、若死にの者、善を成す者、悪を成す者、成功する者、失敗する者など、何れにしても、そこに大きく分けて「陽の相」と「陰の相」、「陽の運命」と「陰の運命」というものが、対照的に相として浮かび上がったことだろう。一人一人を見ても気づかなかったことが、大勢が集まると、何もかもが色分けされてくる。そこから人間についての、色々な研究が始まったのではなかろうか。

 「人間とは何か」、「運命とは何か」という、人間本来の疑問を、色々な面から探求する人間が現われたとしても不思議ではあるまい。本来、人間はそれを自覚するようにできているのではなかろうか。ただ、その日その日を楽しく生きれば良いものであろうか。
 瞑想をして悟る者、神に問いかけて啓示を受ける者、考え抜く者、霊能が開く者などが現われて、それぞれに道を説いた。それらの求道者かどうかは分からないが、人相と運命の関係に着眼した者が、経験的に人相術を編み出したのではあるまいか。医者が身体と病気との関係を探り、診断して治療し、予防法を説いたように、人相を見て運命を鑑定し、天命を知らしめ、開運法を説いたことだろう。

 今から千年位前に仙人が伝えた、中国の神異賦(しんいふ)という人相術の古典に、「瞬目は重瞳」、「重耳は駢脅」、「太公八十にして文王に遇う」、「馬周は三十にして唐帝に遭う」、「洞賓は僊に遇うて遷を得たり」、「玄齢は相に入りて相に拝さる」、「ケ通は餓死す野人の家」、「梁武は餓えて滅ぶ台城の上」、「班超は万里候に封ぜらる」、「劉裕は九重の位に至る」等々とあり、古くは伝説時代(紀元前二千年以上前)の人物の、人相と運命のことが載っているところを見ると、随分と昔から人相をよく見る人物がいたようではある。
 中国の歴史の書物には、人相を見るのが上手かった多くの有名な人物の、鑑定の実話があちこちに載っているようだが、無学なわしには詳しくは分からない。中国の人相術の歴史は、石龍子先生の「神相全編」、桜井大路先生の「人相学全書」などに、ある程度載っている。

 ただ、人相術として纏まって世に表れ出たのは、それほど古くはないようで、「神異賦」が最初ではあるまいか。神異賦の序に、「神仙の古秘を剖(ひら)いては、希夷に度與(とよ)せり」とあるから、それ迄に仙人が伝えて来た人相術の秘伝を、麻衣仙人が陳希夷先生に伝えたことが分かる。

  ず〜っと後の、清の始めの時代に編集された「神相全編(しんそうぜんぺん)」は、袁柳荘(えんりゅうそう)、袁忠徹(えんちゅうてつ)という二人の先生が、それまでの色々な先生が説いた人相術を纏めたものらしい。そこには神異賦は勿論として、それまでの色々な人相術が全部載っているという、真に有難い本ではある。ただ、古くから伝えられたものだから、そこには誤写もあるだろうことを分かって読んでもらいたい。
 日本には古くは遣隋使や遣唐使らが、仏典などと一緒に人相術の本を持ち帰ったのではないかと言われているが、それも定かではない。何れにしても、日本で人相術の本格的な研究が為され、人相術が急速に進歩したのは、江戸時代に入ってからではあるまいか。わしは、神相全編が教科書的存在であったと思っている。
 ただ、有名な先生は勿論だが、今までに無名ながらコツコツと実地を重ねて、人様のお役に立った大勢の人相見の先輩がいたことを忘れないでもらいたい。その心が無い者は、人相術を勉強する資格はあるまい。

 「天道観相塾」の必修古典である神異賦(しんいふ)だが、中国は五代の時代に、麻衣(まい)という仙人が、陳図南(ちんとなん)という、これまた仙人に伝えた、人相術の秘伝なのじゃ。中国の五代の時代というと、今から千年余り前で、日本では藤原氏全盛の頃だから、まあ、けっこう古いのじゃよ。「顔なんて、首の上に乗っかっているだけじゃないの〜?」などと言う可愛い連中には、「神異賦を知らんのか! 控えおろう〜!」と、わしゃ言いたい。

 麻衣仙人が、陳図南という弟子に人相術の秘伝を授けたのだが、麻衣仙人は、中国の霊山の五山の一つである崋山(かざん)に篭(こも)って、霞を吸って暮らしていたそうじゃ。麻衣と呼ばれたところから察するに、いつも麻で編んだ衣を着ていたようじゃ。早い話が、お気に入りの一着じゃな。
仙人は昔から変わり者だと相場が決まっているが、その変人を山の奥までわざわざ訪ねて、弟子になった陳摶(ちんたん)という人物も、相当な変わり者であったことは間違いない。お互いに百五十歳位までは生きたらしいが、毎日山で何をしていたのやら、サッパリ分からんというのが、仙人の偉いところじゃ。ただ、異常に賢くて、当時の王様に招かれて、説法をしたことは間違いないようじゃ。
 「希夷(きい・陳仙人のこと)、期の如くして往き、崋山石室の裡(うち)に至る」と神異賦にあるが、麻衣仙人を崋山の石室に訪ねた陳図南先生。麻衣仙人との運命的な出会いにも、深い深い因縁を感じるのう。

 麻衣仙人に弟子入りした陳先生は、陳摶(ちんたん)と言い、あまりにも賢く偉いので、時の帝王から希夷(きい)という号を授かっておる。「九八九年、陳希夷(ちんきい)、儒教、仏教、道教の三教の一致を説く」と、諸橋轍次先生の漢和辞典の、中国学芸年表にあるところを見ても、相当な学者であり、人相見であり、変わり者の仙人であったことが窺われる。陳先生には他に、図南(となん)、白雲(はくうん)、扶揺子(ふようし)などの号もあるのじゃよ。
 陳先生と、その師匠である麻衣という仙人は、人相術の歴史に出てくるだけではなくて、中国の他の占いにも必ずといってよいほど登場するから、まあ、占いの元祖みたいな存在じゃ。

  序だが、人相術よりもまだ古いのが易(えき)じゃ。世間の訳の分からんことを言う連中に、「当たるも八卦、当たらぬも八卦〜、ペッ」などと馬鹿にされている「易」に至っては、それはもう古くて、古すぎて、それこそ訳が分からん程じゃ。
今しがたも、わしの前を中年の男が大きな声で、「当たるも八卦、当たらぬも八卦!」と言いながら通ったが、何も知らんということは、気楽にものが言えてエエのう。わしはその男の顔も見なかったが、見んでも分かるのじゃよ。それなりの顔をしていることがのう。
 例の学芸年表には、中国の伝説時代の、その初っ端に、「伏羲(ふつき・帝王)、易の八卦を画(かく)し、書契(しょけい・文字)を作る。蛇身人首」とある。まあ、古さでいえば、易以上のものはないという感じじゃな。そんなことも知らんと、「当たるも八卦当たらぬも八卦」とは、オコガマシイではないか。「控えおろう〜!」

  何も知らんと、易をナメて、いらんこと言うて、伏羲さんが怒ってもわしゃ知らんぞ。何しろ伏羲さんは、易を作り文字を作った大人物で、時の帝王じゃからのう。おまけに「人首蛇身」ときておる。人首蛇身というのは、首から上が人で身体は蛇じゃ。誰が見付けたかは知らんが、よう心臓が止まらんかったのう。しかし、そこはそれ、わしが思うに多分、伏羲さんを見たのは霊能者ではなかろうか。そして伏羲さんは、霊的な存在じゃないかと思うのじゃよ。そうでないと、話がややこしくなるからのう。まだまだ中国には、ややこしい話がようけあるのじゃよ。

  有名な黄河(こうが)から、いきなりザバ〜ッと龍馬(りょうば)が現れたり、洛水(らくすい)という川から、これまた予告もなしに、ザンバリと神亀(しんき)が現れたりするのじゃ。何がどうなっているのか、サッパリ分からんが、そこから素晴らしい「易」ができたとすれば、有難いといえば、有難いことじゃのう。それ程に易は素晴らしいものじゃ。因みに、神亀とは、「神通力を持った亀」ということだが、サッパリ分からんわい。まあ、霊能者が言うように、龍や蛇が神と深い関係があるとすれば、亀がそうであっても不思議ではない気がするのう。
 さあ、これからボツボツ、麻衣という仙人が陳図南という仙人に伝えた人相術がどのような内容であるか。「人相も見ています」という程度の占い師の殆どが知らない、「神異賦」を紐解きながら、紳士淑女と一緒に勉強すると思うと、ワクワクするのう。


 【付録】@

  わしは皆の衆の人相が良くなればそれでエエのじゃ。それでわしの役目は終わりじゃ。人相が良くなれば運命も良くなり、幸せになることは間違いないからのう。いつの世でもそうだが、名誉や地位があり金があっても、人相の良くない連中がヨウケおる。それは物欲と権勢欲の虜になっている連中じゃ。その連中はいくら着飾っても、士淑女の人相には程遠いのう。そこで、簡単に良い人相になる方法があるから、皆の衆もぜひ実行してもらいたい。

  第一は、《ご先祖を敬い、父母を大切にする》ことじゃ。ご先祖が迷っているようでは、子孫の幸せは望めんし、エエ人相にはなれん。肝心なことは、死んだら終わりではなくて、死者は霊界へ行くと思って、心からの感謝と、ちゃんとそれ相応のお祭りを忘れないことじゃ。それと、神仏への「ご先祖が天国へ行きますように」という祈りも忘れないように頼むぞ。例えば、浅草の「浅草寺」で、心を込めて回向の申し込みをするなどは、特にお勧めじゃ。
 ご先祖だけではなく、日本人類の大先祖、先輩など、兎に角、上を敬うことが第一じゃ。「神や仏などはいない」などと、チッポケナ脳ミソで考えずに、親や先祖、大先祖が敬ったものを敬うことじゃ。近頃はエエ歳寄りが、先祖を敬わず、この世のことに囚われて、「供養も何もいりません」とか言っているが、そんな下克上の生き方では、あの世でもロクなことにはなるまいて。現に寂しい顔をしておるわい。わしは、「お蔭様で」、「有難うございます」というのが当たり前だと思うがのう。

 次に、《由緒のある神社仏閣祈ることじゃ》 神仏に、「この地域が栄えますように、日本が栄え、世界が平和でありますように。そのお役に立ちますように」と、心から祈ることじゃ。細かくは、「修身」「斉家」「治国」「天下泰平」ということになる。以上の、ご先祖への感謝と、神仏への祈りをすることで、必ず人相が良くなり、運命も良くなることは、この天道が保障するから、必ず信じて実行してもらいたい。「運命鑑定・開運指南」というのが、大抵の占い師のやることだから、運命を占ってもらうだけではなくて、素直に開運法を実行することじゃ。素直な人間は必ず救われるからのう。

 先日、いつもお世話になっている、渋谷の「アルカノン・セミナーズ」が企画した、奈良の石上神宮(いそのかみじんぐう)、大大和神社(おおやまとじんじゃ)、三輪神社(みわじんじゃ)の参拝ツアーに同行したが、さすがに日本最古の神社と言われるだけあって、それぞれに神気(しんき)が強かった。
 石上神宮の神気は肌を刺すと同時に、息苦しいほどであったし、大大和神社は女神のような優しさであったし、三輪神社の神気は包み込むようであった。神社によって神気に違いがあるのだが、それが分かるようになれば、人間の気も分かるのじゃよ。
大勢で参拝する場合は、先頭に立てば特に神気が分かるから、試してもらいたい。それでも、「サッパリ分かりません〜」という連中は、分かるようになるまで、何回もお参りすることじゃのう。それでも分からなければどうすればエエか。さあ、どうしたものかのう。そうなると、わしも「サッパリ分かりません〜」と応えるしかないのう。
 三輪神社で五千円の「お鈴」を買ったが、振るたびに鈴の音が心身に響いて非常に気持ちが良いし、罪穢れが祓われ、清められ、許されるような気持ちになるから、紳士淑女にはお勧めじゃ。朝昼夕の三回振ると、人にも家にも響いて、エエ気持ちじゃ。スズしい気持ちと、スズナリの賑やかさ、それにリンとして、シャンとなるから不思議じゃのう。
 以下、次号へ続く。

 【付録】A

 霊能と霊能者について

 そうじゃ、序に霊能者の話もしておこうかのう。巷の霊能者の能力には、霊が見える、霊の声が聞こえる、臭う、感じる、イメージで見えるというのが多いようじゃ。まあ、幾通りかのタイプがあって、能力もピンからキリまでで、色々な段階があるようじゃ。わしは今までに、何十人という霊能者を人相眼(にんそうがん)で見てきたが、それぞれに、その段階に応じて世間のお役に立っていると思っているから、余り立ち入らない。しかし、避けたほうがエエ霊能者もけっこう多いから要注意じゃ。



【出口なお】


 大体が、仏教で言う「六神通」を霊能力と言うのだが、それとは別に、狐や狸や幽界の低級霊が憑いていて、あれこれ見えたり聞こえたりする霊能者もけっこう多いのじゃよ。そんな霊能者は決まって、我が強く、金銭欲、物欲、名誉欲、色欲のどれかに囚われていて、反省するという気持ちは殆ど持ち合わせていないから、直ぐに分かるのじゃ。要は動物性丸出しということじゃな。口でいくらエエことを言っても、直ぐに尻尾を出すのじゃ。それと、面白いことに、【霊能者の人相も、本人に憑(つ)いている霊に似てくる】のじゃ。心と人相、面白いものじゃのう。

 龍神が憑けば龍神顔に、蛇が憑けば蛇顔に、狐が憑けば狐顔に、天狗が憑けば天狗顔に、狸が憑けば狸顔に、豚が憑けば豚顔に、獣が憑けば獣顔になって、言うことも、することもそれなりに、憑いている霊に似てくるから直ぐに分かる。時には獣の匂いがすることもあるからのう。
 それと、龍神、蛇、天狗にしても、天界から地獄界までの、それぞれの世界にいるから、龍神が憑いているからといって単純に喜ぶ訳にもいくまい。まあ、試しに大本教の教祖である「出口なお」さんの人相を見てもらいたい(写真@)。完全な、恐いような「龍神顔」じゃ。


 序に色々な悪徳霊能師の顔も挙げて、イチイチ何顔かを解説してもエエが、ワシもそこまではできんわい。何顔であろうが、全員が神の子であり、それぞれのお役目があるからのう。批判はできんのじゃよ。それに生霊も恐いし。
 若いときには、「お前か! ワシに生霊を送っている奴は!」と、乗り込んで気合をいれたものじゃ。懐かしいのう。横着な奴は軽く揉(も)んだものじゃよ。今でも時々街頭で、訳の分からん奴に気合を入れることがあるが、ふと取り巻いた見物客の、「エエ歳をして、イヤアネエ〜」という顔付き気づくと、さすがに恥ずかしいのう。「アッ、天道さんが、怒ってル〜」なんてのも、チョ〜恥ずかしわい。イヤハヤ、マッタク。「祓い給へ、清め給へ〜」と。

  わしの根本真言は「おん、あびらうんけん(大日如来)」じゃ。ワシはこの真言を唱えると、全てが無限小になり、無限大になり、一切が一つになるから不思議じゃのう。それと、「南無大師遍照金剛(弘法大師)」、「のうまくさんまんだ、ばざらだん、せんだまかろしゃだ、そわたや、うんたらたかんまん(不動明王)」、「おんあろりきゃそわか(観世音菩薩)も唱える。「おんあぼきゃあ・・・」の、光明真言もエエのう。

  「あなたには高級霊が憑いている」などと言われて喜んでいる連中がいるが、そんなことで喜ぶようでは、高級霊とは無縁で、すでに妄想界に入っていると思って間違いなかろう。世間には「卑弥呼の生まれ変わりです」とか、「天照大神が守護神です」、とか、「アマテラスは次元が低い」などと、馬鹿なことを真顔で言う連中も多いが、「ご苦労様」としか言いようがないわい。皆の衆も決して取り合うてはいかんぞ。

 わしが特に注意するのは、【無茶苦茶な金額を設定して、それを堂々と請求する霊能者】じゃ。当然、本人はそれが高額などとは気が付いていないが。この連中には、幽界か地獄界の人霊か動物霊が憑(つ)いていると判断して間違いなかろう。動物霊は金銭に関する感覚がないのじゃよ。「猫に小判」と言うからのう。勿論、反省心もない。ピントがズレているから始末が悪いのじゃよ。
 この手の霊能師に関わると、大金を取られるだけではないぞ。その【悪徳霊能師(略して、ア〜ちゃん)に憑いている霊とも縁ができる】から厄介なのじゃ。エエ加減に厄介な世の中で、その上にア〜ちゃんに憑いている、厄介な霊と縁を繋ぐ必要もあるまいが、「溺れるもの藁をも掴む」で、直ぐに引っ掛かるのじゃよ。

 そして、その霊能師の運命だが、この世では詐欺で訴えられたり、暴力団につけ込まれてコキ使われたりするのじゃ。晩年には人に嫌われて孤独となり、そして死んでからも色々言われ、霊界では自分の後ろに憑いている霊に頭が上がらずに、部下になってこき使われるのじゃよ。その上に、来世では貧乏な家に生まれるか、そうでなくても騙されたりして金銭で苦労する訳じゃ。前世の因縁に気づかずに、ワ〜ワ〜言うて、またまた金銭に執着するという繰り返しじゃ。
 可哀想といえば可哀想だが、「因果応報」「撒かぬ種は生えぬ」という運命の法則からは、富貴貧賤を問わず、誰一人として逃れることはできないのじゃ。せめてこの法則には気付いてもらいたいのだが、「馬の耳に念仏」かも知れんのう。神仏とご先祖の導きを待つしかあるまい。ナンマンダブ、ナンマンダブ。

 わしは霊能師にいつも言うのじゃ。「霊能というのは確かに実在するが、それは特別な才能ではないし、霊能があるからといって偉い訳でもない」とね。報酬も世間並みでエエのではなかろうか。
 わしは易者で食えない時には、アレコレ仕事をしたが、土方にしても、運転手にしても、水商売にしても、取立てにしても、一日働いて、今の金額でせいぜい一万円位ではなかろうか。それを、霊能があるからといって、ちょっと鑑定して、十万から二十万、除霊とか供養とか色々な名目で、五十万とか百万円。それじゃあ、ハッキリ言って、詐欺じゃよ、詐欺。霊能師は自分の見える世界、感じる世界に囚われているから、それ以外の、運命の原理や運命の法則には気が付かんのじゃよ。他人の言うことを聞く耳を持たないのじゃ。心が替われば、憑いている霊も替わるから、何とでもなるのだが・・。

 霊能が現われたと思ったら、調子に乗らずに、何人かのちゃんとした霊能者に、何が憑いているかを見てもらうべきじゃ。それを素直に聞くようであれば、大きく間違うことはあるまい。只、間違って低級な動物霊が憑いている霊能者に、「あなたには低級な動物例が憑いている!」などと言われないように、ちゃんと相手の霊能者を見る目がないといかんから厄介じゃ。

 浅見という先生の本に、神に言葉として「人間に金を回して裁きする」と載っているが、わしは本当だと思うのじゃ。例えば、罪を犯して稼いだ金で家族を養ったら、家族はそのことを知らなくても、家族の罪にもなるということが、経験的に理解できるのじゃよ。稼いでから使うのが順序だから、先ずはどのようにして、どれだけ稼ぐかが問題じゃ。勿論、使い方も問題になるのだが。
 
 それと、霊能もない、ただの妄想と自己暗示の自称霊能者もけっこう多いが、何とかならんものかのう。傍迷惑じゃ。決まって、自分が正しいと思い込んでいて、「他の者は次元が低い」などと堂々と言うのじゃよ。「地震が来るゾ〜!」などと、人騒がせなことを言うのもこの手合いじゃ。外国のずっと辺鄙で地震があったら、「ほら、やっぱり地震があった〜、当たった!」などと、的外れなことに喜び勇んで、益々自信をつけるから厄介じゃ。いよいよ地震が来ると感じたら、人のことは放っておいて、自分だけが山のほうへ逃げ去って、「未だか〜、未だかいな」と、地震が来るのを一人寂しく待つ毎日じゃからのう。滑稽で人騒がせなだけの、ご苦労な連中じゃ。
 大体がじゃ。人様の幸せを祈る占い師とか霊能者は、地震が来るからといって、世間の人を出し抜いてトンズラしたらイカンのじゃあるまいか。最後まで残って、一生懸命頑張るのが天命ではあるまいか。「霊が見える」、「霊を救っている」と言うのもおるが、具体的な判断ができないのじゃよ。「それなら、わしにどんな霊が憑いているか、言ってみろ」と言うと黙るのじゃ。「高い位の神霊のことが分かる」などと、妄想で一生終わらないでチョ〜ダイね。ホンマ。

 大体が、「宇宙からの波動が○○と伝えている」とか、「宇宙神からのメッセージを受け取って」などというのが厄介なのじゃよ。まあ、色々な宗教があって、あれこれ言っているようだが、「自分は選ばれている」とか、「特別な人間だ」などと思ったり、「天から特別な使命を帯びている」などと言い出したら、その人物には要注意じゃ。「天界の秘儀だから、これ以上は言えないが・・」などと勿体ぶった前置きをしておいて、あれこれペラペラ喋るのじゃよ。小声で喋る辺りは、滑稽でもあるわいな。「エエ加減にセエヨ!」と、わしゃ言いたい。
 それと、「あなたには迷っている先祖が訴えている」と言う霊能者も多いが、その程度ならワシでも言えるわい。霊能者なら、「何代前の、○○という名前の先祖が云々」くらいは言ってもらいたいし、生霊なら誰から生霊が来ているかも言ってもらいたいものじゃて。ただ、それを当てるから安心という訳ではない。料金が高かったら、それだけで、アジャパ〜じゃ。ア〜ちゃんじゃ。勿論、料金が安いケッタイナな霊能者も多い。

 この前、わしのホームページに載っている、霊能者の大原節子さんと家内と三人で、居酒屋で一杯やったが、少し酔いが回ったわしの顔を見て、大原さんが、「先生の顔とダブって、これこれこういう顔が出てきました」と言うではないか。その顔の特徴を聞いて、わしにはそれが誰か直ぐに分かった。死んだ同業者じゃ。「どうして出てきたのか」と大原さんに聞くと、「天道が喧嘩するようにアオッテイル」と言うではないか。生前わしと揉めたことを根に持って、わしが酒を飲んで気が動くのに乗じて、争いを起こすように仕掛けようとするとは、全く困ったものじゃて。死後に地獄界か幽界の下辺りにいて、色々画策しているようだが、早く執着を断ち切って、少しでもエエ所へ行ってもらいたいものじゃ。「生前に少しでも信仰心があったなら、そんなことにはなるまいに」と残念にもおもう。しかし、そんな霊に憑依されるワシも、ワシじゃ。大いに反省せんといかんと、ツクヅク思うのじゃ。波動が合わなければ憑かれることはないからのう。
 皆の衆も、心の動きに乗じて、ありとあらゆる霊が憑いたり離れたりしていることを知って、感情に心を動かさず、いつも明るく朗らかであってもらいたい。

 ア〜ちゃんの話が長引いて疲れたから、今回はこれで終わりじゃ。次回からは、できるだけ多くの写真と図解を入れて人相術の話をするから、楽しみにしてもらいたい。

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 紳士・淑女の人相術 (7)


 人相術の歴史(続き)

 神異賦の講義を続けるが、人相術に限らず、師匠が弟子に本当のところを、そっくり伝えるとなれば、同じ力量の者、本当に解り合える者に直伝しなければ、到底解るものではないというのが本当のところじゃ。禅宗では、「一升桝から一升桝へキッチリと移すように伝える」と聞いたことがあるが、同じ器でないと到底ダメということじゃのう。只、悟りの世界はそれでエエかも知れないが、学術はやはり、「藍より出でて、藍より青い」というのが本当ではなかろうか。

以後、神異賦の文は『』で表すことにする。

 『高山(こうざん)流水(りゅうすい)、知音(ちいん)少なく万籟(ばんらい)寂(せき)たり。白雲深き処(ところ)、松風(しょうせい)通い一榻(いっとう)隨(したが)ふ』
本当に分かり合える者(知音)は少ないと言っているのじゃ。春秋時代の琴の名手であった伯牙(はくが)が、高い山を思って琴を弾けば、友人の鐘子期(しょうしき)がそれを聴いて「泰山の如し」と言い、河の流れを思って琴を弾けば「黄河のごとし」と言ったという。以心伝心、それほどに分かり合えたということじゃ。鐘子期が死ぬと、伯牙は、琴を破り、弦を絶ち、二度と琴を弾くことがなかったということだが、分かる気がするのう。それを真似て、「私の鑑定を分かる者はいない」などと言って、筮竹を「エイッ!」と折ったり、天眼鏡を割らないように頼むぞ。勿体ないからのう。そんなのに限って、直ぐに新しいのを注文してニコニコするのじゃよ。

 皆の衆にも、本当に分かり合える相手がおったらエエがのう。いやいや、本当は誰にでも分かり合える相手がいるのじゃ。まあ、その辺りのことは、自分で気付くしかあるまい。「本当に分かり合えるのは、マミ〜だけよ〜、マミ〜、アア〜!」などと、飼い猫にすがりつかないでくれよ。猫が迷惑するからのう。ホンマ、この手合いがケッコウ多いのじゃよ。見ておれんわい。全く。「知音」とは全く別物じゃ。犬や猫を人間より可愛がる連中が増えたが、世も末じゃのう。仏壇の中に、犬や猫の位牌を置くのだけは止めてチョ〜ダイね。

 麻衣仙人が陳図南先生に伝えたのが、神異賦なのだが、それも冬の寒い時に、崋山という霊山の石室(せきしつ・石作りの部屋)の中で、囲炉裏(いろり)を囲んで、仙人が仙人に人相術を伝えたそうな。それも、わしらのようにペラペ〜ラと喋って伝えたのではない。
 麻衣仙人が囲炉裏の灰へ、火箸(ひばし)で人相術の秘伝を一行書いては消し、一行書いては消しして伝えたらしい。陳先生も小学生で大学へ行けるような天才で、記憶力も抜群だから、先生が書いては消し、書いては消して行くのを、一発で全部覚えたらしいのじゃ。すごいのう。
 決して「麻衣先生、ちょっと待ってくださ〜い!」とか、「何と書いたのですか?」などとは言わなかったのじゃ。多分、二人の年齢を合わすと二百歳は有にゆうに超えていただろうに、本に寒い時にご苦労なことじゃて。しかし、この二人の仙人がいないと、神異賦も世に出なかっだろうと思うと、二人の仙人は、わしにとっては神様と同じくらい有難い存在なのじゃよ。という訳で、陳先生は人相術中興の祖とされておる。
 『言語を以(もっ)てせず。隠(いん)にして之(これ)を授(さず)く』
 これが人相術秘伝々授の場面じゃ。ク〜ッ、涙が出るのう。マッコト。

 神異賦にも載っているが、陳先生以前からも人相術はあったらしいが、ちゃんとしたものが世に出たのは、神異賦が最初ではなかろうか。そういう意味でも、神異賦は最古で最高級の内容ということになる。わしの解説は拙いとしてもじゃ、皆の衆も千年以上前に仙人が伝えた、最高級の人相術に縁があっただけでも、幸せと思わんといかんぞ。有難いことじゃのう。神異賦、神異賦、と。そうじゃ、「神異」とは、神変異常、不思議なという意味じゃ。
 「神相全編」には、陳図南先生以前の、人相を見るに巧みだった人物の名が出ているから、原書を取り寄せて読むことをお勧めする。わしは神相全編の全訳を表したいのだが、無学のため出せずにいるが、いずれ篤学の士が現われて全訳を表すことを期待している。いや、必ずそうなる。わしの思いは寸分も違わんからのう。大体が。

 わしの解説には、ちゃんと教科書があるのじゃよ。それはわしが勝手に尊敬している、黄石洞の谷村春樹先生の「神異賦」なのじゃ。故人となられたが、一度お目に掛かりたかったのう。天道春樹の「春樹」という名も、谷村春樹先生の名を勝手に「先生すみません」と言って取ったのじゃよ。わしはハルキと読んでいたのだが、ある懇親会の席で、玄學舎の大石眞行先生から「谷村春樹(はるひと)と読むそうですよ」と聞かされて、「ハア〜? そうですか〜」と応えたのだが、心中「ハルキでなくハルヒトでよかった」と、何やらホッとした気持ちになったのは確かであった。それにしても、大石眞行先生は何でもご存知じゃのう。恐れ入るわい。序だが、天童は「天童よしみ」をテレビで見て、「天の童(わらべ)か、エエのう」てな調子で、これまた拝借したのじゃ。そして、「いつまでもワラベでもあるまい」と、二年くらい前から天道に変えた訳じゃ。思えば、今までに十回くらいは変えたのう。

 『千万(せんばん)伝ふる勿(なか)れ、後学(こうがく)凡庸(ぼんよう)俗悪(ぞくあく)の子(こ)。慎(つつし)めよや、之(これ)を謹(つつし)め』

 「神異賦は後の凡人には絶対に伝えてはならない」というのがこの文だが、そこはそれ、一休さんの気持ちになって「気にしない〜、気にしない〜」で、次に進むことにする。そうでないと、わしが人相術を勉強したこと自体が問題になるからのう。

 中国だけではなく、アリストテレスやプラトンも手相や人相を見たらしいし、インドではアシタという仙人が、釈尊の降誕を予言したとあるし、日本には日本で発達した人相術があってもおかしくはないが、その辺りがどうもハッキリしない。
大体が、遣隋使や遣唐使が、仏教経典などと共に人相術に関する書物を持ち帰ったとされている。定かではないが、そうじゃなかろうか。聖徳太子もよく人相を見たらしいし、その他にも「武将の何某が人相を見るに巧みであった」などと載っているのを、わしは見た覚えがあるが、そこもハッキリしない。
 兎に角、色々な文化の花が咲いた江戸時代に、人相術も多いに発達し、名人も出ただろうし、無名の上手もいたに違いない。石龍子(せきりゅうし)先生は、「神相全編」の重要なところを訳して「神相全編正義」を著し、水野南北先生は実地を重ねて「南北相法」、「人相早見」、「極意修身禄」などを残している。山口千枝という先生も有名だが、その纏った秘伝書のことは、わしには分からない。明治では林文嶺(はやしぶんりょう)先生が、気色と画相を詳しく研究して「林流相法」を残している。
 
 近世では、石龍子、桜井大路、谷村春樹、小西久遠、中司哲巌、目黒玄龍子、大熊光山、吉村観水先生などが有名で、著書も多く、今でも易書を扱う古書店で手に入れることができる。二代目玄龍子先生の直弟子であった、八木喜三朗先生の「八木喜三朗選集」の一巻と二巻が今年(平成二十四年)に、鞄圏m書院から発売されたから、是非読んでもらいたい。太玄社発行の「画相で透視する方法」も絶賛じゃ。
 独学で分からない事は、この天道が責任を持って教えるから、現在やっている人相術教室で受講することをお勧めする。五、六人も集まれば、単発での教室もする用意があるので、希望者は申し出てもらいたい。

 まあ、中国で研究された人相術が、日本で日本流に発達し、幾つかの流派のようなのがあるが、それはそれでエエのじゃなかろうか。只、ろくに実践もせずに、自分勝手にあれこれイジクルものではないことは確かじゃ。人相術の根と幹を古典の原理に例えれば、枝と葉は常に変化し進化をする部分と思えば良かろう。皆の衆も古典と、実践家の諸先輩の本を読んで、それを実践をして、色々なことを発見して、それを公表してもらいたい。
 今までのような「秘伝」とか「奥伝」とか「一子相伝」とか「極極秘伝」とか言う時代は終わった。しかし未だに、研究発見したことを、一人悦に入って「エヘヘ〜」てな調子で、発表しない連中が多いが、困ったものじゃて。自分は先輩のものを勉強しているくせに。先輩への感謝が足らない証拠じゃ。

 ここで、神異賦の有序(ゆうじょ・序)の全文を載せておくから、紳士淑女の皆さんには、じっくりと人相術の古典を堪能して戴きたい。高官から庶民まで、言葉と言葉遣いの乱れた現代においては、是非とも勉強してもらいたいものじゃて。
次回はいよいよ本文の勉強に入る。

 『神異賦有序(しんいふゆうじょ)。五代(ごだい)の間(かん)、聖人(せいじん)に陳図(ちんと)南(なん)あり。宋(そう)の太祖(たいそ)、其(そ)の号を賜(たも)ふて希(き)夷(い)と曰(い)へり。麻衣(まい)に師事(しじ)して、相術(そうじゅつ)を学(がく)修(しゅう)す。諭(さと)すに以(もっ)て冬の深きころ、炉(ろ)を擁(よう)して之(これ)を教へんといふ。希(き)夷(い)、期(き)の如(ごと)くして往(ゆ)き、崋山(かざん)石室(せきしつ)の裡(うち)に至(いた)る。相には前定(ぜんてい)あるなれども、世に予(あらかじ)めこれを知るものなし。瞬目(しゅんもく)は重瞳(じゅうどう)にして、遂(つい)には禅譲(ぜんじょう)ありて尭(ぎょう)の位を獲(え)たり。重耳(じゅうじ)は駢脅(へんきょう)にして、果たして覇(は)となり晋(しん)の基(もと)を興(おこ)せり。神(しん)異(い)は秘授(ひじゅ)を以(も)ってするに非(あらず)んば、豈(あ)に塵(じん)凡(ぼん)の能(よ)く解(かい)推(すい)せむや。言語を以ってせず、隠にして之を授く。石室(せきしつ)の丹書(たんしょ)を発(ひら)けば、吾(わ)が道忘らるゝ莫(な)し。神仙の古秘(こひ)を剖(ひら)いては希(き)夷(い)に度(と)与(よ)せり。高山(こうざん)流水(りゅうすい)知音(ちいん)少なく、万籟(ばんらい)寂(せき)たり。白雲(はくうん)深き処(ところ)、松声(しょうせい)通ひ一榻(いっとう)随(したが)ふ。志(こころざし)は海内(かいだい)に亘(わた)り、下(しも)は人世(じんせい)を掩(おお)ひ。望みは雲外(うんがい)に超(こ)へ、上(かみ)は天機(てんき)に合(がっ)す。一覧(いちらん)遺(のこ)る無(な)くんば方(まさ)に知らむ、神異賦の●誣(ぶ)妄(もう)にあらざるを。千万(せんばん)伝ふる勿(なか)れ、後学(こうがく)凡庸(ぼんよう)俗悪(ぞくあく)の子(こ)。慎(つつし)めよや、之(これ)を謹め(つつし)』

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 紳士・淑女の人相術 (8)

 骨格と気色

それでは、前回の『神異賦有序』に続いて、いよいよ本文の勉強に入る。人相術の古典を紐解くと、何やら懐かしいというか、嬉しいというか、ジーンとくるのだが、人間が好きで、人相術の好きな皆の衆はどうかな。
神異賦だけではなくて、明の時代に編集されたという、人相術の教科書である「神相全編」その他の相書も併せて解説して行く。今時の若い連中の為にも、殆ど総ルビ的に行くから、宜しく頼みたい。紳士淑女は決して、「嫌だわ、何で総ルビなの〜」などと、人を馬鹿にしたようなことは言わないから、漢文が苦手な者も安心して、自分流に勉強できる。
それでは、神異賦本文のハジマリ〜、ハジマリ〜。


【骨格で一生の運命を鑑定し、気色で当面の運命を鑑定する】

 前にも書いたが、文頭の、●『』は本文。〔解説〕は前文の解説。□「」は本文を袁柳荘、袁忠徹先生が解説したもの。神異賦以外の古典(主に神相全編)からの抜粋は「」で載せたから、合わせて勉強してもらいたい。本文は当時の中国の風景を思い、一字一句を味わい、楽しみながら勉強するには十分であろう。

●『骨格(こっかく)は一世(いっせい)の栄枯(えいこ)たり。気色(きしょく)は行年(こうねん)の休咎(きゅうく)を定(さだ)む』
〔解説〕 神異賦の本文の最初に出てくるのがこの文で、「人相術の根本」と言ってよい。
人相術は、早い話が《骨格と気色の見方に尽きる》 それ以上に簡略にはできないし、ヤヤコシクする必要もないし、難しそうな言葉を付け加える必要も全くない。近頃は敢えて「人相学」などと無理やり難しい言葉で解説するのが流行っているが、鑑定の時には却って邪魔になるから、難しい理論や小理屈は覚えないほうが良かろう。迷わされないでもらいたい。
人相を科学的に研究するということと、切ったり貼ったりして、役にも立たない理屈で固めるのとは、全く別物だと悟ってもらいたい。科学的に研究するのは結構だが、「今までの人相術は古い」とか、余計なこと言うからいかんのじゃよ。黙々と鑑定をしながら、人相術を研究しながら、世間に問えばそれでエエ。ろくに実践もせんと、アレコレ言うのは傍迷惑じゃ。
やれ会長だ、副会長だ、本部長だなどと偉ぶる連中も多いが、隠者である占い師は、目立たずに、実践をして世のお役に立てばそれでエエ。目立たずにヒッソリとのう。占い師が威張るような世の中はロクなものではない。ヤクザじゃあるまいし。いやいや、ヤクザでも威張らないのが本物じゃよ。
 書物の勉強ばかりで実践をしないと、勉強すればするほど頭でっかちになって、訳が分からんなって、ヘンテコリンな質問をしたり、妙なところで一人合点したりするし、仕舞いには諸先輩と人相術までも愚弄するようにもなる。書物の勉強と実践とは、車の両輪のようなものだから、くれぐれも偏らないようにお願いする。
□「骨格に異なきは相の体なり。則ち一世の栄枯は此れに因りて知らる可(べ)し。気色の旋生(せんしょう)するは相の用なり。則ち行年の休咎を判ずるは、此れに由って能(よ)くすべし。知者之に参すれば、人の貴賎は思ひ半ばに過ぎむ矣(かな)」
〔解説〕この文は、原文を用いながら、遠まわしに解説しているが、要は骨格と気色を見ることに通じれば、運命は全て分かるという意味。

さて、『骨格』とは、骨の太い細いは勿論、体格や頭や顔の形、眉目鼻耳口など、その形があまり変化しない所を指して言う。挙動や癖も、なかなか変わらないからこれに当たる。「骨格は一生の栄枯盛衰を現している」のだから、骨格を観察して、「あなたの一生の運命は云々」とやるのが運命鑑定ということになる。

『一世の栄枯』とは、一口で言えば、一代の運命の栄枯盛衰のこと。運命とは、富貴(ふうき)、貧賤(ひんせん)、寿夭(じゅよう)、窮通(きゅうつう)のことで、「富」は財があり、それを活かすこと。「貴」は位が高く、高潔であること。「貧」は貧乏で心も貧しいこと。「賤」は仕事も生き方も賎(いや)しいこと。「寿」は長生き。「夭」は若死に。「窮」は行き詰まり、失敗。「通」は通達、成功を言う。骨格を見れば、これらのことが分かるのだが、どの程度詳しく分かるかは、これからの勉強次第と言うことになる。
実際に運命を鑑定する時には、大体が次のようなことを判断する。

@生まれた家系が士、農、工、商、隠者のどの系統か。積善の家か不積善の家か。先祖の有徳、無徳、有罪、無罪。家筋、親先祖の富貴貧賎寿夭窮通の運命が、本人にどのように影響しているか。遺産の有無。
A裕福な家に生まれたか、貧しい家に生まれたか。生まれた当時の生家の富貴貧賎寿夭窮通の状態。
B祖父母、両親と、兄弟姉妹との縁の良し悪し。
C体質、健康状態。親先祖の遺伝の影響。
D学業の成否、適業、就職。財運。
E恋愛、結婚、子供との縁の有無、良し悪し。
F性分と運命への影響。
G災難の有無。
H重大な変化のある年齢、吉運の歳、凶運の齢。
等々で、一口で言うと、その人の個性と運命の一切合財。

兎に角、一生の運命の全てを骨格で鑑定する。簡単といえば簡単だが、ややこしいと言えばややこしい。まあ心配せんでも天道を信じて任せておきなさい。悪いようにはせんから。「信じる者は救われる」と言うではないか。何事も「簡単だ」と思えば簡単で、初っ端に「難しい」と思えば難しい。ただ淡々と勉強して実践するしかあるまい。

 『気色』とは、骨格に対して言うのであって、全体の雰囲気、部分の感じ、顔全体の色、顔に部分的に現われている色、声などを纏めて言う。この「微妙に変化する所」を看取して、「あなたは現在○○の問題があり、成り行きは○○で、結果は○○です」という具合に鑑定する。同時に開運法を指南する。それを気血色による運命鑑定という。色も感じで、雰囲気も感じで判断できるようになれば一人前と言ってよかろう。

神異賦では、骨格と気色と運命の関係を十分に語っているから、人相術を学ぶ者は、先ずは神異賦から始めるのがよい。市販の図解入りの本をいくら読んでも、なかなか分かるまい。その理由は、実践した名人が書いたものと、ソウでない者が書いたものの差ではなかろくか。

 骨格と気色のことは分かってもらえたかな。余り詳しく説明すると、却ってややこしくなるから、これ以上は言わない。もっと勉強したいなら、漢和辞典で「骨」「格」「気」「色」などの字を調べて、フムフムなどとやると分かるかも知れんから、一丁やってみてはどうじゃな。勧めじゃ。文字でも文章でも、熟語もひっくるめて、流動的に捉えて、感覚で読めるようになれば、人相術の上達も早かろう。
型にはまっている連中は、脳ミソを指圧してから勉強することをお勧めする、と言うと、この連中は本当にやるかも知れんから恐いのじゃよ。そして「天道がやれと言うた」と言うのじゃよ。まあ、色々な人間がおって、それぞれの自分の因縁に振り回されて生きているが、その「因縁を見るのが運命鑑定だ」と知ってもらいたい。
骨格と気色のことは分かったかな。まさか「鼻が低いから、明日は儲かる」とか、「額にニキビができたから、一生安心です」などと判断する連中はおるまいが、まあそれに近いことを言うのがおるから、一々説明をせんといかんのじゃよ。

骨格も一生不変ではなくて、徐々に変化するのだが、それは本人の「心持ち」と「行い」による場合と、「境遇の変化」で無意識に心と身体が反応して変わるのが殆どじゃ。時には強力な霊の影響で吉凶ともに変わる場合もある。急に変化することもあるが、まあ早い話が、心が変われば人相が変わり、人相が変われば運命も変わるということは間違いない。ただ、人相が変わるといっても、そうコロコロと気まぐれに変わるものではないから、骨格で一生の栄枯盛衰の運命を鑑定できるのじゃよ。

(注) 運命を鑑定して、悪い予言が外れる場合がある。これには二通りある。一つは、心が闊達自在、融通無碍、悟りの境地に至っている人物や、人命救助などの陰徳を積んだ人物。この人物を鑑定すると外れることが多い。水野南北先生が「陰徳は人相見の敵だ」と言っているのがこれで、諸天善神の加護によるものと思われる。
このことは人相にもちゃんと現われるから間違いない。大抵は、額の生え際から、明るい色が眉間のほうへ下がる。綺麗な色の位置に因って、助けてくれているご先祖の命日も判明する。「神はお見通し」と言うから、陰日向なく善行を積む者は護ってくれているのではなかろうか。
 運命を鑑定して当たらない場合の、もう一つは、言わずと知れた「鑑定家の未熟」にある。が、最初から達人はいないから、苦労して人相術を伝えてくれた諸先輩に感謝し、当たらなくてもポツポツ来てくれるお客に感謝し、神仏ご先祖に感謝しながら、世間の風当たりにもメゲズ、「世のお役に立ちたい」という一心で頑張ろうではないか。南北先生でさえ、人相術修得をローソクの炎で手を焼きながら不動尊に祈願したと言う。皆の衆も、神仏の加護を信じて頑張ってもらいたい。「わしは南北を超える!」などと力んで、火の中へ飛び込んだりせんように、くれぐれもお願いしておく。

 骨格と違って、気色は急変することがある。そうなれば運命も急変するから、それを見逃がさないように、「見た感じ」、「感じたまま」を素直に判断することを忘れないでもらいたい。人相は骨格と気色に分かれる。骨格で一生の運命が分かる。《必ずそう信じて勉強してもらいたい》。そう信じて人相術を勉強しないと、運命も運命の原理も開運法も、本当のことは分からずに、中途半端で終わる。諸先輩の言うことを信じて、自信を持って研究してもらいたい。
特に気血色の場合には、鑑定家が心で相手に質問すれば、その思いが相手に通じて、その答えが相手の人相に現われる。そこまで信じて実地を重ねれば、直ぐにこの天道の鑑定力を超えることは間違いない。そうなれば、それが一番の喜びであり、先輩への恩返しでもある。

 墨色判断(すみいろはんだん)というのがあって、墨で半紙を四つ切にしたのに一の字を書かせて、それを観て一生の運命と当面の運命を判断するのだが、全てが現れると信じて墨色判断をすれば、必ず現われるのじゃよ。人相術でも、太玄社から最近復刊された「画相で透視する方法(量亀流透視観相鑑)を見れば、こちらの思いに応じて、相手の人相が答えてくれるということが理解できる。
 神異賦の序に『富貴と貧賤とは、奚(いずく)んぞ此の篇を出(い)でむ。寿夭と窮通とは相法を逃るゝ莫(な)し』とあったのを思い出してもらいたい。「富貴か貧賤かは神異賦を勉強すれば解り、寿夭と窮通も人相術で解る、人相術を逃れることはできない」という意味で、人相術で全て解るということを言っているのじゃよ。

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 紳士・淑女の人相術 (9)

  神の有余と不足

【心と人相】

 お釈迦様は、「思いは諸法(すべて)に先立つ」と言い、人相術の諸先輩は、「未だ形貌(けいぼう)を見ずして、先ず心田(しんでん)を相せよ」と言い、「相は心を追うて生じ、心を追うて滅す」と言い、「心は形の先にあり、形は心の後におる」、「心有って相無きは、相は心を追うて生じ、相有って心無きは、相は心を追うて滅す」と言った。正にその通りで、皆の衆も「心の持ち方」が人相を良くも悪くも変え、運命をも変えるということを悟ってもらいたい。
 ただ、「心」と言うと「心とは何か? ウ〜ム、今夜は眠れそうにない」などとなる訳だが、「心」とは「思い」のことだと気が付けば、それでオッケ〜。「思い」が「行い」になるから、とにかく思いを正すことが第一ということじゃな。

 『人の富貴(ふうき)に生まるゝは、皆な前世(ぜんせ)の修行に由(よ)る』と、神異賦の終わりの方にある。前世の生き方も、思いの如何に因って決まり、それで今世の運命が決まるということ。運命とその原理法則の研究は、この世に生まれてからの運命だけをいくら研究しても分かりはせん。結局が、「因果応報」、「自業自得」、「自分が撒いた種を、自分で刈る」という運命の法則に行き着くのだが、その辺りに気が付いてこそ開運法も分かるというもの。
 『自ら力(つと)めて美を済(な)す、世見(せけん)の為にせず。陰功(いんこう)は亦(ま)た作(さく)す、来世の道果(どうか)』
〔解説〕 努力して良き生き方をせよ。手柄を求めたり、世間体で生きるな。誠心誠意の努力は来世の実りとなるという意味で、神異賦は修身の道しるべでもある。皆の衆には、いつの間にか世間体や見せ掛けの生き方をしないように、時々この文章を思い出して戒めとしてもらいたい。

 □「未だ形貌を観ざるも先ず心田を相すと。人の富貴なると貧賎なるとは固より其の相貌気色に在り。然れども善を作せば祥を降し悪を作せば殃を降さる云々」
 〔解説〕人相を見る前に心根を観なければならない。人の富貴貧賎は人相に現われるが、善をなせば天より吉祥を降され、悪をなせば災いを降される。心持と行いによって人相は変わる。因果応報を言う。


     【人相術の効用】

 『小なれば則(すなは)ち人の危難を救い、大なるときは則ち人の性命(せいめい)を活かす』
 〔解説〕 人相術を活用すれば、色々な危難を救い、大きくは人を活かすという意味。「当たるの〜?」とか、「高いのう、五百円じゃないのか!」などと言われながらも黙々と、この文章を思い出しながら、迷うことなく頑張ってもらいたい。

 □「相法は小にして之を言えば、凶吉を予知し、以って人をして凶を避け吉に趨(おもむ)かしむ可(べ)し。大にして之を言えば、決して生死を知り、師徳あるもの舟に上がりて凶人の溺るゝを免るゝが如き、以って人をして禍ひを免れ福を獲せしむ可きがごとし矣(かな)」
 〔解説〕要は、人相は神相を見抜いて人助けをするという意味。


     【心相と神相】

 「思い内に有れば色外に現る、これを心相(しんそう)と言う。思い内に有らざるに、色外に現る。これを神相(しんそう)と言う」
 〔解説〕このことも、人相術では大切なことで、心に思っていることが人相に現われるのは、誰にでも理解できると思うが、それだけだはなく、思ってもいないことが人相に現われるということ。盗難、火難、水難、その他の災難の予知、思わざる相手の出現の予知など、予言をするのも神相を見抜けばこそできる。
 心相ばかり見えて、神相が見抜けなかったら、これから起こる色々な問題や、事の成り行きも、災難も予知できないことになり、人相術は実際には殆ど役に立たないことになる。
 前兆を見抜くとは、「気配を感じ取る」こと。感覚で見る癖をつけること。

【神(しん)を見る】

 実際の運命鑑定では、先ず「神の有余」か「神の不足」を見極めて、その人物の器量(きりょう)を量るのを第一とする。
 人相術では『神』を最も重視するのだが、さて、神とは何かと言うと、「生命力」「精神力」「運命力」の「力」と思えば良かろう。周りを見回したら分かることだが、人間は「神の有余」と「神の不足」との二つに分かれる。要は体つき、顔付き、眼光に力があり、余裕があるか、力が不足しているかのどちらかになる。


     【神の有余と、神の不足】

 神相全編(しんそうぜんぺん)に「神の有余」というのが載っているが、有余とは余裕のこと。力強くて、しかもその力を内に蓄えていて、決して力が表にギラギラと現れていない。これを「神を蔵(ぞう)す」と言う。身体、顔付き、目付き、雰囲気、所作などを見て、神の有余か不足があるかを判断すれば、運命の大半が読み取れる。

     【神の有余】

 「神に余裕ある者は。眼光は清く、眼使いは正しく、眉は秀でて長く、精神は聳えて動かず、人相、雰囲気は澄んで清く、挙動には余裕があり、事に臨んで剛毅であり、猛獣が深山を行くがごとく、遥かに世俗を離れ、丹頂鶴が遥か遠くの空を行くがごとく、座っては大石のごとく動かず、寝ても妄りに動かず、立てば大樹のごとく、歩くときは泰然と大河の流れのごとくであり、聳える山のように人を寄せつけず、妄りに物を言わず、落ち着いていて騒がず」
 「喜怒哀楽に心を動かさず(鈍感とか無神経とは別物)、賞賛や批判にも心を動かさず、あらゆる事に囚われず、心がいつも平らで、騒がず」
 「以上の相と心を、神の有余(余裕)と言う。この人物を上貴(じょうき・最も貴い相)と言い、【凶災(凶事、災難)がその身に入り難く、天禄(幸運)を長く保つ】」と、神相全編にある。

 どうですかな。神に余裕がある人物の「人相」と「心持ち」は大したものではないか。神異賦に言う『志は海内に亘り、下は人世を掩(おお)い、望みは雲外に越え、上は天機に合す』を思い出す。
この、「神の有余」の人物は、それなりの家系に生まれるのだが、その辺りのことは後でゆっくり話すことにする。「積善の家には必ず余慶あり。不積善の家には必ず余殃あり」とは易の言葉だが、与那嶺正勝(よなみねまさかつ)著、「新・家系の科学」に詳しいから、必ず読んでもらいたい。

 「良い人相」とは、一言で言えば以上の「神の有余」の人物ということになる。実際に、この人物は大物として活躍しているから、大物の人相を見れば直ちに納得できる。世間によくあるが、運よく重要な地位に登った人物で、神が不足している場合がある。その人物は、遅かれ早かれ刑に触れたりして、その立場を失うは必定。要は、地位とか金があるとかよりも、神に余裕があるかどうかが優先する。
※急に神が弱ったら、急病、災難、失墜に遭うから、神が弱る前兆を感じ取り、大難を小難に、小難を無難にする指導をしなければならない。


     【神の不足】

 次に、「神の不足」を挙げる。難しく考えなくても、「神の有余」の反対と思えば間違いない。
「神の不足の者は、酔ってもいないのに酔っているようであり、悲しくもないのに悲しそうであり、眠っていないのに眠っているようで、怒っていないのに怒っているようで、恐れたようであり、いつも驚いているようで、喜びもないのに嬉しそうであり、阿呆でもないのに阿呆のような愚かな顔であり、雰囲気が濁り、痛々しそうであり、喜怒哀楽がすぐ顔に現れ、言葉が詰まり、風体と顔付きが冴えない、災難に遭ったような顔付き、後ろ暗いよな顔付き、会った始めは勢いがあって鮮やかでも段々と弱く暗くなり、語気も段々と弱る」
 「以上のような人相を「神の不足」と言い、これらの連中は【多くは牢獄に入り、失敗して立場を失う】」とある。余り長生きできないというオマケまで付いている。
 世間の殆どの人間が神の不足だが、神の有余になるたもの努力をすれば、ある程度は成功するものと思う。集中力と忍耐は、神を強める大元ではなかろうか。


     【達磨(だるま)の人相術】

 インドから中国に亘って禅を伝えた、中国禅宗の開祖である、菩提達磨も人相術の達人とされ、「達磨相法」というのが残っている。次に達磨の「神」についての見方を紹介する。

「達磨相主神有七」

 全身の神(体神)の強弱、顔付きの神(面神)の強弱、眼光の神(眼神)の強弱を見るのだが、主として眼を見て判断する。「相は神を主とし、神は眼を主とす」とある。

@「蔵不晦」(おさまってくらからず) 神が強いが、ギラギラと露出せずに、内に蔵っている。内蔵されているが暗くない。神(力)が露出しておれば、凶暴悪死の相。凶暴な連中は殆どがこの相。
A「安不愚」(やすんじておろかならず) 眼光が穏やかだが、愚かでボンヤリしているのではない。穏やかなのと愚かなのとを見間違わないこと。愚かなのは「神の不足」。
B「発不露」(はっしてあらわれず) 眼力は強くても表に露出していない。露出は凶暴。眼光が浮くのは若死にか孤独の相。
C「清不枯」(きよけれどもかれず) 清い相と淋しい相を間違わないように。眼光が清いのは心も清く、淋しいのは孤独。
D「和不弱」(わすれどよわからず) 眼光に親しみがあるけれども、弱くない。親しみと弱さを見間違わないように。素直に見れば見間違うことはないし、現実の運命と照らし合わせれば、一目瞭然。感覚で見ることが秘訣。
E「怒不争」(いかれどもあらそわず) 顔付きと眼光に怒気を含んでいるように見えるが、争うことをしない。神が強いと怒ったように見える場合があるが、本人は決して怒っている訳ではないから、争うこともないという意味。喜怒哀楽に心を動かすことがないから、争ったりしない。争うのは神の不足。
F「剛不弧」(ごうなれどもこならず) 眼力が強いと意志が強く、権力を振るって人心が離れやすく、孤独になり易いのだが、反って人望があって、決して孤独にならない。
 ちょっと難しいように思うが、実際に「神の有余」の人物を見れば、容易に納得できる。特に眼光に注意して、右のことを習得してもらいたい。


     【神は眼を主とす】

 体全体から発する神を体神(たいしん)、顔付きに現われた力を面神(めんしん)、眼光に現われている力を眼神(がんしん)と言うのだが、主として眼神を重視する。兎に角、人相は全て眼で決定すると悟ってもらいたい。そうしないと、何時までたっても「人相術は当たらない」などと勘違いすることになる。「相は神を主とし、神は眼を主とする」と古典にもある。
さて、達磨さんは眼の見方をどのように言っているか、次に上げるから、特に眼光の見方を会得してもらいたい。

     「達磨相眼」(だるまめをそうす)

@「秀而正」(ひいでてただし) 眼光に力があって露出していなくて、目付きが正しい。
A「細而長」(ほそくしてながし) 目形が細く切れ長である。眼が細く短い者は小物で、長くても細くなければ悪人。
B「定而出」(さだまっていづ) 目つきが定まっていて、神が出ていること。眼神が弱いのは愚人。
C「出而入」(いでている) 眼神が強く出て、それでいて人を入れる(容れる)余裕のある眼。
D「上下不白」(じょうげしろからず) 所謂、三白眼のこと。先祖の酒毒の影響で、凶悪の相だが、眼光がしっかりしていたり、和気があったり清らかであれば変人ではあっても、凶悪とは判断しない。
E「視久不脱」(ひさしくみてだっせず) 直ぐに眼を逸らしたり、眼光が弱らず、いつまでも眼神が強く落ち着いていること。神に余裕がある証拠。
F「遇変不眩」(へんにおうてくらまず) 誰にあっても、異変に遭遇しても眼が眩まない、目が変化しないこと。これもドンヨリしているのでもなければ、無表情でもない。神に余裕がある証拠。堂々としていて外からの影響に揺るがない人物。
これで、神に余裕がある相と、余裕がない相の違いが分かったと思うが、皆の衆も人のことよりは、先ずは自分を判断してもらいたい。思うに、世の中の八割以上の人間は「神の不足」と判断して間違いなかろう。

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